第19話 世界の成り立ち
ユリゼラと話をしているとき、十二歳くらいに見積もっていた人もいたと聞いた。この世界ではユリゼラでも小柄らしいから、咲羅はなおのことだろう。そしてどうやら咲羅の立場は、「ハーシェル王の愛人」と目されても不思議はないのだということが、マルヴィンの様子から察することが出来た。これはユリゼラの不興を買わないためにも、早いところ王宮を出て、自立した生活をする算段をつけたいところだ。
「そう言えば、まだ誰も来ていないのか」
ハーシェル王の問いに、ルースが「まだどなたもお越しではありません」と答える。
「そうか。食事もまだのようだな。邪魔してすまなかった」
手つかずの朝食にちらりと目を遣り、ハーシェル王は謝罪した。
「いえ……。すみません、もっと早く起きたほうが良かったんですよね? ここの生活時間帯も、伺っておくべきでした」
「それは気にするな。服が届くまでに、時間やしきたりや、金銭のことなども説明させよう。基本的に、サクラの好きにしてもらって構わない。城内のどこも、自由に出入りすることを許可する。あとはそうだな、あいつらだけでなんとかなると思うが……困ったことがあれば相談してくれ」
「あの!」
立ち去りそうな気配に、咲羅は思い切って訊いてみる。
「その、セルシアでなかった場合、王宮に置いていただくのも心苦しいので……一人で生活出来るようになりたいのですが、それはどうすれば……」
「焦るな」
やんわりと咲羅の言葉を遮り、ハーシェルは笑った。
「クレイセスも言ったと思うが、セルシアではないと確定した場合も、生涯の生活は保障する。だが、それはこの世界の生活にもう少し慣れてからでも遅くはないだろう。我々がやったことはそなたに対して一方的だ。だからという訳でもないが、我々から出来ることは、最大限させて欲しいと思っている」
ハーシェル王がそうあろうとしていることは、今までの説明や咲羅を気にかけてくれる姿勢からも受け取れる。咲羅は彼らから召喚されたことの幸運を、しみじみ思った。
控えめに叩かれる扉の音がして、ハーシェル王が返事をする。現れたのは昨日紹介された、ガゼルとクロシェだ。
「おはようございます。遅くなって申し訳ない」
ここにいる彼らより一際大きいガゼルが、少し息の上がった声で挨拶をした。恐らく、彼は二メートルを超えている。
「何かあったのか」
「最近王都を騒がせている盗賊の捕縛だ。奴ら別働隊がいて、そっちは取り逃がしてしまったが。クレイセスとサンドラが当たっている」
「お前たち全員で当たってか?」
少し意外そうな顔でそう言った王に、クロシェが「俺は留守番だった」と申告する。
「それでも、三人がかりでその結果というのも珍しいな? まあいい。マルヴィンに昼までに服を用意させるから、午後はサクラに城下の案内を。それまではこの世界の一般常識を説明してやってくれ」
それだけ言うと、ハーシェル王は手にしていた本を置き、ラグナルと、まだ腹部をさすっているマルヴィンを連れて出て行った。
「朝食もまだのご様子ですね。時間はゆっくりあるので、話は召し上がりながら」
クロシェに着席を促され、咲羅は頷いてルースが整えてくれた食事の席に着いた。彼らも同じテーブルに着き、ルースが紅茶を給仕する。
見られながら食事をすることに抵抗はあったが、とりあえず、昨夜ユリゼラと食事をしたときは、特別何も言われなかった。スプーンやフォーク、ナイフの文化は、咲羅の知っているものと大差はないようだ。違っていても、まあその都度直していけばいいかと、咲羅はフォークを手に取った。
「正直、何をどこから説明申し上げればいいか、我々も迷うところですが」
ガゼルが言い、お互いに歩み寄り方を模索しようとしていることは頷けた。
「そうですよね。わたしも、何から訊いたらいいのかわからないです。でも、お祈りするときのやり方とか、礼の取り方とか、挨拶の仕方とか? そういうことも違うってわかったので」
「祈りの仕方?」
怪訝な顔をする二人に、ルースがこれまでの経緯を説明してくれる。咲羅はその間に、もそもそと食べ進めた。食材の名前はわからないが、要はサラダにスープ、そして味としては鶏肉のようなものを四角に包んだクレープだ。日本目線ならフランスの郷土料理として認識されているガレットが近いだろう。桃に似た果物もあり、さすがに全部を食べ切ることは出来ず、申し訳ない思いで「ごちそうさまでした」と手を合わせる。それを見て、二人も「なるほど」と、文化の違いを納得したようだった。
「もうよろしいのですか?」
驚くクロシェに、「すみません」と謝る。
「いえ……。それで足りるのかと、驚いただけです」
「大丈夫です。あの、昨日お話の中にあった、王統院? とセルシア院て、どう違うんですか? ガゼルさんとクロシェさんはセルシア院の方なんですよね?」
咲羅の問いに、クロシェが答える。ガゼルは少し疲れているようで、一気に飲み干した紅茶のお代わりをルースに要求し、息をついていた。
「そうです。王統院は界王と王妃が統括する組織で、この世界の貴族を束ねて政治を執る機関です。セルシア院はセルシアを頂点に、この世界の治安全般を預かっています。それぞれが騎士団を持っていて、我々はそこに所属しておりますが、ほかにもきちんと文官がおります」
「文官……宰相とか、大臣とか?」
「ええ。そういう言い方をするのは王統院の管轄下にありますね。王統院が抱える各組織を省と言います。対してセルシア院が置く組織を庁といい、元老院が抱える部署を局と呼びます」
「元老院?」
「民の代表として、意見を精査したり陳述したりする機関です。実際に統治するための権限などはありませんが、この三つをもって三院と言います」
「ああ……。為政者と、世界と、民」
そうです、と微笑むクロシェに、咲羅は先程マルヴィンが言っていたことを思い出す。昨日紹介されたときも思ったが、「お嬢様方のいらん嫉妬」が真っ先に心配されるくらいには、彼らの容姿は整っている。特にクロシェは、なんと言えばいいのだろう、纏っている雰囲気をどう表現するのが適切なのかと咲羅は言葉を探した。
(あ)
(色気ってやつだ)
思い付いて一人納得のいく答えを得たところに、ガゼルがとりあえず、とこれから行く城下での買い物の仕方を教えてくれた。
ガゼルは長官たちの中では一番大柄で、快活な印象を与える。話し方も、ほかの人よりは時々ざっくばらんだ。咲羅に対して、堅苦しくならないような距離を探っているようにも見えた。人懐こそうな雰囲気もあり、クレイセスやクロシェに比べると、話しかけるのにそれほどの壁は感じない。
二人は咲羅のいた世界に興味があるのか、ガゼルが買い物の仕方や通貨のことを説明してくれたほかは、ほとんど咲羅が、質問されるままに「メルティアス」の話をするに終始した。ルースも給仕をしながら、感心したように耳を傾けている。
マルヴィンから服が届くと、咲羅の着替えに気を遣って二人は退室した。ルースは手早く咲羅を着付け、最後に髪をまとめて麻布を巻き、黒髪を覆ってしまう。傷のある額には薬を塗り、障らぬようやわらかい布を当てると、その上に太めのカチューシャのような額飾りをして隠してくれた。簡素な出で立ちは茶系にまとめられ、鏡に映る咲羅はどう見ても「少年」だ。
部屋を出ると、マルヴィンに用意されたのか、軍装から咲羅と同じような格好に着替えた二人がいた。剣こそ帯びているが、貴族の匂いは薄れている。
ルースに見送られ、咲羅は初めての外の世界に、足を踏み出したのだった。




