第18話 外に出る前に
そこにノックが聞こえて返事をすると、ハーシェル王がするりと入って来た。ルースは瞬時に立ち上がると深く腰を落として頭を垂れ、咲羅もとりあえず立ち上がる。
「いや、楽にしてくれ。あまり時間がないから、必要なことだけ訊いたら戻る。ルースも楽にしろ。茶は要らない。それは? サクラの世界の本か」
ルースは自分がいる場所をハーシェルに譲り、後方に下がる。ハーシェルは興味津々に、本を手に取った。
「はい。学校の教科書です。わたし、お城の中歩いていて思ったんですけど、書いてあることわからないので、字を教えてもらいたくて。それに何より、お城の外が、見てみたいです」
他にも祈りの姿勢ひとつ違うことを伝えると、ハーシェルもその必要性は認識していたようで、あっさりと許可が出た。
「今は治安が良くない。昨日紹介した騎士を二人は連れていくことが条件だ」
「それは、彼らにとってご迷惑なのでは……」
自分は現状、「セルシア」ではないのだし。
「そなたがセルシアでないなら、あいつらはまだ俺の麾下だ。王の客人としてのサクラの警護を、あいつらに命じる」
組織のこともよくわからないが、恐らく今はハーシェルが「一番偉い」のだろう。彼がいいと言えばいいのだろうと、咲羅は一応納得する。
「その前に、商人を一人紹介しよう。王都を歩くには、その格好は目立ちすぎる。ルースが用意したものがあっただろう? それを着るには抵抗があるのか」
「はい」
はっきりと答えると、面白そうにハーシェルは笑った。
「ならそいつに言って、サクラが動きやすいものをいくつか揃えさせよう。ほかに何か入り用な……といっても、まだわからないな」
「すみません……」
謝らなくていい、とハーシェルは笑う。
「クレイセスがそなたの世界を見て回ったときのことを、『見なくてはわからないとしか言いようがない』と言ったのだ。説明のつけられない物質にあふれていると言っていた。語る言語も違う、生活の形態もまるで違う、道の様子、移動手段、明かりの様子に至るまで、とにかくいろいろなことが、ひとつも同じではないと。クレイセスにとってそうだったなら、サクラにとってもそうだろう」
柔軟な姿勢を見せるハーシェル王に、咲羅はほっとする。
咲羅にとって昔の欧州に似ている、とは思うが、進歩の仕方はちぐはぐな印象を受けた。知識として入っている歴史が役に立つような、そんな時空移動ではないらしいとは思う。
そこにノックが聞こえ、ハーシェルが「入れ」と答える。すると、ラグナルが一人の男を連れて入ってきた。
男はきょろきょろと部屋を見回し、「これが最奥かあ」と呟いている。
「サクラ、この落ち着きのない男はマルヴィンという。手広く商売をやっているから、欲しいものがあれば頼むといい。さしあたっては、城下に出ても浮かない服か」
「何だよその、ざっくりとした紹介の仕方」
「不満か?」
「大いに」
マルヴィン、と紹介された男はハーシェル王を一瞥すると、咲羅に手を差し出した。
「初めまして。ユニシュリー商会をやってるマルヴィンだ。いろいろ仕入れるけど俺は服飾が専門なんだ。衣類や布地、下絵を仕立てるとかいうことなら、大概のことは相談に乗れると思う」
これは握手でいいのかと、咲羅はそっとマルヴィンの手を握る。すると思いがけないほど強い力で握り返され、驚いて見上げると。
ぐっと近づけられた顔が、好奇心いっぱいに咲羅をのぞき込んだ。
「へえ、本当に真っ黒だな。こんな目も髪も初めて見た。……痛って!」
スパン! と小気味よい音がして、マルヴィンの後頭部がはたかれた。
「阿呆。でかい顔近づけて怖がらせるな。とりあえず、サクラに合う服を見繕ってきてくれ。城下を見学するから、男の格好のほうがいいかもな。それに、城内で着るのに簡易なものもいくつか欲しい」
「お前、ほんと人使い荒いよな。ラグナル団長に同情するわ」
後頭部をさすりながら、マルヴィンは恨めしげに言う。
「好きな色とかある? 昼前には届けてやるよ。足の寸法は……と、本当に何もかも違うモン着てんなあ!」
すべて学校指定のものに包まれている咲羅の格好に、マルヴィンは面白そうに笑う。靴だけ脱ぐように言われて足を出すと、一瞥されただけで終わった。
「マルヴィンの特技なんだ。一目で大きさを見極めるのが」
ハーシェル王の説明に素直に驚き、嬉々としてメモをしているマルヴィンを見る。三十半ば、だろうか。明るい茶色の髪は腰まであり、両脇の髪だけをうしろで緩く縛ってある。深緑色のローブのような服を纏っていて、明らかにこの王宮内の人間の服装とは異なる出で立ちだ。そしてこの男も、やはり一九〇センチほどの長身。ただ、今まで会った中では、一番ひょろりとして見える。
「そういや城下の案内は要らないのか?」
問われて、ハーシェル王が「クロシェあたりに案内させる」と答えると、マルヴィンが馬鹿じゃないのと言わんばかりに目を細めて笑った。
「あんな目立つヤツ護衛にするとか、何考えてんの」
「じゃあ、クロシェが目立たなくなる服も用意してくれ。マルヴィンの言い草だったら、あいつら全員護衛にならんだろう」
「今のセルシア騎士団はちょっと揃いすぎだね。ラグナル団長護衛につけたほうがよっぽど目立たなくて安全だ」
妙なとばっちりをくらい、ラグナルが複雑な顔をする。
「容姿の平凡さを高く買っていただけて光栄ですが、嬉しくない」
「でもさー? クロシェ長官とか護衛にしてると、お嬢さん方のいらん嫉妬を買うでしょうが? ハーシェル王はこの可憐なお嬢さんに試練でも与えたいわけ? 俺の顔が接近するのも怒るくらいには大事にしてんのに」
「何かあったときに腕は必要だからな。お前、昨日の光響見たんだろ?」
「ああ。なんかスゲー派手なの見えた。城全体が光って見えて。結構ざわついたんだぜ、城下も」
「あれを起こしたのはサクラだ。異能の者たちが反応しないと言い切れるか?」
「あー……そりゃ、ないわー」
あはは? と笑うマルヴィンは、改めて視線を咲羅に向けた。
「君、そんなちっさいのにすごいね。いくつなの?」
「十六です」
「え?」
「十六ですが」
「……ユリゼラ様といいこの子といい、ちっさいのお前の趣味なの? ぐふぁ……っ」
言った瞬間、形容しがたい声とともにマルヴィンの体がくの字に曲がる。ハーシェル王の迷いない鉄拳制裁に、マルヴィンは涙目で腹を抱えてうずくまった。




