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第16話 昇華

 島の生活は伸びやかで、多少の不便はあったが、気のいい島の子達とも仲良くなれて、日長一日外で遊んだ。自然豊かな島で、まるでジャングルでするような野性的な遊びも、大人には見つからないような場所に作った秘密基地も、咲羅にとっては子供心に充実した時間だった。


 しかし、赴任期間は終わる。

 咲羅が中学二年に上がるときに、父は島を離れた。


「そこから、高校受験のために頑張らないといけない日々でした。でも、転校した先は大きな学校だったけど、荒れていて。いじめにもあって、友達が出来るまでは、楽しくなかった。でも、いじめの話も、両親には出来ませんでした」


 いじめられるような人間が娘だなんて、きっと両親には嫌われてしまうと思っていたから、話したことはなかった。絶対に話してはいけないんだと思ったのは、たびたび報道されるいじめの問題に対して、「いじめられるヤツは価値がないからだろ」と発した父の言葉を聞いてから。成績をうるさく言い始めた父に、これ以上、価値のない人間だと思われたくなかった。それにその頃にはまた、父に女の影がほの見えたのもあり、自分の不甲斐なさを理由に、そちらに行ってしまうかもしれないことも怖かった。


 高校受験は無事、父の指定した所へ合格出来た。しかし次に目指すよう言われたのは、最高学府。咲羅の成績では、難しかった。


 努力はした。合格圏内に入れたこともある。しかし、二年に上がる際、進路について父に言われたのだ。


 大学を卒業したら、地元で仕事をしながら俺たちの介護をするように、と。


「お父様は、何かご病気を(わずら)ってらしたの?」


 ユリゼラのもっともな疑問に、咲羅は首を横に振る。


「親が子供を作るのは、自分たちの介護をさせるためだと言われました。家にお金を入れて、一生楽をさせるのが当たり前だろ、と」


 それを聞いてから、咲羅は将来に希望を持てなくなった。大学に行くことを契機にこの家から出られると思っていたから、今まで頑張れた。切実に、自分のためだと思えた。けれど連れ戻され、自分では何も選べないのかと思うと、もうどうでもよくなってしまった。最高学府である意味は、ただ父が世間体のために欲しいだけのステータスなのだと、わかってしまったから。それから先、著しく成績を落とした。


「お父様は、ご自分のご両親を何不自由ない形で、面倒をご覧になっていたの?」


「いいえ。お金をせびっているのは知ってますけど、面倒を見ているとは違います。祖父母は元気です。自分たちの手で生活してます。でも、父には、そんな気がないだとわかりました。本来の『介護』と意味が違うんです。それに、父は、恨んでいたんです。『お前たちがいなかったらな、俺は今頃遊んで暮らせる女と一緒になれたんだ、それくらいの罪滅ぼしは当然なんだ』と言われました」


 それを聞いたユリゼラは、愁眉をさらに曇らせ、憤りの籠った口調で言った。


「あなたのお父様を悪く言うのはどうかと思っていたけれど、どうしようもない(たち)の方ね」


 その言葉に、咲羅は目を見開く。

「信じて、くださるんですか?」

 むしろそう言われることがわからないというように、ユリゼラが小首を傾げた。

「サクラが、この世界で嘘をつく必要や、それによって得られる利点を、見いだせないのだけれど」


 微塵も疑っていないユリゼラの瞳に、咲羅はまた泣きたくなった。

 信じてもらえたことが、嬉しくて。

 向こうにいたときは、気を引きたくて話を盛っていると思われた。

 可哀相と思われたい訳ではないから、誰かに相談することは、やめた。


「あなたのお母様は、庇ってくださらなかったの?」

「母は……疲れたんでしょうね。『可哀相』であることに、今は安息を見いだしてしまってるように見えます。ときどき、可哀相でいれば同情を引けるから、現状をどうにかしないのかなって思えてしまって。何かあるたびに、『ねえ、わかるでしょ?』って言われるんです。かばえない理由を察して欲しいってことなんだと思います。同じ立場ならあなたも庇わないでしょ? って。でも、そんなのわかんなかった。わかりたくないだけかもしれないけど。だから、『ねえ、わかるでしょ?』って言葉、大嫌い」


 大嫌い。

 そう言えて、咲羅は胸のつかえが少し、楽になった気がした。

 そう、大嫌いだったのだ。


 父のことも、母のことも。

 愛してもらえない、自分のことも。


「妹さんたちは? あなたに味方する子は、いなかったの?」


「親が、そう扱うんですよ? 子供は、悪気なくそれに倣います。『咲羅がいると空気が悪くなる』って言われたこともあります。末の妹にまで『咲羅みたいにはなりたくない』って言われたときには、泣けました」


「サクラは、妹に呼び捨てられるの?」


「姉と呼ぶように、誰も言いませんでしたから。わたしは、『調子に乗った出来損ない』だったんです」


「それは絶対に違うわ」


 間髪入れずに強い口調で否定すると、ユリゼラは膝の上で握り締めていた咲羅の手を、これまでにないほど力強く包んで言った。


「あなたはちゃんと戦ってきた。あなたがきちんとしてるのは、ご両親にしつけられたからだろうと思っていたけれど、違うわね」

 暖炉の光を受けて、金色にも見えるユリゼラの瞳が、嫣然(えんぜん)と微笑む。


「サクラは、サクラの強さで歪まなかったのね」


 そう言われて、また涙が溢れた。

 でも、違うの、と咲羅は首を振る。


「クレイセスに会ったあの日……」

 その夜に額を打ち付けられた話をして、咲羅は言った。


「もう、死んでしまおうって思って、神社に居たんです。あそこに毒性の植物をたくさん植えたの。もう終わりにしたいって、ずっとずっと思ってたから!」


 けれど、クレイセスが来た。

 また変な話をされるのかと思ったが、咲羅が見たことのない現象を見せてくれた。


「わたしは、逃げたんです。死のうと思ってたけど、結局死ぬのは怖かった。わたしにはなんの力もないことは自分が一番わかってる。この世界を、拒んだつもりはないんです。でも……詐欺って申し訳ないと、思ってます」


 早口でまくしたてるようにそう言った咲羅に、優しい視線のまま、ユリゼラが不思議そうに首を傾げる。

「詐欺?」

「だって……出来ると思わせておいていまさら出来ないなんて、そんなの詐欺でしょう?」


「あんなに凄まじい力を見せつけておいて、詐欺も何も」

 ふふっと笑って、ユリゼラは言った。


「あなたが内包している力は、とても強くて大きいわ。私は……いえ、私だけではないわね。少なくともこの時代には、あんな光響を見たことのある人間は、いないわ」

「え……? あれが普通の光響じゃ、ないんですか?」

「違うわ。ただ葉が少し光るだけよ。虹色に光ることもあるけれど、それもときどきね」


 だから、大地があんなにも豊かに音を響かせるなんて、初めて聴いたのよ、と告げるユリゼラに、咲羅はどう反応したらいいのかわからなかった。


「あなたが(さいな)まれていたのは罪悪感かしら? でもそもそも、そんなものを感じなくていいの。サクラは、自己肯定感がとても低いのね。それに、欲がない」

「欲……?」


 死ねなかった時点で、それは欲ではないのかと思ったが、ユリゼラは笑った。


「人はみんな、たくさんの欲を飼い慣らしながら生きてるわ。世界もそれを否定はしていない。それが、生きる上での楽しみでもあり、人が人を思いやる動機にもなりうるから。だから、サクラ。まずは自分を好きになって。あなたは、未来を願っていいのよ」


 ユリゼラの言うことすべてを理解は出来なかったが、咲羅は頷いた。


「この傷は、早く治してしまいましょう」

 そう言って、ユリゼラは咲羅の前髪を()けて悲しげな顔をする。


 皮膚組織が潰れたかのように中心に血が滲み、周囲は青く腫れあがっている。咲羅は前髪で隠していたが、額の中心に広く出来ている傷は、表面からでもその不穏な色を察することは出来た。


「あなたが、思い切ってしまう前で良かった」

 潤んだような瞳が、切なさを帯びて微笑み。

「この世界に来てくれてありがとう、サクラ」

 ふんわりと、抱きしめられた。

「……!」


 生きていていいのだと。

 生きていて良かったと言われた気がして。

 咲羅はまた泣いた。



 ユリゼラの胸でひとしきり泣いたあと、咲羅は勧められて、恐る恐る、スープと、パンひとつだけを口にした。

 口に、出来た。

 たったそれだけのことだが、ひどく感動を覚える。腹痛を誘発されることも、気持ちが悪くなることもなかった。

 久しぶりの食事であることを理解しているユリゼラは、それ以上を強要することもなかった。ただ食事が出来たことを一緒に喜んでくれて、咲羅の気持ちを楽にしてくれた。


「きっともう、これからは大丈夫」

 ユリゼラの言葉に、咲羅は頷く。彼女の言葉は同時に、「もう立ち直れるわ」と、言ってくれたようにも感じた。


 彼女の気持ちのぬくもりが伝わってきて。

 立ち直りたいと、心から思ったのだった。

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