第10話 逃亡
(これが)
(大神殿……)
咲羅は石造りの建築物を見上げ、思わずその美しさに溜息をついた。
青みがかった、大理石のような石を積み上げて造られた神殿だ。積み上げられている石は、身長と比較するに一つ五メートル四方はあるだろう。デザインは丸みが少ない分、こちらのほうが武骨な印象だが、連続する柱や屋根の趣などは、写真でしか見たことはないがパルテノン神殿を思い起こさせた。そして神殿の前には噴水と思しき、これもまた巨大な円形のものがあるが、そこに水の流れはない。
一通りの話を終え、多くの疑問はこれからその都度解消していくことにした咲羅は、この大神殿に案内された。これから早速、大地に伺いを立てるという。
中に入って辺りを見回すと、この硬そうな石に、緻密な彫刻が連綿と施されていて、鮮やかな色が挿されている。それぞれの柱を木に見たてて描かれた彩画に目を奪われ、咲羅は天井にまで施されている枝葉や、その間を飛び交う極彩色の鳥の群れに息を呑んだ。
「綺麗……」
思わず呟いた咲羅に、クレイセスが微笑む。
「創世記の時代より存在する、この世界最古の建物です。経年による劣化は避けられませんから、内部の意匠などは定期的に塗りなおされていますが、当時の姿からかけ離れてはいないかと」
「創世記の時代って、どのくらい前なんですか?」
「そうですね、今はレア・ミネルウァ暦七八二四年ですので、七千年ほどは前の建物になるかと」
「はい?」
さらりと告げられた言葉に、咲羅は耳を疑う。七千年もの間、この建物が維持されていることも驚いたが、それなら、文明はもっと進んでいてもいいはずだと、瞬間的に思ったのだ。
咲羅のいたところで七、八千年前、と言えば、灌漑農業がどうのこうのという時代だったように思う。正確には思い出せなかったが、パルテノン神殿は、もっとずっとあとに造られたものだったような。こんな建築技術を持ち得ながら、城の印象からすると、七千年も経ったのにまだ、十七世紀前後と思われる生活様式なのだ。
人間が発展のために争うことを禁じたのなら、大地を傷つけない程度の発展しか認められていないのなら、進化の歩みは緩やかになるのだろうか。
世界が意思を持っている。
そのことを、咲羅はようやく、体感としてわかる気がした。
ユリゼラが中央にある祭壇に向かい、膝をついて祈りの姿勢をとる。手はぎゅっと組むのではなく、両手の指先を軽く交差させ、三角形を作るようにしている。祈りの形式も違うのだなとぼんやりと思っていたが、ふと、この神殿全体が淡く輝きだしたことに気が付いた。自分は合格したのか? と思ったが、光はそのまま、落ち着いてしまった。
「サクラ……あなたが」
立ち上がったユリゼラが近づいてきて、悲しそうな目で問う。
「あなたが、世界を拒んでいる」
「え?」
そっと手を取られ、咲羅はユリゼラを見つめた。
「レア・ミネルウァからの反応はあったわ。あなたを選び取ろうとする意志を確かに感じたの。でも、それがならなかった。抱えているものがあるなら、力になりたい」
「ユリゼラ様……?」
「私は……」
咲羅を見つめていた瞳が揺れ。
「!」
「ユリゼラ!」
咲羅の手を握ったまま、ユリゼラの体が傾いだ。
「ラグナル、侍医をユリゼラの部屋に。クレイセス、ガゼルを護衛に借りていく」
言われた瞬間にラグナルは走り出し、倒れ伏す前に抱きとめたハーシェルは、そのままユリゼラを抱き上げる。
「サクラ。あとでまた、時間をもらえないだろうか」
頷くと、ハーシェルは人を一人抱えているとは思えないほどの身軽さでもって、神殿から去って行った。
執務室にいたときも、咲羅は手を握られたときに驚いたのだ。
その手の冷たさに。
ずっと体調の不良を隠していたのだと思うと、申し訳ない思いでいっぱいになる。
「王妃様は、大丈夫なんですか? あの人……最初から、とても冷たい手をしてました……」
クレイセスを見上げると、少し困ったように微笑む。
「もともと、お体がそれほど強い方ではないのです。大丈夫ですよ。少し休めば、良くなります」
ただ安心させるためにそう言っているとわかる口調は、咲羅の不安を拭うものではない。
「それに、ごめんなさい……」
「いいえ。それこそユリゼラ様の仰るように、あなたが世界を拒む理由があるなら、教えていただけませんか。私たちは、サクラの力になりたい」
クレイセスの優しい言葉に、咲羅はむしろ困惑してしまう。そんなつもりは、微塵もないのだ。
「この世界を拒む理由なんてわかりません。わたしは……わたしなんかで力になれる場所があるならって、そのつもりでここに来たのに……」
結局、選ばれなかった。
咲羅は、ユリゼラが言っていたような力を感じることはなかったし、今も、自分の何が変わった訳でもない。
「ごめんなさい!」
居たたまれなくなって。
咲羅は逃亡した。




