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異世界について本気出して考えてみた

作者: 非実在壮年

 

 ………ん……うーん……

 

 いつの間にか、眠っていたようだ。 軽く伸びをして空を見上げると、太陽が明るく輝いていた。 雲一つない青空だ。 柔らかな風が草木を揺らし、俺の頬を撫でて流れていく。 


 一体、どのくらいの間眠っていたのだろう。 眠る前の記憶を辿ってみる。 すると間もなく、ある違和感が俺の胸を襲った。

 眠る前の記憶を全く思い出すことができない。 自分が取るに足らない日本の学生、矢口雅史で、決められたルーティンをこなすだけの生活に退屈していたことなどは覚えているが、直近の記憶が頭からすっぽりと抜け落ちていた。 一体俺はいつからここにいたんだ? いや、そもそも……

 ふと、周囲の景色に目を向けてみる。あたりは一面草むらで、明るい太陽の光を受けていきいきとした緑に染まっており、近くに見える木々は大きな葉っぱを微かに揺らしていた。

 

 ……ここはどこなんだ? こんな場所、来たことがないばかりか、見た覚えもない。 俺はどうやってここに来たんだ? ……だめだ、全く思い出せない……どうやっても理解できない状況に、頭を抱えそうになる。


 「ようこそ、私たちの世界に」


 突然の声にパッと顔を上げると、そこには一人の女性が立っていた。 純白のドレスに身を包んでいる彼女は、俺の顔を見てにっこりと笑顔を向けた。


 「マサヒコ、あなたが目覚めるのを待っていましたよ」

 「……あんた、一体何者だ? どうして俺の名を……」

 

 優しく微笑んでいる彼女に対し、俺は当然の疑問を投げかける。 彼女もやはり俺の知り合いではない。 少なくとも、今の俺の記憶には存在しない。 

 

 「挨拶が遅れました。 私の名はタカリス。 この世界の女神です」

 

 彼女はそう名乗ると丁寧に会釈をした。 ウェーブがかった長い金髪が日光を受けて煌めいている。

 

 「タカリスか……しまらない名前だな。……ん? 今女神って……それに……」


 ふと、彼女の第一声が俺の頭をよぎった。 目を上げると、タカリスがクスクスと笑っていた。


 「ふふ、気付いたみたいですね。 そう、ここはあなたが元居た世界とは異なる世界。 私の力であなたをこの世界へ召喚したのです」

 

 成程、そういうことだったのか。 それならこの景色に見覚えがないことにも説明がつく。 異世界の風景など、見覚えがあってたまるか。 それにしても異世界か……ゲームや漫画ではよくある話だが、まさか実際に自分の身に降りかかるとはな……だが、ここで新たな疑問が湧いてきた。


 「いったい、なんのために俺を異世界に呼び出したんだ?」

 「ああ、まずはその説明をしないといけませんね。 ……実は今、流行っているんです。この世界では」

 「……何が?」

 「何が、って決まってるじゃないですか! 異世界転生がですよ!  神々の間では、違う世界から人間を連れてきて、この世界で活躍させるのが大ブームなんです!」


 拳を握りながらそう語るタカリスの目は、興奮でキラキラ輝いていた。 一方の俺は、そのテンションについて行くことができないでいた。 


 「流行ってるって……そんな理由なの? なんかこう……戦争で滅亡の危機とか、魔王が攻めてくるとか……」

 「そんなまさか。 この世界は至って平和ですよ。 そりゃまあ、魔族も多少は生息していますけど、人間の方がはるかに繁栄していますし、人間同士の争いだって、ここ千年は大規模なものは起きていません」

 

 異世界と聞いて、少なからずワクワクしていた気持ちがしぼんでいく感じがした。 いやもちろん平和なのに越したことはないのだが、これでは俺が思い描く異世界転生像とは違い過ぎる。 スリルってもんがない。


 「……はあ~~~」

 「おや、どうしたのですか? そんなため息なんかついて」

 「いや、別に……それで、活躍って、何をすれば良いわけ?」

 「それはあなたの自由ですよ。 元の世界の知識を使ってお金稼ぎしても、魔族を討伐するハンターになっても、あふれるカリスマで天下統一を目指しても。 とにかく、この世界で一番目立ってください!」

 

 うーん、なんだかどれも異世界を舞台によくありそうなんだが、結局はこの女神のわがままに付き合わされてる感がしてなあ。 これじゃあまるで、人生ゲームのコマみたいだ。


 「ああそうだ、あなたに異世界で活躍するための力を授けましょう」

 

 力と聞いて、盛り下がる一方だった俺のテンションも再び上向き始める。 やはり異世界といったら特殊な力だろう。これがなきゃ始まらないってもんだ。


 「右手からコーヒー牛乳を出せる能力か左手からフルーツ牛乳を出せる能力、どっちがいい?」

 「いやおかしいだろ! なんでその二択なんだよ!」


 思いがけない選択肢に、つい声を荒げてしまう。 タカリスもびっくりしていたが、それにしたって酷すぎる。 大体異世界転生で得られる能力なんてのは、とんでもないチート能力か、一見大したことがなくても結局はとんでもないチート能力って相場が決まっているはずだ。 それなのに、手から牛乳を出す能力だなんて……どう考えてもそれ以上の使い方が思いつかないぞ。

 

 「仕方ないでしょう、私は銭湯の女神なんだから」

 

 タカリスはそう言って胸を張る。 銭湯の女神……そんな神様もいるのか。 確かに八百万とは言うが……


 「いや、だとしてもその能力はおかしくないか? どちらかというと牛乳の神の力だろう」

 「そんな細かいこと気にしたらいけませんよ。 それに銭湯といえば牛乳でしょう?」

 「いや、俺は飲むヨーグルト派……」


 タカリスと不毛な言いあいをしていると、突然地面が大きく揺れだし、あちこちに亀裂が入り始めた。 足元の草木はいつの間にか消え去り、ごつごつした地層がむき出しになっている。青く澄み渡っていた空の色は不気味な暗褐色に変わっており、どす黒い太陽が伸縮しながら高速で回っている。


 「さあ、矢口さん! 早く選んでください!」


 乳製品の女神が俺の肩をガっとつかんで揺らす。 その瞬間、俺の足元が大きく割れて、俺はそのまま真っ暗な地の底に落っこちていった…………

 




……ちさん……矢口さん!………矢口さん!!起きてください!


聞き覚えのある声で目を覚ます。  顔を上げると、おさげ髪の少女がこちらを覗き込んでいた。 その顔は憤怒の色に染まっている。

 

 「おお、高橋。 どうかしたか?」

 「『どうかしたか?』じゃないですよ! まだ営業中なんですよ!」

 「そうは言ってもなあ、この雨じゃどうせ誰も来やしないぜ」


 そう言って窓越しに外を眺める。俺が眠りに落ちる前から降っていた雨はますます勢いを増しており、この木倉書店の前を通りかける人間は一人もいなかった。


 「だからって、カウンターで堂々と居眠りしないでください! 全くもう……私はこれからこの本並べてくるんで、もう居眠りしないでくださいよ……、っと」


 高橋はそう言うと、カウンターに置いてある大量の文庫本を両手で抱え上げた。そのうちの一冊が俺の目に留まる。 


 「あれ、それって…………」

 「ああ、これ、今月の新刊です。 そういえばこのシリーズ、矢口さん集めてましたよね?…………あっ!」


 俺は高橋が抱えている本の中からお目当ての一冊を抜き取った。 高橋の言う通り、このシリーズは俺のお気に入りで、家に全巻揃っている。 そういえば今日が発売日だったか。 これは嬉しい誤算だ。


 「はあ……ソレ読んでていいですから、今度は寝ないでくださいね」

 

 高橋は呆れたように言うと、売り場に消えていった。 俺より2つも年下なのに、仕事熱心な奴だ。 まあ、そのおかげで俺が楽をできているんだが…………どうせ今日はもう客なんて来やしないだろうし、閉店の時間までじっくり楽しむとしよう……いや待てよ、その前にコーヒーでも買ってこようか。

 俺は高橋に気付かれないように慎重に店を出ると、目の前の自販機に小銭を入れ、ホットコーヒーのボタンを押した。 我ながら、優雅なひと時になりそうだ。 そんなことを考えていると、自販機から軽快なメロディーが流れ出した。 なんと、一本当たりだ。 自販機の当たりなんて、いつぶりに見るだろう。 今日はなかなかついてるぞ…………この一本は高橋に差し入れしてやろう。

 

 

 

 

 


 

 

 


 

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