草原に降り立った赤子
病気の赤子を助けたいと、危険を承知で草原を突き進む場面です。
ここは近隣の村人なら誰一人近寄らない禁忌の草原だ。
だが、急いでいる旅人が、前の宿場町で保安官事務所ないし宿場、武器装備店あるいは駅馬車などで旅に関する情報を入手する労力を厭えば、次の宿場町への近道として選択してしまう事がある。
なぜならどんなに警戒心がある人でも、地図を見ただけなら必ずこの最短ルートを選択するであろう程、この草原を迂回する必要性が皆無だった。
峠のような高低差もなければ、危険な生物が潜む樹木がある分けでもなく、平たい草原なら視界も効くし逃走するのも容易に思える。
これだけの理由から急ぎ足の旅人がとか、日のある内に、ちょっと横を素通りするだけだからとか、或いは危険を承知で傭兵を従えているからとか、この草原と関わりを持ってしまう人々が時折いる。
しかしながら、この草原と関わって抜け出した者は誰一人いない。
この日もそんな旅人の鮮血が草の葉の先端から雫となって大地に帰って行く。
人肉と臓物の多くは襲いかかった化け物が食らう、もっとも人間のような食べ物を消化吸収するために食らうのではない。自分が殺した奴の生気を貪るために歯で噛みちぎり喉の奥に押し込むのだ。
そして残った骨についている肉は獣が舐め尽くし、それでも食べきれない部分は昆虫たちが土へと返していく。
が、帰らないものもあるのだ。
それは月が真上に昇る頃になると大地から靄のようなものが出てくる。その靄は、無残にも大地に横たわる人の数が多ければ多いほど大きなものとなる。
そしてその大きな靄はいつしか、白いものなんだが、重くて、そよぐ風などでは動かすことも出来ないほど重すぎる有るものとなる。
それは有るものなのだが、得体の知れない塊となり地べたに転がっている人骨に憑依し出すのだ。
そして憑依された人骨が動き出す。
まさしくおぞましき死霊の出来上がりである。
そんな草原に産まれたばかりの赤ん坊を乗せた馬車が通り過ぎようとしていた。どうやらこの子が病気のために医者のところに急いでいたようだ。
母親らしき女性が、
「坊や、頑張っておくれ。もうすぐお医者様のところに着きますからね。そうしたらお薬をもらいましょうね」
横に座る父親らしき若い魔法使いが、
「私が治癒魔法を習得していれば、このようなことにはならなかったものを!」
「あなた、過ぎた日のことを言っても始まらないわ。それに、あなたはその代わりに町で一番の魔法使いになれたんですから……」
妻はその先を言わなかった。いや、言えなかったのだろう。本心は別のところにあるのだろう。
「しかし、この草原を通らなければならぬとは、厄日にもほどがある!」
妻は平静を装いながら、
「私は安心していますわ。何しろ最強の魔法使い様がいらっしゃるんですから!」
と、今度は語尾に力を注いだ。
「私の魔法が通用すれば良いのだが、な!」
そこに馭者が叫び声を上げた。
「旦那! 向こうに鬼火がみえますぜ! 迂回しても良いですか?」
「あぁ、遅れない程度なら構わないから、そうしてくれ!」
「分かりやした!」
それには不満のような妻が、
「あなた! 一刻も早く! お願いします!」
「分かっている、が、化け物が出て戦闘になればそれこそ時間のロスだ!」
「それはそうですけど、この子が……」
赤子は息も絶え絶えといった感じで苦しそうだ。
父親は赤子の額に小指を宛がい、
「頑張るんだ。私の子じゃないか!」
その時、勢いよく走っていた馬車が急停止した。
「旦那! 出ました! 奴らです!」
「どうなっている?」
「取り囲まれているようです。もしかして誘い込まれたのかも知れません」
「そんな……、奴らに知性でもあるというのか?」
「旦那、奴らを見てください。奴ら、元は人間だったんですよね」
馬車から降りた若い魔法使いは驚愕した。
「骸骨が動いている、それも人骨が?」
馭者が付け加える。
「旦那、奴ら、武器を持っていますぜ。盾まで持っている奴もいます。それにどんどんこっちに向かってきています」
と、声まで震え、かなり怯えきっているようだ。
「しかし、たかが骸骨だ。妖魔化していたとしても程度は知れている。俺の魔法で蹴散らしてやる」
「頼みますよ。旦那!」
若き魔法使いは馬車の周りで、「ファイヤーボール」を、燃え尽きる前の隕石のようなものを大量に降らせていく。
それが大地に落ちると地震かと思えるほどの振動が馬車を揺さぶった。
「きゃ!!!」
と、馬車の中かで妻が叫び声をあげる。
「大丈夫だ、が、しばらくは我慢しておくれ!」
馬車の中から、
「えぇ、大丈夫よ。つい声を上げてしまったの、ごめんなさい」
そのファイヤーボールでも無傷のものもあれば、その範囲外から近寄ってくるものもいる。
もっとも、この骸骨、骨で出来ているゆえんか、歩きは競歩ほどのスピードだ。のたのたと動くわけではないが、俊敏に立ち回る事もなさそうだ、が、そこそこの動きをしてくる、それは油断できない早さであり、そしてなんと言ってもその数の多さだ。
若き魔法使いは考えていた。一体一体での戦闘能力がどのくらいなのか、自分の剣裁きでとのくらい凌げるのかと。
そうなる前に魔法で対処しきれると良いのだがと考えていると、すぐそこにまで接近してきた。
それで、
「ファイヤーエレメント!」
これは単発なのだが、直進する性質が強く直線上ならば数体、或いは十数体は倒すことが出来る。
「ジュリエット、馬車から降りなさい」
妻の名はジュリエットと言うらしい。その彼女は言われた通りに赤子を抱いたまま馬車から降りてきた。
「あなた?!」
それは恐怖の涙で目が霞んでいるようだった。
「私から離れずに付いてきなさい」
若き魔法使いは妻の手を握りしめ、ファイヤーエレメントで薙ぎ払った直線に進む。
百歩ほど進んで再び、「ファイヤーエレメント」と発動させる。
これを何度か繰り返すと周囲にいた骸骨がまばらとなり、どうやら囲みを突破したかに思えた。
「ここまで来れば一安心か、ジュリエット、もう少しの辛抱だ」
「はい、あなた!」
どうやら赤子は泣き止んだようだ。それが快方に向かっての泣き止みか、それとも高熱のせいで泣くことも出来なくなったのかは分からない。
と、襲ってくる骸骨がばらけだしたことを喜んでいると、急に雰囲気が変わった。
「??? どうなった?」
若き魔法使いが剣を抜き身構えた。
この時、彼は勘違いをした。視界には数えられる程度の骸骨が近寄ってくる程度で、さしたる危機感がないと判断しての剣で対応しようとしたのだが、それは普通の骸骨だった場合だ。
この目の前にいる骸骨は人の生気を十二分に吸いかなりの高位種となった骸骨だ。当然魔法も使える。
「グガァ! ライトニングボンバー」
その骸骨、人の生気で作った光源の玉を左手に持っていた。それを使い、言葉を発したのか、詠唱しだし電撃を放とうとした。
それを若き魔法使いが熟練だった所為もあるだろう、骸骨の電撃を予測し、自分が持っていた剣を放り投げ、電気的感電を防ごうとした。
しかしながら、不幸なことにその投げた剣が馭者の手前まで飛び、骸骨が放った電撃がそっくりそのまま馭者に直撃してしまった。
馭者は叫び声も上げられもせず一瞬で消し炭になってしまった。
それを見た若き魔法使いが、目の前にいる骸骨が強敵、自分でも勝てないかも知れない恐怖心を抱いた。
それで妻に、
「お前は良いから走って逃げろ! 俺は後から追いかける。このままでは囲まれるから、お前は逃げろ、赤ん坊のためにも走ってくれ!」
妻は、『赤ん坊のため!』と言う言葉に従い夫に別れのキスをし、
「早く追いついて!」
若き魔法使いは、妻の行く道を、
「ファイヤーエレメント」
で切り開いていった。
その間にも玉を持った骸骨が、
「グッグググ! ファイヤー……」と間を置き、「シューティング!」
と、防御が難しい火炎系魔法を放った。
この場合、炎系であることが重要点だ。たとえ盾で防いだとしても炎は盾をかいくぐり周囲を焼き尽くすことくらいは出来てしまう。特に盾を持っている人間は炎に包まれ絶命するだろう。
だから防ぐには勢いには勢いで凌ぐしかない。
だが、骸骨の放ったのが、「シューティング」だ。
これは中心に炎の芯というか、高温帯が存在し、普通での炎の勢いでは、その中心部分の高熱帯が突き抜けてしまう。
もしかすると人間の盾をも溶かしてしまうほど高温だ。
それで若き魔法使いは物理的な盾ではなく、魔法の、
「サンドウォール」
砂粒でできた壁を造り上げた。
炎は砂粒を溶かしはしたが、分厚く出来上がった壁に穴を開けられず、上部を乗り越える事も出来なかった。
それでその壁の上に上った若き魔法使いは、
「ファイヤースコール!」
彼は火を雨のように降らせた。先ほどのボールとの違いは、ボールは落ちてきたことで物理的な衝撃を加えるのだが、このスコールでは周囲一帯が炎に包まれ、重要なこととして対象物付近の地面が融解すると言う事だ。
それで骸骨が立っていた地面が融解しだしたことで、(この骸骨、熱に対し耐性でもあったのか、周囲の熱にも、溶け出した地面に足を取られても無事であった)バランスを崩し、その場で膝をついてしまった。
魔法使いはその隙に次の魔法を放とうとした時、後ろに近寄ってきていた骸骨に剣で一刺しされてしまった。
「うぐぐ!? なにやつ??」
若き魔法使いが後ろを振り返ってみたが、自分の後ろにはすでに無数の骸骨がひしめき合っていた。
そして二の突き、三の突きを食らい、その場で絶命してしまった。
妻の方はと言えば、普通の婦人であり、日頃から館の主としてしか動かない方であったが為、そうそう走ることも出来ず、しばらくの後にこれも夫と同じく絶命していた。
その二人の体が骸骨達に食われている間に、彼らからでてきた靄のようなものが、二つが一つに纏まり、白い有るようなものとなり、早めに食い尽くされた夫人の骨に憑依し、骸骨となって立ち上がった。
そして側に転がっている赤子を抱き上げ、夫の屍があるところに急いで歩いて行った。
憑依した二人の骸骨がたどり着いた時には、かなり食べ尽くされていたが、まだ指先が残っており、それでその骸骨は赤子に指先から滴る赤い液体を吸い取らせた。
その時、この骸骨は知っていたのかは分からないが、赤子は死体に宿っていた生気まで吸い取っていたのだ。
そしてこの時、謎めいた事が起きていた。
骸骨たちは赤子に引きつけられなかったのだ。この事がどう言うことなのかは分かっていないのだが、とにかくその場で、若き魔法使いの生気を吸ったためなのだろう、病気は快方に向かった。
それからは、両親が憑依した骸骨によって赤子は養われていく。
時には草原に迷い込んだ旅人に襲いかかる骸骨集団の隙を見つけては、その残り物の僅かな部分から染み出すものの全てを与えたりした。その際、この赤子は骸骨どもがしているように生気を吸い取っていた。これは見よう見まねなのか、天性の素質からなのかは分からないが、赤子にとっては自分の喉を通っていくもの以上に有益なものとなっていた。
そんな旅人が来ない時には屍肉に群がる獣に襲いかかり、剣でぶった切っては血肉を与えたりしていた。
この骸骨はその循環を絶やすまいと肉がなくなりそうになると獣を襲っていたのだが、獣の方でも警戒しだしその攻防に苦慮していた。
もっとも獣の方では骸骨には用はないから、夫婦が憑依した骸骨に襲いかかると言うことはない。何しろ獣が食べる血肉はないのだから。
そんな攻防をしながらでも獣は数を減らすようなことはなかった。何しろ大なり小なりと様々な獣が徘徊し数の点でもおびただしいかったからだ。
そんな日々を過ごしていると赤子も少しは体が大きくなり、以前の服は着られなくなった、が、服の代わりを探しても死体から出る布切れはあるが、着られるようなものは無かった。それで赤子は殆どを裸で過ごしていた。
それがためか、両親の骸骨は雨風避けにと盾で囲いを作ったりもしていた。
そんな日々も過ぎれば赤子もはいはいができる程になってきた。
そうなると今まで見逃されていた赤子の生体から放たれる生気に、他の骸骨たちが気付くようになってきた。
今までは旅人だったり獣だったりと、生きたものが放つ生気で、赤子の放つ生気が極小さな事もあってかき消されていたのだが、次第に骸骨に感知されだしたのだ。
それで両親の骸骨は赤子を骸骨たちの側に近づけない様に注意しながら、草原の端にまで来ては人間に見えるように赤子を頭上に抱き上げたりもした。
この両親の骸骨が気が付いていたのかは分からないが、この赤子には他にも問題点があった。それは言葉の点でこの時期に人間との会話から言葉を習得しなければ、発音の点で知性の点で他の人間より劣ったものとなる危険があった。
だからなのかも知れないが、両親の骸骨は食事以外の時には殆ど草原の端に立っては赤子を際立たせていた。