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11 聖竜ハルディヤ

 聖竜ハルディヤ。

 それが、ルディアの「母親」だ。


 守護する民を、他国の軍隊に虐殺された。

 ハルディヤは怒り狂った。

 その怒りはすべての人間へと向けられた。

 

 多くの魔剣士が戦いを挑み、破れていった。

 七つの魔剣が手を組んでなお、勝てなかった。


 最後に聖竜討伐に挑んだのはこの俺だ。


 三日三晩の激戦の果てに、俺は彼女を討伐した。


 彼女には、「仔」と呼ぶ存在がいた。


 といっても、竜の仔(ドラゴネット)ではない。

 部の民である竜人(ドラゴニュート)でもない。

 ごくあたりまえの、人間だ。


 幼い時に奴隷商に買われ。

 幸運から逃げ出し。

 彼女の領域に逃げ込んだ。


 心優しき聖竜は、彼女を己が仔として育くんだ。


 聖竜の乳を呑んで育った、人間の(・・・)仔竜。

 それが、ここにいるルディアに他ならない。


 ハルディヤは言った。


『見事だ、人間よ』


 死闘の果てに、彼女は正気を取り戻していた。


『こんなことを頼めた義理ではないが……』


 聖竜は瞳に優しい光を宿して言った。


『この仔を、頼む。

 どうか、頼む』


 誇り高い聖竜が、懇願した。


『この仔には、幾多の困難があるだろう。

 だが、私はもうじき死ぬ。

 この仔のそばにいてやることが、もうできぬ。

 それが口惜しくてならぬ。

 これが、瞋恚(しんい)に溺れし結果だ。

 私は、最も大事なものを見定めかねた』


 その声には、深い悔恨があった。

 痛切な響きがあった。


『ふっ……

 貴様のような闇に頼むのもおかしな話だ。

 だが、貴様には力がある。

 破滅へと通じる力だが、力は力だ。

 この仔は、並の人間には扱えまい。

 並の竜にも扱えぬ。

 だから、私を倒した貴様に託したい』


「無茶を言う。俺にはそんな義理なんて……」


『なかろうな。

 しかし、闇の剣士よ。

 貴様は、我が末路を見て、己の未来を感じぬか?

 貴様の力は、遠からず貴様を滅ぼすだろう。

 守る。

 護る。

 衛る。

 貴様には、さぞかし退屈なことに思えよう。

 だが、そのことを通じてしか得られぬ力がある。

 その力が、欲しくはないか?

 貴様は、闇の才に恵まれ過ぎている。

 もはや、剣を握ることに退屈を覚えていよう。

 退屈は退嬰(たいえい)を招き、

 退嬰は破滅を招き寄せる。

 破滅にすら退屈するようになった時――

 貴様の身に、真の破滅が訪れる』


「だから、その仔を守れ……と?」


『命じはせぬ。

 私は敗者だ。

 貴様に命じることなどできるはずもない。

 ただ、提案しているのだ。

 あるいは、忠告しているのだ。

 私は貴様より早く破滅した。

 破滅の先達が、後進に忠告を送っているのだ。

 戦いとは、生き残ることであろう。

 死の先には何もない。

 貴様は、なんのために死線に身を置いている?』


「そんなのわかんねえよ。

 ただ俺は力を求めてるだけだ。

 それしか生きてる実感が持てねえからな」


 世の中には、色事にうつつを抜かす奴もいる。

 酒ばかり呑んで、クダを巻いてる奴もいる。


 俺には、彼らの気持ちがさっぱりわからない。

 戦い、勝つことで得られる無上の快楽。

 俺が求めるのはそれだけだ。


 だが――


『それは倒錯だ。

 生きるために力を求めるのが真であろう。

 力を求めるために生きるのは、倒錯だ。

 貴様は倒錯している。

 だから、生きている実感が湧かぬのだ』


 聖竜はきっぱりと断じた。

 そのことに不快は覚えなかった。

 むしろ、心の深いところでうなずいていた。


(限界を感じてることは事実だ)


 ヌルい戦いでは、快楽など得られない。

 快楽を得るためには、死線をくぐる必要がある。


 だが、戦えば強くなる。

 強くなれば、これまでの死線が死線でなくなる。

 より厳しい死線を探さねばならなくなる。

 その死線をくぐり抜ければ、次の死線だ。


 魔物を倒し。

 堕ちた魔剣士を倒し。

 亜竜を倒し。

 ついには堕ちた聖竜をも討伐した。


 次の死線は、それ以上である必要がある。


(こんなことを続けてればいつかは死ぬ。

 そんなことくらい、わかってる)


 俺がいくら天才的なダークナイトだろうと。

 破滅の時はやってくる。

 いや、天才だからこそ、破滅。


 凡才は、ほどほどのところで挫折する。

 そして、自分の才能に見切りをつける。

 彼らに栄誉はないかもしれない。

 だが、平凡な幸せを掴むことはできる。


(平凡な幸せ、か)


 幸せには、非凡も平凡もないだろう。

 卓越を目指す修羅の道を降り。

 一人の善良な市民として生きる。

 それはそれで、ひとつの人生の境地のはずだ。


 だが、俺にはわからないのだ。

 どうして、そんな生ぬるい(せい)に満足できる?

 どうして、身を焦がすような戦いを捨てられる?


「あんたは、どうなんだ?

 戦い以外に、生きてる実感があったのか?」


『あったよ。

 この仔とともにある時にな』


 ルディアは聖竜の足にもたれていた。

 母親の最期の体温を、己が身に刻み込むように。


 その様子に、俺の胸に罪悪感が走る。


(討つしかなかった)


 堕ちた聖竜は暴走し、多くの人間を殺した。

 放っておけば、さらに犠牲が出たはずだ。


(俺でなければ、犠牲なしには討てなかった)


 驕りではない。端的な事実だ。

 だから、俺が戦ったのだ。


(それでも、この娘にとっては……)


 竜は、愛おしむように少女を見下ろしている。


 俺にでもわかる。

 そこにあるのは、紛れもない親子の情だった。

 竜と人と。

 本来親子ではありえない二つの存在。

 そこに通う「情」は、奇跡なのか奇形なのか。


 首を振って、俺は聞く。


「そいつは、あんたの仔じゃないだろう。

 ただの人間にしか見えねえぞ」


『いかにも、ただの人間だ。

 それを憐れみ、育てた。

 私がいなければその仔は死んでいた。

 だが、その仔がいなければ、私も死んでいた。

 その子は、私の干涸びた心を潤してくれた。

 私は、みなを守ろうとしたのだがな……。

 どこかで道を間違えてしまった。

 「守る」ための力ではなく、

 守るための「力」を求めてしまった。

 私は、愛ゆえに怒り狂った。

 自ら望んで、怒りの炎に身を焼いた。

 そして、「力」に溺れ、愛を忘れた。

 私を笑うがいい、人間よ。

 だが貴様も、いずれそうなる宿命ぞ。

 まして貴様は、愛を知らぬ。

 「力」の空虚を思い知ることになろう』


「…………」


 俺は困惑していた。


 聖竜の話には、あまり実感が持てなかった。

 守るものなんて、俺にはあったことがない。

 だから、守る側の気持ちなんてわからない。


 聖竜は、狂うほどに何かを守りたいと思った。

 だが、守れなかった。

 それは、力に溺れたからだという。

 愛があれば力に溺れずに済む訳でもないらしい。


(つまるところ、この聖竜は失敗した。

 俺の知らない何かをやろうとし、

 俺の知らない何かによって失敗した)


 じゃあ、ハルディヤが成功していたら?


 ハルディヤが正気を失っていなかったら?


 ハルディヤはどんな境地に至っていたのだろう。


 わからない。

 だが、わからないからこそ、興味が湧いた。


「いいだろう」


 気づけば、俺は答えていた。


「おまえの仔を守ろう。

 おまえほどの力の持ち主が言うことだ。

 傾聴に値する。

 力を求める空虚さ……か」


 俺は、ダークナイトをほとんど極めた。


 破滅を求め、乗り越える。

 そうすることで力を得る。

 俺は、そんなことを繰り返してきた。


(力を得るために、破滅を求める。

 力を得る喜びが、俺を破滅へと駆り立てた。

 いつの間にか、俺は最強になっていた)


 だが、いつしかその価値は逆転していた。


(力が思うように得られなくなった。

 たいていの破滅はやすやすと乗り越えられる。

 それでは力が得られない。

 そうなってみると……)


 乗り越えられるような破滅になど価値はない。

 乗り越えられないような破滅にこそ価値がある。


(ただの「破滅」ではない、真の破滅。

 打ち破れないような破滅。

 そんな破滅を求めるようになった)


 そんな破滅に巡り会えると、俺は昂ぶった。


 最初は、力を得ることへの期待に昂ぶってた。

 だが、いつからか、それは建前になっていた。


(俺は、破滅そのもの(・・・・・・)に昂ぶるようになったんだ)


 破滅に身を投じること自体が目的と化していた。

 力を得ることは、ただの結果にすぎなくなった。


 破滅に挑む過程にこそ快楽があり。

 乗り越えてしまっては物足りない。


 ――俺に、もっと破滅的な破滅を!


 俺の魂は、そう渇望するようになっていた。


 だからこそ、この聖竜にも単騎で挑んだ。

 七剣が戦力を用意すると言ったにもかかわらず。

 その申し出を断り、単独で竜の巣に攻め込んだ。


 俺は、命綱を引きちぎったのだ。


 余計な犠牲を出さないため。

 他の魔剣士がいても足手まといだから。


 口ではなんとでも言える。

 他の魔剣士たちもそれで納得した。


 それでも、自分にだけは嘘はつけない。


(俺は、死ぬかもしれないからこそ、戦った。

 破滅に身を焼きたくて、戦った。

 普通は逆だ、死にたくないから戦うんだ)


 冷静になってみれば。

 こんなことを繰り返していれば、じきに死ぬ。


「戦いに身を置き、破滅する。

 ダークナイトの誉れかもしれないけどな。

 だが、そんなのもつまらない」


 俺は、死にたいんだろうか?

 それとも、死にたくないんだろうか?

 

 何度も自分に問いかけた。

 が、その答えは出ないままだ。


 その答えを確かめようと、再び破滅に身を晒す。

 救いようのない愚か者だ。


「『守る』ことで得られる力がある、か。

 興味深い。

 興味深いよ、ハルディヤ。

 おまえの忠告を聞いてみよう」


『賢明だ、剣士よ。

 おまえは、普通のダークナイトとはどこか違う』


 聖竜ハルディヤはほどなく死んだ。


 俺は、託されたルディアを連れて街に戻った。


 その時には、俺は心に決めていた。


 守るために。

 ダークナイトはもうやめよう、と。

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