第5話…甲羅と尻尾と友情と
小学校の裏は直ぐに山になっていて、山からセミの大合唱が響いていた。
ましろんと紅葉は出来るだけ小学校で過ごす事にする。
何時かやのんが迎えに来るのか分からない以上、たまたまが居る小学校で過ごすべきだと思ったから。
たまたまの居場所を探知して迎えに来るのだから、たまたまの傍に居た方が良いに決まっている。
二人は小学校に色々遊び道具を持ってきて昼間を過ごす。
幸い納屋には古い玩具も色々あって暇つぶしには困らなかった。
ましろんは、ぬいぐるみの手だけれど意外と器用でオハジキとか独楽でも遊べる。
夕方になり日が暮れてくると二人は自転車で家に帰る。
ましろんは毎日ご機嫌で「お嫁さんになるんですぅ♪かやのんのお嫁さんになるんですぅ♪」と歌って踊っていたりして。
ましろんが居ない時に、かやのんが来た場合に備えて、たまたまにましろんの居場所を書いた手紙を付けておいた。
夜、眠っているましろんから泣き声は聞こえてこない。
部屋の隅の座布団でタオルに包まれて眠るましろん。
紅葉は、余った布でリュックサックを作る。
ましろんが背負う大きさのリュックサック。
ましろんが帰る日に、ましろんの好きなキャットフードとか、大事にしている硬貨を入れてあげるつもり、さらに二人で撮った写真とか思い出の品も入れてあげよう。
そう思って紅葉はリュックサックを作る。
リュックサックを作るために、ちょっと綺麗な柄の古着を残しておいたのは内緒だ。
昼間、自転車で二人は小学校に行く。
今日は凧揚げをして遊ぶ事にした。
「上の方は風が強いね」
凧はあがるけれど上空はかなり風が強いし風向きがクルクル変わる。
コントロールするのは難しい。
凧糸を掴んでいるましろんは風力に負けて浮かんでいる。
「ましろんも!ましろんも飛んでますぅ!」
ましろんの脚は地面から離れてフワフワ浮かんでいた。
セミの大合唱が聞こえる中を二人は夏を満喫していた。
ずっと国に帰れなくて不安で、遊ぶ事なんて無かったましろんも今は安心して遊んでいた。
紅葉がいなくなっても、ましろんは大丈夫だろう。
この小学校で、待っていれば、かやのんが迎えに来てくれるのだから。
紅葉が都会に帰る日まで、もう少し。
残った僅かな日々を惜しむかのように二人は遊んだ。
そして…
その朝、窓から空を見上げたましろんは叫んだ!
「ぽこぽこですぅ!!!」
村の空を巨大な蛇のぬいぐるみが飛んでいた。
数百メートルはある巨大なぬいぐるみが飛んでいた。
「あれが、ましろんのお迎え?!」
「そうですぅ!かやのんのぽこぽこですぅ!!」
二人は直ぐに支度して小学校に向かう。
数百メートルもある蛇が上空を飛んでいても村人には見えていないみたいだ。
もしかしたら見えているのかもしれないけれど。
きっと上空に大きな雲があるくらいにしか認識出来ないのだろう。
小学校のグラウンドについた。
紅葉は、ましろんにリュックサックを背負わせる。
「これは紅葉が作ってくれたのですぅ?」
「うん、あまり上手くないけどお土産を入れるくらいには使えるから」
「そんな事はないのですぅ!ステキなリュックサックですぅ!」
もうすぐ別れる友達と抱き合い別れを惜しみ…二人は、ぽこぽこを待つ。
「…」
「…」
「あれ?来ないね?」
不思議そうに声を出す紅葉。
ぽこぽこは村の上空を旋回して飛んでいるのに、小学校の上も何度も通るのに、降りて来ない。
「もしかして…ましろんに気づいてないの?」
「きっと、そうですぅ!ましろんが見えてないのですぅ!」
二人は必死で上空に向かって、ぽこぽこに向かって手を振り叫ぶ。
「ましろんですぅ!ましろんですぅ!ましろんですぅ!」
「ぽこぽこーっ!かやのんーっ!ましろんは、ここだよーっ!」
何度も何度も何度も小学校の上を通るのに…ぽこぽこは…かやのんは…ましろんに気づかない。
そして…
「ああっ!行ってしまいますぅ!」
ましろんの悲痛な声が響く。
捜索範囲を広げるつもりなのだろうか?
それとも、この村には、ましろんが居ないと思ってしまったのだろうか?
ぽこぽこが村の上空から離れていく。
紅葉は考える、必死で考える。
まず、かやのんには、ましろんの正確な場所が分かっていない。
たまたまが通信出来たのは、あの一回だけ、あの後も何度か試したけれど通信は回復しなかった。
あの短い時間では正確な場所は分からなかったのだろう。
次に、かやのんがましろんを探すなら、何を目印に探すだろうか?
そこで紅葉は気づく。
そうだ、ましろんを探すなら巨大なたまたまを目印にするはずだ。
そして…たまたまの今の姿は…本来の姿とは全く違っている、今のたまたまは、つちのこの姿だ。
だから上空からでは分からないのだ。
「ましろんですぅ!ましろんは!ましろんは、ここですぅ!ここなんですぅ!かやのん!かやのーん!ましろんは…ましろんはぁ!ここですぅ!」
ましろんの悲痛な叫びが届かない。
はるか上空のぽこぽこには、かやのんには届かない。
せめて同じ高さなら…同じ高さ?
紅葉は体育館に走る、あった!一番大きな凧!
「ましろん飛んで!」
「へっ?なんですぅ?」
紅葉は、ましろんのリュックサックを凧に括り付けた。
風は強い、この風力なら小さなぬいぐるみを付けても凧はあがる。
だから
「行っけぇましろーん!!」
「飛ぶのですぅ!」
凧が上がる!ましろんを吊り下げたまま上がる!
「かやのーん!ましろんですぅ!ましろんですぅ!ましろんはここですぅ!」
ましろんは叫びながら上空を目指す!その声が愛しい人に届けと必死で叫び上空を目指す!
しかし、上空は乱気流が渦巻き凧は翻弄される。
そして事態は最悪の方向へと進んだ。
それに気づいたのは、どちらが先だったのか?
「ましろんっ!大変!糸が!」
「切れそうですぅ!」
ましろんは腕を伸ばす。
ましろんの少し下で凧糸が切れかけていた。
何しろ納屋に放置されていた古い凧だ、凧糸だって古くなって弱くなっていた。
紅葉の顔が真っ青になった。
凧糸が切れたらどうなるのか?
小学校の裏は山だ、山の中にましろんが落ちたなら…あの小さなましろんが山の中を歩いて小学校まで戻ってこれるだろうか?
もしも小さな川があったなら、ましろんは渡る事なんて出来ない。
少し深い藪だって小さなましろんには越えられない。
そもそも山の中で小学校の方向が分かるのか?
それどころか落ちた場所が池だったりしたら…ましろんは濡れて動けなくなる…それで…ましろんは二度と戻ってこれない…
「糸が!糸がぁ!」
ましろんは必死で凧糸を掴む、でも乱気流に翻弄される凧は滅茶苦茶に揺れてぬいぐるみの手から力を奪う、細い凧糸はぬいぐるみの手には滑り上手く掴めない。
紅葉は凧を戻そうとして、何とか凧を戻そうと糸を引くが。
でも、遂に…
「ひぃぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!!!」
凧糸が…切れた…
糸の切れた凧…その言葉通りに凧はましろんを吊り下げたまま風に翻弄され山の方に流されていく。
あの山の中に落ちたなら…ましろんは…お終い…
「嫌ですぅ!かやのん!かやのーん!ましろんは、ここですぅ!ましろんは、ここですぅ!」
風は刻々と風向きを変えながらも山の方へ流れ…
紅葉は、下からそれを見ていた。
全部、全部紅葉が悪い。
一度、村から離れても、かやのんは戻ってきたかも知れない。
もう一度たまたまを治せば再び通信出来たかも知れない。
でも、山に落ちたなら、たまたまとも離れ離れになったなら、もう誰にもましろんを見つけられない。
紅葉がましろんを飛ばせたりしたから…友達が!ましろんが!もう帰れなくなってしまう!
紅葉のせいで、ましろんが帰れなくなってしまう!
嫌だ!そんなの嫌だ!
でも紅葉には、もう何も出来ない。
風に流されるましろんを助けられない。
「神様…お願いです、ましろんを助けて!私の友達を助けて!」
その祈りは届かない。
奇跡なんて起きるはずはない。
世界は、そんなに甘くなんてない。
でも、でもだ。
上空では乱気流が回る。
風向きはクルクルと変わる。
変わり続ける風、音とは空気の振動であり、風が空気の流れであるならば、風は音を運ぶ、風向きが変われば音は遠くまで届く。
「ましろんですぅ!ましろんですぅ!ましろんですぅ!」
その悲痛な叫びを風が運ぶのなら、その叫びを男が聞き逃すだろうか?
ずっとずっと探し続けた恋人の叫びを聞き逃すだろうか?
聞き逃すわけがない!聞き逃していいわけがない!
それは奇跡でも何でもない!
それは当たり前の事なのだから!
男は恋人を探し続けた、どこにいるのかも、生きているのかすら分からない恋人を探し続けた、諦めずに探し続けた!
だから!かやのんは此所にいるのだ!
だから!ましろんの声は届くのだ!
かやのんは、それを見た。
空に浮かぶ凧を見た、その下に吊り下げられたぬいぐるみを見た。
愛しい恋人を見た。
「ぽこぽこ!あっちだ!」
かやのんの声に、ぽこぽこは飛ぶ!ましろん目指して飛ぶ!
「ましろーんっ!!」
「かやのーんっ!!」
呼び合う恋人たち。
でも、物理法則とは非情である。
乱気流は古びた凧の翼を叩き折り、ましろんは空中に投げ出される。
ぽこぽこは飛ぶ必死で飛ぶ、全力で飛ぶ。
でも…
見つめ合う恋人たち…気づいてしまった…届かない…ほんの僅かに、1メートルにも満たない距離が届かない…
ましろんは落ちる、山の中へと落ちる。
落ちたなら…ましろんは…もう助からない…
ましろんは、かやのんを見た。
愛しい恋人を見た。
約束通り迎えに来てくれた恋人を見た。
国に帰れなくなって、せめて一目会いたいと願って、その願いが叶った。
そして、もう一つの願いも…
ましろんの口が動く。
『サヨナラです』
最後に別れを告げられた。
それだけでも、きっと奇跡みたいで…
これが結末、異世界で遭難して帰れなくなったお姫様の物語の結末。
許すだろうか?
そんな結末を許すだろうか?
その男が許すだろうか?
恋人を探し続けた男が、恋人の生存を信じ続けた男が、諦めずに恋人を迎えに来た男が、そんな結末を許すだろうか?
許すわけがない!
絶対に!絶対にだ!
許すわけがないのだ!
だから!
「ましろん!今行くーっ!」
かやのんは跳んだ!ぽこぽこの頭の上から跳んだ!
分かっていた。
かやのんも空なんて飛べない。
だから、一緒に落ちるだけだと分かっていた。
落ちたなら助からないと分かっていた。
それでも、かやのんは跳ぶ。
愛しい恋人目指して跳ぶ。
例え山の中に落ちて朽ち果て二度と動けなくなっても、愛しい恋人と再び離れ離れになるよりずっといい!
だから、かやのんは跳んだ!
ましろんとかやのん。
小さな小さなぬいぐるみは、しっかりと抱き合う。
二度と離れ離れにならないように。
例え最後の時を迎えようとも離れ離れにならないように。
紅葉の目に、それは映っていた。
二つのぬいぐるみが抱き合う姿が。
そして二つのぬいぐるみが、山の木々の中に消えていく姿が。
奇跡など決して起こらない。
だから、これは奇跡なんかではない。
もしも、もしもだ。
ましろんだけだったなら、それは起きなかった。
もしも、もしもだ。
ましろんの尻尾が一廻り小さかったなら、それは起きなかった。
ましろんだけならば、木々の枝の間をすり抜け、地面に落下したはずだった。
でも、一つではなく二つだったから、二つのぬいぐるみだったから。
木々の枝にぬいぐるみ達は引っかかる、かやのんの背中の甲羅とましろんの大きな尻尾が枝に引っかかり、撓った枝は、反発してぬいぐるみ達を弾き飛ばした!上空目指して弾き飛ばした!
間に合った。
今度は、間に合った。
山の木々の上をスレスレまで降下してきた、ぽこぽこの大きく開いた口に二つのぬいぐるみはキャッチされた。
それは奇跡なんかではない。
想いは奇跡なんか起こさない。
それでも、それは友達のために作った大きな尻尾と恋人のために跳んだ男と、その想いがなければ起こらなかった事…
ぽこぽこがゆっくりとグラウンドに降りてきた。
口からは、ましろんとかやのんが降りてきて。
「紅葉、お世話になったのです、ましろんが帰れるのは紅葉のおかげなんです、ありがとうです!本当にありがとうです!」
「ましろん、良かったね、国に帰って幸せになってね」
泣きながら抱き合う友達。
ましろんは、お腹の袋からソレを取り出した。
それは五百円玉。
「お礼にコレを受け取ってほしいのです」
「でも、それは…」
それは、ただの五百円玉ではない。
それは希望だった、いつの日にかぬいぐるみの国に帰れると希望を託した物だった。
ましろんの大事な大事な宝物。
「大事な宝物だから紅葉に受け取ってほしいのです」
「でも、私には何のお返しも出来ないよ」
リュックサックは凧と一緒に何処かに飛ばされてしまった。
紅葉には、もう渡せる物なんてない。
五百円玉を受け取ってくれた紅葉にましろんは尻尾を振る。
「こんなステキな尻尾を紅葉にもらったのです、これ以上の贈り物なんて世界の何処にもないのです」
ましろんとかやのんは、ぽこぽこに乗る。
ぽこぽこは、たまたまの頭を咥えて。
「サヨナラです紅葉!この恩は絶対に!絶対に忘れないのです!」
「ましろんを助けて下さりありがとうございます、今は急ぎ国に戻って、ましろんの無事を国に知らせないとなりませんが、いつか必ず、この恩を返します」
「もしも、紅葉が困る事があったなら、今度はましろんが助けるのです!絶対、絶対助けにくるのです!サヨナラです!サヨナラです紅葉ーっ!」
そう言って二つのぬいぐるみは帰っていった。
「尻尾♪尻尾♪欲しい物は尻尾なんです♪大きく立派な尻尾なんです♪」
ぽこぽこの上で、ましろんが踊る。
ぽこぽこが消えて見えなくなるまで、紅葉は空を見上げていた。




