第七話 脱走計画・四
彼女に、名前を呼ばれた気がした。記憶を失った彼女に。出会ったばかりの彼女に。レンコ以外で初めて、彼が心を許した彼女に。
初めは警戒していた。突然家の庭に落ちてくるのだから、それも当然だ。その上、セイフは彼女を捜していて、当の本人は名前以外全ての記憶を失っているときた。新手の詐欺……或いは、セイフの策略ではないのかと疑ったものだ。
だが、蓋を開けてみればそんなことはなかった。ミカという名の彼女は、心優しいただの少女で、自然と、彼の心へと寄り添っていた。彼自身、何故、彼女にそこまで心を許していたのかは分からない。無関係。オートで遺物を修復するだけの、ただの整備士である彼は、セイフがミカをどうしようが無関係であるはずだった。
それなのに……何処か、放っておけなかったのだ。誰にも明かしたことのない地下工房の存在を話し、遺物のことを話し、共に暮らし、共に笑った。ここ最近の彼のそばには、常に彼女がいて、彼女のそばには、彼がいた。まるで、ずっと前からそうであったかのように、彼らは一緒だった。
そんな彼女が、泣いていた。彼の名を呼んで、誰もいない部屋で、一人、泣いていたのだ。
ハルは決して、白馬に乗った王子様ではない。特別喧嘩が強いわけでもなければ、特殊な力があるわけでもない。少し手先が器用なだけの、ただの青年だ。だから、彼は、王子様でも、英雄でも、勇者でもない。
けれどきっと、彼女の目には――――彼以外、何も映ってはいない。記憶のない彼女は、王子様や英雄、勇者といった存在を知らない。だから、もしそれを知っていたとしたなら、彼女にとってのそれは、彼以外にあり得ない。
「今度こそ呼んだか、ミカ」
ハルのその言葉は、確かにミカに届いていたのだろう。でも、現実を直視できていなかった。『助けに来るはずがない』という認識が、大前提にあったからだ。
だから、それを理解したのは、彼がミカの目の前にきて、その涙を指で掬ってからだった。
「酷い顔だぞ、あんた」
「は、ハル、さん……ほんと、に……?」
「それ以外、誰に見えるんだ?」
『少し動くな』。そう警告して、ハルは腰のホルスターからレイガンを抜くと、ミカの両手足と柱を繋ぐ鎖の枷部分、その鍵穴を撃った。
軽い銃声が響き、枷が破壊される。すぐさまそれを外すと……ミカは突然、ハルに抱きついた。
「お、おい……」
「ハルさん……ハルさんっ……!」
泣き止ませるために解放したというのに、余計に酷くなってしまって、ハルは恐る恐るその背に手を回した。ミカが抱きつく強さは一層強くなり、息苦しさを覚えるほどだ。
「なんで……なん、で、逃げて、ないんですか……! ハルさんは、関係ない、はず、なのに……!」
「……何でだろうな。俺にもよく分からない」
その問いの答えは、難しい。彼女の言う通り、彼はこの一件には無関係のはずだ。助けずとも、一人で逃げることもできた。それでも助けにきたのは、何か明確な理由があったからではない。
『ミカを、助けたい』
曖昧な理由であるとするなら、ただそれだけ。ミカをおいてこの町を離れることは考えられなかった。
「ハルさん……わた、し、怖くて、寂しくて、……ハルさんは、関係ないから、きっと助けに来ない、だろうって……」
泣きじゃくりながら、彼に思いの丈をぶつけるミカ。
「ハルさんには、逃げて、ほしくて……でも、ほんと、は、助けにきてほしくてっ……!」
「ああ」
「だから、助けにきて、くれて、もう、何が、何だか……分からなく、なって……!」
そう言うなり、ハルはミカを引き剥がした。真っ赤に染まった目と、涙でびしょ濡れの頬。彼女の苦しみは、それを見れば、経緯を知らないハルにだって予想が付く。
その目を真っ直ぐ見据えながら、彼はゆっくり口を開いた。
「一緒にオートを出よう、ミカ」
「はい……はいっ……!」
満面の笑みだった。彼女の願いが叶った瞬間だ。
そして、そういった場面には、必ずと言っていいほど『邪魔者』が現れる。ここはセイフの本拠地、セイフ管理塔だ。邪魔が入らないわけがない。
――ぱち、ぱち、ぱち。
そんな乾いた音が、彼らの耳に届いた。
「お見事。感動の再会だね」
三度、邪魔をする男。後ろにセイフの人間を控えた、ハヤミだ。
「ハヤミっ……」
「あれが、今回の首謀者ってわけか」
ハヤミとの面識がないハルは、今回の事件の経緯を知らない。ハヤミという男が何者で、何のためにミカを攫い、そして、あの巨大な月の石のことさえ。
「いかにも。私はハヤミ。一応、セイフの幹部ということになっている」
「ご丁寧にどうも。覚える気は無いがな」
ミカの手を引いて、二人で並んで立つ。もう一方の手は、レイガンを握り、ハヤミへと向けられていた。
それを興味深そうに眺めるハヤミ。ミカのことを調べてはいたが、ハルの『本職』にまでは調査が及んでおらず、彼が遺物を修復できる人材ということまでは把握できていなかったためだ。
「君は遺物を修復できるのか。ハルくん……だったかな」
「ああ、そうだ。こいつも使える。あんたを殺す準備はできてるよ」
「ハヤミ。あなたは私たちを殺せない。そこを通して」
ミカはハヤミが自身らを殺せないことを知っている。故に強気に出た。しかし……、
パァン
乾いた銃声が轟いた。ハルの頭のすぐ横を、凄まじい速さで、何かが過ぎ去った。そしてその背後の壁にめり込み、ヒビを入れる。
「いや……もう、殺せるんだ」
それを成したのは、他でもない、ハヤミ本人だ。彼は小さな黒い銃を手にしている。先程、ハルの頭部のすぐそばを通過したのは、その銃から放たれた弾丸。ハルの持つレイガンのような『光線銃』ではなく、『実弾銃』。
だが、おかしい。ハルの知る限り、セイフに遺物を使用可能なレベルに修復できる技師など存在しない。
「いつの間に、そんなに質の良い整備士が増えたんだ?」
「さあ、何の話だろうね」
それを逸らすハヤミ。考えられる可能性としては、三つ。
一つは、そもそもハルの知るその情報が事実ではなかったというもの。セイフの隠蔽により、外には一切情報が漏れていなかったというものだ。
二つ。セイフの遺物修理の技術力が上がったというもの。今までは不可能だったが、それが可能になったというもの。
三つ。それは……、
「『協力者』でもできたか?」
「……君は実に面白い」
「肯定、と捉えておこうか」
ハヤミの反応を見る限り、セイフに新たな協力者が現れたとみていい。その協力者が、技術、人、或いは遺物そのものをセイフに提供している。
もしかすると、今まで何の進展もなかったセイフの遺物発掘が、ここにきて突然進んだのも、その協力者によるものなのかもしれない。だとすると、その協力者が現れたのは、ここ最近、といったところだろうか。
しかし、まさかあれほど完全な状態にまで遺物を修復できるとは。ハルであれば可能だが、その協力者というのも、相当な腕前らしい。
「で、次は当てるか?」
「ああ。君たちは危険な存在だ。外に出すくらいなら、ここで始末した方がいい」
ハヤミはそれだけ言って、直後、構えていた銃を下ろした。
「どうだろう、ハルくん、ミカくん。君たちがここに残るというのなら、二人とも、好待遇で迎えよう」
それは愚かで、そして、実に賢い提案だった。
「断る。誰がセイフなんかに入るか」
「もう少し考えてもみたまえ。この状況、逃げられると思うかね?」
愚かなのは、二人がその提案を飲むはずがないからだ。そして、賢いのは、この状況を理解しているからだ。
「この部屋唯一の扉は私の後ろ。その前には武器を持ったセイフの人間が大勢。君たちが唯一逃げられる道といえばそこの窓だが……」
そう言って、部屋の端にある窓を指差す。ミカが一度覗いたあの窓だ。
「まあ、二人とも知っての通り、ここはかなり高いところにあってね。落ちれば死は避けられない」
ハヤミの言う通りだった。ここは管理塔の頂上に近いところにある。具体的に何メートルだというものは不明だが、人が落ちて生きていられる可能性はゼロ。運が良ければ、なんて言葉が存在できないくらいに、彼らの今いる場所は高い。
だからこそ、賢い。ハルたち二人は窓から逃げることができない。そして、ハヤミたちを倒さない限り後ろの扉から逃げることもできないが、このセイフの数を相手に勝利することはまず不可能。突破しようとすれば殺されるし、提案を断っても殺される。
そして、頭の良いハヤミのことだ。提案を飲むことでこの場を切り抜けたとしても、その後で抜け出す手段など、残されているはずもない。
(……厄介な男だな)
セイフの上に立つだけはある。ハルはハヤミをそう評価した。
「それとも、二人仲良く心中するかな」
当のハヤミは、にこやかな笑顔を浮かべながらそう提案する。口は笑っているが、目は笑っていない。あれは、残酷そのものを体現したような目だ。
「は……ははっ」
突如、ハルは頭のネジが外れたように、笑い出した。隣で手を繋ぐミカでさえ、その意図を汲み取れない。
「……おかしくなったかな」
「いや、問題ない。俺は正気だよ」
「ならば、どうしたのかね?」
怪訝そうにそう問うハヤミ。至極真剣な表情で、ハルは答えた。
「最期に、教えてくれないか、ハヤミ。セイフが見つけた遺物っていうのは、一体なんだ?」
ずっと……それはもう、ずっと前から。ハルや、そしてレンコが気にしていたこと。この町には何か価値のある遺物が眠っている。だからこそセイフは発掘を続け、町を崩落させ続けている。
そして、今回の発掘で掘り起こされるのがその遺物なのだとしたら、それが何なのか、確かめておきたかった。ひとえに、彼の好奇心からだ。
彼のその問いに、ハヤミは少し悩んだようだったが、諦めたように『やれやれ』とため息をこぼすと、続けた。
「本来はまだ秘匿されるべき情報だが……どのみち、もうそろそろ公開するところだ。いいだろう、冥土の土産というやつだ」
彼の後ろにいるセイフの人間も、少しざわつく。どうやら、幹部であるハヤミは知っていても、下層部の人間には知らされていないらしい。
「オートに眠る最大の遺物。私たちセイフが掘り起こそうとしているのは、『マオウ』と呼ばれる遺物だ」
より一層、彼らのざわつきが強くなった。聞いたこともないその名に驚くものが殆どで、中には興味が無さそうなものもいたが、彼ら自身、今までその情報の一端を開示されたことさえなかったのだろう。
対するハルは、顔を顰めた。オートにある文献の内容は全て頭に入っている。しかしながら、『マオウ』などという遺物の記述はどこにもなかった。少なくとも、オートに遺された古代人の文献では、その正体を知ることはできない。
「……マオウ、だと?」
「ああ。尤も、それが詳しく何であるかは、セイフ自体も把握していない。それを使って何をしようとしているのかは……君たちは知らなくていいだろう」
そう言って、再び銃口を二人に向けるハヤミ。とうとう諦めたのか、ハルは大きく息を吐いた。
「あんた……さっき、心中でもするつもりかって言ったな」
「ああ、言ったとも」
「それも……悪くないかもしれない」
今度はハヤミが顔を顰めた。一瞬、彼が何を言っているのか、理解できなかった表情だ。
ハルは、握ったミカの手を、強く握り直す。そして、その耳元で小さく囁いた。
「ミカ……何があっても、俺を信じてくれるか?」
驚いた顔で、ハルの顔を見つめるミカ。その表情は、遺物を修復している時などよりもっと真剣で、故に、彼女も相応の覚悟を決めて頷いた。
「……はい。何があっても、ハルさんを信じます」
「ありがとう」
ハヤミたちには聞こえないほど小さな声で行われた会話は終わった。そして、ハルはセイフの方へと向き直った。
「ハヤミ。あんたの提案は受けられない。だから……さよなら、だ」
その『最後』の言葉と同時に、ハルは腰に装着した『何か』のスイッチを押した。そのまま目にも留まらぬ速さでレイガンの出力をマックスまで引き上げると、ハヤミたちの頭上へ向け、横へ動かしながら、数発放った。高出力の光線が天井を破壊し、崩れ落ちる。
「ちっ……まさか、本当に飛び降りるつもりか……!?」
腕で顔を覆っていたハヤミたちがその直後に見たのは、ミカを抱きかかえたハルが、窓に向かって走っていく、その背中。すぐに狙いを彼らに向け、引き金を引く。引けたのは、ハヤミのみ。他の人間は動揺して、引き金を引けずにいた。
数発放たれた弾丸は、その幾つかがハルに命中する。しかしハルは止まらず、そのまま……ハヤミの予想通り、窓を突き破って飛び出した。
――――刹那、彼らのいる部屋が、謎の衝撃に襲われた。まるで、何かが『管理塔にぶつかった』ような衝撃だ。
「ハルさん! ミカさん!」
……それは、空を飛ぶ奇妙な遺物に乗った、レンコだった。
「う、お、おおぉっ!?」
レンコの乗る運転席のその後ろ、少し広めのスペースのある後部座席に、窓から飛び出したハルは着地した。その衝撃で機体が揺れ、再び管理塔にぶつかる。
「お、おい、ちゃんと運転しろって!」
「これ操作難しいんスよ! 文句言うんなら代わってくださいっス!」
「よく見ろ! こちとら何発か撃たれてんだよ! めっちゃ血出てっからな!」
機上で口喧嘩をする二人。しかし、窓から身を乗り出して追撃を試みようとしているハヤミを見て、即座に中断した。
「取り敢えず逃げるっスよ!」
「ああ、運転は任せた。こっちは牽制射撃だ」
レイガンを抜き、先程までいた部屋に向けて数発撃ち込むハル。最大出力で撃ったおかげでエネルギー残量は少なかったが、牽制射撃であるならば事足りる。ハヤミの持つタイプの実弾銃がブレやすく、そこまで射程が長くないことも知っていた。
レンコの運転するその空飛ぶ遺物は、凄まじい速さでその射程から離脱する。そして銃弾が届かない辺りまで離脱したのを確認すると、レンコは速度を落とし、後ろにいる二人の方を向いた。
「ははっ。無事っスか、ハルさん、ミカさん」
「無事に見えるか、これ……」
「いやぁ。ハルさんならそのくらい、すぐに治るっスよね」
「治るか!」
そんな馬鹿な、いつも通りのやり取りを交わす二人を見て、何故だか、ミカはまたも涙を流していた。
「う、うえぇっ!? み、ミカさん、何泣いてるっスか!?」
「れ、レンコさんっ……レンコさんこ、そ、ほんとに無関係、なのに、なんでぇぇっ……!」
ハル以上に、彼女と関わりのないレンコ。そんなレンコが助けにきてくれたことが信じられず、その嬉しさのあまりに泣き出してしまったのだ。
「ああ、もう、泣くなっス! わ、わたしは、ただ、た、旅仲間……が減るのが嫌だっただけっス!」
旅仲間、という部分だけかなり小声で発したその言葉だったが、ミカにはちゃんと聞こえていたようで、彼女は大泣きしながらレンコに抱きついた。
「うあぁぁぁんっ!!」
「く、くっつくなっス! 危ないっスから!!!」
その様子を横から見ながら、ハルは微笑んだ。そして、『最後の仕上げ』だと、鞄から小さなスイッチを取り出すと、空の上からオートの町を見下ろした。
「さて……ちゃんと威力を抑えられてるといいな」
かちり。彼がスイッチを押すと同時に、下の方から、大きな爆発音が『二つ』、聞こえてきた。
一つは、ハルの家、その地下工房から。
もう一つは、セイフの管理塔から。
『ハメツX』を改良……否、威力を落としたのであるから、改悪し、起爆装置を新たにこしらえたそれは、彼の思惑通り、オートを崩落させず、彼の工房と、セイフの管理塔の一部のみを吹き飛ばした。
「……世話になったな、皆」
その『皆』が何を指すのか。恐らく、それが分かるのはハル自身とミカの二人だけだろう。ハルは満足げな表情で、使い終わった起爆スイッチを、空の上から投げ捨てた。
「はぁ……おいおい、ちゃんと運転してくれよ」
いまだくっついてごちゃごちゃとした二人に向け、彼はそう投げかけた。
次で終わります。序章が。