第六話 脱走計画・三
セイフ管理塔の中は、発掘のタイミングだということもあってか、セイフの人間で溢れていた。最も、いつもの状態とやらを彼女が知っているわけではない。あくまで、彼女の感覚で、それの数が多いと称しただけに過ぎない。
(いち……に……さん、し……)
通路の角からその先の部屋を覗き込む。目に見える範囲だけで四人。陰にいて見えない人間がいると仮定して、それ以上。とても、戦う術を持たぬミカ一人で対処できる量ではなかった。
「ダメ、違う道を探さないと……」
ミカは大人しく引き返し、その先の道を曲がった。行ったことがない道だ。管理塔内部の構造など彼女には分からない。彼女にできることはただ一つ。極力人の少ない道を選び、下へ下へと向かうこと。
彼女の見立てでは、彼女が囚われていたのは地上からかなり離れた高所。管理塔の頂上に近い部分だろう。ここから脱出するためには、相当数、階を跨いで下へと向かわなければならない。
途中、見張りがたったの一人で、隙が見受けられた時……彼女はそれを殺して、或いは気絶させて、先へ進むことにしていた。場合によっては、二人。人を殴れば殴るほどに、人を殴るという意識が薄れていく。人ならざるものへと近付いている感覚だ。
「おいおい、聞いたか?」
ふと、背後から声がして、彼女は柱の陰に隠れた。現状、彼らからは見えない位置にいるが、彼らがミカの方へとやってきたのなら見つかるだろう。
そして、運が悪いことに、彼女の前方からもまた、セイフの人間の気配があった。前と後ろを挟まれ、まさしく絶体絶命。
(っ、どうしたら……)
進もうとすれば前方のセイフに見つかり、引き返そうにも後方にはセイフがいる。他に道はない。
この場を切り抜ける方法が見つからず、彼女は一歩下がった。だが、後ろは壁。どのみち、何か打破できる方法など……、
「……えっ?」
それは、驚きから発せられた声だった。不意に、何か『違和感』を覚えたのだ。
その違和感の正体を、ほんの数瞬、理解できなかった。だがしかし、してしまえば簡単なものだった。
(この壁……動く……?)
彼女が偶然にももたれかかった背後の壁。それは確かにただの壁であるはずなのだが、奇妙だった。一部分だけが、まるで扉のように、押せば動くのだ。壁は動かぬものという先入観があったからこそ、最初は理解が追い付かなかったのだ。
押せば動く壁は、しかし離せば元に戻る。その奥は暗く、何も見えないが、どうやら空洞であるようだった。
罠、なのかもしれない。奥にいけばそこには大量のセイフがいて、彼女を捕らえるつもりなのかもしれない。でも、どうせ入らずとも、ここで捕まってしまうのだ。ならば、まだ、可能性がある方に賭けてみても良いのかもしれない。
「ああっ、もう!」
覚悟を決め、彼女は思い切り壁に向かって突撃した。多少音がしたが、セイフには気付かれず、彼女は壁の奥へと吸い込まれる。
「お、いやぁぁぁっっ!?」
壁の先は……下に続く、巨大なパイプ。ミカは一切の抵抗もできず、そのパイプに流されるように、下へ下へと滑り落ちていった。
そして……ごてんと、大きな音を立てて落下し、地面と対面する。
「あいたぁ……まさか、こんなことになってたなんて……」
落ちたときに盛大に打ってしまった臀部をさすりながら立ち上がったミカは、その直後、その空間のあまりの暗さに視線を暴れさせた。前、後ろ、右、左、上。どこをどう見ても小さな光の一つさえ見当たらず、ここが何処なのかでさえ把握できない。
「……ここ、何なんだろう……」
ただの暗い空間……な筈がない。あんな隠し扉まで用意された場所に、何も置いていない筈がないのだ。
周囲の気配を探りながら、慎重に前へ進むミカ。手を前にして、少し下げ、手探り状態で何かを探す。明かりのようなものがあればいいが、贅沢は言うまい。
——コツン
進み始めてからすぐ、彼女の指先に何かが触れた。硬いものだ。
(……?)
直線的なデザインの何か。それなりに大きさがあるらしく、恐らく奥行きは、ミカが両手を伸ばしたよりも長い。
「何だろう、これ……暗くて、よく、見えない……」
その何かを手すりにしながら、更に前へ進むミカ。しかしながら……その直後、彼女は、
「んにゃっ!?」
……何かに躓き、前のめりに転んだ。
大きな音がこだまする。彼女が額を打った音だ。ガンガンと頭に激痛が走り、暫くの間、立ち上がることさえ辛そうだった。
「痛い……もう、何……」
そう愚痴りながら、後方を見た。そこには道を塞ぐ大きなパイプ。それに躓いたせいで転んだものかと思われたが、今重要なのはそこではない。
……見えるのだ。そのパイプが。地面に転がる、『ペン型のライトの光』のおかげで。
彼女は痛みを堪えながら這い寄り、それを手に取る。そのペン型のライトは、確かにハルの工房で見たのと同じものだった。ハルが無線機を修復した後、工房を眺めていた時に見かけたものだから間違いない。
だが、何故それがここにあるのかが分からない。先程まで光っていなかったことから、転んだ衝撃でスイッチが入ったことは確かなのだが、そも、このライトがここにあること自体がおかしいのだ。
「何で、これがここに……」
全く同じもの。或いは、同じタイプの違うもの。どちらにせよ、理由は分からないが幸運だ。明かりがあれば、その部屋の散策も捗るのだから。
ミカは先程触れた大きな何かを支えにして立ち上がると、それをライトで照らした。直線的なデザインの何か……その正体は、大きな箱。
いや、ただの箱ではない。天板にはスイッチやボタン、レバーなどが多数備え付けられている。何かを操作する遺物……ミカの発想力ではそれが限界だ。
ただ、一つだけ、収穫もあった。その一番端に、『光』を表すような絵とスイッチがあった。この部屋の明かりを灯すスイッチである可能性は高い。
「……爆発したりしない、よね……?」
恐る恐る、そのスイッチを押すミカ。次の瞬間、真っ暗だった部屋に次々と明かりが灯っていき、照らし出していく。
「……何、これ……」
真っ暗だった空間は、今や明かりが灯ってその正体を露わにしている。そこでミカが目にしたのは、彼女の想像の遥か上をいくものだった。
「これ……水、槽……? それに、まさかこれって……」
部屋の中央にあったのは、円錐状の巨大な水槽。そして、その中に浮かぶ人並みの大きさの『石』。
ミカは、確かにそれの存在を知っている。知らない筈もない。何故なら、それと同じものを、彼が持っているのだから。
それは、衝撃を吸収し、熱を発する特殊な石。彼が持っているのよりも遥かに大きな、その石の名前は。
「月のっ……!」
「ご名答。よく、ここに来られたね」
「っ!?」
その名を叫ぼうとして、何処からか聞こえた声に、彼女は振り返った。
背後に。そう、彼女の背後に男はいた。中年の男。彼女をここへ連れてきた張本人。セイフの幹部、ハヤミだ。
ハヤミは拍手をしながら彼女に近付くと、声高く笑い声を挙げる。
「どうやってここに入ってきたのか……扉は全てロックされていたはずなんだがね」
「ハヤミ……これは、まさか……!」
ハヤミは立ち止まり、ミカのその言葉に頷いた。
「そう。ミカくんの推察通り。それは『月の石』だ」
「やっぱり……こんな、巨大なものが……」
今は発光していない。つまり、エネルギーを生み出している状態ではない。しかし、衝撃を与えれば、これは、ムーンボトルと同じように、青い光を放ち出す。これだけ巨大な月の石だ。生み出すエネルギーは、ハルの持つムーンボトルとは比べ物にならないだろう。
「不思議には思わなかったかね。セイフが遺物を発掘するためのエネルギーを、何処から集めているのか」
ハヤミはそう言って、けれど、それを即座に否定した。
「いや……それも正しくはない。この月の石は、本来、『その後』のために使うものなんだ」
「その、後……?」
「君が知る必要はない。君はただ、失われた記憶を取り戻してくれれば、それでいい」
恐らく、戦闘になる。そう察したミカは、すぐさま臨戦態勢に入った。戦うことはできない。でも、抵抗することはできる。
「あなたの思うようには動かない。絶対に」
「そうなれば、嫌でも思い出してもらうだけだ」
サッと右手を掲げるハヤミ。それと同時に、彼の背後にあった扉から、大勢のセイフの人間が入ってきた。黒い、機械的な……それが、恐らくハルの言っていた『鉄の弾丸』を撃ち出す銃なのだろう。数人はその銃を持ち、数人はナイフを手にしていた。
だが、彼らがそれを使うことはないだろう。ミカにはミカなりに考えがあった。彼らはミカを殺せない。特に、ハヤミは。
「私を、殺せないんでしょう?」
「ああ。殺せないとも。君は大事な客人だからね」
彼は頷いた。そして、落胆したように項垂れた。
「しかし、残念だよ。まさか君が、二度も同じ手を食うとは」
「えっ……なっ!?」
その真意を理解した瞬間、ミカは振り返ろうとした。が、既に遅い。何者かが彼女の首を絞め上げ、拘束する。その間に、ハヤミは彼女に近付き、何かの液体を染み込ませた布を口元に添えた。
踠き、暴れ、必死の抵抗を見せるミカ。しかし、その度に背後から彼女を締め上げる力が強くなり、動けなくなる。
(息がっ、できなっ……でも、すえ、ば、ねむっ、て……)
締め上げられたことで息ができなくなる。苦しくなって必死に呼吸をしようとすれば、薬を吸ってしまう。しなければ、そのまま酸素不足で気絶する。どのみち、彼女に勝機はなかった。
「おやすみ、愚かなお嬢様」
そのまま、なす術もなく眠らされる。その後のことは、やはり記憶にない。
ミカが次に目を覚ますと、初めに目が覚めた時と同じ、あの部屋にいた。
「ん、うっ……!」
飛び起きようとしたが、腕も、足も、動かない。ベッドの柱部分に両手足が鎖で繋がれているようで、完全に、身動きが取れない状況になってしまっていた。
「はずれ、ない……!」
どれだけ頑張っても、頑丈なその鎖は外れない。ジャラジャラと鎖の擦れる音だけが響いて、煩い。
それでも尚彼女は諦めなかった。鎖が取れぬなら柱ごと折れないかと全力で引っ張り、飛び跳ね、動いた。ずっとそうやって、抵抗し続けた。それでも現実は残酷で、鎖も、柱も、ビクともしない。
やがて体力が尽き、息を切らして天を仰いだ。
(きれい、な、天井……)
ハルの地下工房よりも遥かに綺麗で、整理されていて、落ち着いた部屋。多分、ただの女の子としての理想を言えば、こんな部屋に住みたいと願うものなのだろう。
それでも、ミカは、そんな願いを吐き捨てた。
たとえ、どんなにこの部屋が綺麗でも、素敵でも。ハルの地下工房の方が、より魅力的に思えたのだ。
それは何故か……彼女自身も、薄々は気付いていた。
(ハル、さん……)
無関係のハル。今頃、彼は町から逃げ出しているのだろうか。そんな風に考えると、胸が苦しくなった。彼にはミカを助けるメリットなど存在しない。故に、助けになど来るはずがない。
それでも……、
(ハルさんに……会いたいっ……)
ハルと過ごした『時間』は、彼女にとってかけがえのないものだった。記憶を無くし、自らが何であるのか、ここが何処であるのかさえも分からない彼女に、ハルはいつだって優しかった。そう、いつだって、優しかったのだ。
そんな彼と最後に交わした言葉は、ただの業務的な内容。どうせならば、もっと、いつものように、他愛のない下らない、けれど楽しい話で終わりにしたかった。
会いたい。会いたい。会いたい。そう願ってしまった。叶わない願いだとは知りながら、それでも尚願ってしまった。
(ハルさんっ……!)
思えば思うほど、その想いは強くなっていった。彼には無事に逃げていてほしい。それと同時に、ここに颯爽と現れ、その鎖を打ち砕いてほしいという思いもあった。
「ハル、さんっ……」
彼女の瞳から、涙がこぼれた。それは音もなくベッドに落ちて、シーツを少し濡らした。
「助けて、ハルさんっ……」
「今度こそ呼んだか、ミカ」
次回更新は8月17日午前10時です。