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アンダース&アンダーズ  作者: 卵抜きご飯
序章 廃材都市オート
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第五話 脱走計画・二

 彼がその異変に気が付いたのは、大方の身辺整理が終了した頃だった。


「……遅いな」


 買い出しに行かせたはずのミカが、いまだ帰ってくる様子がない。確かに買えるだけの食糧を買ってきてほしいとは言ったものの、ミカの力を考えれば、それほど大量には買い込めないはず。それに、いつも使う店からこの家まで、そう距離も離れていない。これほど時間がかかるはずがない。



……いや、考えたくはない可能性だが、時間がかかるとすれば、一つだけ、原因が思い当たる。


「まさか……!」


 鞄を背負い、彼は急いで家を飛び出した。




 いつも使う店。いつも通る道。ミカが間違えるはずもない。彼は全力で走り、そこに辿り着いた。何やら騒ぎのようで、いつもは無い人集りが出来ていた。


 その人集りから、『死体』や『セイフ』などという言葉が聞こえて、ハルは顔を青ざめてそれを掻き分け、前へ前へと進んだ。まさか、いや、そんなはずは。


 その最前に辿り着き、見つけたそれは、最も危惧していたものではなかった。その顔は、今でもしっかりと覚えている。ミカに絡み、彼らの荷物を盗もうとしたスリの一人。あの老婆だ。顔面が陥没し、ピクリとも動かない。どうやら、絶命しているようだった。


「おい……おい!」


 ハルは激昂し、近くにいた男の胸ぐらをつかんだ。男は何事かと慌てふためき、ハルはそんな彼に向かって感情のままに叫んだ。


「何があった! こいつを殺したのは誰だ! ここに、他に誰かいたか!?」

「お、おいっ、急になんなんだよお前!」

「答えろっ!」


 周囲の人間に引き剥がされ、そのまま地面に押さえつけられても、ハルは暴れたままだった。そこへ名乗りを上げたのは、髭を生やした一人の男。今と、そして、その少し前の一部始終見を見ていた男だ。


 男はハルの前にしゃがみ込むと、その頬を思い切りぶった。落ち着かせるためだろう。その思惑通り、頬をぶたれたハルは冷静になって、暴れるのをやめた。


「落ち着いたか、兄さん」


 口から少し血を流しながら、ハルは彼を睨み付けた。痛みからか、或いは、考え得る可能性のことを思ってか。


「……あんた、ここで何があったか、知ってるか?」

「ああ。見てたからな」


 男は素っ気無く答えた。


「教えろ……ここに、若い女はいたか!?」

「いた。黒い髪の女だ」


 男は、またも素っ気無く答えた。


「どこに行った!?」

「セイフの人間に連れ去られたよ。今頃、管理塔だろう」


 素っ気無い答えだった。


 その言葉を聞くや否や、ハルは自らを押さえる数名の男を吹き飛ばさんばかりの勢いで起き上がろうとした。無論、ただの人間である彼にそんな行為は到底不可能であるが、力ではなく、その『気迫』に、その場にいた男たちは思わずたじろいでしまった。



「……ミ、カァッ!」



 それはまるで、化け物の咆哮のようだった。普段の彼からは想像もできないほど、荒々しく、猛々しい雄叫び。それを聞いた髭の男は小さく笑うと、ハルを押さえる男たちに命令した。



「離してやれ」



 それなりに偉い立場なのか、その一言で、男たちはハルを解放した。


 刹那、ハルは跳ね起き、管理塔とは『真反対』の方向へと走り去っていった。


 その背中を見送り、苦笑いしながら頭を掻く髭の男。どこか達観したようなその瞳は、何か、遠い未来でも見据えているように見える。


「やれやれ……上手くやれよ、若人」


 呆れたようにそう言い、その場から皆を撤収させる。残った老婆の死体は、暫く、そのまま放置されていたようだ。











「……ん、ぅ……」


 眠り、そして覚醒。彼女が目を開けると、まず真っ先に飛び込んできたのは、記憶を失って以来、見たことがない天井だった。


「っ!?」


 その光景に急いで飛び起き、そして、自身の変化に気が付いた。


 ハルの家にいた時は、間に合わせで用意したような簡素な服だった。だが、今彼女が身に付けているのはセイフ用の青い制服。眠っている間に着替えさせられたというわけだ。



「ああ……安心したまえ。着替えは女性に担当させたから、私含め、男は誰も見ていないよ」



 不意に聞き覚えのある声がして、身構える。彼女の視線の先にいたのは、意識を失う前、その最後に見たあの顔。セイフの人間、彼女を眠らせた張本人だ。


「あなた……誰なんですか……!?」

「ああ、失礼。まだ名乗ってもいなかったね。あの時は君が逃げる前に確保する必要があった。許してくれたまえ」


 言葉ではそう言いつつも、その瞳からは、決して謝罪の念を感じられない。ただの形式上のものだ。


 男は右足を半歩下げて少し姿勢を落とし、手を胸に当てて腰を折った。そして、名乗りをあげる。


「私はハヤミ。一応、セイフの中ではそれなりに偉い立場にいる。以後、お見知り置きを」


 その言葉で、ミカは更に警戒を強めた。


 セイフの人間。それは分かっていた。だが、幹部クラスの人間が現れるだとは。完全に、警戒を怠っていた自身の落ち度であった。幾度か町に出て、それで安全になったものだと思い込んでいたのだ。ミカ、そして何より、ハルの慢心が原因なのは確かであった。


 ミカが警戒を解かない様子を見ると、ハヤミは困ったように笑う。


「君は……ミカくん、だね」

「私の、名前を……!」

「あのご老体から通報を受けてね。どうやら、君が落ちてくるところを見て、機会を窺っていたそうだよ」


 あのご老体。つまりは、あの老婆のことだ。ハヤミの手……いや、足によって既に絶命しているが、あの老婆が、この男、ハヤミに通報をしたのだろう。最初から、ミカを狙っていた。あの一度目のスリの件も、もしかすると、狙って行われたものなのかもしれない。そうに違いない。


 ミカはゴクリと生唾を飲んだ。汗が額から流れ、頬を伝って床に落ちる。記憶を失って以来初めての危機に、どう対処すれば良いのか、判断しかねていた。


「私を……どうするつもりですか」

「いやいや。どうするつもりもない。君は大切な客人だ。丁重に扱うよう、部下にも指示しているよ」

「客……人?」


 予想外のその答えに、最も戸惑ったのはミカだった。彼女の想像では、何かの実験体にされ、死よりも辛いような環境に置かれるものとばかり考えていた。


 いや。信用はできない。できるはずもない。かの男はセイフの人間で、ミカを連れ去った張本人。誘拐された無知な子供が、誘拐犯の言葉を信じると、誰が思うだろう。


 警戒を解かず、より一層強めた彼女に、ハヤミは『ああ……』と嘆く。


「ミカくん。君は何か勘違いをしているようだが、私たちは何も、君を取って食うために連れてきたのではない」

「信じられると、思いますか……?」

「いやいや。いずれ信じてもらえればそれで」


 そう言って彼はミカに近付こうとする。その頬に差し伸べられた手を、彼女は思い切り振り払った。


「いやはや……随分と嫌われてしまっているようだ」

「その自覚があるなら、私を外に出してください」

「それは出来ない。君にはまだ聞きたいことが山ほどあってね。たとえば、そう……」



 態とらしく考え込む仕草をしたハヤミの次の言葉は、半ば予想していた通りだった。



「……『空壁の上』のこととか」



 それに対し、ミカの答えは至極単純。嘲笑だ。



「それなら残念ですね。私は記憶を失っています。ここに来る前のことは、何一つ覚えていません」

「覚えていないのなら思い出してもらえば済む話だ。資料も用意しよう。君はここで待っているといい」


 彼はそれだけ言うと、手を振って部屋から立ち去った。ほんの一瞬気を抜きかけたミカだったが、ここが敵の本拠地であることを思い出し、再度、引き締め直した。



……逃げなければ。



 何とかして、ここから出なければならない。そうしてハルと合流し、オートを脱出する。



……いや。



「ハル、さん……」



 彼の家のものよりもかなり上質なベッドに腰掛け、彼女は顔を手で覆った。



……ハルさんは今、私を捜しているんだろうか……



 そんな一抹の不安がよぎった。


 彼女の記憶の始まりは、灰色の天井と、遺物だらけでごちゃごちゃした部屋、そして、ハルのその疑ったような瞳である。そうだ。彼女は記憶を失ってからというもの、いつであろうとハルと行動を共にしてきた。まるで小鳥の刷り込みのように、彼女はこの世界で最初に見た『ハル』を、無条件で信頼していた。



 しかし、ハルはどうだろうか。



 ハルはただ、庭に落ちてきた記憶喪失の少女を、一時的に保護していたに過ぎない。本来、彼はこの件とは無関係の人間なのだ。彼女と出会わなければ、彼は一人で、これまでと変わらぬ生活を送っていたに違いない。

 ミカはハルを信頼していた。だが、彼は彼女を信頼していたのだろうか。ミカの脳をよぎった不安は、そこだった。


「ハルさん……今頃、逃げたのかな……」


 心の何処かで、『助けにきてくれる』と信じる自分もいた。だが、『そんなはずがない』と疑う自分もいた。無関係のはずのハルが、態々危険を冒してまでミカを助けるメリットは、彼女の思い付く限りでは、存在しない。


 彼女は強く、拳を握り締めた。待っているだけでは、事態は何処へも向かわない。自分の意思で動かぬ限り、良くも悪くもならない。



「ううん……たとえハルさんが来なくても、一人でも……逃げなくちゃ」



 決意は固まった。彼女は立ち上がると、部屋にあった窓を開け、外を窺った。地面はあまりにも遠い。ここから飛び降りるのは自殺行為だろう。掴まれるような足場も少なく、ここからの脱出はほぼ不可能。空でも飛べるのなら、また話も変わってくるが。


 ならば、正面から逃げるしかない。部屋にあった何か恐ろしい生き物を模したオブジェを手に取ると、ハヤミが出ていった扉の陰に隠れ、恐る恐る外を覗いた。


 扉の前に、見張りの人間はいない。だが、少し離れたところに一人いる。一人だ。


「……うん、やれる。やれるよ、ハルさん」


 彼女はその手に握ったオブジェを見つめ、そう呟くと、それを後ろ手に隠しながら扉の前に出た。




「あのー、すみませーん!」



 持っていない方の手を大きく振り、例の見張りを呼ぶミカ。その男はミカへと近付きながら、声をかけた。


「なんだ。何か用か?」

「あの、お手洗いに行きたいんですけど……案内してくれませんか?」

「……こっちだ。付いてこい」

「ありがとうございます」


 警戒の薄い見張りだ。ミカが女だと見て、弱く見ているのだろう。その油断と隙を、彼女は決して逃さなかった。

 案内すると言って振り返り、ミカに背中を向けた見張りの後頭部目掛け、ミカは、持っていたオブジェを思い切り振り下ろした。女性の力では少々物足りないが、生憎、『恐ろしい生き物を模したオブジェ』だ。刺々しいその胴体が、かの見張りに突き刺さっている。


 肺の息が漏れるような音が廊下に小さく響き渡り、後頭部からは血が舞う。そのまま見張りは俯けに倒れ込むと、地面に血溜まりを作って……死んだ。


 その返り血を浴びたのだろう。ミカの頬は赤く染まっていた。記憶を失う前がどうかは分からないが、少なくとも、ここに来てから誰かに物理的な危害を加えるのはこれが初めてで……彼女の手は震えていた。


「大丈夫……だい、丈夫だから……」


 生き残るためには仕方のないこと。そう割り切ってしまえれば楽なのに、割り切ってしまえないのは、彼女がまだ人である証拠だ。手の震えは治らない。だが、それを必死に抑え、ミカは先へと進む。


 誰にも聞かれず呟かれたその声もまた、震えていた。

次回更新は8月16日午前10時です。

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