表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アンダース&アンダーズ  作者: 卵抜きご飯
序章 廃材都市オート
1/12

第一話 記憶喪失の少女

 薄暗い部屋で、ライトから放たれる弱い光だけが目立っていた。光が照らすのは、整理されていない机で何かをしている青年の手元。忙しなく作業をする青年は、それを始めて、もうかなり経つ。小休止の一つも挟まぬままに続けられたそれは、いまだ終わりを覗かせない。



 かちゃり。かちゃり。



 青年の作業は、どうやら機械類の調整か、あるいは修理のようだった。ドライバーを持ち、かと思えばレンチに持ち替え、次の瞬間にはボルトを手にしている。寸分の狂いも躊躇もなく、元が何かも分からないそれを弄り続けていた。

 そうしてそれから更に暫く経ち……彼の手にあったのは、恐らくは鍵の形をした機械だろう。といっても、一般的な鍵の大きさではなく、彼が両の手のひらを合わせたよりも大きい。鍵の形をした機械型のオブジェクトのようだった。


「…………」


 それを机に置くと、彼は椅子に大きくもたれかかり、伸びた。それを始めてどれだけ経ったのかは分からないが、彼は休むこともなくそれを弄り続けていた。

 それ、が何なのかは――――実のところ、彼にも分からなかった。ただ壊れているそれを見つけたから、興味本位で修理した。ただそれだけのことで、目的も、意味も、何かがあったわけではなかった。

 ただ、鍵の形をしたその機械は、今まで見たことがない形状で、きっと、直しておけば何かの役には立つだろうと。あくまで、その程度の考えは持っていた。


 彼は再び机に向き直ると、鍵を持ち、天に掲げ、ライトを傾けた。どこからどう見ても、ただの鍵にしか見えないが、中身はれっきとした機械なのだった。ますます、それが、これの正体を不可解にしている。


「鍵……大きな……どこの……」


 家の鍵でないことは、確かだった。



 そんな時だった。



……突然工房が揺れ、そして、外からけたたましい音が聞こえてきた。


 思わずびくりと肩を震わせた青年は、暫く、そのまま固まり動かなくなった。ようやく動き出したのは、その揺れで、自身に被害が及ばないことを確信してからだ。


「……なんだ?」


 自然のものか、あるいは人工のものか。その揺れはそれなりに大きなもので、真っ先に地震と『敵襲』を疑った。彼は作業机の引き出し、その一番上の段を開いて、中にあったものを取り出した。九〇度よりも少し広めに湾曲した、青い光の筋が入った、無機質な銀色の棒……よく見れば、持ち手の部分には指を掛けられそうなパーツがある。


 それを腰より下に構えながら、彼は立ち上がると、工房の出口へと向かった。自然に起きたものならばいいが、もしもこれが人工のものであった場合……つまり、敵襲であった場合。身を守る手段は必要だからだ。


 ゆっくりと、扉に手をかけ、開く。そこには誰もいない。続いて薄暗い階段を上がり、天井に付けられた覗き窓から周囲を窺うと、天井ごと横へとズラした。外から見ればただの地面。隠し扉だ。


「……誰もいないか」


 どうやら、家内に誰かが侵入したというわけではないようだ。だとすれば、外。地下まで揺れるのだから、それなりに近い場所で、何かが起こったのだろう。そう考え、警戒を解かず、青年は窓へと向かった。

 チラリとカーテンを開け、隙間から外の様子を窺う青年。そこに映るのはいつもと変わらぬ庭の様子。庭と言っても、ただ瓦礫が積み重なっただけの空間だ。特に変わった様子は……いや、特に変わらぬわけではない。何か一つ、違和感が、そこにある。



 人。



 そう。庭の中心に人が倒れている。そこだけがクレーターのように凹んでいて、その中心に、人がいる。俯けに倒れていて顔は分からない。だが、体格や髪の長さからして女だろう。罠かもしれない。青年自体、誰かに狙われるようなことをしてきたつもりはなかったが、セイフ――都市の管轄組織――の目を盗んでレリックやオーパーツの修理をしてきたこともまた事実。目を付けられたとしてもおかしくはない。


「……おーい」


 窓の内側から呼びかけたところで反応がないことなど、彼自身が一番よく分かっていたのだが。


 当然のことながら、反応はない。ピクリとも動く気配がない。まるで死んでいるみたいに。


(いや、まずいか……)


 一瞬、これをどう処理すればいいのか、考え込んだ。しかしながら、それが無意味かつ危険な行為であることに気が付いた。

 危険な行為であるのは、これを処理することではない。このまま何もせずにどうすればよいかなどと深く考え込む行為が、危険なのだ。


 行動は早い。青年は窓を開けると勢いよく飛び出し、庭に駆け出て俯けの女を抱きかかえた。

 若い女だ。今年で一八になる青年と、ちょうど、同じくらいの見た目。


 否。それはまた後だ。青年はともかく、この女をなんとかせねばならないと、去り際に瓦礫の山を崩しながら再び窓から家の中に入ると、カーテンを閉めきり、彼女を抱きかかえたまま、小走りで工房へと戻った。

 工房に入るなり、すぐさま彼女を室内のソファに寝かせると、毛布を被せ、再度立ち去る。隠し扉を閉め、その上にカーペットを被せると、ほっと一息吐いた。



 ふう。青年が汗を拭いながらそう零した時だった。



 どんどんどん。と、乱雑で盛大なノックの音が家内に響き渡る。


「開けろ。セイフだ」

「はいはい」


 予想通りの来客に、青年は一つ気合いを入れ直してから扉を開けた。その先にいたのは、青い制服に身を包んだ二人の男。鋭い眼光が、青年を睨みつけていた。この都市を管理するセイフの人間だ。

 二人いたうちの片割れ、手前にいた方の男は青年が扉を閉められないようにがっちりと抑えると、半分体を押し込みながら言う。


「先程……この付近で『空から何かが降ってきた』という通報を受けた。何か知っているか?」

「いや……ちょうど昼寝をしてたもので」


 勿論、嘘だった。本当のことを言えば面倒ごとになる。故に、あれだけ大慌てで女を隠したのだから。


「少し中を調べさせてもらうぞ」


 青年の許可も取らず、男は後ろの男に目配せすると、二人して押し入った。家内を警戒しながら散策する二人は、明確に何かを探しているようだった。恐らくは、その『何か』とやらの正体も通報を受けているのだろう。異端分子が入り込めば、それを調査するのは、セイフであるなら当然のことだ。


「何か、って何なんです?」


 青年は敢えて、そう問いかけた。


「知る必要はない」

「さいですか」


 だが、やはり、そう簡単には話さなかった。


 男二人は屋内をくまなく捜索している。うちの一人、先程後ろにいた方の男が、窓のカーテンを開いた。

 が、瓦礫の山しかないのを見ると、すぐに閉じてしまった。どうやら、青年が思っていた以上に、この二人は仕事を雑にこなすらしい。


 それから、数分、調べていただろうか。青年の情報秘匿の徹底ぶりもあってか、彼らの望むような情報は、何一つ無い。ただの生活拠点としての機能しか備わっていない一階部分を一通り散策し終えると、男たちは目配せで、立ち去ろうとした。


「怪しいものを見かけたらすぐに連絡するように」


 去り際に、吐き捨てるように、そう言い残して。



 セイフの二人が立ち去ると、青年は大きなため息を零した。


「やれやれ……自警団気取りか」


 普段は都市の崩落を見過ごすというのに、こういう異常事態だけには敏感なのがセイフという組織だ。この都市を維持するという名目で、日夜『何か』を探し続けている。恐らく、降ってきたというその女と無関係というわけでもないだろう。彼らは、都市の存続自体には興味がない。


 青年は完全に二人の気配が消えたことを確認してから、地下へと続く床扉を開き、進んだ。例の女はまだ目覚めていないようで、先程と同じ姿勢で眠っていた。

 落ち着いて見れば、少なくとも、青年がこの町で見たことがない顔だ。セイフは『空から降ってきた』と言うが、それはまずあり得ない。何せ、アンダースの上空は、変わらず『空壁』が覆っていた。あの何処まで続いているのかも分からない壁を超えて落ちてきたということは、まず、考えられないことだった。


 しかしながら、かと言って、何処からやってきたのかという予想が立っているわけでもない。ここではない何処かから。その程度の予想しか立てられないのだ。


「でも……もし仮に、空壁を超えてきたのだとしたら……」


 だとしたら。落ち着いて青年は考え込んだ。空壁の上にはいまだ人が生存していて、アンダースとは別の世界が広がっている。古代人が遺した文献による『壁上世界』。その存在の証明にもなり得るだろう。


 否……余計な希望は捨てることにした。古代の文献には所々、嘘か真か怪しい記述も多い。壁上世界の存在も、その内にある。




「……んっ」




 そこで突然、小さな声が響いた。ソファで眠っていた女からだ。


 女はゆっくりと上半身を起こし、目を擦る。自身にかけられた毛布をまじまじと見つめ、その直後、顔を逸らして青年の方を見た。その瞬間――何か悍ましいものでも見たような青い表情で、毛布を抱え、縮こまった。


「っ、ど、どなた、です、か……」

「安心しろ。少なくとも、今はあんたの敵じゃない」


 女から距離を取り、可能な限り怯えさせないよう、安心させるように言った言葉だったが、それは女には届かなかった。縮こまったまま、女は、周囲の様子を窺っている。


「こ、ここは、どこ、ですか……?」

「俺の家だ。庭にあんたがいたんで入れた」


 青年は作業机の前にある椅子を引っ張ってきて、女の前に置き、背もたれを前にして座った。腕を組むようにもたれかかると、なるべく口調はそのままに、質問へと移った。


「あんた、誰だ? 何処から来た?」

「わたし、は……」


 女は言いにくそうに、毛布で口元を隠す。頭痛がするのか、右手で頭を抑え、ウンウンと唸っている。


「わたしは……どこから……どこ、から、きたんです、か……?」

「……聞いてるのはこっちだぞ」


 片言で、そう言った。青年はすぐに察した。記憶障害……分かりやすく言えば、『記憶喪失』だ。空から落ちてきたというのだから、その際に、頭を打ってしまったのだろう。打ち所が悪く、記憶を失った可能性は大いにあり得る。



……いや。



 青年は俯瞰した。そもそもあり得ないのではないか。空から落ちてきて頭を打ち、記憶を失った。だとするなら、それは可能性としてある話だ。そこだけを切り取れば、何らおかしいことはない。

 だが、そもそも。記憶を失っている彼女は、地面に小さなクレーターが出来るほどの勢いで落下しているのだ。だと言うのに、その身体には傷の一つもない。そこがおかしいというのだ。


 レリック、あるいはオーパーツ。何らかの力が作用して、女を落下の衝撃から守った。そう考えれば自然だが、そうなると、記憶を失っているということが不自然だ。だとすると、女の記憶は、ここに来るより前から失われていなければ矛盾する。


「わからない、んです……わかりません……何も、覚えてない、ん、です……」


 女のそれはとても演技には見えなかったが、人を騙すことが得意な人間など、この世にごまんといる。特に、こんな世界だ。人を騙さなければ生きていけないような生活も強いられている。


 ほんの少し、青年は警戒心を強めた。疑ってはいないが、信用もしていない。ちょうどその狭間だ。


「名前は? 思い出せるか?」


 青年がそう問うと、女は再び頭を抑えた。今度の頭痛は激しいらしく、何度も唸っては口をパクパクと動かしている。


 女が答えたのは、突然、女が悟ったような表情になってからだ。



「……ミカ」

「ミカ?」



 彼女は名乗った。ミカ、と。記憶喪失であっても自分の名前が思い出せることは、確かに、何らおかしくはない。だが、あの大袈裟な動作といい、偶然と言い張っても名前だけを覚えている点。怪しさという話で言えば、ミカのそれはメーターを振り切っていた。


「わたし……たぶん、ミカっていうんです……わからない、ですけど……」

「そうか。ミカ、ね」

「あの、あなた、は……?」


 対するミカは、反対に、青年への警戒を少し解いたのか、毛布を胸元まで下ろしながらそう問うた。


「ハル。それだけだ」

「ハル、さん……」


 青年――ハルは『そうだ』と頷くと、立ち上がり、腰に隠していた例の無機質な曲がった棒を、作業机の上にどんと置いた。必要の無かったものだ。


「あの、は、ハル、さん……」

「なんだ?」


 おずおずと、そう放つミカ。


「私は、なん、で、何も覚えてないんでしょう、か……」

「……それを俺に聞くか」

「す、すみません……」


 やれやれと、ハルは頭を抱えた。自身が何も覚えていないというのに、今知り合ったばかりの赤の他人が、何かを知るはずもないだろうに。

 だがその様子を見ていると、やはり、とてもこのミカという少女が、演技をしているようには見えなかった。そも、騙すならば、そんなボロが出やすいような設定にはしまい。一先ず、少しの信用を置くことにした。


 ちょうど、ハルがそんな風に考えて、もう一度椅子に座り込んだ時だった。




――ぐぅぅぅ……




 小さな音が、何処かから発せられた。その音の犯人と正体は既に想像も付いている。


「あ、あのっ……」

「何か用意するよ。ここで待っていてくれ」


 腹の虫が鳴き、赤面したミカを置いて、ハルは一階へと向かった。




   * * *




 壁下世界アンダース。空を覆う『空壁』と呼ばれる巨大な壁の下にあるが故に、そう呼ばれている。ハルたちは、このアンダースに暮らす人々――『アンダーズ』と自称していた。


 アンダースには多数の都市が点在している。ハルが暮らすこの都市もその一つ。名を、廃材都市オート。かつて、古代人がアンダースを統治していた高度文明時代の産物が多く眠っており、それ故、セイフによる厳しい管理がなされている。

 ハルは、そんな高度文明的産物――通称『レリック』や『オーパーツ』と呼ばれるそれらを、無断で回収、修復する整備士だ。



「そこらにあるガラクタは、修理が終わったものか、まだしてないものか、もしくは知識が足りずにできなかったものか。そんなところだ」

「アンダースに、アンダーズ……なるほど……」


 湯で蒸した芋を齧りながら、ハルが言った内容を頭の中で整理するミカ。紙は貴重でメモなんてものはこのオートにはない。あるとしても、セイフに、だ。記憶を失っているミカは必然的に、その記憶力だけで、全ての情報を覚え直さなければならない。まだ、記憶を全て失っているというのが幸運だ。不必要な情報は後回しにすれば、必要な情報だけ、優先して覚えやすい。


「ハルさんは、直したものをどうしてるんですか?」

「いや……使えそうなものは自分で使う。使わないものは、その辺に置いてる。それとか」


 ハルが指差したのは部屋の隅にある謎の丸い機械。内部や外部の構造からして、恐らくは何かを掃除するためのものなのだろうが、電源となるものが無いために動かない。だから、邪魔にならない辺りに放置していた。


「え……修理するだけ、ですか……? それって……」


 そこで言葉を詰まらせるミカ。芋を皿に置いて、何か考え込んでいる。彼女の考えていることは、ハルにも、大方予想は付いている。


「何のために修理してるか、か?」

「はい……あの、失礼な質問かもしれませんが……」

「いや、いい」


 ハルはこれまで修理したものを全て、自身で管理している。修理したのちに他人に譲り渡す行為は決してしない。何故ならば、それが整備士であるハルにとって『最も危険な行為』であるからだ。

 オートで発掘されたレリックやオーパーツは、たとえそれが修復不能なほど破損しているものであったとしても、全てセイフの所有物となっている。故に、それを無断で拝借することは勿論、修復することでさえ禁じられている。ハルの行為は本来であるならば『違法』なのだ。仮に修理した後の物を他人に譲り渡し、それがセイフに知られれば、セイフは間違いなくハルを捕らえるだろう。理由は色々とあるが、殺されるわけではなく、セイフの整備士として、奴隷に等しい扱いを受けることになる。

 それを避けたいがために、ハルは、決してこの工房のことを他人には明かさない。わざわざ地下に部屋があるこの場所を住処に選んだのもそのためだ。


 尤も、それを今、彼も『その理由を理解できぬまま』にミカに話してしまっているのだから、彼女が裏切れば全てが終わってしまうわけだが。



 では、何故、金にもならず、大した役にも立たない修理だけを行なっているのか、というと――、


「結論から言えば、『興味本位』だ」

「興味本位……?」


 ああ、と、芋を齧ってハルは頷いた。


「直したいから直す。元の形を見たいから直す。ただそれだけ。仕事にしているわけでもないし、直したものを誰かに売ったりするわけでもない。ただの自己満足ってことだ」

「自己満足……それで、こんなにたくさん……?」

「まあ、オートには娯楽も何もない。やることがなかったから、流れで、こういうことをするようになった。そういう理由もある」


 むしろ、これ自体が娯楽であると言い換えてもいい。不思議と、掘り起こした古代の産物を修理していると、心が弾むのだ。ハル自身、かなり変人なのではないかと疑っている部分もあるが、仕方のないことだ。


「それでも、使えそうなものは使うし、そういうものを直してる時の方が楽しいのは確かだな。ちょっと待ってろ」


 そう言って、ハルは作業机の上から、三度(みたび)あの曲がった銀色の棒を手に取った。それが何なのか分からず、ミカは首を傾げる。


「これは『レイガン』。古代人が使ってた武器で、『銃』と呼ばれるものの一種らしい」


 その武器を発見したのがおよそ半年前。修理が完了したのがほんのひと月前の出来事だ。初めは使用方法はおろかそもそもそれが何であるのかすら不明だったが、オートにある数少ない文献にそれらしきものの記述を見つけ、試してみたところ、見事一致。断定に至ったというわけだ。

 レイガン……武器のジャンルとしては『銃』というものに含まれる。銃身やグリップ、トリガー、銃口等々のパーツで構成される武器で、そのトリガーと呼ばれるパーツを指で引けば、銃口からそれぞれ専用の『弾』が射出される。弾の種類は物によって様々だが、このレイガンは『光』、細かく言えば『光線』だ。銃によっては尖らせた鉄の塊などを撃つものや、身長ほどの大きさを誇る銃もあるようだが、このレイガンには関係のない話だ。


「銃?」

「そう。実際に見る方が早いか」


 何より見ることで理解を早めよう。そういう魂胆で、ハルは部屋の端まで移動した。ミカに指で指示をし、直線上から離れさせると、ちょうど対角線上にある案山子を見据えた。練習射撃で、既にそれなりにボロボロのその案山子を見つめながら、ハルは慣れた手つきでレイガンの銃身にあるひねりを回し、その後方にあるロックを外した。銃身に走った青い光の筋が、それと同時に発光する。


「危ないから、絶対にそこから動かないように」

「は、はい……」


 そう指示をすると、ミカが強張った表情をした。


 ハルはレイガンを両手で持ち、正面に構えた。銃口を案山子に向け、右の人差し指をトリガーにかける。



 そして――、





 デュゥン、だか、バシュゥン、だか。少し軽めの音が響いて、レイガンから細い一筋の光が放たれた。それはブレることなく真っ直ぐと案山子めがけて飛び、見事、その身体を撃ち抜いた。



「ひぁっ……」



 ミカの情けなく小さな声がした。それを気にすることもなく、ハルは一息つくと、レイガンを下ろした。

 その身体を撃ち抜かれた案山子は、まだ、それなりに無事に見える。それもそのはず。銃身のひねりを操作して出力を『最小』にしたレイガンは、精々、布で出来た案山子を撃ち抜く『程度』の威力しか持たない。幾たびの訓練を経てボロボロだが、まだ案山子としての役割を果たしている。


「まあ、オートで見つかる遺物の中には、こういうものもある。これは護身にも使えるし、役に立たないことをしているわけじゃない」


 レイガンを置いたハルは、椅子に座りなおした。それを見て、ミカも倣う。


「すごい……これが、『古代人』の遺物……ですか?」

「ああ。今の人間じゃ、再現不可能な技術だよ」


 高度な文明力を有していたとされる古代人。その技術の殆どはこうして遺物として残っているもの以外、失われている。それを再現することは『ほぼ』不可能とされていて、それが、セイフが躍起になって遺物を掘り起こしている理由だろう。遺物が残っていれば、それを復元し、使用することができる。そこから技術を盗むこともできるだろう。だが、ゼロから再構築することは不可能なのだ。


 問題は、セイフが現状、それができていないという点だろうか。


 セイフにも当然、ハルのような整備士がいる。壊れた遺物を修復する者たちだ。だが、そのレベルは低く、とても、ハルのように『使用可能な状態』まで復元できるような整備士がいない。できて、形状を元に戻す程度で、故に、ハルは捕らえられても殺されない自信があった。遺物を修復できる人間など、オート中を探したとしても、ハル以外にはいないだろう。


「まあ、昔から手先が器用でな。遺物の構造も、何でだかある程度は理解できてた。自分でも理由は分からないけど」

「神様がくれた贈り物、ってどうでしょう?」


 人差し指を立てながら言うミカ。その言葉を飲み込んだハルの表情に影が差す。


「……神様なんてものがいたなら、どれだけ幸せだっただろうな」


 何か闇を抱えている。そんな表情だった。失言してしまったと顔を青ざめさせたミカだったが、次の瞬間にはハルが元に戻って言葉を投げかけたため、事なきを得た。


「本当は町も案内したいところだけど、生憎、あんたはセイフから追われてるからな。どこまで情報が割れてるのかも分からない」

「え? 追われて、る……? 私が、ですか……?」

「あれ、言ってなかったっけ」

「聞いてません……」


 この世界の説明ばかりで、肝心の『ミカのこと』を説明し忘れているようだった。ミカが空から落ちてきたらしいこと、セイフがミカを探しているらしいこと、その理由は分からないこと。ざっくりと状況を説明すると、ミカは口をあんぐりと開けて呆けてしまった。


「で……さっき、あんたを探してるらしいセイフの奴らが来たんだ。どこまであんたのことを知られてるのか分からないし、迂闊に外に出るのは危険だろう」

「そういう大事そうなことは先に言ってください……」

「記憶喪失だってんだから仕方ない。いきなり追われてるなんて言っても混乱しただろ、あんた」

「それは……否定できませんけど……」


 ハルはそう言うと、作業机の近くにあった鞄を拾い、中にレイガンを押し込んだ。他にも色々と工具を詰め込むと、それを肩から斜めにかける。


「ともかく、状況が把握できるまで、あんたはここを離れられない。今から俺が調べてくるから、それまでの辛抱だ。いいな?」

「……はい。分かりました、ハルさん」


 素直に頷くミカ。名前以外の記憶を失ってしまっている以上、ハルを頼る以外に彼女がここで暮らしていく手段はない。必然的に、彼の言うことには従う必要があった。


「よし。なら、俺は少し出てくる。知り合いに色々と聞いてくるよ」


 ハルはそのまま出口へ向かい、部屋の扉を開こうとして――振り向き、念を押すように、ミカを指で指した。


「ああ、あと……その辺にあるもの、下手に触らないほうがいいぞ。爆発するかも」

「危なくないですか!?」

「触らなければ、安全だ。いいな」


 今度こそ、ハルは地下の工房から立ち去った。万が一にでもセイフにバレぬよう、カモフラージュを施し、ミカを置いて、家を後にした。

 残ったミカはと言うと、実は好奇心から遺物に触れようとしていたのだが、ハルの『爆発するかも』というセリフを思い出しては、それを耐えていたのだった。






 家を出たハルが真っ先に向かったのは、レンコという少女の住処。所謂(いわゆる)情報屋というやつで、特にオートにいるセイフの動向に詳しい。ハルがオートで最も信頼を置いている人間だ。

 そんなレンコの住処へ向かうと、やはり彼女はそこにいた。退屈なのか、積み重なった瓦礫の下にできた空洞の中で、彼女は横になって眠っていた。否、眠っているように見えたが、ハルが近づいた瞬間に、その双眸が彼を捉えた。


「よう」

「ちっス、ハルさん」


 彼女は気怠げに起き上がると、大きな伸びをした。固い瓦礫の上で寝ているせいで、身体中からゴギゴキと骨が鳴る。


「こんな時間から寝てたのか?」


 ハルがそう問いかけると、またもやレンコは大きくあくびをする。無い胸の主張が激しい。


「アンダースに時間なんて無いって、何回言えばいいんスか。ハルさんこそ、こんな時間から散歩っスか?」

「アンダースに時間なんて無いよ。そうだろ?」

「おうむ返しは嫌いっスね」

「俺もだ」


 ハルは住処という名の空洞に入ると、適当な場所に腰掛けた。空き家を住処として使用しているハルと違い、レンコは瓦礫が偶然積み重なってできた空洞を住処にしている。いつ崩れるのかも分からない。座っていてもあまり落ち着かないような場所だが、レンコはその中でも図太く眠ることができる。少年のような見た目をしているのも関係があるのだろうか。


「で、何の用っスか?」


 レンコは姿勢を正すと向かいに座るハルを見た。情報屋としてのレンコの表情で、若いながらもどこか覇気があるように見える。それだけ、プライドがあるということだ。


「少し前に、空から落ちてきた何か。セイフはどこまで知ってる?」

「あー、そのことっスね。わたしも色々と気になって調べてたところだったんスよ」


 どう見ても寝ていただけにしか見えなかったが、彼女なりに、その情報を集めていたらしい。ならば話は早かった。


「単刀直入に言う。落ちてきたのは『人間』だ」

「人間? わたしはてっきり、空壁の破片でも落ちてきたものかと思ってたっス。それでも大問題っスけどね」

「いや。俺と同い年くらいの女だ。記憶喪失のな」


 ハルの言葉に、レンコは顔を顰めた。予想と事実、あまりにもかけ離れたその差に驚いたのか。それとも、何か気がかりなことでもあったのか。


「セイフはこのことを知ってるのか?」

「まだシッポも掴めてないみたいっスね。わたしも、今知ったところっスよ」

「そうか。なら一先ず安心だ」


 その様子を見て、レンコは色々と察したようだった。


「あー……ハルさん。もしかして、その人間、匿ってるっスか?」

「ああ。レンコ以外にはまだ何も言ってない。セイフに知られてたらマズイからな」

「確かに。空から落ちてきた人間なんて、オートじゃ真っ先に研究対象っスからねぇ」


 瓦礫の下から……いや、実際どこから取り出したのか分からない大きな瓶を、レンコはいつの間にやら手にしていた。瓶の中には白くて丸い小さな玉が幾つも入っている。頭を働かせるためには糖分が必要なのだと、ああして『飴』を貯蓄しているのだ。高価な筈の飴を、あれだけの数、どのようにして集めているのかは謎だが、レンコがその瓶を取り出すのは、決まって考え事をする時だ。

 瓶の中から一つ、小さな飴玉を取り出すと、レンコはそれを迷わず口に放り込む。コロコロと転がしながら、顎に手をやって、何かを考えているようだった。


「にしても不思議っスね。アンダースで空から落ちてきたなんて」

「レンコはどう思う?」

「どう、とは?」


 レンコは首を傾げた。


「壁上世界。そんなものがあると思うか?」

「無いっスね」

「即答か」


 頷くレンコ。ハルの先程の問いに、迷いも躊躇もなくそう答えていた。


「わたし、夢とか希望って言葉、一番嫌いなんスよ。無責任すぎて。だから、緑豊かで平和な壁上世界の伝説なんて信じてないっス」


 飴玉を噛み砕きながら、レンコはそう言った。幼い頃に両親を亡くしているレンコだからこそ、言える台詞だ。


 物資が乏しく、緑も貧しい。平和という言葉からはかけ離れたアンダース。対する壁上都市は、緑豊かで、溢れんばかりの物資に恵まれ、争いさえ存在しないとされている。過酷な世界を生き抜いてきたハルやレンコは、その妄想に縋りたくとも、信じられない状況にあった。夢や希望というものは、時に残酷だ。レンコの言う通り、この世界で一番『無責任』なのだから。


 『まあ……』と、ハルは口を開いた。


「そうすると、説明できないこともあるんだけどな」

「そうなんスよねぇ。そこが悩みどころで」


 二人して、ため息をこぼした。どこから来たのか、果たしてその正体はなんなのか、全てが謎に包まれたミカが、いったい何者であるのか。誰もミカのことに気が付いていないというのは、幸運であり、不運でもある。


「ま、取り敢えず、セイフが情報を掴んでる可能性はゼロなんで、そこは安心していいっスよ。わたしが言うんで間違いないっス」

「ああ。助かる。良い腕してるよ、レンコ」

「そう褒めないでくださいよ。わたし、好きでこんなことしてるんじゃないんスから」

「そういえばそうだったな」


 彼女が情報屋を営んでいるのは、セイフに管理されたこのオートという都市で、セイフの情報をいち早く掴み、常に優位に立つためだ。彼女自身、特にそれを趣味としているわけでもないし、望んでいるわけでもない。ただ、セイフの情報を求める者は多く、その対価を得て、生活を送っている。現に、ハルもこうしてここを訪れているわけだ。


 やれやれ。そういった風に、レンコはまたも大きなため息をこぼした。


「できることなら早いところ情報屋なんて辞めて、旅でもしたいんスけどねぇ。ここ、退屈ですし」

「その時は誘ってくれよ。俺も、この町には飽きたんだ」

「はいはい、考えておくっスよ」


 そう言うなり、ハルの用事が済んだことを悟ったのか、レンコは再び瓦礫の上に寝転がった。また睡眠に移るのだろう。彼女の邪魔をしないよう、ハルは早々に瓦礫の空洞から立ち去った。








 ハルが自宅地下にある工房に戻ってくると、ミカはソファの上でうたた寝をしているようだった。特に変わった様子はない。ハルの言いつけ通り、遺物を弄ることなく、大人しく待っていたようだ。その後、退屈で眠ってしまったというところだろう。


 ハルはミカに近付くと、その額に軽いデコピンをした。


「……あうっ」


 弱かったが、ミカが起きるのには充分な威力だった。ミカは目をこすりながら起き上がり、ぼやけた視界でハルを捉えた。


「あっ……ハルさん、おかえりなさい。いつお戻りに?」

「たった今。待たせたな」

「いえ、そんな……」


 ハルはその向かいに置いてあった椅子に座ると、レイガンや工具の入った鞄を置き、肩を回した。道具が色々と詰まったその鞄は、それなりに、重い。



「良い報せと悪い報せ、どちらから聞きたい?」


 そう切り出したが、中身は似たようなものだった。


「えっと……じゃあ、良い報せから」

「セイフは現状、あんたのことを知らない。外を出歩いても問題ないだろう。怪しくしなければ」

「じゃあ、悪い報せは……」

「セイフがあんたのことを知らない以上、今すぐに記憶を取り戻す手立てはない。乗り込むのは危険だからな」


 もしかすると、セイフにはミカの記憶を取り戻す手段や、彼女の元の記憶の資料があるのかもしれない。だが、それを確かめるにはセイフ自体に乗り込まなくてはならない。セイフがミカを知らない以上、外を出歩くことは可能だろうから、態々危険を冒してまで乗り込むことは控えた方がいい。無関係のハルならば尚更。


「オート(いち)の情報屋の話だ。それは確かなんだ。分かるか?」

「は、はい……でも、それって、全体的に見れば『良い報せ』なんです……よね?」

「まあ、そうなるな。今すぐにセイフが乗り込んできたりとか、そういうことはないだろう」


 ほっと一息つき、安心するミカ。追われていると聞いてかなり不安だったのだろう。一先ずは心配が無いと聞いて安心したようだ。

 ただ、そうなるとやはり困るのは、『ミカの記憶』だ。ここで暮らして長いハルが顔を知らないのなら、オートの人間ではない。加えて、空から落ちてきている。他の都市から来たとも考え辛い。唯一の手がかりが、彼女自身の名前ということだが、正直、それは何のヒントにもなり得ない。


「困ったもんだな。何も思い出してないか?」

「えっと……はい。まだ、何も思い出せません……」


 悔しそうにそう言うミカ。一番苦しいのは本人だろう。記憶も無く、見知らぬ土地に一人。見知らぬ人間に拾われ、孤独。元のミカがどうであったにせよ、辛くないはずがない。


 ハルは再び俯瞰した。何か手がかりがあるとすればセイフ。だが、本来無関係のハルがそこまでする義理はない。


 義理はない、のだが……。


「取り敢えず、安全だと分かったんだ。町へ出てみよう。可能性は低いけど、何か思い出すかもしれない」

「あっ、はいっ、分かりました! あの、何か持ち物、とか……」

「下手に遺物なんて持ち出せるわけないだろ。手ぶらでいいよ」


 手ぶらのミカを後ろに従え、地下から脱するハル。外に出ると、オートは相変わらず暗かった。



 廃材都市オート。古代文明の遺物が多く眠り、セイフに管理された町。また、現在『一級崩落指定』の町でもある。


 『崩落指定』というのは、砕いて言えば『崩落しかけている』都市だ。指定無し、三級、二級、一級、崩落済みの五段階に分けられており、数字が小さくなればなるほど崩落の度合いが酷い。セイフによる遺物の発掘がそこかしこで行われているこのオートは、崩落を寸前に控えていた。それでも尚、本来であるなら都市の維持を優先しなければならないセイフが遺物を発掘しているのは、恐らく、それ以外の『何か』を探しているからだろう。それが何なのか、特にこれといった興味を、ハルは抱いてはいなかったが。


 そんな一級崩落指定の都市であるオートの町は、随分と、荒れ果てている。ハルが住んでいる家などかなりマシな方で、家々の殆どは既に元の形を失っていて、道という道もその数を減らしている。ただ瓦礫が積み重なった荒地。廃墟と呼ぶに相応しいだろう。

 時折、大地がその重みに耐えられず、崩れ落ち、抜けることがある。大きさは様々で、そんな穴が、町中の至る所に空いている。


 その様子を目の当たりにしたミカは、言葉を失い、ずっと口を開いたまま、ハルの後ろを付いていた。


「これが……町、というものなんですね……」

「オートはもう、殆ど町として機能してない。無事なのはセイフの管理塔くらいだよ」


 町の中央にあるセイフの管理塔。古代文明の遺跡を元に改築されたあの場所だけは、オートの崩落が進む中でも無事だ。自分たちだけはいつも安全なところにいて、崩れゆく町と人々を嘲っている。セイフというのはそういう連中だった。


 今、ハルは特に当てもなく歩き回っていた。一つは、そもそも目的地など存在しないこと。もう一つは、様々な場所をミカに見せること。主にその二つの理由からだ。


「ああぁ……お恵みを……お恵みをぉぉ……」

「ひゃっ」


 オートを歩いていると、突然、ハルとミカの間にボロボロのローブを見にまとった老婆が現れた。老婆はハルには目もくれず、ミカを相手にこれまたボロボロの袋を突き付けている。記憶を失っているミカは、それをどう対処すれば良いのか分からず、慌て、ふためいていた。


「あ、あのっ……」

「消えろ、婆さん。そいつには何も持たせてないし、俺を狙ってる相方さんにも気付いてる」


 そんな老婆を一蹴した。老婆は自身の思惑がバレていることを知るや否や、小さく舌打ちをして一目散に立ち去っていく。歳の割には元気な足腰だ。


「行くぞ」

「は、はいっ……」


 再び歩き出した二人。ミカはチラチラと老婆の消えた方角を見ながら、恐る恐るハルに問いかけた。


「あの、今のは……」

「スリだよ。あんたに押しかけて、それを俺が止めている間に、もう一人が荷物を奪う算段だったんだろう」

「ああ、それで『相方さん』って……」

「ここじゃよくあることだよ。崩落が進んで、生きるためには手段を選べなくなってきた」


 ハルもレンコも、そういった行為には手を染めずに生きているが、中にはそういった闇に堕ちる人間もいる。このような狂った世界だ。それも致し方ない。が、何よりもタチが悪いのはそれを放置するセイフだ。町の維持を目的とした自治組織、だなんて、よくも言ったものだ。


「それより、先に進もう。今みたいなのは全部無視していい」

「わ、分かりました……」


 二人は足を進めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ