実験体の生活
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それなりの月日が流れた。太陽も月も空も見れず、どれほど経過したかは分からないが、だいぶ経過していたと思う。
その間に黒の一番の身体は人間を止めて、巨大な大岩程度ならデコピンで砕けるようになった。逆説的にいえばデコピンができなくなったとも言える。
「黒の一番、朝です。起きなさい」
実験体の朝は早い。いや、厳密にいえば今が朝かも分からないが。加えていえばレーヴェの起床も恐ろしく早い。こちらは熟睡していたところに突然、全身に激痛を伴う電気が走り、眠気も身体も吹き飛び起きざるをえないのである。
「がああああああああああ!! なんてことを! なんてことを!!」
「ワタシが二時間しか寝ていないというのにあなたは二時間三分も寝ているのです。業の深さを自らに言い聞かせて神に詫びなさい」
レーヴェは汚物を見るような冷徹な眼差しでこちらを一瞥し、不機嫌そうに尻尾を鞭のようにして地面をたたき付ける。スカートが酷く揺れ動いていた。
「はい。すぐに起きます! だからお願いだから電気をとめてくれ!」
黒の一番が絶叫にも近しい声で訴えると、レーヴェは嫌々ながらに要求をのんでくれた。
「今日はあなたの血を猛毒にします。浴びれば即死、数滴皮膚に触れてもじわじわと……苦しんで死ぬような、そんな素晴らしい機能をつけます。そのあとはさきほど適当に捕獲した闘狼と戦ってもらいます」
レーヴェの口から物騒な言葉が連発される。それもそのはず、ええ……、黒の一番は生物兵器だからです。元いた世界とは違い、モンスターや魔族がいるようで、そいつらの血やらなんやらがこの身体を巡っているというのです。そうしてレーヴェの手によって人間をやめました。
「はぁ……どこにいても変わらない。そう思うだろウィルソン」
黒の一番は深く嘆息し、唯一与えられた娯楽である立方体のぬいぐるみに話し掛けた。元いた世界の物のようで、ヨグ=ソトホースが買ったらしい。中央にハートが縫われた白と黒のぬいぐるみだ。でも彼はこんなファンタジーな世界だからか、特別なことに喋るようになったのだ。あるとき突然喋り、ウィルソンと名乗りだした彼は陽気に口? を開いた。
(衣食住は確保されているのが幸いだねハハハ。でもよぉ黒の一番さんよぉ。お前家の場所も両親の顔も覚えてねえじゃねえか。こいつに拾われてなかったら今頃精神病院だぜ? 本当になんも思い出せねえのか? まぁ確かによ。人を人と扱わないあの外道トカゲ娘は酷いと思うぜ。でもあの子はあの子なりに色々あると思うけどなぁ。なぁ、なんか思い出せないのか? お前が思い出さねえとオレも何も分からねえぜ)
「早く食べて付いて来なさい。それとぬいぐるみに話し掛けるのは止めなさい。あなたはどうしていつも動物とお話したりだとか、訳の分からないことを昔から――――」
「お前に俺の昔が分かってたまるかっつぅの」
「あ、いえ、これは夢の内容でした。あなたがあまりにも馬鹿だというのが悪夢となって表現されたのでしょう。反省しながらさっさと餌を食べなさい」
レーヴェが格子越しから朝食を投げ渡した。積み木みたいな見た目と硬さの、人間には食べれない何かである。味はパンなのでそこだけは幸いだろうか。
「【ヘイスト】」
レーヴェがそんな単語を唱えると、周囲の空気が震撼し、連動するようにこの体に力が纏った。おかげで羽のように体が軽くなり、動きが二倍速ぐらいになって行動の効率化が進む。
……この世界。魔族もいれば魔素なる酸素みたいな物質が色んな場所にあるらしく、体内にあるそれは人間の脳の働きと連動して、想像を現実にするだとか云々かんぬん。
「はー本当に便利でございますね。レーヴェ様。しかし食事ぐらいゆっくりとしたいなぁ。……したいなぁ」
皮肉を込めて無駄な敬語を使うと、彼女は露骨に不快感を露わにして、その冷淡な相貌に老婆のような皺を刻んだ。
「ならばワタシが付与した魔術を解けばいいでしょう。相反する力で相殺すればいいのです。これも訓練の一つです。共通した言葉に意味を込めて、この言葉を発すればこういう現象が起こると定めてしまうのです。世界共通イメージを、スキルを作るためにはあなたの努力が必要です。魔素を働かせるためには想像力を、まず第一にシンエーテル魔――――」
レーヴェは淡々と言い返していたが、狂った研究熱に火が付いたのか機械みたいな口調でペラペラと意味不明なことを言い始めた。彼女は説明下手で、結構な日数が経つはずなのにおかげでこの世界についてまだほとんど分からない。
黒の一番が無視して食事を頬張っていると、ウィルソンは嘲笑うかのようにレーヴェのことを好き放題いい始めた。
(せっかく見た目だけは愛らしいのにさぁ。いや? オレとしては好みだよ? あのひねくれすぎて腸捻転しそうな性格とかよ。端的にいって狂ってる。何かに必死になりすぎというか、冷静っぽいキャラ作ってるけどなりふり構わずって感じだよな。でもああいう奴がデレたらめっちゃいいんだろうなぁ。まぁ、人体実験とかしてくるけどよ)
ウィルソンの言うとおりだった。流石といったところか。あるとき突然喋りだしたかと思えば、まるで心を読んでいるかのように流暢に話すのである。
「分かってるなウィルソン。お前は俺のズッ友だからな」
「……なにか失礼なことを考えてはおりませんか?」
「ははっ、まさか」
黒の一番は乾いた笑いを発しながら朝食を食べ終えると、レーヴェの人体実験を受けるべく大人しく連行されていった。