08 象牙の塔の前で
次にメルが足を運んだのは象牙の塔。
白レンガを積み重ねて出来た塔で、その高さは城壁よりも高い。メルが旅すがら聞いた話によると、この塔は中に『王立魔法研究所』や、幾多の高名な魔術師を輩出した『魔術学院』があるという、この国の魔術に関しての最高学府。
どれほどの使い手がいて、師事するに値する人物はいるかどうかをメルは偵察したかったが、この塔は何とも言えず入りにくい雰囲気がある。
この塔の周囲は黒いマントを羽織った魔術師然とした風体の者ばかりだ。一方、メルは例によって愛らしいレースのブラウスにリボンのついたスカート。明らかに周囲から浮いている。
メルが一人頭を抱えていると後ろから声をかける者がいた。
「あなたも学院の試験を受けにきたの?」
メルより頭一つ分、背の高い少女だった。亜麻色の長い髪に白のコサージュをつけていて、胸は春の息吹のごとく揺れる。切れ長の目は知的で大人びた印象を与えていて、物腰にも気品がある。あと二年もすれば誰もがふりむく美人になるだろう。
黒いマントを羽織っているということはこの少女も魔術師、いや年齢から言って見習いか。
「受験?」
「一週間後に『魔術学院』の試験があるの。だから貴女も受験の下見に来たんじゃないの?」
「へぇー知らなかった」
「ほんと?あなたの魔力のオーラ、すごいからてっきり受験生かと思っちゃったわ。ここの魔術学院は名門で倍率が高いから」
「ちょっと迷ってるけど、ボク、学校ってきらいだからどうしようかなーって」
「ふーん。私は代々魔術師の家系だから親に受けさせられるの。どうせ意味ないのに……」
「え……?」
「ううん、こっちの話」
「あ、いけない。自己紹介がまだだったわね。私はティシエ・フォン・ランスター。魔術師見習いよ」
「ボクはメル・レンシア。平民で魔術をちょっとかじってる程度だよ」
自己紹介を終えると、ティシエはメルのほほにそっと手を伸ばし、かすかに指で触れる。
「ちょっとティシエ、なに?」
「あ、ごめんなさい。メル、あなたってすっごくきれいなお顔しているわね。お人形さんみたい」
ティシエは顔を赤らめてパッと手をはなした。メルも乙女ちっくな容姿をほめられてほほを熱くする。
「そういえばあなたいくつ?学院の試験の年齢資格は十二歳から二十歳だけど」
「今年で十二歳。ティシエは?」
「あら、よかった。じゃあ試験を受けられるわね。あ、私も今年で十二よ」
メルはおどろき、そして嘆いた。同い年とは思えない体格差があった。胸や足の長さなどはともかく、背の高さの差には神を呪わずにはいられなかった。
「へー、メルはご家族で王都に引っ越してきたばっかりなんだ」
「うん、今日は王都を散策してたんだ」
メルはティシエに町を案内してもらうことになった。露天でクレープを買って食べながら歩く。
やばい。すごい女の子っぽいことしてる。女の子と二人でクレープ食べ歩きって。なにこれ恥ずかしい。でもクレープおいしい。ぺろぺろ。いや、違うんだこれは。田舎じゃこんな甘いオヤツなんて売ってなかったから、前世に思いを馳せるために食べているだけであって、決してこんな女の子が好きそうなオヤツが好きなわけじゃない。
メルは胸中で必死に自分に対し自己弁護していた。するとティシエの手がメルに伸びてくる。その手はメルの口元をさっとぬぐう。
「クリームついてたわよ。ふふっ」
「あ、ありがと……ティシエ」
メルの気も知らずにティシエは観光案内を続ける。町の東の大きな広場にやってきた。
「ここではお祭りや催しものが開かれるの。特に七月に開かれる剣技大会は国中の騎士たちが集まって剣技を競うのよ」
「へぇー、見てみたいなぁ」
「その時はサーカスも来て珍しい動物が見れるの。火吹き鳥とか虹色のたてがみを持つ獅子とか」
「うわぁ、楽しそう」
ティシエはいかにも貴族令嬢といった見た目だが、気取らないいい子で物腰が柔らかくて、なんだかいい匂いがして、話も面白い。メルはティシエに好意を抱いた。
メルにとっては初めての友達だった。普通の女の子らしい女の子の。生まれが生まれなだけにぼっちなのは仕方ないと思っていたが、こうやって仲良くしてくれる女の子と隣り合って歩くと心に温かいものが広がる。
リズベルも友達だが、騎士騎士していて女の子らしさに欠けていた。さらにそうそうにマリルに毒されてしまったから、メルからすると警戒の対象でもあった。
やがて夕暮れになり、石畳がオレンジに染まる。
「いけない。そろそろ帰って試験勉強しないと。また今度遊びましょ。メルも勉強がんばってね」
「いや、ボクはまだ受けると決めたわけじゃ……」
「だめ。もったいないわ。まだ出願受け付けてるはずだから、出しにいきましょう」
「ムリムリ」
ティシエはメルの手をひっぱるが、それほど力は入れない。ただスキンシップをとりたいだけなようだ。メルも笑いながら軽く抵抗してみせる。端から見たら仲のよい普通の女の子同士に見えることだろう。
そうやってじゃれ合う二人に声をかける少年がいた。
「お、ティシエじゃないか。こんなとこで油売ってていいのかい?」
少年は背が高いが、顔つきが幼く、声も高い。メルやティシエとそれほど歳は変わらないだろう。そのわりにはきっちりと髪をなでつけ、香水の匂いをほのかにただよわせている。マセた貴族の子弟といった感じだ。
「ニコライ……。あなたには関係ないでしょ」
「おいおい、婚約者に向かってそれはないだろう?」
メルはおどろいて二人を見比べる。貴族、婚約。異世界のような話だと思い、そのあとそういえば異世界にいることに気づく。
「君にはほっつき歩いているヒマなんてないだろう?学院の受験勉強しなくていいのかい?」
「ふん、余計なお世話よ。あなたこそ勉強しなくていいの」
「僕が勉強?元学院の家庭教師が『合格どころか首席合格間違いなし』って太鼓判を押してくれたよ」
「そう、よかったわね」
ティシエは腕を組み、ニコライには決して視線を合わせようとしない。彼のことを嫌っているそぶりを隠そうともしない。今の話ぶりからするとこのニコライも学院の受験生のようだ。そして魔術師としての才能に恵まれている。
「まっ、僕としてはティシエ、君は最悪、学院に落ちても他の二流の学校でもいいけどね。君に求めてるのはその容姿と体面が悪くない程度の学歴だけだから」
「おっと一番重要なのを忘れてた。『家柄』だ。ははっ」
「っ……!」
「まったく、貴族社会も大変だよな。実力があるだけじゃ上に立てないなんて」
「おかげで僕の家のような下級貴族は富と実力があっても、君のランスター家のような過去の栄光だけで生活しているような人たちのご機嫌を取らなきゃならない」
「借金のカタに娘を売るような人たちが貴族だなんて。そんな人たちに政治を任せていたら国が滅びてしまうよ」
「お父様とお母様のことを悪く言わないで!」
どうやら没落しかかったランスター家は、成金のニコライの家に娘を嫁がせるつもりのようだ。ランスター家は金を得て、ニコライの家は爵位を得る。両家が得をする。ティシエのぎせいによって。
「だって本当のことだろう?」
ティシエの反論にもどこ吹く風でニコライはせせら笑う。
「ちょっといいですか?」
二人を黙って見ていたメルが声をかける。
「ん、なんだい。君は」
「ほう……。その発音からして田舎者だろうけど、可愛いじゃないか」
メルの容貌を見てニコライは顔色を変える。
「ティシエが嫌がってるから、やめてあげてください」
「ぼくの婚約者をどう扱おうがぼくの勝手さ」
「力なき者は力ある者に支配されるのが世のことわりなのさ」
「むっ、君も魔術師か。それもなかなかの魔力だ。君も学院の試験を受けるのかい?」
「はい」
「そうか。なら力を示したまえ。試験の結果は順位で張り出される。君の頑張り次第では言うことを聞いてあげないでもない」
「じゃあ、ボクが首席合格したらティシエには今後一切近寄らないこと。婚約も破棄すること。これでどうですか」
ニコライは一瞬、あっけにとられた。そして高らかに笑い出す。
「は、……はーはっは!平民は面白いな。発想力が豊かだ」
「いいだろう。君が首席合格したら君の言うとおりにしよう」
「その代わり、僕が首席合格したら君に僕の愛人になってもらうよ」
「ふふっ、いいですよ」
メルは艶然とほほえんでみせる。
「よし、交渉成立だ。忘れるんじゃないよ」
ニコライはキザな仕草で手を振ったあと、去って行った。
「メル、だめよ。ニコライは天才なの。家庭教師も数ヶ月で追い抜いちゃうくらい魔術の才能にあふれてるの」
「気持ちはうれしいけど……。私のために、メルまであいつの愛人になっちゃったら……」
「だーいじょうぶ。ボクに任せておいて」
メルはすっかりやる気になっていた。あのニコライから初めての友達を守るのだ。
メルの見立てではあのニコライはメルの七歳当時の魔力にも満たないので特に問題はない。
メルが家に帰るとザックスが帰ってきていた。
「やあ、メル、お帰り。『魔術学院』のパンフレットもらってきたぞ。ここにしなさい。名門で倍率が高いらしいけどメルならきっと受かるから」
「うん、受ける」
「まあそう言わずに……え、受ける?そ、そうか。ついに魔物学者になる決意を……父さん、うれしい」
メルは泣いて喜ぶザックスを尻目に、魔術の教本を買うため再び町にくりだした。