43 塔の戦い
兵士は目を見開きメルの顔をのぞきこんでくる。その表情はどこか虚ろで不気味だった。
「くっ……!『ウィンドブラスト』!」
メルはとっさに風魔術で兵士を吹き飛ばす。兵士の体はもんどり打って壁に叩きつけられた。
しまった。メルは思わず加減を忘れて魔術を放ってしまった。通常の人間が受けたなら内蔵が破裂するくらいの衝撃だ。
「ぐ、おおお……!!」
しかし兵士はゆっくりと立ち上がり、血ヘドを吐きながらメルに猛然と襲いかかる。メルは肝を潰しながら少し加減して再度『ウィンドブラスト』を唱える。兵士は今度こそ動かなくなった。
タフさや狂信、の類ではない。何かに強制的に操られている印象を受けた。
メルがまだ不意を衝かれてバクバク言っている心臓を鎮めようとしているとかすかな羽音が聞こえた。
「虫……!?」
ごく微小な羽虫がメルの周囲を監視するかのように浮遊していた。一匹だけでなく数歩間隔に存在して、廊下の向こうまで続いている。
メルはその虫の道筋をたどり、通路を行き、発生源である扉を開ける。
部屋には十人ほどのメイドがいた。豪奢な作りでもとは王族が使用していたものだった。高価そうな絵画や壺などが品よく配置され、天蓋付きベッドが中央を占める。
その天蓋付きベッドには太ったチョビ髭の男がメイドに膝枕をされて横たわっていた。
この男が議会派の総裁トロストだ。闖入者であるメルの姿を見ると身を起こし、わめきだす。
「な、なんだ。賊ってのはこんな小娘か。おい、サリム。早くひっとらえろ!」
部屋の隅でソファに横たわっていた男は立ち上がり、メルにからかうような声を投げかける。
「よう、嬢ちゃん。俺の操虫術は気に入ってくれたかい?」
「お前が虫の使役者か。なるほどそれっぽい顔してるな」
「ひゅ~。言うねぇ。嬢ちゃん」
男は口笛を鳴らす。
「さて一応、自己紹介しておくか。俺は『千操虫』のサリム」
「嬢ちゃんはヘクサメトロス、とか言ってたな。魔術名だろうが」
男は褐色の肌に頭には白いターバンを乱雑にまきつけ、身も白い布を腰と肩に緩くかけ
その下に軽装服が見える。名前と服装からして南部の砂漠国の出身だ。
「『業魔』ってのはいいもんだぜ。『ジェスター』さまのおかげで虫の性能が段違いにあがった。今まで人間を操るのに虫が二十匹は必要だったのが、五匹で済むようになったからな」
「『ジェスター』?そいつがお前らの黒幕か」
「ああ。だがお前には関係ないことさ。これから死ぬんだからな」
メルは手をかざし、余裕をこいているサリムめがけて魔術を放とうとする。
「『ウィンドブラ……』!」
「おおっと、そんな魔術、放っていいのかぁ?この子たち相手によ」
サリムの言葉と同時に部屋の隅に控えていたメイドたちがサリムの前に躍り出て壁となり立ちふさがる。
その動きは異様なまでに俊敏だった。見れば操り人形のように体の部位の連動性がおかしい。体内に入ったサリムの虫によって肉体の限界を超えて使役されているのだ。
「俺の虫が入ればかわいいメイドちゃんたちも、凄腕の戦士に早変わりよ。お前のゴーレムよりよっぽどな」
「見てたぜ?マルヴィナにとどめをささないのをよ。敵でさえああなんだから。なーんの罪もないメイドちゃんたちに手をかけるなんてありえねぇよなぁ?」
サリムはメイドの一人の髪の毛をいじくりはじめる。メイドたちは意識だけはあるのか、恐怖に顔を凍らせている。
「ありがたい」
「あ?」
「お前みたいなクズが相手だとやりやすくてありがたいって言ったんだよ」
「『ゴライアス・部分錬成:アーム』!」
メルは両腕をかかげ、土の巨腕を生み出す。振りかぶった拍子に腕は天井や壁を突き破る。
「ふん、ハッタリはやめろ。お前にこの子たちを攻撃できるわけが………」
「『攻性マジックバリア』」
メルが静かに呪文を詠唱するとメイドたちは糸が切れたように床に倒れ伏す。
『マジックバリア』は本来は防御魔術だが、メルはゴブスの魔術を真似て、敵の魔術の解除手段として使用できるようになっていた。
当然、付け焼刃なので『業魔』クラスの相手には効かないが、メイドたち自身は魔力を発しているわけではないので簡単に効力が体内に浸透し、魔力で操っている虫を無力化できたのだ。
「クソがっ!!だが俺の虫のほうが速ぇ!!『サウザンドスウォ-ム』!!!」
サリムの手ぶりとともに虫の群体が凝集してパリスタのようにメルを狙い穿つ。群れ全体を強大な魔力が覆っているので『マジックバリア』も通じない。
しかし虫の群れはモーゼの十戒のように二手に分かれ、メルを避けていった。虫は部屋の壁を食らい、そのまま直進し、見えなくなった。
「なっ……!?」
メルが風魔術で虫の平衡感覚を狂わせる高周波を出したのだった。
「バ、バカな……!業魔となったこの俺の渾身の魔力を込めた虫を、詠唱の片手間でいなせるわけが……!」
サリムは目を見開き、驚愕する。
巨大なゴーレム・アームと『マジックバリア』、そして今の風魔術、この三つを同時に展開できるなどありえない、あってはならないことだった。
目の前の銀髪の少女の魔力はマルヴィナとの戦いで『サーチ』により観測していた。しかし今はそれを大きく逸脱している。
「お前の術が……!!一番なまっちょろいぞッ!!」
土の大槌がサリムに振り下ろされる。
「ぐはっ!!」
どごんと鈍く重い音を立て、サリムの体は床にめりこんだ。
サリムは虫の息になりながら、今起きている事態が信じられないといった様子でメルを見る。
そしてようやく気づく。自分がメルをおびき寄せたと思っていたが、逆にメルにおびき寄せられていたことに。
メルは昼間の王族処刑偽装など一連の行動から、リーダー格のこの術者は勝利を確信しないと姿を現さない卑劣な性格であると見抜いていた。
サリムに脅威であると見られて逃げられないように、わざと力をセーブして、虫に操られた兵士にゴーレムを破壊させてみたり、マルヴィナに苦戦してみせたのだ。本来ならメルの相手にすらならない敵だ。
「ば、ばかな……。ごぼっ……こんな、こんな圧倒的な魔力、と精神集中が……」
サリムは以前は中級の位階の魔術師で殺人や窃盗などを繰り返している暗黒魔術師だった。
しかしある時、刺客が差し向けられる。『魔術師狩り』の一族ウィンザスター家の分家の者だ。サリムは惨敗を喫し、片腕を失いながらもなんとか逃げおおせる。
その後、ジェスターに拾われ、彼にによって業魔手術を受けた。適合率が高く、サリムの魔力は飛躍的に上昇した。そして魔術師狩りの男に復讐を果たし、これを嬲り殺しにしている。
サリムは全能感に満たされた。
ウィンザスター家の魔術師狩りは例外なく全識魔術師だ。最高位階である全識魔術師を凌駕する自分を寄せ付けない相手などいるわけがない。その思い違い、自身への過信の代償を今から支払うこととなる。
メルはチェストに置いてあったブランデーを取る。
「お、おい。なにしてる。や、やめろ」
トロストは顔面を蒼白にし、メルを止めようとする。
メルはそれを無視し、きゅぽっとブランデーのふたを開けるとサリムにぶちまける。
「ぎゃああああああ!!!!」
サリムが操る肉食虫は酒と血を好む。虫は主をそのままエサとし、食らい尽くす。メルはさらにそこに火を放ち、虫も処分しておく。
「さて、次はお前だ。お前が議会派総裁のトロストだな」
「ひっ……!」
トロストは自分が頼り、そして何よりも畏れていた男が呆気なく始末されたのを見て、恐怖におののく。目の前の美しい少女が地の底からの使者のように思えた。
「ひっ、ひいいいい!違う、ワシはやつらに言われるままに動いただけなんだ。ワシはなにもしとらん」
「黒幕はだれだ?『業魔七騎』のボスのジェスターってのは何者だ?」
「……」
「今、死ぬか、そいつらに殺されるのどちらがいい?」
「わ、分かった。パ、パルメアだ。パルメア王国がワシら議会派の活動を援助してくれたんだ。『業魔七騎』もパルメアから送られて来た」
「『パルメア』……!そうか、ようやく見えてきたな」
パルメア王国。ロッドラン王国に次ぐアルトリス同盟の中で第二の強国だ。西のパルメア、東のロッドランと称される。
尋問は事が終わってからじっくりすることにし、『土の堅牢』でトロストを捕縛しておく。
メルは次の目的地へ向かおうとした時、部屋にとある人物が入ってきた。
「あ、あなたは……!?」
メルはその人物と会話したあと、別れてそれぞれ移動を開始した。
時を戻すこと一時間ほど。メルがアサシンの少女と戦っているころのこと。
リズベルたちは最小限の戦闘で塔の入り口までたどりついていた。ここにアマリアの家族である王族が囚われている。
「思ったより兵が少なかったな」
「ええ、メルさんが兵たちを引きつけてくれているおかげです」
ナッツは塔の入り口の扉をハンマーで叩き壊す。
塔に詰めていた兵士が襲いかかってくるも一行はなんなく斬り伏せる。
アマリアもみなのあとを後ろからついていくが、ふとその足がふらつく。それをデーニッツが支える。
「アマリアさま、しっかりしてください」
「ええ、大丈夫です。デーニッツ」
ここ数日間の慣れない旅路の疲労と、現在の闘争の場に身をさらす緊張から極度の疲労に陥っていた。家族との再会の希望だけがアマリアの細い体を突き動かす。
「この階にもいないわね」
「おそらく最上階である五階に囚われているのでしょう」
二階まで上がってきたところで、窓から外を見ると兵士の一団がぞろぞろとやってきた。
「くっ、悟られたか!ここは私が食い止めましょう!」
デーニッツが殿を買って出るもクーデリアがそれをさえぎる。
「いえ、デーニッツさまは傷が癒えておりませんでしょう。ここは私が一人で対処します」
「みんなで残ったほうがよくねぇか?」
ナッツの問いにクーデリアは首を振る。
「いえ、私が全力で聖槍斧を振り回すとみなさまも傷つけてしまいます」
「分かりました、ではここはお願いします。クーデリアさん」
「ええ、必ずみなさまのあとを追いますので」
クーデリアを残し、一行は四階まで上がってきた。下の階とは違い、開けた部屋が一つあるのみだ。明かりはついておらず、大きな窓から月明かりが差し込んでいる。
警備の兵士はいない。五階へ続く階段を反対側に見つけ、一行は喜色を見せる。あの階段を上れば目的を達せられる。
「みなさん。止まって!」
リズベルの大きな声で他の者はストップした。
「ん。んん……。」
階段の暗がりに座っていた男がぴくりと動きだし、まるで寝起きのような声をあげる。
「お、来たか。ふむ、なんだったか。……国王派?いや議会派だったか。まぁ、どちらでもよい。強者と死合えるのなら」
暗がりから出てきた男は蒼黒の全身鎧を身につけ、表情は深い闇の中に閉ざされうかがい知れない。右手には身の丈ほどありそうな禍々しい剣を持ち、床にひきずっている。ギリギリと剣と床で奏でる不協和音が死への葬送曲のようだ。
一同の肺が死の空気で満たされる。武術を解さないティシエやアマリアにも一目で分かった。
目の前の騎士は『ブラッドナイト』。
伝説によると、多くの命を食らった剣士がその怨念により狂化した戦士。ただ命を求め、この世をさまよう悪鬼。
「みなさんはヤツに決して近づかないでください」
リズベルに言われるまでもなく、他の者は恐怖に呑まれて男を直視することすら叶わない。
「ふむ、我を前にして正気でいられるか。よく訓練しておるようだな」
「我は『魔装』のユークリッド。今は『業魔七騎』に身を置いておる。業魔ではないがな」
「私はリズベル・フォン・ヴァイデンフェラー。ゆえあって旗印はかかげられません」
「よい、我とて似たようなもの。剣を振るえるならどこでもよいのだ」
「いざ、尋常に」
二人は互いに剣を脇に構える。そして跳躍し、一気に間合いを詰め、剣と剣をぶつけ合う。
「おお!?」
「はあああああ!!」
鎧の男、ユークリッドは驚愕の声を上げる。リズベルの家伝の宝剣オースキーパーのエンチャント効果『すべてを切断する』が発動したからだ。
禍々しい魔剣は宝剣と交わったかと思うとすっと紙切れのように切断される。
そしてリズベルは剣をそのまま振り抜く。その剣筋はユークリッドの鎧の胸甲をそぎ落とした。しかし肉体へは届かず、ダメージはなかった。
ユークリッドは意表を突かれ思わず距離を取る。リズベルは追撃しない。いやできなかった。
「素晴らしい宝剣だ。そうか。イースタン王の親衛隊の家系に伝わる宝剣だったか。腕もいい。我でなければ死んでいた」
「はぁはぁ」
余裕があるのは剣を半ばで折られたユークリッドのほうだった。対してリズベルはすでに肩で息をするほど疲弊している。
「さぁ、どうした。来ぬのならこちらから行くぞ」
ユークリッドが剣を振り下ろす。その迅さ、剛さ、リズベルはかろうじて受けるのが精いっぱいだ。腕力と体重の差により大きく吹き飛ばされる。
リズベルが持つ宝剣オースキーパーはすべての物体を切断する効果は常に発生しているわけではない。
発動条件はこうだ。
刃の部分でしか発動せず、剣の腹の部分では発動しない。さらに使い手が刃が対象に触れたことを意識下で認識しなければならない。
つまり訓練の賜物によりほぼ反射的にユークリッドの剣撃をしのいでいるが、それでは切断効果は発揮されないのだ。防御ではなく攻めに転じなければならない。
ユークリッドは初撃でそれを見切り、リズベルの剣の刃に触れないように攻め立てる。それが可能となるのはユークリッドの凄まじい技量によるものだ。
リズベルがわざと脇腹にスキを作りユークリッドの剣を誘い、その剣の切断を試みる。
しかしユークリッドはそれを察知し、剣筋を急激に変えた。逆袈裟に斬り上げられた剣筋はリズベルの胸甲をえぐる。
「ぐあっ!!」
ユークリッドの剣もエピッククラスの魔剣だった。もしリズベルがダンジョンで手に入れた『隕石鉄の鎧』を着ていなければ命を奪われていただろう。
剣の性能差ではリズベルに圧倒的なアドバンテージがあるが、それをもってしても勝負にならないほど二人のレベル差はかけ離れていた。
ティシエはリズベルの苦戦に加勢できないのを歯噛みする。どうしても体が動かないのだ。
それはナッツ、デーニッツ、アマリアも同じだった。数日間の旅でお互いに仲間意識が生まれていたので体を張ってでも助けに向かいたかった。
しかし何かに押さえつけられたかのように体が重く動くことができず、さらに冷たい感覚が全身を侵し生命力を奪っていく。
ブラッドナイトの常時発動スキル『死の冷気』がこの広間を満たしているのだ。レベルの低い者の生命力を問答無用で奪っていく。
そこに誰かが階段を駆け上がってくるのが聞こえた。扉を開いて現れたのはクーデリアだった。
「みなさまっ。お待たせいたしました。み、みなさま。お怪我を?」
「クーデリア、リズベルを助けてあげて……」
一目で状況を察したクーデリアはこくりとうなずくと、武器を構えユークリッドに襲いかかる。ゴーレムであるクーデリアにはあらゆる精神状態異常が効かず、この場でも活動を制限されることはない。
跳躍し、全身をしならせ、聖槍斧アラドヴァルをユークリッドの脳天めがけ全力で振り下ろす。
「ハアッ!!」
「ぬぅ!!」
ユークリッドは腕甲で覆われた手で聖槍斧の刃を掴む。踏ん張ったユークリッドの足元の石床が衝撃でバコッと陥没する。渾身の一撃を軽く受け止められたクーデリアは目を見開く。
「なっ……!?」
「これは……!聖槍斧か!……キサマ如きが手にしていい『十二聖武具』ではないわ!」
ユークリッドは武器を受け止めたまま左脚を振り上げ、クーデリアの腹に一撃を見舞う。
強烈な足蹴りを食らったクーデリアは吹っ飛ばされ壁に激突する。クーデリアはガクッと首を垂らし気を失う。
高いステータスと最高の武器を有していても、攻撃が単純すぎたためクーデリアは文字通り一蹴されてしまった。所詮、ゴーレムは兵士にはなれても戦士にはなれないのだ。
頼みの綱のクーデリアもあえなく敗退を喫し、絶望が一同を支配する。
ユークリッドは受け止めた聖槍斧をそっと床に置くと再びリズベルに剣を向ける。
わずかだが、ユークリッドの動きが鈍った。クーデリアの一撃を受け止めたさいに左腕を負傷したのだろう。
しかしリズベルはそれ以上に消耗していた。ついにその剣が弾き飛ばされる。床をカラカラと音を立て転がった宝剣オースキーパーは光を失い、沈黙する。
「なかなか楽しめたぞ、娘よ。冥土で誇るがよい。我とまがりなりにも戦いが成立したことを」
ユークリッドは満足げに語り、剣を振り上げた。
その時、
「やめなさい!」
と叫びながらアマリアが躍り出る。両手を広げてユークリッドとリズベルの間に立ちはだかる。
「ほう、我の圧を前にして動けるとは。流石は王女というところか」
しかしその体は震えていた。恐怖を押し殺し、なんとか踏みとどまっているのだ。
「うぬだけは生かしておくよう言われておる。どけい!」
「それはいいことを聞きました。ならば絶対にどくわけにはいきません」
アマリアは気丈にも言い返した。ユークリッドの殺気が膨れ上がる。
「小娘。あまり我を怒らせないほうがいい。我の契約とうぬの命、どちらが重いか試してみるか?」
彼は何らかの契約により、この塔を守っているようだが、ブラッドナイトを前にしては契約など羽毛よりも軽い。そして人の命も。
そこにティシエとデーニッツが立ち上がりアマリアを支える。ナッツもユークリッドの足にしがみついている。が、ぼごっと蹴られてこてんこてんと数m吹っ飛ぶ。
「なぜ立ち上がる?寝ていれば苦しまずにすんだものを」
「お姫さまががんばっているのに這いつくばっているわけにいかないわ」
ティシエの言葉は気丈だが、立つ足は震え、力がない。ぽんと一押しされただけでくずおれるだろう。
「仲間だの、かばい合うだの、くだらん。弱き者が戦場を汚すな」
そう言ってユークリッドは剣を振り上げる。その魔剣の周囲に亡者の霊魂が渦巻き、獲物を欲する慟哭を発する。これが魔剣の真の力だった。この亡者の剣に斬られた者は同じく亡者となり、永遠にこの世をさまようことになる。
その時だった。
「仲間を思う心、粋じゃないか。ええ、ユークリッドよ?」
どこかから声がしたとか思うと、大窓を突き破って人影が塔の中に入ってきた。
その男が現れただけで、場を覆っていた死の空気がさあっと波が引くように消えていった。
「あ、あなたは……」
それはメルたちがミルグラードの酒場で酒をおごってやった老剣士だった。ボサボサの白いヒゲをたくわえボロボロのマントを着ているが、その立ち姿は歴戦の剣士のそれだった。
その姿は見たユークリッドは驚きの声を上げる。
「ゲオルグッ!貴様、なぜ、ここに!」
「一年前、アルトリス地方随一の騎士がただ一刀の下に討たれたとウワサで聞いた。その死に顔はまるで魂を吸い取られたかのようだったという。するってえとユークリッド、お前さんの仕業に違いあるまい」
二人は旧知の仲だったのか、言葉を交わし合う。
「ゲオルグ……!?もしやあの『剣の定位』序列第四位『剣仙』のゲオルグ卿……?」
リズベルが驚愕の声をもらす。数十年前、王立騎士団の中でも最も誉れ高い騎士として名を馳せた人物の名前が出てきたからだ。
「その称号はむずがゆいからやめてほしいんだがね」
ゲオルグは剣を抜く。金細工の竜の柄頭に真っ赤な刀身。竜の牙を素材とし、竜の血で鍛造された『竜血剣』だ。
そしてユークリッドへと剣先を向ける。その清澄なる剣気を受けただけで並みの剣士なら敗北を悟り、剣を降ろすだろう。
「さて、後輩を傷つけてくれた礼をしようじゃないか」
ゲオルグは猛烈な剣撃を見舞う。折れた魔剣で受けたユークリッドはこらえきれず、背中から壁に激突する。
「ぐふっ!」
「ユークリッドよ、どうした?数十年前より弱くなっておらんか?肉体が合わんのか?」
ユークリッドはそれには答えず、呪文を紡ぎはじめる。その周囲に霧が立ち込める。闇の魔術を用い、逃げ出す算段だ。
「おいおいユークリッド。剣を交えたのならどちらかの剣が相手の身を貫くまでやるのが筋ってもんだろう」
「ふん。ゲオルグよ。貴様を屠るにはこの肉体も、この折れた剣も、そしてこの場もそぐわぬわ」
「そうかい?ワシは構わんがね」
ユークリッドはゲオルグが破った窓からすっと身を投げ姿を消した。緊張していた空気がようやく弛緩する。
リズベルは剣を杖に立ちあがりゲオルグに礼を言う。
「ご老公、ありがとうございます」
「酒の礼さ。と言ってもこっちは元からアイツに用があっただけだがね。それより目的を果たしたらどうだい」
「さぁ、参りましょう、アマリアさま」
アマリアはデーニッツに支えられ、よろよろと階段を昇る。そしてついに離ればなれになっていた家族と出会う。少しやつれていたが、虐待を受けていたわけではなさそうだった。
「母上、ヨゼフ、カール……!」
「アマリア、無事でしたか……!よくぞ、ここまで……!」
「姉上……!」
親子たちは抱きしめ合い再会を喜ぶ。末っ子のカールは寝ていた。他の者も再会を喜ぶ。しかしそれに水を差されることになる。
「お、おい。みんな。外を見ろ!」
ナッツの言葉に一同が窓から塔の下を見下ろすと、兵士たちがこの塔のまわりにびっしりと詰め寄っているのが見えた。
「ふっふっふっ。賊どもめ。逃がさんぞ。あの小娘め、痛い目見せてくれるわ」
議会派の総裁トロストだった。メルの『土の堅牢』で閉じ込められていたが、メイドを脅しハンマーで壊させ脱出を果たしたのだった。
トロストは知恵をしぼり、賊、メルたちの第一目的が王族の救出であることを見抜いた。そこでトロストの居室から塔に向かうまでの道中、兵をかき集めながらやってきた。
「ふっふっふっ。さぁ観念して投降しろぉ!」
「そ、そんな……」
一同には戦うどころか逃げ出す力さえも残っていない。ゲオルグもこの人数を相手にはできないだろう。
しかしゲオルグはにっと笑った。
その瞬間、兵士たちの頭上にバアッと照明が炸裂した。トロストは顔を腕で覆いながら叫ぶ。
「な、なんだ!?」
「観念するのはお前だ」
「なっ……!?」
トロストの兵の一団の周りにさらにそれより大勢の兵士たちが武器を構えていた。指揮を執るのは国王の側近だ。メルもかたわらにいる。
少し前、メルはサリムを倒したあと、塔に向かいリズベルたちを助けようとしたが、トロストの居室でゲオルグと出会い、その役目を彼に託し別のことをすることにした。
そして自身は地下牢に向かい、囚われていた前国王の側近たちを解放し、兵士たちに国王派への支持を訴えさせた。
そしてそれは成功した。警備隊長が国王派に寝返ったからだ。
トロストが引き連れた兵たちはがらがらと武器を地面に落とし、降伏の意を示す。
トロストが打てる最善手は、王宮の守備をつかさどる警備隊長をがっちりつかみ、絶え間なく指示を飛ばし状況を把握しながら、兵士たちに議会派が優勢であることを示すことだった。
しかしいらん知恵を働かせ、塔に向かうことを優先してしまったので、悪手を踏んでしまった形となった。
こうして王宮の奪還、及び王族の救出は成功した。
市街地ではこの騒動で蜂起した国王派と議会派の兵の小競り合いが続いているが、王宮を国王派は奪還したことを触れ回れば、おのずと事態は収束するはずだ。
朝日が昇ってきたころ、国王派は間髪入れず、議会派の幹部たちの屋敷を襲撃し、これを逮捕した。
ここについ議会派政府は倒れた。