03 旅立ち
ゾンビ伯爵ヴァイグルの襲来から一年後の春、転機が訪れた。メルは十一歳になっていた。
王都の貴族から姉のマリル宛てに招聘の依頼の手紙が来た。送り主、パヴァーヌ夫人の元で働いてみないかとの誘いだ。マリルの仕立てた服が王都の貴族の目に留まったのだ。
手紙が届いた時、マリルは歓喜の涙をこぼした。
メルも我がことのように喜んだ。マリルが母親代わりに家事をしながら、この村の主要産業である衣服の仕立てに寝る間も惜しみ、精を出していたことを知っているからだ。
「お姉ちゃん、よかったね。尊敬」
「ありがとう、メルちゃん」
「父さんも鼻が高くなりすぎてお隣さんの家にまで伸びちゃいそうだよ」
「……うん」
「急にテンション低くならないで!?」
マリルだけを王都に送り出すのは不安。さりとて招聘を断るのも幸運の女神の前髪を逃すようなもの。となると残る道はただひとつ、一家揃って移住しかない。
「ふ、私も陛下直属の剣士だったが、膝に矢を受けてしまってな」
「こらお父さん、適当なこと言わない。メルちゃん、信じちゃうでしょ」
いや全く信じないけど。苦笑しながらメルは父と姉のやりとりを聞く。
「……」
流石に十一年住んだ家を去るのは寂しいものだ。荷造りが進み、家の空きスペースが多くなるとそう思えてくる。メルの心を寂寥が覆う。
「ああーん、ちょっとセンチな顔になってるメルちゃんも可愛い」
姉がとなりで悶えているが、慣れたもので構わずメルは荷造りを続ける。
しかし荷物が多い。主にマリルからの贈り物だ。ぬいぐるみに可愛らしいお洋服。ほぼ全部マリルの手作りだ。なにかにつけてプレゼントしてくるので店を開けるくらいの量になってる。逆にメルがマリルにあげたものと言えば折り鶴くらいだ。今も大切に持っていてくれてる。
村人から『悪魔姫』と呼ばれ敬遠されるようになってからも、父と姉の態度は変わらず、愛情を注いでくれる。
それだけでいい。
この広い世界でボクを必要としてくれる人がいるならそこがボクの居場所だ。
この人たちを守ろう、メルはそう思った。
「父さん、そのガラクタ捨てって言っておいたじゃない」
「が、ガラクタ!?スライムの核、ブラッドウルフの牙、それに人食い草の種子が!?」
「ゴミです」
「うわーん」
王都イースタニア。メルは高い城壁に囲まれた城とその下に広がる城下町を想像する。野盗や狼に襲われる危険性は少なそうだが、スリやサギなどの都市型犯罪の危険は増すだろう。
現在の至上命題は家族を守ること。なおかつひっそりと暮らすこと。
守り切れるだろうか。
旅立ち当日――――。
見送りに来た村人たちと別れを交わすザックスとマリル。メルは背中を向けて荷車の荷台に乗って、ゴーレムの術式を脳内で構築して遊んでいる。
特段、別れを言いたい相手もいない。すねているわけではなく。マリルに促され、一応、軽く別れのあいさつだけはすます。
「よし。忘れ物はないかー?出発だ!」
家財を乗せた荷車をラバに牽かせる。がたんごとんと荷車は走り出す。やがて村が遠くにかすみはじめたころ、村の子どもの一人が走り出て叫ぶ。
「メルお姉ちゃん、ゾンビたちを倒してくれてありがとう~!」
誰もが触れまいとしていたことにその子は触れた。
しばしの間、とまどっていた村人もそれにつられて思い思いに叫ぶ。
「ありがとう~」
「ごめんな~。本当はお礼言いたかったんだ~」
「おじょう、元気でな~」
今まで溜まっていた思いを吐き出すかのように。
「ふんだ」
メルは振りむくのもシャクなのでゴーレムに手を振らせておく。村人はメルたちが見えなくなるまで手を振っていた。
「よかったわね、メルちゃん」
「……ボク、ちょっと寝るね」
いじられそうだったので、メルはふて寝してやることにした。荷車に揺られながら一時間ほど眠り、起きようと目を開けると、
「父さん、さっきのメルちゃん、可愛かったわね。照れ隠ししちゃって」
「うむ。思わずほっぺすりすりしたくなるほどの可愛さだったな」
「もしメルちゃんにそんなことしたら、一週間ご飯抜きですからね」
「ペナルティ重すぎない?」
自分の可愛さ談義をしていたのでもう一回寝ることにした。
「まずは隣村で護衛の方と落ち合おう」
パヴァーヌ夫人が護衛の者をよこしてくれるらしい。この世界の治安は前世の現代の日本ほどよくなく、街道をゆくのも命がけだ。盗賊、魔物、天候。障害は多い。
病気、ケガにも細心の注意を払わなければならない。日本みたいに100mおきにコンビニがあるわけでもない。町から町へはこのあたりだと半日くらい距離がある。
昼下がりには隣村についた。村の中央の広場に馬車が止まっていた。
その馬車は荷台の上に家がのっかっていた。小人が住むような小さな家で、赤い屋根瓦から、ブリキで出来た煙突が突き出ている。馬も騎士が乗るような背の高いものではなく、重労働に耐えるように背が低く、ずんぐりがっしりした品種だ。
メルが初めてみる馬車をまじまじと見ていると、初老の御者が運転席から降りてきた。人のよさそうな顔立ちだ。
「レンシアさんでしょうか」
「はい、この度はお世話になります」
「なんでも騎士の方に護衛していただけるとか」
「ええ、騎士様。レンシアさんご一家がおいでですよ」
馬車の中に呼びかける御者。中から答えが返ってきた。
「ええ」
馬車からさっそうと飛び降りたのは、まだ年端もいかぬ金髪の少女だった。メルより二つほど年上で背も少し高い。青のリボンを髪の後ろで結んでいて、意志の強そうな目をしている。
青のマントを羽織り、白銀の腕甲、脚甲、胸甲で体の要所が覆われていて露出しているのはスカートの下の太ももくらいだ。
「おや、これは可愛いらしい従者さんだ。騎士様はどちらに?」
ザックスの言葉に金髪の少女はむっとした顔をしながら言った。
「私は従者ではありません」
「私があなたたち一家の護衛の任を拝命した騎士『リズベル・フォン・ヴァイデンフェラー』です。どうぞよろしくお願いします」
リズベルと名乗った少女は表情こそ穏やかだが、心中は穏やかではない様子が見て取れる。
「ご、ごほん。これは失敬。騎士様でしたか。私はザックス・レンシア」
「こちらは娘のマリルとメルです」
ペコリと頭を下げて礼をする。
「…………」
リズベルはマリルのほうを見て、次いでメルのほうを見ると動きを止めた。メルに近づくと顔をじーっと見た後、その頭上あたりで手を水平に左右させる。
「これが噂に聞く自動人形……?操り糸はないみたいですが……」
「えぇ……?」
「えーと、メルちゃんは正真正銘、人間ですよ?」
「す、すみません!あまりにも可愛らしかったもので、私てっきり……!」
ぶんぶんと頭を下げるリズベル。
「いえ~。我が妹の可愛さに対する最大級の賛辞として受け止めますわ~」
マリルは笑顔で応える。メルは羞恥と悔しさといたたまれなさで、ぐぬぬっ、となった。
しかしリズベルがメルを人形と間違えたのもムリはない。
「メールちゃん!今日は旅立ちの日だからめいっぱいオシャレしないとね!」
という謎の論理で、今日もフリルいっぱいの衣装を着せられていたからだ。これに生来の白皙の美貌が加わり、人形然とした雰囲気を醸し出すことになる。
「ご、ごほん。今日は今から出発しても遅いので、この村の宿屋に泊まります。宿屋で今後の旅の行程の説明をいたします」
なんとも言えない顔合わせとなったが今後上手くやっていけるだろうか。メルは不安になった。