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38 辺境伯との対談

首都を追われたロッドラン第一王女アマリアとともにメルたち一行は、庇護を求めてトロイデ川を越えた先のイースタン王国辺境伯領へと向かっていた。


しかしその辺境伯の配下の者がロッドラン王国に侵入し、略奪を行っていた。


「このようなことは普段からよくあることなのでしょうか?」


メルはアマリアとデーニッツに問う。


「いえ、三十年前に結ばれた和平条約に基づき、イースタン王国の軍はトロイデ大橋を渡ってくることはありませんでした」


デーニッツが答える。


隊長らしき騎士を尋問するとすでに辺境伯の本隊もトロイデ大橋を渡り、そこに宿営地を築いているという。


「首都ミルグラードでクーデターが起きてからまだ数日。軍を招集するだけでも十日はかかるはずだ。ここまで早く動けるわけがない」

「議会派の動きと呼応している?」

「分からない。ボクとリズベルとジャックで辺境伯に話を聞きにいこう」


メルは王立騎士団聖騎士の地位に就いているので、例え辺境伯といえど面会を断ることはないはずだ。


空は曇り、パラパラと雨が降ってきていた。



トロイデ川から西へ数km離れたところに辺境伯の宿営地は建てられていた。――つまりトロイデ橋のロッドラン側の守備隊は突破されたということになる。


木の柵が張り巡らされ、内部には天幕が並ぶ。騎士と馬、それに付随する従者と兵士たちが陣内にひしめく。略奪品を買いたたき、それを販売する商人と、さらには商売女たちもうろついている。


この宿営地の規模からして四千の兵がいると推定できる。


モールトン辺境伯は一諸侯でありながら王家に次ぐ兵力を動員できるという。

辺境というが、あくまで地理的に王都イースタニアから見た話で、実際は古来より交易の要所として栄えた、一つの国といって差し支えない。


天幕のうち、ひときわ大きなものがある。そこには紋章が掲げらている。白の下地の上に黒い狼が獲物に襲いかかろうとしているかのような意匠。


黒狼の紋章。これがすなわちこの軍の指揮官モールトン辺境伯の居する天幕だということを表している。


「閣下、王都の『十二聖騎士』(ラウンドパラディン)を名乗る者が閣下に謁見を求めています」

「通せ」

「そ、それが年端もいかぬ少女でして」

「構わん」

「はっ」


兵士は天幕の入り口を持ち上げ、訪問者に入るように促す。


内にいた辺境伯の封臣たちは天幕の入り口から入ってきた者を見ると、目を見張る。およそ軍の宿営地にふさわしくない世にも妙なる美少女が入ってきたのだから無理もない。


吹けば飛ぶような楚々たる風情、繊細な銀髪は天上の神が手ずから紡いだ絹糸のよう。

そのかすかにまとう香気たるや楽園でハープをつまびく妖精のごとし。


一人だけ眉一つ動かさない者がいた。


上座に座るモンラートル辺境伯、ウード三世。


十年前の帝国との戦で華々しい活躍を挙げ、『三将軍』の一人に数えられる。


年のころ、六十。髪には白髪がまじり、顔にはシワが刻まれている。しかしその肉体にいささかの衰えもなく、例え三日三晩でも戦場を駆け巡りそうな精力がみなぎっている。


戦場から戦場へと生きてきた者だけが出せる眼光がメルを射抜く。


メルはその堂々たるさまに感じ入った。しかしそんな様子をおくびにも出さず一礼をする。


「お初にお目にかかります、閣下。私は王都イースタニアの『十二聖騎士』が一人メル・レンシア」


「うむ。余はウード・フォン・モンラートル」


「王都で年若き聖騎士が生まれたと風のウワサで聞き及んでいたが、想像以上に若く、美しいお嬢さんだ」

「おほめにあずかり光栄です」


辺境伯はメルの騎士と呼ぶには可憐すぎる容姿を見ても微塵も侮るような様子はない。


「して聖騎士殿はいかような用向きで来られたのだ?」


「我ら巡遊のおり、閣下の兵士が農村を荒らしているのを発見し、これを成敗いたしました」

「な、なに!?貴様、殿の配下を傷つけるとは殿を傷つけるも同義!それでよくもぬけぬけとこの陣幕に来られたな!」


辺境伯の封臣たちは殺気立つ。


「弱きを助けるは騎士として当然のありようでしょう」

「な、なんだと、この小娘!殿、例え王都の聖騎士といえどこのような無礼を許しては、殿の名にキズがつきましょう!」


メルの慇懃無礼な態度に側近の騎士がいきり立つ。


「騒ぐな。その小娘にやられる弱兵など我が配下にいらぬ。続けたまえ、レンシア卿」


「なぜ、ロッドランとの和平を破り、いたずらに戦乱を巻き起こすようなマネをいたすのですか?」


メルの問いかけに辺境伯は答えず、逆に聞き返す。


「レンシア卿、そなたらはどこから参った?」

「……首都ミルグラードより」


辺境伯はメルの底意を推し量ろうとしている。わざわざ捕縛されてもおかしくはない危険を冒してまで、配下の者を成敗したと告げに来た理由を。

メルは少し気後れしたが答えないわけにもいかなかった。


「ならば知っておろう。ミルグラードで議会派が新政府を樹立したことを」

「樹立?イースタン王国は承認はしないでしょう」

「しかし支配の実体があるのなら認めないわけにはいくまい」


「知っての通り、廃されたロッドラン国王、エルドリッヒ殿は親イースタンを前国王より引き継いでおる。そしてその妃は我らがカールマン国王陛下の妹君」

「それを監禁したのであれば、イースタン王国に対しての敵対行為と見るほかあるまい」

「王制への敵対者はすなわち儂の敵である。農村を襲ったのも敵対勢力への攻撃にほかならぬ」


名分としては筋が通っている。


「イースタン本国の指示ですか?」

「それを貴殿に説明する義理はない。儂には独立した軍事権が与えられているとだけ答えておこう」


メルは質問を変える。


「なぜこんなに早く軍を動かせたのですか」

「平時における訓練の賜物といえよう」

「そういうことではなく」

「レンシア卿。そなたが領民百万余の命を預かる君侯だとしよう。いくら長く和平が続く国同士だからといって、密偵を忍ばせておかぬ理由があるか?」


「かねてより議会派の不穏な動きは察知していた、と」

「無論」


「こちらから聞いてもよいかな。貴公はなぜその年若さで『十二聖騎士』になれたのだ?」


「王都に出現した、アンデッドと化した聖竜イグナークを浄化した暁により、です。閣下」


メルの言葉が終わるや、辺境伯はそれまでの無機質な態度を崩す。


「ふむ、聖騎士の名も地に落ちたものだ。安全な王都で騎士ゴッコに興じるボンボンどものお遊びと成り下がっておるようだ。魔物を討伐しただけでその位につけるとは」


辺境伯は口元に嘲るような笑みをたたえ言う。


「閣下、その発言はあまりに礼を欠いたものではありませんか!」


リズベルがガタッと椅子から立ち上がる。


「そなたは?」


「私はリズベル・フォン・ヴァイデンフェラー。王立騎士団二番隊副隊長であります」


「ほう。ヴァイデンフェラー家の。勇猛で名を馳せた騎士の家系だ」


「数百年前の戦役で王をその身でかばい、ほうびに宝剣を下賜されたという話は騎士を自任する者なら誰もが知っておる。確か城伯を任されておったな」


リズベルは少し態度をやわらげる。リズベルの家の家名など、国中に知られた辺境伯の家格に比べたら無に等しい。その辺境伯の口から、自分の家の由来がすらすら出てきたのだから無理からぬことだ。


「それが今や子どものお守とはな」


「なっ……!」


リズベルは辺境伯の思わぬ言葉に唖然とする。


「そうそう、先の帝国との戦争で勝ち戦だったというのに、一人だけ城を奪われた腰抜けもおったなぁ。儂が取り返してやらねば今頃あそこは帝国領だったろう」


リズベルの祖父のことを言っている。


「長き平穏の世で宝剣も錆を浮かせてしまったに違いあるまい」


「……っ!」


リズベルは怒りを露わにし、剣を抜き放つ。リズベルが敬愛する祖父のことを侮辱されたのだ。


「この宝剣オースキーパーの輝きが鈍ったかどうかご覧に入れましょう」


そして辺境伯へと剣先を突きつけた。


「貴様ッ!なにを……!」


側近の騎士も剣に手をかける。


「まぁ、待て」


辺境伯は手を上げ、それを制す。


「うむ、よい剣だ。……剣はな」


鼻先に剣を突きつけられても辺境伯は微動だにしない。緊張が場を包む。そこにメルが声をかける。


「リズベル卿。もういいでしょう。剣をしまいなさい」

「はい……。レンシア卿」

「ジャック、リズベルを」

「御意……」


ジャックはメルの指示に従い、リズベルを連れて天幕の外へと出る。メルも席を立つ。


「話はもういいかね?」

「ええ、閣下。貴重なお時間をありがとうございます」


辺境伯に先ほどまでの嘲りの様子は消え、再び無機質な眼差しをメルに向けている。


「貴殿らは王都に戻るのかね?」

「はい」


メルは天幕の入り口で振り向いて言う。


「そうそう、閣下。私の王都でのあだ名をご存知でしょうか?」

「知らんな」


「『破滅をもたらす者』……」


メルのその艶然たる笑顔の中には見る者の心をざわめかせる毒があった。


「ふっ、面白い名だ」


辺境伯はそれを悠然と受け流す。


「では失礼いたします、閣下」



メルたちは宿営地をあとにし、アマリアたちを残してきた村に戻る。雨足が強くなってきていた。


「メル……。尾けられている……」

「うん。辺境伯の兵士だ。隠す気もない」


あのわずかなやり取りでメルたちが何かを隠していることを察知された。


もしアマリアが辺境伯の手に渡ったなら、なおさら大義名分を与えることになる。アマリアを軟禁し、自分の都合のいい外交カードとして使うだろう。


「ジャックはアマリアたちに辺境伯の態度について説明を」

「御意……」


ジャックはその言葉が気に入ったのかまだ使い続けている。ジャックがアマリアたちのいる廃屋に入っていくのを見送り、メルはリズベルに顔を向ける。


「リズベル、ちょっとこっちに来て」

「はい」


メルはリズベルを村の人気のないところへ連れて行く。空はどんよりとした雲に覆われ、雨の粒が二人を打つ。


「リズベル、さっきの態度はどういうつもり?」


メルはリズベルを問い詰める。


「分かってたでしょ?辺境伯がわざとこっちを怒らせて情報を引き出そうとしてたってことが。あんな安い挑発に乗るほどリズベルの家の家名は軽かったの?」


リズベルは雨に濡れる肩を震わせるだけで黙して語らない。


「リズベル、さっきあそこで辺境伯を敵に回すっていうことがどういうことか分かってたよね」


「ボクたちだけならともかくアマリアやティシエもいる。とても逃げ切れるものじゃない」

「そしてアマリアが捕らえられたりしたら、辺境伯にロッドラン侵攻の大義名分を与えることになる」


「そうなったらロッドラン全体に戦火を拡大する火種となる。すると多くの人が命を落とすことになるんだよ」


「はい……申し訳ありません。メルさん……」


うなだれるリズベルをメルはぎゅっと抱きしめる。雨が二人をしとどに濡らす。


「大丈夫だよ。リズベルが誇り高い騎士だっていうことはボクが一番知ってるから」


「はい……。ありがとうございます……」


二人は雨に打たれながら、みなのもとへ戻る。


廃屋の中は光がほとんど差し込まず薄暗い。


状況は誰がどう考えても最悪だ。メルたちが取れる行動は多くはない。



一、アマリアを辺境伯に引き渡す。アマリアの安全は保護されるだろう。辺境伯が議会派と通じていない限り。


二、王都までアマリアを護送する。


三、国王派のレジスタンスを探し出しアマリアの保護を受け渡す。



一、は論外だ。二、もトロイデ大橋の検問を抜け、広大な辺境伯領をアマリアを護衛しながら王都まで行くのは至難の業だ。数日間の緊張にさらされた旅路で、すでにみなの疲労も色濃い。

仮に王都にたどりつけたとしてもアマリアの処遇がどうなるかは未知数だ。


デーニッツが重い口を開く。


「こうなってはもう、イースタン王国は頼れません。みなさまにこれ以上の負担をお願いするわけにはいきませんし」


彼はメルたちをもかすかに疑っているが、それだったらとうの昔に自分を始末しているはずなのでその可能性は低いと考えている。しかし不信感は拭えない様子が見て取れる。


「アマリアさま。国内で国王派の忠臣を探して、王権を取り戻すための活動を模索したほうがよろしいかと……」


デーニッツの言うことはもっともだ。


しかしメルはアマリアのほうを向いて尋ねる。


「アマリア、あなたはどうしたいですか?」


「ええ……。デーニッツの言う通りにしたほうがいいと思います」


アマリアは頼ろうとしていた辺境伯の侵攻に衝撃を隠せないでいる。いつもの気丈さはない。


「アマリア。『どうするのがよいか』、ではなく、あなたが『どうしたいか』を聞いているのです」


メルの言葉にアマリアはハッと胸を衝かれたような表情になる。ぎゅっと裾を握りしめ、少しためらったのち口を開く。


「私は……、私は本当は家族を取り戻したい……!今すぐに……!母は病弱で、弟たちもまだ七つと五つなのに……!」


アマリアはずっと王女の仮面をかぶり、隠していた思いを吐露した。気丈な態度でつくろってきたが、まだ十七かそこらの少女なのだ。家族との別離は何よりも耐え難いだろう。


メルはアマリアのその姿に、王都にいる自分の姉の姿を重ねる。


元よりメルとしては世界の情勢など知ったことではない。

世界の運命には大きな流れがある。メル一人ではどうすることもできない大きな流れだ。


流れに呑み込まれる者、流れに乗る者、抗う者。

そしてその流れを作り出した者。


もしその者たちが自らの欲望の為になんの罪もない人々を傷つけようというのなら。


守りたいと思う。


大きな流れを変えることはできずとも、流れに呑み込まれる者に手を差し伸べることくらいはできるはずだ。


「だったらボクが力になれます」


ならば、心の衝動に従うだけだ。弱きものを救いたいという感情の発露に。


「え……?」


「アマリア。もう逃げ回ったりせず、まどろっこしいことはやめてミルグラードに向かいましょう」


「そしてご家族を取り戻すのです」


「取り戻す……。そんなことが……。首都ミルグラードは天然の要害に加え、千人の兵士たちがいるのですよ」


「王宮の警備はせいぜい三百人でしょう。ボクの力はそれをはるかに凌駕します」


「メル殿?なにをおっしゃっているのですか、そんなことができるわけが……」


デーニッツが口を挟む。主君をそんな危地に向かわせるわけにはいかない。

メルはおもむろにカバンからマントを取り出し、羽織る。


「うぅっ、それは……そのマントは……!?」


青い布地に金の刺繡が施された『竜のマント』。聖騎士だけが着用を許されたマントだ。


「ボクはイースタン王立騎士団『十二聖騎士』の一人にして『七賢者』の弟子」


「聖騎士……」


アマリアは大陸中に響き渡る武名と目の前の少女が結びつかず、オウムのように繰り返す。

かつて大陸が魔国に蹂躙されたさい、千の城を奪い返し、万の魔軍を滅したという、伝説の継承者が目の前にいる。


光が差し込み、メルを照らす。

アマリアは天から垂れ下がった糸を見つめるかのようにメルを見て言う。


「メル 、本当に信じても、いいのですか……?」


「はい。このマントにかけて必ずや」


メルはアマリアの手を取る。デーニッツも膝をつきその意に従う。剣を握ったことのある者なら、聖騎士の言うことは実現すると強く確信できるのだ。


メルは振り返って言う。


「みんな、ここでお別れだ。ボクはアマリアとデーニッツさんと一緒にミルグラードに向かう」


しかし誰一人反応はない。リズベルが前に出て言う。ティシエやクーデリアも続く。


「メルさん、私も行きます。どうやら陰謀が渦巻いているようですし」

「そうよ、旅行を台無しにしてくれた議会派をふんじばってやるんだから」

「我が身は常にご主人さまとともに」


ジャックも一歩前に出る。


「オレたちは宝花亭に荷物を取りに戻るだけだ……。だろ、ナッツ」

「え、オイラも!?……ちっ、しょうがねぇ。行けばいいんだろ!行けば!」


メルはみなを見て聞き返す。


「下手を打てばイースタン王国からも国家反逆罪を受けるかもしれないんだよ」


「望むところです」


メルはフッと笑う。お人好しで向こう見ずな仲間たちを。


そして手をかかげ叫ぶ。


聖騎士指令(パラディンオーダー)、発動ッ!」


「『首都ミルグラードを奪還せよ!』」


一行は馬に拍車をかけミルグラードを目指す。


雨はいつしか上がっていた。

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