37 王女を連れて
「ミルグラードが陥落……!?」
メルたち一行は予想だにしなかったその言葉に耳を疑う。アマリアとデーニッツにどういうことかと問い質す。しかし逆にデーニッツが質問で返してきた。
「失礼ですが、あなたがたは?」
「ボクたちは王都イースタニアから来ました。騎士と魔術師見習い。こっちの二人はハンターです」
「イースタン王国の……!」
アマリアの侍従であるデーニッツが驚きとともに警戒心を示す。ロッドランとイースタンの両国は今は友好関係にあるが、かつては敵対していたこともあるので無理もない。
「いえ、ボクたちは観光旅行をしていただけです」
一行はとりあえずその場から移動し、木々と岩で周囲から死角となる場所まで来た。
「首都ミルグラードが他国に攻め込まれたのですか?」
ロッドラン王国に隣接するパルメア王国、傭兵都市国家ドーンウェルか。しかしメルたちが首都ミルグラードを出てから一日しか経っていない。いくらなんでも国境を越えて一気に国の奥深い場所にある首都を落とすなど不可能だ。
「いえ、国内の『議会派』がクーデターを起こしたのです」
「議会派?」
議会派――。王の専制に不満を持つ貴族の一派で、多くは『大評議会』の議員を務める。
ロッドランの国政は
国王とその側近で構成される『小評議会』と呼ばれる国王顧問会議と、
聖職者・貴族・市民、各身分の代表が多数出席する『大評議会』からなる。
『大評議会』はそれぞれの身分・立場の者の利害をすり合わせ国家の意思として統一する役目を持つ。
国王にとっては時に味方に、時に頭を悩ませる敵となる機関だ。国王は租税の承認を、貴族たちは特権の保護を、それぞれ相手に求める。
議会派の貴族たちは前国王であるローデリヒの時代にはおとなしかったものの、現国王エルドリッヒの時代になると事情は変わる。
エルドリッヒは王位を継承する以前から、酒グセと女グセの悪さと浪費癖で悪名を馳せていた。
さらに王位に就いたら就いたで『大評議会』を軽視し、相次ぐ臨時課税を行い、自分におもねる者ばかり重用したため求心力を失っていた。
そして昨夜、王宮で行われた晩さん会で、クーデターの発端となる事件は起こった。
エルドリッヒは会場を抜け出し、ある貴族の妻を口説き、寝室に誘った。たまたまそれを見ていた夫は激昂し、エルドリッヒを斬りつけた。
エルドリッヒは一命は取り留めた。翌日(つまり今日)、朝一番にその夫の処刑を執行。その人は裏表のない人格で貴族にも平民にも人気があった。
税の負担ばかり増やすエルドリッヒへの憎悪も相まって、処刑が執行される広場は騒然となり、執行されるとさらに人々は殺気立った。
好機と見た議会派が兵士と群衆たちを扇動し、彼らを引き連れて王宮前まで詰め寄り、王の廃位を求めた。
エルドリッヒは窓の外の王宮の庭に陣取る多くの人々を見ると、ショックで傷口が開いてそのまま帰らぬ人となった。
王を失った宮廷は適切な対応が取れず、議会派の侵入を許し、ここにクーデターが成った。
アマリアとデーニッツは王族だけが知っている秘密の抜け道でミルグラードを脱出したが、議会派が差し向けた野盗のような私兵に追い立てられていた。
そこを通りがったメルたちに助けられた。
以上のようなことをデーニッツはアマリアに最大限の配慮をしつつ、いかに議会派が愚かで恥知らずな輩かを強調しつつ語った。
「デーニッツ、よいのです。父は愚かでした。だから民の心は離れ、このような事態に……」
「アマリアさま!なにをおっしゃいます」
「過ぎたことを言っても始まりません。ですが、母様や弟たちが……」
逃げ出せたのはアマリアだけで他の家族はおそらく捕らえられたらしい。そのほか、小評議会のメンバー、王弟であるハンドルフ伯、宰相など国の重鎮も行方が知れないのでおそらく捕らえられたとのこと。
「なるほど、そんなことがあったのですね……」
王の弑逆という大事件の顛末を聞き、メルの額に汗が流れる。
「騎士さまがた、私たちをトロイデ大橋の向こう、イースタン王国の辺境伯領まで連れて行ってくださいませんか?」
「え、モールトン辺境伯領に、ですか?国内の都市、例えばミディールに身を寄せては?」
しかし侍従のデーニッツは首を振る。ロッドランの支配構造を簡単に説明すると以下のようになる。
王家→都市とその周辺を治める公・伯爵領→ 城主領→領内の村を治める小領主
→城主領→小領主
→王領地を治める役人・代官
→自治権を持つ都市
大貴族である公も伯も、中・小の城主たちも王家の忠実な家臣であるとはいえない。むしろ第一王位継承権を持つアマリアを保護し、自身の野望のために利用する確率も大いにある。
そこで、王領地の役人が治める所領か、自治権を持つ都市参事会が治める都市にかくまってもらい、そこでレジスタンス運動を展開すればいいのではないかとメルは思った。
しかし目の前で王宮に迫る怒り狂う市民たちを見たあとでは都市に助けを求める気にもなれないのも無理はない。
かと言って王領地を治める役人も、王が追い落とされても仕える相手が王から貴族に変わるだけ。中には王家に忠実な者もいるだろうが、人の心の底までは読めない。
誰が敵か味方か分からない国内をさまようよりは、いっそ国外であるイースタン王国に逃げ、保護を求める。
確かに一理あった。
「たしかに……。議会派もいきなり国外の辺境伯領に行くとは思わないかもしれませんね」
メルはアゴに手を当て考える。
「どうする?みんな」
「私には分からないからメルの判断に従うわ」
「受けるしかないでしょう。お二人だけではアマリア殿下がロッドラン国内を脱出できる可能性は限りなく低いですし」
「そうだね、さっきみたいな野盗まがいの傭兵に襲われたら二人じゃどうしようもないし」
メルたちもどのみちクーデターが起きたのならロッドランで悠長に観光などしていらないので王都に戻るしかない。 宝花亭には替えの服などの荷物は置いてきてあるが、諦めることになる。
「ええ、それに事がこじれれば、我らイースタン王国とロッドラン新政府とで戦争が起きかねません」
リズベルの言う通りだった。イースタン王国がどう出るか。弑された国王エルドリッヒの妃ジョアンヌはイースタン王国国王カールマンの妹なので両家は親戚関係にあたる。
当然イースタン王国は非難声明を出して、捕らえられた王族の解放を要求する。
もし議会派の新政府がそれを受け入れなければ。
「開戦事由となり得ますね」
「そう、だね……」
君主制を否定する貴族新政府と国王を戴くイースタン王国ではイデオロギーも違う。
イースタン王国が国中の兵力を動員すればロッドラン王国どころかアルトリス大同盟すべての兵力をも上回る。しかしそれはアルトリス地方の北西に位置する帝国の介入も招きかねない。
とすると穏便に事を進めて、イースタン王国の中央政府から外交圧力をかけ、せめて王族の解放だけでも成立させるしかない。
事の大きさに目がくらみそうになるメルとリズベルだが、引き受けるよりほかなかった。巡り巡ってはイースタン王国の危機となるなら、王立騎士団の一員の二人としては動かざるをえない。
「結局、ボクたちに出来ることは殿下を辺境伯領まで送り届けるくらいだね」
その後はイースタン王国と議会派の新政府の交渉に任せるほかない。
「分かりました。お引き受けしましょう」
「ありがとうございます。このご恩にはいつか必ず報いさせていただきます」
アマリアは腰を深く折り、頭を下げる。ナッツとジャックもなし崩し的についてくることになった。
「もう少しミルグラードに滞在するつもりだったけど、ごたごたに巻き込まれて、しょっぴかれても面白くないから仕方ねぇか」
「ナッツさま、ジャックさま、申し訳ございません」
「気にするな……。報酬目当てだ……。人助けでもなんでもない」
「まぁ」
アマリアは面食らったが、メルたちはジャックの天邪鬼な性格がつかめてきたので苦笑した。首都を追われた逃亡の身の王女に報酬など期待できない。わざと素っ気ない言動でアマリアに気づかわせまいとしたジャック流の心配りだった。
ということで一行は辺境伯領へ向けて南東方向へ馬を進める。
「本当にありがとうございます、メルさま。先ほど助けていただいたこと、護衛を引き受けてくださったこと」
「いえ、王女殿下。騎士として当然です。それより『さま』はいりません。どうか呼び捨てで」
「では、メル。私もアマリアで構いませんよ。『さま』はいりません」
「えぇ!?さすがにそれは恐れ多く存じます」
「いえ、どこに人の耳があるか分かりません。断固として『殿下』も『さま』も許可いたしません」
「確かに……。了解いたしました、アマリア」
メルはいきなり王女と呼び捨てしあうことになって困惑する。しかし多くの人命がかかっている任務なので不満は言っていられない。
「それよりお召し物を変えて頂かないといけませんね。その服装では自ら王女だと触れ回っているようなもの」
通りがかった農村で村娘の服を買う。アマリアの王家の紋章があしらわれた衣服は燃やして土に埋めておく。
「うーん、まだ高貴さがにじみ出ていますね。アマリア、もっとこう、野良仕事をして生きてきた感を出してください」
「そう言われましても……」
メルのダメ出しにアマリアは困惑する。
道中、ティシエが持ち前のコミュ力を発揮して、アマリアに王都イースタニアの話をする。メルたちが通う象牙の塔のこと、聖騎士たちが出陣するさいのパレードの豪華絢爛さなどについて。
「王都イースタニア、素敵なところなんですね」
「ええ、アマリアももし王都に来ることになったらすぐ気に入ると思うわ」
アマリアは気丈に明るく振る舞っているが、時折、その表情に暗い影を落とす。
無理もない。つい、半日前、父親を亡くし、市民や貴族たちに王宮を追われ、家族と離れ離れになってしまったのだから。
一方、その頃、首都ミルグラード近郊。
岩のように大柄な男が部下の報告を受けていた。
「なに~?王女を取り逃がしただと~?」
「はっ!申し訳ありません。国王派の者が王女を護衛しているものかと」
「でかした!」
「はっ?」
部下は上司である男の思わぬ言葉に聞き返す。
「オレの手柄にできるからな。で、行方は?逃げていった方向くらい分からんのか?」
「それがミルグラードの南東ということくらいしか。おそらくミディールに向かっているものかと」
「よし、ここからミディール進路上の農村をくまなく当たれ。もし王女が逃げているなら変装のため農村で服を買うはずだ」
メルたちは農村に立ち寄った。あまり大きな町には立ち寄れないので今夜はこの村の農家に間借りして宿を取る。
かなり粗末な食事とベッドしかなかったが、贅沢は言っていられない。
「すいませんね、何もない村で」
「いえ、こうして泊めていただけるだけでも幸いですわ」
農家の主人の妻にアマリアは愛想よく対応する。
メルはアマリアに自重しろと目配せする。言葉づかいが貴族っぽすぎる。しかしアマリアはそれに気づかず農家の子どもたちの遊び相手をし始めた。
やがてその子どもたちも気づく。
「お姉ちゃん、貴族さま?」
「いーえ?私、牛馬の世話をするために生まれてきましたの」
「わーい、貴族さまだぁ。お話聞かせて、お城とか騎士のお話!」
子どもたちははしゃぎだす。すると奥の部屋からもう一人子どもが現れた。
「お兄ちゃん、おきゃくさん?ティナも村のそとのおはなし、ききたいな」
「ティナ、歩いちゃダメだって。ベッドで寝てろよ」
ティナと呼ばれた子は足をひきずって、壁に手を当てながらこちらに近づいてくる。
「ティナさんはどこかお怪我を?」
「……ティナは村の近くの谷に薬草を取りに行った時、足をケガしたんだ」
「だってお母さんがお熱を出してくるしそうだったから」
「まぁ、ティナさんは優しいんですね」
「そんなことないよ」
アマリアがティナを優しくなでる。ティナの兄はうつむきぼそりと言う。
「でも教会の司祭さまに見せたら、もう治らないかもって……」
「見せてもらっていいですか?」
アマリアはティナをベッドに寝かせ、手をティナの足に当てる。そこから柔らかな光があふれ出る。
「これは回復魔術……?」
「わぁ、なんだかあたたかくてきもちいい……」
『ロイヤルヒール』。王族の中でも一部の者だけが使える回復魔術。魔術というよりもスキルに近い。あらゆる回復術の中でも最も効果が高いとされる。
「いたくない……。いたくないよ!わーい!」
ティナははしゃいで歩き出した。
「ほんとか、ティナっ」
「うん、ありがとう。おねえちゃん!」
「いえ、優しいティナさんに女神さまが慈悲をくださっただけですよ」
「……おねえちゃん、おひめさま?……おひめさまだー!わーい!」
子どもならではの真実を見抜く力でアマリアが王女であることを察してしまった。母親にたしなめられるも子どもたちははしゃいで走りまわっている。
翌日、農家に謝礼を渡し別れを告げ、村を出発する。
「メル、申し訳ありません。昨夜ロイヤルヒールを使ったせいで、私たちがこの村を通ったとばれるかも」
「いいではありませんか。報酬なら受け取りましたし」
「報酬?」
「はい、あの子の笑顔です」
「まぁ。ふふ、そうですね」
メルのきざったらしいセリフにアマリアは笑みをこぼす。
「ちょっとメル、アマリアの前でだけかっこつけすぎよ」
「そうですよ、私も王女殿下、いえアマリアさんの前でかっこつけたいの我慢してるんですからね」
ティシエとリズベルからそれぞれ突っ込まれる。男の子はお姫様の前ではかっこつけたくなる生き物なのだ。
「ふふ、みなさんは仲がいいんですね」
その様子を見てアマリアは再び笑う。
しばらく林道を行く。大きな街道は人目につくため避けている。近くの町に買い出しに行っていたジャックが戻ってくる。
議会派の兵たちがミルグラードが議会派の手に落ちたことを触れ回り、さらに王女の捜索も行っているとのこと。検問がしかれている街道もあるという。
「やっぱり大きな町には行かなくて正解だったね」
「もうすぐトロイデ大橋が見えてきます。橋さえ渡ればすぐ辺境伯領です」
しばらく行程を進むと遠くのほうで煙が立ち昇っているのが目に入った。
「あれは、煙……?」
炊事の煙にしては時間が合わない。昼食までまだ時間はかなりある。
「『ホークアイ』」
「どう、ジャック?」
「村が襲われているな。野盗ではない……。騎士のようだ」
こんな辺鄙な村にまで議会派の手が?と一行は疑問に思ったが、無辜の民が傷つけられているのを看過できる者はいなかった。
「行きましょう」
「ええ」
リズベルとクーデリア、ナッツとジャックが略奪を阻止しに行く。他の者は後方でアマリアを護衛しながら待機。
白刃がぶつかり合う音が鳴り響く。
略奪者たちは簡単に無力化できた。倒れたところをナッツとジャックが縄で順番に縛り上げていく。
その中に略奪部隊の隊長の旗騎士がいた。旗騎士とは自分の家の旗印を掲げることが許された上級騎士だ。
「旗騎士まで略奪に走るなんて……。王家が倒れたと知ってタガが外れたのか?」
メルの言葉にリズベルは首を振る。そして沈痛な表情で言った。
「メルさん、この者たちは我がイースタン王国の、辺境伯モールトン家の配下の者です」