35 温泉に入らずんば少女たりえず
メルはかつてないほど緊張していた。
温泉の脱衣所の大きな鏡でメルは自分の体を確認する。
腰まで流れ落ちる銀髪、白蝋の肌、吸い込まれそうな黒目がちの青い瞳。
視線を下ろすとまろやかなヒップを包むぱんつ、
そして胸元には発育途上のバストを包み込む『ブラジャー』――。
メルは数週間前からキャミソールを卒業し、ブラジャーを装着するようになった。
激しく動くとバストの先がこすれて違和感を感じるようになったからだ。
今日つけていたのはバストの成長を妨げない柔らかいコットンでできたピンクの可愛らしいブラジャー。王都で姉のマリルと一緒に買いに行ったものだ。
初めて着けた時は窮屈だったが、今は少し慣れた。
女の子から女性の体へと少しずつ変化していく自分の体への戸惑いと、少しの喜びをかみしめて、メルは今日も生きる。
ブラジャーを脱ごうとすると鏡にクーデリアが映った。
「ご主人さま、どうかなさいましたか?リズベルさまとティシエさまが待っておいでですよ」
クーデリアのその言葉にメルはびくっと体を震わせる。
自分の体は日々、着替える時や風呂に入る時に見ているのでまだいい。
しかし他の女の子の裸を見ることには耐性がない。
「そんなに恥ずかしがらずとも。ご主人さまは大変おかわいらしゅうございますよ」
そう言うクーデリアはすでに衣服を全て脱いでカゴにしまっていた。前をタオルで隠しているだけで全裸だ。
クーデリアはメルが手ずから土をこねて人間へと形造ったゴーレムメイドなので、メルの娘のようなものだ。身長はよほどクーデリアのほうが高いが。
しかしうっかり気合が入り過ぎて、目も覚めるような美人に造ってしまった。
普段は編み込んでシニヨンにしているが、今は蒼灰銀の髪を下ろし、肩に垂らしているさまがどうにも艶っぽい。表情の読み取れない灰褐色の瞳と、あるかないかの微笑みを絶やさない唇。
そして豊満な胸。
手ぬぐいで覆い隠されているが、胸の曲線にそってタオルが張り付いているので、それがかえってその二つの丘の魅力を引き立てている。メルはついついそこに目がいってしまい、悶々とした気持ちになってしまう。
いかにクーデリアがゴーレムの記憶をいくらか引き継いでいても、メルが前世では男だったことまでは知らない。彼女からすると、なぜ主であるメルがここまで恥ずかしがっているか理解に苦しむといった心境だろうが、ゴーレムメイドはそんな態度は見せない。
メルは大きめのタオルで全身をきっちり隠す。そしてクーデリアにさっと髪をまとめてもらい、さらにタオルを巻く。
「よし!、行こうか!はぁはぁ」
「はぁ、なんだか消耗しておられるようですが」
「気のせい気のせい。はい、先行って、クーデリア」
クーデリアはすりガラスが嵌められた引き戸をガラガラと開ける。メルはその後ろにぴったりついていく。
クーデリアはタオルで前を隠しながら歩いているので、後ろにいるメルから背中はまる見えだ。白いなめらかな背中が歩くたびに表情を変え、メルの目をひきつける。
メルはぶんぶんと頭を振り、景色に目をやる。
右手には男湯と女湯を仕切る竹垣、正面は眼下に広がる町を一望できる。左手には切り立った岩が山へと続いている。上を見上げると吸い込まれそうな夜空が広がる。
ほかほかと湯気が舞う中を床石をぺたぺたと歩き、湯舟へと近づいていく。
「あ、メル、クーデリアやっと来た。何やってたのよ」
髪が長いティシエも亜麻色の髪を結い上げて温泉に浸かっている。リズベルももらったポーションが効いたおかげで、風呂に入れる程度には回復した。
そして二人の間にはなぜかコビット族のナッツが浮かんでいる。湯あたりしたのかほほを真っ赤にそめて放心状態だ。
ナッツとジャックもこの『宝花亭』に宿を取っていて、お風呂の入り口前でばったり出会ったのでティシエが女湯に連れてきたそうだ。コビットは無性でオスメスはないが、ナッツの性自認は男である。
当然イヤがったが、無理やり引きずられて混浴させられ、さらに散々ツンツンされてのぼせて現在に至る。普段はふかふかの毛並みは水分を吸ってべちゃっとしぼんでいる。
メルは心の中でお悔やみを申し上げておく。しかし他人よりも自分の心配をしなくてはいけない。
幸い、にごり湯なので湯につかっている部分は見えないことに感謝する。
ティシエもクーデリアほどじゃないけど結構ある。意外だったのが、リズベルもそこそこある。普段は鎧で隠れていて見えないだけで、スタイルがいいのだ。ついつい女性の胸に目がいくのは男の性分であるので仕方がない。
「メル、顔赤いけどもうのぼせたの?」
「ううん、大丈夫」
それよりもクーデリアだ。彼女が風呂につかれるよう、体内の魔力循環を正常にするために半日、血と汗と涙を流しダンジョン攻略に励んだのだ。
「クーデリア、大丈夫?体はなんともない?」
「はい、おかげさまで。触ってお確かめになってください」
「えっ!?」
クーデリアは聞き返したメルの手を取り自分の胸にあてがう。
もにゅっとした弾力とどこまでも指が沈んでいきそうな柔らかさの相反する矛盾物質の手触りがメルの知性を奪う。
ああ、こんなに立派に育っちゃって、まぁ、父さん、うれしい。メルは温泉の熱気と羞恥の熱でしばしの間、頭がバカになった。
「よかったわねぇ、クーデリア」
「はい、みなさまのおかげです。本当にありがとうございます」
「『レベリング』も出来たし、メイジランクも上がったし、初めてのダンジョン攻略にしては上出来よね」
いつかメルが漏らしたゲーム的用語をすっかり気に入って事あるごとに使用するティシエだった。
二人が談笑する中、メルはリズベルの視線を感じていた。
顔こそ横に向けて、町の風景を見下ろしている風を装っているが、リズベルは眼球を動かさずに見ている方向を変える技術を体得していた。メルをガン見している。
リズベルは普段こそクールを気取っているが、実はムッツリスケベなのは普段の態度からメルには丸わかりだった。メルがジト目を向けるとリズベルは口笛を吹き出す。しかも吹けていない。
そこにティシエが声をかける。
「メル。リズベルの背中を流してあげたら?まだ背中まで腕回せないでしょ」
ケガ人への当然の配慮として断ったりしようものなら、腐れ外道の烙印を押されそうだったのでメルは笑顔で快諾してみせる。
「そんな、悪いですよ」
リズベルは腕をぶんぶん振って遠慮しようとするが、顔はにやけていた。
「ほらケガ人が遠慮しないの」
メルはリズベルを急き立て、裸を見られたくないので先に湯舟から上がらせる。
リズベルが風呂椅子に座るとメルもスタタと駆け足で後ろの椅子につく。
リズベルの背中は普段は美しく滑らかなのだろうが、今はアザが浮かんでいる。クーデリアをかばったために出来たケガだ。
そう思うと急にリズベルに対し憐憫の情と愛おしさがこみあげてきた。
「リズベル、ありがとうね。クーデリアをかばってくれて」
「いえ、仲間として当然のことをしたまでです」
その言葉を聞いてメルは心が安らぐ。ゴーレムであるクーデリアを一人の人間として見てくれているという証拠だ。
「おふぅ!?」
急にリズベルが素っとん狂な声を上げる。メルの手がリズベルのお腹に触れたからだ。
「メ、メルさん。前は自分で洗えます」
「まぁまぁ。遠慮しないで」
お腹を洗ったあとは内またに手を伸ばす。鍛えられた内転筋と少女らしい柔らかさが相和す太ももをきれいに洗っていく。リズベルへのちょっとしたごほうびのつもりだ。
しかしリズベルの言葉にならない声を聞いているとメルに今までにない感情が芽生えていく。
少女らしく奔放に振る舞い、人の気持ちをもてあそぶのはこんなにも楽しいものかと――。
普段はティシエやマリルに翻ろうされているので、新鮮な感じだ。メルは愉悦を嚙みしめる。
しかしそこに刺客がやってきた。
「メールっ。メルは私が洗ってあげるわね」
「にゃあ!?べ、別にいいよティシエ」
ティシエはかまわずメルの肌に泡立てた石けんをつけていく。メルがリズベルを洗うような遠慮はみじんもなく、その繊細な手が自身の体を這う感触にメルは体を震わせる。
ミイラ取りがミイラになってしまった。少女の肌に触れるものはまた少女に肌を触れられる運命にあるのだ。
クーデリアは長いことお湯につかっていた。
そしてゆでだこになっていたナッツは放置された。
――翌日。
「よーしパカラ。お前の実力を示す時が来たぞ。道場破りならぬ、牧場破りだ」
町の外を馬で一時間ほど行ったところにピックル競羽場と牧場がある。そこに愛馬ならぬ、愛羽パカラをほかのピックルと競争させようというのだ。
――ピックルは鳥と山羊を掛け合わせたような二足歩行の生物で鳥竜種という種に属する。羽はあるが退化して飛ぶことはできず、平地では馬より遅いが山岳や坂道の踏破能力は馬に勝る――。
しかしそれは却下される。
「ちょっとメル何言ってるの、ピックル牧場は明日にしようってなったでしょ。今日くらい休みましょうよ。リズベルの傷も癒えてないし」
メルは小さくなった。というわけで一行は町を観光する。
そしてお昼になったので昼食をとるため酒場に入る。メニューを開くと不穏な文字が目に入った。
メルは店員さんに尋ねてみる。
「この『ピックルの尾羽』ってまさか……」
「ふふ、違いますよ。それは普通の鶏料理です」
「なぁんだ」
「ピックルはこの国では昔からパートナーとして扱われていて、愛着のある人も多いですし食用にはされていませんよ」
その言葉に安心してその料理を注文してみる。しばらくして料理が届くとメルはネーミングに納得する。鶏肉をスライスして羽のように皿に盛りつけてあるのでピックルの尾羽のように見えるのだ。
リズベルが頼んだのは『ドラゴンバーグ』。ドラゴンと言っても素材は竜種ではなく、この地方の固有種、岩石トカゲの肉料理だ。背を覆う岩石は硬いが、腹の肉は柔らかい。
クーデリアは『根性キノコのリゾット』を食べている。根性キノコは険しい崖に生えることで知られる。根性という名は、たくましく生えるキノコそのものか、それを採取するハンターたちを指しているのか諸説あるが、とにかく食べると精がつく。
クーデリアはメルの魔力供給だけでも活動できるが、それでは味気ないので料理も食す。特に大地の恵みがふんだんに含まれた料理を好む。ゴーレムが土属性だからだろうか。
メルたちが料理に舌鼓を打っていると隣のテーブルの客の会話が耳に入ってきた。
「おい、聞いたか。また特別税を課すらしいぜ。今度は『黒忌魔術の取り締まり強化のための税』だとよ」
「またかよ。あーあ、賢王さまの時代がなつかしいぜ」
「おい、よせよ。どこに役人の耳があるか分からんぞ」
「大アルトリス同盟もどうなるやらねぇ」
大アルトリス同盟とはアルトリス地方に存在する十数の国や都市による同盟のことだ。
それぞれ政治体制は違えど周囲の大国――イースタン王国とウェストラント帝国――に対抗するために設立され、ここロッドラン王国と西部のパルメア王国が二大国となり主導権を握っている。
盟主はロッドランが務め、年に二度同盟会議がもたれ、利害の調整などを話し合うが必ずしも決めごとが守られるわけではない。それでも争乱時代と呼ばれる頃に比べると戦争や国境近くの村への略奪は減った。
アルトリス地方は元はアルトリス王国という一つの国だった。しかし多様な文化、人種、種族を領内に有することから数百年前に王権が分裂して以来、統合と分裂を繰り返し現在の七つの国といくつかの都市国家に分かれる。なのでその領域の境界線は曖昧だ。
『白き賢王』と呼ばれたロッドラン前国王は、近隣諸国との融和と経済の発展につとめ安定と繁栄をもたらした。
三年前に没した賢王の跡を継いだのが息子のエルドリッヒだが、市民からの評判は芳しくないようだ。
「くっ、ここが王都ならあのような奴ばら、しょっぴいてくれるのですが」
「職業意識高っ」
リズベルの家はその昔、王の親衛隊だったことがあるので、たとえ異国の王でもそれを批判する者は許せないようだ。
町の観光を終え、夜になったのでメルたちは温泉宿『宝花亭』に戻る。
メルはなんとか三人に先に温泉に入らせ、自身は時間を潰すため宿を散策することにした。そこで廊下でジャックと出会った。
「あ、ジャック。こんばんは」
「ん……メルか。お前たちもここに泊まっていたんだったな……。ナッツが嘆いていた……」
「ご、ごめんね。ティシエが無理やり女湯に連れ込んじゃったみたいで」
ジャックは相変わらず黒ずくめのローグ装備を着込んでいる。
背景が遺跡や、石畳の町の風景なら違和感はなかったかもしれないが、ここは和風の旅館。
ジャックが醸し出す不審者感が半端ない。メルは魔術師系統を選んでよかったと心から思う。しかしジャックの中二病感あふれる出で立ちも嫌いではなかった。
「ジャックの装備かっこいいね~。このアームドボウガンも渋いな~」
「む……」
メルはペタペタとジャックの装備を触り始める。
「こら、危ないぞ……」
子どもを諭すようにジャックは言う。そこに風呂上がりのリズベルが現れた。
「お、おのれ。乱波者風情が……。切り捨ててくれよう」
急に時代がかった口調になり剣を抜くリズベル。メルがジャックに懐いているように見えたので怒っているらしい。
「リズベル、どうどう。ていうかお風呂にまで剣持って行ってたの?」
メルはなんとかリズベルを制止する。そこにナッツが現れた。
「おう、メルぼん。昨日はありがとな。おかげでタダ酒が飲めたぜ」
「あ、ナッツ。ナッツも飲んでたの?ダメじゃない、お酒は二十歳から、いやこの世界では十五歳からだった、でしょ?」
「オ、オイラはもう成人してるっての!まったく見かけでコビットを判断しちゃいけねぇぜ」
「あ、そうなんだ。ごめんね。かわいいからつい、子ども扱いしちゃうよ」
「メルぼんだけには言われたくねぇよ」
ナッツは腕組みをしてふんと鼻を鳴らす。
「そういえば、この温泉宿に泊まってるってことはジャックたちもこの町の人じゃなかったんだね」
「ああ、オイラはドワーフ王国、ジャックは都市国家テトラポリスの出身だ」
「そうだったんだ。へぇ~ドワーフ王国にテトラポリスかぁ。どっちも遠いなぁ」
「気ままなハンター稼業よ。風の吹くまま、気の向くまま。草むらに敷いたマントが寝床で、風が道しるべさ」
ナッツは渋く言ったつもりだろうが、小さな体から発するおもちゃみたいな声で言っても威厳がまるでない。メルやリズベルになでなでされてしまう。
そこにティシエとクーデリアも加わる。
「あ、ナッツを触ってたら毛がたくさんついちゃったわ」
「もう一回温泉に入りましょうか」
「そうですね、先ほどなぜかご主人さまもいらっしゃいませんでしたし、今度はみんなで入りましょう」
「「え!?」」
メルはナッツともども露天風呂に連れていかれた。
「「うわーん」」
露天風呂に二人の嘆きがこだまする。
かわいがられ仲間ができたメルだった。