28 ロッドランに向けて出発
「さらば、王都よ!」
メルは鳥竜種ピックルに乗り、意気揚々と王都をあとにした。夏の日差しが草原のお日様の匂いを一層濃くし、さわやかな風がメルの銀髪をそよがせる。
貸しピックルでなく、ピックル協会から購入したピックルだ。日頃がんばっている自分へのごほうびとして思い切って買っちゃったのだ。
世話代としてピックル協会に月額1000リベラも納めないといけないが、メルは貯金の残りもまだある上、褒賞金の臨時収入もあったので問題ない。
「よしよし。パカラ、いい子だ」
「クルゥー」
メルはパカラと名づけたピックルの後ろ頭をなでる。黄色い羽毛の手触りが気持ちいい。
パカラが装備するのは、軽量だが高い防御力をそなえた『ミスリルの羽鎧』、いくら長時間座ってもお尻が痛くならない魔法の鞍 『スプルースの鞍』、頭には知能を上昇させる効果のある『ミネルヴァの面甲』。
金に糸目をかけず最高級のものをそろえた。メルは結構、形から入るタイプだった。
「待ちなさいよー。メル、飛ばしすぎよ」
そんなメルの後ろを行く馬車の座席から声をかけるのはティシエ。メルと同じく魔術師であることを表す黒のマントを羽織る。夏用の薄い素材なので暑くはない。
隣にはゴーレムメイドのクーデリアが座る。クーデリアはしばらくティシエのお屋敷に奉公に出されていたので、二人は仲良しになった。青髪をきっちりと分け、長袖のメイド服を着こなしている。
「ふふ、メルさん。いくら夏休みだからといって、今からはしゃぎすぎるとあとが保ちませんよ」
騎士リズベルは御者席で馬の手綱を握る。こちらも夏の暑さにもかかわらず鎧を着込んでいる。この世界では職業を表すことはなにより重要なことと考えられている。
「ご主人さまはお子様でいらっしゃいますから」
「あ、クーデリア。ご主人さまに向かってそんなこと言うわけ?」
「だって本当のことじゃないの、メル」
「ティシエまでー」
メルはしぶしぶパカラから降り、馬車の座席にちょこんと座る。パカラは賢いので乗り手がいなくても馬車の横をきちんと併走してくる。
一行はイースタン王国の西に隣接する『ロッドラン王国』を目指していた。
「ロッドランにははるか東方の国、ホウライの文化が根付いてるんだよね」
「ええ、ホウライだけじゃなくて、獣人、コビット、ドワーフ色んな種族がそれぞれ寄り集まって一つの町に多様な文化が花開く、って旅行ガイドに書いてあったわ」
目的はロッドラン王国の首都ミルグラードでの観光。
「そういえばティシエは十日も旅行に出て大丈夫なの?貴族の付き合いとかあるんじゃないの?」
ちなみに旅は移動が往復で五日、滞在が五日の日程だ。
「ふん、去年まではこの時期にさんざん行事やパーティに出席させられたけど、もう親の言いなりはやめたの。って別にこんなタンカ切ってきたわけじゃないけどね。快く送り出してくれたし」
「そっか」
メルは今度はリズベルのほうに首を向け聞く。
「リズベルは騎士団の仕事はいいの?」
「ええ、ちゃんとクエストとして来てますから」
ばん!リズベルは懐から取り出した羊皮紙をメルに見せつける。確かにクエスト令状だった。
「ハイラインさんがよく発行してくれたね。それ」
「ミルカが頼んでくれました。メルさんの名前を出したら一発でしたよ」
「なになに、クエスト任務名『アルトリス地方の魔物の生態調査』?すごいふわっとした内容のクエストだね」
アルトリス地方とはロッドラン王国の他数ヶ国を内包する地域一帯を指す。広すぎて調査という名目のクエストとして意味があるのか疑問だ。
「メルさんこそ聖騎士になったばかりなのに王都を留守にしていいんですか?」
「一応、出張届出書に『仲間を求めて』って書いておいたけど」
「……かっこいいですね」
それで申請が通るから案外、騎士団もテキトーだ。
「メルの四番隊ってメル一人だけなのよね?リズベル、入ってあげたら?」
「ええ、私は構いませんが」
ティシエの言葉にリズベルは応じる。
「リズベル、二番隊の副隊長でしょ?それがいなくなったら困るんじゃないの?」
「いえ、私は隊内の剣術大会で優勝したから副隊長になっているだけで、実務は他の方がやってくれてますから」
「あ、そうなんだ。でもボクが欲しいのはその実務やってくれる人かなー……」
メルの言葉にリズベルはしゅんとうなだれる。メルは慌ててフォローする。
「あ、もちろん、リズベルもいてくれたら心強いよ。百人、いや千人力だね」
リズベルはすぐに機嫌を直した。
「騎士団に顔が広くて、勝手が分かってて優秀な人っていないかな」
「そういう人はすでに重要な役職に就いているでしょうね」
「だよねー……」
聖騎士及び部隊長を引き受けた以上は部隊運営をきちんとこなさなければならない。しかし平民で入団間もない上に、小さな女の子であるメルには実務や他の部隊との連係で大きな不安がある。
「ご主人さま。私ならいつでも馳せ参じますよ」
クーデリアはそう言ってシュシュッとシャドウボクシングを始める。彼女はゴーレムの戦闘記憶を引き継いでいるので家事だけでなく格闘もこなせるのだ。
「気持ちは嬉しいけど、クーデリアは存在自体がタブーなところあるしなぁ」
メルの言葉にクーデリアはしゅんとうなだれる。メルは慌ててフォローする。
「そういえばアルトリス地方って治安はいいの?」
ティシエが話題を変えるように言った。
「特別悪いという話も聞きませんが。盗賊や魔物が湧くのは大陸どこも同じでしょう」
「ふーん。そういえば私、異国に行くのは初めてだわ。情勢が緊迫してるなんて話は聞かないから安全よね?」
「ええ。我らがイースタン王国とはもう五十年も戦争を起こしてませんし、現在の国王も親イースタン派だと聞きます。そもそも国の規模が全然違いますからね」
「ロッドラン王国ってこの先通る辺境伯領と同じくらいの領土なのよね」
モールトン辺境伯領。先の戦争で活躍した『三将軍』に数えられるモールトン将軍が治める。数々の特権を有し、王家でもおいそれと手出しをできない領地だ。
「はい、今日は辺境伯まで進んでそこで宿を取りましょう」
「その前にお昼ご飯だね」
「地図によると次の町までまだ距離がありますね」
「じゃあ、サンドイッチ持ってきたからそこの木陰で食べましょう」
「わぁい、さすが、ティシエ」
四人はマントを床にしき、ティシエのカバンから取り出したサンドイッチをほおばる。
「おかわりはありませんか。ティシエさん」
「がっつきすぎだよリズベル」
「まだあるわよリズベル。はい、どうぞ」
ティシエはさらにカバンからサンドイッチを取り出す。
「わぁ、ありがとうございます。ティシエさん」
「ううん。どうせ日持ちしないし食べきってもらえたら助かるわ」
「ほんとすごいね。そのカバン。まだそんなに入ってたんだ」
ティシエの『拡張カバン』には空間拡張の魔術が施されていた。
有名なC社の特徴的なロゴがデザインされた生地。その横腹には機構具が取り付けられている。ガラスの中にはゼンマイ仕掛けが正確なリズムを刻み動いているのが見える。その中心には闇属性を表す紫闇の魔石が据えられていた。
魔術機構具は科学のように誰でも使えるものではない。現代社会を動かす電力とは違い魔力はすぐエネルギー切れを起こす。
再び使用するには対応する属性の魔力を込めなければいけない。空間を司る闇属性の魔力を実用レベルで充填できるものは極めてまれだ。
人力でない場合は別の魔石の魔力を移してやらなければならないなので結構高つく。
ティシエがガラス越しに魔石に手をかざし魔力を込める。するとキュインと魔石がきらめき、キリキリと音を立てゼンマイが魔力を増幅させ、動力をカバン内部に込められた術式に伝達する。これで空間拡張の魔術を維持できる。
ティシエはあの死聖竜の胃袋という圧倒的闇空間から生還したことで闇属性の魔力を得ていた。
「そりゃあね。あんな目にあったんですもの。これくらいの得がないとやってられないわ。年頃の娘が顔もお肌も胃液でベットベトでさらに服もボロボロな状態を見られたのよ?」
「しかもメルやリズベルだけじゃなく騎士団の人たち何十人にも。私じゃなかったらメンタルブレイクしてたわ」
「いやみんなそれどころじゃなかったから。そこまで気にしなくても」
「そうですよ。みんな私の飛竜にクギづけでしたから」
「リズベルの飛竜じゃないよね。乗り捨てられた飛竜を勝手に拝借しただけだよね」
リズベルは飛竜を乗りこなしたことがよほど嬉しかったのか事あるごとに持ち出してくるのだった。
「あ。お土産とか入りきらなくなったら私のカバンに入れといてあげるから、その時は言ってね」
「うん、ありがとうティシエ」
「あ、あれ見て」
ティシエが空を指差した。みなも空を見上げる。はるか遠くの雲のまにまに大きな影がのぞく。
日光を受け、きらめく青い頭部、白い下腹部に走る縦線。雲をかきわける翼のような胸ヒレ。
それは巨大な空飛ぶクジラだった。
「あれが空クジラ……!?」
「ええ、私も初めて見ました」
「確か幸運の象徴とされているのよね」
ゆったりと空を泳ぐ空クジラは一行はみつめる。メルは旅先での幸運を祈り合掌して拝んでおく。
「メル、たまにそれやるけどどういう意味」
「と、特に意味ないけど。クセになってるだけ」
光神教では合掌は行わない。つい前世のクセが出るメルだった。
夕暮れには辺境伯領の東端の町にたどりついた。都市の門は教会の鐘が告げる午後六時の鐘の音が鳴ると同時に閉められる。それまでに都市に入り込めないと、魔物が跋扈する都市の外で野宿する羽目となる。
しかし町に入れたはいいものの、大通りは人でごった返ししていた。
「弱りましたね、高級宿はどこも満員ですね」
「行楽シーズンですからね」
夏はどの職業の人間も活発に活動するもので、町の宿はどこもいっぱいだった。ようやく一軒の安宿にもぐりこめた時は空に月が昇っていた。
しかも取れたのは二人用の小さな部屋のみ。当然ベッドが二つしかなかった。必然的に二人ペアで同衾となる。
「じゃ、ボクは一人でベッド使うから。あとは三人で好きにして」
「メル、いつからそんなワガママちゃんになったの?」
「そ、そうですよ。不公平です」
「ちっ……」
体は儚げで繊細な美少女だが精神は男、しかもチキン童貞少年のメルとしては女の子と二人で寝るなどもってのほかだった。
「いやだってボクは十二聖騎士さまだし……。ひれ伏して?」
「は、はい」
メルが冗談で小首をかしげてお願いすると、リズベルの琴線に触れたらしく、本当にひれ伏してしまった。
「こら、メル。権威を笠に着ないの。というわけでメルと私で一緒に寝ます」
「なっ、なぜですかティシエさん」
「私とメルは魔術学院で同じ釜の飯を食う仲。当然、しとねも共にするのが筋なの」
「いえ、メルさんは騎士の最高位である聖騎士。それをお側でもお守りするのが下位の騎士たる私の務め」
「くっ、なるほど。理にかなってるわ」
「では間をとって私がご主人さまと同衾いたします」
「クーデリアさんまで。ダメですよ。いかなる正当性があってそんな主張をするんですか」
「いえ、メイドたるもの常にご主人さまのお側に控えるのは当然のこと」
「ぐぬぅ……。もっともな言い分です」
「で、結局こうなるわけね」
ベッドを二つくっつけ、メルはリズベルとティシエに挟まれて寝ることになった。クーデリアはティシエの横。
女の子の香りがメルをすっぽり包みこむ。リズベルもメルのかわいい匂いをくんかくんか堪能している。メルは頭痛が痛くなった。
「っと、いけませんわ。ご主人さま。寝る前にスキンケアしませんと」
「あ、そうだね」
クーデリアはカバンから小瓶を取り出し、メルに渡す。メルはその中の液体を手に十円玉ほど出して、手の平で伸ばしそれを顔につける。低刺激のお肌に優しい保湿液をつけているのだ。
クーデリアがついてきた理由はこれだった。マリルは妹のメルのずぼらな性格を知っているので、メルが常にかわいく、女の子らしくあるようにお目付け役に旅のお供を命じたのだった。
ティシエも同じように乳液をぱたぱたとつける。
二人とも若いので必要ないかもしれないが、かわいくあろうという気構えこそが女の子を輝かせる最高のお化粧なのだ。
「リズベルはなんにもつけてないの?」
「は、はい。手にマメができたときにハンドクリームをつけるくらいです」
「そうなんだ。じゃあ、私の乳液貸してあげる」
ティシエはリズベルにあれこれ教え始めた。部屋全体が女の子的空気に染まり、メルはうぅっと胸やけを覚える。
スキンケアが終わるとクーデリアはメルの髪をゆるくツインテールに結って胸の前に垂らす。メルは髪が長いのでそのまま寝るとベッドと体の摩擦で髪が痛むからだ。
「おふぅ……」
メルの寝間着&就寝用の髪型を見たリズベルは変な声を漏らした。メルの普段の侵しがたい美貌から一転、無防備な素顔が垣間見え、胸が高鳴ってしまうのだ。
ともかく寝ることになったが、メルはリズベルの視線が背中に突き刺さって上手く寝つけない。仕方なくティシエとクーデリアの間にもぐりこむ。
ひと安心したのもつかの間、クーデリアの胸の谷間が目に飛び込んできた。クーデリアのネグリジェは胸が大きく開いたもので、その豊満な胸の魅力をいやおうなくさらけ出す。
メルは寝がえりを打ってティシエのほうを向く。ティシエの寝間着はかわいらしくもあったが、やはり胸元がルーズになっていた。クーデリアほどではないが、年の割に大きめなふくらみがまた違った若いつぼみのような悩ましさを放っている。
心を無にして目をつむるとリズベルのすすり泣きが聞こえてきて、よく寝つけなかった。
翌日、メルの目の下にクマが出来ていた。
旅路における宿の確保の重要性を改めて認識したメルだった。