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22 竜の宴 ~始~

「かつて始祖イスマンをこの地に運びし聖竜イグナーク、ここにあり」


王都イースタニアの貴族街区の大広場にある『聖竜の像』。そのかたわらに置かれた石碑に書かれた文である。ここに「眠る」でも「死す」でもない点が、この町の住民の聖竜への思いを表している。


イースタニアっ子にとって聖竜は祭りの時はともに楽しみ、不幸が起きた時はともに悲しむ、そんな存在なのだ。聖竜は晴れの日も雨の日も風の日もこの広場から自分たちの暮らしを見守っていると考えている。


そんな聖竜の像を見つめる若い騎士がいた。


十二聖騎士にしてイースタン王国第一王子、エリオットだった。騎士になった日から、一日一度は王宮前のこの広場で聖竜の像を眺めるのが日課になっている。


「む……」


像の体から石片がぽろりとはがれおちた。ほんの鱗の一枚だったがエリオットはなんとなく胸騒ぎを覚えた。


像は千年の歳月を風雨にさらされているので一部が破損するなど珍しいことではなかった。その都度、職人が補修を行う。


ただエリオットが見ていた瞬間に破損するのは初めてだった。少しの間落ちた石片を見つめたのち、考えすぎか、とエリオットはふっと笑うと(きびす)を返し王宮にもどった。




「あー、解放感あるなー」


象牙の塔を出て行く生徒たちの群れの中にメルがいた。銀髪の髪をゆらし、うーん、と両腕を上げて、伸びをする。


「解放感?まだ試験初日なのにそれ言えるのメルだけよ」


後ろを歩くティシエからツッコミが入る。やれやれまたこの子は、と言った表情だ。


「いや、午前中で帰れることがさ。ほら、お日様がまだあんなに高い」


メルは空を見上げて言う。魔術学院は今週は前期試験なので午前中に終わる。


「そうね。メル以外はみんなこのあと教科書とにらめっこよ」

「あーもう、そんなつもりじゃないってば」

「ふふっ、じょうだんよ」


困ったメルの表情を楽しむかのようにティシエは笑う。


「メルは今日はこれからどうするの?」

「ちょっとあるお店に返さないといけないものを返して、そこで軽くお昼食べて、そこからは特に考えてないや」

「返さないといけないものって?」

「え、いや、大したものじゃないよ」

「怪しい。私もついていってあげる」


返さないといけないものとは、マリルが酒場『竜のまどろみ亭』から借りだしたメイド風のウェイトレス服のことだ。


家にあったらマリルがまたメルに着させてくるので、帰り道に寄るついでにさっさと返すことにしたのだ。


「えぇ、いいよ。ほんとに大したことじゃないから。はい、今日は解散」

「やーだー。絶対ついてく」


だだをこねるティシエに根負けし、メルもしぶしぶ了承する。


バックヤードに行って服が入った紙袋を置いてくるだけだし、ついてこられても問題ないか、とメルは判断した。


酒場『竜のまどろみ亭』はお昼にはまだ早い時間なので割とすいていた。今日は狐耳の店員が元気よく迎えてくれた。


「いらっしゃいませー。お、メルちゃん。またヘルプに来てくれたの?助かるー」

「いえ、今日は客として」

「ふふ、分かってるってー。冗談だよ。来てくれてありがとね」


二人は窓際のテーブル席に案内される。店員はティシエのほうを見て言う。


「こちら、お友達?あれ、メルちゃんって魔術学院の生徒なんだよね?ってことは二人とも……、き、貴族?」

「いえ、ボクは平民ですけど。こっちのティシエは貴族です」

「私の舌にかなうものを出してちょうだいね」

「ふぁ、ふぁい!かしこまりました」


店員は貴族と聞くとギクシャクした動きになった。この平民街区の店に貴族などまず入店することはないのだろう。


「ちょっと、ティシエ。店員さん、かしこまっちゃったじゃない」

「冗談だったのに」

「ティシエはいかにも貴族令嬢っぽいんだから本気にとられるに決まってるでしょ」


ティシエは舌を出してはいはいごめんねと謝る。


「はい、お待たせいたしました。ホットケーキとハチミツミルクです」

「あ、どうも」


フォークでホットケーキを切り分けて口に運ぶメル。するとその顔はティシエが今まで見たことのない屈託のない笑顔となった。


「メル、ホットケーキ好きなんだ」

「うん、まぁ好きってほどでもないけど」

「ふふっなに、照れてるの?いいじゃない。ホットケーキ好きでも。どれどれ。ん。おいしいじゃない」


食べ終えると女将が二人のテーブルに近づいてくる。


「おう、メルちゃん。こないだはホントに助かったよ。しかもお友達まで連れてまた来てくれるなんてね」

「女将さん。いえ、いただいた無料チケット使わせてもらうので。単価低い客ですいません」

「ははっ、客がそんなこと気にするんじゃないよ」

「あ、そうだ。これ、お返しします。姉が借りていったみたいで」


そう言ってメルはこの店の制服が入った紙袋を渡す。


「ああ……。マリルちゃんには本当に驚いたよ……」


快活な女将でさえ、暴走したマリルには触れたくないようだ。一体どんな頼み方でこのメイド服を借りたのだろう。


「しかし、こっちの子も可愛いねぇ。魔術学院の子はみんなこんなに可愛いのかい?」


ティシエに視線を移し、ほれぼれするように言う女将。


「そうだ、今度は二人でバイトするってのはどうだい?友達と一緒なら楽しいだろう?」

「ああ~、ティシエはけっこういいとこのお嬢さんなので……」


メルはちらりとティシエを見る。ティシエは気立てがいいが仮にも由緒正しい貴族だ。この下町の酒場でバイトに誘われて気を悪くするかもしれない。


しかしメルがティシエの顔色をうかがうとぼけーっとしていた。


ティシエは考えていた。メルはどうやらこの店でバイトをしていたらしい。あの獣耳の店員たちが着ているようなメイド服で。


「お嬢さま、朝ですよ」とメイド服で起こしに来てくれるメル。「今日はこちらのリボンにしませんか、お嬢さま」と着替えを手伝ってくれるメル。


学院に行くのも一緒。私たちは並んで授業を受ける。成績は私が一番、メルが二番。「さすが、お嬢さまです。メルはかないません」。私は「メルもよくやったわ」と頭をなでなでしてあげる。


夜、雷が鳴ってメルは私のベッドにもぐりこんでくる。「メルったら、臆病なんだから」。二人は抱き合いながら安らかな眠りにつく……。


「いいかもしれない……。うふふ」

「お、本当かい!じゃあ、早速……」

「ティシエ!?どうしたの?頭がおかしくなったの?」


メルのツッコミでティシエは夢の世界から帰還した。


そのあとうまいことおだてられ、メイド服に袖を通しそうになったが、メルの説得により未遂で終わった。二人はなんとか店員の説得を振り払い、店をあとにする。


「も~、ティシエってば。気を抜いちゃダメだよ。あの店の人たちは獲物のスキは見逃さず、一度食いついたら放さないんだから」

「ええ、肝に銘じておくわ……」


石畳を歩きながら酒場での失態をかえりみる二人であった。


「さてと、遊んでないで家に帰って試験勉強しなきゃ。さぁ行きましょ」

「もしかしてボクも一緒?」

「もちろん」


抗議する間もなく拾った辻馬車の中にメルはおしこめられてランスター邸前まで移送される。


ランスター家の屋敷の扉をくぐったメルは目を丸くして驚くばかりだった。まずメイドが「お帰りなさいませ、お嬢さま」と言ったのち、マントと鞄を持ってくれた。メイドさんに耐性のないメルはただ恐縮するばかり。


広い吹き抜けとなったエントランスホールの正面には獅子を模した壁掛け噴水があり、その受け皿には蓮の葉が浮かんでいて、時折、小さな馬の妖精が顔をのぞかせる。


「ああ、ケルピー?ウチはたくさん妖精とか使い魔飼ってるから」


ティシエはこともなげに言って、大きな階段を上がっていく。天井や廊下には『光魔灯』がこれでもかとばかりに配置され光の届かないところなどなかった。


階段を上がった先の廊下を進み、角を曲がったところの部屋にティシエは入る。ここがティシエの部屋のようだ。メルは扉を閉める。部屋に入らずに。


「え、ちょっとどうしたの!早く入ってきなさいよ。なんで扉閉めたの」


扉越しのティシエのツッコミにメルはおずおずと部屋に入って、隅っこにぽつんとたたずんでみた。


メルはもう十二年くらい女の子をやっているが、他の女の子の部屋に入るのは初めてだったので恥ずかしいのだ。


部屋はきれいに調えられていてベッドには犬のぬいぐるみが置いてある。犬派だったようだ。


壁には透けレースが可愛いワンピースがかけられている。


本棚は五つもあって、恋愛小説や魔術関連の本が多いようだ。ティシエも恋愛小説なんて読むんだ、女の子なんだなとメルは実感させられる。


そして部屋全体を包むティシエっぽい、いい匂いが、なんともメルを落ち着かなくさせる。



ティシエはなんだかメルの挙動がおかしいことに気づいた。そういえば庶民というのは貴族の屋敷に入ると、かしこまってしまうものだと聞いたことがある。


これはチャンスだ。メルをかわいがるチャンスだ。ティシエの心の中の蛇が舌なめずりした。


「メル、こっちにおいで」

「え……なんで」


ティシエはメルをベッドにいざなう。自らが寝そべっている横をぽむぽむと手で示す。


普段はどこかひょうひょうとしているし、荒事になると楽しんでいる節さえ見受けられるが今のメルのしおらしさとかわいさはどうだ。



しかしメルの許容量が限界を超えた。扉を開けて廊下を突っ走る。


ぴぃーとティシエが口笛を吹くとメイドが一斉に天井裏や廊下の角、彫像の影から飛び出してきた。


メルはメイドタックルを食らいなんなく捕まえられた。


「もう、メルったら本当、落ち着きがないんだから。分かったわ。町でも散歩しましょ」

「勉強はいいの?」

「明日は得意な教科だし、帰ってからまた勉強するわ」



二人が町を歩いているとリズベルと双子騎士リルカとミルカに出会った。


「おや、メルさんとティシエさん、お出かけですか?」

「ええ、リズベル。落ち着きのないメルに淑女としての教育をと思って貴族街区を案内してるの」

「ほう、それはいいですね。メルさん、心して受けるといいでしょう」


リズベルはメルを見てにやりと笑いながら言った。


「えぇ……」


メルは思った。


このやろ、リズベルお前、最近調子に乗ってるな。ちょっと騎士団でボクの上司になったからって。決めた、絶対に決めた。次、二人きりで会った時、すげなくしてやろっと。ボクはねちっこくてしつこいからな。ふふ、今から楽しみだ。


メルは精神年齢的には自分の半分くらいしか生きてない少女に対してそう決意してしまった。


それはともかく任務中のリズベルと双子に別れを言い、見送った。


「くくっ」

「メル、その邪悪な笑みはなに?」

「ううん。なんでもない」


通りを歩いているとベンチに座り新聞を読む老人を見かけた。以前、メルが魔術の教本を購入した店の店主だった。


メルはペコリと軽く会釈すると、向こうもうむ、と力強くうなずきかえす。

あの件以来、黒猫通りでも有名なヘンクツ老人に認めてもらえているような気がしてメルは嬉しく思う。


「知り合い?」

「うん、まぁ」

「ふーん。あ、あそこにいるのはダンケルさんだわ」


メルがティシエの示すほうを見ると背の高いチョッキ姿の男がいた。


「お、メル嬢にティシエ嬢じゃねぇか」

「ダンケルさん、こんにちは」

「メル、ダンケルさんと知り合いだったの?」

「あ、うん。まあね」


「知り合いも何もメル嬢はオレの一番弟子よ。それよりメル嬢とティシエ嬢が友達だったことのほうが驚きだぜ」

「え、どうしてですか?」


「ん?だってよ、ティシエ嬢が持つその夜天杖は……」

「わーわー!」


メルは大声でさえぎって、ダンケルに耳打ちする。


「親方ぁ。その件は内密に。ほら同級生が作った杖を入学祝いに買ってもらったなんてなんとなくいやでしょ?」

「そうか?メル嬢は照れ屋だなぁ。つーか夜天杖にメル嬢の名前刻印してあっけどよ」

「えぇ!?なんでそんなことするんですかぁ」

「まぁ、そのうち気づくだろうよ。がっはっはっは」


ダンケルは豪放に笑いながら去っていく。


「一番弟子ってなに?夜天杖がどうの言ってなかった?」

「き、気のせいだよ」


そろそろティシエの家に戻って勉強しようかということになった。



「ははっ」


メルは通りを歩いているだけで何人も知り合いに出くわしたことに対してなんとなく笑みがこぼれた。


故郷の村にいたころ、一人でゴーレムたちと遊んでいた時とはずいぶん状況が変わった。

この王都での知り合いや友達も大分増えた。爆弾もそこらへんに転がってる気もするが。


「メル、その笑いはなに。うれしそうね」

「なーんでもない」

「あやしい。大体、メルは秘密主義すぎるのよ。えいえい」


メルはティシエに指で突っつかれながら楽しそうに笑った。




そのころ王都の貴族街区の中央に位置する、サン・ポワール大聖堂の尖塔のてっぺんに一人の男が立っていた。


てっぺんとはつまり、不敬なことに光神教のシンボルである、十字にもう一つの十字を四十五度回転させ組み合わせた、『光の十字架』に足をかけているのだ。


風になびく髪は灰色で、赤の瞳は彩度が高く人間離れしている。


強風が吹きすさぶ高所だというのに十字架の先端のわずかな足場でも微動だにしない。コートに上衣にズボンにブーツ、すべてが黒で統一されている。


男は王都を見下ろしながらつぶやく。


「王都イースタニア。ああ、なんて美しい町なんだろう」

「ふん、ごちゃごちゃしているだけだ」


灰色の髪の男のつぶやきに水をさすのは、もう一人の男。白髪がかった青い髪の強面のこの男もまた尖塔の光十字の根元に足をかけて町を見下ろしていた。


「分からないのかい?この町を作るのにどれだけの歳月と労力がかかったか。『魂』の成せる業だ」

「オレは壊すことにしか興味がない」

「やれやれ。相変わらずだね。まあいい、とりかかるとしよう」


男たちは尖塔から身を投げ出した。重力により加速していくが地面直前で急減速し、ふわっと着地する。


周囲で驚く礼拝客を尻目に歩き出し、目的地にたどりつくと男は瀆神(とくしん)的な笑みをもらす。


「素晴らしい。石化して千年が経つと言われているが、確かに途方もない魔力と生命力を感じる」

「君と歌う狂想曲はさぞ美しいものとなるだろう」


そう語りかける先にあるのは『聖竜の像』。


像に向かい、灰色の髪の男はこの世ならざる発音で呪文を紡ぎはじめる。


両手は指揮者のような手つきで宙を踊る。次第に像の表面が振動し、そしてひび割れが走る。


「さぁ、はばたけ『死聖竜』よ。そして我が王国の礎となるがいい!」



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