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21 竜のまどろみ亭

「家に帰ってママのおっぱいでも飲んでな!」


本当に言われた。メルが酒場でミルクを注文すると、それを耳にした強面のはげ頭で上半身裸に革のベルトをクロスさせ体に巻き付けたおっさんがヤジを飛ばしてきたのだ。それが三軒続いた。


メルは気落ちして酒場を出て道路を歩く。


確かにボクの容姿は酒場より、バラが咲く庭先で優雅に紅茶でもすすっているほうが似合っているが、あそこまで言うことはないだろ。メルは嘆いた。


腹が立ったのでメルはハンターギルドにおもむく。賞金首の魔物の張り紙を見ているハンターたちの横でこうつぶやく。


「悪いことは言わねぇ。そいつだけはやめときな。お前さんたちの手に負える相手じゃない」

「ほぅ、わけありって顔だな。報酬次第では力になってやってもいいぜ」


修羅場をくぐりぬけてきた渋くて食えないおっさん的なオーラをかもしだしながらメルは誰へともなくつぶやく。渋いセリフとは裏腹に小鳥がさえずるような甘いかわいらしい声のギャップが哀愁を誘う。


当然追い出される。


メルがぷんぷんしながら歩いていると道路を駆けていく女の子が目に入る。買い物ぶくろを手に提げ息を切らせて走っている。


「はっはっ……。急がないと女将にしかられちゃうっ……」


メイド服姿だが「女将」という単語から貴族に仕えているわけでもなさそうだ。よく見ると獣人族で獣耳がぴこぴこ動いている。可愛いのであとをつけることにした。


その獣人族の子は建物の扉を開けて中に入った。壁には看板があって『竜のまどろみ亭』とある。酒場か宿屋だろうか。メルも続いて入ってみる。


「いらっしゃいませー!『竜のまどろみ亭』にようこそ!」


先ほどとは別のメイド服を着た獣人族の女の子が華やかな声と笑顔でむかえてくれた。


「あら、なんてかわいらしいお嬢ちゃん。お一人?」

「はい、お金はあります」

「ふふ、そう。じゃあ今混んでるからカウンター席でいい?」

「はい、かまいません」


案内された背の高いイスに腰を落ち着ける。バーカウンターの棚にずらりと並べらた酒やワインの瓶で酒場には違いないことが分かる。あの獣人族の子が着ている服はこの店の制服のようだ。


ちょうど昼食時に来てしまったからか、一階も吹き抜けになっている二階もほぼ満席。


磨かれた木の床、日光をふんだんに取り入れる大きな窓、うす暗い他の酒場とは違い明るく清潔なイメージだ。


さらに他の酒場と違うのは、男性客はほとんどおらず女性客でにぎわっていることだ。店員もメイド服姿の女の子だけだ。しかもその女の子たちは全員獣耳かエルフ耳がある。そういう嗜好の店なのかもしれない。


バーに陣取る女将は三十がらみでトロールと人間のハーフなのか、筋肉がやたら発達していて背が高いので威圧感がある。


「み、ミルクください」

「ああぁん!?」


メルが試しに注文すると鬼のような形相になる。


「ミルクだね。分かったよ」


と思ったら慈母のような顔でほほえみミルクを用意しはじめる。


「あと、ホットケーキもお願いします」

「ああん!?」

「ひぃっ!?じょ、冗談です」

「ホットケーキだね。分かったよ」


また鬼の顔から優しい顔に転じる。困惑しているとメイド、ではなくウェイトレスが「女将は耳が遠いから大きな声で注文してね」と教えてくれる。


ほどなくミルクとイチゴをトッピングしたホットケーキが出される。


はちみついりのホットミルクを飲むとあたたかい甘みがほほを喜ばせる。ホットケーキは表面に火であぶったハチミツが塗られている。口に入れると表面の少し硬めの食感のあとに中のふんわりした生地の食感がタブルで襲ってくる。


「おいしい……もぐもぐ」

「ふふ、いい顔で食べるねぇ、お嬢ちゃん」


女将がウェイトレスたちに指示を飛ばしながらメルに語りかけてくる。すると後ろから口論する男女の声が聞こえてきた。


「ねぇ、ウェンディちゃん。なんでこの間のデート来てくれなかったの?」

「お客さん、そんなこと言われても……。そんな約束してないですし……」


男性客が店員の獣耳っ子に言い寄っているようだ。


「なんだよ、色目使ってきたくせにさぁ!大丈夫、今からデートしてくれるなら許してあげるから。ね、いこ?」

「ひっ……離してっ」


男性客は獣耳店員の乱暴に腕をつかみ自身へ引き寄せようとする。


「ちぃっ、またアイツか。たたき出してやる!」


女将がカウンター下からこん棒を取り出して臨戦態勢となる。メルはやれやれ、と腰を上げると男に向かって声をかける。


「お兄さん、その手を離しなよ。お姉さん、いやがっているじゃない」

「ああ!?君のようなちびっこに男女の機微が分かるもんか!」

「あっ、そう。でも魔術のことなら少しは分かるよ」


「『ウインドブラスト』!」


メルは手の平に集めた風の塊を放ちを男に叩きつける。男はもんどりうって倒れる。店内は一瞬静まりかえったあと、喝采に包まれる。


「いや、こりゃ驚いた。お嬢ちゃん、魔術師だったんだね。しかもかなりやり手の。魔術学院の生徒かい?」

「はい、それより店員さんは大丈夫でしょうか」

「いたた……」


ウェンディと呼ばれた店員は床にしりもちをついて顔を苦痛にゆがめている。


「ウェンディ、大丈夫かい?」

「ちょっとびっくりして尻もちついたら足をひねっちゃったみたいで……。でも大丈夫です」

「腫れてるじゃないか。表のことはいいから奥で冷やしてきな」


別の店員の肩を借りウェンディという子は奥にひっこんだ。ベテランっぽい狐耳店員と女将は顔を見合わせ相談する。


「まいったねぇ。この忙しい時間帯に一人欠けちまうなんて」

「ですねぇ。あ、そうだ。お客さんに手伝ってもらうってのはどうです?」

「バカ言っちゃいけな……くないかもね」


すると女将の顔がメルのほうを向き、何かひらめいたような顔になる。


ん?ボクはホットケーキの残りを食べたら帰るつもりだよ?あれか?ボクは人の苦難は見過ごせないように見えたか?


メルは帰る体勢ををととのえ、こそこそと店を出ようとする。


が店員に回りこまれてしまった!


案の定、店の奥の店員の更衣室に連れていかれ、メイド服のようなウェイトレス服を着せられた。


「はぅ……」

「なんてかわいい。家に連れ帰って飾りたいくらいだわ」


店員たちが嘆息をもらす。メルが前を向くと鏡の前には小柄なメイド服の少女がいた。


ああ、メイドさんにするならこんな女の子がいいかもしれない。


ボクは英国紳士。屋敷の食卓で新聞を読みながらコーヒーを飲んでいると、この子が朝食のベーコンエッグとソーセージを運んでくる。ありがとう、と言って頭をなでると子猫のように目を細める。そのさまがたまらなく可愛い、そんな女の子。


ただ悲しいことに鏡に映っている子は自分なんだ。愛でられない。逆に愛でられる側だ。ダメだ、耐えられない。人の苦難なんて捨て置け。ボクはお家に帰るんだ。


「いーやーだー!おうち帰るー!」


メルは思いっきり幼児退行して抗ってみる。


「イヤイヤするさまもかわいいわ……」

「ほんと、メイド服を着るために生まれてきたみたい」


ムダだった。むしろ店員がマリル化してきた感さえある。そこに女将が現れて言った。


「さっきの礼も含めてホットケーキ無料チケット十枚でどうだい?」

「やります」


メルは本能的に答えてしまった。


以前稼いだお金がまだ十分残っているのに。人間、無料という言葉に弱い。そこを突かれてしまった。そして。


「いらっしゃいませー。何名さまですか?ご注文はお決まりですか?」


そこには完璧にウェイトレスの仕事をこなす銀髪ロリ美少女がいた。


恥じらいなど、ない。


家からは結構遠く、この広い王都で知り合いがホイホイ入店してくるわけがない。酒場の恥はかきすてだ。……メルにもそう思っていた時期があった。


また扉のベルが鳴り、新たな客の訪れを告げる。


「いらっっしゃ……」

「ちーっす、騎士でーす!暴行犯の引き取りに来ましたー」

「あ、メルっち……。その格好は……?」


入ってきたのは双子のリルカとミルカだった。先ほど暴れた客を引き取りに来たのが、たまたまこのあたりを巡回していた双子の役目となったようだ。


「え、誰ですか、お姉さんたち?ボク、メル・レンシアなんて子、知らないですよ」

「いや、自分でフルネーム言ってるじゃん」

「銀髪ロリメイド……。尊みが深すぎてやばい……」


メルは観念して事情を話し、とっとと帰るように告げる。


「いやーこいつも『破滅の妖精姫』にでくわすとは運がないねぇ」

「もう、その変なあだ名やめてくださいよ。はい帰った帰った。仕事してください」


縄でしばってあった暴行犯を引き渡し、背中を押しさっさと出て行くようにと促す。


店を出て行く時、ミルカがメルを見てうなずいた。「ん?」と思ったがリズベルには内緒にしておいてあげるという意味だな、と思い至りうなずき返す。


頼んだぞ。これ以上恥辱の連鎖を広げられてはかなわない。


客足も少し落ち着いてきてメルが一息ついたころだった。扉のベルが身を震わせ、客が入ってくる。


「ちょ、どうしたんですか、ミルカ。こんなに急かして」

「はぁはぁ、姉さま。いいから前を見てください」

「えっ……」


背中をミルカに押されながら、入ってきたのはリズベルだった。メルの顔を見て鳩が豆鉄砲くらったような顔をしている。


「メ、メルさん?どうしたんですか?その格好は?」

「あうぅ……。見ないでぇ……」


メルは両手で顔を覆い、背中を向ける。


リズベルだけには見られたくなかった。大体、なんでこんなに早くリズベルがここに?この店は騎士団本部からはかなり遠いはずだ。そんなメルの疑問にミルカが答える。


「ね?姉様。早馬を使い潰して来たかいがあったでしょう?」

「え、ええ……」

「早馬の使い方おかしいですよね……」


ツッコミにももはや気力はなかった。


「うぅ……。いらっしゃいませー」


リズベルとミルカは客として店内に居座り、メイド服のメルの働きっぷりを観察するというドSプレイに乗り出した。リズベルは心ここにあらずと言った感じで紅茶をだばーっとこぼしていた。


「メルちゃん、もっと元気よく」

「はい……」


店員にダメ出しされる。精神ポイントが底を尽きそうだが、わずかな希望を胸に仕事をこなす。


昼の二時までとの約束だったので、あと十分の辛抱だ。メルは時計を一分ごとにちらちら見ながら注文をとる。あと三分、二分、一分。


その時、奇跡が起きた。


「いらっしゃいませー」


残り三十秒くらいなので、この客のオーダーを取ったらバックヤードに引っ込もうと思い、最後の接客スマイルを絞り出した。


「ここよ、マリル。この店、女性でも入りやすくてね。夜は酒場で、昼は軽食を出してるの」

「へぇー、いい雰囲気のお店ですね」


姉のマリルがそこにはいた。隣にいるのは仕立て屋の先輩だろうか。ちょっと遅いお昼を取りにきたところのようだ。


「あら、かわいらしい店員さん。新人さん?」

「メルちゃん……?よね?え、なんでここに?」

「あ、あ……。お姉ちゃん……。いや、その……」


言葉は無力だ。メルは待ち受ける運命に身をゆだね目を閉じるしかない。


「か、可愛いさが爆発しすぎている!」

「ぎゃー!」


マリルは音速タックルでメルを捕らえたあと、ほっぺすりすりしてはちょっと顔を離し、まじまじと観察して法悦の吐息をもらし、またすりすりする。


そして妹の手を取るとその体を宙に浮かせくるくると回す。結界系スキル『絶対妹空間』の発動だった。


これが十分続いた。


燃え尽きた。無限に続くかと思われた時も過ぎ去り、今はバックヤードの椅子に座り真っ白に燃え尽きたメルがいた。


「本当にありがとうね、メルちゃん」

「いえ……」


ウェンディと呼ばれていた子が休憩室で内職をしながらメルにねぎらいの言葉をかける。客とのいさかいでねんざした足には氷をつめたタオルを当てている。


「そういえばなんでここの店員さんは獣人族やエルフの方ばかりなんですか」

「……ほら、獣人族は手クセが悪くて物を盗む、エルフはプライドが高く言うことを聞かない、とか聞いたことない?」

「ああ、ちょっとあるかも……」

「だから雇ってくれるお店が少なくてね。ここの女将はそんな子を積極的に採用してくれるの」


「なるほど。女将もハーフっぽいですもんね。あれはトロールのハーフ?」

「それは全く全然わかんないけど。とにかく私たちが女将に必要とされてて、私たちも女将を慕っているのは事実よ」


そう語るウェンディの顔にはあたたかさとやさしさがあふれていた。


「好きなんですね。女将のことが」

「それとこの店と他の店員の子たちのこともね」


「いやーすまないね、メルちゃん。客でいるより店員としての時間が長くさせちゃって」


客足が落ち着いたので女将もメルをねぎらいにバックヤードに来た。


「いえ、困った時はお互い様です。無料チケットもいただきましたし」

「また来てくれるかい?」

「ええ、もちろん」

「ホント!じゃあメルちゃんのロッカー作っておくからいつでも来てね!」

「はい、ありがとうございます。……ってなんでですかー!」

「あ、間違えた。お客として来てね。……ちっ」

「ちっ……」


今、二人そろって舌打ちしたような気がしたがスルーする。


メルは女将とウェンディに別れを告げて裏口から出る。


店内にはマリルやリズベルがまだいるからだ。もちろん今は普段着に着替えたとはいえ、あのメイド服を見られたあとでは顔を合わせたくなかった。


『竜のまどろみ亭』か。メイド服でウェイトレスをやらされるとは思ってなかったけど、ホットケーキが美味しかったのでまた来よう。メルは散々な目にあいながらもそう思った。


その日の夕方、メルが家で留守番をしているとマリルが帰ってきた。


手には買い物袋を提げている。仕事帰りに市場で夕飯の食材を買って帰るのが習慣となっている。姉の顔はいやに血色がよくツヤツヤしている。


「ただいまー、メルちゃん」

「お姉ちゃん、お帰り」


いつものお帰りのハグをするところが、テーブルに荷物を置くとマリルはどすんと椅子に座り込んだ。


「はぁー、お姉ちゃん。今日はなんだかつかれちゃったな」

「お姉ちゃん。大丈夫?どうしたの?」


マリルがグチをもらすなんて珍しいことだ。どんな時でもイヤな顔をせず、メルの世話をかいがしく焼く。そしてすりすりする。


今日はイヤなことでもあったのだろうか。その割には顔色がいい気がするが、メルはあせった。


「今日は、ボクがお料理する?」

「ううん、大丈夫。私がやるわ。メルちゃんは火の用意とお皿をならべておいて」


メルが作れるものといえばオムレツくらいだ。しかもたいして美味しくない。マリルの絶品手料理に慣れたレンシア家の面々からは物足りないにも程がある。


「くっ、ダメよ。マリル、みんなのご飯を作るのよ……。ぐああ、右腕が悲鳴をあげる」


そろそろメルも演技だと察してきた。そして過酷な運命が待ち受けていることも。


「でも、可愛い妹がメイド服姿になってくれたら頑張れるかもしれない……」


マリルがボソリとつぶやく。買い物袋とは別の紙袋があり、メルが中をのぞくとつい数時間前まで着ていたメイド服があった。


「あら、不思議ね。たまたまメイド服があるわ。ちらちらっ」

「……」


ラウンド2のゴングが鳴った。ただし今度はインターバルがいつになるかは分からない。



その夜、メルは英国紳士になる夢を見た。もちろんメイド服のメルも出てきて給仕をしてくれた。とてもいい笑顔だった。

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