17 case.1 はじめてのくえすと
メルが魔術学院と騎士団の二足のわらじ生活に慣れてきたころだった。
騎士団に顔を出すとメルの上司である二番隊隊長ウルガが声をかけてきた。手に持つ手紙をヒラヒラと踊らせている。
「おう、チビ助。総長から書状が来てるぞ」
「あ、ウルガ隊長。書状?」
「開けて読んでみな。……大体予想はつくけどな」
メルは封蝋をとき手紙を読む。
「『汝、騎士として功を上げるべし。さもなくば騎士たる資格なきものとせん』
王国騎士団総長、ヴァリアルド・ヴァン・ヴェスヴィアスより」
メルは手紙を読み終えると瞳をうるうるさせながらウルガを見上げた。
「おい、そんな顔すんじゃねぇよ」
「総長もお前にうらみがあるわけじゃねぇ。うるさい文官どもから何か言われる前に功績でも上げさせとこうってことだろ」
確かに平民が戦で活躍したわけでもなく、騎士に仕え認められたわけでもなく、騎士になったのでは他の者に示しがつかない。
「うぅ、分かりました」
メルは騎士団の偉い人に目をつけられている訳ではないと知り少し安堵する。
「よし。じゃ、景気よくそこらへんの魔物でも倒してこい」
「はい。隊長。了解であります」
メルは魔物討伐なら得意中の得意だ。
「ってお前、魔物なんて見たことないって顔してんな」
「い、いえ……そんなことは」
やめろ、顔のことは言うな。確かにボクはお姫様、お人形、深窓の令嬢といった言葉がよく似合う顔に生まれついてしまったが一応元、男だ(度重なる辱めにより自信がなくなってきたが。)
ウルガの何気ない言葉にメルはひどく傷ついた。
「心配すんな、おチビ。リズベルと双子をつけてやるから。安心して冒険してこい」
「いえ、ウルガ隊長。私一人で十分です」
そばで話を聞いていたリズベルが申し出る。
「リズベル?さすがにお前ひとりってわけにはいかねぇだろ」
「いえ、その……大丈夫です」
「だからその根拠を言えよ……ってなにモジモジしてやがる」
リズベルはほほを朱に染めながらメルのほうをチラチラ見ている。メルは気づく。
ははぁ。ボクと二人きりになりたいってことだな。かわいいやつめ。
しかしメルはリズベルがなぜ自分のことをこんなに好きなのか考えてみる。
そして思い出す。スライムクイーンを倒したあと、なりゆきでほっぺにちゅーしたことを。なんだかとたんにメルも恥ずかしくなってきてモジモジしてしまう。
モジモジしだした二人の少女にかまわずウルガはリルカとミルカを呼んできた。
「よっしゃ、ここはひとつメルっちを女にしてやりますか!」
「リルカ、それなんかヒワイだよ……」
「くっ、仕方ありません。とりあえず掲示板を見て手ごろなクエストがないか見てきましょう」
心底残念そうにリズベルが言葉を吐き出した。
一行は騎士団本部の正面玄関に向かう。
騎士が受けるクエストは騎士団本部のエントランスの掲示板に張り出されている。自分が所属する隊に振り分けられたクエストの張り紙を受付に持っていき申請し、クエスト開始という流れだ。
「えーとどれどれ二番隊のクエストは、っと」
「『娼館のガサ入れ』に
『ポン引きの取り締まり』それと
『麻薬の取り引き現場を抑えよ』」
まったくやる気が起きないクエストが目白押しだった。現実の騎士の意外な地味さにメルは幻滅した。
「もうっ。また二番隊だけろくでもないクエストばっかり!」
リルカがいきどおる。メルが他の隊の張り紙を見ると、
『グルグ炭鉱に住まう魔物を撃退せよ』
『大森林の奥に咲く幻の花を採取せよ』
『盗まれた古文書を奪回せよ』など。
めっちゃファンタジーしてた。格差がひどすぎる。メルは悲しんだ。
「事務室のハイラインさんに直接かけあってみましょう」
提案したリズベルについて、一行は廊下を歩き、事務室に入る。
「ちーっす!二番隊でーす!もっとマシなクエストくださーい!」
ウォールナットの木でできた机に書類が山のように積み重なっている。
二つの山と山の間に男の顔が見えた。
男はものすごいスピードで羽ペンを走らせ書類を処理していく。
書類の山が減ったとか思うと、つなぎになった部屋から新たな書類が持ち込まれ、また処理されていく。処理済みの書類は部屋の外へ持ち出されていく。常にせわしなく人が出入りしている部署だった。
「……掲示板に張ってあるでしょう?二番隊のみなさんにうってつけの仕事が」
机に身を乗り出しわめくリルカをちらりとも見ずに男は答える。
「さすが、『鉄仮面』のハイラインさん。リルカのハイテンションにもまったく動じない」
鉄仮面というあだ名はあの微動だにしない表情から来てるようだ。黒い長髪をオールバックにまとめて、耳はエルフの血が混じっているのか少しとがっている。眉も目つきも厳しいそれが平常状態らしい。
「ほら、見てこのかわいらしいメルっちを!いいクエスト欲しいよーって泣いちゃうよ?」
「……あなたが『七賢者』『アクシラオス』さまの弟子という……」
ハイラインは眼前の硬質な人形を想起させる銀髪の少女の顔を見る。
「ええ、メル・レンシアといいます。よろしくお願いします」
「…………ッ!」
最初は値踏みするような顔だったハイラインの表情がみるみる変わる。
「…………っ。~~~~~ッ!」
不審、気づき、動揺、そして驚がくと。
へぇ、こいつ「分かってる」ヤツだな。メルは感心する。
このハイラインという男は騎士にしては珍しくインテリ魔術師のようだ。だからこそこの膨大な量の事務仕事を任されているのだろう。魔術師と魔術師が出会ったときはまずお互いの魔力を探り合う。魔力量で大体の魔術師としての実力が分かる。
メルからのハイラインへの評価は、学院の教師と同じくらい、つまりそこそこの魔術師だ。
だからこそ彼は気づいてしまった。目の前にいる小柄な少女、メルの魔力の尋常ではない「深さ」に。
探りを入れても底すら見えない彼我の魔力の圧倒的隔たり。メルに出会わなければ一生で一度も知らずにすんだもかしれない、「境地」に達した者との邂逅。
ハイラインはイスから跳ね起きビシィッと直立不動をする。
「お、お会いできて光栄であります!レンシア殿!」
「こちらこそ、ハイラインさん」
額に汗をたらすハイラインとは対照的に、メルは腰まで流れる銀髪をそよがせ優雅にほほえむ。
よろしい、座りなさいとうながすようにメルはうなずく。ハイラインは再びに椅子に腰かけたがまだ息が荒い。周囲はいぶかしむばかり。
「お手数ですが歯ごたえがあって騎士にふさわしいクエストをみつくろっていただけますか?」
「はっ、ただいま!」
ハイラインは書類の山から一枚抜き出しメルに提示した。
「では、この特Aランククエストの『ダイダルグの滝の底に沈む聖剣を探し出せ』をぜひ!」
「それはロケ地が遠いですし、マリンダイビングもちょっと……」
「ふむ。では『ヴェヴロス火山の火口部でのみ採れる鉱石を採取せよ』はいかがでしょう」
「そこも遠いですし、エクストリームハイキングも趣味ではないですね」
ハイラインはうーむ、とうなったあと書類を探ると会心の笑顔でクエスト令状をメルに見せつけてきた。
「分かりました。近場で安全なクエストですね。ではこちらの『フォン・マルゼ通りのケーキ屋さんの助っ人店員』なんていかがでしょう。ここは店員のかわいらしい制服が有名で……」
メルは魔力で無言の圧力をかける。するとハイラインはまたしてもちぢこまる。
「も、申し訳ありません!」
と、その時、部屋の扉がバンと開けられ一人の騎士が入ってきた。
「ハイラインさん。また幽霊屋敷の苦情が来てますよ。クエスト案件として扱ってもいいですか?」
「またですか。うーむ、困りましたね。霊障の類いは教会の管轄だというのに」
「あんな出っ張った腹に金貨つめこんでるような連中が動くわけありませんよ」
興味を持ったメルが幽霊屋敷について尋ねてみる。
「旧市街区にある無人の古い屋敷に幽霊が出るとの苦情が近隣の住民から寄せられてましてね」
「それ、ボクたちにやらせていただきますか?」
「かまいませんが、神聖魔術も修めておられるのですか?」
「ええ」
「それでしたら、ただいまクエスト令状を作成しますので少々お待ちください」
メルは信仰力が低すぎるので神聖魔術など一つも使えないが、国土の端まで行って命がけの探索をするよりマシだと思った。
クエスト令状を受け取りハイラインに礼を言って部屋を出る。
「賢者の弟子のネームバリュー半端ないね!あのハイラインさんがあんな物分かりよくなるなんて」
「ロリコンの可能性が魔粒子レベルで存在……」
ミルカの不穏当な発言をみんなで全力でスルーして騎士団本部を出ようとすると、正門に女の子が一行を待ちかまえるように腰を当てて立っていた。
亜麻色の髪に白いコサージュ、黒いマント、そして優雅なたたずまい。ティシエだった。
「ティシエ?どうしたの、騎士団本部に来るなんて。授業はいいの?」
「メルのクエストを手伝いに来たの。騎士の称号をはく奪されそうなんでしょ?」
「えっ?何で知ってるの?今朝、通達が来たばっかりなのに……」
「ふふ、ランスター家の情報網を甘く見ないことね」
ティシエは人差し指を立てて得意な顔をした。一方、メルは貴族の情報ネットワークというねばっこくてうっとうしそうな響きに眉をひそめる。
「でクエストはどんなの?千年竜の討伐?お姫さまの護衛?」
ティシエは興味津々に聞いてくる。
「幽霊屋敷の調査だよ」
「思ったより地味ねぇ。でも初めてにしてはてごろかもしれないわね」
メルは二番隊向けに貼られた地味クエストを見せてやりたい気分だった。
「というわけでティシエに助力を頼んでもいいでしょうか、リズベル卿。実力は保証します」
「ええ、魔術学院の学生の実力は知っています。ただしティシエさん、危なくなったら、私たちを置いて逃げてでも自分の命を最優先にするように」
「分かりました。リズベル卿」
「あの子たちのお守りしてあげないとね、ミルカ」
「メルっちとティシエちゃんが並ぶと姉妹みたいでかわいい……」
「あ、自分の世界に入ってる」
一行は旧市街区までやってきた。
この一帯は前時代から存在する荒れた壁で囲われていて、古くからある貴族の邸宅が多い。またコビットやドワーフなど少数種族も昔から住み着いている。大陸中から礼拝客が訪れる大聖堂があるのもこの区域だ。
かつては町の中心だったが町が拡大するにつれ手狭になり、中枢機能は現在の貴族街区に移された。
「メル、見てあれが旧王宮よ」
「えっ、あんなに小さな建物が?」
ティシエが指差した建物は貴族街区にある現在の荘厳の王宮とは程遠かった。
「だってもう七百年も前に作られたものだからね」
「なるほどー」
「こらー、そこーピクニックじゃないぞー」
リルカがのほほんとしたメルとティシエにつっこむ。
「バナナはオヤツに含まれますか?」
「ん?」
「あ、いえなんでもありません。えーと、装備の確認をしましょう」
騎士たちは武器庫から聖水と光神教のシンボルである光の十字架を持てるだけ持った。メルとティシエは魔除けの護符とタリスマンを装備した。
一行は屋敷についた。
屋敷は古い建物が立ち並ぶこの区域においても、時の流れから取り残されたように朽ち果てようとしていた。
塀壁は崩れて段々模様を描き、開きっぱなしの窓が風でカタカタ揺れ、庭には雑草が生い茂る。
かつては壮麗であっただろう朽ちかけた正面扉を開け中に踏み込む。そこは塗り固められたかのように真っ黒な空間が広がる。
「うわー真っ暗ー。たいまつプリーズ!」
「光の精よ、導なきこの世を照らしたまえ『ライト』!」
リルカのヘルプコールにティシエが呪文をつむぐと、杖の先にぽわっと優しい明かりがつき半径3mほどが明かりに照らされる。
「ボクもつけます。『ライト』!」
メルが手の平をかざし呪文を唱えると広間全体が明かりに照らし出される。
「うっ……!」
「ちょっとまぶしすぎぃ」
他の者はまぶしさに目を腕でかばう。メルはあわてて魔力を弱め光量を落とす。今度はまぶしくない程度に部屋全体をほのかに照らす。
「反逆のメルっち……」
「す、すいません。ワザとじゃないですよ」
メルはぺこぺこ謝る。
「メルっちに比べるとティシエのライトはちんまいね」
「ふ、ふつうはこれくらいです。詠唱なしでのあれだけの光量を出すメルがおかしいんですっ」
リルカのダメ出しにティシエはキッと反論する。
「しかし予想していたとはいえ大分荒れていますね」
「ニオイもすごいなぁ。アンデッドとか湧いてないよね?」
エントランスホールは荒れていた。ところどころ床板は抜けクモの巣が張り、板壁は腐り剥がれ落ちそうだ。大理石の彫像の首が床に転がり、二階に続く階段の手前にはガレキが散らばっている。
「では手分けして探索しましょう。メルさんとリルカがペアで、ティシエさんとミルカは私についてきてください」
リズベルの指示で二手に分かれ探索を開始する。メルとリルカは一階を、リズベルたちは二階を見て回る。
メルとリルカを見送ったあと、三人が階段を上るとぶるぶるとリズベルが震えだした。ミルカとティシエはリズベルを引きずって連れていく。
一方、メルとリルカは一階の廊下を歩く。歩くたびにギシギシと軋んだ音を立てる床には冷気がサアッと走っているように思える。
しかし鼻歌を歌う陽気なリルカのおかげでメルもそこまで怖くはなかった。
「てゆーかさ、もし本当に幽霊だとしたら昼間に来ても出なくない?そこんとこどーなのメルっち、ぷにぷにつんつん」
「ぷにぷにつんつんしないでください。でも確かに……。屋敷を一通り探索したら近隣の住民に聞き込みが必要ですね」
二人は部屋を見て回っていると厨房に入った。煤こけた石窯に、テーブルの上には穴の開いたフライパン。床には割れた皿が散乱している。
「ん、足跡があるよ、メルっち」
リルカの言葉にメルが床に目を向けると、確かに足跡とわずかな泥が確認できた。
「ほんとだ。靴のサイズから言って子どもが肝試しに入ったわけじゃなさそうですね。二人、いや三人分かな」
市役所の役人か解体業者か、はたまたコソ泥か何かが出入りしているのか。
メルは思案しながら足跡の周りを観察していると床に光るものを見つけた。塩か砂礫かと思ったが何かひっかかるものがあったのでメルをそれを手に取りなめてみる。
「ペロっ……。これは……ラリリウム!」
ラリリウムは平たく言えば麻薬だ。鎮痛剤として医療用に使われることもあるが、その場合、国の認定を受けなければいけない。取引・販売・使用されているものの99%は違法の品と言っていい。
メルが窓に身を乗り出してラリリウムを日光に透かすと特有の虹色が出る。『虹の秘薬』という隠語で呼ばれるゆえんだ。
「ええっ!?麻薬がなんでこんなとこに?」
リルカが問うもメルにも分かるわけがない。
その時だった。
「きゃあああ!」
リズベルたちがいる二階から悲鳴が聞こえてきた。