12 魔術学院試験
その後、試験までの残りの数日はメルの部屋でティシエと座学だけに専念することとなった。またあんな化け物が現れたら、ティシエに害が及ぶかもしれないからとの判断だった。
そしてメルは悩んでいた。今日何を着るかについて。
「こっちのリボンのほうがいいか……。いやでもこの服には合わない気もする。お互いの主張が食い合って散らかった印象になるというか……」
メルは鏡の前でとっかえひっかえ服を体に当てて印象を確かめてみる。
「ってなんでボクがこんなことせにゃいかんのじゃー!」
ふと我に返ったメルはかわいらしい服をバチーンとベッドにたたきつける。
ティシエがいつもきっちりと貴族の令嬢らしい服を着こなしてくるので、メルもかわいく決めないといけないという強迫観念にとらわれるのだ。断じて年頃の女の子らしくオシャレに目覚めたわけではないと自分に言い聞かせるメルであった。
ティシエが来て勉強会が始まる。
「アルーメンを乾留してウィトリオール。ウィトリオールに塩を入れてアキドゥムサリス。アルーメンとニテールを蒸留してアクアフォルティス……」
ティシエは錬金術のレシピをそらんじている。
「あー、頭の中でフラスコが舞っているわ」
メルもとうに学習を終えた部分だったが気持ちは分からないでもない。思考ブーストチートスキル『叡智の泉』がなければ五分で参考書を投げ出していただろう。
「錬金術なんてやりたい人だけにやらせればいいのに。どうせ配点も少ないだろうから、錬金術捨てて他の教科に時間使おうかな」
「いや、錬金術は頑張ったほうがいいよティシエ」
「えー、メルがそう言うならそうなのかしら……」
世間では魔術といえばイコール精霊魔術である。その他は軽んじられる傾向があり、魔術学界での地位は低く研究予算も少ない。
しかし中世の錬金術は科学の礎となったことで有名だ。現代科学がきずいた文明社会から転生してきたメルにとってはそれを捨てるなんてとんでもないといった心情である。
錬金術の教本と格闘していたティシエはふとメルが読んでいる本に目を向ける。
「メル、こんな難しい参考書も分かるの?」
「うん、大体はね」
メルが机に広げているのは『王立魔法研究所、上級職員試験』。突破率5%と謳われるこの試験の問題集ですらすらすら解けるようになったので、はるか下の学院の試験など取るに足りない。
「はぁ~、メルって天才だったんだ……。よしよし」
「そ、それほどでもないよ。ちょっとなでないで……」
チートスキルでズルをしているのでメルは後ろ暗すぎてまったく喜べない。
「いよいよ明日、試験だね」
「うん。メルは大丈夫だろうけど、私はどうかな」
「大丈夫だって」
「そうかな。ううん、絶対受かってみせるわ。メルと同じ学校に通いたいし」
「あとニコライとも縁を切りたいし」
「あ、忘れてた」
「ダメじゃない。メル、アイツの愛人にされちゃうわよ」
「ぷっ」
「ふふっ」
ティシエはこの数日の付き合いで、メルをマスタークラスの魔術師と認識するようになり、その首席合格はゆるぎないものと考えていた。メルも同じ考えだった。
「メル、ごめんなさいね。私の運命をあなたに託すようなことして」
「んーん。全然。ちょうど魔術学院の試験受けるだけだし」
二人は楽観視していた。思わぬ落とし穴が待ち構えているとも知らずに。
――そしてついに試験当日を迎えた。
象牙の塔は全十一階層からなり魔術師としての位階によって登れる層が決まっているという。
第一層には受付カウンターや来客にも開放された図書館や講演室がある。その講演室が試験会場となった。会場には300人ほどの受験者が来ていた。合格者数は30人というから倍率はおよそ10倍。受験資格は十二歳から二十歳までなのでみんな若者だ。
使い魔を連れている者も結構いる。トカゲやネズミ、フクロウ。メルはちょっとうらやましげにそれらを見たあと、ぶんぶんと首を振る。メルの脳内でうらめしげにゴーレムたちが踊った。
メルはティシエを見つけた。受験生の多くは貴族だがその中でも目立つくらいその端正な容姿と洗練された居ずまいは飛び抜けていた。
ただ他の受験生同様、参考書を片手にぶつぶつ言いながら歩いている。普段、優雅な笑みを絶やさないティシエだが、今日ばかり表情から焦りが読み取れる。
「ティーシエっ。そんなに緊張しなくても」
「あ、メル。だって……」
「大丈夫。あのイアイスの森でのこと思い出して」
「メルがかわいかったわ……」
ティシエはほうっとため息をつく。
「なーっ!?なに、思い出してるの」
「キノコに乗ってはしゃいだり、リスにスカートめくられたり」
「もうティシエなんて知らないんだから」
「ふふっ、ごめんごめん。もう、すねないでよ。メルったら」
二人がキャッキャッとはしゃでいるとニコライが近づいてきた。
「やあ、未来の僕の奥さんと愛人さんじゃないか」
「その気持ち悪い呼び方やめて」
「他の者みたいに最後の悪あがきをしなくていいのかな?」
「あなたこそ、親御さんに説明つけたんでしょうね。婚約破棄のこと」
「まさか。あり得ないことを想定しての行動なんて愚か者のすることさ。ははっ」
キザな笑いとともにニコライは去っていった。
「大丈夫かな、アイツ。約束守る気ないんじゃ……」
「そうね、口約束だけだし。誓約書でも書かせればよかったかしら」
二人が話していると試験の時間が来た。
校長のスピーチの後、筆記試験が始まった。やはりもっとも一般的な科目である精霊魔術の配点が大きい。
途中、誰かの使い魔のトカゲがカンニングしにメルの答案をのぞきに来たので、叩き落とした。するとその直後、遠くの席の者が部屋から追い出されていた。
そんなことが数回起きた。妨害アリの筆記試験なのかもしれない、とメルは考えたが自身は問題を起こさず答案用紙に集中した。反復演算で自己採点してみたが文句なく満点だった。
次は屋外での実技試験。いつの間にか半分ほどに減っていた受験者は敷地の庭に集められた。
庭の100m向こうにはカカシが10体立っている。
「みなさんには『ファイヤーボール』を使ってあのカカシを狙ってもらいまーす」
試験官の声が響く。
ファイヤーボールはもっとも基礎的な魔法でウィザードの代名詞と言ってもいい。簡単であるからこそ、使用者の実力を測れる。「ファイヤーボールなら死ぬほど練習したぜ」など受験者から安堵の声が漏れる。
「ただし、早い者勝ちでーす。そして射撃は一人一回まででーす。さぁ開始ー」
束の間の静寂が場を包み込み、それは膨張し弾ける。
「…………う、おおおおおおー!!」
先ほどの安堵もどこへやら、受験者たちは我先にと呪文を唱え始める。
それもそのはず。ファイアボールを受けるとカカシは燃え落ちるはずだ。残っている受験者二百名弱に対してカカシは十体。どう考えてもカカシの数が少ない。
放たれた火球が次々とカカシへ向かって乱れ飛ぶ。しかしその火球はことごとく外れる。あるいはカカシまで届かずに地面に落ちるか、火球の火が消え失せるという技術的に未熟な者もいた。
実技試験と言っておきながらこの試験は精神の強さを見ることが目的のようだ。誰しも早い者勝ちという言葉には焦る。焦れば詠唱が乱れ、命中もおぼつかない。そんな輩は魔術師として三流ということだ。
ぼんっ!誰かが放った火球がカカシに当たりカカシは燃え落ちる。
「はんっ、なんだ簡単じゃないか。こんなことで取り乱してみっともない」
ニコライだった。受験生の間でさらに動揺と焦燥が広がる。
「どうしよう、私たちも早く行かないと」
「大丈夫。もう少し様子を見てみよう」
「ええっ!?」
その後、半数ほどが一回きりの射撃権を使用し、残りは8つ。メルが思った以上に受験者の練度は低いようだ。
しかしその後、試験の目的を見抜き、様子を見ていた者たちが続々と火球を放ち始めた。彼らはそこそこの実力者のようで、命中させる者もちらほらいた。残りのカカシが6、5、4、と減ってきた。
ティシエはその間、動きたくともメルに裾をつままれ動けずにいた。
「ああ……。どんどん減っていく。筆記試験も半分くらいしか出来なかったし、もうダメかも……」
「ティシエ。落ち着いて。これは精神の落ち着きを見る試験なんだ」
「え?」
「試験官は『狙え』とは言ったが『当てろ』とは言っていないでしょ」
「あ……。そういえば」
「多分、全員が打ち終わってもカカシは一個か二個は残るから」
「だからたとえ外れても、試験開始直後に焦って撃った者と、人の波が落ち着いてからきちんと詠唱した者では加点に差が出るんだ」
メルも確信があるわけではなかったがティシエを安心させるために断言してみせる。
「そろそろ人も減ってきたね。さぁ、行こうか」
「ええ」
二人は射撃ラインに立つ。ティシエは杖をかまえる。メルは無手流で杖は持たない主義だ。
「大丈夫。たくさん練習したでしょ」
ティエシはメルの言葉からイアイスの森でのことを思い出していた。
多少遠かろうが、激しく飛び跳ねるホーンラビットに比べたら。
「あんな動かないカカシなんて!」
「『ファイアボール』!」
放たれた火球はカカシの中心に吸い込まれ、木のわらくずを爆散させた。
「やった!やったわ、メル!」
「お美事にございまする」
「あ、ごめんなさい。メルがまだだったわね。静かにしてるわ。がんばって」
「うん」
ティシエの応援にメルはふっと微笑んでみせる。その余裕のある動作にティシエはメルへの尊敬の念をますます深めた。
しかし。
『やべー、どうしよう』
メルは内心、焦りまくっていた。
レベリングもゴーレム術に頼りきり、精霊魔術はまるで練習してこなかった。ファイアボールを放ったのも勉強初日に路地裏で小さな炎を投げ飛ばして壁にコゲを作ったきりだ。
なので安全策をとることにした。高い魔力に物を言わせ、火力を高めにして、もし外れて地面に落ちても着弾の爆風でカカシに当てる作戦だ。
「『ファイヤーボール』!」
手のひらから放たれ酸素を取り込み大きくなった火球はカカシへと向かう。軌道的に当たりそうだ。よし。メルは心の中でガッツポーズをした。
しかしメルの予想とは外れた。
バフォオオ!
カカシに当たった瞬間、爆風が辺りをなぎ払う。メルの長い銀髪が風でばさばさと乱れる。
命中したカカシどころか、残りのカカシもすでに燃え落ちていたカカシも何もかもを飲み込む。さらには周囲の木々にまで燃え移り火災が発生した。
メルの額に汗が流れる。想定より火力を盛りすぎたようだ。
「な、なんだ……あの威力?あれがファイヤーボール?」
「あれじゃ、まるで最上級火炎魔法……!」
「え、えーとこれにて実技試験終了でーす。お疲れ様ー。……水魔術使える試験官は消火活動に当たってくださいー!」
試験官も焦った声色で試験を幕引きさせる。見守っていた他の試験官たちは泡を食って消火活動にかかる。
休憩をはさんで次は『面接試験』だ。
「見ろよ、アイツだ……」「あのデタラメ魔力……」「くそっ、アイツさえいなけりゃ」「可愛い……」
待ち時間の休憩室では周囲から怨嗟の声が聞こえてくる。毒蛇竜を倒し、アンブロシアで強化された魔力はメル自身の想定をはるかに超えていた。おかげで試験クラッシャー扱いとなってしまったメルであった。
大丈夫だ。落ち着け。『狙え』とは言っていたが『試験会場もろとも焼き払うな』とは言われていない。セーフ、セーフだ。メルは自己暗示をかけようとしたがそのもくろみが成功するかは怪しい。
ニコライが蒼い顔をしてぶつぶつ言いながら廊下を行き来している。気づいてしまったようだ。自身がいかに井の中の蛙だったかを。
と言ってもメルも蒼い顔をしているのは同じだった。そこにティシエがやってきた。
「メル、ありがとう」
「え、ティシエ。なにが?」
椅子に座りちぢこまるメルにティシエはほほえみかける。
「その……、私のために試験を幕引きさせてくれたんでしょ?」
「んん?」
「もう。とぼけなくていいから」
「あれ以上カカシに当てる人がいなかったら、私の順位も必然的に上がるでしょ?撃てなかった人には悪いけど」
「あ、うん。まあね。はは」
予想だにしない言葉だったがメルは調子を合わせておく。
「次、メル・レンシアさん」
名前を呼ばれたので螺旋階段を上がり第五層まで行く。校長室の扉をノックし、中にはいる。
中には三人の面接官がイスに座っていた。左から優しそうな初老の男性魔術師、真ん中に厳格さと大らかさを兼ね備えた白ひげの校長。そして神経質そうな40代の女性の教頭。
「やあ、さきの実技試験では大活躍だったね」
初老の面接官が語りかけてくる。
「ええ、こざかしいので蹴散らしてやりました」
守勢に回ってはダメだ。やられる前にやる!メルは先の試験で悪目立ちしたため、ちょっとヤケクソになっていた。
「っ!校長先生!やはり、この者は当校にふさわしくありません。あのような爆炎を発生させてよくもしゃあしゃあと!」
「まぁまぁ、教頭先生。ほほ」
校長がさえぎる。
「しておぬし志望動機は?この学院の門を叩いた理由を聞かせておくれ」
「ボクが師事するに足る人物がいるかどうか見極めるためです」
どうせ隠してもムダなのでメルは本音をさらけだす。
「こ、この小娘は……!」
「して、見つかったかね」
「そうですね。校長先生、あなたなら」
「うむ、妥当な見立てじゃ」
校長はうなずく。教頭は怒髪天だ。
「こんな思いあがった者を受け入れるなど危険です。当校は社会規範を遵守し知性と良識とを兼ね備えた若者を……!」
「ですが教頭先生。筆記試験、実技試験ともに満点などこの学院始まって以来のことですぞ」
「満点!?この娘は筆記試験の『真の意図』を理解しているようには見えませんでしたが?」
「しかし実際満点だからのぅ。ほほ」
「筆記試験の意図?」
知識を測る以外に意味なんてあるだろうか、とメルは訝しんだ。
「あれはね。知識を測ると同時に、『解決不能な問題に直面した時、どう対処する』か見るためのものだったんだよ」
「解決不能な問題?」
面接官たちは苦笑をもらす。
「あの試験の問題は君たち受験生の知識量では精々50点しかとれないようになっていてね」
「だからほとんどの受験生は答案が半分も埋まらない」
「当然、半分では不合格になると思うだろう」
「そこでどう行動するか、カンニングをするもの。頭をひねって答えを出そうとするもの。泰然と瞑想を始めるもの」
道理で使い魔にカンニングをさせたヤツが何人もいたのか。メルは納得する。
「なるほど。では瞑想を始めるものが一番加点が高いわけですね」
「いやカンニングでもいいんだ。他の者の邪魔にならずに魔術師らしい技ならね。慌てふためいて使い魔にカンニングさせるような者は即刻退場だけれどね」
「君は大人気だったよ。全く詰まることなく書き進めていくもんだから周囲に狙われてた」
メルもこれには驚いた。解答に夢中で全然気がつかなかったのだ。
「特におぬしの斜め後ろの席の者は見事じゃった。おぬしの腕の動きをトレースしてそっくり解答を写しておったからな。魔術師界隈ではあまり見かけない技だわい」
「解答欄が全部ひとつずつずれてなければ、ですが」
笑いが巻き起こる。
「解答欄で50点、その後の行動でそれに加点、というのが本来の採点方式じゃが、おぬしは小細工なしに満点をとってしまった」
「ははは。……あれ、じゃあボクは加点なし?」
「いや満点は満点じゃ。間違いなくトップじゃ」
メルは安堵のため息をつく。
「実技試験も誰がどう見てもトップじゃ。受験生どころか教師陣にもあのファイヤーボールの威力はマネできん」
「あの火災を鎮火するのに、試験スケジュールが大分狂いましたが」
「ほっほ。まぁまぁ教頭先生」
「あれも魔力の多さや射撃技術を測るのは二の次だということは気づいていたと思う」
「はい。精神の成熟度を見る試験ですね」
「うむ」
筆記、実技どちらの試験も魔力や知識量を測るのが主ではなかった。『知性』を測る試験だったのだ。
メルは数日で大幅に魔力と知識量が増大したので、正直受験なんて、と見下していた。しかしこの学院に学ぶところはありそうだ、と考えを改めさせられた。
「両方トップということは……」
「そうじゃの。本来なら選考して後日、合否の通知を届ける手はずじゃが言ってもよかろう」
「お主は『合格』じゃ。おめでとう」
「ありがとうございます」
油断してはいけない。合格は当然だ。問題は首席で合格するかだ。メルは首席合格かどうか尋ねてみる。
「首席合格に何かこだわりでもあるのかね?」
「実はけっこう負けず嫌いなので……」
適当に理由をつけておく。ニコライとどちらが首席になるか勝負をしているなどまさか言えない。
面接官たちは顔を見合わせる。そして哀れみの目つきで校長はこう言った。
「残念ながら首席合格者は貴族の者だけと決まっておる」