10 魔術のお勉強
『魔術学院』の試験まで残り六日――。
メルは自室の机で魔術の教本を読む。ちなみに今日の髪型は三つ編みのお下げだ。マリルに伊達メガネをかけているところを見られたら「やっぱりメガネと言ったら三つ編みよね」と言ってこの髪型にされてしまった。
ウィザードの使う精霊魔術、サモナーの召喚術、司祭が扱う神聖術。そして錬金術、占星術、ルーン秘術。メジャーな系統の魔術の知識はあらかた学び終えた。ゴーレムに関する本は買った本の中にはなかったことが悔やまれた。
五十冊ほどの魔術の教本をマスターにするのに要した時間は三時間ほど。『学習能力ブースト』でシナプスとかニューロンとか海馬がフル活性した効果だ。
するとピコンと通知音がした。
「『領域メモリ拡張』『顕現メモリ高速化』を獲得」
「これにより『学習能力ブースト』が『叡智の泉』にランクアップ」
メルはステータスウィンドウをタップして説明を見てみる。名前を変え『叡智の泉』となったチートスキルの下に子要素として新たなスキルが追加されていた。
『領域メモリ拡張』 領域メモリを二倍にする。
『顕現メモリ高速化』 顕現メモリの処理速度を二倍にする。
領域メモリとは脳内にある、術式を書き込んでおく領域。生まれた時にこの領域の大きさは決まっていて、何があっても絶対に変化することはない。ただ生まれた時点ですべての領域を使えるわけではなく、魔術の訓練によって少しずつ使える領域を増やしていく。
顕現メモリとは術式を走らせ、出力する脳内の部位のこと。これが大きいほど詠唱が速くなり、威力も上がる。これも同じく訓練によって発達する。
コンピュータでいうと術式メモリが記憶装置で、顕現メモリが制御装置にして出力装置だ。
教本によって得たこれらの知識により『叡智の泉』が自動でその知識に応じたスキルを獲得したようだ。メルが得た経験や知識で強化されていくらしい。
ちなみに『叡智の泉』を構成する他のスキルは以下になる。
『高速演算』 状況解決のためのあらゆるパターン・数値・式の高速計算が可能になる(使用時には集中力が必要なので普段はオフにしている。)
『経験値、術・スキル熟練度ブースト』 経験値全般にボーナスがかかる。先天職業ボーナスなどと重複可能。
『分心術』 精神攻撃を食らったさいに汚染された精神を隔離する。
上二つは最初から習得していた、基本セットだ。『分心術』はメルが生まれたころには持ってなかったはずだが、いつしか習得していた。女の子としての扱いを受けるたびに傷ついたメルの精神の衛生のために生まれてきたスキルなのだろう……。
さて、知識はあらかた詰め込んだが、実際に習得する術は以下にとどめておく。
精霊魔術:火 ファイアーボール B 火球を放つ。
精霊魔術:風 妖精のささやき B 音を任意の方向に飛ばす。
精霊魔術:風 サーチ B→A 範囲内の生物の敵意や視線方向まで判別可能。
精霊魔術:風 ウィンドブラスト B→A 風の塊を放ったあとでも操作可能。
精霊魔術:光 ライト A 詠唱の省略が可能。
メルは習得する魔術を現状は精霊魔術の初級術に限ることにした。召喚術はゴーレムと用途がかぶるので除外。神聖術はゴーレムマスターを選択したがゆえに適性が低いので除外。他の錬金術などは補助や生活に関するものなので除外。
魔術メモリの知識を得たことでステータス欄にもその項目が増えていた。
見ると領域メモリ最大値12万8010となっている。そのうち使用可能なのが5万ちょっとで、使用中領域が3200となっている。
まだ最大値まで伸びしろがあり、現在使用可能数値も大分余裕があるが、メルは貧乏性なので精霊魔術の上位術の習得は控えておくことにした。何よりメジャーなものを嫌うマイナー偏屈志向がメルにはあった。あくまでメルにとってメインはゴーレム術で精霊魔術はサブなのだ。
「よし、一狩り行くか」
王都の外の狩り場で実戦テストをするためにメルがマントを羽織り、家の扉を開けると人影とぶつかる。
「きゃっ……」
「わっ……!?」
何かと思うと二日前に友達になったばかりのティシエが尻もちをついていた。周囲には本が散らばっている。
「ご、ごめん、ティシエ。どうしたの?この本は?」
「いたた、あ、メル。三つ編みもかわいい。じゃなくて、一緒に勉強しようかと思っておじい様の書斎から本を借りてきたの」
「こんなにいっぱい本を……。この黒猫通りは貴族街区から遠いのに。重かったでしょ」
「ううん、メル、きのう私をかばってくれたんだもの。このくらいしないと」
ええ子や、めっちゃええ子や。メルは友情のありがたさに心で涙した。すると後ろからマリルがのぞいてきてティシエの顔を見て言った。
「あら、きのうメルちゃんが言ってたお友達?あーん、かわいい」
「はじめまして。ティシエ・フォン・ランスターです」
「私はメルちゃんの姉のマリルよ。よろしくね」
「は、はい。こちらこそ」
この時、ティシエが「はじめまして」の最初の一音を発する前にマリルに抱きつかれてすりすりされている。同い年のメルから見たらいくら背が高く、大人びているとはいえ、マリルの前では子ども扱いだ。
マリルも十四歳のはずだが、すでに十八歳、いや二十歳くらいに見える。メルがそう考えているとマリルは顔をグルンと九十度かたむけてメルのほうを向く。
「メルちゃん、何か失礼なこと考えてない?」
「ううん、気のせいだよお姉ちゃん」
メルは全身に走る悪寒と戦いながら平静をよそおって言った。
「それよりお姉ちゃん、ティシエを放してあげて……」
「うっ、メルちゃんが嫉妬している。分かったわ。私の妹はメルちゃんだけだものね」
「……」
追いすがるマリルを振りはらい、メルの部屋で二人で勉強をする。
「けっこうメルも本持ってるのね。しかも難しそうな本もたくさん」
「うん。手当たりしだいに買ったから」
「じゃあ勉強しましょっか」
「うん」
ティシエは羽根ペンではなく、水晶のペンを使っていた。中には魔石が入っていて使用者の魔力でインクを生み出す仕組みだ。さすが貴族さま、メルはうなった。
「えー、なになに。『マンドラゴラを抜くときの方法を複数答えよ』……有名なのは犬をぎせいにして抜かせる、よね。これ以外になにかあるメル?」
「『ストーンスキン』で抜く前の地中にいる時にマンドラゴラを圧殺する?」
「なるほど。答えはえーと……『妖精のささやき』で叫び声を空に向かって集音させればよい、だって」
「えー、すごい難しそう」
「あ、かっことじで『論拠が合ってればなんでもよし』だって」
「投げやりすぎる……」
『理解』とは自分が『知る』だけでなく、人に教えられるようになって初めて成立する言葉だ。ティシエに教えることはメルの魔術の知識を深めるのに役に立った。ティシエもまたメルの教えをよく吸収した。
「うわぁ、メルの教え方上手ね、すごく分かりやすい。本当にニコライより上かも」
「そう?でもティシエも十分、知識あると思うけど。飲み込みも早いし」
「勉強はきらいじゃないんだけど。私、魔力が高くないから」
「ふーん。じゃ今度一緒に一狩り行こうよ」
「一狩り?マジックベリーでも摘むの?」
「いや魔物だよ魔物。なんで果実を摘むのさ」
「魔物を狩る!?な、何言ってるの?」
「え……」
しまった。メルは心の中で舌打ちした。駆け出し騎士のリズベルがああだったから、魔術師見習いも魔物狩りくらいしてるかと思ったが、リズベルが特殊なだけだったようだ。
リズベルのばかばか。メルは騎士の友達を心の中でぺちぺちたたいた。
「いや、魔物を狩ることこそが最強のレベリング方法だよ」
メルはもうこの際開き直ることにした。ちょっと魔術をかじった普通の女の子のフリはやめた。どうせティシエと付き合いを続けるなら遅かれ早かれバレることだ。ちょっとゴーレムで魔物を狩るのが大好きな女の子だということが。
「レベリング?」
「あ、研鑽を積むには、かな」
ついゲーム的用語が出たのでメルは言い直した。
「魔物を狩るなんて……。なんというド根性理論……。でもメルが言うのならいいトレーニング方法なのかもしれないwね」
「うん。今日は遅いから明日の朝一で出発しよう。じゃあ朝八時にサン・ジャック門に集合でいい?」
「ええ、分かったわ」
「あ、この本、メルの部屋に置いていっていい?」
「いいけど、それじゃティシエが勉強できなくない?」
「これとは別に本持ってるから大丈夫よ」
「そうなんだ、じゃあちょっと借りるね」
メルはマリルの目をかいくぐり玄関先までティシエを送り、別れを言う。
―――。
翌日、王都から貸しピックル屋で借りたピックルに乗ること三十分。
「はぁー、木もキノコもでっかいなぁ……」
メルとティシエがやってきたのが、ここ『イアイスの森』。王都の西に位置する深い木々に覆われた森で、樹皮と土と獣の匂いが鼻孔をくすぐる。全体的にスケールが大きく木の幹などは半径5mほどもあり、キノコもメルが乗っかれるほど大きい。
ためしに乗ってみるとほどよい弾力があって、体を揺らすと柄がしなり、キノコ全体が揺れ、ちょっとしたアトラクションのようだ。はしゃぐメルを見てティシエはぽつりと漏らす。
「メル、森でたわむれる妖精みたい……」
「もうっ。変なこと言わないでよ」
「だってメルがかわいいから仕方ないじゃない。ふふっ」
マリルが息を吐くように言う「かわいい」とも、リズベルの恥じらいと情感をこめた「かわいい」とも違う、さらっとしたさりげない「かわいい」だった。さりげないからこそメルの羞恥心を引き出した。
少しはしゃぎすぎたことを恥じつつキノコから降り、メルは木漏れ日が差し込む森を落ち葉や朽ち木を踏みながら歩く。
「いい土してますねぇ」
メルはしゃがみ込んで、土をさわってつぶやく。実は森ガールだったのだ。……ではなくマナがふんだんに含まれている土でゴーレムを作ると、出来がよくなるので、新しい土地に行くと土の状態を確かめるクセがついている。この森の土はランクS。ゴーレムを錬成するのに申し分ない。
試しに錬成してみると、果たしてそこらの土で錬成したものより優秀なゴーレムができた。
付与効果までついている。
『森の加護』 A HP自動回復。
『劣化耐性』 A 長持ちする。
ステータスも全般的に高い。いくらこの世界のバグであるメルといえど、他人のステータスまでは見られないが、ミニオン(自分が召喚・作成したもの全般を指す)のステータスは閲覧可能だ。
「メルはサモナーだったんだ」
「うん?違うよ。ゴーレムマスターだよ」
「ゴーレムマスター?」
「え、知らないの?」
「ごめんなさい。聞いたことないわね」
「そ、そんなにマイナーだったんだ」
メルはショックを受けた。魔術師の八割くらいは術の汎用性がケタ違いの精霊魔術師だ。残りの一割をサモナー、プリーストなど次にメジャーな職が続く。もう一割を何十ものマイナー職で分け合う。
「へぇー『ゴーレム』ねぇ。でもかわいいわね。なでなで」
ティシエはしゃがみこんでマッドゴーレムの頭をなでる。
「でしょでしょ。もう何種類かいるよ」
メルはクレイナイトとクレイウルフを続けて錬成してみせた。ティシエはクレイウルフに食いついた。ティシエがしたあごをウリウリするとウルフもくぅーんと鳴く。メル的にはナイトの鎧の精緻な作り込みをほめてほしかったが。
「あ、この子たちに戦わせるんだ」
「ご名答」
クレイナイト一体とマッドゴーレム四体を一小隊として、それを十組作る。計五十体の大所帯だ。教本から得た知識で獲得したスキル『魔力効率運用』のおかげで、ゴーレムの最大同時錬成数が大幅に上昇した。
試しに整列させてみる。通常、五十体も作ると、一体くらいは反応が鈍いものが出来てしまうが、全員が機敏に動き、一糸乱れぬ隊列を組んでみせた。メルはほくそえんだ。
「さぁ、お行きなさい!私のゴーレム兵たちよ。狩って狩って狩りまくるのです!」
気分がよかったのでメルはちょっとキャラを変えて命令してみる。ゴーレムたちは散開して魔物を狩りに行く。
メルとティシエが大きな岩に座って待っていると、四方から魔物の鳴き声、肉と土がぶつかり合う音、そして断末魔が聞こえてくる。すさまじいスピードでメルに経験値が還元されていく。
「うわ……。すごい……。魔物の悲鳴が次々と。そしてメルの魔力がさらに上がっていく……!」
「これが『レベリング』……!」
このレベリング方法は以前からも出来なくもなかったが、人間や敵意のない生物までも巻き添えにしてしまう可能性があった。そこでランクアップして敵意を判別出来るようになった『サーチ』とゴーレムをリンクさせ、敵意ある魔物だけを倒す制御にしたのだ。
それまでは目視できる範囲内で、精々十体のゴーレムでちびちび倒していたので、効率が圧倒的に違ってくる。
加えてこの森の魔物はふんだんなマナを栄養としているせいか、大型で手強く経験値も多い。今もまたマッドゴーレムが何体かやられたが、すぐさま錬成し、隊員を補充する。
近辺の魔物を狩り尽くしたら場所を少し変え、同じことを繰り返す。レベルアップ通知音がひっきりなしに脳内で鳴る。
次第にマッドゴーレムも倒されることがなくなったので、クレイナイトを抜いて、代わりにマッドゴーレムを五体投入し、さらなる効率化をはかる。
「ああ~気持ちいい~」
知識を得て実戦で使い、確かな手応えを感じ、メルはご満悦であった。ステータス欄をながめ、ニマニマしていたメルだが、ふと気づくと魔物に囲まれていた。メルは一瞬ぎょっとなったが、どうやらサーチのレーダーを見てみると敵意はないようだった。
角が斧のようになっている鹿の魔物、アクスディアや尻尾の先にトゲトゲの球がついたリスの魔物ミルクスが寄り集まってきていた。なんだか穏やかな表情をしている。
「あ、こら、ちょ、やめろ……」
アクスディアの一頭がメルのほほをぺろぺろなめる。その次は角が当たらないように慎重に顔をこすりつけて甘えにくる。ミルクスもよってたかって、メルの細くもぷにぷにとした柔らかな太ももめがけて突進してきた。さらにぺろぺろぺろぺろ。しまいにはスカートをめくりにかかる。
「こら、エロ河童……じゃない、エロリス!やーめーろー!」
「ティシエー。見てないで助けてー」
ティシエがなんとか追っ払ってくれたものの、メルの自尊心は大いにブレイクした。
「ティシエ、その見えた?ぱ、ぱんつ……」
「ふふっ、ちょっとね」
「うわーん」
なんで元・男のボクが女の子相手にパンチラを見せなきゃならんのだ。メルは運命を呪った。
「あ、今、魔物を追い払ったから魔力上がったかしら。むんっ」
「……別に変わってないね」
メルは自分のレベリングを切り上げた。ティシエのためにゴーレムを勢子に使い、魔物を追い出す。木々の間にウサギの魔物ホーンラビットが現れる。
「ほら、魔物が来たよ」
「ウ、『ウィンドブラスト』!」
「ギャウン!」
何発か放ちようやく魔物に命中させる。大きな角が折れたホーンラビットはすごすごと森の奥へと逃げていった。
基本的にこの世界では命まで奪わなくとも相手の戦意を喪失させれば経験値が入る仕組みだ。もっともメル以外の者にはレベルや経験値といった概念は認識できない。
ティシエの息が上がってきた。もう十体は倒しただろうか。はじめは十数発に一度当たるのが、今では三発に一度は当たるようになっていた。
さらにメルが大型の魔物をゴーレムではがいじめにして、ティシエに撃たせてあげたのでかなりレベルが上がったようだ。
「はぁはぁ……。ホントだわ。なんだか魔力が上がったような気がする」
「ニコライくらいにはなったかな?」
「すごい、すごいわ。メル。ウソみたい……」
本来ならティシエはこの森で一時間と生きられないが、メルの護衛によって格上の魔物から大きな経験値を得た。
二人が場所を移動するため、木々の間を歩いていると腐臭が漂っていることに気づく。
臭いの先にある木の根元に死体が転がっていた。
その死体は全身の穴から血を吹き出して横たわっていた。見たところ薬草を採りにきた薬師で四十代くらいだ。
「うっ……。どうやったらこんな死に方を……」
「ひどい……」
この森にいる魔物でこんな殺し方を出来る魔物はいただろうか。メルは考えたが思い当たる魔物はいなかった。森の外からやってきた外来種かもしれない。
とりあえずゴーレムに遺体を埋葬させる。またもやピコンと通知が鳴ってスキル獲得を知らせてくる。
『埋葬』C 埋葬した死体がアンデッドになりにくい。
合掌したのち、背を向けて『サーチ』で周囲を探ってみる。
「なっ…………!?」
レーダーを見ると北西の方角の生物の存在を示す光点が次々と消えていく。光点の消失はすなわち、死を意味する。その消失の波はメルがいる中心点にどんどん近づいてくる。北西に配置してあったゴーレムも次々と魔力交信が途絶えていく。
「クレイウルフ!ティシエを連れて森の外へ行け!」
「え!?メル。どうしたの!?」
「いいから乗って!」
命令を受けたクレイウルフはティシエを乗せ森の外へと駆けていく。それを見送ったあと、再びレーダーに目を移すと、消失の波が波及する中心には敵意を示す赤い、特大の光点が現れる。
木々をなぎ倒しながら、それはメルの前に現れた。