09 本が欲しい
メルはスチャっと伊達メガネを装着する。花のかんばせに知性という化粧がほどこされ、あどけなさの中にもどこか大人の表情をのぞかせる、そんな少女の顔になった。
あと一週間で名門『魔術学院』に合格できるだけの学力と魔力を身につけなければならない。首席で合格してあのニコライの魔手からティシエを守らなければならない。メガネは雰囲気作りのためだ。
メルは本屋に向かう。文字の発明こそが人類の発展に大きく寄与したのだ。知識を遠く離れた地の人や次世代に残せるからだ。知識の共有・伝播と継承があらゆる技術・文化を進化させてきたのだ。
メルもやっとその恩恵にあずかることが出来る。生まれ故郷の田舎では本屋などなく、道具屋の片隅に二、三冊置いてあるだけだった。王都ではすでに何軒か、本屋の看板を目にしていた。
『フクロウの止まり木』という本屋を見つけたのでメルはそこに入った。フクロウは知識の象徴としてよく扱われる。狭い店内の本棚にずらりと本が並んでいる。カウンターには単眼鏡をかけた老人が本を読んでいる。メルのほうを見てうなずいてまた本に目を戻す。
こっちの棚は生活の知恵系、こっちは詩や騎士物語などの文学。もう一つとなりに魔術に関する本をそろえた棚を見つけた。『初等精霊魔術』『もう怖くない!召喚した精霊と仲良くなる方法!』『錬金術:真理に至る道しるべ』。メルが夢にまで見た魔術の教本類があった。
手に取り中身を確認する。少し見ただけでもメルが初めて聞く魔術や理論が掲載されている。瞬間的に『学習能力ブースト』が発動し、その知識がメルの血となり肉となる。
メルは勝利を確信した。チートスキルのおかげで一晩もあれば十冊はマスター出来る。
各術系統の本を三、四冊ずつ買えばいいか。メルはそう考え、店主に値段をたずねる。
「おじさん、これいくらですか?」
「そこの棚のはどれも全部300リベラ」
店主は本から目を離さず言った。メルの心の中でピシっと石像がヒビ割れたような音がする。300リベラと言うとメルのお小遣い一年分だった。試験勉強にあたり低く見積もっても十数冊は必要だが、この金額では一冊でさえも買えない。
この世界では活版印刷ではなく魔法による自動筆記で本が生産されている。製本工房では魔術師の力により羽ペンが宙を舞い本に書き込んでいく。手書きで書き写すよりかは生産効率がよいが、活版印刷に太刀打ち出来るほどではない。ゆえに本は結構なお値段がするのだ。
金を稼がなくては。メルは店を出て金稼ぎの方法を考える。まずは王道中の王道、 魔物を倒してその素材を売る。経験値も稼げて魔物の数を減らすことで治安もよくなるし人から感謝もされる。まさにいいことずくめ。
というわけで町の『ハンターギルド』におもむく。魔物を狩り生計を立てている者は『ハンター』と呼ばれている。ハンターギルドはハンターたちに仕事を斡旋したり狩り仲間を紹介する組合所だ。狼の口に見立てた入り口をくぐって中に入る。
魔物の骨や皮で作った装備で身を固めたハンターたちがいた。彼らは自分が倒した魔物で装備を作る。自分の実力と誇りを示すためだ。
「すいませんハンターの登録をしたいんですけど」
「あなたみたいな小さな子が?年齢制限や実力試験があるから難しいわねぇ」
「すぐお金が欲しくて」
「そんな簡単じゃないわよ、ハンターは」
受付嬢によるとハンターたちは狩りに臨むとき周到な計画を立てる。準備に二日、現地へ行くまでに数日、そして狩り本番で長い時は一週間、帰還するのにまた数日。また数人、十数人規模のパーティで行くのが普通だという。
その際、専門の解体屋を一人は入れるのが普通で、ハンターギルドに登録していない闇解体屋を雇うにしても結構な料金を取られるという。
色々面倒くさそうな上、時間もかかりそうなのでメルは別の方法を模索することにし、受付嬢に礼を言ってギルドを出た。
もう一つ当てがあったことを思い出し、メルはそこへと足を向ける。
メルは『ラファエル魔術工房』へとやってきた。杖や魔除けのタリスマン、瓶詰め妖精、マジックポーションなど魔術に関するアイテムの生産を一手に担う工房だ。硫黄や水銀、マンドラゴラなど素材を扱うコーナーに、杖やペンダントやローブを売るコーナー、そして目当てのマジックアイテム製作体験コーナーがあった。
ゴーレムマスターには他の魔術師職に比べて生産系職業に対して多くのボーナスがつく。ここでアイテムを作って売って稼ぐもくろみだ。
「ふふ、うれしいわ。あなたのような若い子が興味を持ってくれるなんて。魔法系の生産職は志望者が少なくてね」
めがねの受付嬢は愛想よく対応する。
「体験コーナーで何か作ってみる?」
「自分で作ったものを買い取ってもらったりって出来ます?」
「ふふっ、そうね。いい物が出来たらね」
「一番高く売れるものって何ですか?」
「それは杖だけど……杖を作るまで何年も修行を積まないとね」
「作りたいです、今すぐ」
「あはは。まずは魔力を測らせてもらえる?この使用済み『光魔灯』を握って魔力を込めてみて」
受付嬢が差し出した透明な10cmほどのクリスタルの中にはさらに小さな魔石が入っている。『光魔灯』は魔力を利用した照明器具で、裕福な貴族の屋敷などにしか設置されていない。
「魔力を充填して再利用しててね。魔力を込めると中の魔石が光って再び使えるようになるの」
「かかった時間と魔力の質であなたが作れるものを……」
「あら、どうしたの?結構時間がかかるから早く握ったほうがいいわ」
メルは出されたお菓子をいただきながら答えた。
「もう終わりました」
「え、何言ってるの?そんなすぐに貯まらないわ。あなたくらいの子なら十五分はかかるわ」
「いえ、本当に」
「分かったわ、もう。じゃあやってみるわね」
「大気に舞う光の精よ、集いて光の束となれ、『ライト』!」
受付嬢が呪文を唱えると 光魔灯に光が灯る。
「充填が完了してる!?お、おかしいわね。まだ魔力が残っていたのかしら。今、別のものを持ってくるわね」
別ので試しても結果は同じだった。王都への旅の途中でリズベルが負傷して以来、メルがひそかに魔物を追っ払っていた。マッドゴーレム十数体によるオートレベリングと『学習能力ブースト』とのコンボでメルの魔力はさらに高まっていた。
「ウソ……。こんな小さな子がこんな魔力を……!?」
「ちょ、ちょっと待ってて」
そう言って奥に引っ込んだ受付嬢は強面の背の高い男を連れてきた。もじゃもじゃのひげとチョッキの上からでも分かる、発達した筋肉が特徴的だ。『むんっ』てしたら胸のボタンがパーンと弾けそうだ。
「親方、こちらがメル・レンシア嬢です」
「おう、俺がここの親方のダンケルだ」
「お嬢ちゃん、杖を作って金稼ぎしたいんだって?いくら魔力があっても造形センスと情熱がなけりゃあ杖は作れんぞ?」
「やらせてください」
「よし、分かった!物は試しだ」
メルは怒られるかと思ったが恐ろしく物分かりのいい親方だった。作業場に行き、まずは職人が見本を見せてくれる。
机の上に下級インゴットと下級魔石がおかれる。親方がびゅっと製図の上に筆を走らすと完成見本図が描き出された。そしてインゴットに触れ、魔力を通し形を変化させる。見る間に台形だった鉄塊が薄く引き伸ばされ杖の形を成す。先端の突起に魔石をジョイントさせ、杖が完成する。
「まあこんなもんか。本当はもっと時間かけてやるんだが」
「親方、早すぎです!親方の変態早業見ても勉強になりませんって」
「ありがとうございます。『覚え』ました」
「いっぺん見ただけで覚えられるなら苦労はねえよ。まずはインゴットに魔力を通して球体や立方体を作ってみな」
忠告を無視して杖の形をイメージして腕を介し、インゴットにそれを伝える。親方が見せてくれた腕の動き、インゴットへの魔力の伝え方。それらの意味、解釈を『学習能力ブースト』で何万回と反復演習させ昇華させたものを自身の動きにフィードバックする。
「な、んだと……この精度、この速度……」
親方の杖と寸分たがわぬ杖が出来上がっていた。
「嬢ちゃん。やったことがあるのか、杖作りを?」
「いえ、初めてです」
杖作りは要はゴーレム錬成と同じだ。脳でイメージしたものを形にする。それはメルがゴーレム錬成の過程で子どもの頃から何万回もやってきたことだ。ゴーレムマスターの生産職系のボーナスが高い理由がメルはようやく理解した。
「『ライト』」
親方がメルの杖を使い魔術を唱える。杖の先端に明かりがともる。もう一方、親方が作った杖でも同じことをする。そちらのほうでは0.3秒ほど光がつくのが遅かった。
「魔力の伝導率が段違いだ……。MP消費軽減、魔力反動抑制、魔力充填。スーパーレア級のスキルオプションがついてやがる……!」
「は、初めて作ったのに……!?」
「これだといくらくらいですか?」
「あ、ああ……。出来はいいが素材が悪いからあまり値はつかねえな」
「ウチが買い取るにしても三千リベラってとこか」
思った以上に値がついたことにメルは驚く。これ一本で本が数冊は買える。あと数本作れば十分な資金を稼げる。と思っていると親方が席を立ち奥の部屋へ行ってしまった。
「親方、どちらへ?」
再び、親方が戻ってきた時には両手に素材を抱えていた。
「すまねぇ、嬢ちゃんみたいな天才にケチな仕事させちまった。次はこれを使って作ってみな」
「親方!?月光樹の葉にミスリル。それにサファイアなんて高級素材を……!」
「うるせぇ、細かいことはいいんだよ!嬢ちゃん、やってみな」
「ありがたく使わせてもらいます」
机の上に置かれた月光樹の葉、ミスリル、サファイア。いずれも水や闇の魔力との親和性が高い素材だ。メルはミスリルに手を当てイメージした形に作り変える。
ミスリルは形を変え、月光樹の葉を触媒とし、内部の魔力伝達構造を密にする。そして杖としてこの世に新たな生命の息吹をあげる。
高貴なる白色のフレーム、杖先の装飾部には青と黒の意匠が散りばめられ、その中心には青きサファイアが夜の魔力に満ちた波動を放つ。白い光の羽衣のエフェクトがそれに華をそえる。
「こいつぁ、すげぇ……。持ってみてもいいか?」
親方は杖をかかげ、まじまじと観察する。
「属性は『水』と『闇』か。スキルは『精霊親和』『消費MP半減』『反動抑制』『高速詠唱』『魔力ブースト』、それに『闇の加護』まで……」
「ああ、見えます!美しい女魔術師が丘の上で月光を浴び、この杖を持ってたたずむ姿が……!」
親方は感嘆し膝を打ち、受付嬢にいたっては感極まって涙を流している。
「いえ、素材がよかっただけです」
「ははっ、謙遜すんない。名前はなんて付けるんだ?」
「……『夜天杖:ミアプラキドス』でどうでしょう」
「いい名だ……」「素敵……」と口を揃えて感じ入る二人。メルは値段のことを切り出しにくい雰囲気になったので、もごもごしていると受付嬢が察して切り出してくれた。
「これはすごい値段ついちゃいそうですね、親方」
「そうだな……。ウチが買い取る場合、そうだな、三十万リベラはくだるまい」
「三十万リベラ!?」
一気にケタが変わった。メルは耳を叩いてみる。聞き間違いではない。この世界に生まれてから聞いたことのない金額が出てきた。受付嬢も驚愕している。素材自体もかなり高額とはいえ、信じられないような値段だ。
「客に売るとなるともっとだ。まあこのクラスの杖になると値段の相場なんてあってないようなもんだが。客の貴族が機嫌よけりゃ、倍は出させることが出来るかもしれねぇ」
「はぁ~……」
「おっと、急ぎで金が欲しいんだったな。今、金庫に取りに行くから待ってな」
「本当にいいんですか?そんなにいただいて」
「いいんだよ。実を言うとこの時期は贈り物によく一点物の杖が売れるシーズンなんだが、創作意欲が湧かなくってよ。製作が滞って全然弾が足りなかったんだ。おかげで俺もヤル気に火がついたしな」
「お役に立てたのならうれしいです」
「契約成立だな!貴族に売りつけるのが楽しみだぜ」
三十万リベラを受け取り、礼を言って魔術工房をあとにする。杖装備生産スキルも身につき、本の購入資金も手に入り、メルは充足感に包まれていた。店を出るともう夕暮れになっていた。
黒猫通りに戻り、本屋『フクロウの止まり木』に入る。
「頼もー!」
店主はメルを見てうなずいた後、再び本を読み始める。メルがドカっとカウンターに袋を置くと、金貨、銀貨が口からこぼれる。
「そこの魔術関係の本、本棚ごと売って!」
店主は今度はメルに向けた目をそらさなかった。本棚には売約済みの札が掲げられた。
―――。
「ふっふふ~ん」
とりあえず、メルは手に持てる分だけ持って帰り、部屋の棚に並べる。誇らしい達成感がこみあげてくる。
本の配置や並び順を考えたり、匂いをかいでいたら遅くなったので、メルは今日は寝ることにした。寝る前にふと、あの杖について思う。
あの杖、結構うまく出来たな。あんなの買えるのは貴族だけだろうけど上手く使いこなしてくれる人が買ってくれるといいが。
この時はメルはまだ知らなかった。あの杖が思いもかけない人物の手に渡るとは。
―獲得したスキル―
武具作成・杖 A:ランクAまでの素材を使用可能、同じくランクAまでの杖を作成可能。