3 いくら見目麗しくても、女には毒があることを忘れてはいけない
3 いくら見目麗しくても、女には毒があることを忘れてはいけない
鬱蒼と茂った木々は、空を覆い隠している。不吉さを象徴するようにカラスが警鐘を鳴らしている。一寸先は木々の影に隠れて見えない。
「なあ、アルラウネ。お前はこのへんに詳しいんだろ?」
アルラウネは俺の後ろについてきていた。時折、草が足に当たってチクチクするだの、かゆいのだの言っている。それならば、普通の恰好をすればいいのだと俺は思う。
「いいえ。詳しいと言っても、ここはもうダンジョンだもの。何がなんだかわからないわ。」
「お前は何してたんだよ。」
「マンティコアこそ、何をするつもりなの?」
その問いに俺は答えられない。することなどないのだ。使命はあるが、それをこなすほどに俺はあの女どもに忠誠を誓ってはいない。
「アルラウネは今まで何をしていたんだ?」
「私?」
アルラウネは面倒くさそうに答える。
「ただ、寝て過ごしてたわ。日光がないと力が出ないもの。それに、モンスターになったから、栄養の補給はいらないの。あなた、お腹減ってないでしょ?」
アルラウネと森を進んで二時間は経つ。まだ、森の中を彷徨っている。腹が減っていい頃だが、そう言われるまで空腹の心配をしたことがなかった。俺は自分の腹に空腹かと問いかけるが、腹は沈黙したままだった。アルラウネの言うように、怪物はお腹が空かないらしい。
「モンスターにはやることがないの。だから、みんな気ままに暮らしてるわ。だって、王からは人間を追い払えとしか言われていないし。」
その言葉に俺は何か引っかかる。
「お前は図鑑の収集を任されていないのか。」
「ええ。」
当たり前のようにアルラウネは言った。
「どうして俺だけ・・・」
「実はね、マンティコアはあなたで三人目なの。」
「どういうことだ。」
「みんな失踪したのよ。仕事を押し付けられまくって。」
それはブラック企業というのではないだろうか。マンティコアたちが失踪したという事実を喉元に突き付けられ、俺は身動きが取れない心境になっていた。
「くそっ。俺だけ・・・」
元の世界で遊び呆けていたのが悪かったのだろうか。俺は今さらながら悔やんだ。因果応報などという言葉が実践されるとは思っても見なかった。
森は同じ景色に見える。前に進んでいるとはいえ、俺はだんだんと恐怖を抱きはじめていた。
「なあ、俺たち、森を抜けられるよな。」
「さあ。私は森を抜けたことがないもの。スリラーパークがどのくらいの大きさなのか分かったもんじゃないし。」
「地図はないのか?」
「見たこともないわ。」
言葉通りのダンジョンであるようだった。俺はこのままこの森で朽ち果てていくのか、と嫌な妄想を掻き立てる。行き倒れ、獣や虫たちの餌となり、骨だけとなって地中に埋まる。その地面から木々が芽吹き、春に満開の花を咲かせる。
「そうか。行き倒れることはないんだな。」
だが、そのままのんびりと暮らしていてはいつか苔が生えそうであった。
「そう言えば、アルラウネはマンティコアってどんな怪物なのか知ってるのか?」
戦闘の時も何か知っている風に言っていた記憶がある。
「ええ。マンティコアは獅子の頭、いや、体だったかしら。とにかくライオンで、毒を吐いて、俊足で動くの。」
「えらい怪物だな。」
頭の中で想像しづらかった。そもそも人の形でライオンと言われても想像しづらい。
「まあ、私が知ってるのはそのくらい。」
この森を抜けることは難しそうだった。理想の異世界生活はスローライフもとい、サバイバルになってしまう。それではなんだか食えない。
深い緑の窓から見える空は藍色に染まり始めている。夜が訪れ始めているのだ。そんな折、俺は匂いの変化に気がつく。木々のざわめく香りに混ざって、こう、濃厚な土の香りがしていた。
「なにかありそうだぞ。」
俺は張り切って、進んでいく。なんだか地面の土は粘土を増している。もしかしたら、川か何かがあるのかもしれなかった。川があれば、その下流に海が広がっている。海に行ってどうするのかという話でもあるが、森を抜けて開けた場所に行けるのであれば満足であった。俺は滑りそうになる地面を注意しながら、歩いていく。
そして、木々の迷宮を抜けた。
目の前に広がるのは、開けた場所。大きな水たまり。だが、その奥にも木々はそびえたっている。
「沼、ね。」
アルラウネは眠たそうに欠伸をしながら言う。おっさんの欠伸だから、豪快である。
そこは沼だった。水面は泥で濁っている。足には土からしみ出した水分が到達し、俺の運動靴を濡らしている。
「最悪だわ。」
その言葉の意味を問う前に、湖の中央から何かが這い出して来る。
「ヒュドラの巣よ。」
「貴様ら、何者だ。」
長い髪はヒュドラを長く黒い筒のように見せている。その見えない口から女は怨嗟の声を出していた。背筋が凍る。Jホラーの嫌な場面を見せつけられているようだった。
「どうするんだよ。」
「向こうは戦うつもりみたいよ。」
不気味なとろみを持った水面から、もっと不気味はヘビが現れる。その大きさは人を容易く飲み込めるだろう。そんなヘビが九匹、俺たちを狙っている。ペロペロと細い舌を出し、舌なめずりをするように俺たちを睨んでいた。
「なあ、これって・・・」
「絶体絶命ね。」
ヘビの頭は俺たちに襲いかかる。百八十度開くひし形の口で俺を飲み込もうとする。俺は上に飛ぶ。しかし、泥に足を取られて、ヘビの頭の上を飛び越えるには高さが足りない。俺は蛇の鼻のあるひし形の頭頂部に手をかけ、腕の力で飛ぶ。その瞬間、ヘビは勢いよく口を閉じた。俺は間一髪免れ、つるつると滑る蛇の体に着地し、両腕で滑り落ちないように抱え込む。
「おい、何してるんだ。」
アルラウネは一撃目を避けたようだが、再び蛇の頭はアルラウネを狙っている。
「私はあんたみたいに身軽じゃないの。」
アルラウネは泥の中から足を引っこ抜くのさえ苦労していた。これではアルラウネは蛇に呑まれてしまう。
俺の方に向けて、別の蛇が襲いかかってくる。俺は再び飛ぶ。泥の中よりは足場が良く、難なく避け、そして、蛇の頭に、自分の両手を握り合わせて振り落とす。
ぎゃああ、という声を上げて、ヘビは暴れくるっていた。これはいける。そう思い、元の蛇の体に戻った矢先、その体の蛇が長い体を伸ばし、俺を睨んでいた。どうも、俺に乗られていることが不満のようだった。ヘビがしゃあああ、という怒りの声を上げ、俺を襲う。俺は身をかがめる。そんな俺の背後からまたも別の蛇が頭上を通り過ぎ、俺の体に乗っている蛇とぶつかる。二匹の蛇は互いに頭を振り、暴れていた。そんなものだから、俺は蛇の体からふるい落とされる。
沼に落ちた俺は、まとわりつくひんやりとした感触に嫌悪を覚える。すぐに体を振るって沼から逃げ出す。じっとしていればそのまま沼に飲み込まれそうだった。
「アルラウネ!」
アルラウネはなんとか生き残っていたが四匹の蛇に睨まれて、身動きがとれない。ヘビは互いの顔を見て、誰が襲うか相談しているように見える。そして、一匹がアルラウネを狙う。アルラウネは蔦を伸ばし、ヘビの頭をぺちぺちと叩いているが、少しも効いていないようだった。俺は急いで襲いかかる蛇のもとに向かい、その胴体を蹴り飛ばす。ヘビはアルラウネの目前で大きく口を広げ、苦しそうにアルラウネに粘膜を散らす。
「もう、何してるのよ!」
ヒュドラは憤慨する。そのヒュドラの声に従うように、八匹の蛇は一度俺たちから退く。
「何か弱点はないのか。」
俺はアルラウネに問う。
「本体を倒すしかないでしょ。」
だが、それは困難を極める。本体のヒュドラは沼の中心にいる。沼は底なし沼。到底たどり着けそうもない。
「元気がなさそうだが、どうした。」
アルラウネの細い蔦では蛇に通用しないかもしれないが、先ほどの戦いよりどう見ても威力が落ちていた。
「私は植物だから、夜はパワーダウンするの。元気なあんたが羨ましいわ。」
戦闘で疲弊して力が出ないのかと思って心配したが、そうではないようだった。
「あと、女相手だと、興が乗らないわ。」
俺は聞き流すことにする。
「それより、来るわよ。」
湖面からぬらりと体を出す蛇たち。そして、その蛇たちに守られるように佇む女。神殿で踊りを披露する女神のように見えて、神秘的だった。
ヘビたちは神話の終わりかのように一斉に口を大きく開く。そして、集中砲火を浴びせるように何かを俺たちに向けて吐き出した。俺は避ける。俺が元いた先の木に直撃し、しゅうう、という嫌な音を立てた。そして、むせかえるほどの異臭。木は根元の半分以上が溶けていた。跳ね返った液が俺の体に少しかかる。腕が焼けるように痛い。
「アルラウネ!」
アルラウネは溶解液をもろに受けていた。
「大丈夫。でも、これは猛毒だわ。」
しゅうしゅうと、体中から聞こえてはいけない音を立てている。大丈夫には見えない。
「私も毒使い。耐性はある。それより、行きなさい!」
毒々しい紫の液を体中に纏いながらアルラウネは言った。アルラウネは渾身の力で足元から無数の蔦を伸ばしていく。その行き先はヒュドラの方角。俺はアルラウネの意図を汲み取り、蔦に飛び乗る。蔦は俺を載せてヒュドラを目指す。
「させない!」
八匹の蛇たちは半数が毒を吐き、半数は俺を食らおうと突っ込んでくる。
俺は一度蔦から飛び降り、毒を躱す。しっかりと蔦を掴み宙ぶらりんとなる。俺の手に毒液がかかる。焼けるように痛く、不気味な音を立てる。だが、この手を離すわけにはいかない。ヘビの頭は俺を食らおうとくねくねと向かって来る。俺は体をひねり、蔦の上に戻る。さらに別の蛇が俺を狙う。俺は蔦の上を跳び、ヘビの上に着地する。別の蛇が毒液を吐く。だが、俺は蛇の上を駆けだす。ヘビの根元の方角、つまり、ヒュドラの方へ。
ヘビたちは俺を行かせまいと毒を吐き、頭を突っ込み俺を止めようとする。俺は跳び、走り、それでもヒュドラの方へと迫る。そして――
俺の背後に勢いよく毒液がかかる。俺の乗っている体の主が吐いたのだ。背中が痛くて、泣きそうになる。だが、それだけだ。毒液の勢いのおかげで俺は蛇の根元、ヒュドラの本体へとたどり着く。
「ここからじゃあ、ヘビで攻撃はできないだろ。」
動くたび背中が悲鳴を上げる。八匹の蛇は俺の背中を睨んでいるが攻撃はしてこない。攻撃をすればヒュドラまで巻き込むことになってしまう。
「何を勝った気でいるのかしら。」
ヒュドラは細長い手で、俺を殴りつけようとする。俺はヒュドラの攻撃を避ける。だが、それで精一杯。ヒュドラの攻撃は早かった。こちらの足場は蛇で、気を抜くと滑ってこけそうになる。ヒュドラが拳を振るう度、舞い散る汗の代わりに濃厚な毒液が迸る。俺は顔に、体に浴びてしまう。耳元で肉の溶ける軽快な音と臭うに堪えない匂いがこみ上げる。だが――
体中に力が迸る。満身創痍のはずで、気を抜くと足元から崩れ落ちそうなのに、それでも漲る。それは闘志。目に見えない曖昧な代物が俺に力をくれる。
俺は思いっきりヒュドラに向けて拳を突き出す。ヒュドラの顔に突風が降りかかり、長い髪が後ろになびく。そこから現れたのは妖艶で美しい、整った顔だった。
「どうしてためらったの?」
俺の拳はヒュドラの目の前で動きを止めていた。寸止めだった。
「腕が短かったんだよ。」
「女を殴れないっていうのね。それは命取りよ。」
だが、ヒュドラはくだらない、といった風に表情を緩めた。風が吹き、ヒュドラの顔は再び髪に隠れる。
「私の負けよ。はあ。つまらない男。」
その言葉を聞いた瞬間、俺の体から力は抜け、いとも簡単に沼に落ちていく。
息ができない。
そんなこと、どうでもよかった。俺が見ていたのは幻想的な風景。水面から月の光が差し、波が起こるたび、輝かしい風景は姿を変える。それは見ていて飽きなかった。同じ景色など一つもない。神秘的な風景のさらに神秘的な風景を垣間見る。それはなんだか世界の秘密を知ってしまったみたいで、背徳感がある。それがまた、耽美だった。
そして、俺の口から不気味な泡が噴き出す。死にかけているのに、泡が織りなすスタッカートが派手派手しいクラシックを聴いているみたいで、俺は幸せに包まれていた。
そして、こと切れた。
ヒュドラについて
ヒュドラは八つの首を持つ蛇。水棲の怪物。八本の頭のうち、一本を斬り倒せば倒すことができる。他は斬っても生えてくる。後、毒も吐く。
今作ではほとんど同じ。攻撃力はBからA。防御は蛇を含めてAからEX。スピードはC。ヘビを出すと基本動けない。毒の威力はA。本体だけでいうと、攻撃力はC。スピードA。防御C。毒はEX。
引きこもりなので、戦闘は好みません。




