表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/22

2 いくら青い空に浮かぶ白い雲を眺めても、理想の女性にはたどり着けそうもない

2 いくら青い空に浮かぶ白い雲を眺めても、理想の女性にはたどり着けそうもない


「ったく、なんてやつらだ!」

 俺はめり込んだ地面から起き上がり、叫ぶ。木々にこだまするかと思いきや、生い茂った木々は音を瞬く間に吸収してしまう。俺には叫ぶよりやることがあった。噛みしめた歯がぎしりと音を立てる。砂を噛んだときの敗北感。鉄の味が口の中に広がる。俺の顔面にはお笑いショーの罰ゲームのように茶色い湿った土が顔にこびりついていた。それを払う。

「ああ、もう。」

 細かい砂などは取ることができなかった。時間をかければ綺麗になっただろう。だが、俺は面倒で、大まかに土を払った後、汚れるのを覚悟で地面に仰向けに転がる。

 花には湿った土の匂い。死に絶えた草木が蓄積した、深みのある匂いだった。そして、動物のフンとかも。青い空には白い雲が浮かんでいた。木々が自己の存在をアピールするかのように空を覆っているので、空は大きくない。青い色と白い色が交互に木々から開け放たれた窓を染める。青、白、青、青、白。

 湿気を含んだ風が緩やかに俺を撫でている。木々の幹から間を縫うようにして吹いてくる風は、古い民家のような、さっぱりとした臭いだった。

「どうするのかね。」

 俺はぼんやりと空を眺め、考える。まるで、空の青と白とに俺自身が溶け込んだかのようだった。頬がこそばゆい。それは我慢できるものではなかった。そして、痛み。

「何してくれてんだよ。」

 俺の体には蟻が上ってきていた。異世界にもいるんだな、アリ。うわあ、服の上に行列作ってる。俺は急いで服を引っ張って、アリを払い落とす。背中に蟻が入ってきた瞬間、俺は観念した。もう、いいや。

 体中を冒険する蟻が友達のように思えてくる。蟻はどこにだっている。異世界だって、都会だって、船の上だって。どんな環境に置かれようとも勤勉に働いているのだ。食料を探し、見つけて、巣穴に運んで、仲間に情報を提供して、また、食材の待つ僻地へと向かう。その食料は虫の死骸だ。果物なんて運んだ日には最悪だ。体中がべとべとになるし、水分が抜けると食料的な意味合いがなくなる。それでも、日差しの中出かけていくのだ。巣穴に残る、貴族たちのために。

 その働かず富を享受する蟻がカリテやベヒモスやワイバーンの姿と重なる。俺は報われず働く働きアリ。だが、いつの日か革命を狙っている。高いところから見物している、上りを決め込んだ野郎に一泡吹かせてやるんだ。

 そう思うと、働く気がちょっとだけ湧く。異世界初めての友達が蟻なのはなんだかな、と思うけど、俺にはお似合いな気がした。

 俺は行く当てはないが、とにかく歩いていくことにした。草の生えた茂みを行く。虫に刺されそうだが、気にしない。俺の腹の傷はいつの間にか閉じていた。あろうことか、破れた服さえも治っている。原理なんて分からない。怪物なんだから、というだけで十分な気がした。この世界のことなんか深く考えたってどうにもならない。

 しゃり、しゃり、しゃり。一歩茂みを踏み、小気味のいい音が鳴る。雑草を踏み潰しながら前へ。どこに繋がっているのか分からない場所へ。しゃり、しゃり、ぶにゅ。

 ぶにゅ?

 俺は顔をしかめる。右足に変な感触があった。もう一度、足で踏む。ぶにゅ、ぶにゅ、ぶにゅ。

「ふわああああ。」

 突然地面から声が響いて、何事か、と後ろに跳ぶ。

「あれ?もうお昼かあ。」

 それは人だった。

「お前は誰だ?」

 水着のような恰好。肌を隠す程度の緑のそれは、布面積が小さい。胸を申し分程度に隠し、脇腹は露わになっている。そして、足を大きく露出させ――

 その胸がたるんだように垂れていて、脇腹のどてっとした肉がなく、太い足の髭根のように生えた毛がなければどんなに良かっただろう。あと、性別が若い女性だったらどれほど良かっただろう。

「私はアルラウネよ。」

 無理に甲高くしているが、正真正銘男である。頭の禿げたおっさんである。

「人の精気を啜るの。あなたの熱いの、私に一杯注ぎ込んで!」

 思わず吐いてしまった。喉がひりひりする。そんな俺にアルラウネはすり寄ってくるので、地面を蹴って、後ろに下がる。

「あなたの名前、聞かせて?」

 上目遣いで言い、大きな尻を振るアルラウネを見て、再び吐き気がする。

「俺はマンティコアだ。だから、近寄ってくるな!」

 俺は緑のおじさんに涙目で訴えかける。どうか、これ以上は近づいてこないでくれ。

「あら。マンティコアなの。へぇ。」

 アルラウネは俺をつま先から頭のてっぺんまでなめるように見る。それだけで体中から冷たい痺れが駆け巡る。

「あなた、タイプ。」

 投げキッス。嘆きっす。

「これ以上近寄るな。本気で殺すぞ。」

 だが、俺にアルラウネは殺せそうもない。触れるのさえ嫌なのだ。アルラウネが歩くたびに、豊満な腹が、ぶよんぶよんと揺れる。

「あら、つれないわね。焦らすの?」

「違う。」

「分かってるわ。」

「え?」

 アルラウネは急に声のトーンを落とす。まるで男に戻ったみたいであった。太い、心臓を殴り飛ばすような声。

「モンスター同士が出会ってしまったら、そこには決闘しかないものね。」

「そんな設定だったのか?」

 どこの少年漫画なのだろうか。だが、アルラウネは雲を切り裂くような、鋭い眼光をしていた。俺も覚悟を決めて構える。武術なんかやったことはないから、映画の見様見真似である。

「私が勝って、あなたを手に入れるわ。」

「お断りだ。」

 俺は前に突き進む。アルラウネは足元からうねる無知のような蔦を出し、俺の体を打ち付ける。だが、遅い。俺は蔓を避ける。避けた、はずだった。

「がはっ。」

 焼けるような痛み。体中を揺るがす振動。蔦が俺の体を打ち据えたのだ。俺はきちんと避けたつもりだった。しかし、俺の意思に体が対応しきれなかったのだ。

「なんだ。あなた、まだ力を使えてないのね。」

 つまらない、と言った風にアルラウネは肩をすくめる。

「まあ、若い男も好きよ。」

 俺は迫ってくる鞭を、自分が避けられると思うより早く避ける。と、背中に何かぶつかる。木にぶつかったのだ。そして、動きが止まった俺を蔦は容赦なく狙う。俺は身をかがめる。蔦は音を立てて俺の頭上を素通りする。しめた、と俺はアルラウネの本体めがけて拳を振るう。が、空を切る。そして、視界が反転する。

「ふふふ。私から逃げようなんて、三年早いわ。」

 意外と短かった。アルラウネは宙づりになった俺に近づく。俺は足に巻き付き、俺を宙づりにしている蔦を蹴るが、蔦は緩みそうもない。そうこうしていると、アルラウネの顔が間近に迫る。俺の耳の辺りを節くれた掌で覆う。そして、目を閉じて――

 俺は力いっぱいアルラウネを殴った。手にはぶにょりとした感触と、しつこく光るぎとぎとの油。

「あなた。私の顔になんてことするのよ!」

 吠えるようにアルラウネは叫ぶ。俺は宙づりから元の視界に戻る。上った血が戻ってきて安心したのもつかの間、俺はまだアルラウネの蔦に囚われているのだ。血走った目が俺を捉える。その瞬間、俺は地面から生えた無数の蔦に体中を縛り上げられていた。

「このまま、あなたの中のものを全て搾り取ってあげるわ。」

 アルラウネはぎりり、と歯ぎしりをする。相当に怒っているようだった。きりきり、と俺は縛り上げられる。ごき、という嫌な音。それが至る所から反響するように連鎖的に聞こえてくる。

 沸き立つ。何が湧きたつのかは分からない。だが、俺の知らない俺が、喜んでいた。腹の深いところから快楽が押し寄せてくる。俺はマゾだったのか。

 体中が煮えたぎるほど熱い。めきめき、と腕が、腹が、足がおかしな音を立てる。その瞬間、俺を縛り上げていた蔦は爆発したかのように霧散した。

 地面に着地した俺の心臓は今までにないほど躍動し、高速で唸っていた。滾る。心が震える。

「流石、マンティコアというところかしら。」

 俺はアルラウネに向かって拳を突き出す。アルラウネはその俺の腕を自分の肘で押しやり、軌道を逸らす。そして、開いている右腕で俺の顎に一発。左頬に何発も殴りつける。俺はアルラウネのラッシュによって半分も見えない視界で左腕を突き出す。それはラッシュしているアルラウネの右腕にあたり、俺はそのまま後ろに逃げる。

「攻速ともに優れたマンティコア。ここまで私を喜ばせるなんて。」

 アルラウネの顔はまるで青春時代に戻ったように輝いていた。きっと、優れたスポーツマンだったのだろう。そんな雰囲気がする。

「蔦は使わないのか。」

「ええ。やっぱり男は殴り合いよね。」

「知らねえよ。」

 俺の頬は緩んでいた。俺は楽しんでいた。若く健康な体は、強敵を前に輝く。熱を発し、汗を振りまき、運動の楽しみを俺に教えてくれていた。

 俺の隙だらけのパンチをアルラウネはボクシングの構えで素早く避ける。そして、ジャブを俺に叩き込む。そして、渾身の一撃。俺はその一撃に自分から顔を近づけていき、ぎりぎりで躱す。躱した勢いでアルラウネの顔面に握った拳を打ち付け――

 ぐしゃり、という音とともに、アルラウネは大きく吹き飛んだ。俺は自分のものかと疑うほど荒々しい獣の吐息を必死で宥める。表情が変えづらい。口が動かしにくい。どうも顔が晴れてしまっているようだった。

「私の負けね。」

 アルラウネは天を仰いで言った。その顔は実に清々しかった。二人の健闘を称えるように、色のない風は俺たちの腫れた頬を殴る。

 ぴトン。

 電話の着信音が鳴る。だが、電話など持って来ていない。俺はポケットに手を突っ込む。そこにあったのは図鑑だった。図鑑は緑色の光を点滅させている。

俺は図鑑を開く。すると、立体映像が出てきて、アルラウネの説明文が現れた。

『アルラウネ。精気を吸い取る植物のモンスター。主に異性の精気を好む。』

 目の前のアルラウネは異性より同性の方を好むようだった。俺は他に何かないか、リストを探る。そこにはワイバーンとベヒモスの名前があった。説明文を開くが、何も書かれていない。生態を探るには負けを認めさせるほかにないようだ。

「目の前のアルラウネは仲間になりたそうにこっちを見ている。」

 アルラウネは俺の目をじっと見ている。

「目の前のアルラウネは仲間になりたそうにこっちを見ている。」

「うるさい。」

「仲間にしますか?」

「しねえよ。」

「仲間にしますか?」

 おっさんの顔が目の前に迫るので、俺は吐き気を抑えながら、頷く。

「よろしくね、マンティコア。」

 アルラウネは悪戯っぽく笑う。気持ち悪い。

「はあ。なんでこうなるんだか。」

「友達から始まる恋もあるわよね。」

「ない。絶対にない。」

 ともあれ、俺に異世界で二人目の友達ができた。おっさんなのが、残念だが、一度拳を交えると、なんだか憎めないやつに思えてくる。

 顔の腫れは跡形もなく消え、俺とアルラウネの間には心地良い風が吹き抜けた。



 アルラウネについて

 アルラウネとは異性の精を搾り取り糧とする怪物。植物型。相手を魅了する能力があるとされる。今作では、怪物は食事を採らなくてもいいので、精を採取することにより、快楽を得られる設定。アルラウネにとって麻薬のようなもの。相手を魅了する能力は、アルラウネの出す毒。ホルモンを異常に分泌させる毒というより刺激物に近い。だが、中身は意外とおっさんで、結構厳しめの人だったから、快楽に溺れることはない。あの性格はお遊びの一種だが、本人にとっては精を搾り取るよりやみつきになってしまったようだ。

 身体能力においては、速度はD、攻撃力はCからB相当が妥当か。ジョジョのスタンドの基準でやってますが。蔦の射程は本人が蔦を視認できる範囲であれば自由に扱えるし、どこまでも伸ばせる。しかし、距離が延びるごとに力は失っていくし、足元からのばしているのだから、蔦が遠くまで到達する前にやられる。毒耐性はAくらい。防御はC。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ