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ただ純粋な、  作者: 横山裕奈
チェス編 第四章
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55 驟雨

 各自の部屋に案内されて、しばらく横になる。食欲はないから、一切なにも食べていない。

 俺は、イアにひどいことをした。逃げるとき、どうして……あの向きで抱えたんだ。ノーラの最期が見えてしまう向きで、抱きかかえてしまった。

 見えないようにすればよかった。どうして、そんなことに気づかなかったんだ。あいつは、忘れることができない。なのに、どうして。


 ――しばらく寝ていたらしい。外はまだ雨だが、柔らかい音に変わっている。イアは、大丈夫だろうか。

 向かい側のイアの部屋には、誰もいないようだ。それなら、大体場所は分かる。あいつの行きそうなところは、知ってる。


「やっぱりここか、イア」

 3階の端にある、客間。とても大きな窓がある。思った通りイアは、出窓に腰かけてぼんやりと外を眺めていた。

「……なんで」

「お前の行くところくらい、知ってる。バカが」

「バカじゃないよ」

 俺は、お前のことをバカだと思ってるけどな。


「なんで、ここって思ったの」

「疲れてんなら、俺のところか夜空を見に、だろお前。で、俺のとこには来なかったろ。なら一番空が綺麗に見える部屋にいるはずだ」

 俺が読書してるときに、俺の隣で寝る。癖というか習慣だ。それを今日は、していない。それなら、ってことだ。

「夜空じゃないし、星を見てんの。月は嫌いだからね」


「見えるか、星」

 雨は降っている。だが、星は見えていた。雲の隙間から。

「見えるよ」

「……天気雨?」

「ううん、驟雨しゅううって言うんだよ。それか、にわか雨」

 知らなかった。と思いつつ眺めていると、雷が木に落ちた。


「あ、また燃えてる」

 嬉しそうな声音と対照的に、目には苦しみがあった。俺にしか分からないことを、俺は知ってる。

「なんでカーテン閉めるの?」

「見せたくないからだ」

「私は慣れるしかないのに?」

「……今日は別に、いいだろ」


 ふぅん、と呟いて、出窓から降りる。向かい合ったイアは、俺の肩までしか身長がなかった。

「悪かった」

「……なにが」

「ノーラの最期を見せる向きで、抱きかかえてしまったこと。それと、お前を悪役にしてしまったこと」

「両方とも、お互い様じゃん」

「悪かったな」


 俺を見上げるイアの瞳が、潤んだ。あ、ヤバイ泣かせた。

「泣くなよ。俺が泣かせたみたい――ってそうか」

 右腕で引き寄せて、両腕で抱きしめる。昔、こうしてもらった記憶がある。誰に、だろうな。イアじゃないのは確かなんだが。

「ないてないよ」

「……泣いてる、だろ?」

「ないてない」


 嗚咽はない。ただ、声と肩は震えていた。ああ、こいつ、静かに泣くよな。泣いたの、何年ぶりだ? イア。あの4人が来てからは、一切泣いてないよな。無理させてたのかもな、俺。

 華奢で、今にも折れそうな身体。一体、どれだけのものを背負ってる? 俺が抱え込むのとわけが違うだろ。俺はまだ、余裕あるぞ。背負ってるもん寄越せ。

 思うことはできるのに、口に出せない。出したって、こいつが素直にうなずくとは思えねぇけどな。


「……髪ぐしゃぐしゃにしないでよ。いつも、言ってるじゃん……」

 つい、癖で。持ち直したと思って口を開いたんだろうが、まだ声が湿ってるぞ。

「そうだったか? まぁ、癖だから諦めろ」

 うるさい、と小さく声が聞こえた。同時に、ごく小さな嗚咽が聞こえたような気がした。

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