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第二話

 

 人気の少ない放課後の渡り廊下は未知の場所へと繋がる予感を渦巻かせている。ひんやりとした空気、反響する足音、(まと)わりつく湿度、無意味なはずの全てが意味を持っているような幻覚。

 馬鹿馬鹿しい。

 私は現実から逃げてしまいたいのだろうか。さっき決意を新たにしたばかりだというのに。考え込んで行き着くのはいつも同じ、私の中にいるあの頃と変わらない(ぬる)い弱虫。

 落ち着こう。当たり前だけれど、ここは学校。辿り着いたのは、いつもの静かな管理棟。これから行くのは、体育教官室。会うのは、逃避の対岸にいる松井仁司。私は、前を向いていなければ。

 

 

 

  * * *  

 

 

 

 始業式が終わって教室に戻ると、本来ならクラスを引率して一緒に教室に戻るはずの松っちゃん先生はとっくに戻っていたようで、退屈したと堂々と文句を言った。ちゃんと式の最後まで大人しくしていた優秀な自分たちが悪いような気になる。

 出席番号順に座らされた結果、11番の私は窓側から3番目の一番前という、比較的教卓に近い憂鬱(ゆううつ)な席だ。意外と教卓からは様子の(うかが)いにくい真ん前の席と違って、少し斜め位置するこの席は気が抜けない。せっかく仲良くなれた三人は綺麗にばらけてしまって、それが更に気分を低下させた。

  もっと酷かったのはその後。新たな委員や係りを決めるためにLHR(ロングホームルーム)が始まるはずだった。松っちゃん先生の進行の(もと)に。しかし、パイプ椅子を教室の窓際の後ろの隅、1年の時からの定位置、に持っていく。先生は見る人によっては気分を害しそうな感じで、長い足を組んで椅子に浅く腰をかけて背もたれに寄りかかって。

 

「委員長、手際良く頼むな。」

 

 当然のように言った先生の目は私の方に向けられている。そもそも先生は普段は私のことを委員長と呼んだりしない。大抵は長尾(ながお)と苗字で呼ぶし、そうでない時もお前、おい、で記憶にある限り委員長と呼ばれたことは一度もない。ということは、わざわざ呼び方を変えた先生の意図は明白で……断ることができなければ、文句を言うことさえできないだろう自分に溜息をつきたくなった。

 

 

 いつものことだけれど断れなかった私は、新しい委員長を選考するところから始めようとすれば先生に却下され、いーんちょなら大丈夫だよと忠大くんにありがた迷惑な後押しされ、2Bの学級委員長におさまった。その後、滞りなく進んだHRで副委員長に決まった湯河(ゆかわ)くんは私と違って本物の優等生気質らしく、要所要所で彼に助けられた。騒がしいクラスもHRの進行を無視するような騒ぎ方ではなくむしろ盛り上げる方向で、何故こんな雑事を決めるようなHRで盛り上げれるのかな、と首を傾げるような雰囲気。変わったクラスではあるけれど、これなら1年間上手くやっていけそうだ、と安堵する。 

 湯河君は去年の夏から弓道部の副部長に()いていて、放課後は忙しいというのに、わざわざ私が日誌を書き終わるのを待ってくれると言っくれた。流石に帰宅部の私と事情の違う彼を付き合わせるのは申し訳なくて、部活の方に行ってもらったけれど。彼がそれを承知してくれたのは私が役割分担を提示したからだ。弓道部は朝練があって登校が早いから、湯河くんに職員室から日誌を朝取ってくることと、その時に職員用の掲示板で連絡事項を確認するように頼んだのだ。

 松っちゃん先生は朝のHRや帰りのHRの時に担任が言わなければいけないはずの連絡事項を言った(ためし)がない。去年、沢村先生の初めての出張の時にはそれを知らなくて大変なことになった。なんせ次の日は臨時の全校集会があったというのに、1Eだけが誰も知らなかったのだから。湯河くんにその話をすると、その時のことを覚えていたらしい。全学年、全クラスで2時間目まで授業が潰れたのだから忘れるはずもないけれど。私はあの時のことを思い出すたびに、怒り狂った生活指導の三島先生を脳裏に浮かべて背中が凍りつくのに、湯河くんは、松っちゃんらしいと、笑っている。去年の体育の授業を松っちゃん先生が持っていたため、先生の“やり方”についてはそれなりに知っているらしい。

 

 

 

  * * *  

 

 

 

 斜めに傾いている『体育教官室』の札は今にも取れそうだ。誰も直そうと思う人がいないのだろう。管理棟にあってグラウンドからも体育館からも遠く、しかも狭い教官室を利用する先生は松っちゃん先生以外にいない。どの先生も体育館脇に併設された体育準備室の方を利用しているのだ。時々、松っちゃん先生の同期で仲の良いらしい綾香先生が隣の化学室から遊びに来ているの見かけるくらい。他は用事があって訪ねる先生や生徒はあっても、好き好んで来る人はいない。去年の5月までは松っちゃん先生に構って貰うのを目当てにして押しかけていた子たちもけれど、ここにいる時の先生が素っ気無いことが広く浸透して以来はそんな姿さえなくなった。

 ノックの後に部屋に入ると予想通り松っちゃん先生以外誰もいない。

 

「失礼します。長尾です。日誌を提出しに来ました」

 

「堅苦しいやつ。俺とお前の付き合いだろ」

 

「どういう関係ですか? 」

 

「こういう関係だろ? 」

 

 からかうように細められた意思の強い目は、本心から嬉しそうに見えて落ち着かない。距離感が狂いそうだ。ゆっくりと(まばた)きをして、自分の立ち位置を確認した。

 この男は本当に厄介だ。明らかに教師に向いてない性格。教員免許の有無を疑いたくなる言動。そこから私に回ってくる負担。その割りに教師としてではなく、持って生まれた引力で生徒を惹きつけてやまない。それらも面倒で胡散(うさん)臭いことは事実だけれど、単にそれだけではない。(むし)ろ、私が生徒として(こうむ)る迷惑など「優等生」ならそつなく対処できる範囲内のことだ。厄介で怖いのは、二人になった時にこの男が「先生」を放棄して、一人の人間として私の前に立つことだ。

 彼の意図はわからない。私の後ろ向きな部分を追い詰める。

 

「ま、いいや」

真仁(まなと)が早速クラス会の企画したんだって? 」

 

 追い詰める。追い詰めるくせにあっという間に引いていくのだ。まるで、全ては彼にとって大したことでない、とでも言う風に。大人の対応を(よそお)ってあしらうのも滑稽に思えて、こちらは精々気付いてないふりをするのが限界なのに。

 

「はい、忠大くんと堀口くんとかと一緒になって企画してるみたいです」

 

「ふーん。仲良いに越したことはないけど。」

「長尾は大変だな。お祭クラスになりそうだし、行事の時は頼むな」

 

 本当に読んだのか怪しい位にざっと日誌を見ると、頑張れよ、と閉じた日誌で肩を軽く叩かれる。一見クラスの学級委員を頼りにする優しい先生に見えなくもないけれど、この男が役職を押し付けた張本人だ。

 何が、頑張れよ、だ。

 と、思いはしても口に出せない弱虫。そして卑屈。そのくせに意地っ張り。

 

「真仁って転入生なのか? 」

 

 また気分が滅入りそうになっているところに予想もしない話題を引っぱられて、頭は綺麗さっぱり真っ白になった。

 

「去年の始めからいましたけど。うちの学年に転入してきた子はいませんよ」

 

 質問の意図が(わか)らない。それでも答えに詰まるのも悔しくて、無難な応答をするだけ。こっちからは何も見えないのに、あちらからは何もかもを見透かされていそうな気がして。怖かった。目が上手く合わせられなかった。怯えた視線は適当な仕草で日誌を(めく)る先生の手を視界に入れるだけ。

 

「分かってるよ。」

「お前ら二人とも、西(にし)(ちゅう)出身だろ?あいつ途中で入ってきたのか?」

 

「違いますよ。1年生の時は同じクラスでした。面識はなかったけれど、小学校も同じです。」

 

「じゃあ、仲悪いのか? 」

 

 呼吸に失敗して、ひゅるっと喉が変な音を出す。

 

「……別に良くも悪くもないですよ。顔見知り程度だと思います」

 

「ふーん」

 

 その興味の無さそうな返答に酷く苛立つ。

 

「何でですか? 」

 

「個人調査書がなぁ……近くに住む同級生の(らん)大槻(おおつき)って書いただろ。」

「大して関わりがないと書き辛いのは分かるんだけど、緊急時用だから一番近いやつを書いておけ」

 

「先生の方で書き直しておいてもらって構いません」

 

「誰が書いても変わんねーけど、一応決まりだし。親に書き直して貰ってこい」

 

 はい。と言って差し出された個人調査書は二枚、二人分ある。真仁には私から伝えろ。と言うことだろう。ものぐさなくせに、どうしてこんなところできちんと先生なのかな。

 先生は受け取ろうとしない私を覗き込む。

 

「長尾?」

 

「あの……」

 

 口を開いては閉じる。馬鹿みたいだ。このくらいのことを気にしていて、何が変われるというのだろう。

 

「何だよ? お前、かなりまぬけに見えるぞ」

 

 

 

  * * *

 

 

 

 帰りのHRが終わってしばらく経ったというのに、まだ誰も帰ろうとしない。僅かな緊張感を含んだ興奮がそうさせるのだろう。

 

 (かす)れた鋭い声に体が後ろを向く。立ち上がって教室の前へと出る彼に自然と視線が惹きつけられる。

 友達といるときは賑やかでいつも皆の中心にいるのに、本当は人目を惹くのが苦手。すぐに髪を(いじ)る癖は健在のようで、少し長めの襟足を引っぱるようにして触っている。

 

「明日2Bの皆でメシ食いに行きたいなって思ってます。仲良くなるためになるべく沢山の人に参加してもらいたいんで、えっと、行ける人は俺か堀口に声掛けてください」

 

 彼の提案に周りのテンションが上がる。彼が座った途端さっそく参加を申し込む子もいた。本当に乗りのいいクラスだな。どんどん煩くなっていくクラスに先生は面倒臭そうな表情になり、号令も掛けずに、気をつけて帰れよー、とちっとも思ってないような口ぶりで言うと、さっさとクラスを後にした。

 一層ざわめくクラス。エコーする笑い声。彼の掠れた声。彼の綺麗な手。彼の長い指。彼の変わらぬ癖。エコーする真仁。彼との過去……

 

 懐かしいな。

 うん、懐かしいことだ。そして、もう昔のことだ。

 過去になったことと無かったことにすることは同じではない。いつかは胸の痛みも薄れ、更にいつかは消えるだろう。それなら今の私に出来ることは、全てを抱えたまま前を見ることだ。そこに変わらぬ彼がいたとしても。

 

「高橋くん、私も行きます」

 

「あ、うん。わかった」

 

 ぎょっとした顔をすぐに伏せてノートに名前を書いていく様子に、真仁もまた『昔の私』と戦っているのだろう、と思えば過去が暖まる。

 今更傷つかずに生きていけると夢見てるわけでもなく、痛くても時が進むことに気付けた。それならば、痛みを抱えても前に進むだけだ。抱えたものが私を(さいな)む分にはちっとも構わないのだ。大切な過去に変わりはないのだから。いつか忘れずに傷つかずに笑って会える日もくるだろう。

 時を戻せないことは人にとって幸いなことなのかもしれない。

 

 

 

  * * *

 

 

 

 自分の両親に言い出す勇気はない。それ以上に、もし今回のことで真仁の両親が嫌な思いをするかもしれない。と、思うと差し出された調査書を真仁に渡せるはずがなかった。

 誰だって思い出したくないだろう。いいのだ、それで。

 胸が少しばかり痛むのはしょうがないことだ。

 真仁が悪かったのではなく、私が悪かったのでもなく。二人のことなのに手から遠く離れているようだった。心無い悪意に傷ついたことはあったけれど、それでも誰が悪者だったわけではない。だから、しょうがないことだ。

 小さな傷が幾つも重なってしまった運の悪さ。

 世の中には上手くいかないことがいくらでもあって、私たちの関係はそんな沢山あることの一つになってしまった。

 

「高橋くんの家の両親と私の両親は仲が悪いんです」

 

「は? 」

 

「だから、先生が書き換えるか、そうじゃなかったら諦めて下さい。すみません」

 

「仲が悪いって、ガキじゃあるまいし」

 

「大人とか子供とか関係ないじゃないですか。反りが合わない。そういうことって、ありますよ。」

「それじゃ、失礼します」

 

 クラスメイト。

 そう悪い響きじゃない。

 


最初の予定では松っちゃん先生は超脇役だったはずなのに……


第三話の大幅な変更に伴い、第二話もかなり加筆修正しました。


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