アルマイアの英雄
眩しく降り注ぐ光に拳を突き上げる。
身体の奥底から湧き上がってくる衝動―――それをそのままに叫ぶ。
会場を埋め尽くした大観衆の歓声が、高みへと上り詰めた男を祝福していた。
※
「いい加減、起きる気はないかな?」
口調は軽いが、イライラを隠せていない声にジェームズは目を覚ます。
喉は乾き、全身の酷い痛みに最悪な気分の目覚めだった。
瞬きをすると曇った視界が澄み、目の前の男の顔を映し出す。
満面の笑みを浮かべた男―――いや、少年と呼ぶべきか。
恐ろしいほどに整った顔立ちに、男に興味のないジェームズですら目を奪われる。
褐色の、吹き出物一つない滑らかな肌。
まつ毛の長いクリッとした大きな目に、高く通った鼻筋は形も良い。
程よい厚みのピンク色の唇はこれまで付き合ってきたどんな女よりも柔らかそうだ。
だが、上半身裸の肉体はジェームズほどでないとはいえ厚い筋肉に覆われ、顔と同じく褐色の肌には大きなものから小さなものまで、無数の傷跡が残っていた。
「そろそろ認めてくれてもいいと思うんだよね。ほら、来月には国連の委員会があるでしょ?それまでには結審までつけときたいんだよね」
「だ・・・れが・・・ぐうっっ!!!」
乾ききった喉から声を絞り出すが、タマを鷲掴みにされ、ジェームズは全身を硬直させる。
徹底的に責められたイチモツはすでに色を変え、大きさも倍近くになっていた。
「もう十分痴態は撮れたからさ、認めてくれないとあの映像をネットに流すことになる。レスリング金メダリストの痴態ってかなり話題になると思うんだ。それで良いなら別に認めなくてもいいけど。どうする?」
少年の言葉に、ジェームズの全身に戦慄が走る。
催淫剤を嗅がされ、甚振られながらおっ勃てていた姿を全世界に配信されるなど―――
「ちょっ!どういう―――」
「そこにカメラがあるだろ?気付いてなかったんだ」
少年が指す方向―――確かにカメラがセットされていた。
「そっ!そんなことしたらこの国で拷問が行われていることが全世界に知られることになるぞ!!?そうすれば人権委員会の査察も免れない!!それで良いのか!!?」
ジェームズの叫びに少年は呆れたような表情を浮かべる。
「やだなぁ、これは“拷問”じゃなくて“緊縛”だよ?なんのために催淫剤で勃起させたと思ってんのさ?そういうプレイで喜んでるって体裁を整えるために決まってんだろ?そもそもこの程度で拷問とか、冗談もほどほどにしてよ。拷問っていうのはさ、僕みたいにこれだけ傷が残る奴のことさ。ちょっと腹を殴ったり、鞭で打ったり、キンタマに錘ぶら下げた程度のことは拷問とは言わないよ」
「なっ・・・」
絶望に顔色を青くしていくジェームズを見て、少年は再び笑む。
「だから認めてくれたら流さないんだって。簡単なことでしょ?実際にスパイなんだからさ。まあ、まさかオリンピック金メダリストが国際大会に乗じてスパイ活動なんてしてると知られたら今後の信用も何もないだろうけど」
「くっ・・・」
簡単な仕事だと―――ただ、指定された相手に会い、小さなカードを交換するだけで一万ドルを手にすることが出来る簡単な仕事。
それがまさかこんなことになろうとは。
「認める・・・だけでいいのか?」
「ここでじゃないよ。正式な裁判で、ね。もちろん、国に帰って認めたことを翻しても流すからね」
もう逃げ場はない。
アルマイア当局はジェームズがスパイ容疑で捕まっていることは把握しているはずだが、すべての証拠がそろっている以上、積極的に救出に動いてくれることはないだろう。
政府も兵器や装備は二世代以上も違っているのに、総合的な軍事力ではアルマイアと比肩するフーデシアと事を構えることは避けたいはずだ。そもそもこの国に喧嘩を売って無事だった国は存在しない。兵器による攻撃ではなく、電子戦を以ってその国の生活インフラを徹底的に破壊するという荒業を使える恐ろしい国なのだ。
「・・・わかった。裁判で証言する。それで良いんだな?」
「オッケー。認めてくれさえすれば無罪放免だよ。良かったじゃん。有名人だからさ、色々と交渉材料に使えるからこそ、こんな手間をかけてるんだよ?その辺の価値のない連中なら、すぐに刑務所にぶち込まれるんだけどね」
少年は鍵を取り出すとジェームズの手首と足首を固定している枷を外していく。
ジェームズは痛む身体の隅々まで動くかどうかを確認する―――無謀かもしれないがこの少年を拘束して撮影されたデータを消去させるしかない。
相当腕が立つことは拘束されたときに身に染みている。だが、あの時はまだ油断があった。今ならば―――
「おっと」
ジェームズが行動に出ようとした瞬間、少年に額の真ん中に指をあてられ、立つことが出来なくなる。
「悪いこと考えてると流出させちゃうよ?それにここで僕を倒しても無駄だってことはさすがに理解してると思うんだけど」
「くっ!」
「おっと!」
少年の股間を狙って蹴りを繰り出すが、やはりあっさり避けられた。
が、指が離れたその隙にジェームズは立ち上がると、少年へとタックルを繰り出す。
このタックルで世界を獲ったのだ。ここで金メダリストの意地を見せてやる―――が、
「ごぎゅうっっ!!!」
少年の膝がジェームズの鼻を押し潰していた。
脳を揺らされ、鼻血を噴きながらその場に崩れ落ちたジェームズの太い首に腕が絡みつく。
「げぇっ!!!」
絞められてほんの数秒―――
白目を剥いたジェームズは完全に沈黙した。
※
「はっ!!!」
目を覚ますと映ったのは白い天井。
「こ・・・こは・・・?ぐうっ!!」
体を起こそうとしたが痛みで動くことが出来ない。
首が固定されて動かせないので視線で周囲を確認するが、窓から見えるのは青空だけ。
どこか冷めたような色をしたその空は、ジェームズの知っている空の色とは少し違っていた。
一体何がどうなっているのか、心を落ち着け記憶を探るために目を閉じる。
フーデシア首都、アバロンで行われたレスリングの国際大会。
ジェームズはそれに参加するためにアルマイアを発ったのだが、到着してすぐ、大使館員という男が接触してきた。
ケビン=マクワイアと名乗ったその男は一つの話を持ち掛けてきたのだった。
「ちょっとした小遣い稼ぎが出来る話がある。あんたみたいな有名人なら簡単なことだ」
「小遣い稼ぎ?」
「大会はフーデシア教育省と国際レスリング協会の共催だろ?フーデシア側の担当者にアグマ=ルートリアという男がいる。こいつだ」
ケビンが取り出した端末には一人の男の写真が映っていた。
「こいつにこれを渡して欲しい」
そう言って端末の影から一枚のカードを取り出す。クレジットカードのようだが、番号の類は一切記載されていない。
「これと引き換えにバイナルカードを受け取ってきてくれ。会場の南に恋の願掛けで有名な橋がある。欄干にラブレターを挟むと恋が叶うって噂の橋だ。受け取ったカードを封筒に入れて欄干に挟んでおいてくれたらそれで仕事は終了だ。観光をしている体で近づけば不審に思われることもないだろう?」
「それは・・・もしかしてスパイってやつか?」
バイナルカードと言えばある企業が独自規格で作ったメモリーカードだ。全く普及が進まずあっという間に廃れた。記憶容量も小さいものしかないので利用するとなれば文書ファイルくらいだろう。
「言い様によってはそうなるな。だがすべてはアルマイアのためだ。フーデシアによるサイバーテロを未然に防ぐためにも、連中の手法を知っておく必要がある。知っているだろう?これまでゲルマニア、エスタシア、ローレンシアという国々が、フーデシアによるサイバーテロで生活インフラを破壊され、経済的な大打撃を受けている。アルマイアにもこれまでに何度となくクラッキングを仕掛けられたが、すべて水際で食い止めることには成功した。が、これからも成功するとは限らない。ゲルマニアでは病院の機能が完全に停止したことによる死者も出ている。アルマイア国民の生命と財産を守るためにも、フーデシアの手の内を明らかにしておく必要があるんだ」
四十年前の大戦末期―――まだ黎明期にあったインターネットという電子の海の発展を見越して、世界に先駆けてスーパーコンピューターの開発を進めてきたというフーデシア。商業面での世界的IT企業はアルマイアに集中しているが、それらの企業が用いる基礎理論は大半がフーデシア発信のものだという噂があった。基礎理論がフーデシアのものであるならば、少々手を加えたところでフーデシアには解析出来てしまう。
結果、それらのIT企業の開発したシステムを導入した企業や官公庁は、ネットワークに接続している限り簡単に乗っ取られてしまうことになる。
そこでフーデシアを除いた諸国で新たな国際規格を作り上げることになったのだが、それでもフーデシアの脅威は去らなかった。規格開発のエンジニアの中に、フーデシアの息がかかった者がいたのではないかという噂だ。
「カードを受け取って、封筒に入れて、橋の欄干に挟むだけでいいんだな?」
「そうだ。報酬は一万ドル。受け取ることが出来るのはアルマイアに戻ってからになるが」
「一万ドル!?小遣いというには額がデケェな」
「それだけの価値がある情報ってことさ。じゃ、頼むぜ、“英雄”さんよ」
そう言ってケビンはジェームズにカードを渡すと、周囲を気にしながら去っていった。
アグマ=ルートリアという男との接触は容易だった。
大会の事務局にそいつは居たからだ。ドーピング検査その他の申請書類を渡すついでにカードを渡すと、大会IDその他と一緒に封筒を渡された。
周囲から見れば極々普通に大会へのエントリー手続きを済ませたようにしか見えなかったはずだ。
いつものように準備を済ませ、いつものようにウォーミングアップをして―――あまりにもあっけないやり取りに、映画で見るような緊張感を期待していたジェームズは拍子抜けしていた。
しかし、現実ではこんなものなのだろう。
その後に行われた大会では何の障害もなく優勝した。
ライバル関係にあるゲルマニアのフラガ=アシュトンがこの大会へのエントリーを見送っていたからだ。
精鋭で知られるフーデシア軍の選手も、中軽量級では上位を独占していたものの、重量級では精彩を欠き、セミファイナルで対戦した相手もジェームズの敵ではなかった。
ファイナルの対戦相手はオリンピック銅メダリスト、ハポニアのジョウ=ナルシマだったが、パワーで押し切った。ハポニアの選手はテクニックはハイレベルだがパワーに劣るという欠点がある。
大会を終え、すべてのセレモニーを済ませたジェームズは観光という名目で街に出る。
都合の良いことにハポニアの女子選手たちと一緒になれたので、目的の橋へと向かい、女子選手たちが挙げる嬌声の中、こっそりと受け取った封筒を欄干に差し込むと何食わぬ顔で観光を続けた。
ついでに何人かの選手を食い、自分のホテルに戻ると、部屋の前に男が立っていた。
身長は170㎝ほど。短く刈り込まれた黒髪に浅黒い肌、そして整った目鼻立ち―――容姿の特徴からするとアルヒン辺りの出身だろう。
外套のようなものを纏っているため体型は判別できない。
髪が短く刈り込まれているから男だと認識したが、顔だけを見れば女とも思える。
「ジェームズ=マクマホンさん?」
落ち着いた声のトーンからするとやはり男だろう。だが、まだかなり若い。
「そうだが・・・君は?」
「あなたを拘束します」
「へ?」
問い返す暇もなく、少年は壁を蹴ると跳びあがり、ジェームズの背後に立った。
「なっ!?」
振り返ったジェームズへと少年の手が伸びるが、ジェームズはその手を振り払うと少年へと抱き着き、そのまま投げた。
だが少年は受け身を取ってすぐさま体勢を立て直すと跳びあがり、仰向けに寝転がった体勢になっているジェームズの腹へと膝を落とす。
「ぐふうっっ!!!」
少年の全体重が乗った衝撃に、ジェームズは目を剥いた。
分厚い腹筋を纏っているとはいえ、殴られるようには出来ていない。
しかもつい先ほどまでありとあらゆる体位で十連発してきたばかり。さすがのジェームズも体力を消耗している。
「おうぇえ・・・・」
腹を押さえて蹲るジェームズだが、少年の手が背に触れたところで、その腕を掴んで引き倒すと前腕で少年の喉を押さえ付ける。
「がっ!!かはっ!!!!」
極太の腕に喉を押さえ付けられた少年の顔は瞬く間に真っ赤になっていく。が―――
「ぐうっっ!!!」
股間から響く痺れるような痛みにジェームスの顔も赤く変わり、やがて青白くなっていった。
全身から力が抜け、ドサッと崩れ落ちたジェームズの下から少年は這い出ると、虚ろに半目を開いて、涎を垂れ流す顔を一瞥すると極太の首に腕を回す。
「ぎゅえっ!!!」
ジェームズの上半身を持ち上げるように絞め上げられ、十秒も経たずにジェームズの意識は落ちた。
目を覚ますと薄暗い、そして酷い悪臭が漂う部屋にいた。
わずかな光は自分の背後から射しているようで、目の前の壁には自分の影が映っている。
「ぐうっ!!」
激しい痛みに顔を上げると、両手を手錠で拘束され、そこからさらに鎖で天井に繋がれている。
己の体重で手錠が食い込んだ手首からは血が流れだしていた。
「ここは・・・」
下を見ると自分のイチモツが見える。全裸にされて天井から吊られているのだ。
まるで映画で見た拷問部屋―――
ゾクッと背筋に冷たいものが走る。
拷問部屋?つまり、これから自分は拷問を受けることになるのだ。
「くっ!!」
身を捩り何とか抜け出せないか試してみるが、手首の痛みと流れ出す血の量が増しただけ。
「くそっ!!」
「おや、ずいぶん元気だね」
聞き覚えのある声が背後から聴こえた。
視界の端からゆっくりと現れたのはあの少年―――
「アルマイアの英雄、オリンピックレスリングフリースタイル90㎏級金メダリスト、ジェームズ=マクマホン。さすがに英雄だけあっていいもんぶら下げてるね」
薄ら笑いを浮かべながら冷たい目でジェームズの股間から視線を移動させた少年に、ジェームスの羞恥心が沸騰する。昔から体格の割に小さいと揶揄されてきたコンプレックスそのものだからだ。
「くそっ!!!何のつもりだ!!!」
「自分がやったことはわかってるんじゃないの?こいつと何をしたのか」
少年が指を鳴らすと、反対側からジェームズ並みの体格をした、マスクで顔を隠した男が現れ、手に持っていた何かを床に投げ捨てた。
「!!?」
それはボコボコにされて顔形が歪んでしまっていたが、間違いなくアグマ=ルートリアだ。
「フーデシアでは間諜は重罪でね。死刑、よくても無期の懲役刑だ。こいつが持ち出したデータは回収済み。君らが何をしていたのかまですべて記録済みだよ。言い逃れは出来ない。だが、君は金メダリストだ。君自身に人的価値がある。そこで正式な裁判で自分がスパイ行為をしたということ、そこに至るまでの経緯を話してくれたら、無罪放免としよう。悪い話じゃないと思うけど、どうかな?」
「ふざっ!!けんなっ!!」
「悪い話じゃないどころか、良い話だと思うんだよね。君は罪がなかったことに出来るし、こちらはアルマイアとの政治交渉のカードを手に出来る。まさにWIN-WINってやつだろ?」
「誰がそんな話に乗るか!!良いからさっさと放しやがれ!!!」
ひたすら暴れるジェームズに、ため息を吐いた少年は再び指を鳴らした。
現れたのはジェームズ以上の肉体をしていることが、その軍服の上からでもわかるような巨躯の大男―――その手には鞭が握られている。
「じゃあ、気が変わるように手伝ってあげるよ。せいぜい楽しんでね」
少年がにこやかな笑顔を浮かべて視界から消える。
「ちょっ!!待てっ!!なっ!!?ぐあああああああっっ!!!」
全身に走った激痛に絶叫するジェームズ。
「ぐああああああっっ!!!!ぎゃああああああっっ!!!」
ジェームズの鍛え上げられた筋肉に、真っ赤な線が幾筋もついていく。
「ぎゃああああああっっ!!!!うぎゃああああああっっっ!!!」
幾度も、幾度も、終わることのない苦痛の中、ジェームズはひたすら叫び続けていた。
「うぐっ!!」
よみがえった記憶に頭を抱える。
むち打ちの後、気絶していたジェームズは水をかけられ無理やり起こされると変な薬を嗅がされた。
それからも電気ショックや、ロウ責め、腹打ちなどの拷問が続いたのだが、激痛で苦しいのになぜかイチモツはそそり立っていく。
幾度も気絶と覚醒を繰り返し、まさに“精根尽き果てた”頃にあの少年にタマを責められ、発射と同時に気絶したのだ。
その姿をビデオに撮られるとは―――
「くそっ!」
「おや、気が付いたね」
ジェームズの視界に顔をのぞかせたのはあの少年だ。
「往生際悪く暴れるからさ、絞め落としたんだけど変な角度に入っちゃってさ。一応固定してもらったんだ。まさかレスリング金メダリストの首があんなに脆いとは思わなくて」
少年がベッドの脇に触れると、上半身が起き上がっていく。電動のリクライニングだ。
「さて、僕の名前はローラン。一応軍属だけど、正式な所属も階級もないフリーランスでやってる。そっちの情報は全部知ってるからいいや」
「ここはどこだ?」
「軍の病院だよ。一応手当てしないといけなかったしね」
「その・・・本当に俺がスパイだと証言したら、録画したデータは流さないんだろうな」
「もちろん。切り札ってのは簡単に使うもんじゃないからね。売ってもせいぜい100万ドルくらいにしかなんないだろうし、それなら政治交渉のカードにした方がいいから」
淡々とジェームズにとって酷なことを告げるローランは、手を差し出す。
「これから来月の裁判まで僕と一緒に過ごしてもらうから。よろしくね」
「お前と?」
「一応護衛が必要だから。アルマイアはなんとかしてあなたの口を封じようとするだろう。あなたが死ねば口を封じることが出来て、さらにこちらを悪者に出来る。あなたに死なれて困るのはこっちだけなんだよね」
「そんなっ!!?」
仮にも金メダリスト、アルマイアには少なくないとはいえ国民的スポーツであるレスリングでの金メダルは英雄扱いだ。
そんな人間をあっさり見捨てるなど―――そう思う一方で、アルマイアならばあり得る気もしていた。
陰謀、策謀が渦巻く国―――それがアルマイアだ。
「そういうことで、場所を移動したいんだ。軍管轄の施設とはいえ、ここもそれほど警備がしっかりしてるわけじゃないからさ。それほど酷い怪我でもないし、夜には動けるから日が沈んだら町を出るよ。あと、これがホテルに置いてた荷物ね」
ローランはジェームズのスーツケースをベッドに置くと、部屋を出ていった。
もう逃げることも後戻りも出来ない―――軽い気持ちで引き受けただけなのに、まさかこんなことになるとは。
もし、無事に国に帰ることが出来たとしても、もうジェームズに居場所はないだろう。
アルマイア国内ではスポーツに政治を持ち込むことに対する反発が強くある。いくらアルマイアのためとはいえ、国際大会に参加しつつのスパイ活動など言語道断と糾弾されることは目に見えていた。
「はあ・・・」
欝々とした気持ちをため息に吐き出しつつ、ジェームズはスーツケースの中身を確かめ始めた。