落ちて叫んで
あなたを待っていました!!
という雰囲気では、明らかにない場所にマナは降り立った。いや、呼ばれたのか。
どちらとも定かではないけれど、自分が世界を救うための勇者や聖女だったり、女性の人口が少ないから男に囲まれて大事大事されるために召喚される!などといった理由で呼ばれたわけではないと気付くのに丸2日はかかった。
勘違い女と言われてもしょうがない。しかし異世界召喚にはそういった理由がつきものだったではないか。異世界に呼ばれ、世界を救ってください!というのは典型的パターンではないのか。
その世界にはない不思議な力を授けられた主人公は世界を救い、国の王女や王子と結婚するなりして幸せを約束される。
その意味をもってこその召喚だったらまだ納得できる。
いや、当事者にとってはただの誘拐だから納得はできないだろう。しかも二度と故郷の地は踏めない例が多い悪質な犯行である。それなのに身勝手に知りもしない世界を救えなどとは笑止千万である。
お前らの理由を勝手に押し付けられてこちらがなんでもかんでも頷くとは思うなよ、と声を大にして言ってやりたい。しかし卑怯にもそこは異世界。何の庇護もなしに放り込まれた世界で生きていくなんて到底無理だ。そこで召喚者はいやらしい考えを腹に抱えながらも親切そうな表情で訴えかけてくる。
あなたを保護します、と。
言わせてもらえば誘拐してきたくせに保護しますとは、矛盾の塊ではないか。その保護の対価に求めるのは命がけの行為だろう。勝手に誘拐した挙句知らない世界のために命を差し出せなんて神経の太い要求だと思う。
それを断らせないような雰囲気で、状況で。それを悟らせないように親切で隠して。
別に自分がその状況に置かれているわけではない。その状況に置かれなくてよかったと思う。自分だったら相手の顔をひっぱたいて急所を蹴りつけて、要求をはねのけた挙句投獄されるか凶暴な獣の住む森に放られて死ぬ道をたどるだろうことが予想できたからだ。
死にたがりなわけではないが、マナは少し馬鹿正直な猪突猛進な性格をしているのだ。
さて、マナはそのような凄惨になりそうな状況に置かれたわけではないが、それと同じような状況に放り込まれたのも事実だった。
ひゅるる~、とマナの心情を表すような落ち葉が風に舞う。
マナが召喚されたのは、ホームレスが寝転がる小汚い路地裏だった。
哀愁漂うその背中に背負っているのはギター。いや、それだけではない。これから自分はどう生きていけばいいのかという疑問や苦悩も背負っていた。
「おう、嬢ちゃん。新入りか。」
気安く自分に声をかけてきたのは2mをゆうに超す大男。
普段ならば可愛らしく道を聞くことも可能だろうが、本日は状況がそうはさせなかった。
マナは顔を上げることなく自分の目線にある男の胸を見つめ続けた。面白がって声をかけたのにいっこうに反応のないマナに興味を失った大男はマナを通り過ぎると角を曲がって消えていった。
また沈黙が戻ってくる。
それに耐えきれずマナは叫んだ。声の限り。
「ここどこじゃあああああ!!!」
自分が世界を救う聖女の柄じゃないことは承知の上だったがまさか王宮でもなく神殿でもなく、ホームレスが寝転ぶ路地裏に放り込まれるような理由がわからなかった。
*****
「今日は2丁目の~ダレンがエグゼにふられましたので~、失恋の曲を歌います!聞いてください。SETUNAKUTE!!」
「待ってたぜマナ!」
「ダレンの思いをここで晴らしてやってくれ!」
「エグゼ―!ダレンのものにならなくてよかったー!!」
ギャーン。
ギターを一撫ですれば集まった客はすぐに口を閉じた。先ほどのワイワイとした雰囲気が嘘のようだ。
それを合図にして通りには今日もマナの声が響き渡った。
*****
あの日、マナがこの世界に放り込まれた忌まわしいあの日。
マナはサークル帰りだった。大好きな歌を歌いたくて、入ったバンドのサークルで自分と組んでくれた仲間との練習を終え、帰路についていた時だった。
玄関まであと3歩、というところで事件は起きた。
急に頭を殴られたような、ガツンとした衝撃が脳を揺らすとマナの視界はひっくり返った。本当に天と地がひっくり返ったとはこのことなのだろう。今まで地を踏みしめていたはずの足はなぜか空にあった。脳を揺らされたことで吐き気やめまいがマナを襲ったが、それどころではない。とりあえず自分を支える地面がないと知ると混乱に陥った。
急激に落ちていく感覚。
びゅうびゅうと鳴る風が耳の中に激しく吹き込めば、そのうち自分は地面に打ち付けられて死ぬのだろうと悟った。まるでトマトが高いところから勢いよく投げられてべちゃっとその実を散らすように。
そう考えていれば空中落下をつづけたトマトマナは途中で違和感に気付く。
あれ、自分を迎える地面がないぞ、と。
そう自覚して下であろう方を見るとまたしてもマナの視界は急激にひっくり返った。
そして地面に足がついた。
ほっとしたのも束の間、周りの景色は落ちる前に比べ一変していた。
自分が開けるはずの家の扉はなく、夕暮れを示す自分の影も、空に広がる夕焼けもない。母が頑張っていた庭の景色の一欠けらも残ってはいなかった。
そして、冒頭に戻る。