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ダリア  作者: うちょん
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無色透明


        花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ。   井伏 鱒二




































         第四話  【 無色透明 】





















  「おはよう!」

  「・・・おう。」

  「おはよう。」

  元気に登校する三人組。

  一番元気に挨拶したのは、小学校二年の大須賀くん。ニコニコと楽しそうに笑いながら、二人の友達に朝の挨拶をする。

  大須賀くんの挨拶に、軽く返事をしたのは、同じく小学校二年の五十嵐くん。黒のランドセルを背負いながら、眠そうに欠伸をしている。

  最後に挨拶をしたのは、これまた同じく小学校二年の有馬くん。黄色い帽子が大きいのか、目が少し隠れてしまっている。

  「なあなあ!今日の体育さ、組体操らしいぞ!あれ、楽しいよな!」

  「・・・面倒臭いなあ・・・。」

  「体重のバランスが難しいこの年齢でやらなくてもいいと思うけど、楽しいと思う。」

  ・・・なんとも可愛げがある子と、無い子とはっきり分かれている三人組だ。

  「でも、俺は竹馬とかの方が好きだな!」

  「大須賀くんって、跳び箱何段まで跳べるの?」

  一人で楽しそうに体育の話をしている大須賀くんに、五十嵐くんが問いかけた。人の話を聞いているんだか、聞いていないんだか分からない子だ。

  「おっ・・・俺は・・・その・・・。」

  段々と声が小さくなっていく大須賀くんに、さらに続けたのは有馬くん。

  「・・・あれ?大須賀くんが跳べてるとこ、見た覚えが無い。」

  「!!」

  さっきまでの笑顔はどこへやら。半泣き状態になってしまった大須賀くん。

  「だっ、だってさ!怖えーんだよ!頭打つかもしれないじゃんか!骨折するかもしれないじゃんか!死んじゃうかもしれないじゃんか!」

  正直に『怖い』という大須賀くんに、二人は別に笑う事も無く、励ます事もしなかった。ただ、大須賀くんの気が済むまで、ずっと聞いていた。

  「・・・大丈夫だよ。そんくらいで人は死なない。なんのために柔軟やってると思ってんだよ。」

  五十嵐くんが落ち着いた声で、大須賀くんに諭す。

  「それに、怖がってやってたら、それこそ怪我するぞ。大須賀くんなら、一回跳べればあとは何段でも跳べると思うよ。」

  学校に向かいながら、淡々と話す五十嵐くんの言葉を聞いて、大須賀くんは少し赤くなった目で二人を見ながら、コクンと頷いた。

  そんな毎日を送っていた三人だったが・・・。

  「おい有馬!お前、いっつも笑わねえよな。」

  「しかも、キュウリ残すよな。」

  「あんま喋んねえし、何か言ってみろよ!それとも、口開かねえのかよ!」

  いじめっこ三人に、机を囲まれた有馬くんだが、特に気にする様子もなく、図書館で借りてきた『ビル・ゲイツ』の本を読んでいる。

  「聞いてんのか!こいつ!」

  囲んでいた一人が、有馬くんの頭を叩く。それでも、泣いたり睨んだりすることなく、本を読み続ける。そこに、先生が来た。すると、大人しく自分の席に戻って行った。

  ―昼休み

  「有馬!ちょっと来いよ!」

  さっきの三人組に、仕方なくついていく有馬くん。着いて行かれたのは、一番近くの男子トイレだった。そこで有馬くんにいきなり水を掛けたいじめっ子達。

  有馬くんがびしょにしょになると、満足したのか教室に走って戻って行った。

  教室に戻った有馬くんは、先生に色々と聞かれたり、最終的には怒られたが、何も言わなかった。一応保健室に行って、着替えを貸してもらっていた。

  掃除の時間になり、隣の教室だった五十嵐くんがずぶ濡れの有馬くんを見かけた。上下共に体操服なのだが、髪の毛が濡れていた。

  「どうした?何で濡れてんだよ。」

  そこに大須賀くんが両手にいっぱいのトイレットペーパーを抱えながら通りかかり、有馬くんと五十嵐くんに気付いた。

  「おお!二人とも!って、何でそんな格好してんだ、有馬くん?今日水泳でもあったのか?」

  「・・・水泳の季節はもう終わっただろ。」

  大須賀くんのズレた見解に対して、鋭くツッコみを入れる五十嵐くん。どんな二人を見て安心したのか、有馬くんは簡単に説明した。

  「それって、いじめじゃねえか!何でなんも言わなかったんだよ!」

  自分のことのように怒り狂う大須賀くんだったが、有馬くんは逆にどうして怒ってるんだろうという顔をしていた。

  「言っても濡れたままだし。なんか面倒臭くて。」

  「・・・誰だ?」

  「?何が?」

  小学生らしかぬ諦めの言葉と同時に、五十嵐くんがピリッとした空気を出しながら、有馬くんに主犯とその仲間を聞いてきた。

  有馬くんは、言っても分からないだろうと思い、とりあえず三人の名前を言った。

  「・・・わかった。じゃあ、俺まだ掃除の途中だから。」

  そう言って、スタスタと廊下を歩いていき、何処かに行ってしまった。大須賀くんも思いだしたように、じゃあな、と言って廊下を走って行って、先生に注意されていた。

  ―放課後、体育館裏

  「小林と相田と矢内って、お前らか?」

  そこには四人の男の子の姿があった。そのうち三人と向かい合うようにして、一人の男の子が立っている。

  「誰だ?お前。俺達に何の用だよ。今日は塾があるから、早く帰らないといけないんだ。」

  「あっ。こいつ、有馬といつも一緒にいる、隣のクラスの奴だ!」

  一人の男の子・・・五十嵐くんは、三人の名前を確認すると、じりじりと距離を縮めていく。

  「有馬くんに水掛けたのって、お前らだよな?」

  声質的にはまだ子供で、高いはずなのだが、腹から出されたその声は、とても迫力があり、三人の男の子たちは自然と後ずさってた。

  「違うよ!俺たちじゃない!」

  「・・・一応目撃者がいたんだけど。俺のクラスの清水って奴がさ、有馬くんとトイレに入って、なぜかそのあと濡れた有馬くんが出てきたって。・・・言い訳出来る?」

  普通の小学生からは聞く事の無いような話方だが、それを感情を一切込めることなく言うもんだから、余計に相手を怖がらせる。

  「そ・・・それはさ・・・。」

  「だから、何されても、文句言えないよな?」

  そう言うと、五十嵐くんはその小さな身体を目一杯使って、三人にタックルした。真ん中にいた矢内くんが倒れると、次は小林くんの足を蹴り、最後に相田くんの顔面を強く叩いた。

  三人は泣きだして、ランドセルを置いたまま走って帰ってしまった。




  次の日、五十嵐くんは先生に呼ばれて、追及された。さらに、あの三人の中の矢内くんのお母さんはPTAだったため、大事にされそうになった。

  しかし、有馬くんと大須賀くん、それから清水くんの親も学校に来て、初犯とはいえ、いじめを行っていたことが判明し、子供同士の喧嘩と言う事もあり、互いに謝ることで丸く収まった。

  「ダハハハ!!智久は相変わらず喧嘩が強えーな!」

  有馬くんのお父さんに、頭をわしゃわしゃされながら、生姜焼き定食を食べている五十嵐くん。・・・と大須賀くんと有馬くん。

  「大須賀んとこのガキも、よく見つけたな、その清水ってやつ。」

  「まあな!俺、デコ広いんだ!」

  「それをいうなら、顔が広いだ!ダハハハ!」

  豪快な笑い方をする有馬くんのお父さんは、五十嵐くんにとっても大須賀くんにとっても、第二の父親のような存在だった。

  五十嵐くんと大須賀くんの父親はサラリーマンで、日曜には一緒に遊んでくれるものの、出張が多かった。だから、有馬くんのお父さんが、しっかりと褒めたり叱ったりしていた。

  「父ちゃん、笑い方五月蠅い。」

  なんて、有馬くんが言えば、さらに大声で笑ってみせた。



  中学校になっても、三人の関係は変わることなく続いていた。

  しかし、二年になってすぐの頃、五十嵐が喧嘩をしたという話が、有馬と大須賀の耳に届いた。二人は五十嵐に確認しに行こうとしたが、怪我をしたようで、病院にいるとのことだった。

  何処の病院かを聞いた二人は、走って病院まで行き、受付で病室を教えてもらった。

  ドアを開けようとしたが、そのドアが開かれる事は無かった。

  それは、ドアに『面会謝絶』の札がかけてあったからだ。

  ドアの近くには、五十嵐の父親と母親がいて、母親が少し泣いているようで、父親が慰めていた。肩が震えている母親を、そっと抱きしめていた。

  「あの・・・。」

  気まずいとは感じながらも、大須賀はいてもたってもいられなくなり、五十嵐の両親に話しかけた。二人は大須賀と有馬の存在に気付いて、こちらを向いた。

  「五十嵐の奴、大丈夫なんですか?」

  慣れない敬語を使いながらも、大須賀が聞いた。

  「ああ。智久なら大丈夫だ。喧嘩して、相手にナイフで刺されたようで、今は会えないが、じきに会えると言っていたよ。」

  「そうっすか。」

  「君は・・・大須賀くん・・・かな?そっちは有馬くん?」

  「?そうですけど。」

  五十嵐の父親とはこれが初めてだったため、確認された事にはそれほど違和感は感じなかった。

  「智久がいつも迷惑かけているね。」

  優しい口調のその人は、本当に五十嵐智久の父親かと思うくらいのものだった。母親が穏やかな性格であることは知っていた二人だが、まさか父親もそうだとは思っていなかった。

  ―どうなったら、ああいう子供が出来るんだろう。

  五十嵐とは違う空気に戸惑いながら、二人は五十嵐が起きるまで待つことにした。

  「もういいですよ。」

  五十嵐の様子を見に来た医者にそう言われ、有馬と大須賀は急いで部屋に入った。

  「五十嵐!」

  「智久!」

  同時に叫んだが、なぜか目を開けない五十嵐。

  「五十嵐!」

  「智久!」

  「・・・うるせえ。」

  不機嫌そうに目を開いた五十嵐の前にいたのは、自分の両親と、無二の親友。

  そんないつもの五十嵐を見て、両親は勿論、有馬と大須賀も安心している。ホッと胸を撫で下ろし、五十嵐をおちょくる。

  「照れてんのかよ。俺達はたまたま通りかかっただけだからな。」

  ―病院と反対方向の家のくせに・・・

  そう思った五十嵐だが、照れ隠しなのはお互い様で、五十嵐も憎まれ口を叩きながら会話を続けていた。

  「相手は?」

  有馬が冷静に五十嵐に問う。

  「・・・仕返しでもする心算か?」

  有馬が返事をする前に、五十嵐がニッと笑い、また言葉を紡いだ。

  「ナイフで刺された後、気絶させた。だから、お前がんな事しなくても平気だ。」

  それを聞いて、父親も母親も呆れたようにため息をついて、説教を始めてしまった。泣いていたはずの母親も、『そこに座りなさい』とベッドに寝ている五十嵐に言っていて、五十嵐も『病み上がりだから無理』と、的外れなツッコミをしていた。

  そんな様子をみて、有馬と大須賀は笑った。

  「じゃあ、俺達は帰るよ。お大事に~。」

  「また学校でな。」

  「あ、有馬くんも大須賀くんも、本当にありがとう。よかったら送ってくわよ?」

  「ありがとうございます。でも、大丈夫です。」

  有馬が最後まで丁寧に挨拶をし、ドアを開ける。すると、二人の背中に五十嵐の父親から投げかけられた。

  「智久と、これからも仲良くしてやってくれ。」

  五十嵐が父親を止めているのが分かるが、二人は言われた事に対して目を丸くし、笑いそうになりながら答えた。

  「「そのつもりです。」」

  力強いその言葉は、五十嵐の両親を安心させただけでなく、五十嵐本人も、顔を背けて窓の方を見てはいたが、驚いた表情をしていた。

  二人が帰ったあと、五十嵐は両親に散々叱られ、それと同時にとても心配された。

母親が上半身を五十嵐に近づけて抱きしめようとしたが、五十嵐が両腕で防いだことによって、叶わなかった。

  父親はそれを見て笑っていて、しばらくは親子三人、水入らずの時間を過ごした。

  「じゃ、そろそろ帰るわね。何かあったら、すぐに連絡してね。」

  「病院内では喧嘩なんかするなよ。寂しくなったらすぐ来てやるから。」

  「はあ・・・。わかったわかった。早く帰りなよ。」

  名残惜しそうに帰って行った両親の姿を目に焼き付け、窓から見える明るい街を眺めていた。

  ―もっと強くなればいい。そうすれば、誰にも迷惑かけない。

  五十嵐は、その時決意した。




  「おい!五十嵐!」

  ―・・・うるせえ。

  「智久!智久!」

  ―なんだよ。俺はここにいるだろ。

  「智くーん。いい加減に起きないと、俺が寝不足で倒れそうだよ。」

  ―何言ってんだよ・・・。さっきから耳元で騒ぎやがって。

  「いーがーらーしー!!ダメだ。もう起きねえかもな・・・。」

  ―おい。好き勝手言ってんじゃねえぞ。大須賀・・・。後でブン殴ってやる。

  「智久は長生きすると思ってたんだけどな・・・。俺の見込み違いだったか。遺伝子的にも長寿の家系なはずなんだけどな。」

  ―なんで俺んとこの家系が長寿だってしってんだよ。有馬も一発殴ってやる。

  「俺さー、寝ててもいいかな?智くんが起きたら起こしてよ。今まで寝て無かった風を装うからさ。ね。レイちゃん、起こしてね。」

  ―聞こえてんだよ。マジシャンが種明かししてるようなもんだぞ。

  「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ?」

  ―おい。レオナ。寝てただろ。

  「どうする?今のうちに落書きでもしておくか?なかなか出来ねえぞ。」

  「あ、面白そう。でも、バレたら半殺しじゃ済まないよ?」

  「大丈夫だろ。いざとなったら逃げる!」

  「あ~俺もやりたい。智くんってクールぶってるから、それをぶち壊せるようなのやりたいな~。」

  「何する?落書き?それとも、携帯とかいじっておく?」

  「ホワイトはいいのかな?熟睡してんだけど。」

  「レイちゃんも連帯責任だよ。だいたい、此処で寝てるのがいけないんだよ。」

  「あんたもさっき寝ようとしてたよな?まあいいや。そうだな・・・。寝顔撮るとか!」

  「え~。智くん、寝顔可愛いから、撮っても面白くないよ~。あ、でも。智くんは可愛いとか言われるの嫌だろうから、その写真を使って智くんに働いてもらうって言うのも、悪くないな。」

  「確かに、智久は可愛いは勿論、カッコいいも言われるの好きじゃないよな。馬鹿にされてるみたいでムカつくって言ってたし。」

  「俺はカッコいいって言われたいぞ。なんで同じ人間なのに、こうも違うんだろう。」

  「大須賀。それは仕方ないよ。昔からファンクラブあるんだから、智久は。」

  「え、本当か!?初耳だぞ!!!そんなもんあったのか!」

  「すごいね~智くん。レイちゃんといい勝負だね。なんだろう。クールな人が人気あるのかな?クールブーム到来?」

  「そしたら、有馬も人気だっていいんじゃないのか?え?どんなんだ?」

  「俺が女心なんか分かるわけないだろ。ま、容姿端麗が好きなんじゃないのか?結局さ。」

  「おれ?俺は?俺は智くんとかレイちゃんみたいに、容姿端麗を実体化したような姿だと思うんだけど、どうしてかな?」

  「「性格の問題。」」

  「え、二人して怖いほど声揃えて、同じこと言わないで。」

  「ブラックはおいといて。大須賀も先輩たちには人気あったと思うけど。自覚はないの?」

  「え、それも初耳。俺って年上に人気あるの?俺は一応年下が良いんだけど。年上ってさ、絶対主導権握られそうじゃん。」

  「馬鹿か。男なんてな、最後は嫁に尻にひかれるんだよ。どうせ主導権握ってられるのなんて、一時なんだから。」

  「無視しないでよ。俺の扱いひどくなってるよね?何かしらないけど、酷くなってるよね?」

  「あー!!!なんてこった!!!それにもっと早く気付いてれば!俺の人生はバラ色だったかもしれないのに!!!!!」

  ―・・・うる・・

  「・・・っせえぇぇええぇえぇえぇ!!!!!!!!!!」

  三人・・・四人?の病室内でのどうでもいい会話を、聞きたくもないのに耳に入ってしまていた智久は、ついに爆発した。・・・というよりも、やっと声が出た。

  急に叫んだ智久の方を、一斉にみた一同は、時間が止まっているかのように、智久の荒い息が整うまで、じっと見ていた。

  「・・・・・・はあ。」

  智久がため息をつくと、レオナがムクリと身体を起こし、左腕で身体を支えながら右手で頭をかきながら、大欠伸をした。

  「ふぁああぁぁあ・・・。早く先生呼んだ方がいいんじゃねえの。」

  冷静なレオナに対して、大須賀は大慌てで、『お・・おおお、おう!!』と返事をした。

  「やっと目が覚めたんだね~、智くん。」

  ドア付近に置いてあった数脚の椅子の中から一脚を持ってきて、智久のベッドの隣に置いて座り、足を組んだ佳正。ニコニコと笑いながら、自分の膝に肘をつけて、頬杖をつく。

  「・・・なんで俺は病院にいんだ?」

  病院にお世話になるような怪我をしただろうかと考えながら、智久は特定の誰かに投げかけるわけではなく、その場にいた全員に聞いた。

  廊下で、大須賀が『せーんせー!いませんかー!』と原始的に呼んでいるのが聞こえたが、恥ずかしいので他人のフリを決め込む智久。

  「なんでって、足に銃弾くらって怪我してたじゃん。まあ、病院の方に銃弾のことはなかなか言いにくいから、空閑の兄貴を脅して処置はしてもらった。診断書には、『リンゴの皮むきしててナイフが刺さった』ってことになってる。」

  有馬がため息をつきながら智久に教えた。智久はそれに対して、色々と不快感を抱きながらも、自分が銃弾ごときで病院にいる事が信じられなかった。

  「ま、あれだけ血を流せば、智くんでも気を失うはずだよね。」

  「・・・どのくらい時間は経った?あいつらはどうなった?」

  佳正たちを睨むわけではないが、その目には力が込められていた。有馬や佳正がそれに対して答えようとする前に、レオナが口を開いた。

  「焦るな。お前は二六時間寝てた。竜牙と空閑、それにあいつらの家族も捕まった。有馬と大須賀の証拠を警察は勿論、検事や弁護士にも提出して、犯罪に係わっていた連中も逮捕されたから、起訴は免れないはずだ。」

  「・・・そうか。」

  「それから、大須賀を狙った理由は、撮られた写真の中に利堂が映っていると思ったからだそうだ。ついでに、持ってる情報を奪おうとしたようだ。」

  レオナの話が終わるのと同時に、医者の先生が入ってきた。空閑の兄貴を脅して診断書を作らせ、処置をしてもらってから、警察に突き出したらしい。

  医者は智久があまりに元気なのを見て、一瞬驚いたような表情を見せたが、走ってきたせいで上がった息を落ち着かせ、挨拶をした。

  「五十嵐・・・智久くんだね。ちょっと診察するね。」

  そう言われ、大人しく診察を受ける智久。

  目の下の部分に指を置き、グッと目の充血を確認。その後、両手を首のところへ持って行って何かを確認する。病院のパジャマを捲って聴診器をあてられる。

  智久の丁度良く割れている腹筋を見て、後ろで佳正が、医者と智久の腹を交互に見ているのが分かる。

  レオナは椅子に座り、右足の足首部分を、床についている左足の膝のところに置いて、その右足の膝の部分に肘を乗せて、ウトウトとしている。

  大須賀が医者の隣で、じーっと様子をみている。

  「うん。もう平気そうだね。これからは、リンゴを切る時は注意しないとなっ!ハハハ!」

  「ハハハ・・・。そうですね。ありがとうございました。」

  苦笑いをする智久を見て、佳正が面白そうにニヤッとしていた。

  医者が『もうしばらくは安静に』と言って部屋から出ていくと、レオナがおもむろに立ち上がった。

  「んじゃ、俺はそろそろ帰っから。あんまり一人で悪役買うんじゃねえぞ。」

  ドアを開けながら言われた言葉に、智久は言葉を返した。

  「悪役くらいなら、幾らでも買ってやるよ。」

  それを聞くと、背を向けていたレオナは、上半身だけをクルッと捻って智久の方を見た。数十秒間の沈黙が続いたあと、再び智久が言う。

  「でも、正義の面ぁ被った本物の『悪』は、金積まれてもならねえけどな。」

  レオナはフッと笑うと、そのまま帰ってしまった。

  ―悪役なら、『役』で済む。

  多少の感傷に浸っていると、佳正が智久の目の前にグイッと顔を近づけてきて、ニコッと笑いながら口を開く。

  「智くんとレイちゃんって、たまに訳わかんない事を格好良く言うよね。」

  「・・・褒め言葉として受け取る・・・。」

  呆れた智久は、ベッドに寝そべって目を瞑る。すると、いきなり吹いた風が智久の髪の毛をすり抜けていった。

  「寒い。締めろ。」

  布団を自分の首辺りまで上げて、智久は不機嫌に言った。

  開けた本人、佳正は涼しい顔をして窓際に立っていて、何考えてるんだと智久たちが思っていると、三人の方に顔を向けて笑った。

  「また伝説作ったね、智くんたち。」

  「伝説?」

  智久は勿論、有馬と大須賀も、佳正の言っている意味が分からないという顔をして、お互いの顔を見ていた。

  「智くんが記憶を失う少し前、代議士の息子が同年代の女性を次々に殴るっていう事件・・・覚えてない?」

  佳正の言葉に、有馬と大須賀が反応した。智久はまだ分からないようで、首をかしげたまま、次の言葉を待つことにした。

  「何人もの女性が被害届を出したし、犯人はすぐに捕まると思われていた・・・。でも、警察の上層部の連中は、相手が代議士の息子だと分かると、掌を返す様に、女性たちに示談を強要した。その中には、代議士だろうとなんだろうと罪は償うべきだと言う警官もいたが、そんな非力な言葉じゃ、どうにもならなかった。」

  「・・・それでなんで伝説なんだ?」

  その話を聞く限りでは、どうも自分たちの伝説にはなんら関係は無いんじゃないかと思った智久に、有馬が続けた。

  「被害に遭った女の人の中に、自殺者が出たんだ。」

  そう言われても、やはり思いだせない智久だった。そういう事件は、明るみに出ないだけであって、単純な自殺として処理される事が多いだろうと思ったからだ。

  智久の顔を見て、今度は佳正が言う。

  「その自殺した女性は、智くんの母親のお姉さん。」

  今まで眠っていた記憶が、一気に覚醒し始めた。自分の母親に姉がいたこと。なぜか最近全然会っていなかったこと。自殺したことを認めたくなかった母親が、毎日毎日警察に行っていたこと。 

そして、それを知って、犯人をなんとしても引きずり出そうとしたこと・・・。

  ―すべてが繋がった。

  「思い出した?その事件が、みんなの記憶から消えかかってきたとき、智くんたちがマスコミを通じて真実を公表した・・・。みんな驚いていたよね。学生がたった三人で真実まで辿りついただけなら未だしも、証拠まで集められてマスコミの前でそれを出されたら、警察だってその代議士だって信用ゼロ。息子は逮捕されて、金を払って釈放しようとしても、世間からの目は冷たくなってて、釈放されることなく処罰された・・・。」

  「・・・で、それが伝説なのか?」

  内容は分かったけど、それがどうした、というような顔で佳正の方を見る智久に、佳正は呆れたようなため息をあからさまにしてみせた。

  「当然でしょ。警察と国会議員を敵に回すような馬鹿な学生がいるなんて、誰も思って無かったしね。しかも結果は大勝利。そりゃあ、マスコミは飛び付くわ、世間は騒ぐわで大変だったんだよ。」

  「・・・伝説なんてもんじゃねえと思うけどな。」

  智久はまた興味無さそうに布団に潜りこんだ。点滴が繋がっている右手だけが、少し寒そうにちらちら見えている。

  「ま、智くんはそういうと思ってたけどね。じゃあ、俺もそろそろ帰るよ。まーくんがいなくなっちゃったから、他の人に仕事してもらわなくちゃ。あ、有馬くんどう?俺のとこで働かない?」

  「断る。」

  きっぱりと、即答する有馬。

  しかし、それの返答が返って来ることは、佳正は分かっていたようで、相変わらずのニコニコとした笑顔のままだった。

  「アハハハ。だろうね。有馬くんも大須賀くんも、智くんしか信頼してないもんね。まあ、俺は俺で有馬くんよりも上の人を探すとするよ。じゃあね~。」

  ヒラヒラと手を振って、鼻歌を歌いながらスキップで去って行った佳正を見て、智久は他人のフリをしようと決意した。

  そのあと三十分くらいしてから、有馬と大須賀も帰って行き、部屋には智久一人だけとなった。

  静まり返った部屋の中で、智久はさっきまであった部屋の温度を懐かしく思いながら、窓の外に顔を向けて、いつもと同じ街の景色を眺めていた。

  何も怖くなかったし、何も寂しくなかったし、何も楽しくなかったはずの人生だけど、今は、ぬりえをしたように色鮮やかになっている自分のなかの世界がある。それは誰にも見えないもので、自分にもよく分からないんだけど、確かにその世界は存在している。

  空っぽだと嘆いていたのは、一体誰だったんだろう。世の中が錆びていると感じていたのは、何を見てそう感じていたのだろう。

  自分の存在価値なんて、そんなのはまだ分からない。本当に生きていてもいいのか、自分の存在が無くてもいいのではないか。ずっと、ずっと、そう思っていた。

  「・・・何も見えて無かったのは、俺だけか。」

  自嘲しながら、短い時間の中で目にしてきたものを確認する。

  ―人がこの世を信じる方法も、あの世を信じる方法もそれぞれだ。

  ―日本では仏教、海外ではキリスト教やイスラム教、ヒンドゥー教とか、それは個人の自由だし、逆に俺みたいに何も信じて無い人だっているだろう。

  ―聖書なんてものも、内容は興味が無いわけじゃないが、所詮は俺にとって現実逃避の手段のひとつとして其処にあるだけだ。




  智久は、その日から一週間もしないで退院する事が出来た。

  両親に加えて、有馬と大須賀が迎えに来てくれたのはいいが、なんとも微妙な感じになりそうだったため、智久は両親を先に帰した。

  自分の前に広がるいつもの街を眺めて、智久は安堵のため息をつく。

  「あ、そういや、寺内から伝言なんだけどよ。・・・聞きてぇ?」

  「いや、いい。」

  「『レイちゃんと決着つけようと思うんだけど、どう思う?』だってさ。」

  「・・・もはや入院にすら触れてねえな。しかも俺はいつどうやって返答すればいいんだよ。」

  大須賀が佳正の真似をしながら伝えた事には触れずに、淡々と内容についてのみツッコむ智久。レオナと決着をつけようと思っているなら、そうすればいいだろうし、そもそも止めたところで

素直に止めるような奴ではない事を知っている。

  妹のことはもちろん、佳正自身が知りたい事なんだろう。レオナと自分、どちらが強いのか。

  普通に考えれば、レオナの方が強いとは思うが、佳正が本気を出したところを見た事が無い智久は、未知数という数ほど怖いものは無いと考える。

  「で?今佳正とレオナはどうしてんだ?喧嘩してんのか?」

  「さあ?」

  佳正が使っていたビルの自室と仕事部屋は、売り払われていたらしく、連絡先を知らない有馬と大須賀には成す術がなかった。

  レオナの方も同じで、いつもの公園のベンチで待っていても、会えなかったという。

  「・・・はあ。しょうがねえな。そのうちどっかで会うだろ。」

  智久たちは街を歩くことにした。

  佳正のビルの前も通り過ぎ、レオナが寝ている公園も通ってきた。路地裏も歩き回って、香水の臭いがする道も沢山通ってきた。

  それでも、佳正にもレオナにも会う事が出来なかった。

  「しょうがねえな。腹も減ったし、どっかで食うか?」

  智久が面倒臭げに頭をかきながら言うと、大須賀も有馬も同意した。何処に行くか色々迷って、結局有馬の食堂に行くことにした。

  半壊状態だった店は、ほぼ元に戻っていた。

  ガラッ・・・・・・・・・・・・。ピシャッ

  状況を説明すると、有馬が扉を開けた。暗い店内を見ると、そこには人影があり、店に入らずに扉を閉めたのだ。

  「・・・どうした?」

  有馬の行動を不審に思った大須賀が、頭の中で今の状況を整理しているであろう有馬に聞いた。若干の放心状態から脱出した有馬は、大須賀と智久の方を見た。

  「なんかいた・・・。」

  ゴキブリか?幽霊か?はたまた宇宙人とか?泥棒?変質者?と、色んなものの可能性を考えながら、今度は大須賀が扉を開けた。

  ガラッ・・・・・・・・・・・・・・。ピシャッ。

  有馬と同じ行動をした大須賀を押しのけて、最後に智久が開ける。

  ガラッ・・・・・・・。ピ・・・

  「ちょっと~。キリが無いんだけど。」

  智久までもが同じ行動を取ろうとしたとき、扉が閉まらないように手を挟めてきた者がいた。

  店の扉を挟んで、ガタガタと閉めようとする智久と、閉めさせまいとする人物、佳正の攻防戦が少しの間続いた。

  しかたなく三人は店に入って、有馬は調理を始める。大須賀と智久は椅子に座って、今まで探していたのに見つからなかった張本人と向かい合った。

  そして、店の中で再び、今度は言葉の攻防戦が始まった。攻防戦と言うか、内容は世間話なんだけど、言い方の問題。

  「なんで有馬の店にいんだよ。」

  「お腹空いたから~。」

  「今何処で暮らしてんだよ。」

  「駅前の超高層ビルの最上階。」

  「レオナとの決着はいいのか。」

  「レイちゃんも忙しいんだって。」

  「そういや、なんでレオナなのにレオちゃんじゃねえんだ?」

  「昔はね、レオナじゃなくてレイナちゃんって勘違いしてたから。」

  「馬鹿だな。」

  「智くんほどじゃないよ。」

  「論点ズレてるって指摘してもいいか?」

  急に話が方向転換していったことを、最後に大須賀が告げた。椅子に座って足を組んでいる佳正は、いつも通りにニコニコ笑っていて、智久はそれに対してため息をついた。

  調理場からは生姜焼きの良い匂いが漂ってきて、三人の鼻を掠める。

  「レイちゃんとは今日の夕方、会う事になってるんだよ。」

  「?」

  さっきの会話からは、しばらく会えないような内容を感じ取った智久は、佳正のその言葉に疑問を持った。

  「レイちゃんを雇ってた暴力団がね、覚せい剤にまで手を出し始めたらしくて、レイちゃん脱退しようとしたんだって。そしたら案の定、レイちゃん狙われちゃってさ。でも、前からレイちゃんを気に入ってた堅気の連中がかくまってくれたらしくて、今はそこで番犬として働いてるってさ。」

  「堅気って・・・。番犬必要か?」

  「まあ、本来いらないと思うけどね。レイちゃんをどうしても置いておきたくて、そういう言葉を利用したのかもね。」

  なんか、そういう世界の事はよく分からない智久だったが、何はともあれ、元気には暮らしているようだ。とりあえずヤクザとかになってはいなくて、安心した佳正以外の三人。

  「なんで今日の夕方会うんだ?」

  「智くん、ボケるの早いよ~。決着つけるに決まってるじゃん。」

  智久を馬鹿にしたようにケラケラと笑いだす佳正に、今度は大須賀が質問をぶつけた。

  「その決着がつかなかったら、どうなるんだ?」

  ケラケラとした笑いを一旦止めて、口元の笑みだけを残したまま、机に肘をつけて頬杖をつき、大須賀を見る。

  「さあ?どうなるだろうね?またいつか対決するかもしれないし、一生引き分けのままかもしれない。だから、智くんに審判として一緒に来てほしいんだけど。」

  「五十嵐が審判!?」

  学生の試合じゃないんだから、と驚きを通り越し呆れた表情をした大須賀だが、いつもなら即刻拒否するであろう智久が黙っていたのに気付いた。

  「五十嵐、やんのか?審判だってよ。」

  隣に座って、ぼんやりと話を聞いていた智久は、大須賀に声を掛けられてから何かを少し考えて、佳正に向かって聞いた。

  「・・・俺の判断が全て・・・って考えていいのか?」

  「うん。レイちゃんも、智くんならいいって言ってくれたよ。俺もレイちゃんも認めてるからね、智くんの強さ。ああ、勿論、有馬くんと大須賀くんも来てくれて構わないよ。」

  佳正が正直に?智久を認めていると言って、有馬と大須賀、そして言われた本人も一瞬、目を丸くしていた。

  なにか企んでいるのかと思ってみても、レオナと結託して何かを企むと言うのは考えにくいし、何よりそういう面倒なことを、レオナは引き受けないだろう。しばらく目を瞑って考えていた智久の前に、有馬の生姜焼き定食が運ばれた。

  「いいんじゃない?ブラックとホワイトの喧嘩を判断出来るのは、智久だけだと思うよ。」

  割り箸を割って、一気に食べ始める智久に続いて、佳正と大須賀も食べ始める。有馬は自分の皿を持ってみんなとは別の、隣の机に座って食べ始めた。

  みんな何を考えているのかはさっぱり分からないが、黙々と、ただ時間だけが確実に過ぎていった。男四人が、静寂の中ご飯を食べている図は、なんとも不思議である。

  「御馳走様~。わざわざ大盛にしてくれてありがと、有馬くん。」

  一番最初に食べ終わったのは、佳正だった。ゆっくりとお茶をすすりながら、みんなが食べ終えるのを待っていた。茶柱が立っている事を喜んでいたが、誰にも気づかれなかった。

  次いで智久が食べ終えると、佳正の方を睨むようにして見た。口はまだモゴモゴと動いていて、みそ汁を流し込み、最後にお茶を飲み干した。

  「・・・わかった。ただし、条件がある。」

  「条件?」

  「その喧嘩、最長でも十五分で終わらせろ。それ以上は放棄する。」

  智久が腕組をして、椅子の背もたれに全身の力をあずける様に寄りかかれば、佳正は組んでいた足を床に下ろした。そして両肘を机に乗せて、指を絡め、顎を乗せて智久と睨めっこする。

  「・・・いいよ。」

  なんとも言えない空気が流れ、それに耐えきれなくなった大須賀が口を開いた。

  「達見の承諾は得なくていいのかよ?」

  「だって~、智くんが審判だよ?審判の言う事は絶対でしょ?これでレイちゃんが拒否すれば、それはそれで俺の勝利じゃない?それに、レイちゃんもOKすると思うよ。」

  これから始まる喧嘩は、今までの佳正とレオナの喧嘩とはわけが違う。今までの喧嘩は単に遊び程度、暇つぶし程度でやっていただけだったが、今日は『決着』という名目がついているのだ。

  本気じゃなかったという言い訳は通用しない喧嘩であって、遊びでもなければ暇つぶしでもない、勝つか負けるか、潰すか潰されるかの喧嘩なのだから。

  「じゃ、夕方の四時半、いつもの公園だから!」

  そう言って、颯爽と店から出ていってしまった佳正。

  「・・・だってさ、智久。それまでどうする?」

  唖然としている大須賀を他所に、今まで佳正が座っていた椅子に座りなおした有馬が聞いた。

  「ん~・・・。それまで寝る。時間になったら起こせ。」

  机の上で両腕をクロスさせ、その上に頭を置いて寝てしまった智久。言い終わると同時に熟睡してしまい、有馬はため息をつきながら片づけを始めた。

  智久の隣で、未だボーっとしている大須賀を呼んで、片づけを手伝わせた。




  ―午後四時二十分

  先程からピクリとも動かない智久に頭を、有馬がバシッと叩くと、不機嫌そうな顔で起きた。

  「・・・・・・・・なんで起こした。」

  「もう四時二十分だよ。そろそろ行かないと遅れるよ。」

  まだ眠いのか、目を擦りながら身体を伸ばす智久に、有馬はコーヒー出した。

  「さっさと飲んで、さっさと行くよ。」

  差し出されたコーヒーを黙って飲むと、智久は多少目が覚めたようで、椅子から立ち上がって出口に向かう。首の裏を摩り、扉を開けると有馬と大須賀の方に振り返った。

  「・・・お前らも来んだろ?行くぞ。」

  智久にそう言われると、大須賀は喜んで智久の後を追っていき、有馬もため息をつきながら後ついて行く。

  

 

  「智くん、今何時だと思ってるの。」

  「何時って・・・。ぴったり四時半だろーが。」

  「せめて五分前には来てて欲しかったよ。まあ、寝癖からして寝てたんだろうし、眠気からよく脱却出来たと褒めてあげるよ。」

  自分に寝癖があることを指摘され、髪の毛を触って確認したが、それほど目立つものではなかったため、放置することにした。

  すでに佳正もレオナも来ていて、佳正は子供用のゾウの形をした置物の上に座っていて、レオナも違う動物(多分ライオンだが、色が剥げていて断定は出来ない)に跨っていた。

  「悪いな、今日は無理に頼んで。」

  佳正に比べてしっかりしているレオナに、今度美味い物を奢ろうと思った智久だが、声に出すことはなかった。

  「ああ。気にすんな。じゃ、ちゃっちゃとやってくれや。」

  掌をヒラヒラとさせて適当な審判を始めると、公園のベンチにどーんと座った。有馬と大須賀は、その智久の後ろのベンチに座った。

  公園敷地内にいるのは、智久、有馬、大須賀、佳正、レオナの五人だけなのだが、公園の周りには、何十人という人がわんさかと集まっていた。野次馬がいることで、さらに野次馬が集まると言う、負の連鎖的な状態が出来上がっている。

  佳正とレオナが今にも喧嘩しそうな空気を感じ取って集まった野次馬だったが、そこに智久たちまで来たもんだから、黄色い声が聞こえてくる。

  「あーあ、嫉妬しちゃうよ。智くんばっかり。ね?レイちゃん?」

  「別に。」

  「何それ、何とかエリカの真似?まあいいや。じゃ、始めよっか。」

  佳正がニコッと笑うと、レオナは不愉快そうに片眉をピクッと動かし、『・・・ああ』とだけ返事をした。

  どちらが仕掛けるのかと思っていたら、意外にもレオナからだった。レオナのことだから、きっと早く終わりにしたいだけなんだろうが、そうもいかなかった。

下手な暴力団よりも、身軽で俊敏な動きをし、その間に次の攻撃を予測している佳正の思考回路は、とても読み難い。そもそも、考えているのかもわからないほどに。

  レオナが佳正を狙って殴り付けた拳は、佳正が座っていたゾウの置物を破壊した。

  ゾウの鼻の先の部分だけが残ったのを見て、近くにいた子供が大泣きしていたが、なぜか困っているのは大須賀だった。

  「なんで大須賀が焦ってんだよ・・・。」

  二人の意外な喧嘩を見ながら、あわわわ、と慌てふためいてる大須賀に声をかける。

  「だって、ゾウだぞ!?ゾウって人気じゃんか。だから、あそこで泣いてる子、ひねくれたらどうしようと思ってさ・・・。」

  なんだか、いらぬ心配をしている大須賀の言葉を流して、興味が湧いてきた智久は真剣な目つきで二人を見ていた。

  ゾウからパンダの置物の上にスタッと飛び移った佳正は、レオナが背後から殺気をバンバン出している事が気になった。

  「・・・レイちゃんさ、俺を本気でヤル気なの?勘弁してよね。」

  「・・・・・・・・・何の事だ。」

  ―レオナは嘘をつくのが下手だ。

  それを知ってか、佳正は楽しそうに笑っていて、今度はレオナに攻撃を仕掛けた。

  レオナの死角となる正面の腰より下に入り、顔に一発入れようとしたようだが、その前にレオナが佳正の腹を膝で蹴り飛ばした。

  佳正はお腹を抱えて痛そうにしていたが、舌を出してケロッとウインクまでする余裕があるのを見て、蹴りが入る前にお腹を凹ませただけでなく、掌で回避したと分かった。

  「器物損壊はいけないよ、レイちゃん。公共の物、しかも子供の遊び道具を壊すなんて、大人のすることじゃないよ。」

  「お前が避けるからだ。」

  言い終わるが早いか、レオナの拳が出るのが早いか。

  佳正の眉間に拳が当たると思ったら、佳正は身体を後ろに反らしてそのままバック転をしたため、間一髪で当たる事は無かった。バック転をした佳正は、着地したその勢いのまま、レオナに突っ込んで行った。

  一歩後ろに下がり、自分に向けられた拳を軽く叩き落としたかと思ったレオナの目の前には、佳正の靴底があった。

  ―ヒュンッ!

  風を切る音だけが聞こえてきた。

  レオナは一瞬驚いたものの、佳正同様にバック転をして回避した。

  「惜しいな~。レイちゃんがバック転出来るとは思って無かったよ。」

  「初めてやった。お前の動きを真似しただけだ。」

  「あ~。その運動神経抜群の人が言う台詞・・・。本当に憎たらしいね。」

  正直、さっきの一発で決めたかった佳正は、レオナの想像以上の運動神経には苛立ちさえ覚えた。何気に練習をして、やっと出来た自分のバック転よりも、形もキレイだと思ったから尚更だ。

  睨み合っていた二人に対して、智久はちらっと時計の方を見る。


  ―あと十分か・・・。

  飽きてきたわけではないが、佳正とレオナの真剣勝負を見て、公園がひとつ無くなるのではないかという考えが脳裏をよぎった。

  たった五分間で、子供たちが平和に走り回るであろう憩いの場が、戦場と化した上に、その名残さえ無くなりそうな勢いだった。

  そんな智久の考えていることなど当の本人たちには分かるはずも無く、激しさを増すばかり。

  そんな中、レオナの蹴りが佳正の頬を掠めたと思ったら、その足を横に移動させて佳正の顔半分に命中した。

  野次馬から沸き上がる歓声に包まれた瞬間、今度はバランスを崩したと思った佳正が、レオナの頬に拳をブチ当てた。するとまた歓声が上がった。

  ―『黒の王子様』寺内佳正

  ―『白の貴公子』達見レオナ

  特にどっちを応援しているわけではないんだろう野次馬達は、とにかく珍しい二人の本気の喧嘩を見られたことが嬉しいようだ。カメラで何度もシャッターを押してる人もいれば、ムービーにしている人もいるし、更には近くの電気店でキレイに写るデジタルカメラを買ってきて撮影している人までいる。

  「え?あんたって『黒』派だったの!?」

  「黒が似合う人いいじゃ~ん。大人っぽいし、ちょいエロっぽいし。」

  「さすが番犬だよな!いや~、つえーなー。」

  「キャー!!今腹チラした!!!」

  「おい見たか!?今の蹴り!やっぱ違うよな~。」

  此処まで来ると、そこらへんのジャニーズとかよりも人気あるんじゃないかと思ってしまう。人気というのかは微妙なところだが。しかも、変態のような発言をしている奴までいるし・・・。

  互いの顔に一発入れたかと思えば、今度は互いの両頬を引っ張り合った。数十秒だけその状態が続き、離れたらまたすぐに拳を交える。

  佳正が蹴りを入れると見せかけて拳でレオナの腹を狙えば、レオナは膝で佳正の顔を狙って攻撃出来ないようにする。レオナが佳正の足を蹴ってバランスを崩そうとすれば、佳正は軽くジャンプして後ろに下がる。

  威力が上がるだけで、どちらが優勢になるわけでもないまま、野次馬の方にまでぶつかりそうになりながら、公園で暴れる二人。



  

  「そこまでだ。」

  その一言で、二人の動きはピタリと止まる。まさに鶴の一声。

  智久がベンチから立ち上がって、欠伸をしながら二人のところまで歩き出した。

  「智くん。良いとこなんだけどな。」

  佳正が口で不満をぶつけるのに対して、レオナはただじっと智久の顔を見ている・・・というか、軽く睨んでいるのかもしれない。

  「もう十五分経った。これ以上俺を付き合わせる気なら、俺がケリつけてやろうか。」

  智久からのビリビリとした空気を感じた佳正とレオナは、納得がいっていないようだが、智久を怒らせるのはダメだという全身からの警鐘に従って、大人しく引き下がる。

  「・・・で?智くんから見て、どっちが強かった?」

  いつものニコニコではなく、ブスッとした顔で智久に質問を投げかけてきた佳正と、何も言わずに智久の言葉を待っているレオナに対して、平等に、『殴った』。

  「ちょっ、智くん。なんで俺殴られたの?」

  「・・・。」

  地面に倒れた二人は、二人して頬を手で覆いながら智久を見上げた。

  「お前ら、俺に喧嘩売ってんのか。」

  急に不機嫌になった智久に、ピクッと肩を動かした二人だったが、殴られたことには納得がいかない。

  「俺達はお前の目から見て、どっちが強いか聞きてぇだけだ。」

  レオナが棘のある口調でそう言えば、隣で佳正も、うんうん、と頷いていた。そんな二人の前で仁王立ちをしながら腕組をして見下す智久。

  「てめえら、互いに同じくらいの強さだって知ってんだろーが。喧嘩売られて、それ買ってれば、自然と相手の動きは読めてくるし、考えてることも少なからず理解出来てくる。筋力的にはレオナの方が上だろうけど、身軽っていう点から見た瞬発力は佳正の方が上だ。ちなみに、喧嘩の仕掛け方・戦い方・先を読む力はほぼ同格。というか、互いが刺激し合いすぎたせいで、同じような内容だった。力勝負にしても、頭脳戦にしても、仲が良いから息が合ってんだよ。結果、勝敗がつかないような喧嘩をしてる。・・・以上が俺の見解だ。もういいか?」

  ぽかん、とした顔で聞いていた佳正とレオナ。二人の返事を待つことなく、智久はそのまま帰ってしまった。

  取り残された二人は、最後に言われた言葉が引っかかってしょうが無いようで、互いの顔を見ながら、苦虫を噛んでいるみたいな顔をしている。

  「やっぱり仲良いよな、あんたら。」

  ベンチからノソノソと歩いてきた大須賀を、二人は同時に睨んだ。大須賀はその、あまりにも息の揃った動きを見てまた大笑いした。

  大須賀の後ろから現れた有馬も、ソレを見てプッと吹き出していた。

  それが二人にとっては不愉快なものでしか無くて、有馬と大須賀を殴ろうかとも思ったが、また智久に殴られるのは嫌だったから、グッと堪えた。

  「俺達から見ても、あんたら喧嘩してるっていうよりは、単に互いの力が劣って無いか確かめてるみてえだったぞ。な、有馬?」

  「うん。竜牙たちとの喧嘩のときみたいな殺気は出て無かったし。智久が言いたかったのは、喧嘩の発表会なら勝手にしてろってこと。まあ、それくらいの怪我で済んだんだし、運が良かったと思うしかないよ。」

  「あー・・・確かにな。五十嵐が本気で殴ったら、歯ぁ折れるもんな。」

  有馬と大須賀の会話を聞きながら、レオナはチッと舌打ちをして、公園から去って行った。佳正も諦めたように首を左右に振り、腰を上げた。

  「そうだね。智くん怒らせないためにも、今後は気を付けるよ。じゃ、またね。」

  頬を痛そうに何度もさすりながら、佳正も去って行った。

  取り残された有馬と大須賀も、野次馬がいなくなるのを確かめて、各々の家に帰って行った。




  智久は、駅前にパン屋が出来た事を知って立ち寄ろうとしていたが、店の中に入る事が出来ずにいた。それは、そこでバイトをしている少女たちに見覚えがあったからだ。

  まだ記憶が戻っていない、冒頭の頃に遡る・・・。

  利堂に会って、無理矢理携帯の番号を交換させられた、あの女子高生のうちの一人の子が、バイトとしてレジやらパン運びをしていた。

  パン屋のパンを見ると食べたくなるという悲しい性には逆らえず、だからといって入る事も出来ずに、智久はもう五分くらい店の前で立っていた。

  「・・・どうすっかな。」

  頭を抱えて悩んでいると、背中を思い切り蹴飛ばされた。

  若干前のめりにはなったが、すぐに踏み留めったために倒れたり転ぶ事は無かった。だが、背中から痛い視線を感じている智久は、ゆっくりと顔を向ける。

  「入るのか入らねえのか、はっきりしろ。」

  そこにいたのは、さっきの事をまだ根に持っているのか、頬が赤くなったままのレオナだった。

  「色々と事情があんだよ。レオナが買ってきてくれんなら、なんの事はないんだがな。」

  財布を取り出して『おつかい』と言いながら、千円札を渡す智久の腕を引っ張り、道連れと言わんばかりに店に一緒に入る。

  「あ~!智久さんじゃないですか~!!パン買いに来てくれたんですか?サービスしちゃいますよ!」

  「ハハ・・・あ、ありがとう。」

  早速バレて、しょうが無いからパンを選ぶことにした智久だったが、その智久のトレ―の上に、どんどんパンを乗せていく奴がいる。

  「てめっ、レオナ・・・。何して・・・」

  レオナに文句を言おうとして振り返ると、そこにいたのはレオナではなく、佳正だった。ちなみに、レオナは自分用のトレ―を用意して店の中を見ていた。

  「さっきのお詫びに奢ってくれるなんて、智くんは本当に心が広いなあ!!!」

  なんて、調子のいい事を言いながら、さらにパンを乗せていく佳正。

  パン屋のパンを全種類食べ尽くすつもりなのか、袋で売っているサンドイッチやサンド、小さめのクロワッサンまで全部を乗せている。

  ピザパン、カレーパン、米粉パン、チーズパン、黒ゴマパン、きんぴらごぼうパン、ラスク、フランスパン、チョコレートパン、あんぱん、食パン一斤、フルーツパン、もちもちパン、抹茶パン、メロンパン、苺デニッシュ、ブルーベリーデニッシュ、新鮮野菜入りのホットドッグ、明太ベーコンパン、くるみパン、

カツサンド、苺とラズベリーのサンドなどなど・・・。

  言っても無駄だろうし、一度乗せたパンを戻すわけにもいかず、智久は諦めて自分のパンを選ぶことにした。

  智久の方のトレ―に乗りきらなくなると、今度はレオナの方のトレ―にまでパンを乗せていく佳正を見て、レオナが怒らないかと心配していた。

  「・・・いいのか、レオナ?」

  お互いに大変だな、と言いかけたが、思いもよらない言葉が返ってきた。

  「智久の奢りだろ?」

  ―・・・こいつら、いつか本気で殴る。

  やっぱり二人は見ていると感じながらも、パン屋のパンを全部買ったら、智久の財布がとても寒くなってしまった・・・。

  「わーい!今日の夕飯ゲット!ありがとね~。智くん。」

  一番大きい袋を持って、さっさと超高層ビルに消えていった佳正の背中を見て、もはやため息をつくことしか出来なかった智久。

  バイトしていた女子高生のお陰で、パン三個分はタダでもらえた。まあ、バイトなのにそんなことしていいのかと思ったが、ここは仕方ないと思った智久だった。

  隣では、米粉を使ったパンを頬張っているレオナがいるが、苺が挟んであるパンと交互に食べていて、気持ち悪くならないのかと考えてしまう。レオナも結構買ったようで、佳正の半分ほどの量のパンが入った袋を抱えながら歩いている。

  「はあ、ほえほっひははは(じゃあ、俺こっちだから)。」

  通じているとでも思っているのか、そのままどこかに歩いて行った。

  「・・・。」

  解読が出来なかった智久は、レオナのことだからほっとこうと決め、駅に乗ってアパートに帰る事にした。




  「なんか、久しぶりな気がするな。」

  アパートの自分の部屋につくと、なんとも懐かしい感じがした。それほど開けてはいないはずなのに、一日一日が長く感じたせいか、とても久しぶりに思えた。

  テレビをつけながら上着を脱ぎ、電気をつけてそのへんに座る。買ってきたパンを食べながら、最近のニュースを眺める。自分たちが起こした事に関しても流れていたが、それ以外の事件や事故についても五分五分くらいの割合でやっていた。

  メロンパンを食べ終え、カレーパンを食べ始める。ついでに買ったコーヒーはもう冷めていて、湯気もそれほど立っていなかった。

  テレビでは、竜牙がヤクをやってたことで、ドラッグに対する警告の内容の報道やCMが頻繁に流されていた。街中でもそういうポスターを目にした。

  拳銃の件にしてもそうだ。現職の警察官が拳銃の横流しをしていたなんて、警察の面目丸つぶれだ。駐在所の警官は真面目な人間が多いと思う智久からすれば、そういう人に対しては申し訳ないとおもうし、なんとか名誉挽回してもらいたいものだ。

  階級が上になるほど、権力と金を存分に扱って好き勝手してる奴がいると思うと、それはそれで許す事は出来ない。

  そんなことを考えながらテレビを見ていると、携帯から音楽が流れてきた。携帯に備わっているのでも良かったのだけど、それじゃつまらないと思った智久が選んだ音楽は二種類。

  着信用は、『コンプリケイション』という、とある小説から映像化したもののオープニング。そしてメール受信用は、『Gun‘s&Roses』という音楽だ。楽器の事は良く知らない智久だが、なんだか曲調が格好いいと絶賛している。

  ディスプレイに写っている名前を見て、しばらく出るか考えていたが、どうにも鳴り止まないため仕方なく出た。

  「・・・もしもし。」

  《智久か?もうアパートに帰ったのか?》

  「ん。さっき。」

  それは智久の父親からだった。父親と仲が良いわけでもなく、悪いわけでもなく、互いに干渉などしたことのない仲だった。

  いつも出張ばかりで、滅多に会話もした覚えが無い。母親と電話で話しているのは見た事があるし、そのときに智久と代わってほしいと頼んでも、智久は嫌だと断っていたらしい。仕事と家庭の両立が父親にとって難しい事は知っていたし、それが父親というものだと母親に言われていた。

  休みの日には遊んでくれたが、疲れているため一時間も遊ばずに休憩にはいってしまう。智久にはそれが不満であり、物足りなかった。

  そんな、あまり干渉しない父親だったが、智久が喧嘩をして怪我をしたときは別だった。

  仕事を早く切り上げて家に帰ってきて、智久の部屋に入るなり睨み合いが続いていた。殴ったり怒鳴ったりはしなく、ただベットに腰かけて、智久に喧嘩の理由を聞いていた。

  最初はなかなか口を開かない上に、あまり詳しく話さない智久の言葉をじっと待っていた。

  大抵の場合、智久に非は無いためか咎められることは無い。ただし、『喧嘩は売られても買うな』『先だろうが後だろうが手を出したら負けだ』と言った、軽い説教をして終わる。

  《まったく・・・。喧嘩は買うなって言っただろう。傷は?痛まないか?》

  「平気だよ。こんくらいで死ぬような身体じゃねえし。」

  《そういうな。母さん、本当に心配してたんだぞ。智久が起きるまでずっと、寝ないで待ってたんだからな。》

  「・・・相変わらず心配症だな。もう俺は立派に成人したはずだけど。」

  《立派かどうかは微妙だな。》

  互いに失笑。初めてのその感覚を不思議に感じながらも、携帯の向こう側にいる父親に聞いてみた。

  「あのさ、俺が喧嘩した時、怒らなかったのって、なんで?」

  普通の親なら怒鳴って、頭を叩いて、言う事聞かない子供を叱りつけるところだろう。自分で問題を起こしておきながら、変な質問だとは思った。でも、気になる。

  《なんでって、お前。そりゃあ・・・》

  キョトンとした父親の顔が目に浮かんだ。怒られる様なことをしていたと気付いていたのか、と言いたげな声色で言葉を紡ぐ。

  《言ってもきかないだろ?》

  「は?」

  智久の気の抜けた声を聞いて、父親が大笑いしているのが聞こえる。近くに母親がいるらしく、急に笑い出した父親に文句を言っていた。

  《そりゃあ、父さんは智久の教育に関しては全くと言っていいほど口を出してない。母さんにまかせっきりだった。でもお前は思ったよりも真っ直ぐ育ってくれた。まあ、多少ひねくれたとこはあるけどな。友達のための喧嘩を止められるほど、俺は父親らしい事してないし、俺も昔は結構ヤンチャしてたしな。喧嘩は喧嘩だ。暴力じゃない。だからだ。》

  「・・・へえ。意外としっかり考えてたんだ。」

  父親の言葉を聞いて、自分の親らしいと思い、智久は笑ってしまった。

  両親に構ってもらえずに暴力的になる子供も少なくない。寂しさのあまりしてしまう行為なんだろうけど、そんなことを言い訳にしても許してもらえないのが世の中なのだ。

  例え気に入らない事があっても、手を出せば自分が悪い。だから、そこで自分を制御するという能力を徐々に身につけていかなければいけない。

  《智久の冷めた性格は、俺に似てるからな。まあ、お前はお前でちゃんとやってるし、いつでも味方になってくれる友達がいるって分かったから、安心した。》

  「・・・うん。」

  《じゃあな。しばらくは喧嘩するなよ。》

  「うん。じゃあ。」

  電話を切ると、無機質なテレビの音だけが部屋を支配する。耳に残る父親の包容力のある声。

  手に握ったままだったカレーパンをまた口へと運び始める。冷たくなったそれは、智久の口内を更に冷やしながら喉を通った。

  カレーパンを食べ終えると、コーヒーものんで、シャワーを浴びて歯磨きをしたあとすぐに寝た。暗い部屋も、目が慣れてくると見えてくる。錐体細胞だったか、幹体細胞だったか、その細胞に

よって慣れてくるという記憶がある。確か生物で習った。

  目を瞑ると、自然と眠気が襲ってきた。

  ―眠い・・・。

 



  ―泣き崩れている母親。その母親の肩を抱きしめている父親。

  ―ああ、これは夢だ。伯母さんが自殺した時の記憶だ。此処は遺体安置所。

  ―警察が伯母さんの死に対して無頓着な態度を取っている。マニュアルを読んでいるかのような言葉の羅列であったり、人の死を敬っていない視線だとか、全てが冷たく突き刺さって来る。

  ―『そもそも、殴られたくらいで自殺なんて・・・』と言っている奴がいた。伯母さんの遺体を前にして、手を合わせるわけでもなければ、謝るわけでもない。しまいには、『仕事増やしがって』と、呆れたように罵る輩までいた。

  ―俺は我慢していた。此処で殴りかかれば、確実に捕まるだろうと思っていたから。でも、泣いている母親を見ていると、その我慢なんて理性の糸は、とても簡単に切れそうだった。

  ―俺よりも先に我慢の糸が切れたのは父親だった。強く握りしめた拳を、力強く壁に叩きつける。

―すると、この場にいた全員が父親の方を見て、唖然とする。それは、叩きつけた壁から上下左右一〇cmに穴が開いていたからだ。

―器物損壊で捕まりはしないかと思っていると、父親はニコリと一瞬笑い、その後すぐに冷え切った顔を警察に向けて、一言告げる。

  ―『あなた方に、死者を愚弄する権利はありませんよ。』

  ―その言葉に、警察は逆ギレした。なぜか『器物損壊』ではなく、『侮辱罪』で逮捕すると叫んでいた警察たち。止めているまともな人もいたが、もうすぐ五〇になるだろうおじさん刑事の怒りは収まらなかった。

  ―俺は父親と警察の間に入った。チンピラ相手なら、喧嘩でケリがついたんだけど、警察相手じゃそうはいかなかった。

  ―『お前の事は知ってるぞ、五十嵐智久。よく街や学校で喧嘩をしてるらしいな?よくもまあ、今まで補導されなかったもんだ。』

  ―勝ち誇ったようなその不愉快な顔を、俺は忘れていた。こんな顔、覚えていたくも無いと思って、自分の記憶から抹消していた。今思い出してしまった事を後悔したくらいだ。

  ―『あんたの顔面殴って、イケメンに変えてやろうか。』と、挑発しようと言った言葉に、素直に乗ってくれた馬鹿なその男は、こともあろうか、この俺に殴りかかってきた。

  ―ひらりと避けると、壁にぶつかり、また逆ギレしてきた。顔を押さえながら部屋を出て行こうとした警察の背中に、俺は感情の無い声をかけた。

  ―『あんたら、後で謝っても遅いからな。』

  ―その時は、警察は勿論、父親も母親もその言葉の意味を理解などしていなかった。俺自身もよくわかっていなかったが、鼻で笑いながら出ていったそいつらを、許す気はさらさらなかった。

  ―数日後、警察も代議士も息子も逮捕された。そのニュースを他人事のように見ていれば、母親は料理を運びながら目を逸らしていた。父親は俺を見て何か言おうとしていたが、話かけられないようにチャンネルを替えた。




  ―ピピピピピピピピピピピピピピピ・・・・

  思った以上に五月蠅かった目覚ましを止めて、また布団に潜りこむ。

  昨日はいつもよりもずっと早く寝始めたはずの智久だが、変な夢のせいでゆっくり身体と頭を休める事が出来なかった。身体は重く、頭はボーっとする。

  あと一時間でも二時間でも寝ようかと考えていると、今度は携帯が鳴った。好きな音楽なのだが、音量のせいもあってか多少五月蠅く感じた。

  メールの音楽だったため無視をし、目を閉じてまた開けた頃には、時計の針は十時を指していた。

  ―まだ眠れる・・・

  そんな事を思って、もう一度寝ようとしたとき、今度は電話の着信音が耳に響いた。これも無視しようとした智久だが、いい加減イライラしてきて、勢い余って出てしまった。

  「うるせーよッ。」

  誰からかも確認しないで出てしまった。それを今更悔やんでも仕方ない。

  《そっちもな。てか、墓参り行くんじゃねえのか?》 

  「・・・墓参り?」

  電話の相手は大須賀で、メールの返信が二時間経っても来ないから電話をしてきたそうだ。智久が寝ているだろうと予測したうえでの行動だったようだ。

  《ほら、あいつらの。五十嵐は無理しなくてもいいんだけどよ。それなら俺と有馬でいってくっからさ。》

  大須賀の言っていることがようやく理解出来た智久は、電話を切るとすぐに顔を洗って歯を磨き、着替えて駅へと急いだ。

  電車の中で、伯母さんの墓ももしかしたら同じ寺にあるのではと思い、駅から出ると父親に電話をした。店や工場、学校などが立ち並ぶこの街で、寺などそうそうあるものではない。そのため、一つの寺に何十から何百もの墓があるの。

  案の定、同じ寺だと判明した。ついで、というわけではなく、行かなければいけない墓があるだけであった。

  「おう。来たか。」

  大須賀と有馬が駅から少し離れた大きな看板の前で待っていた。

  三人で寺まで行く途中、花と線香とちょっとした供え物を買った。饅頭か和菓子かで大須賀と智久が言い争いをいていたが、有馬がひょいっと団子を取って買っていった。

  最終的には饅頭も和菓子も買っていくことにした。

  寺について水を汲み、墓に水をかけて花も線香も饅頭や団子も供えていると、後ろから声をかけられた。その声には三人とも聞き覚えがあり、とても穏やかな風が吹いた。

  「よかった。来てくれたんですね。」

  この寺の住職だ。智久の怪我を見て少しだけ顔を歪めたものの、ちゃんと生きて此処に戻ってきてくれたことに感謝していた。

  「ああ。俺達が来ないと、みんな通り過ぎちまうからな。」

  「きっと、あなた方に感謝していますよ、彼らも。」

  住職が智久たちと墓を見ながら、落ち着いた低音でささやいた。

  そのとき、ハッと気づいて、智久は住職に思い切って聞いてみた。

  「あの・・・。此処に、『立川美砂』っていう人の墓があると思うんですけど、何処にありますか?」

  「立川・・・。ああ。知っていますが、知り合いですか?」

  『立川』というのは、母方の姓だ。

  智久とその女の人との関係を聞いてきた住職に対して、智久はきちんと話をした。

  「俺の母親の姉だったんです。墓参りになんて行った事無くて・・・。」

  智久が苦笑しながら説明した。ソレを聞くと、住職はすぐに納得し、案内をしてくれた。有馬と大須賀もついていこうとしたが、智久に止められたため待機することになった。

  「ここです。」

  初めて来たその墓は、とても綺麗だった。草もあまり生えていなく、花も生き生きとしている。供え物も綺麗に並べてあり、墓はピカピカになっている。

  「では、よくお参りに来る男性と女性は、君の御両親だったんですね。」

  「よく来るんですか?」

  母親はともかく、いつも出張でいないはずの父親が来ているということに疑問を持った智久。住職はニコリと笑って、話を続けた。

  「ええ。男性の方は一カ月に二、三度。女性の方は一週間に一度はきますね。いつも丁寧に御墓を掃除していくんですよ。」

  「そうだったんですか・・・。」

  何だか、一度も来た事の無い自分が恥ずかしくなった智久だが、ふと思い出したように住職に問いかけられた。

  「そういえば・・・。確かあの時、三人組の学生が事件を解決したと・・・。」

  そう言って、智久と、向こうで待っているであろう有馬と大須賀を眺めた。当時、智久たちの写真や映像が流れる事はなかったが、街では噂が絶えなかったため、知っていてもおかしくはない。

  だが、智久はしらっとしたままの態度で、住職の話を聞き流した。

  「・・・。そうですか。」

  何かを悟ったように、住職が笑った。

  「御住職様!お客様です!」

  寺で働いている坊主のような少年が住職を呼びに来た。

  「あ・・・。ありがとうございました。」

  智久がお辞儀をしながら御礼を言うと、住職は智久の肩をポンっと叩いた。

  「あなたらしい生き方でいいのです。もしも迷いや不安があったら、いつでも来なさい。あと、無茶はあまりしないように。」

  目を細めながら智久に笑いかけると、住職は寺の方へと戻って行った。住職を呼びに来た坊主の少年も、軽く会釈をすると走ってついていった。

  ほんの少しだけ冷たい風に髪の毛を揺られながら、智久はその墓を見つめる。今までどうして来た事がないのか、それは智久本人にも分からない。今まで墓の事を忘れていただけなのか、それとも思い出したくなくて忘れたふりをしていたのか、本当に知らなかったのか・・・。

  その時、携帯が鳴った。

  音楽からして電話である事が分かり、誰からかを確認する。そこに表示されていたのは『五十嵐俊彦』。父親の名前だった。

  通話ボタンを押すと、仕事中なのか後ろから誰かに呼ばれている声が聞こえる。

  《智久か。墓、見たか?》

  「・・・うん。今目の前。」

  《そうか。まあ、お前の友達のこともあるから無理にとはいわないが、水でもかけてやってくれ。》

  「大丈夫だよ。和菓子おいた。」

  智久は甘いものが好きなわけではない。糖分として摂取はしているが、小さいころに訳も分からず大量のチョコをプレゼントされて以来、脳が拒否をすることがあるのだ。

  和菓子を選んだのは、単に自分の両親が好きな甘いものだったから。

  《和菓子か。お姉さんも好きだったからな。喜んでると思うぞ。ありがとうな。》

  「うん。で、仕事はいいの?さっきからなんか聞こえるんだけど。」

  《あ、そうだそうだ。じゃあ、父さんは仕事に戻る。母さんが寂しがってるから、たまには帰ってやれよ。じゃあな。》

  携帯を切ると、耳元を風が通り過ぎていく。

  深呼吸をして、有馬と大須賀が待つ場所まで向かう。有馬も大須賀も、供え物の団子と饅頭を早速食べていて、智久にも差し出してきた。

  「もう食ってんのか。」

  呆れたように二人に言ったものの、智久も饅頭を受け取って袋から出して食べる。

  「共犯。同罪。連帯責任で。」

  ニッと笑いながら、大須賀が智久の分の団子にまで手を伸ばした。その手は、有馬によって襲撃を受け、大須賀の手に渡る事は無かった。だが、今度は奪った団子を有馬が食べ始めた。

  「お前、なんで団子が好きなんだ?」

  饅頭を口に含みながら、智久が有馬に聞いた。有馬が美味しそうにもぐもぐと口を動かしながら、どんどん団子を頬張って行く。それを智久と大須賀は黙って見ていた。

  「今俺の中で団子がブーム。来週には多分照り焼きがくるな。」

  そんな情報いらないと思いながらも、大須賀の頭には自然と収集されていく。有馬の情報が詰まっている脳内の一部に、きちんと収まった。

  「で?今日はこれからどうする?何か予定とかあるのか?」

  「俺は無い。」

  自分の手に残っている饅頭を食べながら、大須賀が二人に聞くと、団子を口に含みながらも有馬が答えた。手についたみたらしのタレをペロッと舐めて取る。

  「五十嵐は?」

  予定なんか無いと思って聞いた大須賀は、すぐに答えない智久にもう一度聞いた。

  「・・・俺は・・・。」




  有馬と大須賀と別れて、智久は単独行動を取る。

  自分でも何処を目指しているのかなんてわからないが、街を一度ゆっくり見て回ろうと思ったのだ。面倒臭くて行く事の無かった場所も、いつも歩いていた場所も、全部見ていく。

  その途中で、誰かと歩いているレオナを見かける。きっとレオナを引き取った堅気の奴だろうと思い、声をかけたりはしなかった。

  一通り見て駅に着くころには、もうすでに夕方の五時を回っていた。

  駅前にある超高層ビルを見上げて、くるりと方向転換をして改札を抜ける。

  電車の中は、家路に向かう人で溢れていた。吊革につかまって外を眺め、これからもっと明るくなるであろう街を後にした。

  駅を降りてアパートまでのんびりと暗い空を仰ぎ、街頭があることに感謝しながら歩く。

  なんだか色々あったような、それでも中身はとても単純なものだったような、なんとも言えない気持ちの浮遊感を感じる。

  布団に仰向けになって寝ると、右手を顔の上に乗せてため息をつく。今まで起こった事、今日起こった事、そしてこれから起こる事を自分の中で整理していく。

 

  ―人生は夢である。死がそれを覚まさせてくれる。


  ホジヴィリという人の名言だ。

  智久は、自分が生きている事に疑問を持った時、よくこの言葉を思い出す。そして、自分が生きている今は、『夢』であると言い聞かせる。夢の中なのだから、楽しめばいいと、そう考えていた。 

だが現実問題として、決して今は『夢』には成り得ない。他人が確認出来る出来ないは別として、確かに自分が生きているという実感が微かにでもある。

  実感が湧かないなら、生きているんだと言い聞かせるしかなかった。いつか『死』が覚まさせてくれると言うのなら、無理に起きる必要はない。『死』は誰しもに訪れるのだから。

  

  智久はそのまま寝入ってしまった。次に起きたのは深夜一時。

  もそもそと起きだして、何やら蠢く・・・。




  ―午前十一時

  智久の部屋のインターホンが鳴った。

  「五十嵐―。今日カラオケ行こうぜ―。」

  ドアの前に立っていたのは大須賀で、何度もインターホンを押すが、部屋の住人が出てくる気配は無い。

  携帯に電話をしてみるが、『電源を切っているか、電波の届かないところに・・・』という機械音が流れてくるだけ。

有馬にも電話をかけて、智久に電話をしてくれるように頼んでみたが、やはり有馬からの電話にも出ないらしい。 

  いつも面倒臭がってなかなか取らないが、三回目には『五月蠅い』といって必ず出てくれる。ソレを今日はもう五回以かけているのに出ない。

  不思議に思っていると、一人の中年のおじさんが大須賀に声をかけてきた。

  「あんた、五十嵐さんの知り合いかい?」

  「え?ああ、はい。そうですけど・・・。」

  その中年のおじさんは、どうやらこのアパートを管理している不動産の人らしく、智久の部屋の清掃を頼むのに、様子を見に来たのだと言う。

  「あの!五十嵐の奴、いつ?何処に?」

  大須賀は不動産のおじさんに、焦りながら聞いた。



  昨日の夕方に智久から連絡があった事、急に引っ越すと言いだした事、連絡を受けて来てみたらすでに部屋には何も無かった事、今月分までの家賃と色々なお金は置いてあったこと。

  大須賀は有馬に連絡し、智久の携帯から居場所が分からないかと聞いてみたが、電源を切っているようで、全く消息を掴めなくなってしまった。

  とにかく有馬と合流し、駅前の佳正のいるビルに行ってみたが、佳正も知らないと言う。

  「智くん?知らないよ~。」

  智久がいなくなったことを伝えれば、多少驚いた顔をしていたが、資料に目を通しながらいつものように椅子をクルクル回していた。

  次にレオナのところに行こうとしたが、公園にもいなくて何処に行けば会えるのかが分からない二人だった。とにかく情報を集めようとしたところに、偶然通りかかったレオナが声をかけてきた。

  「何してんだ?今日は三人じゃねえのか。」

  ということは、レオナも知らないんだと思い、智久の事を説明した。佳正も知らないし、レオナも知らない。勿論有馬と大須賀も知らなかった。

  レオナは『見かけたら連絡する』と言って、一緒に歩いていた堅気の人と何処かに行ってしまった。

  どうしたらいいのか分からないまま、ただ時間だけが過ぎていき、一週間経った頃・・・。



  ―チャララ~・・・チャンチャララ~

  机にうつ伏せになったまま寝ていた大須賀の携帯が急に鳴ったことで、大須賀はビクッと身体を震わせて椅子ごと後ろにズレた。

  急いで携帯を見ると、そこには待ちに待った人物の名前が示されていた。

  「!!もしもしもっ!!いっ、五十嵐かっ!?今どこにいんだよ!なんで急に引っ越しなんかしたんだよ!とっ・・・いっ・・・なんなんだ!?」

  焦ったせいで変な日本語まで飛び出てしまったが、とにかく聞きたい事もあったし、言いたい事も沢山あった。

  大須賀が、まだ覚めない頭を精一杯起こして発した言葉に対して、少しの間返事が返ってこなかった。

  《・・・そんなに叫ばなくても聞こえる。それにいっぺんに聞くな。正しい日本語で話せ。》

  憎まれ口を叩きながらも、確かに電話の向こうからは智久の声が聞こえてくる。大須賀にとってはそれが嬉しくもあり、なんだか寂しくも感じる。

  「あ、ご・・・ごめん。いや、なんで俺が謝ってんだよ!大体、お前が勝手な行動取るから、俺も有馬もみんな心配したんだろーが!一週間だぞ!俺がその間どれだけ一人でカラオケ行ったと思ってんだよ!」

  《随分楽しそうじゃねーか。ま、有馬にはもう連絡したけど、俺しばらくその街から離れて暮らすことにした。》

  「え・・・。しばらくって?なんで有馬の方が先?」

  まだ頭の中がごちゃごちゃしている大須賀は、ひとつひとつ確認しようと必死になって言葉を紡いでいく。

  《少なくとも、一年は離れる。だからその間、お前らと佳正、レオナでなんとかやってくれ。》

  佳正もレオナも頼りになるし、有馬とはもう十五年以上もの付き合いで、誰よりも信頼できる。

  だが、それは智久にも同じ事が言える。記憶を失っていたとはいえ、ずっと智久の背中を追いかけていた大須賀にとっては、記憶を失っていた間も、記憶が戻ったときも、智久は目指すべき場所だった。

  「なんでだ?なんでこの街離れんだ?」

  《・・・・・・。女々しいこと聞くな。ただ、俺自身を考え直すためだ。それに、一年経ったら戻る。》

  「俺は女々しくねえぞ。」

  《そこはもういいんだよ。聞き流せ。》

  いつもの冷めた口調の智久と話せて、大須賀は安堵した。智久が自分で決めた事に関して、文句を言ったところで何にもならないことも知っている。そもそも、人の意見なんてほとんど聞かない奴だということも。

  「そっか・・・。ま、元気でやれよ。喧嘩はすぐに買うんじゃねえぞ。」

  《別に喧嘩しに行くわけじゃねえんだ。大人しく暮らすよ。》

  五分もしない短い会話を終えると、智久の電話の向こうから、インターホンの音が聞こえてきた。きっと引っ越し業者あたりだろう。

  《じゃあ、またな。》

  「おう。またな。」

終話ボタンを押すと、ツーツーという無機質な機械音だけが響く。耳から脳へと届くその音は、今まで感じた事のないほど悲しいものだった。

  大須賀は有馬とも連絡を取り合って、佳正とレオナにも一応知らせておこうという事になった。 

佳正には駅前のビルに行けば会えたし、レオナともこの間会ったときに番号を交換しておいたため、連絡をする事が出来た。

  佳正もレオナも驚いて追究したり、智久の居場所を聞いたりするようなことは無かった。

  智久との短い時間での係わりで、大須賀や有馬にも見えなかった智久の部分が、二人には見えていたのかも知れない。

  智久が帰って来る一年の間、きっと誰も智久とは連絡を取らないだろう。

  智久から連絡が来た事もそうだが、元気にやるだろうと信じているし、そうであってほしいと願っている。『便りの無いのは良い便り』という言葉があるように、一年間は便りが無い事のほうがいいのだろう。




  ―同日午後三時十二分某所

  「ねえ、聞いた?智くん、しばらくはこの街に帰ってこないらしいね。」

  駅前にある超高層ビルの最上階で、窓から遠くの方を眺めている男がいる。男は漆黒の服に包まれながら、携帯で電話をしている。

  部屋には沢山の本棚があり、収まりきらない資料が床に落ちている。それを部下らしき若者が拾って整理をしている。

  本棚から離れた場所にはその男のデスクが置いてあって、三台のパソコンが並んでいる。パソコンの画面の周りには様々な内容が書かれたメモ用紙が貼ってある。

壁にあるコルクボードにも数えきれないほどのメモやら写真やら、誰かの履歴書のようなものまである。

  男、寺内佳正は窓際から離れることなく電話を続ける。

  「あ、そうそう。竜牙たちが第一審受けるってさ。いつだっけか・・・。まあ、いいか、そんなこと。レイちゃんは興味ないもんね。」

  電話の相手は達見レオナだった。どうして仲が悪いのに、お互いの携番を知っているんだろうと疑問に思っている佳正の部下の若者。佳正とレオナの会話、というよりは佳正の一方的な話を横に流しながら作業を続ける。

  きっと、佳正が勝手にレオナの番号を調べ上げたのだろう。きっとレオナの方に、『寺内佳正』の番号もアドレスも登録はされていない。拒否していないだけマシなのか、それともその設定をするのも面倒なのか、それは分からない。

  「じゃ、また俺とレイちゃんで解決しなくちゃいけないことがあるかもね。え?喧嘩?嫌だよ。もう智くんに殴られるのは御免だからね。いや、本当に。だって、アレ本気で痛かったよ。手加減してくれただけいいけどさ。だから、喧嘩したいならレイちゃん一人でやってよね。」

  智久に殴られた後、何日も頬がヒリヒリしていて、ずっと氷で冷やしていた。

歯ぐきから微妙に出血もしていて、殴られたときに歯を食いしばる時間もなかったため、口の中も切っていた。

  この街で、『黒の王子様』と『白の貴公子』には手を出すな、という今までの非常識な常識を、いとも簡単に打ち砕いた人間、『五十嵐智久』。

  今では、佳正とレオナの二人はもちろん、大須賀や有馬にも手は出すなと言われている。それから、街で喧嘩はするな、他の街の連中と結託するな、この人達に会ったらきちんと挨拶をしろ・・・など。

  特に智久に対しては、『怖がる』を通り越して『称える』ようになっている。

  佳正とレオナという二大勢力を一人で簡単に抑え込んだ智久の実力は、すぐに街中に広まり、老若男女問わず敬愛している始末・・・。

  ピラミッド型の勢力となって、街は一安心したようだ。前のように、街を奪おうとする馬鹿はいないだろう。

  唯一、佳正とレオナに対抗できる人材として名を馳せていたのが、今回の事件で捕まった『竜牙』と『空閑』の二人。その二人が持つ権力や金、もしくはそれらで集めた連中でさえも、ねじ伏せてしまうほどの逸材が、この街には存在していたのだ。

  「でさ、この前テレビに出てきた評論家の奥さんが、浮気調査してほしいって。・・・聞いてる?のんちゃん?」

  作業をしながら考え事をしていた若者は、ハッと気づいて佳正に謝る。それを見て楽しそうに笑っている。

  「はい、コレ。写真の取り方とか隠れ方とか尾行の仕方とか、そういうのはこの間教えたよね?まあ、失敗してもこの名刺出して誤魔化してね。」

  そう言って、のんちゃんと呼んだ若者に、名刺の束を渡す。名刺には『パパラッチ記者・近藤裕次郎』と書いてあった。有無を言わさずに仕事に行かせて、ドアが閉まると電話を再開した。

  「ごめんね、レイちゃん。ちょっと人がいたからさ。うん、そう。え?・・・・。意外だね、覚えててくれたんだ。でも、断るよ。麻衣の命日に墓参り行くのは、俺と俺の家族だけ。気持ちだけ受け取っておくよ。」

  電話の向こう側では、呆れたようなため息がずっと続いていたが、佳正は気にすることなくポジティブに受け取って会話をしている。

  「じゃあ、そろそろ行くから。またね、レイちゃん。」

  携帯を切ると、椅子にかけてあったコートを取って羽織りながらドアに向かう。オートロック式のドアはそのまま自然と閉まり、佳正はエレベーターに乗って一階を押す。

  浮遊感を感じながら、広いエレベーターの中で一人優雅に到着を待つ。

  一階についてエレベーターが開くと、エントランスのドアをくぐって外へ出る。晴れてはいるが、多少の肌寒さを感じる。

  タクシーを拾おうかと思った佳正だが、一台も通らないまま五分が過ぎたため、仕方なく歩いて寺まで行くことにした。歩いても行けるが、三十分以上歩くようかもしれない。

  ポケットに入れてある携帯にイヤホンを差し込んで、音楽を聴きながら街を縫うように歩いて行く。知らない人から挨拶をされたり、名刺をくれと言われたり、携帯の番号を教えてくれと言われたり、智久効果がここまであるのかと感心していた。

  まあ、知らない人にそういう情報を流す事はしない佳正なのだけれど。

  用意すべきものは全部用意をしていき、寺について水を汲むのも忘れない。墓の間をつきすすみ、敷地の隅にその墓はある。

  だが、生けられた花は真新しくて、線香もまだ火がついている。

誰かが来たのだろうかと考えてみたが、この墓の場所だけは、誰にも教えてはいないはずだ。

首をかしげながらも、自分の用意してきた物を供えていく。

  寺から帰るときに、住職を見かけた佳正が墓のことを聞いてみると、男性が一人、一週間ほど前に来たという。

  「前にあなたと来た方ですよ。あのときは、違う方のお墓御参りでしたが。」

  ソレを聞いて、智久だと確信した。

  街を離れる前に、自分の妹にまで花をやってくれたのかと、佳正は苦笑いをしながら住職に御礼を言った。

  「やってくれるね、智くん。」




  ―同日同時刻某所

  「へっくしょん!」

  ティッシュを出して鼻をかむ男。

  アパートの一角、引っ越しの荷物整理がまだ終わっていない様子だ。段ボールの数は、他の人に比べれば少ないものの、やはり生活用品でかさばっているようだ。

  「・・・誰だぁ?ったく・・・。」

  鼻をすすりながらも作業を終わらせるために中身を整理していく。

前のアパートよりは幾分か広い部屋だが、一人で暮らすのならもう少し狭くてもいいと感じている男、智久。

  「っし・・・。これで最後かぁ?」

  腕まくりをしての肉体労働は久しぶりで、腰が痛くなってくる。まだ若いとはいっても、疲れてくるものは仕方ない。

  昼食をとっていなかったことを思い出して、近くのコンビニで弁当を買ってきて食べる。

テレビの設置もしないと・・・。インターネットも使えないと、やっぱり不便だよな、などと考えながら口に頬張っていく。

  「・・・はあ。なんとかなるよな。」

  天井を仰ぎながら呟いた言葉は、虚しく響く。

  両頬をパンッと叩いて気合いを入れると、弁当を完食し、伸びをしてから作業を再開する。

  「明日は、なにすっかな・・・。」




  ―半年後

ドンッ!!

  「おいおい兄ちゃん。何ぶつかってくれてんだよ??あ~・・・こりゃもうダメだ。この服高かったんだよ~?確かぁ・・・五万・・・十万したかな~?」

  「え、マジッすか。すんませんね。」

  今時リーゼントの不良なんて、絶滅していたとばかり思っていたが、生き残りがいたようだ。ある意味貴重な存在である。

  腰を曲げながら相手の顔を下から覗き込むような動作をするが、一方の男の方は平然としていた。

  「ああん!?馬鹿にしてんのか!」

  不良仲間がゾロゾロと登場したのを見て、男は同じリーゼントが並ぶ姿は気味悪くもあり、なんとも面白くも感じていた。

  「おい、大須賀。早く行くぞ。」

  「有馬!お前何処行ってたんだよ!お陰でリーゼントに囲まれただろうが!」

  からまれていたのは大須賀で、買いだしに来ていた有馬の荷物持ちだった。

のだが、大須賀が余所見をしているうちに有馬は店に入ってしまい、大須賀は一人でうろうろしていたのだ。

  店から出てきた有馬の両手には、どうやって持っているんだと聞きたくなるくらいの荷物があり、それを大須賀の方へ付きだすと、大須賀は文句を言いながらもそれらを受け取った。

  その様子を口を大きく開けながら見ていたリーゼントたちは、目を点にしていたかと思えば、急に顔を真っ青にし出した。

  「おい・・やばくねえか?まさか、こいつがあの『大須賀』と『有馬』か?」

  「下手に手ぇ出すと、『黒』と『白』が来んじゃねえか・・・?」

  「いや、それよりも『五十嵐』ってやつが来て、俺達殺されんじゃ・・・。」

  特に大須賀にも有馬にも害は無いのだが、噂とは恐ろしいもので、普段はボーッとしている二人なのにも係わらず、名前を聞いただけで態度が一変する奴が多くなった。

  もともとの知り合いとか友達はそういう事は無いが、やはり気軽に肩を叩いたりおちょくる様な真似はあまりしてこなくなった。

  「でもよ、俺弁償しないといけないっぽい。」

  「は?」

  大須賀が不良達の方を見てそう言うと、一気にみんなしてお辞儀をし、何度も謝ってダッシュで逃げだしてしまった。

  またか・・・というような顔をする有馬に対し、大須賀はポカンとしている。

  「それにしても、もう半年か・・・。生きてんだろうな?」

  「そう簡単に死ぬような奴じゃないだろ。」

  二人並んで街を歩いていると、レオナがスーツを着て歩いていた。見慣れないその格好に驚きを隠せない二人に、レオナが気付いて近づいてきた。

  「・・・よお。」

  レオナはこれからお世話になってる父親的存在の人の娘の結婚式に出席するという。

最初は断っていたのだけれど、レオナの事を豪く気に入っているその人物は、どうしても来てほしくて何度も頭を下げてきたらしい。流石にそこまでされて断るわけにもいかず、現在に至るようだ。

しかし、ネクタイの結び方が良く分からないようで、ネクタイを握りしめながら式場に向かっているのだとか。

  教えてあげたいのは山々なのだが、有馬と大須賀もまともにネクタイなど締めた事がないため、応援するしかなかった。

  「あ、じゃあ俺行くから。」

  いつも通りクールに立ち去って行ったレオナの後ろ姿を見て、佳正とは違うな、と二人して思っていた。

  「誰と違うって?」

  その声に反応して、二人は同時に振りかえった。そこには今まさに頭の中でレオナと比べていた人物が立っていて、ニコニコ笑っている。

  佳正は仕事が忙しいようだ。そもそも何の仕事なのかを、二人は良く知らないし、何で食ってるんだろうとか、給料は幾ら払っているんだろうとか色々と謎に包まれている部分があるが、ソレを聞かないのは、聞くと恐ろしい事に巻き込まれそうだと感じているから。

  単なる探偵をしているのかとも思ったが、探偵であれほど大きなビルを借りられるのかとも思う。

政治家や警察、弁護士に検事に医者に社長、株主たちをターゲットにでもしているというのか?想像だが、それもあながち想像では無いように思う二人。

  「待ち合わせの時間だ。じゃあね~。」

  手をヒラヒラさせながら、人混みに紛れて見えなくなってしまった。

  有馬と大須賀は歩を進め、有馬の定食屋につくと荷物を下ろす。有馬が冷蔵庫に食材を入れていき、大須賀は水を汲んで飲んでいる。

  「じゃあ、俺も帰るわ。夕飯よろしくな。」

  「ああ。」

  大須賀の方を見ることなく返事をする有馬は、淡々と詰め込む作業を続けている。大須賀は店を出ると、カメラを片手に街を歩いて行く。



  「ほんと・・・あいつは何してんだかなあ・・・。」

  それは大須賀だけではなく、有馬も佳正もレオナもみんな思っている事だった。

  だが、心配はしていない。

  智久はちょっと人生を回り道しているのだ。道草をくいながら歩いているのだ。ただそれだけのこと。

  



  『この盃を受けてくれ

   どうぞなみなみ注がせておくれ

   花に嵐のたとえもあるぞ

   さよならだけが人生だ』

   

        「勧酒」 于 武陵

         和訳 井伏鱒二

  



  今を大事にすればいい。

  この一瞬を懸命に生きぬけばいい。

  暇であると感じることは、幸せなことであって、恥じることではない。暇だと思う時間が持てることは、考える時間を与えられているのだから。

  賢者であろうとなかろうと、裕福であろうとなかろうと、男であろうと女であろうと、大人であろうと子供であろうと、命を与えられた時から死へ向かって歩んでいるのだ。それは、誰にも止めることは出来ない事象。

  生きてる間に、死んでから悲しむ以上に愛することが出来るかが重要だ。

  人が死んで泣くのは、悲しいからじゃない。悔やんでいるのだ。生きている間に精一杯の愛を渡していれば、悔やむことなど無い。泣くのではなく、感謝することが出来るはず。

  どう生きるかは自分次第。それが最期、悔やむことになったとしても、納得することになっても。

  死んで存在証明するのであれば、その前に、一度立ち止まって思いっきり泣いてみるのもいいかもしれない。涙が出るなら、それはきっと生きてる証。心が痛むなら、それも生きてる証。声が出たなら、それもひとつの生きてる証。

  泣いたら、今度は笑ってみるといい。馬鹿みたいに笑ってみれば、死んでまで証明するほど、人生やこの世、現実なんてものは価値が無い事がわかる。

  いつかきっと笑って死ねる日が、八十過ぎてから来る。その日まで生きてみないと、人生なんてわからない。

  だからー・・・




  『一緒に、生きてみないか。』






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