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ダリア  作者: うちょん
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勲章


        死とは、私たちに背を向けた、光のささない生の側面である。   リルケ




































        第二話    【 勲章 】



















  自然からの恩恵と恐怖。それを人間は忘れがちである。

人間の抵抗など、自然からしてみれば、蟻が逃げてるくらいの感覚なのだろう。

もっとも、その蟻の存在にすら気付かないのが、自然災害の怖いところだ。

威力・スピードと比べ物にならないほどの破壊力。その脅威に、人はただ震えるか、飲み込まれるかだ。その恐ろしさに気付くのは、いつだって、何かを失ってから。



  ・・・どうしていきなり真面目から始まったかと言うと、新聞でもニュースでもトップで取り上げられている事態。某国で、巨大地震が発生。その地震によって津波が発生。マグニチュードは七・五で、震度は六弱。震源地が浅かったようだ。国は壊滅状態に陥り、食料品などの奪い合いも起こっているという。なんとも悲惨な光景だ。

  智久はテレビを消して、出かける準備をする。

まあ、地震だけなら耐久するなりと、幾らでも対策出来るかもしれないけど、津波はどうにもならない。予測できないから、人間は知恵を絞って、そういう機械を作ったりしている。思い通りにならないのが自然災害なのだ。防波堤を簡単に破壊してしまうのだから、人間なんてそれはもう簡単に連れて行かれるだろう。まあ、自分達に出来ることは、そういうときのための準備をすることと、被害に遭ったときは、お互い助け合うという事。

 


  留まりたくないと思っていた街の中心に向かう。電車はいつも混んでいて、ホントに息苦しい。みんなして椅子取りゲームかと思うくらいの勢いで、席を奪い合う。

―そこまでして座りたいものか。・・・ああ。みんな仕事で疲れてんのかな。でも、明らかに遊び

からの帰りだろってやつは、立ってればいいのに。

  「よっ。何シケた面してんだよ。」

  「大須賀。お前何してんだよ。」

  電車の中で偶然大須賀に逢った。両手で吊革につかまり、ブラブラ遊んでいた。楽しいのかは不明だ。大須賀は思い出したように、あ、と言って、おもむろに鞄を漁ると、携帯を取り出し、ある画像を俺に見せてきた。

  「?誰だ?ここに写ってるの。」

  「そこに映ってんのは、空閑珪の親父で、次のが兄貴。」

  大須賀の携帯の画像に写っていたのは、選挙カーの中で、女の人の身体を触っている空閑の親父と、病院の看護師や患者、その患者の家族をこれまた触っている兄貴。

家族内でブームなのかと聞きたくなった。

  「親父と兄貴が、珪のやってることを咎められない理由か・・・。逆にこれで脅されてんのかもな。でも、母親の方は?」

  「そっちも調べてある。母親は裁判で勝つために、金を払って嘘の証言させたり、証拠捏造をしてる。あと、クライアントの男と関係を持った事がある。ま、家族全員弱みを握られてるってわけだ。恐ろしい息子だよな。」

  「・・・なるほどな。」

  駅について、大須賀はまた情報を集めるために、どっかに行った。大須賀から転送してもらった画像を眺める。

  どんな理由があろうと、許されない事は許されないのだ。

智久は携帯を閉じて、とにかく街を歩くことにした。見回りではないが、またどっかの路地裏でリンチでも起こってたら大変だし、面倒だから。リンチされた連中には、佳正が一人では出歩くなと忠告したようだ。

  ―それにしても、臭う。何かが臭う。なんだろう。

  「智くんでしょー!?安くするから、お店寄って行ってよー!」

  ―コレか・・・。香水と化粧の臭い。まだ十時過ぎだというのに、女たちが声をかけてきた。

知らん顔しようとしたけど、蛇のごとく絡んでくる腕は、恐ろしく強かった。

  「まだ時間早いだろ。なんでこんな早くから・・・。」

  「早いからダメなんて、この街のルールにないから平気よっ!それに、佳正くんから、『智くんにはもっと社会勉強を教えてあげなきゃ』って言ってたわよっ。」

  「そうそう!智くんなら、大歓迎~!」

  「いや、俺仕事あるからっ」

  鼻がもげそうになりながらも、なんとか振り切った。

―あいつ、とりあえす今度顔合わせたら殴っとこう。軽くヤッとこう。俺が苦手なの分かってて、絶対ワザとやってる。それを楽しんでる。

深いため息をついて、ふと足を止めた。

  「なんか用か?」

  振り返ると、数人の若者・・・と言っても、智久と同じくらいの年の奴らが。そいつらは、智久の顔を見てざわつき始めた。そして、いきなり土下座をした為、智久は驚いてすぐに止めさせた。

そいつらは、智久がリーダーであることを知っていた奴らのようだ。『ケイモン』は三〇ほどのグループに分かれていた。一グループの人数は大体二〇から二五であり、その中でもリーダーが『五十嵐智久』と知っていたのは、わずか五人。内一人は大須賀、一人は有馬。あとの三人が今智久の目の前にいる奴ららしい。

どうしてそんな人数にしか教えなかったかというと、本当に信頼した奴、ということだと聞いた。

大須賀と有馬は覚えているのに、こいつらは覚えていない。悪いとは思ったが、覚えていないと正直に言えば、それも大須賀から聞いて知っていると言われた。

  「で?お前らは俺にどうしろと?」

  「俺達は五十嵐さんが街を去ったあとすぐに『ケイモン』を抜けました。でも、噂で五十嵐さんが戻ってきたと聞いて、何かお手伝い出来ればと考えています。」

  自分が信頼されているのか、されていなかったのか微妙なところだが、人数が多すぎても、相手に動きを察知されやすくなる。それは避けたい。それに、記憶も戻って無いのに、知らない奴を巻き込むわけにはいかない。

  「気持ちは有り難いが、お前らを巻き込むわけにはいかない。折角抜けたんなら、そのまま悠々自適な隠居生活でも送ってろ。」

  それで諦めると思った自分は馬鹿だった、と後悔。そいつらは、智久の行くとこ行くとこについてきて、隠れているつもりなのか、ワザとバレルように隠れているのか分からないが、とにかく目立つ。

智久はこんなズボラな追跡の仕方を教えていたのかと思うと、恥ずかしくなった。

  昼時になって、結局もう二時間ちょっと尾行されている。

適当に店を探して入った。扉の脇に移動し、あいつらが入って来るのを待ち、しょうがないから、こいつらと昼飯を食うことにした。

  「何食う?」

  「いえ、俺達は五十嵐さんの御食事が終わってからにします!」

  「・・・。」

  ―何だそれ。もしかして、俺がそういう教育してきたのか?

しかも、恥ずかしげも無く堂々とした大声で言うもんだから、とりあえず静かにしろと注意した。

  「いいから食え。で、あの下手な尾行も、その変なシキタリも、俺が教えたのか?」

  「いえ、ワザとです!シキタリもほとんどありませんでした!」

  「・・・。はぁ。そうか。おばちゃん!チャーシュー麺四つ!・・・で、ついてきて何がしてぇんだ?」

  「大須賀と有馬はお手伝いしていると聞いています!ですから、俺達も何か!」

  「だから、それは断ったはずだ。相手はそこらへんの族じゃあねぇんだ。お前らに何が出来るってんだよ?」

  少しキツめに言葉を浴びせたせいか、三人して黙り込んでしまった。智久は胡坐をかいて、テーブルの上で汗を流す水の入ったグラスを口へ運んだ。喉が潤い、またため息が出た。

  「確かに、俺達には大須賀や有馬のように、抜きんでていることはありません。でも、この街で起こっている事から、目を背けることはできません!」

  「権力が絡んでくるんだぞ。こっちが正しくても、捕まるかもしれねぇ。死ぬかもしれねぇ。」

  「わかってます。」

  智久は睨むようにして、そいつらを見ていた。そいつらも智久の方を睨んではいないが、真っ直ぐに見ていた。

  店のおばちゃんがチャーシューを持ってくると、箸を取って食い始めた。智久達の険悪なムードを感じ取ったおばちゃんが、サービスだよと言って、餃子を二皿持ってきてくれた。

  「・・・。相手が仕掛けてくる喧嘩を、いち早く見つけて止めろ。リンチなんてもっての外だ。」

  「!五十嵐さん!」

  「でも、もし連中が拳銃持ってたり、大人数で勝てないと判断したら、無理しねぇで引け。いいな。逃げろよ。・・・分かったら食え。」

  「「「はい!!!」」」

  ―まったく・・・。言っても聞かねえ奴らだ。

でも、自分という人間は、こんなに信頼されていたんだと分かって、少し嬉しく感じた。

  「じゃあ五十嵐さん。俺達、見回り始めます!」

  「頼むな。それと、五十嵐さんって止めてくんねぇか?お前らが呼んでた呼び方してくれりゃあいい。」

  「俺達はずっとこれで呼んでましたんで、癖で・・・。」

  「ま、癖ならしょうがねぇけど。なんか引っかかるからよ。じゃ、よろしくな。」

  「「「はい!」」」

  三人と分かれて、智久はまた一人で歩き出した。昨日あれだけ暴れたのにも係わらず、警察が動いている様子も無い。竜牙の親父が誤魔化したのだろうか。子が問題を起こせば、その子供が成人であろうがなかろうが、親は当然叩かれるからな。特に、選挙を控えてる空閑の親父は、そういうのは避けたいんだろうからな。ま、親子揃ってくだらない。




  「おい、あれ。『白の貴公子』の達見レオナじゃねぇか?」

  「おっ。本当だ。」

  その人は一人、公園のベンチに寝そべっていた。ひじ掛けの部分に、片方は頭、もう片方は足を交差して乗せている。両腕は、肘を曲げて頭の後ろに置いて、枕代わりにしている。良い具合にそよぐ風が、綺麗な黄土色の髪の毛を動かす。

  「誰だ。」

  寝そべっているからと言って、寝ているわけではない。ましてや、この人の場合は、狙われる事が多いから、常に気配を感じている。人が良い気持ちでダラダラとしているというのに、それを邪魔する奴は誰だと言わんばかりに、決して強い口調ではないのだが、棘がある。

  「俺俺。大須賀。あんた、こんなとこで寝てたら危ねぇんじゃねぇのか?」

  達見レオナは片目を薄ら開けて、その人物を確認。そして、本人だと分かると、また目を瞑った。でも、大須賀がベンチを揺すって起こそうとしたため、仕方なく身体を起こした。

  「なんだ。」

  手荒な起こし方だったのに、不機嫌ではなかった。まあ、呆れたと言った方がいいのか。

達見レオナが起きたことによって、ベンチにもう一人分座れるスペースが出来た。大須賀は笑って、その場所に腰を下ろした。

  「まあ、そう言うなって。五十嵐に頼まれたこと調べてた途中なんだ。あんたが見えたからさ。

さっきだって、あんたのこと噂して、あわよくば一発殴ろうって空気の連中がいたんだぜ?」

  「ああ。さっき聞こえたやつか。何だ?礼でもすりゃあいいのか?」

  「あー、違う違う。俺、そういうの気にしねぇから。それより、五十嵐の喧嘩っぷり、見たか?」

  「・・・ああ。」

  「どうだった?」

  「・・・どうって。」

  レオナは頭の中で回想シーンに突入した。

―五十嵐は強かった。拳銃を持つあいつらを前にしても、怯むことなく突っ込んで行った。正直、最初に逢ったときと印象が大分変った。最初は少し頼りない男って感じだったけど、最近はあの強さに、自分でさえも屈しそうになる。

  「すげぇ・・・としか言いようがねぇな。」

  レオナがそう言うと、大須賀は嬉しそうに笑って、ガッツポーズをしながら、足をバタバタさせていた。何事かと思い、距離を置こうとしたら、レオナのほうをキラキラした目で見てきた。

  「~!!!やっぱり五十嵐ってすげぇんだ!」

  「は?」

  「昔から喧嘩は強ぇし、仲間想いだし、まあ、キレると怖いけどな。」

  成程、とレオナは納得した。頭脳派なのか、拳派なのか分からない男だが、ケース・バイ・ケースなのだろうか。頭脳で追い込む癖に、最後は殴る蹴るの常套手段に出る。見ていて面白い男だ。

きっと、極力無駄なエネルギーは使いたくないのかもしれない。だから、口で言っても分からない奴には手を出す。もしくは、明らかに喧嘩を売ってきた奴に手を出す。

  「そういや、あんたとか『黒の王子様』は、入って無かったのか?」

  「あ?『ケイモン』にか?俺はそんなの興味無かったしな。それに、その頃は学業を優先してた。」

  「あー・・・。あんた頭良いって聞いたことある。優等生だったのか?『王子様』の方もか?」

  「佳正は、他人の抗争を陰からほくそ笑んで見てたと思うぜ。」

  「じゃあ、あんたらも元から強かったのか~。すげーな。」

  大須賀がまた目をキラキラさせた。小さいころから智久と有馬とは仲が良くて、三人でよく鬼ごっこをしたらしい。有馬は気配を消してしまうし、智久は異様に足が速いし、捕まえようとすると、何とも言えないオーラを発するという。そのせいで、大須賀が鬼になると、その日ずっと鬼だったらしい。可哀そうに思えてきた。

そんな思い出話を、笑いながら話せるのだから、三人の関係は、本当に良かったんだろう。

  「俺は喧嘩とか分からねぇからよ。ただ五十嵐が喧嘩すんのを見てただけだった。俺ってもしかして足手まといかなって考えたこともあったけど、五十嵐に言われたんだ。」

  そこまで言うと、大須賀はベンチから立ち上がり、一mくらい離れたところで、ベンチにいるレオナの方に振り返った。そして、両手をポケットに突っ込んで、無表情を作る。

  「誰もお前のために喧嘩したわけじゃねぇよ。」

  多分・・・いや、きっと、智久の真似なんだと思う。その後、すぐに笑いだして、両手をポケットから出し、肘を曲げて後頭部に持っていく。

  「それから俺は、人と話す事が好きだという特技を発揮できる、情報収集という面から、あいつの手伝いをすることにしたってわけだ。」

  時計を見て、時間だと言ってレオナに手を振りながら走って行った。誰かと待ち合わせでもしているのだろうと思い、レオナはまたベンチに寝そべった。

  「・・・似てねーよ。」




  チャラリララ~ル~・・ピッ。

  「もしもし。大須賀、何か分かったか。」

  《ハハハハハ。こんにちは~。『五十嵐智久』さん?》

  携帯が鳴って、それの表示が大須賀だったから出てみれば、大須賀とは違う声が聞こえてきた。ダミ声で、なんともネチッとした話し方。表示を見間違えたかと思い、一度耳から離して、画

面を確認したが、やっぱり大須賀からだ。

  「大須賀はどうした。」

  《心配しなくても~、ここにいるぜ~。ヒッヒッヒ。なに、死んじゃいねぇよ。気絶はしてるが。》

  「俺に用か。」

  《随分落ち着いてんじゃねぇか・・・。面白くねーな。今から三丁目の工場ちかくの倉庫に来い。もちろん、一人でだ。もし、他の奴連れてきたら・・・わかってんだろうな。》

  「わかった。」

  電話を切り、有馬に電話をした。一応確認のために。有馬によると、今日は朝(きっと智久と分かれてから)会って、それからは連絡もしていないという。とにかく急ごう。これが単なる嘘だったとしても、巧妙な罠だったとしても、行くしかない。

  三丁目にいたのは幸いとしか言いようが無い。工場なんてあったっけと思いながらも歩いて行った。携帯で連絡を取ったのは、さっきの三人組。あいつらなら、その場所を知ってるかもしれない。

  「俺だ。五十嵐だ。三丁目の工場ってどのへんか分かるか?・・・ああ。わかった。ありがとな。」

  場所はすぐに判明した。今はもう廃墟と化しているようだけど、人は出入り出来るけど、あまり近寄る連中はいないという。

  「五十嵐、そんな急いでどうした?」

  「レオナ。いや、何でもない。ちょっとな。」

  「・・・それで騙せると思ってんのか?」

  ―鋭い。なんでこんなに鋭いんだ。顔にでているとは思えない。

焦ると相手の思うつぼになることくらい、百も承知だからだ。足早にはなっていたけど、表情は変えていないはず。

  「他人の心理変化には気づけても、自分のには気付かねえか。いつもダラダラ歩いてるお前が、目的も無く、そんなサッサと歩くわけねえからな。それに、少しだけ、眉間にシワが寄ってる。」

  思わず自分の眉間に指を置いてみると、確かに少し寄ってる気もする。騙しきれない相手だと分かっていて、騙そうとした自分が間違ってたと、眉間から指を離し、ため息をついた。

  「なにかあったことには違いないが、これは俺が売られた喧嘩だ。」

  「・・・。ま、あんまりキレんなよ。じゃあな。」

  レオナは手を軽く動かして去って行った。

  その場所には、思ったよりも早く着いた。入ってくれと言わんばかりに、半開きになっている扉を開けて中に入る。目の前には大須賀がいた。

正確には、椅子に座って縛られた姿の大須賀。腕と足はロープで固定されていて、そのロープはニヤニヤと笑う男の足下に繋がっていた。口にもロープが巻かれている。顔にも沢山の痣がある。

大須賀は目を覚まし、智久の方を見て、ブンブンと顔を横に振っている。きっと、来るな、と言っているんだろうけど、もう来てしまったし、このまま帰るわけにもいかない。

  「この男がよー、うちらのリーダーのこと嗅ぎまわっててなー。目障りだから消せって言われたんだよ。でも、てめぇが土下座して、黙って殴られれば、赦してやらねぇこともねぇってよ。」

  ―なんとも上から目線の戯言を。俺がちょっと殴ったり蹴ったりしたくらいで、そんなに喚く事もないだろうに・・・。元はと言えば、自分たちに非があるのだから。

―ま、そんな理屈はこいつらには通用しないのは知ってるから、どうしたもんか。

  「土下座すりゃ、いいんだな?」

  「ああ。あと大人しくボコられろ!」

  ―仕方ない。土下座の一つや二つくらい、幾らでもしてやる。プライドなんか知ったこっちゃねぇ。高すぎるプライドは、時に自分の覚悟や決意を邪魔してくる。

  智久は土下座した。ゆっくりと膝をついて、両手を置き、頭を下げた。コンクリートの地面に額をくっつけると、なんとも言えない冷たさに襲われた。手からも感じ取れるその冷たさは、すぐに慣れた。

土下座した智久を見て、至極満足したような男たち。そして、智久の周りに集まってきて、まず腹を一蹴りされた。それが始まりの合図であるかのように、次々と蹴られた。頭・顔・腹・背中、とにかく蹴れるとこを全部といった感じに。

土下座をした格好を崩すことなく、とにかく耐えた。ひたすら耐えた。これくらいで命乞いをするような智久ではない。身体に受けた傷なんか、いつか癒えるんだから。

  「へへへ。全然抵抗しねぇよ。あれれ~?もしかして、怖くてチビッテるのかな~?それで動けないとか!?ハハハ!」

  「こいつ、本当にあの『五十嵐智久』か?こんなに弱虫だったんだな~。所詮、一人じゃ何にも出来ねぇ臆病者だったのか!」

  ―あーあ・・・。好き放題言ってくれる。

口の中が切れたらしく、血の味がする。そして、気付けばパイプやらバットで殴られていた。痛いと思ったら、そんなもの持ち込んできていたようだ。

大須賀が必死に助けようとしているのが分かった。見えたわけじゃないけど、椅子がガタガタ動いていて、ロープのせいで出にくい声を精一杯出して叫んでるのが聞こえる。

  「はぁ、はぁ・・・。よし、もういいだろ。準備しろ。」

  男の一人がそう言うと、智久の周りに群がっていた奴らがいなくなった。顔を上げると、大須賀に繋がってる男の足下のロープに、なにやら液体をかけている。

臭いで分かった。あれは灯油だ。大須賀の顔が蒼くなってくのが分かる。身体のあちこちがギシギシいってるけど、それどころではない。

  「!」

  「じゃ~、これからショータイムだ!!始めろ!」

  男の足下にあったロープにライターが落とされ、点火された。男たちは智久が入ってきた方とは違う入口から逃げ去って行った。

  「大須賀!」

  男たちを追っている場合ではない。大須賀を助けないと。

走って大須賀のところに行き、ロープを外している間に大須賀が焼け焦げると判断した。ていうか、智久も死ぬ。ふと、自分の視界の端に何かが映った。それは、鯉の池。これしかない。

椅子ごと大須賀を持ち上げて、その池に投げた。

  「歯ぁ、食いしばれ!!」




  バッシャーン!!

  「・・・。死んだか?」

  「プハッ!てめぇっ!殺す気か!」

  「助けただろ。」

  足がつくほど浅い池だったようで、大須賀は自分で立てた。投げた勢いで、口元のロープは外れてしまったようだ。智久が近づいて行って、その他の部位のロープを外す。大須賀はすぐに申し訳なさそうな顔をして、謝ってきた。

  「・・・悪かったな。その・・・怪我よ。」

  「あ?・・・ああ。大した事ねぇよ。」

  男たちを取っちめられなかったのは残念だが、今回の場合はしょうがない。ま、今度街のどっかで会ったら、そんときに何倍にもして返してやろうと考えていた。

大須賀と倉庫を出て、利堂に処置してもらおうと思い、ビルの方へ向かおうとした。

すると、目の前にはさっきの男たちがいた。まあ、倒れているのだけども。全員鼻血を流し、ピクピクしている。

  「生きてるか?」

  どうやら、こいつらをボコボコにしたのは、智久と大須賀の前にいる人物のようだ。

  「レオナに佳正・・・有馬まで。なんで此処にいんだよ。」

  「五十嵐の様子がおかしかったし、有馬に電話して、大須賀のこと聞いたっていうからよ。」

  「なんで場所がわかった?」

  「携帯のGPS追った。二人の場所が一致したから、ここだと思って。」

  ―そういや、有馬は機械得意だった。居所がこれでバレルなんて、安心な反面、恐ろしい世の中になったもんだな・・・。

  「それにしても・・・あれは何してんだ。」

  智久が気になったのは、倒した連中を頑丈そうなロープで何重にも縛りあげて、坂道から転がそうとしている男、佳正のことだ。大量の花火を仕込まれたあいつらは、転がりながらパチパチと   

音を立てて綺麗に弾ける花火によって、痛いだの熱いだの叫んでいた。

  「・・・佳正の個人的な趣味だ。気にするな。それより、怪我は大丈夫なのか?」

  レオナが苦虫を噛んだような視線を佳正に送っていた。パッといつもの表情に戻り、智久と大須賀の怪我を見て聞いてきた。

  「ああ。俺は平気だ。口ん中切っちまったくらいだな。」

  「俺も平気だ。」

  「智くん、男だったね~。」

  「・・・今も男の心算だ。」

  さっきまで嫌がらせを繰り返して、楽しそうにしてたやつが、いきなり後ろからヌッと現れたもんだから、心臓がビクッとなった。

いつもの黒いTシャツの上に、軽くパーカーを羽織った格好で、口元は弧を描いている。転がして遊んでいた連中を横に倒して、その上に座り、足を組む。

  「いや~、文字通り、『火事場の馬鹿力』だったね~。さすがだよ~。」

  「褒めてんのか、ソレ。」

  なぜだか、佳正に言われると、褒められてる気がしない。馬鹿にされているんじゃないかと思ってしまう。まあそれはいいとして、連中はそのまま放置して、智久達は帰ることにした。レオナと有馬はその場で解散の形になった。

  「ありがとな。レオナ、有馬。」

智久と大須賀は、治療のために・・・治療のために、佳正と一緒にビルを目指す。特に話す事はなくて、佳正が一人で楽しそうに鼻歌を歌っていて、それを聞いていただけ。

大須賀はちらちらと智久の方を見てきた。心配しているんだろうけど、智久は感覚が鈍っているのか、それほど痛いとは感じていない。なんかいつもと違う、というくらいの感覚しかない。

  「そんな心配すんな。俺はそんなにヤワじゃねぇんだ。」

  「・・ああ。」

  歯切れの悪い大須賀の返事に、智久はため息をついた。心配されるほど弱くは無いと思う。昔から痛いだの助けてだの、そういう台詞は言った覚えがないのだけど・・・。

  「はぁ・・・。別にお前のために怪我したわけじゃねぇよ・・・。」

  ぶっきらぼうに言うと、大須賀は少し笑った。久々に聞いた、とか言ってたから、前にも大須賀に言った事があるらしい。



  

  「よし。大丈夫だ。内出血が少しあるけど、智久なら平気だろ。」

  「そんな適当な判断があるか。」

  ハハハと笑いながら、利堂は救急箱をしまいに行った。大須賀の怪我も大したことないらしく、打撲程度だとのこと。・・・程度っていうけど、酷い打撲ってやつか。

  椅子に座って、クルクル回っている馬鹿が一人。資料を眺めながら回っているが、気持ち悪くならないのか。ま、そういうのが平気な人間もいるし、きっとそれなんだろう。

顔色ひとつ変えないのだから、ある一種の才能なのかもしれない。

  「命拾いしたね。二人とも。」

  「・・・あいつら、大須賀の身体ごと灯油かければ一瞬で終わりに出来たのに、そうしなかった。ワザとロープの端にしか、灯油をまかなかったんだ。」

  「・・・縁起でもねぇ事言わないでほしーんだけど・・・。」

  「まぁ、大須賀くんを本気で殺すつもりはなかっただろうね。あわよくば・・・ってとこかな。」

  佳正と同意見だ。そもそも、なぜ大須賀を襲ったのか。単に、智久達に対する宣戦布告だったのか。大須賀や智久を狙っていたなら、もっと腕の立つ奴を仕向ければ良かったのに、そうしなかった。 

いや、出来なかったのかもしれない。そこははっきりと言えないが。

灯油の件もだ。佳正の言うとおり、身体にかけてしまえば確実に殺せるのに、そうしなかった。

殺すのが目的では無かったとすると、一体?脅しなのか?これ以上の検索はするなという、警告だとでもいうのか?

  「警告・・・と捉えるべきかもね。」

  佳正が口を開いた。大須賀の怪我を眺め、智久に視線を移して言った。智久も同じ考えだということを示唆するために、佳正を方を見た。

  「大須賀、帰るぞ。」

  「え~。泊ってきなよ。今から帰るなんて、危険極まりないよ。智くん?」

  「そうそう。どうせ無駄に広い部屋なんだし。」

  「いや、いい。俺が責任もって送る。世話になったな。」

  何か奪われたものはあったかを大須賀に聞いたら、写真のネガがなくなっていたと言う。幸いなことに、携帯で撮影した画像は無事らしい。証拠となる大事な代物だ。ネガが狙われたということは、やはりソレを狙ったんだろう。大須賀に撮られた事を知って、奪うために・・・。

奪ってすぐに消えればよかったものを、命に係わるようなことをするから、返り討ちにあうんだ。

  「なあ、五十嵐・・・。」

  「あ?何だ。」

  大須賀と並んで歩いていると、ぽつりと声を漏らすもんだから、何かあったのかと思った。

  「俺も、強くなりてぇな・・・。」

  「・・・。まだ気にしてんのか。」

  昔っからそうだ。大須賀は、いつも人一倍明るくて、人懐っこいし、ポジティブな奴だと思ってた。でも、周りについて行こうと毎日必死だった。鉄棒も自転車も棒登りだって、みんなと分かれた

後、夕陽が沈むまで、手に豆が出来るほど、練習していた。走るのも、サッカーや野球だって、苦手

なはずなのに、気付くと上達していた。

大須賀は小さいころから、本を読むのが好きだった。文章読むのも早いし、作るのも上手かった。大須賀の作文は、何度も入賞していた。だから、文章に関する記憶力は半端ない。どんない長

い文章だって、こいつにかかれば他愛も無い。智久には無い才能。

  大須賀はそれでいいと思ってた。それが『大須賀』という人間なのだから。でも、本人はそれでは嫌らしい。というか、足りないと思ってるようだ。

男として、『強さ』というものを欲しているようだ。喧嘩を止める側であった大須賀は、誰かと殴り合うと言う喧嘩をした事がない。良い事だと思うが・・・。

  「今のままじゃ不満なのか。」

  「不満・・・じゃねぇけど。五十嵐みたいに素手で喧嘩出来ねぇし、有馬みたいに剣道出来るわけでもねぇし・・・。」

  そう。有馬は機械が大好きなメカニックであると同時に、有馬の親父に、小さいころから習わされていた剣道でも才能を発揮している。全国大会に何度も出場し、ほとんどのメダルが、あいつの家にあると思う。その数の多さに、気持ち悪さも感じた事がある。

  「・・・じゃあ、どうなりたいんだ。」

  「俺は・・・。俺も、少しくらい素手での喧嘩が出来るようになりてぇ。」

  少し下を向き、唇を噛みしめて、拳を強く握りしめている。大須賀は、こういうところを他人に見せるような奴じゃなかった。何も出来なかった自分に焦っているのか、じれったいのか、それは分からない。でも、悔しいんだということは分かった。

智久は、視線を大須賀の拳から前へと移し、ため息をついた。夜一一時を回っていたが、街は賑わっていて、楽しそうに笑っている奴もいれば、道の端で酔っぱらった親友を介抱している奴もいた。

  「焦るな。」

  「んなこと言ってもよ!・・・。このままじゃダメだと思うんだ。実際、ずっと前から思ってた。俺だけいつも何もしてなかった。五十嵐と有馬が喧嘩してた。」

  「お前はお前の喧嘩の仕方があんだろ。それでいいじゃねぇか。」

  「俺の喧嘩の仕方ってなんだよ?ただボーっと眺めてることか?」

  こいつの苛立った顔を見たのも、初めてかもしれない。ヘラヘラ笑ってるだけかと思ってたけど、なんていうか、芯はしっかりしてる奴だ。

  「『情報を使った、拳を交えない喧嘩』。それがお前の喧嘩の仕方だったんじゃねぇのか?それとも、情報収集に自信が無くなったのか?」

  智久のその言葉に、大須賀が胸倉を掴んできた。本当に初めてだった。逆鱗に触れようが何だろうが、自分の事を見失った今の大須賀には、智久がちゃんと伝えるべきだと思った。

相手が怒りに達したとき、黙って聞いてればいいというけど、それは当てはまる人と、当てはまらない人がいる。主に女の人だと思う。

でも、一時の感情に流され、信頼関係を零にしてしまうくらいなら、罷り通らないと分かっていても、理屈を連ねることも大切だ。相手の眼を見て、しっかりとした言葉で突き付けるんだ。

それが例え、相手の傷を抉ることになったとしても、相手にとって不愉快だと感じることでもだ。

  「・・・っ!悪ィ・・・。そうだよな。」

  「・・・お前に殴られた記念日になるかと思った。」

  「護身術くらいは身につけてぇな。」

  「素手での喧嘩は俺がやる。大須賀は情報から、俺らと喧嘩すりゃあいい。・・・だろ?」

  すぐに頭を冷やせるところも、大須賀の良いところだと、今知った。ケロッとした顔で、笑い合った。傍から見れば、怪しかったと思う。いきなり殴り合うのかと思えば、いきなり笑いだす。

  なにはともあれ、大事に至らなくてよかった、といったところか。

  駅について大須賀と分かれた。送って行くと言ったけど、女に勘違いされたら嫌だから、という理由で拒否された。こっちだって、ソレは御免だ。

  「・・・強く、か。」




  アパートに戻って、少し焦げくさい服を洗濯機に放り込む。タオルを持って風呂に入り、シャワーを浴びた。出始めは細菌が多いとテレビで言っていたから、少し出してから頭、そして身体全体にかける。髪の毛をガシガシと解して、排水溝に流れるお湯を眺めた。

こういう時間が好きだ。何も考えずに、ただボーっとする。髪から、鼻先から滴る雫を、何の躊躇いも無く吸いこんでいく。

時間には逆らえない。重力にも逆らえない。権力にも逆らえない。人に限らず、この世には逆らえない事が沢山ある。抵抗したってどうにもならない事がある。

シャワーの水が、智久に向かって降り注ぎ、そのまま落ちていくように、人は生まれたからには、いつか必ず死ぬ。極端な例だけど、そういうことだ。

人は死ぬ事を知っているから急ぎ足で生きるのか。それとも、知っているけど抗えないものに縛られているのか。まあ、両方だろう。失うまでは気付かない大切なものは、失ってからその重要さを認識する。泣いても手遅れの状態になってから、後悔の渦にのまれ、自分を責める。

  「俺の存在意義・・・。」

  幾ら考えても答えは見つからない。誰かに認めてほしいとか、誰かに愛されたいとか、誰かのために生きるとか、そんなのは智久の存在意義じゃないと思う。

  蛇口を閉め、軽く身体を拭いて、ジャージに着替える。頭にタオルをかけたまま、ベッドに寝転がった。仰向けに寝て、そのまま目を瞑る。

  ―じゃあ、どうして俺は生きてるのか。何のために生きてるのか。

頭を良くするため?働くため?金を稼ぐため?どれもいまいちピンとこない。自分が死ぬという事を前提として考えた場合、生きる目的なんて無いように感じる。

命には期限がある。それは、なかなか切れない人と、すぐに切れる人がいる。まあ、この抽象的な表現は適切ではないかもしれないが。それに、この期限がまだ切れないにも関わらず、自ら切ってしまう人もいる。

それぞれの命は、個人のものであり、他人と共有できるものではない。だから、それをどうしようと自分には関係ない。

ただ、その命を与えられたものと捉えるならば、自分以外の人、即ち、両親のものであるとも考えられる。そうすると、自らの命とはいえ、勝手に期限を切る事は許されない。その命は共有されているといえるからだ。

 いずれにせよ、自分はそんなことしないが。結果的に『死』を迎えるとしても、自分から死神に逢いに行くような真似はしない。その存在だって不確定なもので、信頼は出来ない。

「俺の・・・。」

結局、今日も一歩も進まず、答えは出なかった。考えるだけ時間の無駄な気もするけど、生きることに対して執着が無い智久は、どうして今日、生きたいと思ったんだろう。

実際、『死』と対面すると、丁寧に挨拶する暇なんか無くて、必死に『生』の足を掴んだ。

振り落されまいと、力いっぱい掴んでいた。それが不思議に思えたんだ。

「執着か。したことなかったな。」

生きることに執着しなかったのは、しがみ付かなくても生きられたから。

そう智久の中で考えをまとめたところで、うとうとしている自分に気付く。

―寝よう。寝て、また明日を迎えよう。




  「あ~。今日は占いで朝に良い出会いがあるって言ってたけど、当たった~。」

  ・・・。朝から疲れる奴に会った。智久が駅を出てすぐの場所に立っていた。いつもの格好で、ガードレールに寄りかかっていた。最初は無視しようとしたけど、手を振りながら名前を呼ばれたら、逃げようが無かった。

  「待ち伏せか。良い趣味とは言えねぇな。」

  「そーんな嫌な顔しないでよ。智くん。有馬くんにお願いしたい事があったんだけど、連絡先がわっかんなくてね。」

  「有馬に?」

  まあ、有馬になら仕方ないか。有馬は用も無く街をふらつくような奴じゃないから、見つけるのも難しいと思う。それに、知ってる奴がいると道を変えてまで会わない傾向が見られる。

だから、有馬に会うのは本当に貴重で、その遭遇確立だけから見れば、人間国宝に指定されてもおかしくない。

  有馬の定食屋まで連れていき、扉を開けると、有馬が暇そうにパソコンをしていた。

  「あ。智久。と、『ブラック・プリンス』。」

  「よ。こいつがお前に頼みがあんだと。」

  有馬が座っていた椅子の隣の椅子に智久が座り、有馬の正面には佳正が座った。椅子が回らないのが少しきになるようで、どうにかして回そうとしていた。いや、絶対回らないが。

  「へ~。有馬くん家って、定食屋さんだったんだ~。初めて知ったよ。」

  「俺に頼みって何?」

  「あ~、そうそう。ある人物のパソコンをハッキングしてほしいんだよね。それから、携帯も。報酬ならちゃんと払うよ。君の望む額をね?」

  頬杖をつき、にこやかに話しているが、内容は過激。細めていた目をしっかりと開いて有馬の方を見ると、さらに口角を上げた。

パソコンをカタカタいじっていた手を止めて、一度佳正の方を見た有馬は、すぐにまたパソコンの画面へと視線を移した。隣からチラッと画面を見たけど、なんか文字の羅列が見えただけで、智久にはよく分からなかった。

  「いいよ。面白そうだし。」

  「さすが智くんのお友達だね。話が早い人ばっかりだ。あ、智くんは少し頑固だけどね。」

  智久を見てニコッと笑う佳正・・・。有馬は面白い、つまり多少の危険の臭いを感じると、飛び付く癖がある。だから、ヤンキ―の後ついて行って殴られたり、溝に顔から突っ込んだり、さらには、親父の真似をして火傷やら怪我をしょっちゅうしていた。

  「有馬。遊びでは終わらねぇぞ。お前だって大須賀みたいになるかもしんねぇぞ。」

  「うん。だろうね。ま、そんときは腹括るよ。」

  まただ。腹括られるとなんとも言えない。智久が止められることでもない。これは、佳正が有馬に頼んだ仕事だから。智久が口出し出来るのは此処まで。あとは有馬の決定を受け入れるしかない。

  有馬の返事に、佳正は満足そうに笑っていた。佳正を有馬の店に置いて、智久は大須賀が捕まっていた倉庫に向かった。そこにいけば何か分かるかもしれないとか、そういうことじゃなくて、智久自身を考える時間が欲しかった。

  倉庫はまだ少し焦げたにおいが残ってて、池のそばには椅子が放置してあった。

智久は此処に来た時、何を考えていただろうか。助けること?やり返す事?死ぬことだったか?

―何を目的に俺は走ってきたんだ?

  こうしている間にも、自分にも『死』に近づいてる。一歩一歩確実に、着実に。生きるという行動自体が無意味に感じているのは、昨日今日の話じゃない。

幾ら手を伸ばしても届かないものがあって、幾ら叫んでも届かない声があった。それを誰のせいにすることも出来なくて、全部自分が悪いんだと嘆いたり、いや、世間が悪いんだと怨む事もあった。それでも智久は生きることを選んで、今も嫌気がさしながらも生きてる。

  倉庫の中は、外よりも若干温度が低くて、それが心地良いものか、不愉快なものかも判断が出来なかった。ただ、ため息が出た。

  「やーっぱりここにいた。」

  振り向かなくても分かる。佳正だ。有馬との話が終わり、暇だから来たんだろう。

  「智くんて、慕われてるんだね~。」

  「誰にだ。」

  「有馬君とか、大須賀君とか・・・かな。」

  「別に慕われてねぇーよ。俺はただ群がるだけの仲間が嫌いなんだ。」

  そう。女同士でいつも同じグループで動くように、男も仲が良い奴らで集まって、なんだか騒ぐ傾向がある。智日はああいうのは嫌いだ。虫唾が走る。

人とどう付き合おうがその人の勝手だ。付き合いが悪いと言われようが、そこまで一緒に行動する意味が分からない。

  「智くんさ、生きるの嫌いなの?それとも、人間が嫌いなの?」

  「は?」

  急な質問に驚いた。今までそんなこと聞かれた事無かった。いや、普通は無いんだろうけど。

  その質問に対する答えは、智久の中でまだ出ていない。

  「生きるのが嫌いなわけじゃねぇ。ただ、生きてる意味がわからねぇから、生きることに違和感を覚える。そもそも、なんで人間だけが特別扱いされる?なんで人間だけに『物事を論理的に考える』という力が与えられた?なんで人間だからって勉強して、金を稼がなくちゃいけない?人間は嫌いというよりも不愉快な存在だ。人間なんて賢い動物に思えるが、実際は違う。自然や他の動物に比べて、実に無力で、己の力を過信し過ぎた愚かな生き物だ。」

  倉庫の中をグルグル回りながら一気に答えた。今吐き出せるもの全て吐き出したと思う。

  佳正は入口付近のセメント袋の上に腰かけ、頬杖をつきながら聞いていた。智久が話し終えると、足を組みかえながら笑っていた。両腕を後ろについて、天井を見るように顔を上げたと思ったら、こっちを見てニッと笑う。

  「智くん、よほど世の中が嫌いなんだね。俺は大好きなんだけどな。」

  「・・・。俺は世の中を斜めから見て言ってるだけだ。人間はもっと自分たちの立場を考えるべきだ。」

  「弱いってこと?それとも、馬鹿だってこと?」

  「どっちもだ。所詮、時間を戻すことも、水ん中で呼吸することも出来ないんだ。命ってもんが、生き抜くための鼓動じゃなく、でたらめな愛情の産物にもなってる。」

  「じゃあ、人間は何のために子孫を残すと思うの?それが例え愛情が無かったとしても、この世に宿った命でしょう?大切にしなきゃ。」

  佳正がセメントの袋の上から下りて、倉庫の中央辺りにいる智久の近くに寄ってきた。そして、智久の横を通り過ぎて、斜め前くらいで止まった。

  「得た命は、そいつ自身が好きにすればいい。それに、人間は他の動物よりも子孫を残そうとする意識が弱い。何のために残すかなんて考えてねぇよ。別に途絶えたって、誰も困りはしない。」

  佳正の背中に言葉を投げつけて、智久は倉庫を出た。

誰かに好かれるための優しい答えなんて、用意していない。そんなことは誰にでも言えるのだ。親だって、近所の人だって、学校の先生だって、上司だって。マニュアルでもあるのかと疑うような整った答えを言う奴なんか信じない。聞きたくない。




  倉庫からしばらく歩いていると、後ろから佳正がついてくるのが分かった。スキップをしているけど、やっぱりリズムがズレテいる。途中で缶コーヒーを買って飲んでる音も聞こえた。

  「まだ俺に用でもあんのか。」

  「やだな~。偶然、智くんと方向が一緒なだけだよ~。」

  疑わしい返答だったが、まあ、佳正のビルの方に向かっている事は確かだったから、智久は気にせずに歩いた。

ようやく佳正のビルの前を通り過ぎて、解放されると思っていたのに、それでも足音が途絶えることは無かった。それから一時間ほど歩いて、やっぱり後ろからは不規則な足音のリズム。そして、気持ち良さそうな鼻歌が聞こえてくる。

  「・・・。おい、お前どこに向かってんだ。」

  「え~?散歩だから、目的なんてないけど?」

  ―散歩って・・・。俺だって別に目的持って歩いてるわけじゃないから、ついてこられても困るんだけどな。そんな事を思いながらも、街を放浪していた。

  誰かとすれ違う度に、自分だけ逆流しているように感じてしまう。人の流れに逆らって歩いているのでは、なんて。それは思い違いだって事も理解してはいるけど、流れに逆らう事が好きでもあるため、そういう感覚に陥るのが楽しい。

  足下見て歩こうが、上を向いて歩こうが、進む距離は変わらない。特に自分の周りを歩いてる連中は、下も上も見てはいない。ただ人を掻き分けて歩いてる。なんとも滑稽だ。

  途中でサービス券を配っていて、智久はそれをもらって何か食べることにした。時間はまだ早いけど、こうも暇だと何をしていいのか分からない。

ハンバーガーのセットを頼んで、端の開いてる席に座った。コーヒーを一口流し込んで、ポテトを一本頬張る。ハンバーガーに手を伸ばして食べようとしたところで、隣に佳正が座ってきた。

  「散歩はどうした。」

  「急にお腹空いちゃってね。」

  よく食う奴とは思ってたけど、セットものを三つ頼むほど今腹減ってんのか、と疑問に思った。

しかも、トレーに全部乗せてきたもんだから、少し潰れてるし。

ハンバーガーを食べながら窓の外を眺めて、人の動きを観察する。友達と待ち合わせをしているのであろう女子高生。会社の上司、もしくは取引先の人と電話をしているのであろうサラリーマン。客集めをしている店の店員。そしてホームレス・・・。

―こうして見ると、世間は狭いもんだ。それに、誰もが自分のことで忙しいから、他人になんか目もくれない。これじゃあ、人生の時間を楽しむことなんか出来ない。

  「みんな無関心だよね。」

  「何が?」

  隣で三個目のハンバーガーに突入した佳正が口を開いた。

  「ほら、あそこで困ってる男の子いるでしょ?初めてなんだろうね。道が分からなくて困ってる。男の子の近くを通る人は横目でちらっと見て、それで終わり。誰も声をかけようと思って無い。」

  言われてみれば、さっきからキョロキョロしている男の子がいる。携帯を片手に場所を確認しているようだが、いまいち把握出来ていないようだ。一旦通り過ぎて、振り返る人もいるけど、やっぱり声をかける時間的余裕、精神的余裕がないんだろう。

  「それから、ホームレス。あんな毛布一枚じゃあ寒くてしかたないだろうね。今まで世のため人のために必死に働いていたって、上からのたった一言で職を失う。最悪家族も失って、家も何も残らなくなる。周りの人は見えていないかのように通り過ぎていく。」

  やっぱり人は平等じゃない。この街に限った事じゃ無く、世界規模で見てもだ。自分たちの平和や幸せに気付いていない奴らに限って、自分達は不幸だとか言っている。視野が狭いのか、それとも単に欲が深いのか。

  「なら、お前が助けてやればいいだろう。」

  「智くん、俺はボランティアじゃないんだよ?無償じゃ動かない人間だよ。」

  「損得をすぐ勘定する奴に、碌な奴はいねぇ。」

  「そうかな?人間であれば誰でも天秤にかける事だと思うよ。人に喜ばれるためだけの無償の行動と、喜ばれもすれば怨まれもする有償の行動。金を儲けないと生活できないんだから、みーんな有償を選ぶと思うけど?」

  頼んだものを全部お腹に入れ終えた佳正は、グレープジュースを飲み始めた。窓の外を眺めながら、智久のポテトに手を付ける。

  結局人生なんて、お金に振り回されるものなのかと思った。佳正の言っている事は間違いじゃないとは思うが、なら、人間が生きてる意味が『金稼ぎ』だけになってしまう。

興味無いといえばそれで終わりなのだが、それでは世の中で生きていく事は出来ない。人と競争して、勝って、金の周りを良くする事が目的なんだろうか。

  「いっそのこと、烏にでもなりたかったな。」

  「え、智くん烏がいいの?黒いよ?煙たがられるしさ。」

  「いいんだよ、それで。中途半端に好かれ、嫌われるなら、徹底的に嫌われた方が生きやすい。」

  ―烏は嫌いじゃない。あいつらは賢いし、嫌われても嫌われてもやって来る。その度に知恵をつけて戻って来るんだ。馬鹿のままなら、それほど煙たがられないんだろうけど、慣れであったり、人間に対抗するための行動を取るから、忌み嫌われる。

  自分達が生き残るためにゴミを漁るという行動に出る。それを人間が気に入らないのは、単純な理由だ。『汚くなる』『ゴミを漁るのは非常識』『臭い』とかだ。

でも、それは人間が勝手に決めたルールであり、勝手に持ってる感情だ。

  烏に限らず、本来動物というのは、弱肉強食の世界で生きている。自分たちでなんとか食べるものを探して、奪って、今日を乗り切るための本能に突き動かされている。

人間という動物は、その本能自体が薄れているから、ゴミの中に残されている僅かな食料に手を出そうとも考えない。それが命を繋ぐたった一本の生命線であっても。

  「神ってやつがいるとしたら、人間にだけ特化した能力を与えたのは誤りだったな。」

  「神ね~。俺、そういうのって信じないタイプだけど。」

  「俺だって信じちゃいねぇよ。んなもんがいてたまるか。・・・ただ、いたら言ってやりてぇ文句が山ほどあんだよ。」

  「あ、そういえば話し変わるけど、今流行ってるアイドルグループの名前って知ってる?」

  ―こいつ・・・。本当に急に話し変えやがった。しかもなんでアイドルの話なんだよ。

  全く異なる路線の話題をふられた智久だが、ため息をついて答える。

  「俺が知るか。大体、大して可愛くもねぇ奴らを可愛いなんて囃したてる世間が俺は嫌いだ。」

  「アハハ。だよね。智くんは知らないと思ってたよ。それに、一人が可愛いって言い出せば、可愛いっていう肩書きがもらえるってことに関しては、俺も同感だけどね。」

  「で?まさか、佳正アイドル好きだったのか?」

  ―まあ、食べ物や異性の嗜好は人それぞれだから、口を挟むつもりはないが、こいつが・・・?

  ―そもそも自分以外の人間に興味があったのか。こいつは自分大好き人間だと思っていた。

  「やだな~。俺だって好きじゃないよ。男のアイドルも女のアイドルもね。この世のアイドルなんてさ、俺一人で十分だと思わない?」

  「思わねぇ。」

  まだ店の中だというのに、声を張って、さらには手を大きく広げながら、演説でもするかのように話し出した佳正に、他の客からの視線が注がれた。

普通なら五月蠅いと注意されるんだろうけど、相手が佳正だからか、誰も文句を言う奴はいなかった。ちらちらと見てくる程度。

  佳正といるのが恥ずかしくなって、智久は店を足早に出た。後ろから奴がついてくるのが分かった。智久の隣まで追いつくと、さっきの話の続きをした。

  「空閑の御兄さんて、医者でしょ?そこに、そのアイドルの中でも一番人気の子が診療に来たんだって。Aちゃんにでもしようか。ただの風邪だったみたいなんだけどね。でも、空閑の御兄さんはそのAちゃんが大好きだからって、思い病気かもしれないって言って、悪戯しようとしたんだって。ま、未遂で終わったんだけど。Aちゃんが診察室からなかなか出てこないことが気になって、マネージャーが部屋に入った時に目撃したらしいよ。」

  「で?捕まったりはしてねぇんだろ、どうせ。」

  「まあね。でも、竜牙の親父さんが手回ししたわけでも、空間の両親が守ったわけでもない。」

  「じゃあ、なんで?」

  警察に庇ってもらってもいない、圧力で口を封じたわけでもない?

  なら、マネージャーという目撃者がいる以上、捕まるはずだろう。

  「そのマネージャーに、Aちゃんを襲わせたんだ。」

  智久の思考が一瞬止まったのを感じた。マネージャーは、守る立場の人間じゃないのか。神経が分からない。

  「そのAちゃんって、ナイスバディらしいよ。顔もそこそこなんだって。ま、世間では『超可愛い』の部類に入ってるらしいけど。空閑の御兄さんが金を払ってマネージャーを唆し、Aちゃんを襲わせた。となれば・・・。」

  「目撃者がいなくなるってことか。」

  「そ。」

  話の内容には似つかわしくない笑みを受かべながら、佳正は颯爽と足を前へ進める。

  なんとも理性のきかない男どもだ。なんのために、人間には理性があると思っているんだ。そのくらいの善悪もつけられないような奴が増えているのだろうか。

  「でも、そのAが事務所に訴えたりしなかったのか?マネージャーがクビになんだろ。」

  「智くん。女の子って、そういう事件はあんまり話したがらないんだよ。それに、ビデオ撮られたらしいよ。だとしたら、泣き寝入りするしかなかったんだよ。」

  「泣き寝入りって・・・。恥ずかしいとか言ってる場合じゃねぇだろ。そんなに人気があんだったら、ファンクラブの連中が黙っちゃいねぇだろ。」

  気付いたら、智久と佳正は最初に出会った公園に来ていた。

  背を向けて並んでいるベンチに向かい、一方に佳正がドサッと座り、智久はもう一方のベンチに座った。互いの顔は見えないが、雰囲気は感じる事が出来る。

  「ファンクラブの奴ら、『Aちゃんが元気が無い』って事務所に乗りこんだんだけど、それに対して、ただAちゃんにちゃんと仕事しろって怒鳴っただけらしいよ。」

  「そんときに言わなかったのか。」

  「言ったら、『それはお前が誘惑したんだろう』って言われたんだって。マネージャーもマネージャーだしさ。その後も、ビデオで脅して何度も暴行されて・・・。アイドルを辞めようとしたんだけど、辞めたらビデオをネットで流すって言われて、続けてたんだって。」

  男の智久には、そのAの気持ちを知り得る事は出来ないが、男としてそいつらを赦す事は出来ない。男が女よりも力があるのは、女を力任せに押さえつけることでも、力で言い聞かせることでも無い。自分より力の無い女や仲間を守るためにある。使い方が間違っている。

  「で、今もアイドルやってんのか。」

  「・・・一年前、自殺したよ。」

  「自殺・・・。」

  思い出した。『話題沸騰中のアイドル、自殺!遺書に記された自殺の真相!』とかいう見出しでニュースが流れていたような気がする。

  アイドルグループなんて沢山あり過ぎて、顔もみんな似ていて、区別がつかない。

  ―自殺だと分かっているなら、そんなに騒がなくてもいいだろうと思っていたやつだ。自殺したい奴はさせとけばいいと思っていたアレか・・・。

  「遺書には全部書かれていた。でも、事務所側は事実無根を主張。『男遊びの激しいアイドル』という言葉でマスコミを誘導し、マスコミもそれを面白おかしく書き立てた。遊び過ぎた妊娠説とか、雄を誑かす雌だとか、ヤクを欲しがる身体だとか書いてあったな・・・。」

  「事務所はどうして?」

  「社長が趣味で株をやってて、大損。借金まみれだったらしいよ。それで、金になんならアイドルの身体も命も名誉も売ったんだ。」

  呆れてものが言えない。なんのための事務所だ。マネージャーだ。マスコミだ。

  自殺に追い込んどいて、その自殺さえもショーのようにして金稼ぎ。本当に反吐が出る。

  「だからさ、智くん。そういう奴らがこの街にまで手をつけるのは、避けたいんだ、俺。」

  「・・・。分かってる。俺だって赦す心算はねぇよ。」

  智久の返事を聞くと、佳正はベンチから立ちあがり『じゃー、俺は仕事あるから』と言ってどっかに行ってしまった。




  背中の空気が急に冷たくなった。佳正がどっかに行って少ししたころ、背後に人の気配を感じた。でも、その気配には覚えがあった。

  「俺の昼寝用ベンチに座りやがって。」

  寝ぼけたような声でそう言ったのは、レオナだ。後ろのベンチに寝そべっている音がする。

  「あの野郎と何の話してたんだ?」

  「・・・この間自殺したアイドルの話だ。」

  「・・・ああ。そりゃあ、あいつ気にしてるだろうな。」

  「は?」

  平然と返された返事に違和感を感じ、智久は寄りかかっていたベンチから背中を離し、レオナの方を見た。

  レオナはというと、公共物であるベンチに堂々と足と頭を乗せ、大きい身体を少し曲げて寝ている。目は瞑っていて、程よい風が髪をなびかせている。

  「どういうことだ?」

  「そのアイドル、佳正の妹なんだよ。」

  ー妹?あいつに?俺の頭の中は?だらけ。そもそも、佳正って長男だったのか。てっきり一人っ子かと思ってた。なんていうか、自由人だから。

  「それ、本当か?」

  「ああ。あいつが昔、喧嘩強いにも関わらず目立たなかったのは、妹が暴力嫌いだったからだ。それに、おれとあいつだって昔から喧嘩はしてた。でも、お前らの喧嘩の方が騒ぎがでかかったから、俺達の喧嘩はそんなに知られなかったんだ。」

  ―妹のために喧嘩を出来るだけ避けてたのか。妹・・・。それであんな話したのか。

  腸煮えくりかえるような怒りを抱えてる癖に、いつもと変わらない口調に表情。佳正らしいといえば佳正らしいのかもしれない。

  抑えているんだろうけど、いつか火山みたいに爆発するかもしれない。そしてら、相手を殴り嬲って、最悪手をかけるかもしれない。それは阻止しなければ。

  「レオナも、佳正の妹の・・・その、暴行のこと知ってたのか?」

  「ああ。一年前、初めてあいつが俺んとこに来て、頭下げたことがあった。妹がいなくなったから探してほしいってな。俺が手伝う義理なんてねぇっていったけど、あんときの佳正の顔見たら、きっとお前でも首を縦に振るだろう。ま、結局見つかんなくて、次の日、遺体確認に来てくれって、警察から電話があったらしい。」

  ―あいつ、何にも言わねえで・・・。全く困った奴だ。

  「妹が暴行されたって知った時、佳正は警察とかには言わなかったのか?」

  「なんせ、知ったのは遺書を通じてだからな。それに、その頃佳正は、この街では有名だったしな。もちろん、良い意味じゃなくて。だから、聞く耳持ってもらえなかったみたいだ。」

  ―あいつもあいつで偏見を持たれていたんだ・・・。かくいうレオナもそうだろう。

  番犬として金で雇われてはいるが、後ろ指をさされているだろうし、怖がられ、佳正と同様に偏見を持たれている事だろう。

  佳正にしてもレオナにしても、何か言われて気にするような性格じゃないと思うし、二人同士で通じあっている部分があるから、間違った方向に行かないんだろう。

  「そうそう。そのころから俺達は犬猿の仲だもんね。」

  佳正が戻ってきていた。しかも、半周してきたのか、レオナのベンチの方へ身体をなじっている智久の後ろから来た。

  「そうだったか?」

  「そうだよ。レイちゃんが原因作ったんだからね。謝ってほしいよ。」

  「俺のせいじゃねぇだろ。」

  「レイちゃんのせいだよ。」

  ベンチで寝ているレオナと、レオナの頭側に立って見下している佳正。なにやら、佳正はレオナが悪いと思っていて、レオナは特に誰が悪いとかは思っていないようだ。

  この二人を放っておくことも出来たのだが、放っておいたら喧嘩が始まりそうだったから、大騒ぎにならないように、智久は見張っていることにした。

  「だって、レイちゃんが俺の妹誘惑するから、俺が兄として見極めただけでしょ?」

  「だから、お前の妹を誘惑した覚えはねぇって言ってんだろ。なのにてめぇがいきなり殴りかかってきたんだろーが。」

これはあくまで智久の想像だが、多分、佳正の妹はレオナに惚れていた。それを佳正は快く思っていなかった。自分より強いならOKしようとしたのかは定かではないが、そういう理由で殴りかかった事がきっかけで、こいつらは仲が悪くなったのだろう。

  「佳正がレオナの暴力団の奴に手ぇ出したからって、利堂さんには聞いた気がすんだけど。」

  「「違う。」」

  ―二人してハモるな。何か気持ち悪いから・・・。そして俺を見るな。

レオナは片目だけを少し開けて、片眉を上げている。

  「佳正が勘違いして俺に殴りかかってきたのが、そもそもの原因だ。」

  「殴りかかったのは俺だよ。それは否定しないし、間違ってもいない。だ・け・ど。」

  佳正が寝ているレオナの顔の近くまで、自分の顔を下ろすように腰を曲げた。

  レオナは開いていた目を閉じて、なおも不機嫌そうに、眉間にシワを寄せていた。普段は日向ぼっこをしている時間に、こんな不愉快な思いをしているのだから、仕方ないと思う。

  「レイちゃんが麻衣を唆したんだ。」

  「唆してねえ。」

  「唆した。」

  「してねぇ。」

  なんだか、エンドレスしそうな言い合いにピリオドを打ちたい。きっとレオナの言っている事が正しい。正しいというか、正確というか・・・。

  レオナは唆してはいないと思う。そういう奴じゃないだろう。まあ、佳正は妹が可愛くて心配なのは分かるけど、事実をネジ曲げて捉えていると思う。

分かってはいるんだろうけど、相手が相手なだけに、兄としてはそう簡単に許せないんだろう。

  「麻衣はなんでレイちゃんがいいかな・・・。俺を見て育ったんなら、そう簡単には相手が見つからないはずなんだけどな。」

  「しるか。いい加減どっか行け。」

  つまり、この二人の因縁は、智久からしてみればどうれもいいことだった。

  佳正は妹の恋の相手が、レオナだから、余計に敵対心を持ったんだろうけど、レオナからしてみれば、その勝手に抱かれた敵対心は、迷惑極まりないはずだ。

  それに、こういう兄を持ったからこそ、レオナに惚れたのではなかろうか。

  レオナは、佳正が五月蠅いと言いたげに、身体を横向きにして耳を手で塞いだ。

  「佳正。お前、仕事に行くんだろ。早く行け。」

  二人だけだと話が進まないと判断した智久は、佳正にどっか行かせることにした。レオナは身体を起こさないだろうから。

  佳正は寝ているレオナの腰に腰かけて、全体重をかけていた。子供の喧嘩じゃないんだから、そういう嫌がらせするなと注意すれば、ニコッと笑うだけ。

レオナは気にしていないのか、もしくは無視しているのか、体重を掛けられても怒ることはしなかった。基本的にレオナは感情を表に出す事はないし、佳正もヘラヘラはしているが、素直に感情を出す事はない。だから、怒っていると誰でも分かる行動を起こすことも少ない。

  今の様子を見ていると、仲の良い奴らだ。これだから、こいつらは上手くやっているんだろう。

  強いことも知ってるし、いざって時には頼りになるのだろう。お互いに。

  「佳正。レオナに甘えるのはそのへんにして、早くどいてやれ。」

  その『甘える』という言葉に違和感を感じたのか、佳正は足をブラブラさせながら、智久の方を見て笑った。

  「智くん。レイちゃんに甘えなんて、死んでもしないよ。それに、俺そんなに重くないでしょ?」

  「重い。早くどけ。」

  怒鳴ることもせずに淡々と言い返すレオナが偉いと感じる。

  『腰が折れる』と厭味を言っていたものの、佳正は涼しい顔で『聞こえなーい』と返していた。

本当に仲が悪いのかこいつら。傍から見れば、そしてこいつらの仲の悪さを知らなければ、じゃれ合っているようにしか見えないだろう。

  「なーんでレイちゃんかな~。まだ智くんの方が良かったな。」

  「知るか。」

  「おい、まだって何だ。」

  ―ついツッコんじまった。失礼なこと言う奴だな。妹を持つ兄って、みんなこうなのか?いや、そんなわけねぇか。

  智は思わずため息をついて、携帯を確認してみると、誰かからか連絡があったみたいだ。誰からだと思って携帯を開くと、それは有馬からだった。

こっちから電話をしたら、コールが二回鳴ってすぐに出た。何の用か聞くと、朝佳正に頼まれた仕事についてで、智久に内容を教えておこうとしたということだ。

  その内容は、智久にとってはそれほど驚くものではなかった。内容よりも、佳正と考えが同じだった事に驚いた。佳正の方をちらっと見ながら話を聞き、電話を切ると、佳正を蹴飛ばして有馬の店に戻ると言った。

  「有馬くんとこ?朝行ったばっかりじゃん。まだ頼んだ仕事も終わって無いんでしょ?」

  「・・・。はぁ。有馬を甘く見てもらっちゃ困るんだがな。」

  まあ、別に佳正とレオナが喧嘩を続けたところで、智久にとって障害になる事はないだろうと思い、一人で有馬のところに向かおうとした。ベンチから腰を上げ、二人の方をちらりとも見ることなく歩き出す。背中に佳正の視線を感じたが、振り返る事はしない。




  有馬の店につき、扉を開けると、大須賀もいた。有馬は少しだけ視線を俺に向け、すぐにパソコンに戻した。その間も手が休むことは無い。大須賀は有馬の前に座っていて、水を飲んでいる。

  「やっぱり一緒に戻ってきたんだ。」

  有馬のその言葉の意味はすぐに理解出来た。結局ついてきた佳正の存在だ。有馬と大須賀の座っているテーブルの隣のテーブルに座る。智久が椅子に座ると、向かいの椅子に佳正が座った。

  「で?なんで大須賀もいんだ?」

  「写真の現像が終わったんだけどよ、ちょっと気になる事があってよ。有馬に詳しく調べてもらおうと思って。」

  「写真?」

  智久がそう言うと、鞄から現像してきたのであろう写真の束と、ネガを取りだした。それを何も言わずに差し出されたから、受け取って見てみた。

  「これ、竜牙と空閑の家族の?」

  現像された写真には、竜牙の親父が幼女を連れてホテルに入るとこ、出てきたとこ、空閑の親父と兄が女の身体を撫でまわしているところ、そして母親が証拠を偽装する瞬間を捉えたものが数十枚という数、撮られていた。

  だけど、これといって気になるところは無いように思う。全部の写真を確認してみたが、やはり智久には分からなかった。

  「何が気になるんだ?」

  佳正にも見せてみたが、首を傾げる事はしなかったが、やはり智久と同じ反応だった。大須賀に写真を返しながら聞いてみた。

  すると、写真を数枚テーブルに並べて見せてきた。それらの写真の隅の方を指さして、智久達にも分かる様に示した。はっきりとは分からないが、そこには竜牙や空閑の家族以外の人間も映っている。それは当然なんだが、問題はその人物。智久にも見覚えがあったからだ。ピントがそいつではなく、連中の家族に合っていたため、断言することは出来ないが、間違いないだろう。

  智久達が三人で重い空気に浸っていると、有馬がのんびりと欠伸をした。

  「まーくんにも協力してもらわないとね。それで、有馬くん。どこまで進んだの?」

  「ほとんど終わった。それほど情報が入って無かった。多分、情報持ってるのは別のだね。なんとか裏の方から手をまわして調べてはみるけど。一応コレ、盗んだ情報。」

  「・・・やっぱりね。」

  有馬から情報を貰うと、佳正は店を出ていった。有馬は解析をしていて、大須賀はその様子を眺めている。

  「・・・。忙しそうだから、また今度来る。」

  「あ。そうだ。」

  思い出したように、有馬がパソコンをいじっていた手を止めて、智久に何やら渡してきた。

多分さっき佳正に渡したものと同じもの。智久にソレを渡すと、また椅子に座ってパソコンを始めた。

  「ブラックから頼まれた内容も書いといた。あの人智久に言って無いみたいだったから。」

  そういや、何頼んだのか聞いてなかったな、と思いながら、渡された紙に目を通す。ソレを見てすぐにあの写真の意味も理解出来た。有馬がハッキングに苦戦するのも仕方ないのかもしれない。

でも、そういうものほど好きな奴だから、今目の前でこんなにも目を輝かせているんだろう。

有馬のことを知らない人が見たら、大して表情は変わっていないように思うが、小さいころから知ってる智久や大須賀が見れば、楽しんでいるか楽しんでいないかぐらいは分かる。

  有馬と大須賀に礼を言って、店を出る。右を見ても左を見ても佳正の姿は無く、あいつはあいつでなんとかやるだろうと思い、智久は今日は早めにアパートに帰って、情報を整理しようと考えた。

  でも、なんとなくさっきまでいた公園に行きたくなって、自然と足が向いた。まだレオナが寝ているだろうか。どうしてあいつは暴力団の番犬になどなっているのだろうか。

あいつなら、一流企業に就職できただろうし、一流じゃなくても、あいつのような人間を求める会社は幾らでもあると思うけど。まあ、レオナに色々聞きたくなったから、公園に向かう。

途中で知らないお兄さんに声を掛けられたけど、どうせホストの勧誘とかパチンコ屋の呼び込みだろうから、聞こえないふりをして通り過ぎた。

  公園について、真ん中にぽつんとある二つのベンチの一方に寝そべっている人物を見つけた。そういや、住所は何処になってるんだろう、と考えてはみたけど分からなかった。

  こんな寝方をしていて身体が痛くないのか。智久はしばらく観察していたけど、完全に寝ているのか、それとも目を瞑っているだけなのか確認できずにいた。こんなに無防備に寝る事は無いと考えるならば、寝た振りだろう。いつ恨みが降ってきても回避できるようにしているんだ、こいつは。




  「お前、住所不定か?」

  気付くと此処で寝ている気がする。暴力団から部屋とか借りて無いのだろうか。レオナほど腕っ節がある奴なら、言えば貸してくれると思うが。

  「・・・何だ急に。」

  答えが返ってきた。やっぱり寝ていなかったようだ。まあ、こんな恰好で寝られるはずはないだろう。起きた瞬間に身体から音が鳴りそうだ。

  目を瞑ったままの状態のレオナを見下しながら、ベンチの背もたれに軽く乗っかって座った。

  「こんなとこで寝て、疲れねぇかと思って。」

  「じゃあ、何処で寝ろって言うんだよ。」

  「家で寝りゃあいいだろ。」

  レオナが即答しないもんだから、遠くで遊ぶ子供から、顔をレオナに向けた。瞑っていたと思っていた目が開かれていた。眠そうにしてはいるけど。

  「家は売った。」

  「売った?」

  家を売るなんて、新しい家を買う時か、手放さなくちゃならないそれ相応の理由がある時だ。レオナはため息をつきながら説明を始めた。

  「母親は俺が五歳んときに他界。父親に育てられたけど、勤めてた会社が倒産。酒に溺れて貯金もすぐに底ついた。俺は高校入ってバイト始めて、なんとかやってたけど、バイト代だって酒と女に消えてった。高校三年んときに父親が事故で他界。保険金が下りたけど、借金を返すのに保険金だけじゃ足りなくなって、家も売った。今思えば、遺産なんてほとんど無かったんだし、相続しないって言ったほうがよかったのかもしんねえな。」

  「兄弟はいねえのか。」

  「いねえ。」

  どの生き方が正解だとか間違ってるとか言えた事じゃないが、レオナも色々と大変だったんだな、なんて初めて感じた。急にリストラとか倒産なんて言われても、どうしようもない。それで離婚する奴らもいるし、そっから真っ逆さまの人生になって、ホームレスになる奴だっているくらいだから。どうなってんのかね、人生って。

  「じゃあ、雇われてるとこで寝ればいいだろ。」

  「あんなとこで寝てる間に警察が来たらどうすんだよ。俺まだ捕まるのは御免だ。」

   ―番犬のくせに・・・。いや、番犬だからこそ自由にしてんのか。

飼い犬に噛まれねえように気を付けるってのは、こういうことを言うんだな、としみじみ感じた。しかも厄介なことに、犬のくせに忠誠心は全くと言っていいほど無い。人懐っこさも無い。

餌にホイホイついていくわけでもなく、躊躇なく牙を向く。餌が気に入らなければ皿をひっくり返し、さらには主人を踏みつける。そんな番犬を欲しがる奴らも物好きだと思うが、実力がある以上、敵には回したくないんだろう。

  「佳正んとこに泊めてもらうのは?」

  「死んでも断る。」

  ―苦笑しちまった。そんなに嫌なのか。

  「なら、アパートでも借りればいいじゃねえか。」

  「家賃が高い。水道代・ガス代・電気代。ほとんど使わねえのに払うのが馬鹿馬鹿しい。」

  「・・・まあな。料理なんてしねえし。じゃあ、お前今は夜何処で寝てんだよ。まさか、公園で寝てるわけじゃねえだろ?」

  「気づくと朝になってるときもあるしな。あとは適当。」

  「・・・。人の事言えるような人間じゃねえけど、なんかお前の将来が心配だ。」

  「そりゃどうも。」

  どういう親に育てられると、此処まで自由奔放な人間が出来上がるんだ。いや、自由奔放という言葉に失礼だな、それは。此処まで適当?面倒臭がる?ずっと公園で寝るなんて、普通のホームレスと一緒じゃねえか。ホームレスの方が色々準備がしてあって賢いと思うけどな。

  一方でレオナは、いつものYシャツにジーパンだけ。

  それからしばらく、智久もレオナも一言も喋らずに、時間だけが過ぎていった。特に話す事も無いと思っていたから、この何も話さない時間が気まずいとも感じなかった。

多分レオナも沈黙を気にしないタイプなんだろう。こういうとき、佳正なら一人で歌を歌いだしたり、何か話しかけてくるんだろうけど、もともと一人が好きな人間というのは、こんなもんだろう。

  風が少し強くなって、目が乾燥してきた。眼薬でも買って帰ろうか。風呂にもちゃんと浸かりたい。シャワーだけで済ませるのは、楽だし時間短縮にもなっていいんだけど、たまにはゆっくり肩まで浸かって身体を休めたい。

  レオナは、また寝ているのか寝ていないのか分からないように目を瞑っていて、智久も視線を動かした。犬を追いかけている子供が、転んだ。大声で泣きだして、親が駆け付ける。それでも犬は自由に走り回っていて、どこかに行ってしまった。

―ああ、飼い犬じゃなかったのか。

親が子供を抱っこし、泣きやませようとしているが、一向に泣き止まない。智久にも、その盛大な泣き声が届いているのだから、きっとレオナにも聞こえてるのだと思う。でも、レオナはピクリとも反応が無い。

  何か気持ち悪い事を言えば、起きるかもしれない。佳正ならどういう事を言うか、と考えていたら、ひとつだけ思い浮かんだ。

  「お前、寝顔可愛いな。」

  自分で言って気持ち悪かった。どうしてレオナにそんなことを言っているんだろう。女を口説くときにでも言えばいい台詞を、つい言ってしまった。後悔。後悔。後悔。

  レオナもその気持ち悪さに気付いたのか、片眉がピクッと動いて、不愉快そうな表情になった。

  「佳正みたいなこと言うな。鳥肌が立った。」

  「悪ぃ・・・。俺も鳥肌立った。」

  まあ、寝顔が普通に可愛いとか言われても、嬉しい男はいないだろう。

いたとしたら、智久には理解できないだけの話。佳正はおいといて、レオナは喜ぶような男じゃない。カッコいいと言われても喜ばなさそう・・・。

というか、こいつは何を考えているのか分からない顔をしているのに、取る行動は分かりやすい。佳正は逆で、レオナに比べれば分かりやすい顔をしているのに、行動の意味は理解できない。

ワザとなのか、そういう性格なのか・・・。だから、この二人が協力すれば、どんな相手にも通用

するのだろう。

  ―ああ。どうでもいいことを考えてたら、腹が減ってきた。

時間はまだ二時過ぎ。おやつにしても早すぎるが。頭が糖分を欲してる気がするけど、甘いものはそんなにいらない。食べ過ぎると気持ち悪くなるから、チロルチョコ一個くらいでいいから、糖分が欲しい。でも、そのあとには醤油系でしめたい。口の中が甘さで終わるなんて耐えられない。

  「レオナ。お前昼飯は?」

  「食った。」

  「どうせパン一個くらいだろ。佳正を見習え。」

  「・・・。俺はそんなに小食じゃねえよ。佳正と対決したことだってある。」

  レオナは絶対に小食だと思ってた。というか、食に対して執着が無いように感じる。手元にあれば食べるけど、無ければ食べない奴だと思ってた。偏食そうだし。

  「じゃあ聞くが、何食った?」

  智久も人のこと言えた義理じゃない。ハンバーガーで済ませたから。でも、今からフルコースを食えって言われても、食べられる自信はある。

  「・・・。蕎麦五人前とラーメン三杯、おにぎり一個と二リットルの水一本。」

  「麺類好きなのか。」

  「いや、別に。なんとなくそんな気分だったから。」

  蕎麦の量がどんなもんか知らないけど、思いっ切り体育会系なんだな。二人して見た目細い身体のくせに、よく食うんだな。ま、結構運動するから、仕方ないんだろうな。でも、普段はこうしてぐーたらしてんのに、どこでカロリー消費すんだろう。

  そんな事を考えてたら、携帯が震えたのに気付いた。確認してみると知らない番号からだった。間違い電話かと思い、携帯をポケットにしまおうとしたら、また携帯が鳴った。




  ベンチの背もたれから離れて、電話に出る。

  「・・・。誰だ。」

  《お~れっ。あれ?聞き覚えない?超絶美少年だよ~。》

  「・・・・・・・・・・・・・・。知らん。切る。」

  終話ボタンを押そうとすると、電話の向こうから叫び声にも近い大声で、名前を名乗ってきた。それがレオナにも聞こえたようで、瞑っていた目を微かに開いていた。その名前には覚えがある。覚えがあるというよりも、覚えていたくない名前だった。消去してしまいたい名前。

  《竜牙宗介。空閑珪くんもいるけどね。五十嵐智久くんの携帯だよね?》

  「・・・。違います。間違ってます。」

  《あ、そうですか。すみませんでした~。・・・え。これ、ノッてよかったの?智久くんってそういうキャラだったの?》

  「うるせーよ。なんで手前が俺の番号知ってんだよ。」

  《女の子にね~、教えてもらったんだ。智久くん、大人気じゃん?ま、俺ほどとは言わないけどな~、イイ線イッてると思うよ~。》

  「ソレハドウモアリガトウ。サヨウナラ。」

  智久は棒読みで挨拶をしたら、すぐさま電源を切った。自分の番号が知られてるだけでも不愉快なのに、なんで勝手に入手した奴と、律義に話さなくちゃいけないんだ。

  携帯をしまって振り返ると、レオナが身体をだるそうに起こした。動きはのんびりしていて、とても機敏な動きをするときのレオナと、同一人物には見えないほどに・・・。頭をガリガリかきながら智久の方を一瞥し、ため息をつく。

  「竜牙から?」

  「・・・ああ。」

  「ふーん・・・。」

  眠たそうな目で、脱力した格好のまま遠くを見ている。何か考えているんだろうけど、それを読み取れるほど深い仲ではない。

  「俺を雇ってる暴力団が話してたことだし、そんなに聞き耳立ててたわけじゃないから、確実な事かは分からねぇんだけど。」

  「なんだ?」

  急にレオナの命が狙われてるなんて言われるのかと思って、覚悟していたけど、違った。

  「竜牙の奴、最近ヤクに手を出し始めたらしい。父親が、警察に押収されたのを盗んでるって。それを竜牙に渡して、竜牙は一旦売る。それを、麻官が取り締まる前に、父親に渡せば見逃すとか言って、自分で使うようになったらしい。」

  「父親は警察学校の副校長だろ?全然麻薬と関係ないだろ。それに、押収品が盗まれたとあれば、調べられてるはずだろ?」

  「空閑の父親か母親あたりが上手く手を回してるって。その辺の事は俺はよくわかんねーし。」

  ―ヤクにまで手を回す様になったか・・・。拳銃まで持ってたら、洒落になんねーな。

  きっと捕まったとしても、ヤクはやってないと言うだろうし、証拠品だって、空閑の母親に隠されちまえばどうにもならねえな。もっと充実した日々を送る事を考えろ。

  「ま、竜牙には気を付けた方が良い。例え竜牙が一方的に確実に悪いとしても、全責任は相手側になすり付けてくる。」

  そこまで言うと、またベンチに寝そべったレオナを置いて、智久はアパートに向かった。

  竜牙と空閑の利害関係はなんだろう。法を犯した家族同士が、お互い円満に暮らせるような関係を保っているのだろうか。互いの罪を知っているからこそ、知られているからこそ、触れないようにしている。

  何にせよ、事情を嗅ぎまわってる俺達は邪魔な存在ってわけだ。あと数年で定年になるだろうし、天下りすんだか、隠居生活を送るんだかは知らないが、罪を告白する気は無いだろう。

  そういう連中が世間の上に、のうのうとのさばっているんだから、居心地が良いわけない。所詮は一般市民の感覚なんて持ってない、ズレた奴らなんだから。そいつらの感覚で物事を進められたんじゃ、たまったもんじゃない。

  なんだか知らないけど、イライラしてきた智久は、ポケットに入ってる携帯を強く握りしめた。 

電源を切ったはずなのに、携帯がいつ震えるのかと緊張した。駅の前まで来て、携帯を出して電源を入れた。しばらくして待ち受けになり、あの後着信がまたあったようだ。しかも同じ番号から。彼氏彼女にしても多いだろうと、胸糞悪く感じた。

  改札を抜ければ、智久の居場所は分からないだろうと思っていたが、その前に電話が鳴った。

また同じ番号からだ。人気がないところまで移動して、電話に出た。そこから聞こえてきたのは、今の感情を逆撫でするような声だった。

  《やっと繋がった~。アハハハハ!!!智久くん、酷いな~。俺が何度もラブコールしてるのに。》

  「要件だけ言え。無駄話はしたくない。」

  《ん~・・・じゃあ~。単刀直入に言うけど、どこまで調べた?》

  正直に言うべきか、嘘をつくべきか、カマをかけてみるか、考えてみたけど、きっと何を言っても同じだろうと判断した。

  《俺がヤク始めた事は知ってる?まだ二回なんだけどね。怖いね、薬って。欲しくて欲しくて堪らないんだよ~。マリファナ・シンナー。モルヒネ・ヘロイン・エクスタシー・LSD・コカイン・MDMA。いーっぱい種類はあるけど、制覇したいね~。》

  「聞こえなかったのか。要件だけを言え。」

  《ガチャ・・・。悪いな。俺から言う。》

  奪い取ったのだろうか、少し乱暴な音が聞こえたけど、まあ、構わない。空閑に変わって、話は淡々と進んでいく。 

  《竜牙があんたの仲間にもヤクやらせるってさ。三人連れてきちゃたんだよね。名前は分かんないんだけど、あんたがリーダーだって知ってる奴だよ。なんか三人いたんだけど、二人は竜牙が刺しちゃってさ、今血ぃダラダラ。》

  ―俺がリーダーって知ってる奴?三人?もしかして、この間会った奴らか?大須賀の事は知ってるだろうし、大須賀と一緒にいた有馬は知らないにしても、大須賀って単語を出せばいいだろうし。

後ろから叫び声が聞こえてくる。竜牙ではない。痛いとか止めろって言ってるから、きっとあいつらだ。

  「で?わざわざ連絡くれたのか。大須賀ん時みたいに、俺を呼びだしたいのか?」

  《違うよ。敵わないだろうし、こっちの居場所バラスのも癪だし。》

  「じゃあ、何でだ?」

  空閑が、電話の向こうで竜牙を抑えといてと、部下か誰かに言っているのが聞こえてきた。

  智久の中で、大須賀の時みたいに不安が押し寄せてくる。津波のように、全てを飲み込まれそうになりながらも、精神を保つことに集中した。

  《竜牙が、改造銃作ったから、実験台にしたいんだってさ。威力がどんなもんかね。丁度いいところに、ガタイのいいのが目に入ったからさ、頼んだんだって。そしたら抵抗されて、刺しちゃったんだって。》

  「・・・。随分なもん作ったな。犯罪だ。」

  《まあ、今は犯罪云々は問題じゃないよ。竜牙が理性利かないもんだから、止められないかもしれないってことを、一応言っておこうと思っ・・》

  ドンッ!ドンドンッ!!ドンッ!

  空閑が言い終わる前に、耳に響いた銃声。嫌な汗が流れ、思わず唾を飲み込んだ。電話の向こうで何が起こってるんだろう。銃声と共に聞こえてくるのは、竜牙の耳障りな笑い声。それと、あいつらの悲鳴・・・。耳に密着させていた携帯に力を入れた。

  《・・・。あ~あ。撃っちゃった。三人とも生きてんのかな~。おい!宗介!あんまり派手にやるなよ!・・・で、どこまで話したっけ?》

  平然と会話を続ける空閑に、智久は爆発しそうな感情を押し殺して耐えた。此処で我を忘れ、感情に振り回されるようなことになれば、相手の思うつぼだ。今はとにかく冷静になろう。血が上った頭を冷やそう。

  智久は空閑に気付かれないように深呼吸を繰り返した。言葉にできない怒りを、口や鼻から出すことで、ほんの少しだけ和らいだ気がした。

  「そいつら、生きてんだろうな。」

  《・・・さあ?知らない。俺が撃ったんじゃないし。責任持てないよ。それにしても、血が飛び散ってて、何か気分悪い。もう此処使えないよ。はあ・・・。》

  なおも人事のように話す電話の向こうの空閑に、今すぐ殴りかかりたかった。そんなこと出来るはずも無くて、智久はただ携帯を握ってる手じゃ無い方の手を、自分の爪が掌に食い込むくらいに強く握りしめた。心臓もバクバクいっている。自分でも分からない黒いモノが、身体を巡ってる。

  ―気持ち悪い。自分も、こいつらと同じ人間なのかと思うと、それだけで吐き気に襲われる。

  《もういいや。場所教えるからさ、こいつら引き取りに来てよ。出来たら掃除もして行って欲しいな。此処は・・・》

  空閑の言い方が、まるで壊れた機械を取りに来いと言っているような気がして、治まりかかった怒りが、また沸騰しそうになった。自分では冷静に対処していたと思っていたが、空閑が向こうで笑いながら、『怒らないでよ』と言ったのを聞いて、声が怒っていたのかと気づく。

  電話の向こうでは竜牙が狂ったように叫んでいて、智久の耳にこびり付いて離れない。ねっとりとしているわけでもなく、印象に残るわけでもない。ただ、不愉快。

  もともと竜牙の話し方は好きじゃ無かった。人を小馬鹿にしたような、見下しているような、或いは、自分の価値しか見えていないような空気を纏っている。肩書きだけで、何の意味も持たない権力の前でさえも、人は気付くと跪いてしまう。それを知っていて、あいつはのうのうと生きているんだ。

  携帯を切って、急いで電車に乗った。改札を抜けるときに、何人かの人とぶつかったけど、そんなの気にしてられない。今なら、電車よりも速く走れるんじゃないかとか思うくらいに、智久は焦っていた。出口に一番近い車両を見極めて乗る。変なところで時間をロスしたくなかったからだ。

  場所は電車に乗って一駅先、駅から約二〇分歩いたところにある、廃墟だった。もともとはホテル・・・それもラブホテルだったのだろうか、優れた防音もしてあった。それに、近くにはマンションも学校も他の工場なども無いため、人の気配がまるでない、そんな場所。

  本当に住所は此処で合っているんだろうかと心配にもなったが、確認も出来ない。ポケットの中で、携帯を握りしめ、目の前に聳え立つホテルのドアに手をかける。廃墟になっているためか、鍵はかかっておらず、力を入れなくても簡単に開ける事が出来た。

  二階建てのホテルの一階を一通り見渡し、足を進めていく。

  智久はどんどん部屋を見て回る。錆びた鉄の臭いが、いたる所から臭ってくるもんだから、トラップにかかったように、色んな部屋に足を踏み入れた。一階の全部屋を見たが、人はもちろん、銃痕も血も見当たらなかった。

  二階に上がって、一番奥の部屋に、微かな声が聞こえた。迷わずにその扉を開けた。

  目の前に広がる光景は、地獄絵図のようだ。この間会った時には、元気に騒いでいて、目も輝かせていた奴らが、身体から血を流して横たわっている。息があるのか無いのかも分からずに、一番手前にいる奴に駆け寄って、膝をつき、声をかけた。声が震えていたかもしれない。

  「おい・・・。おい!!」

  身体を軽く叩いても、目を開けない。頬を叩いても、反応が無かった。智久の中に最悪の状況が浮かんだ。自分の手が小刻みに震えている事に気付き、何度も自分の手を叩く。震えるなと言い聞かせても、言う事を聞いてはくれない。

  智久は今まで何をしていたんだろう。今まで何のために喧嘩してたんだろう。どうして自分以外の奴の責任なんか取れないくせに、喧嘩に巻き込んだんだろう。

押し寄せるのは後悔。纏わりつくのは絶望。聞こえてこない声と、感じられない体温。全てが智久に鋭く磨かれたナイフのように、深く深く突き刺さって来る。

  目の前がちらつく。息が上手く出来ない。身体全身から、ドクッドクッという心音が鳴っているのがわかる。

  他の二人も息があるようには見えなかった。でも、内一人から、微かに咳が聞こえた。

  「大丈夫か!?」

  「はあ・・・っ。いっ、いが・・・らし・・・さ・・・。ゲホッ・・。す・・・すみま・・・せ。」

  「喋るな。今救急車を・・・。」

  そう言って智久が携帯を取り出そうとした手を、握り締めてきた。呼吸が浅い。早くしないと、こいつまで・・・。

  「お・・・俺、も・・・ダメ・・っす。はぁっ、はぁ・・・。なんか・・・不・・不思議っす・・・ね。」

  「不思議?」

  「へへ・・・俺・・・、し、死ぬの・・・なん・・・て、こ、怖・・く、なかっ、たのに・・・。きゅ、急に・・・怖、くて・・・。」

  携帯を出そうとしていた手で、そいつの手を握った。冷たくて、冷たくて。同じ人間の手とは思えないほどだった。

  「もっ・・・もっと、役に・・・た、立ちた・・・かっ・・。」

  フッと力がゼロになり、握っていた手がするりと床に落ちた。ゆっくりと手首を握ってみると、脈は無かった。脈の確認をしたあと、握っていた手をそっとお腹の上に置いた。血が酸化によって黒に変色していき、唇も少しずつ紫になっていく。力無い身体を横にし、息を吐く。

  ふと部屋の隅に、カメラが置いてあるのを見つけた。それを再生させてみると、この部屋で起こった惨劇が映し出されていた。思わず目を背けてしまいそうな映像だったが、智久は食い入るように見入ってしまった。

  空閑が智久と電話をしている。竜牙が改造した銃を数丁、アタッシュケースに所持していて、そのうち二丁を両手で掴んでいる。据わった目をし、怪我をしているこいつらに向かって発砲した。

何回も何回も撃たれ、悲鳴を上げても止めてはもらえない。智久と電話を切ったあと、暴発したらしく、竜牙が自分の腕を押さえていた。そのまま、カメラに向かってピースをし、去って行った・・・。

  カメラを壊そうかとも思ったが、証拠だから、壊すわけにも行かず、壁に八つ当たりした。

そのとき、自分が初めて泣いてる事に気付いた。怒りなんか忘れていた。それ以上の悔しさとか、悲しみとかが、一斉に溢れてきたもんだから、智久の精神が対処出来ずにいるんだろう。

  手から血が滲み出るほど壁を叩きつけて、高まった感情をどうにか抑えようとしている自分がいる。こんなことで治まるわけじゃない。それも知ってるけど、他にどうすればいいのか分からなかった。

  少し落ち着いて、とにかく此処に放置するわけにもいかないと思い、一人ずつ運び出そうと考えていた。

―その後はどうする?こいつらの家も家族も知らないのに、俺は何をすればいい?

  「見終わった?」

  扉にいたのは空閑。加害者でも被害者でもないような、通りすがりのような顔していた。

殴りかかりそうになった身体を、頭が止めてくれた。空閑はガムを膨らましながら、智久の持っているカメラに視線を集中させている。証拠品を残すような真似、竜牙はするかもしれないが、こいつはしないだろう。いつも客観的にしか物事を見ていない。自分が無関係であるかのように振る舞う。それゆえに、どんな状況でも冷静に判断し、対処できる。

  空閑のそういうところが気に食わない。竜牙は、自分が物事中心にいつもいると思っている。まるでスポットライトを浴びている役者のように。だから、その点では空閑よりも他人への関心は高いと思う。加害者であったとしても、被害者であったとしても、中心になっていればいいという考えの持ち主だ。まあ、被害者にはならないと思うが。

  智久がカメラを渡さないのが気に入らないのか、空閑に若干睨まれてる気がする。きっと、智久からカメラを奪う、速くて手間のかからない最良の方法を考えているんだろう。

  身体を動かし始めて、横たわる三つの身体を踏みつけながら、智久に手を差し出した。

  ―ああ・・・、確かに手っ取り早くて、自分の手を汚さないで済む、最良の方法だ。

  まるで自分の足下に転がっているのは、人形、もしくはただのボールだとでも言いたげに、もう息をしていないそいつらの身体で遊んでいる。

  「・・・止めろ。」

  自分でも驚くほど低い声だった。空閑のヘッドフォンから漏れる、何とも明るいラテン系の音楽にも、無性に腹が立った。ニヤリと笑った空閑が、気味悪く感じ、早く此処から出ようと思ったが、身体は動かない。

いや、動いてはいけないと判断した。

  「怒ってんの?こんくらいのことで・・・。そのビデオは流石にあげられないよ。竜牙の親父にクビになられると、色々面倒になってくるしさ。」

  そんなことを言われても、このビデオを渡すわけにはいかない。そう思って、グッと力を込めてカメラを握る。

  パリンッ・・・。

  音がしたかと思うと、カメラが壊れていた。

何があったんだと思って顔を空閑の方に向けると、その手には普通の拳銃が握り締められていた。普通のって、改造銃じゃないってこと。サイレンサーがつけてあったから、音がしなかったのか。

壊してことで、とりあえずの目的は達成出来たようで、拳銃をしまって踵を返す。その時の、竜牙よりも達の悪い笑みは忘れないだろう。

  「あ、そうそう。ついでに教えとくと、この辺の生ゴミの日は火曜と金曜だから。」

  最後にそういうと、首にかけてあったヘッドフォンを耳につけて、帰って行った。

壊れたビデオを片手で握りしめながら、智久は何も出来ないでいた。

頭にキテるはずなのに、殴りたいはずなのに、あの拳銃を奪って、脳天にぶち当てたいはずなのに、脱力・・・。

怒りを通り越すと、こういう感情が待っているんだと知った。焦燥感を運んでくる風が、智久の髪をすり抜ける。

  智久は自分の手に握られているカメラを、力の限り壁に投げつけた。カメラは激しい音を立てて、パキッと音を鳴らしながら、床に落下した。

  ―今、俺はどういう顔になっているだろう。どんな目つきになっているだろう。

  自分でも、眉間にシワが寄っている事も、冷めた目になっている事もなんとなく分かっている。いつもの自分じゃないことは、智久自身が一番良く分かっていた。でも、どうすることも出来ない。




  警察が来るとか、マスコミが臭いを嗅ぎつけてくるんじゃないかと思っていたけど、竜牙と空閑が手を回したのか、全くそういうことは無かった。空閑の兄貴の病院に遺体が引き取られていき、火葬も済ませると言われた。正直、智久自身が捕まろうがなんだろうが、智久達の街に連れて帰りたかった。

でも、智久にはこいつらを葬ってやれるようなラインを持っていない。勝手に火葬するわけにもいかない。家族に連絡を取ろうとしたが、三人とも勘当されていて、両親も兄弟も、今は何処に住んでるのか、全く分からないような状況だった。

だから、申し訳ないと思いながらも、向こうが用意した火葬場で火葬し、骨は拾い、街の隅にある墓に持って行って、供養してくれるように頼んだ。

  最初は、住職も困ったような顔をしていた。三人も一気に、それも親兄弟ではなく、智久みたいな友達とも言い難い人間が、遺骨を持ってくるのだから、当然の反応だ。

  でも、智久がただ『お願いします』とだけ言って、頭を下げ続けていたら、住職も何か感じ取ってくれたのか、承諾してくれて、こいつらのためだけに経を読んでくれた。

智久しかいないから、葬式もしてやれなくて、情けなく思う。

智久が手造りで墓を作っていたのを不憫に思ったのか、小さな墓ではあったが、三つ準備してくれて、ひとつひとつに、立派な戒名までつけてもらえた。

  智久はそういう事に詳しくないから、とても助かったし、粗末な墓にならなくて良かったと思った。住職に何度も御礼を言うと、『あなたは長生きしてください』と言われた。なんて答えればいいのか分からなかったが、首を横に振るわけにもいかず、首を力強く縦に振った。




  住職に頂いた墓に、花を供えようと思い、近くの花屋を見て回る。墓には菊だろうと思い、菊を買った。それからシキミも買った。小さいころに、長持ちするからと、教えられた記憶がある。

  墓場の入り口で水を汲み、墓まで歩いて行く。足が重く感じる。

  墓の前まで辿りつき、水をかけ、花も供える。此処までの動作が終わったところで、線香を忘れた事に気付いた。

  「ま、線香は今度買ってくっから。」

  返事などしない墓に向かって、そう呟いた。

―俺は何をしてるんだ。

怒りの矛先が自分に向き始め、墓の前に膝をつき、拳を土に叩きつけた。あっという間に消えてしまった存在を認めたくなくて、何度も何度も殴り付けた。

  ―こういうことにならないようにと、俺は強くなったはずなんだ。それなのに、この醜態は何だ。幾ら強くなっても、何も守れなかったら意味が無い。

  「・・・何だ。笑いに来たのか。」

  智久は、いつからいたのかは知らないが、後ろで仁王立ちしている有馬と大須賀に言った。

  八つ当たりだ。今俺はこいつらに八つ当たりしている。

  膝についた土を払いながら、智久は立った。ただし、背中を向けてはいるが。自分でも幼稚だと分かっているけど、どこにぶつければいいのか分からないこの感情は、行き場を失っていた。迷っていた。

  「笑うわけないだろ。なんで一人で助けようなんて考えたんだよ、馬鹿が。」

  背中から突き刺さる視線と言葉。爽やかな顔からは想像しにくい、低音の声。有馬は智久の隣まで来て、墓を見た。その後ろでは、何やら焦げてる臭い・・・。振り向いてみると、大須賀が線香に火をつけていた。一束を三等分にして、智久と有馬にも渡してきた。

  「ほら。熱いんだから、早く持てよ。」

  目の前に差し出された線香を、しぶしぶ持って置いた。両手を合わせて数秒、数分かもしれないが、冥福を祈る。

  「なんで此処が分かった。」

  「「・・・。」」

  二人して口を開かない。まあ、誰に聞いたかは大体予想がつく。

  「大方、佳正あたりがお前らに言ったんだろ。」

  あいつはいつもそうだ。きっとどっからか智久の行動を見ていて、結果報告という形で、こいつらに情報を流したんだろう・・・。自分に盗聴器でもついてるんじゃないかと疑問に思う。

  「正直、もっと早く教えてほしかったんだけどね。こうなる前に・・・。」

  有馬が、怒りが籠っているのか分からない口調で言った。でも、内容が怒っているんだから、きっと怒っているんだろう。

  「こいつらも、いつも三人でツルんでよな。五十嵐に憧れてて、追っかけもやってたし。」

  生きていたなら、一発ぶん殴ってやるような内容だったが、それも叶わない。智久達は三人で墓の前に並んで、冷たい風に吹かれながら立っていた。

  「腹減ったな。」

  しばらくしてから、大須賀が言った。確かに智久も減ったし、有馬も頷いたから、有馬の定食屋に行くことで話がついた。こうして三人で並んで歩くのは、すごく久しぶりだと思う。大須賀がいつも話を切り出す。それに対して、智久が軽く返す。最後に有馬が鋭い物言いをする。

  それがいつもだったー・・・。



  

  「有馬!俺、生姜焼き定食!ご飯大盛で!」

  店に着くと、大須賀は厨房に一番近いテーブルに向かって、腰かけた。有馬は有馬で、店に入って一直線に厨房へ向かい、材料を取り出す。智久も大須賀が座ってるテーブルに座って、有馬の料理を待つ。

  だんだん良い臭いが漂ってきて、鼻を横切って行く。

大須賀も智久も、足を組みながら有馬の様子を見ている。本当に器用な奴だ。腕まくりをしていると、いつもは長袖を着ていて見えない腕の筋肉が見える。ああ、細すぎず太すぎず、しなやかな筋肉を身に纏っている。

  変態に聞こえるかもしれないが、事実だ。大須賀も同じことを思っていたようで、二人で有馬の観察をしていたら、有馬がこちらに気付いた。

  「気色悪い。見んな。」

  毒舌を吐いて、また料理を続ける。そんな有馬を見て、大須賀は笑っていた。

  こんな時間だけを見ていると、さっきの出来事は夢だったんじゃないかと思ってしまう。もしかしたら、映画でも見ていたんじゃないかと。でも、それはあいつらに対して失礼だ。あいつらが生きていた事を智久は忘れてはいけない。

  「ん。」

  両手に大きめの皿を持って、有馬がこっちに来た。大盛も大盛。通常の茶碗の三杯から四杯分がよそってある皿を、大須賀の前に並べた。割合がご飯の方が多い気がする。

  智久の前にも並べて、一旦厨房に戻って自分の分も持ってきて、椅子に座る。三人で一斉に“いただきます”をして食べ始める。

有馬の作った生姜焼きは、親父さんのよりも豪快な作り方で、調味料の配合だって適当なんだけど、味は似ている。

  「・・・。美味いな。」

  率直な感想を述べた。大須賀は、中学・高校の運動部の男子生徒みたいな勢いで食べていた。有馬は特に味に関して、ごちゃごちゃ言う方ではないため、黙々と食べている。

そんな中、智久がぽつりと呟いた言葉は、思いのほか店に、というか二人に響いたようで、有馬

が怪訝そうな顔をしている。

  「・・・智久、頭でも打った?」

  「お前、失礼な奴だな。ただ感想を言っただけだろ。」

  「五十嵐って、そういう事言うんだな。意外や意外。」

  一旦止めていた手を、再び動かし始めて食べる二人。大須賀は大口でご飯を平らげる。智久や有馬のと比べて、二倍はあった量のご飯は、瞬く間に無くなってしまった。

  大した会話も無く食事が終わると、有馬がお茶を出してくれて、それを飲みながら休んでいた。

  「智久。ブラックに頼まれたハッキングの事なんだけど。」

  「ああ。なんか分かったのか?」

  有馬が、智久達の食器を片しながら、思い出したように話し出した。そして、食器をシンクに置いて、手を拭きながら、隅のテーブルの上にあった、印刷したのであろう資料を持ってきた。

  「コレ。まだ情報のやり取りをしてるのが分かんなくて、そっちは大須賀に任せてる。とりあえず、警察の方をハッキングしてたら、拳銃の入手ルートが大体分かったから。」

  大須賀が智久達に、明日か明後日には分かると思うと伝えていた。智久は有馬に渡された入手ルートを見ていた。

  あいつらが持っていた拳銃は、やはり警察から横流しされたものだった。正確には、警察の拳銃では無く、外国から密輸された拳銃を押収した、警察が保管してあるはずの拳銃だ。

しかも、あいつらはそれを改造銃にしてしまったのだ。改造銃に詳しい奴がいるか、独学で改造したかのどっちかだろう。

  警察の不祥事は闇に葬られやすい。身内の犯罪に対しては、甘くなると言うか、自分たちにまで飛び火しないようにしているのだろう。そういう事を見逃すから、警察は信頼されないのだ。

  「でも、最近はハッキングも楽じゃない。」

  ―・・・?いや、もともと楽じゃないだろう。なんせ犯罪なんだから。

  智久がそんな事を思っていると、智久の考えている事が分かったのか、有馬がため息をついた。

  「向こうも馬鹿じゃない。セキュリティの質も上がってるし、パスワードとかも頻繁に変えるし、それに、空閑珪がそのチェックをしてる。」

  「空閑が?」

  ―そういや、あいつもパソコンいじってたような・・・いじってないような・・・。

ガムと五月蠅いヘッドフォンのイメージが強くて、頭脳派であることをたまに忘れる。

  空閑はレオナみたいに頭脳明晰だ。パソコンで情報をいち早く手に入れるタイプなんだろうか。頭を使うようには見えない竜牙にしてみれば、とても心強い奴だろう。

  「負けそうか?」

  有馬が反応しそうな言葉をかけてみた。思った通りに、ピクッと肩が動いたと思ったら、智久の方を見て、睨んでいるのか、もとからそういう目つきなのか、目を細めていた。きっと前者なんだろう。

機械が大好きで、十歳のときにはハッキングの知識と技術を持っていた有馬にとって、こういう場面で負けるのが大嫌いなはずだ。

  「・・・。さあね。でも、負ける気はないよ。」

  有馬はそういうと、パソコンをたちあげて、カタカタと始めてしまった。伏線・罠が張り巡らされた道を、一人で武器も持たずに走って行くようなものだ。しかし、有馬はそれを突破するのが好きな奴だ。それを信じるしかない。

  大須賀は、そんな有馬を見てヤル気が出たのか、情報収集に行くといって、飛び出してしまった。あいつは足を動かして情報を得る。その情報と有馬の情報が一致すれば、これほど信頼性が高

いものは無い。

  「じゃ、俺も今日は帰るわ。ごちそうさん。」

  パソコンをいじりながら曖昧な相槌を打った有馬の店を出て、智久は例の男のもとへと向かう。

  「よーしーまーさーくーん・・・。」

  「あれ~?智くんじゃん!俺に会いにきてくれたの?」

  佳正のオフィス?部屋?には佳正以外の人間はいなかった。利堂もいなかった。

  「一人か?」

  「そうだよ。なに?まーくんに用事だったの?」

  「いや、お前に今日の御礼と言う名の厭味を言いに来た。」

  ケラケラ笑いながら、椅子をグルグル回している。こっちが目が回りそうだ。次第に速度が落ちていき、丁度目の前で停止した。必然的に、佳正と目があう。

  「有馬くん、まだだって?」

  「ああ。大須賀が情報集めてる。」

  智久の言葉を聞くと、満足気に笑って、椅子から立ち上がった。そのままガラス張りの窓まで行くと、腕組をしながら街を見下していた。佳正だって、そんなに早く解決するなんて思って無いはずだ。

  「・・・。ちゃんと話したいね。智くんの考えも聞きたいし。」

  そう言うと、智久の方に振り返って、またニコッと笑う。

  広くて殺風景な部屋の隅まで歩いたかと思うと、そこでコンセントを抜き、他にも部屋をグルグル回り、自分のデスクでもゴソゴソやっていた。最後には、いつも着ているコートやら自分の身の回りを漁りだした。

  中心にあるテーブルの上に並べられたものは、紛れもなく盗聴器だった。それに、発信器のようなものもあった。智久も佳正も、一言も喋らずに、それらの機具を壊した。

  全部壊し終えて、テーブルを囲んでいるソファに、佳正と向かい合うようにして座る。

  「いつから気付いてたんだ?」

  「ん~、竜牙たちが徐々に進出してきたあたりだから・・・、二年前くらいからかな?」

  「気づかないふりしてたのか。」

  今まで目を細めて笑っていた佳正の顔が、急に真面目な顔になり、自然と智久まで身が引き締まるのを感じた。

  「どういう風に勝負を仕掛けてくるのかと思ってね。わざわざ俺のとこに潜入してくるような奴だよ?楽しませてくれるんだろうな、と思って。」

  「竜牙たちの存在も知ってたのか。

  「知ってたよ。俺、自分以外の情報網って信じて無くてね。見かけない顔を見ると、すぐに調べるんだ。智くんのときは特例なんだけどね。俺は知ってたよ?智くんの事。」

  「利堂は知ってんのか?お前にバレてること。」

  ふう・・・と息をつき、佳正はソファの背もたれに寄りかかり肘をかけて、足を組んだ。首をグルッと回すと、コキコキという音が聞こえた。そして今度はニヤリと笑って、話を続けた。

  「知ってるかもね。お互いに腹の探り合いをしてるのかもしれない。ま、こんなに堂々と盗聴器やら発信器をつけてんだから、気付いてるのかもね。」

  なんとも全部が曖昧な返答だった。

―それにしても、どうして利堂があいつらの?

  「今、智くんが考えてる事、当てようか?」

  「あ?」

  智久の顔色を見ながら、楽しげに笑っている佳正。佳正には考えを読まれたくはないと思いながらも、佳正がレオナのように勘が鋭いのも確かだ。

  「なんでまーくんは竜牙たちの仲間なのか・・・かな?」

  まさしくそうなのだけど、悔しいから正解だとは言わない。ため息をついて、智久もソファに寄りかかる。良い具合に身体を支えてくれる弾力が、とても気持ち良かった。

  「それはまーくんに聞かないと分からない。色んな説はあるけど、仮説を断言するわけにはいかないからね。」

  そりゃそうだ。結局人の心なんて読めやしないんだ。幾ら情報があろうとも、幾ら説を立てようとも、それが正解であるわけではない。

  



  智久はその日、アパートに帰るとシャワーも浴びずに寝てしまった。汗を流したかったし、髪も洗いたかったけど、そういう気分じゃなかった。

  それに、現実として起こった事を受け止める必要があった。


  智久は今日、人の『死』を見た。

  それは思っていたよりも淡々としていて、

  それは思っていたよりも残酷だった。


  智久は今日、自分の『死』を考えた。



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