ぼくのぶんの空
今年、おにいちゃんは小学生になりました。あつしとおにいちゃんとの部屋には買ったばかりのお兄ちゃんの机が置いてあります。それはピカピカ光っています。
あつしにはお兄ちゃんも机もとてもかっこう良く見えます。お兄ちゃんの机の上にある、ノートや鉛筆はなんだか特別みたい。あつしの持っているものとは違うような気がするのです。それで、とっても欲しくなってしまうのです。
「あつし! おれのケシゴム取っただろう」
ほら、また見つかった。ごしごしこすってもう半分も使っちゃったなんて…お兄ちゃんに言えるわけがありません。
「ぼく、知らないよ」
あつしは口をとんがらせて知らんぷりをしました。ぶたれたくはありません。
「おまえはようちえんだぞ。ケシゴムは小学生が使うんだぞ」
お兄ちゃんはえへんと胸をはりました。なんだか大きく見えます。あつしが胸をはってもかないそうもありません。
「ぼく、ほんとうに知らないよ」
あつしは横を向いてもう一度知らんぷりをしました。
「うそつき!」
-ポカン
おにいちゃんのゲンコツがいっぱつ。あつしの目はみるみる涙でいっぱいになりました。でもここで泣いたらくやしいから、口を固むすびにしてふんばりました。
ここのところ、こうやってあつしとおにいちゃんはけんかばかりしています。あつしはおにいちゃんを怒らせてばかりいるのです。
「もう、部屋を半分にしちゃうからな!」
おにいちゃんはとうとうがまんできなくなって、大きい声で言いました。そうしてビニールテープを持って来ると、部屋の床にずんずん貼り付け始めました。板張りの床に黄色い線ができていきます。
あつしの顔はくしゃくしゃになってきました。
「この線よりこっちに入ったらゲンコツだぞ!」
そう言いながらおにちゃんはどんどんテープを貼っていきます。
「そしたら、ぼく、どうやって外に出るの?」
部屋のとびらは一つしかありません。半分になったら出口はおにいちゃんの方。あつしは外に出ることができなくなってしまいます。
「ゲンコツ一つで出してやるよ」
「ええええ~? ごはんは? おしっこは? ぼく、ぶたれるのいやだよ!」
とうとうあつしの目から大つぶのなみだがこぼれてきました。かなしくて、くやしくて、こわくて、ごちゃまぜな気もちになってしまったのです。
「うるさいな、じゃあ、ジャンケンでいいよ」
おにいちゃんはちょっとあつしのことがかわいそうになって、そう言いました。
「そのかわり、勝たなくちゃ通してやんないぞ」
あつしはうらめしそうにおにいちゃんを見ました。でも、ぶたれるよりはジャンケンのほうがいいから、うなずきました。
「じゃあ、窓はどうするの?」
二人の部屋に窓も一つしかありません。それは黄色い線のちょうど真ん中になってしまいます。
「これも半分だ」
おにいちゃんは、黄色いテープをかべにも貼り付けていきました。そして開き戸を押して窓を開けると、
「景色も空も半分だぞ」
と言いました。
あつしは窓から外を見ると、
「どうやってテープを貼るの?」
と聞きました。なんでもかんでも半分にしてしまうなんて、へんてこりんです。
「あそこの、大きい木から右があつしの空。左がおれの景色と空だぞ。こっちの景色を見たらゲンコツだからな」
右の方だけ見るなんてずいぶんとむずかしい、とあつしは思いました。首が曲がってしまいそうです。と、そのとき、おにいちゃんが
「すげえ! 怪獣だ!」
とどなりました。本ものの怪獣なんてまだ見たことがありません。
「どこ、どこ、どこにいるの?」
あつしはむちゅうで、おにいちゃんの方を見てしまいました。
-ポカン
おにいちゃんのゲンコツが飛びました。
「痛い!」
あつしの目はまたなみだでいっぱいになりました。
「おまえが約束やぶったんだぞ」
「だってぇ、怪獣が…」
「バカ、うそだよ。怪獣なんてほんとうにいるわけないだろ」
あつしはくやしくてしかたがありません。なんとかおにいちゃんをなぐってやろうと、いろいろ考えてみました。でもなかなかうまい考えは浮かんできません。
あつしは目をまんまるにひらいて、じぶんの空を見つめました。何かが見えるかもしれません。するとへんてこなものが見えたではありませんか。
「あ、カニだ!」
おにいちゃんは左の方を向いたまま
「バカ、空にカニがいるわけないだろう」
と言いました。
「あっ、あわふいたぞ」
あつしはむちゅうです。
「へたっぴいなうそつくなよ」
「空飛ぶカニだぞ。空飛んでるぞ」
おにいちゃんはお腹が痛くなるくらいおかしくて笑いたくなってしまいました。ところが
「すごい! 動いてる!」
空を指さして、あつしはいっしょうけんめいに言っています。とてもうそとは思えません。おにいちゃんはとうとうあつしの空を見てしまいました。
「あれ、ほんとうだ…。だけど…、あれ飛行機じゃないのか?」
「あわふいてるもん」
「あれ、けむりだよ。飛行機雲かな?」
「カニだよ。カニだよ」
二人の目は動くものを追いかけました。そのうちその不思議な物体はどこかに行ってしまいました。
「あれが空飛ぶえんばんかな?」
おにいちゃんが言うと
「あれが空飛ぶえんばんかな?」
あつしもくりかえして言いました。
と、そのうち空がだんだん赤い色に染まってきました。
「すごい、太陽が落ちそうだ」
あつしの空も、おにいちゃんの空も、まるで燃えているようです。太陽はうるうると真っ赤です。
「あそこは水色だ」
灰色と水色と白とオレンジがまざりあったり、はなれあったり、むらさき色になったり、どんどん移り変わっていきます。まるで空ぜんぶが動いているようです。
そして、オレンジ色はだんだん地面にすいとられるようにすこしになって、あたりは薄暗くなってきました。
あつしもおにいちゃんも、空にのみこまれるような気もちになりました。それは劇場の幕がしまる時みたい。息をのむ舞台でした。
「すごいね」
「すごいね」
二人は顔を見合わせて、ふっと息をつきました。
―パチ、パチ、パチ
拍手、拍手。空はもうすっかり暗くなってしまいました。
「ごはんよ!」
おかあさんの声です。
思い出したように、お腹の虫がグーと鳴きました。二人は元気よくキッチンに向かいました。
「あわてない、あわてない」
おかあさんが笑っています。
その時、テーブルの前でおにいちゃんがいきなりふりむいて、あつしにゲンコツを出しました。あつしは、ハッと思いました。
「ごめんよ! いそいだから、ジャンケンのこと忘れちゃったんだよう」
あつしはしょんぼりしてしまいました。するとおにいちゃんはパッとゲンコツを開きました。
「これやるよ」
「すごい怪獣のケシゴムだ!」
あつしはうれしくなって、それをすぐにポケットにしまいました。
「ほらほら、早く手を洗っていらっしゃい」
おかあさんがこわい顔でにらみました。
「はーい!」
二人ぶんの返事が、家いっぱいにひびきました。