表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

手形

作者: 豊島修二

古びた映画館の真ん中。

大きな目を更に見開いて、スクリーンを見つめる。他に客もいない映画館で、その男、金木は泣き出していた。




金木は、今年で50歳になる。金融業を営んでいる。世間ではいわゆる闇金と呼ばれる種類のものだが、金木に言わせると月に二割程度の利息はひどく良心的で、こんな優良な使いやすい闇金は無いのだそうである。

金木は再婚した女房とその間にできた、今は高校二年生の息子がいる。毎日大宮の自宅から、池袋の二坪くらいの小さな事務所に出勤する。社員などと言うものはなく、一人で電話を受け、自分で面談し金を貸し、小切手を預かり期日になれば銀行に回して回収する。


しかしいくら良心的な闇金と言っても、月に二割、年率にすれば240%の高利だ。払いきれない者も少なくない。独立してから10年、毎年5社ほどが金木の振り込んだ小切手の為に不渡りを出して倒産した。倒産すると分かっていても小切手を回すのは、利息の積み重ねで以て既に元金まで到達している者がほとんどだ。たまに例外もあって、まだ元金の回収も覚束無い客が決済不能になると、金木も俄然いそがしくなる。


その日も金木は、債権回収の為に杉並区を訪れていた。駅前こそ商店街などで人通りもあり賑やかなここ高円寺だが、少し歩けば閑静な住宅街に様変わりする。まるで平安京の様に整然と建ち並ぶ住宅のひとつに、金木の債務者がいた。金木は毎日不定期にその家を訪れ、期日にも関わらず小切手を依頼返却したのに、その後全く利息すら払わないのはどういう訳だと、金融屋の理屈を振り回す。事業に行き詰った客は、次の入金で決済するからと、払えない債務者の言い分で応酬する。


遂に債務者の妻の兄を保証人にする言質を取ったが、兄に意思確認の電話をすると保証するくらいなら肩代わりしてやる、と全額を払う事になった。思わぬ所から全額回収となったが、その客は不渡りを出した。金木が再び回した小切手が原因である。兄に払うと言われて、何もしないで待つ金融屋なんかいない。待つ事は待つが、小切手を振り込む。午後二時五十五分までに着金が確認できれば依頼返却をする。払いが確認できなければ、そのまま不渡りだ、と告げた。黙っていても回収できそうだったが、より100%に近づけるのが金融屋である。

兄は全額を金木の口座に振り込んだが、時間の関係で翌日扱いとなり金木は約束の時間に残高確認ができず、当然小切手返却の依頼をしなかった。


翌日になり兄からの振り込みを確認した金木は、全ての債権書類を持って七回目の高円寺駅に降り立った。梅雨の明けた日差しは眩しく、トレードマークのサングラスが無ければめまいを起こしそうだった。薄い茶色のダブルのスーツの上着を片手で背負い、大きな腹を揺すりながら金木は昨日までの債務者宅を訪ねた。

払ったのに不渡りにするなんて!と、客は激昂した。金木は内心、自分で払った訳でもないくせに、と思ったが、半狂乱の夫婦に債権書類を返し、時間差があったんだから仕方ないだろう、当座なんて一分でも過ぎりゃ不渡りになるのは当たり前だ、なあにまだ片目じゃねぇか、半年すりゃあ消える不渡りだ、まあこれからしっかりやるさ、と金融屋の口上を並べて抑え付け、軽くなった鞄を小脇に高円寺駅を目指した。


こりゃ下手すると警察か弁護士だな、面倒な事になりそうだ。また事務所を移すか、などと考えている内に、じわじわ浮き出ていた汗は大粒になり、まるで水でも被ったかのように体を濡らし始めた。どうもこのところ体調が良くない、太り気味と言う以外これと言った病も無く、体調不良の原因は判らなかった。


女房は、今までパパが潰してきたお客さん達の思いが積もってきたのに違いない、もういい歳なんだし金融はやめろ、と言う。確かに闇金を10年もやれば、今後一生働かなくとも食っていけるだけの貯えはある。大宮の自宅も現金で購入し、担保はついていない。息子も18だし、就職するにしろ大学に行くにしろ、もう大概のこたぁ自分でやるだろう。やめても困りゃしないとは思うものの、する事が無くなるとすぐに老け込んで死んでしまうような気がする。なかなかやめられないでいるが、今日の体調の事もあり、やっぱり潮時かな、と呟いた。


金木は鞄からタオルを取り出し、大粒の汗を拭い、涼を求めてたまたま目に付いた映画館に入った。

そこはどうやら成人映画の、封切館のようだった。小窓から半券を出した手がイヤに青黒く、大きな指輪から老婆と知れたが、これじゃあまるで妖怪の手じゃあないかと早くもわずかな涼を感じた。

重い扉引き開けて中に入ると、画面の半分近くも黒塗りされた、妙に片寄ったスクリーンで女の乳が揺れていた。ふん、小ぶりだな、と呟いて金木は客席のど真ん中に陣取る。音声はあくまでも大きいが、客席には人っ子一人いやしない。入った時には電源を切ろうかと思ったポケベルも、俺一人なら構うもんかと、そのまま着席したのだった。


シーンは変わって初老の男と中年の女が、どこかの川沿いを歩いている。背後からのカットの為、顔は判らないが金木には特別の興味もない。涼みに来ただけであるし、ピンク映画にも関心が無い。第一、見るのも初めてだ。近頃は貸しビデオ屋なる新商売が流行りだし、ブルーフィルム並みの無修正もVHSで見る事ができるようだが、金木にはやっぱり関心が無い。

元々見るよりはヤりたいタチだからであるが、加齢とも相俟って年々ご無沙汰のスパンが延びてしまっている。若い頃は随分無茶もしたもんだがと心の中で、もうダメだよなあと小声で口に出し、目を閉じた。


昼寝をするつもりである。先ほどの初老を相手に中年が川沿いで大音量の喘ぎ声を上げる真ん中で寝るのもどうかとは思ったが、疲れてもいて眠れそうな気がした。実際、少し眠ったようである。聞き覚えのある声で金木は目を開けた。依然映画館の中だし、他に客がいないことにも変わりはない。その声は、スクリーンからである。

どうせエロ映画である。筋書きなんか気にしてはいなかったが、声の正体確認の為に気をつけて観れば、どうやらサラ金規制法以前の、いわゆる「サラ金地獄」を描いたものらしい。



昭和57年までは金利の規制もなく、それこそ青天井の利息が飛び交っていた。自営業ばかりでなくサラリーマンにも金を出す「サラ金」が登場し、そのキツイ取立てから自殺者が増加し社会問題になった頃の話である。

昭和58年に「貸金業の規制等に関する法律」という長ったらしい名前の法律が施行され、世間では「サラ金規制法」と呼んでいる。あれから9年近く経つが、なに実態は大して変わりゃしねぇ。以前のやり方を「闇金」と言うくくりで呼ぶ事になったのと、ばれれば警察に引かれる事くらいだ。俺の金融人生の後半が「闇」になっちまったのも、この法律のおかげと言う訳だ。いまいましい。


嫌な映画の時に入っちまったな、と思ったが仕方ない。さっきの声は気になるが、大方汗も引いたし、そろそろ出るか、と腰を浮かせた。と、その時、またあの声が聞こえた。スクリーンを見ると声だけじゃない。顔も知っている女が、借金の利息代わりに下着を引きちぎられている。どういう訳か今は無修正で、勃起したものが肉壁にめり込んで行く様が画面に大写しになる。女は、いやサカガメ工業の女房は両目から涙を溢れさせながら、そばで何もできない亭主の坂亀に手を伸ばす。


画面は急に変わって、夫婦は海を臨む断崖に立っている。女房の腹は、でかい。何の説明も無いが、金融屋の子供に違いない。坂亀がしきりに女房に詫び、女房は首を振りながら両の手で亭主の手を包み、手に手を取り合って海に落ちていく。

何だよ、夫婦でエロ映画に出たのか?いや俺が会ったのはもう随分前の事なのに、二人共やけに若いな。あの時のまんまじゃねぇか。それより今の身投げのシーン、どう見ても作り物じゃねぇ。本当に落ちているとしか、思われない。何だよ、この映画。


画面は突然変わり、暗い空っぽの倉庫で四十絡みの男が梁をかけている。後ろ姿からもその憔悴した様が感じ取れる。くくりつけた縄の先で丸く輪を作ると、男はそこに自分の頭をくぐらせ、乗っていた脚立を蹴った。縄に荷重が加わりその重みでグルンと回ってカメラを向いたその顔は、練馬の運送屋の社長だ。五月田さつきだと言ったっけ。俺が死体を見つけたのは、するとこの翌朝か。朝駆けの取立てで気合を入れて行ったら死んでてよ、第一発見者として警察に連れていかれ、金融屋だと分かって随分絞られたな、あん時は。


ストーリーも何もなく、スクリーンは淡々と次の映像を映し出す。


今の金木と同年代の女が、後ろ姿の金融屋にすがって泣いている。金融屋はモノも言わずその女を突き飛ばして、奥にいるセーラー服に近づき髪を掴んで引きずると畳に叩きつける。さっきの女はセーラー服の母親だ。やめてくれと追いすがるのを今度は蹴飛ばして、金融屋はセーラー服に手をかける。

なんだ、これは駒込の飲み屋の女将じゃねぇか、娘までこんな役で....。いや、しかし明らかにこりゃおかしい。いやいやそんな筈は、いやこりゃ有り得ねぇ。あん時は娘が抵抗するもんだから横面張り飛ばしてやったら唇が切れちまって、その血を見ながら変に昂奮したっけな。

すると画面では、金融屋が少女に平手を食らわせ、その桜色の小さな唇から一筋の赤い糸が流れる。


金木は唇を半開きに目は皿にして、スクリーンに食い入っている。ほどなくその眉は曇り始め、口は曲がり始める。

画面の金融屋はコトを済ませ少女の乳房からようやく手を離す。白い少女の小さな胸には、金融屋のゆがんだ手形が赤々と残っている。

ベルトを直しながら立ち上がり母親を振り向く金融屋の顔が、遂に画面一杯に広がる。


あ、あ、あああああああああああああああああっ!


金木は声の限りを上げ、猛烈な勢いで立ち上がった。




高円寺の工務店夫婦は、金木の懸念通り警察と弁護士に相談した。警察は事実関係の確認の為、事務所に金木を訪ねたが、もう何日も不在のようだった。金木と言う名が、金融屋としての変名である事も分かったが、ではどこの誰なのか、捜査は全く進まずにいた。事務所すら金木の客の名義であり、警察がその名義人を訪ねると、もう2年ほど前に自殺した印刷業の社長だと判った。事件性があるのか無いのか、警察内部でも多少の議論にはなったが、所詮は民事として捜査は短く打ち切られた。


金木と名乗っていた男の家族は、突然行方不明になった「パパ」を案じ、地元の警察に捜索願を出した。しかし「何か情報が入ればお知らせします」とだけ言われた「金木」の家内は、納得がいかないながら警察を後にするしかなかった。金融屋の金木を探していたのは杉並警察署、捜索願が出されたのは大宮警察署であり、家族が池袋事務所の所在地すら知らされていなかった事もあり、両件は全くつながることなく無関係なものとしてそれぞれにすぐに行き詰まり、やがて忘れ去られた。


高円寺の平和劇場は昭和29年に開業し地元唯一の映画館として親しまれたが、平成3年に閉館された。これにより高円寺から映画館は消滅し、その最後の客らしい「金融屋の金木」の行方は、平成27年の現在に至るまで分かっていない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ