離婚記念日~調停離婚のススメ〜
1.プロローグ
ワタクシゴトですが…
結婚はすぐできるけど、離婚は大変…とよくいいますが…事実です。
職場では離婚した子持ちの女性をよく見かけます。
再就職が難しいのです。
そういう人のくる場所・・・福祉施設。ここで今働いています。
短期バイト⇒パート⇒派遣⇒たどり着いたのは福祉の世界・・・。そんなもんです。
やっと正社員になりました。年収は最低ライン。
でも子供の学校が上になってくるたびに正社員じゃないといけなくなるんです。ここまでに結構努力もました。職も点々としました。
女が主婦から返り咲くのはなかなかまだ難しい世の中です。
離婚しようとしている方・・・もう一度立ち止まって考えてみましょう。
子どものことを考えましたか?
うちの子供たちも見た目も言葉にも出しませんが複雑な思いでいるようです。
私も離婚して10年経ちました。(今日が離婚記念日です)
幼い子供達を抱えて様々な経験、苦労もしてきました。長くてつらい10年でした。
『記念という事で』(ていう事も無いんですが・・・)
これから離婚しようとしている方、したくないけどその方向にいきそうな方のために
体験談を記したいとおもいます。
2.馴初め
誰しも結婚当初はラブラブですよね?
私達もご多分にもれず・・・大学で出会ってまだ二十歳。
『この人が運命の人』って思いこんだのかな。
愛し、愛され幸せでした。
こんな恋愛を1度味わえたのだから良しとすべきなのかもしれませんが、
終わり悪ければすべて悪夢です。
愛する人が【敵】になる瞬間・・・地獄に堕ちた気分でした。
彼はB型、亭主関白でリードしてくれる今では化石化した肉食系男子(笑)でした。
友達にも優しくリーダー的存在。私は私で300人のクラスで女子は1割。私の人生たった一回のモテキでした。
その中で彼を選んだ理由…顔は昔のマッチさんみたいで・・・頭がよく、わたしが困っていた時にすっと救いの手を差し延べてくれたから…。
4年の交際を経て結婚することになります。
大学時代はほぼ彼と共にあり、合コンも恋愛ゲームも無く・・・ひたすら彼との思い出しかない大学生活。
その間に卒業、就職活動、就職をお互い助け合いながら乗り切りました。
卒業式には結婚の意思を固めて、人生たった一度の卒業写真を彼と共に撮りました。
(その後私の母によって切り刻まれてしまいましたが)
当時、彼の事は本当に好きだったなぁ~と思い出せます。
未練…とは違う、自分自身を振りかえって本当に人生で一番幸せな数年間でした。
好きな人と相思相愛で結婚できたのだから…。
その後の私達は世に言う典型的日本人の・・・統計学にでてくる一般サラリーマン家庭でした。
私もそれを望んでいたし、仕事好きでなかったので専業主婦としての暮らしは私にとって理想的な形なのかしら?
時代はバブルが終わろうとしていた頃、
共稼ぎで1年半を経て第1子妊娠、出産・・・福岡転勤と共に会社を退職しました。
3.知らない土地での新婚生活
転勤族って結構辛いのよ!少なくとも私にとってはきつかった。
何年かごとに新しい土地で子供の事やら全部探し直し。
それに『社宅』
お隣さんが上司だったりするわけで…。うちは特に子供が同い年でも親御さんはみんな年上で上司の子供さん。そんな環境で気を使い、擦り減らし、気候も風土も違う環境で暮しました。
案の定、ママ友はみな上司の子供でした(笑)お呼ばれしても本当に気が気でなかった。
社宅は築30年以上のしびれる位古くてボロイ団地。
第一子の公園デビュー、ママ友、慣れない土地での子育て・・・。旦那の愛だけ頼りにしていたのに…。
旦那は忙しいので・・・話す時間も無い。飲み会続き。ただただ一人で我慢するだけの日々。
でも会社が近かったのですぐは帰ってきたけど。
知らない土地での初めての子育て。本を片手に必死だったと思います。
子供(上の子)の性格もあって社宅中からの苛めは辛くてとにかく東京に転勤になる事だけ考えて6年…。その間に2人目の子供を出産しました。
博多は夏は暑く冬は雪が積もるところで住みやすいとはいえないけど…食べ物はおいしくて、いい意味の地方らしさが残る街でした。
いたときは辛いことが多かったけど・・・思い返すと今はただただ懐かしく、職場でもつい博多弁を使ってしまいます。言葉が柔らかい気がして人を注意したりしても嫌なカンジを与えない気がします。
この間子供たちと博多を訪ねる旅をしてきました。ここで生まれたんだよっていうのを教えてあげたかった。
この間に生まれた2人目の子供に関して悲しかったことがありました。
思えば亀裂が少し入った最初の瞬間だったのかもしれない。
一人目は女の子は旦那にそっくりな肉食系男子(ほぼ女の子ではない)
私とは日々バトルのようなのような子育てが続いた。
他の子供との喧嘩。周りの同級生はみんな上司の子供だからひたすら頭を下げる日々。
2人目が女の子だった事で生んだ時もガチで嫌な顔…その後も可愛がることなし。そうなれば子供もなつく訳がない。どんどん旦那と下の子との距離が広がるばかり。
男の子が欲しいのにできなかった・・・言葉にしなくても責められているカンジがした。
子供の性別は女が決めることではないんだけどね・・・。
世間的には女腹とか言って女が悪いことになりやすい。おかしな話。
下の子が肺炎で生後一か月で入院したときもただただ面倒くさい・・・という態度で冷たかった。
私は下の子供が不憫でとにかく可愛がってしまいました。上の子にも可哀相なことをしたと今は反省…。
6年の赴任をへて東京に帰れる事になりました
4.亀裂が広がる・・・
福岡転勤を解かれて東京の世田谷の社宅にきました。相変わらずのジビレる古さ…トイレが和便・・・ありえへんがなっ!…で旦那は本社勤務ではなく立川支店…すごく遠くて辛かった様子。
朝は5時起き夜は日付が変わった1時位。私は子供のお弁当作りや習い事の付き添い、
幼稚園の送迎等ほぼすれ違いで会話のない生活が始まった。
最初は寝ないで待ってご飯や晩酌の付き合いをしていたけど、最初は「ありがとうごめんね」なんて言ってた人が、ある時「そういうの重いから先に寝てて」と言われてしまう・・・またまたぴりっと亀裂。
それから子供を寝かしつけてそのまま寝てしまうようになる。
深まる溝…まったく旦那の生活と私達家族の生活の接点がなくなる。
離婚秒読み2年前・・・坂の多い車で移動しにくい世田谷のため、私の服装は大好きなピンクハウス系から動きやすいジーンズに変身!
「お前は服装に気をつけなくなった(軽蔑の眼差し)」と言われるようになる。
日曜日のヤツろいえば、家族に興味を示さず朝から晩までTVゲーム三昧。
文句をいうと「働いてないくせになんだ」と専業主婦になって欲しいと言ったくせに
「働いていない女は駄目だ、怠けてる」って言われた時はさすがにキレました。主婦を舐めるな!
5.すれちがい
そこで・・・働く事を考えるようにはなったけど世田谷のお土地柄や社宅や幼稚園のお付き合いもあり働く環境にはなかなかならず、実家の近くに家を買って親の側でいれば働けるのではないかと考え始める。
旦那は立川なので家の購入に反対、喧嘩…口を尚更きかない日々。
更なるすれ違いが大きくなったきっかけは下の子のノロウィルス感染。夜中に三鷹まで救急搬送・・・点滴施行。6時間かかるので私は泊まりこみ…ついでに私も感染。
お腹ピーピーのまま看病…後からきた旦那は「お前まで具合悪そうな顔すんなよ」…あまりな言葉。
またキレた私。なんのいたわりも優しさもそこにはなかった。病院内で大声で言った。
「あんたは家にいないから感染しないんだろうが!私は看病して感染してんのに・・・。
手伝いもねぎらいも優しい言葉もないんかっ」と言ってしまいましたよ。このおとなしい私が…。
5.避けられない事態
離婚秒読み1年前…上の子の運動会。参観しててもメールばかり。
しまいにはタバコ買ってくると言って2時間帰って来なかったり。
夜中にコンビニ行って1時間帰って来なかったりしはじめる。
明らかに『おかしい態度』を示すようになる。
おかしいと思った時・・・女は着実に・・・『います!!』
でも、最後までメールチェックはしませんでしたが、明らかに女がいるな…と私のオンナの勘がピーンときてしまいました。ただ家庭は壊さないだろうとタカをくくり『最後は私のところに戻ってくるだろう』なんて根拠もない自信があり…見て見ぬふりをしたのが間違いでした。
7.悪夢の始まり
おかしな行動が始まって3ヶ月たった頃、ボチボチと家に帰って来なくなる。
理由は・・・『忙しくて残業してた。疲れたから会社に止まる』、『飲み会があって終電会社逃した』とかハッキリ言って、まったく信じてなかったんだけど。
黙って『身体、大丈夫?』とか言ってあげてましたね。う・・・健気。
だんだんと頻度が上がってくるとさすがに喧嘩。
『もうそんな会社辞めちゃえ』とか言ったり、その頃、ダブルベッドに寝てたんですが、無呼吸症候群がすごくていびきが止まると起こしたりしてわたしが寝不足で機嫌がわるかったのもある。
本人にも「無呼吸だから医者に行った方がいい」と言ったら拒否。
「俺にそんなヒマねぇよ」「危ないから頼むから言って」と下手に言っても無視。
結局、子供部屋に私は寝床を移し寝室を分けた。家庭内別居状態。・・・・どんどんと悪循環に落ちていく。
私は普通に話かけてもまったく無視するようになり私の誕生日の1週間前会社に出かけたまま・・・帰らなくなる。
8.まさかと・・・もう一回信じたり
帰ってこなくなって1週間・・・黙って様子をみる。私の誕生日普段と変わらず家事をし、子供と過ごす。
7月も半ばになってなお帰ってくる気配無く、まず会社に電話。
会社からも逃走したかなっと思った。いわゆる夜逃げかな…って思って。しかし…会社には出勤してた。
生きる糧ですし…大手建設会社社員の肩書きも捨てられなかったのでしょう…ね。
家族は捨てられるけど。
事務のお姉さんがでて「〇〇の家内ですが出社してますか」って聞いてみた。
「ええ、いますけど代わりますか」…と。
考えればおかしな質問ですよね。
「いえ、直属の上司の方に代わっていただけますか?」と返事をした。
上司の部長さんと話し、
「うちの〇〇なんですが、会社に泊まってると言って帰らなくなったんですけど
そんなに仕事大変なんですか着替えとかもとりにこないのですが…」と率直に話す。
やんわり心配してる妻・・・風な話しをした気がする。
「うちの会社は夜はセキュリティーが入るから泊まれないんですよ。」
上司の方は私を不憫に思われたのか、少しうちの旦那の行動などを探り、部下を使って聞き出してくれると約束し電話を切り終了。紘矢って疑問は核心になる。信じていた自分が馬鹿だった。
この後・・・1ヶ月いろいろ考えました。
どうしてこうなったか今、何をしたらいいのかこれからどうするばいいのか…。
あぁ…この間の『家政婦のミタ』見ながら思いだした。あの時このお母さんみたいに死んじゃおうか…とか考えたなって。私は昼間子供たちと普通の生活を営みながら、夜はとにかくいろいろ考えては酒飲んで泣いたりした。
とにかく精神ボロボロ。この頃流行ってた花*花の『さよなら大好きな人』を歌って夜中に泣いたりしていました。
このままの状況が続くのは嫌なので、会社に電話し、家に『これからの話がしたい』と呼び出しました。
このままじゃ何の進展もなく放置されるのはたまらないから・・・。奴はわたしたちとどうしたいかも言わず、ただ逃げただけだから。
元旦那との闘争の闘いの詳細を書いていきます。
9.対局 初戦!
まずは家で二人だけの話し合いをした。まず理由を聞かなければ納得できない。
その日は日曜日、土用の丑の日なので鰻を用意して帰ってくるのを待つ。
夕方、ヤツは帰ってきた。見たことのない普段着・・・。
今までスーツから普段着まで服に興味なないヤツのコーディネートをすべて私がやっていたため、私のコーディネートではありえない服装なのにすぐ気が付いた。
子供とは目を合わせず一言も話さない。
子供たちは何も知らずいつものようにワアワアとはしゃぎまわって疲れて早々に寝てしまいました(狙い通り)。
ここから私とヤツの戦いの幕が開けた!台所の床に座りのみながらこととの経緯をヤツに聞き始め
私: 「どういうこと?何したいの?」と・・・
すると唐突に
ヤツ: 「離婚してほしい」
私: 「は?」 なんでそうなるわけ?
理由も何にもなくてこの状況になぜなったかも説明しないでなぜ離婚?ありえな~い
どうしてこうなんのよ?!
理由を聞きました。
私: 「どういうことよ。今の状態って家出してるわけ?」
ヤツ: 「おまえのすべてが嫌になったんだよね」
私: 「なにそれ・・・嫌になったて何よ」
私: 「子供もいるんだよ。そんなあいまいな理由で離婚できるわけないでしょ」
ヤツ:「・・・・・・・」しばらく沈黙・・・
ヤツ: 「お前、重いんだよね」
私: 「は?」アホかこいつ
私: 「具体的にどういうこと?」・・・と冷静を装いつつ聞いてみる。
ヤツ: 「帰ってくるのを待っていられるのも嫌だし、帰ってきてもギスギスしてて・・・オレの居場所が ないんだよね。この家にいても落ち着けない」
私: 「自分の部屋がほしいってこと?」うちのどこに部屋を作れっていうんだ?
こんなに狭くて古い社宅で・・・今でも自由にしてるじゃん。
土日は買い物以外ゲーム三昧で家事も手伝わないし、子供とも遊ばないし。
・・・と思いつつ冷静にしようと自重しながら
私: 「部屋も作るし、私も待たないし、嫌なとこは直すように努力するから、もう帰ってきてよ。
やり直そうよ。子供たちのためにも・・・ね」
ヤツ: 「もう家も借りたんだ。帰る気はない」
ヤツ: 「はっきり言ってお前の顔も見たくない」
私もはっきり言ってキレた 『ドカーン』頭から大噴火。
私: 「何が気に入らないのよ。こんなに変えるって言ってるのに・・・どうしてなのよ」
酒もどんどん進む
ヤツ: 「結婚してから太ったし・・・」・・・は?あんたの子供産んだから産後太ったんやろ?
ヤツ: 「子供、子供って、話は子供のことだし」・・・当たり前だろお前の子供じゃあまえてんじゃねぇよ
私: 「でも会社でつらそうなときどうしたの?って聞いてもお前にはわからないって話してくれないじゃん」
ヤツ:「お前に会社のこと話してもわかんねぇよ」・・・わかるわけないじゃん。そこに勤めてないし…
私: 「だって子供のこと相談したいじゃん。幼稚園のこととか、習い事のこととか」
ヤツ:「どうせお前が決めてるじゃん」
私: 「相談しても、『好きにすれば』って言って話に応じてくれてないじゃん」
・・・・などなど押し問答が続き・・・
ヤツ:「お前の作る料理嫌いなんだよね」
私: 「は?」10年食ってていまさら?
ヤツ:「それにデカイ女は嫌いだし、かわいくないし」
私:「は?」結婚当初から身長161cm(普通だし)変わってないし
身長170cmないおめぇがちっこいんだろ?いまさら『お前がデカくて嫌い』だぁ?
いいかげんにしろよ
ヤツ:「だからお前の顔を見るのも嫌だし、帰る気ないから」
あきれた、マジあきれた。ここまで私をコケにするのか、一息ため息をついて怒りをこらえて一言。
私:「子供・・・どうすんのよ」
ヤツ:「いらない。お前が連れて行くんだろ?」
私:「なにいってんの?子供は犬や猫と違うんだよ。お父さんいなくなっちゃうんだよ」
ヤツ:「かわいそうとは思うけど・・・俺はいらないから」
「自由になりたいんだよね。家族とかさ、重いんだよ。若い時からさもっと
遊びたかったんだよ。なのに子供がいたり家族がいたりして遊べなかったから
家族いらないんだよね」 それは私も同じだよ。
大学の同級生で結婚するために働いてお金ためて一緒のゴールに向かって頑張ってたんだもん。同じだよ。
私:「・・・で私だけに家族押し付けて自分は自由になるんだ」
ヤツ:「自分が自由になりたかったら子供、施設にいれれば?」
・・・・あきれた・・・何回こいつは私を呆れさせるんだろう・・・
私:「子供の幸せは考えないの?自分の子供でしょ。責任はあんたにもあるんだよ」
ヤツ:「・・・・」
私:「じゃあ子供を私のおなかの中に戻してよ。私は2人の子供しょって10年も専業主婦だった私がど うやって子供養っていくの?」
ヤツ:「実家帰ればいいでしょ」
私:「は?」うちの両親はもう年金暮らしだぞっていうか自分を棚に上げて
勝手にうちの両親を当てにして・・・それにてめぇの親は見て見ぬふりか?
こいつは自分の今の感情だけで行動している。私も子供もうちの両親も巻き込んでも平気で責任を押し付けている。情けない・・・30歳過ぎた男がこのアホな考えでよく会社にいられる。
痛いところをついてみた。
私:「女いるでしょ」
ちょっと目が泳いでいる。
ヤツ:「いないよ。お前が嫌だから家を出たんだし・・・」
そんなはずはない。こいつは自分ではなんにもできない。
この男は何もできないし、何も決められないのだ。特に日常のこまごました手続き系の事務はできない。
アパートを借りるとか、日用品を買うとか、家事とか・・・私が全部やらされてなにひとつできない男なんだ。誰かいないと、誰かにあおられないとこんな大胆な行動に出れない。
私の中にはヤツの後ろの女の存在に半年前から気が付いているというのに見え透いたウソをついているこの人をほとほと情けなく思う。でも子供のためにはこの人の存在は必要なのだ・・・と思い直しプライドを捨ててお願いしてみる。
私:「お願いだから冷静になってもう一度、両家の両親の前で話し合いましょう」
・・・・そして翌日ヤツは帰っていった。
初戦はこうして幕を閉じた。
10.第2局 下調べ・地固め
東京の夏は暑い!
環八の歩道を渡るとき、蜃気楼が立ってゆらゆらとしているのを見ると余計暑さが増してくる。
子どたちを自転車の前後ろに乗せ、節約のため図書館や公民館に入り浸りながら本を読んで勉強する。
これからどう戦えばいいのか・・・調停とはどんなものなのか。
社宅の子供会で夏祭りがあった。上の奥さんとしんみり話す。
上の奥さんは旦那さんの故郷の名古屋に帰るとのこと。ずっと病気の旦那さんを抱えて頑張っていた人だった。その時はぜんぜん事情が分からなかったのだが、お互いに同じ幼稚園に子供を通わせ
雨の日などシェアしながら子供を送ってもらったりしていた。お互い頑張りましょうと言ってその夏の終わりに名古屋に旅立っていった。
その後うちが実家に帰った後連絡を取るとその人の旦那さんは会社(本社の営業さんだったらしい)でいじめにあい、机を廊下に出されたり書類や私物を捨てられるなどのパワハラにあい、鬱病になって会社に行けなくなっていたのだという。
つらい立場だったのに黙って笑顔でふるまっていたんだな・・・後になってから「お互い頑張っていたね」と慰めあった。
その方は名古屋で旦那さんも治療をしながらその後3番目のお子さんも授かり
幸せそうだったので、年賀状を見るたびに幸せであってほしいと願わずにいられない。
我が家はというと・・・・私は興信所に電話していた。
ドキドキしていたが、タウンページでどこが信用おけるのかわからない。
とりあえず一番トップに描いてある所に電話する。年配の女性が応対してくれて今までの経緯を話す。
「それは絶対女がいるわよ」と電話口でいう。
「証拠をつかまないと調停で有利に運ばないわよ」
自分でも女がいるとはわかっていたけれど、改めて他人から言われると心に響くもんだな・・・と苦笑い。まずヤツがどこに住んでいるのかを調査してもらうことにした。
調査は1日2日くらい。50万くらいだったと思う。
私には結婚前に働いていた時の蓄えだった。いつかは社宅を出て実家近くに家を買おうと思っていたので
一生懸命ためていたのだ。ここで使うことになろうとは…。
派遣されたのは中年の男性、ちょっとうさんくさい(笑)。
その人に旦那の写真と会社の情報前金を渡し調査が終わったら半分を銀行振り込みだったと思う。
駅前のドトールで打ち合わせをしたのを覚えている。その頃は母も手伝いに来てくれるようになっていた。私は子供を預け人生相談やら弁護士さんに相談やら、興信所やらと打ち合わせしたり精力的に動いていた。
胃痛がひどくて物が食べれなかったので3kgぐらい痩せた。
暑い夏が9月も続き、子供たちを寝かしつけてる時に携帯の緊急速報が流れる。
9.11 あのアメリカの世界貿易センタービルがテロにあって崩壊したというニュースだった。
私たち夫婦は大学のアメリカ研修旅行で知り合ていた。あのビルに上って記念撮影していた・・・。
なんか泣けた。
調査の結果は立川から南武線で府中の方にマンションを借りていることが分かったが、その日にちでは女を特定できなかった。追加調査を進められたが金額が高いのでしばらく考えさせてくれ…と、その場はそこでいったん調査を打ち切る。
【離婚調停】・・・ついにここに至る。
私は霞が関にいき家庭裁判所にて調停の申込みをする。
まず事前の面接があっていろいろな状況を説明。自分たちでは解決できないことを強調。
そこで400円くらいで調停の申し込みをしたような気がする。
とても時間がかかった。役所の仕事なのでとにかく待たされる。
でも安く申し込みができたので・・・これから私は闘っていくんだな・・・と思いを新たにした。
11.第3局 離婚調停開始
いよいよ調停が始まる。場所は東京霞ヶ関の『東京家庭裁判所』
私が訴えた方、ヤツが訴えられた方として手紙が家庭裁判所から届く。
これが始まり・・・中には調停室の番号と時間が書いてある。
大体、平日の午後1時ころ別々の部屋に通されそこで呼ばれるまで待つ。
そこに調停員さんが迎えに来て部屋に通される。順番に調停室に個別にそして交互に面接するのでヤツと会うことはない。待合室も別々。
ずっと問題解決まで同じ調停員さんが男女でひとりずつ年配のお二人。まず私がどうしたいかを問われた。まだ何も詳細がわかっていなかったので『別れたくないのに一方的に離婚したいといわれた』と訴えた。
ある程度事の経緯を説明。
1. 突然家からいなくなって帰らなくなったこと。
2. 車を勝手にもっていかれたこと
3. 離婚したい理由がわからないこと。
4. 子供たちをどうしたいかわからないこと
5. 急に給料振込口座を変えたこと
このようなことを話しました。時系列で・・・何月からいなくなって
こんな電話があって・・・何月何日にこんな話し合いがあってみたいな。
事前にまとめていったり、電話の履歴なんかも持っていったと思う。
なんといっても説得力のある証拠とわかりやすいプレゼン能力が必要。ここ!ポイント!
私はファイル一冊分の資料を作って説明。
本を読んで相手のここが法律違反じゃないかなど訴えた。調停員さんは真摯に受け止めてくれた。
調停員さんの心をつかむことも自分の調停のいい解決に効果があります。
私の調停の場合、私の過失がないこと、子供たちがいて急に捨てられたこと、
また相手の態度が非常に悪かったことが私の調停を有利にしていく。
私は新たな証拠をつかむため、もう一回興信所を使いダメ押しをしようと試みる。
ヤツは私の悪いところをアゲっつらっていたらしい・・・笑える理由だったらしく調停員さんの心証は悪化。離婚は私が悪くて、慰謝料は一切払わない・・・養育費も払わないといったそうで…。
養育費は払わなければならないことを調停員さんが諭したようだ…。態度がかなり悪かったらしい。
タイムスケジュールは以下の通り・・・調停はだいたい6か月で終結させるように運ぶ。
8月に申し込みに行って月末に事前面接。9月から調停開始で1か月に1回毎。
時間も場所『家庭裁判所の7階○○号調停室』みたいな・・・感じで。
調停という戦いの場で舌戦が開幕しました。
12.第4局 調停の進み方
離婚の時、日本では協議離婚が主流。でも、今回のことで調停はお金もかからないし法的に証拠になる。
養育費の不払いなどは裁判所が乗り出してくれる。利点がいっぱいなので是非オススメしたい。
調停の最期に当人同士が話し合い離婚届けに判を押し…成立…という流れ。
今養育費の未払いや子供への面会権など署名がないと反古にする輩がでるわけで、何かを精算するときはそれなりに責任を負わなければならない。特に子供がいる場合は10年20年の長いスパンでの責任が生じる。
そんな時拘束力のある書面が必要になる。
うちの場合、ヤツは私に「人生をリセットしたい」といわれた。
人生はゲームではない。リセットしたとしても生まれた子供や自分たちの年齢が元に戻るわけではないのだ。私と子供を捨てる理由にはならない。ただの言い訳に過ぎない。
調停員さんたちに私に対してヤツが慰謝料や養育費を払わないということで調停はこう着状態に陥る。
そこで前回書いた興信所の追加調査を実行しました。
1週間尾行してもらいました。そして、しっぽを捕まえてくれた。
調査内容もさることながら・・・興信所ってすごいですよいろんな意味で・・・。
相手の女・・・わかりました、名前もバッチリ。会社の事務員。
ヤツより年上で相手にも旦那がいました。いわゆるW不倫・・・ドラマを地で行く展開。
私もモデルのような美女とか若いギャルとかならなんとなく腑に落ちるところがあるのだが、小太りな地味なおばちゃんだった。
なんでこの女?この女にだんなを寝とられたんか?(下世話に言うと)愕然としました。この女に負けた!私のプライドズタボロ・・・。
その後10年たってもこの屈辱感はトラウマとなって私を苦しめ続ける。
メンタルもいまだにおかしい。自分を取り戻せずにいる・・・悔しいけど。
報告書は2週間後・・・100万くらいかかった。でも悔いはない。次の調停の日、私は隠し玉を出しました。奴は狼狽し、急転直下・・・その日の調停をヤツは打ち切り。
次の調停の時は父親に泣きついたのか弁護士が付いてきた。
ただ弁護士が付いたとしても状況は変わらず、ヤツが弁護士に心を開かなかったこともあり、私有利で話が進んでいった。
しかし、慰謝料は相変わらず払う気がなく、養育費は激安の提示でした。もちろんそれは拒否した。
闘いはこれから・・・
13.第5局 終盤の詰め
急に年が明けてからヤツが調停の終結を急いでいる節がある。
何かおかしい・・・ピンときた・・・ふつうわかるわな・・・
急に払わないといった慰謝料を払うといってきたとは…女が妊娠したのだ・・・たぶん。
その後になって判明したのだが・・・確かに妊娠していた。
ヤツの母によると(口を滑らしたのだが)「私は子供が産めない体なの」といって避妊認しなかったらしい。私らがうざくて一人になりたくて家出したのにまた家族を背負ってしまったのだ。
バカすぎる!!
前の旦那とは子供がなかったようだ。種馬にされたわけだ。とことんアホな男である。
私は金額が納得いかずまだ粘った。お金がないとか言いやがる。
一部上場の会社で月給まで把握している私がそんなもんで折れるか馬鹿者!
その間ヤツの会社の上司と電話で連絡を取っていた。上司なりに調べてくれていたのだ。(いい人だ)
ヤツの女の名前を教える。上司はびっくりしていた。「え?あの人?あいつどうしたんだろ?」
上司の話によると、自分に平気でなれなれしくタメ口たたいてくる女で、おばちゃんッてカンジだそうで・・・。自分だったら恋愛対象じゃないなぁ~って言ってた。
だからこそ私は今でも納得いかない・・・いまでも。
まぁ人間見た目でもないし、なんかいいところがあったんでしょ・・・あぁでも今でもむかつく。
私は次の一手を繰り出す。相手いて一緒に暮らしているという興信所の報告書を提出。
調停員さんたちの気持ちは一気に私の方に傾く。そして「女を裁判に引きずり出す」と言ってもらいました。またヤツの狼狽・・・弁護士あわてる。(顔が見られなかったのは残念)
調停員さんはあまりすすめなかったが「単なる脅しです。」といって脅していただきました。
そして決着に近づいていくのです・・・。
14.第6局 投了
調停の経過は急激にすすむ。あの一手がかなり効いたのだ。
慰謝料はヤツの会社の株で払うことになる。株が下がってたので嫌だったが、そのうちあがるだろうと渋々了承…。
今やリーマンショックで半分の価値しかないけど(笑)売ればよかった。
調停員さんは3月までに集結しないと裁判になってお金がかかるし、
心身共に辛くなるから集結するように促す。養育費1万円値切られる。
その間社宅の契約を勝手に切られて追い出されることに…急なこともあるし私はまだ仕事もない状態なので実家に帰ることになる。車は夜中に持っていかれたので軽自動車を買い、できるだけ荷物もすてて最低限の引越し代になるように手配。怒涛のように動いていた。
3学期半ばでの転校、幼稚園はやめることに・・・。
子供たちは一気に・・・特に上の子は暗い性格になってしまった。
その後、学校で倒れたりすることが多く、1回は救急車で搬送されたりして・・・。
離婚はそれだけ子供に深い傷と影響を与える。
2月20日最後の調停となる。そこが私たち夫婦の『離婚記念日』
ちょうど10年前・・・10年の結婚生活。
そう今年で離婚しなければ20年目の記念日になるはずだった。
人生というものは・・・・まことに先のわからぬものです。
15.最期の一手のための切り札
そんなわけで・・・それは次回にまわすとして探偵さんについてお話ししたい。
探偵さん・・・いわゆる興信所です。コナンみたいな謎解きしません。
でもいっぱい載ってるんです・・・タウンページに。
でどうしようと思うわけですが・・・私の選んだ理由は単純。
1.一番最初のページに載っていた。
2.女性が社長だった。
3.相談電話がフリーダイヤルだった。
こんな理由なんです。二番目の社長が女性・・・って大きいみたいです。
女性の悩みを聞いてくれるのでは?とか親身になってくれるのでは・・・みたいなかんじで。
結構、動転して電話してくると思うんですよ。かくいう私も切羽詰まってましたから。
電話をドキドキしながらかける。
年配の女性の声「どうしましたか?」と・・・・近所のおばちゃんに話すような安心感。
もう怒涛のようにしゃべっちゃうわけです。
「夫がこうなんです、ああなんです。」・・・と。
すると「それは・・・女がいますよ」ってズバッと言われちゃうわけです。
「お子さんもいるし、しっかり証拠を固めた方がいいですよ」
・・・・で商談。
「こういう調査でいくら、ここまでやるといくらです」
値段が非常にざっくりしてるんですね、50とか100とか。
あんまり高いし、これから母子家庭になる不安もありますし渋りますと
「じゃあ、お試しで1日張り付きで20くらいでどうでしょう」みたいな話になりお願いしました。
会う約束をして前金を用意。子供がいるので、自宅の最寄り駅の駅前のドトールでした。
待っていたのは、うさんくさそうな探偵さん。
俳優の高橋克美さんがグラサンしたような・・・旦那の写真と会社の名刺、行動パターンについて説明。
前金を渡して結構日時を知らされました。
その後書類として(裁判用の書式で写真こみで本綴じ)報告書をまた違ううさんくさい探偵さんがきて渡され振込用紙をもらいました。その時は女はキャッチできなかったんですが、住んでいるマンションを突き止めました。その違う探偵さんからは人数を投入して一週間べた付きの調査を進められましたが
100の単位だっかので渋りいったん考えさせてくれと言いました。
私は日曜日、その住所に行ってみました。そこで見たのは怪しい女の姿。
止まっている私の車をみて相手も不審に思ったらしく、旦那とともに車にのりあとをつけたのですがまかれてしまいました。
実際はこういうことはやっちゃいけないと探偵さんにいわれていたのですがいてもたってもいられなくて・・・
結局、100単位のお金を払い1週間を4日にして「絶対しっぽをつかみますよ」と心強い言葉をもらい探偵さんに託しました。
この二回目の調査によりばっちりキャッチしていただきました。9月当たりでした。
平日、朝二人で出勤、1台のチャリに二人でラヴラヴに駅まで2ケツで・・・(写真パチリ)
旦那は会社へ、女は会社の現場事務所へ出勤。二手に分かれる探偵(女の後ろ姿写真パチリ)
退社時間、女は定時上がり・・・女友達とディナー、カフェとはしご。
8時頃友人と別れる。南武線に乗る。旦那残業を終え退社。南武線に乗る。
女は先頭車両、旦那は最後尾に乗る・・・電車内で合流。楽しげにマンションのある駅に降りる。
2ケツでチャリにのる。
マンションに二人で入る。洗濯物を取り込む(写真パチリ)電気消える。
日曜日二人で八王子の花火大会に行き土手で二人で座ってミスドを食べている。
ビールを飲んでいる(写真パチリ)一緒にマンションに帰る・・・消灯。
マンションの郵便物確認。旦那の郵便物と女の郵便物→名前の確認。女の名前は苗字が2つあったらしい。(旧姓と結婚後の名前)そこまでの報告書いただきました。
この報告書により私は調停でうそつきなヤツに鉄拳をくらわすことができたのです。
金額が妥当だったかはわかりません。でも報告書としては貴重なものでした。
ちょっと余談・・・女の苗字が二つだったのは旧姓と現在の結婚した後の苗字W不倫だったからです。
ここから上司に電話し名前を言えて相手がどういう人物か知ることができたのです。
今は探偵業も安心のため料金が明瞭になったとか聞きます。ちょっと怖いけど使っても悪くないかな、と思います。
17.振り返り・・・
あと5日で離婚して丸々10年経ちます。
長かったと思います。結婚して10年、離婚して10年。
この間上の子供とゆっくり話しました。
1番行きたかった大学受験に失敗し、激しい動揺を見せていました。
なので私は大学へ行く事を強要していたかな、名のある大学じゃないと駄目といい続けていたから
プレッシャーに負けたかな…と思ったんです。
どうして大学を目指すように言ったかというと、離婚時のヤツの言葉でした。
大学にいけるような子供にできないなら養育費は払いたくない…と。
彼は自分がかつて神童と呼ばれ県内トップ高校を卒業していることが自慢でした。
でも高校生にして女にはまり遊んだ結果、一浪した上に3流大学にしか行けず親に罵られ、彼女に捨てられた経験の持ち主でした。
そのくせ、お前が教育するとろくな大学も出せないだろうと云われて意地になっていたのも事実。
そしてヤツの親、北大出の銀行員の父、教師の母、名前だけで人を判断する薄っぺらな人達でした。
三流大学で知り合って結婚した私に対し蔑んでました。
うちの両親は会社をやっていたのですが、別に小さな会社でしたので私の両親すら見下した態度をとっていました。
私は向こうの家やヤツに対して意地を張り、子供に強要していたのかもしれないと申し訳なく思いました。彼女にはなけなしの金で塾に入れ「勉強しろ!」といい続けました。
高校もトップ高を狙わせましたが成績が、伸びずワンランク下げ今の高校にしました。
高校は公立でトップ校はほぼ放置なんですね。やらないものは落ちろ的な…まぁそれにまんまとハマってしまいました。
うちの子は学校行事や部活に勤しみ高校2年から落ちこぼれ、プライドを傷つけられ、更に落ち込む悪循環に陥り…まぁ今があるわけです。
彼女と話し合ってビックリしたのはまだ親が離婚したこと、親がシングルマザーであること、
父親に新しい家庭があり、そこに異母兄弟がいることに深く傷ついていると言うこと。
友達には両親がおり、ある程度のお金持ち、引け目やら羨ましさか友達を作れず卑屈になり、いじめにあい、高校生活楽しくなかったと。
まぁ本人も自覚しているのでそれ以上は言いませんでしたが…現在受験しているのでどうにか気に入らなくても将来のために頑張ってほしいです。離婚は子供を傷つける彼女は7歳それを見てきました。
大好きだった父の変貌、母の涙…確かにかわいそうでした。
とにかくこの母は貧乏から抜け出せないだろうから自立して生きる力をつけないかんと思うわけです。
だから資格を取ってどこでも生きていけるものを持って欲しい。切に願う母でした。
18.おまけの対局
去年の夏10年ぶりにヤツと子供たちが会うことになり、なぜか私が付添することに・・・気まずい~!
近くのファミレスで待ち合わせ、10年ぶりの再会。
中年太りしいているかと思いきやそれほどではなかった。
ただちょっとおでこが広かった(笑)
20代から気を使ってサクセスしてきたのに・・・残念。
3人とも話さない。沈黙・・・なので私が人一倍しゃべった。子供たちの10年間を・・・
性格、趣味、どんな勉強が好き・嫌い・・・めっちゃテンションあげてしゃべった。
子供たちにふってみた。
上の子がいきなり核心?「弟いるみたいだけど・・・」
「ああ・・・ごめん。そうなんだ」
「そうなんだ。名前なんて言うの?」
きまずかった・・・まじ気まずかった。
下の子は知らないおじさんにグロッキー「気分が悪い」ということになる。
10年の溝は埋まらない。たぶん一生・・・
ヤツの払った代償は高かったのか、安かったのか。
とにかく進学の際の保証人になってもらう約束をして別れる。(これが目的だったんだけど)
面会は定期的にした方がいいんだなと思う。
うちはヤツが拒否していたから、実現してなかったけど。
今は宮崎に単身赴任して自由ができたから会う気になったのだろう。
次の嫁(不倫相手)がかなりきつい女なので今まで遠慮もあったようだ。
あのきつい女がなぜ好きになったのか・・・いまだになぞ?納得いかない。(また言っている)
19.あとがき
今日でちょうど10年過ぎました。早かったのか、遅かったのか・・・
今も傷ついたままの私たち親子はそろそろ次のステップに進まなければなりません。
子供たちは自分自身だけの力で生きていく力をつけてほしい。
私は、第2の人生に向かって目的をもって努力し、子供たちに頼らない老後を模索しなければならない。
悔やむこともいっぱいあるけど、一つだけ言えることは、
離婚はできるだけしない方がよい!
特に・・・うちはしなくてよかったんじゃないかと思う。
未練とかじゃなくて子供たちをどれだけ傷つけたか・・・。
親の自由を選ぶより子供のために生きるのが親の務めだと思う。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2012年02月20日 離婚記念日 10回目