序章
※『Garden〜箱庭の愚か者〜』改稿作品です。一応原型は残っていますが、別物となっています。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
涙を流し懺悔の言葉を叫びながら、人が人を襲う地獄。
ゾンビであれば、殺してしまえば問題ない。腐った死体が動いているだけなのだから。
魔物であってもそれは変わらない。人類の敵を殺しても罪には問われないだろうし、罪悪感も抱かないだろう。
だがコイツ等は違う。彼らは人間だ。
身体は健康そのもの、意識もあって、話す事も出来る。
ただ肉体を支配されて、こちらを襲って来るだけだ。
彼らを殺せば、それはきっと殺人だろう。
決して間違った判断ではなかったはずなのに、罪悪感で胸が締め付けられそうになっている警官を見た。
やらなきゃやられるのは解っていても、心がそれを許さない。
警官でさえ殺せなくなるというのに、軍人でもなければ殺人鬼でもない俺には殺せる訳が無かった。
「そいつを殺せば人類を救える。お前は英雄になれるぞ」
何もかもを知り尽くした男が俺に囁くのは、悪魔の誘惑だ。奴に促されるままに選んだ答えに、喜楽がある訳が無い。
その地獄を止める方法は、とても簡単。
肉体を支配しているのは、体内に入り込んだ虫のような奴が脊椎を乗っ取っているからだ。その虫を殺せば良い。もっと言えば、その虫の親玉たる虫を殺せば良い。
「お願い! 私を殺して!」
死ぬのが怖いと言っていたのに、それでも殺してと叫ぶ。なのに泣いている。
すなわち、《彼女》だ。
『一緒に来て!』
記憶を失って、この地獄で一人きりだった俺を助けてくれた彼女。
『大丈夫。私はあなたを信じているから』
彼女の仲間が俺を敵視している中、俺自身が俺を信じられないのに、彼女だけが俺を信じてくれた。
『あなたは私が守る。だから安心して』
何の力も無い俺を、彼女は見捨てずにいてくれた。
「解るだろう? 彼女もそれを望んでいる。奴らを殺さずに救って、英雄になりたかったんだろ? 安心しろ、彼女さえ殺せば奴らは元通り、普通の人間になる」
「そのために殺せって言うのか!」
彼女を。俺の全てと言っても過言ではない彼女を、俺の手で殺せと言うのか。
誰一人として殺さないと誓った。だが、たった一人を殺せばこの地獄が終わる。化け物に変えられた何万もの人を殺さずに確実に救える。
だが、そんなこと……。
「理想を目指して万人を殺すか? そもそも、お前の掲げる理想が叶わないのを、他でも無いお前自身が最も良く知っているだろう? この街で唯一の無力なお前なら」
「——っ」
言い返せない。
彼女もその仲間も皆、この地獄で生き抜く力を持っていた。この地獄を救える方法を知っていたし、それを実践しようとしていた。
だが、その仲間も今は分断され、その半数以上と連絡はつかない。死亡が確認されたメンバーも少なくはない。
「死んで行った彼らは何を願ってここに来ていた? この地獄を救うことだろう? なら、何を躊躇う必要がある」
この地獄で、化け物となった人々や彼女等を含めて、俺だけが唯一凡人並だ。
身体の制限を外されて動く人々には対抗出来ないし、彼女達みたいに超能力やら魔術なんて便利な力も無い。《あの子》のように兵器を持っている訳でもない。
そんな俺でも、この地獄を救えるのだ。何を躊躇う必要があるのだろうか。
『この街の住人を全て殺さなければ、全人類が滅びる。住民じゃなくて、人種でも個人でも良いけど、とにかくあなたにとって大切な人。殺さない方法がない訳じゃない。でも、それは手探りの状態で今は全く見当がついていない。……そうなった時、あなたはどうするの?』
いつだったか、幽霊と呼ばれた《あの子》は俺にそう問うて来た。
あの子は、この結末を知っていたのだろうか。
「さあ、どうするんだ? 英雄か大罪人か、選ぶが良い」
軽い音をたてて床を転がり、俺の足下に辿り着く拳銃。引き金を引くだけで、全ては終わる。
俺は——。
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キャラクターが問いかける。俺じゃなく、俺が操る主人公に。
ディスプレイに表示された問いに対する解答は『はい』か『いいえ』、語意は必ず肯定か否定だけ。
今の俺は登場人物ではなく、画面から向こうの世界を覗く《プレイヤー》だ。
薄暗い部屋で布団に身を包み、剣の代わりにコントローラーを握る。この選択肢を見るたびに何度もあの時を思い出し、幾度と無く現在へと至った選択肢を蹴り飛ばす。
俺はあの時、答えを間違えたのだ。
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見送りも無ければ汽笛も鳴らさず、夜逃げするように港を離れる巨大な船舶一つ。
暗い海を切り裂き何処に向かう船のデッキから、離れて行く陸地をぼんやりと見送った。
目指すはどことも知れない実験の地、箱庭島。
これから始まるのは、とあるゲーム。そのテストだ。
何も気落ちする必要は無い。ただそこでは、久々に人と触れ合う事になるだろう。
俺の人との付き合い方は、とにかく笑う事。
不安に押しつぶされそうな状況で、俺と同じ位不安と恐怖に直面していたというのに《彼女》は、そんな負の感情を吹き飛ばすような笑顔を見せてくれた。
俺にも出来るだろうか?
何ヶ月ぶりか解らない、久々の笑顔を浮かべてみる。
頬が持ち上がらない。引き籠っていたから、顔の筋肉が劣化したのだろうか。
仕方が無いから、両人差し指で頬を持ち上げた。うん、確かこんな感じ。
笑ってみると、何だか今までの事が走馬灯のように思い出された。
よく思い出してみると、俺達はあんな地獄でも笑っていたな。
……ああ、そういう事か。
随分と遠回りしたけど、やっと《彼女》の教えに辿り着いたようだ。
「おい兄ちゃん、何してるんだ?」
他の乗客に背中をぽんぽんと叩かれた。どうやら、俺の背中は随分と哀愁漂う物だったようで、心配そうな声音だ。
俺は頬を指で上げずに、なんとか笑ってみた。
「人生を楽しむところだ」
早速嬉しい事に、そうやって俺が笑顔を見せた相手も笑ってくれた。
読み終わった後にタイトルを見ると……、がコンセプトの作品です。