9.暗雲
久しぶりに会って話がしたい。
そう手紙をもらった俺は「いつでも来い」と短く返事を書いて返信を送った。
それが今から一週間ほど前の出来事だ。
コンコン。
ノックされた扉に、いつもの若造かと思って放置していたのだが。
「……」
その日は扉が勝手に開けられる事はなく、不思議に思った俺が開けてやると……。
「来た」
そこには昔と何ひとつ変わっていない哀れな幼児体型のチンチクリ……。
ごす。
「あうち!」
「……なにか嫌な視線を感じた」
「抗議行動は、最初は文句の言葉、次に実力行使の順でやれって、昔教えただろーが……」
いたたたた。杖でスネをぶっ叩きやがった。このチ……。
ぶん!
「おっと、流石に二度目は食らってやらないぞ」
「にげるな」
「逃げるに決まってるだろうが!」
「貴方が変なことさえ考えなければ問題ない」
ぶん!ぶん!
おのれ地味に嫌な攻撃を執拗に狙ってきやがって。
「おい、いい加減にしないとしまいにゃ怒るぞ、このチンチ……」
「電撃よ、敵を撃て」
げ。
ぴしゃああん!
「……おいこらぁぁぁ! 今の俺じゃなかったら死んでたぞ!」
「大丈夫。問題ない」
「どこがだ、この馬鹿」
ごすっ。「きゅぅ」
俺の正義のげんこつが諸悪の根源を沈黙させた。
「まったく。冗談の通じない所まで、全く変わってない」
目を回した魔法使いを肩に担いで家に戻った俺を待っていたのは、呆然となった顔の若造だった。
「お前、いつの間に来てたんだ?」
「ついさっきですけど……」
ちらっと視線を向けた先では苦笑を浮かべた妻の顔。
どうやら、面倒事を避けられるようにと、裏からこっそり招き入れたらしい。
……まあ、正解だったのだろう。
さっきの現場にいたら、帯剣してたコイツに電撃が飛んでいたかもしれない。
電撃は金属に引きつけられる性質があるからなぁ。
まさかアイツに限って、そんな下らないヘマはしないだろうとは思うが……。
だが、ときどき訳のわからないミスをする事がある奴だからな……。
じゃれあい程度の喧嘩に巻き込んで、王都の次期近衛騎士団長候補を殺したとあっては、流石に色々と問題になっていただろうし、娘の夫候補№1を殺してしまっては、下手したら一生口をきいてくれなくなる所だった。
そういう意味でも妻のファインプレーだったのかもしれない。
「今のは?」
「ん? ただのじゃれあいだ。気にするな」
さっきお前、さりげなく死にかけていたんだぞとは、流石に教えられない。
気絶した魔法使いを妻に任せると、俺は茶でも飲みながら回復を待つ事にした。
いくら昼寝中の娘と並べて寝かされているのを見ても大差ない程度の外見な幼女でも、中身は一応は年頃の女だからな。
気絶した状態で男があれこれするのは色々と問題があるだろう。
……妻の目もあることだし。
「……少し、王都のことを教えてくれるか?」
「珍しいですね、貴方が王都のことを気にするなんて」
「俺自身の事はどうでもいいんだが、相談しにきた馬鹿のことがちょっと気になってな」
前に手紙にあった話だと、禁呪の研究も一段落したんで、次は研究組織の一員として王都の魔法学院かどこかで客分研究員とかいうのになって、この道を極めてやるんだ!ってえらく張り切っていたはずなんだが。
「……何か、アイツの身に問題でも起きているのか?」
「そうですね……。あまりいい噂は聞きません」
「噂ね。……具体的には?」
「組織の中で、かなり浮いているみたいです。
色々と周囲からやっかみ半分に難癖つけられたりして、ぶつかってるみたいですし……」
まあ、アイツは超が付くくらいの武闘派だからな。
魔物の大群に囲まれても、無表情のままに敵の群れに突っ込んでいくし。
眉ひとつ動かさないで、平気で俺ごと吹っ飛ばして敵を焼き尽くすような物騒な奴なんだぜ?
鉄の肝っ玉をもった、容赦と寛容の文字が辞書に載ってない大魔法使い。
それが妖怪チンチクリンの正体だった。
まあ、ちょっと怖いけど、色々と頼りになる仲間だったよ、昔は……。
「……そんなに上手く言ってないのか」
「王都の研究者達は、みんな有名な学院とかの出身で家柄も良い人達ばかりですから……」
「つまりプライドと身分が高いだけが取り柄の卓上の魔法使いなエリート集団様って訳だ」
そんな所に名声と実力と実績と経験が色々と突き抜けてる四拍子揃った大魔法使いだが、身分は平民のままなチンチクリンが混ざったら、そりゃ面白くなかろうな。だが……。
「くだらん」
なんだか、一気に魔法使いの相談を聞いてやる気が失せてきたぞ。
「くだらなくない」
どわああ!
「お前、起きてたのか!?」
「さっき、目が覚めた」
「あっそ。……で? 相談ってのは?
まさか、さっき話にでてたエリート様にいじめられて辛いですってか?」
そんな俺の質問に、チ……。
ちゃきっ。
「おいこら。とりあえず、コレ以上話の腰を折る気なら、山の頂上に裸で置き去りにするぞ」
性懲りもなく杖を構えてスネを狙おうとした馬鹿に、ニッコリ笑いながら脅しを入れる。
前に一回、実際にやったことがあるから、この脅しはてきめんに効いた。
顔を真っ赤にしながらカクカクと首を縦に振る。
「大人しく話をするか? チンチクリン」
「わかった。もう下らない反撃はしない。……ただし、その呼び方はやめて」
それが条件ってことか。面倒なことを言い出したな、このチンチク……。
「心のなかで考えるのもやめて」
相手の悪意に敏感すぎるってのも面倒なモンだな~。
「わーた、わーた。もう言わないし、考えない。これでいいか?」
「それなら文句はない」
「で? 相談ってのは何だ」
「回りくどいのは嫌い。単刀直入にきく。……魔族に命令を出した?」
魔法使いはズイッと俺に顔を近寄らせてくると、眉をしかめながら、そう尋ねてきた。
「……俺がか?」
「ええ」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味」
「意味がわからんぞ。詳しく説明しろ」
そんな俺の言葉に魔法使いはタメ息をついて答えた。
「今朝、国境警備隊所属の斥候部隊から緊急連絡が入った。
魔族の大群がこちらに向かって移動しているのが見つかった。
……国境線まで、はやければ一ヶ月で到達する距離。
数はおおよそ数万。……ただし、強そうな個体は数えるほど。
だけど数が尋常でない。このままいけば多大な被害が出る。
……そうなったら、もう魔族との全面戦争は回避できない」
また大戦争の危機とか人類滅亡の危機とかかよ……。
そう「いい加減に勘弁してくれ」とため息をついた俺を、魔法使いは黙って睨んでいた。
なぜか、それを見ていた若いのは口をパクパクさせていたが……。
「どうした、そんな顔して。なんだか馬鹿みたいで面白いぞ」
「……どういう意味ですか、今の」
「あん?」
「彼女、貴方が魔物に命令したかって聞いていませんでしたか? 今」
「ああ、その事か……」
余り、おおっぴらに吹聴するようなことでもなかったからな……。
「実はな……俺、魔族の全軍の指揮権、持ってんだ。
……倒した魔王から引き継いだとかのせいで」
「はぁ!?」
まあ、驚くよな。普通。
「……魔物は一番強い個体が全体の指揮権を持つ。
それがシキタリになってると言っていた」
「一番強い魔物、つまり魔王だ」
「一番強い個体、つまり魔物とは限らない。
……魔王は勇者に敗れたから、今は勇者が一番強い個体ということになる」
「つまり、どういうことですか?」
「勇者は魔族を指揮できる権限を持っているということ。
……魔族には力が全てという不文律がある。
力比べ、一騎打ちで負けた相手には何があっても従わなければならない。
それが彼らの世界のルール……。
魔王ですら、その約束事からは逃れられない」
従いたくなければ、負けた相手を力で打ち負かすしかない。
下克上は許されているらしいが、厳しい弱肉強食の世界であることに違いはない。
よりにもよって、そんな世界で頂点に立つだなんて、嫌すぎるだろう……。
どれだけの奴らが下克上を狙ってるんだ。
「彼らは、そういった世界の生き物であり、文化の中で生きている。
そんな世界で、勇者は、魔王を倒してしまった。
……魔王を倒したことで勇者は魔王を越えて配下にしたと見なされた。
その結果、好む好まざるに関わらず、勇者は新しい魔王と見なされる事になった」
「……嫌なこと思い出させるなよ」
信じがたいが、今の俺の肩書きは人間の世界では勇者、魔族の世界では魔王、なんだよな。
「……悪夢だ」
「魔族の世界の変なルールとかシキタリのせいで、そんなおかしな事になってるってのは分かりました。じゃあ、勇者パーティーの皆さん全員が魔王の称号を持っているんですか?」
「いいえ。勇者のみ」
「なぜです? 四人で戦ったんでしょう?」
「もちろんだ。俺一人で勝てる相手じゃなかった」
もっと具体的に言えば、魔法使いと僧侶がいないと勝ち目はなかった。
それくらい強烈に強い奴だったからな。
もちろん、そんな二人をガッチリ守ってくれる戦士が居てくれないと勝てなかっただろう。
あれは、それくらいギリギリの戦いだったからな……。
「戦ったのは私達四人。
でも、実際に魔王と剣を交えて戦ったのは貴方。
だから、貴方だけが魔王の後継者と見なされた」
「仲間の支援を無視すんなって話だよ」
「それもあの時に説明があったはず……。
魔物の世界の常識では、貴方の仲間は部下と見なされていた。
確かに勇者の指揮下にあった私達三人は、彼らの目からみれば部下に見えたのかもしれない」
本来は一騎打ちがルールなんだが、あの時には魔王の方も部下と一緒に戦ってたからな。
部下の助けを借りながら一騎打ちを行ったと見なされたらしい。
そんな訳で仲間と書いて部下と読めな魔物達の目から見て、魔王を攻略したのは俺だってことで、魔王の持っていた権限などが人間である俺に譲渡されたと見なされたって訳だ。
まあ、形式上必要だったとはいえ、魔王を部下にしたってこともあるからな……。
ある程度は仕方なかったんだ。
「それで、貴方は、どうしたんです?」
「こんなのいらねーから『お前らあんまり人間の国に入り込んで悪さするなよ。それさえ守っていてくれれば、あとは好き勝手にしてて構わん』とだけ全軍に命令して帰ってきた」
その後のことまでは知らないが、少なくとも数年は小康状態を保っていたんだ。
あの時の俺の命令を律儀に守ってくれて大人しくしていたってことなのかねぇ。
「……もう一度聞く。本当に、貴方のやったことではないのね?」
「くどいぞ。そんな命令を出した覚えはない」
だいたい、この家にずっと居るのに命令なんて出せるはずがないだろう。
それくらい分かってくれていると思っていたんだが……。
……ああ、そうか。移動魔法のせいか。
コレがあると、何処にいても大差ないものな……。
「だいたい、そんな訳わからん命令を出して、俺に何の得がある?」
全面戦争ともなれば、かつての勇者パーティーが再招集されるのは目に見えていた。
「俺の方の事情は、お前もよく知ってるだろ?」
「……ええ」
ため息しか出ない。
「俺は、この家で三人で静かに暮らしたいんだよ。
……それなのに、また自分から戦いの日々を望むと思うか?」
「まあ、今の貴方を見ている限りでは、そうは思わないですね……」
「だろぉ~?」
「……でも、魔族軍を指揮できるのは、今は、貴方だけ」
魔法使いの視線が俺から逸れそうになっていたのを見た俺は、苦笑しながら、魔法使いのアゴを掴んで、視線をこっちに無理矢理引き寄せた。
「何度も言わせるな。俺は、何も、してない。……信じろ。いいな?」
そんな俺の言葉に魔法使いは少しだけ寂しそうに笑いながら。
「分かった。貴方を信じる」
そんな魔法使いの顔に最後に浮かんだ笑みは、どこか吹っ切れたものだった。