8.思い出
奴の姿が霞む。
──くる!
感覚だけで危険を判断した俺は、何もない虚空に、とっさに剣を叩きこむ。
その刃先に現れた奴が、体を沈めるようにして軽く剣をかわして。
──笑ってやがる。
口元に刻まれた笑みとともに振りぬかれた反撃の刃。
とっさに飛び退いた俺の鎧を、刃先が軽くかすめていった。
わずかに火花が飛び散る。
危なかった。……なんって馬鹿力だ。
こんなのまともにくらったら胴体が真っ二つだぞ。
──くそっ!援護をくれ!
俺の悲鳴のような声に応えるようにして。
次々に飛んできて、やたらめったらに上書きされていく補助魔法。
状況に応じて、複雑な防御魔法の壁が組み直されているのが分かる。
……器用な真似をする。だが、有り難い。
──ちょこざいな!
次第に、奴の表情から余裕が消えてきていた。
牽制の攻撃魔法が魔王の攻めをわずかに阻害している。
戦士に僧侶と魔法使いを守るように必死に訴えながら。
魔法使いに、威力ではなく手数で押すように指示して。
──任せて。イラつかせるのは得意。
そんなボソボソ聞こえてくる頼もしいつぶやき声に苦笑を浮かべながら。
何もない空間からつきだしてくる刃先を必死に避けて。
何もない空間に、ただ刃を叩きつける。
時々、邪魔をするようにして割り込んでくる鎧を着た魔物を斬り伏せながら。
なぜか自分が斬られても何も言わなかった魔王が、その時だけ悲鳴のように叫んでいた。
「邪魔をするな!」
叫ぶ事で動きがわずかに止まるのを見逃すはずがない。
俺は容赦なく奴に剣を叩きつけていく。
一撃、ニ撃、三撃。四回目は空振った。
──があああ!
獣のような叫び声と供に押し寄せてくる殺気。
俺は必死にさけながら反撃の剣を向ける。
斬りつけ、受け止められる。
斬りつけられ、受け止める。
斬って、避けられ、斬られて、避けて。
たまに刃が弾かれ、かすめた刃が鎧を削っていく。
それを瞬きする時間の間に繰り返していくのだ。
神経を刃で削りあうような戦いは、次第にシンプルな形に移行しつつあった。
一瞬でも立ち止まると死ぬ。
これは、そういった種類の戦いだった。
立ち止まっていいのは攻撃の瞬間だけ。
攻撃、即、跳躍。着地、即、回避。
互いに、ただそれだけを繰り返す。
誰も割りこむことの出来ない戦いだった。
俺達二人だけの戦いの空間であり、ルールであり、斬り合いだった。
……俺は、ただ必死になって戦った。
狭い空間を次々に飛び回りながら。
同じように空間跳躍を繰り返す相手を追いかけながらも逃げ惑う。
時々飛んでくる治療魔法と、魔王の邪魔をするように的確に打ち込まれる攻撃魔法。
それは確実に魔王の精神集中を妨げてくれていた。
俺の剣は、何度も魔王の体を捉えていた。
だが、まだ足りない。
一回や二回では魔王の守りの壁は突き破れない。
もっとだ。もっと早く。もっと強く。もっと鋭く。
もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと!
風景が歪み、頭痛が激しくなっていく。
ああ、限界が近い。もう魔力も限界だ。
体力も魔力も、とうに底を付いていた。
限界を越えて酷使される肉体と精神が。
どちらも悲鳴をあげて壊れかけていた。
だが、耐えろ。苦しいのは奴も同じだ。
もっと早く、もっと強く、もっと鋭く。
ただ意識を研ぎ過ぎませて、剣を振る。
血の気の引いた体に鞭を打って。
猛烈な吐き気と頭が割れそうになる痛みの中で。
俺と、魔王は、何度も何度も剣を交えた。
刃を交える回数の中で、いつしか俺の剣は奴の体をとらえるようになっていく。
無防備な背中を斬りつけたこともあった。
──もっと!もっとっ!もっとぉっ!!
朦朧となった意識の中で意識だけが純粋に研ぎ澄まされていく。
無駄な力が抜けていき、自然体の中で刃を振り抜くようになる。
余裕がなくなることで、無駄が削られていく。
無駄を無駄のままに出来るほどに余裕がない。
自分が、まるで一つの刃になったような錯覚を覚える。
今の俺にはあらゆる雑念が邪魔だった。
それこそ、殺意すらも邪魔だった。
そんな自分を、どこか滑稽で馬鹿らしく感じられた。
なんのために、俺はこんな苦しい事をしているんだ。
こんな自分を、ひどく馬鹿らしく感じていた。
だが、今のまま押せば勝てるとも感じていた。
──いける。速さで上回った。
こっちの動きに奴は追いつけてない。
ギリギリの戦いの中で、ついに俺は奴を超えたことを実感していた。
──これは、勝っちまったか。
──これは、負けたな。
お互いの想いが、不思議と通じあっていた。
──なんで勝ったんだ。つまらん。
──勝てるのだから、もっと喜べ。
奴の顔には、笑みが浮かんでいたはずだった。
──……たのかったなぁ。
──ああ。たのしかった。
──言い残すことは?
──そうだな……。止めの時に、顔だけはやめてくれるか?
──ふむ。努力はしてみる。
実際に、こんなやりとりをしていた訳じゃない。
全ては感覚の世界の話だ。
アレは言葉では語りつせない刹那の時間の中での出来事だった。
その瞬間、俺は確かに魔王の奴と心が重なっていた。
誰よりも憎み、誰よりも愛して。
そして、誰よりもこの時間が終わって欲しくないと感じていた。
だから、あんなふうに意識で会話できたんじゃないかって思う。
もちろん、その時の俺はさっさと死んでくれとも思っていたぞ。
激痛と疲労で頭がおかしくなりそうな戦いの中での事だからな。
言葉では語り尽くせないというのは、アレのことを言うんだと思う。
……話がちょっと横に逸れてしまっていたようだ。
奴の敗因は明らかだった。
ときどき邪魔される攻撃魔法。
ほとんど通じてなくとも、邪魔にはなっていた。
攻撃されれば、意識が一瞬だけでもそれてしまう。
ぎりぎりの所でしのぎを削り合ってる俺にとっては、それだけで十分だった。
そして、奴にとっては、それが致命傷になりうる要因になってしまっていた。
結局の所、奴には連携できる味方がおらず、こっちには的確に援護射撃と補助と回復をしてくれる仲間がついていた。
そして、その大事な仲間を守ってくれる頼りになる奴までいてくれた。
──俺達の、勝ちだ。
ついに刃が奴の体を捉える。
虚空からあらわれた奴の体を撫で斬るようにして。
俺の刃が、タイミングよく差し込まれる。
今後こそ、右手は、弾き返されなかった。
その代わりに、嫌な感覚が伝わってくる。
──ついに、捉えた。
壁ごと、やつの体を斬っていた。
それを右手の感覚だけで把握していた。
鮮血の帯を宙に描きながら……。
墜落するように、奴は地面に落ちていった。
とどめを刺すべく、俺は最後の跳躍に入る。
チャキ。
剣を喉元に付きつけて。
俺は、乱れきった呼吸を整えるようにして、勝利を宣言していた。
「俺、たち、4人、の、勝利、だ」
もう動く者は殆ど居なかった。
王の間は、静まり返っていた。
地面に尻もちを付く形で倒れていた魔王は、うつむいたまま口にしていた。
「……私の負けだ」
魔王の腰の下に、ゆっくりと血溜まりが広がっていく。
それを見て、俺達はようやく勝利を実感出来たんだと思う。
──ようやく、勝った。
振り向いた先では、傷だらけになった戦士が笑みを浮かべていた。
あいつは自分の役目を立派に果たしてくれていた。
この戦いのキーマンは、僧侶と魔法使いであり、二人を守る戦士だった。
彼女たち二人の補助と援護なしには、魔王を上回ることは決して出来なかっただろう。
だからこそ、戦い慣れた者達の目には、彼女たちの脅威がはっきりと分かるはずだった。
そんな二人に襲いかかるだろう魔王の部下たちを、戦士は残らず退けてくれていた。
その傷だらけの姿は、紛れもなく勇者の証だった。
「やったな」
「……ああ!」
俺たちには、多分、それだけで十分だった。
「……魔王、その首、貰い受ける」
俺は最後の力を振り絞って、右手の剣を持ち上げて。
「……好きにしろ」
ゆっくりと、振り下ろしていた。