7.疑問
少なくとも俺の記憶では魔族が組織だって人間の国に攻めこんできたことは一度もない。
人間も魔王の存在を恐れていたせいか、最近は組織だって魔族の領地に攻め込んだこともない。
過去には本格的な軍による魔王城への侵攻などもあったそうだが、その時には魔王と数名の手下達による数万対数人という馬鹿げた戦力差によるゲリラ戦をしかけられて、人間の軍隊の弱点を徹底して突かれたらしい。
その時には、指揮官以下、部隊を指揮するための重要な地位にあった人物を軒並み暗殺された他、補給部隊を壊滅させられたり、食料などを管理していた後方部隊を徹底して毎夜襲撃され続けて、軍を維持出来ない状態に追い込まれてしまったそうだ。
そんな事が日常化していたせいで、人間の軍隊は魔王城に攻めこむ遥か手前で撤退する羽目になったのだそうだが……。まあ、撤退というと聞こえはいいが、ようは食料も命令も全体に行き渡らなくなって、このままだと餓死するかじり貧だと恐れをなした兵士たちが恐れをきたしてしまって、集団の体をなさなくなり、各人の勝手な判断で散り散りに逃げ出す羽目になったんだろうと思う。
その判断自体は、さほど悪いものではなかったのだろう。
ただ、それを選んだ時の場所と状況が問題だった。
魔族の領地の奥深くで、各人が自分勝手に動いて逃げ出せば、そこらへんをうろつきまわっている魔物や獣に襲われるのは当たり前の話でしかなかった。
結果、野生動物と同じで、群れからはぐれた(逃げ出した)奴から順番に食われてしまった。
そんな、散々な目にあわされた遠征だったらしい。
王の側近から「なぜ魔王討伐という大仕事を勇者殿に任せたいのか」といった話になった時に、直に聞かせられた昔話だからな。
ほぼ、間違いない昔話だったはずだ。
まあ、瞬間移動の力ってやつは、ゲリラ戦の時には、とてつもなく厄介だからな……。
こんな力をもってる奴を相手にするときに数に頼れないってのは間違いなかったんだ。
ただ、この力は守る時にはとにかく便利だが、攻めるにはあまり役に立たない力だった。
敵の王を簡単に暗殺できる力ではあるが、それを簡単に出来るといっても、それだけで相手の国を攻め落とせるはずもない。
相手の国の住人に敗北を認めさせ、新しい王による支配を受け入れさせるには、大規模な戦争による勝利がどうしても必要になるからなのだろう。
なによりも守りの堅い敵陣のど真ん中に一人で突っ込んで、そこで運良く敵の総大将を暗殺出来ても、周囲が敵だらけの状況では、そこから生きて帰れない公算が高い。
それが分かっているからこそ、俺が魔王を倒しに行った時も真正面から乗り込んでいくことを選んだんだし、魔王も、そういった面倒な事をしたがるタイプではなかったのだろうと思う。
おそらくは人間のように組織だってない魔族側の国家運営は、それくらい大変だったのだろう。
正直、人間の領地に攻め込んでる暇がないくらいに大変そうだというのが、俺達が魔王城に乗り込んでいった時の感想だった。
なにしろ、城一杯にいた魔族の部下たちは、揃いも揃って俺たちが攻め込んだ時に我先にと逃げ出していたからな……。
つまり、連中は武官ではなく文官だったということだ……。
そんな大混乱の状況に陥った魔王城で、悲鳴をあげながら逃げ惑う魔物達の中を駆け抜けながら、俺たちはほんの僅かな武官達に守られた魔王に、王の間で迎え撃たれる事になるのだが……。
──あれだけしか居なかった武官だけで、果たして人間の国に攻めこむように魔族全体を指揮出来るものなのだろうか?
それが俺たちが感じた素直な気持ちだったんだと思う。
「……つまり?」
「連中は自分たちの国を運営するだけで手一杯だったんじゃないかって思えてな……」
よくよく考えてみた。
これまでにあったのは何だった?
世界中で日夜繰り広げられているのは、よく見てみると小規模な小競り合いだけだった。
たまたま隣り合ってしまって、たまたま遭遇してしまった。
そんなときに、そこで殺し合いになって人間が犠牲になった。
だから、その原因になった魔物を人間の群れが殺してきた。
やってることは、それだけのことだったんじゃないのか?
それに……それは魔物相手じゃなくても、獣相手でも同じなんじゃないのか?
俺は、その時まで、そこにある違いに気がつけていなかった。
──なんだ、この違和感は。
そう、あの時。俺たちが乗り込んだ魔王城の大混乱を前にして、俺達は自分達がやってることが本当に正しいことなのかどうか、段々と分からなくなっていったんだと思う。
ついにここまで攻めてきたな!とか、そういった勇ましいことを言う奴はいたよ。
ほんのわずかだったけど。
魔王の護衛として、王の間に数名だけだけど、ちゃんと勇ましい奴はいたよ。
多分、魔王軍の主だった将軍達だった奴らが。
でも、そんな連中の目にあったのは、俺達に対する恐怖だけだったんだ。
──奴らにとっては、俺達が魔王みたいなものなのか。
それを嫌でも悟らされた。
おれの考えでは、あの時の魔王は、ただ怯えていただけだ。
俺という存在に。
自分と対になる存在に。
人間側の魔王……最強の人間という存在そのものに恐怖していただけだ。
自分を殺しうる、自分と同じ力を持った存在に怯えて。
ただ、俺を邪魔するためだけに。
自分の領地に、俺の侵攻を想定した防衛線を展開していった。
ただ、それだけのことだったのだ。
まあ、お陰で魔王城にたどり着くまでにはえらく苦労させられたがな……。
「俺は別に人間が魔物を殺すから悪いだなんて言うつもりはない。
その反撃で人間が殺されているだけだなんて言うつもりもない。
自分を守るために魔物を殺すことが悪いはずがない。
俺だって自分を守るために散々連中とやりあってきたんだからな。
でもな……自分達がやってる事と同じ事を相手からやり返された。
だから、アイツらは悪だというのは、流石にちょっとおかしいと思うんだ」
これはきっと善悪の話ではないのだ。
きっと、"そういうもの"なのだ。
こうなるのが当たり前というだけの。
これが自然な姿なのだという。
ただ、それだけの話しに過ぎないはずなのだ。
そこに善悪の観念や、魔王の陰謀等というヨタ話を混ぜるからややこしくなったのだ。
シンプルな話を、そういう面倒くさい話にするから。
だから、理屈がおかしくなっている。
ただ、それだけの話だったのだろう。
「つまり魔物は悪くないと?」
「悪い奴なんて最初から居ないんだよ。居たとしたら両方悪いってことだ」
人間が悪い訳ではない。
魔物が悪い訳でもない。
人間と魔物が接触して強い方が弱い方を殺した。
片方は駆除のために。片方は食べるために。
そこに善悪など持ち込む方がおかしかったのだ。
……憎むななんて言わないよ。
俺だって友達が魔物に殺されたら、そいつをただでは済まさない。
きっと地の果てまで追いかけていって殺すだろう。
でも、だから魔物は悪で、俺達が善というのは違うと思うんだよな。
「連中はちょっとだけ賢くて、ちょっとだけ普通より強い。
それだけの、ただの獣なんだと考えてみろ」
人と獣に話を置き換えてみれば、きっと分かりやすくなると思うぞ。
そんな俺の言葉に若者は苦悶の表情を浮かべていた。
「魔王の命令は聞くのに? それなのに……獣?」
「調教された獣は人の命令も聞くぞ。
それに、俺たちだって王様の命令は聞いてるだろ?」
「人間を襲ったり殺したりしてるのに!?」
「俺たちは同じことをしてるんじゃないのか?」
連中は俺たちを食うために襲いかかってくる。
俺たちは連中が危険だから排除するために襲いかかる。
……うん、同じだな。
これって、お互い様なんじゃないのか?
そんな俺の冷めた言葉が、若者の頭に昇った血を冷ましてくれることを祈っていたが。
「納得できません!」
「だろうな」
あの時の魔物達の目を見てないコイツには理解できるはずもなかったのだろう。
「魔王は悪いヤツです」
「そうかもしれんな」
そうかもしれないし、そうでもないのかもしれない。
答えは何時だって両面性を持っているものだと思う。
連中から見れば勇者は魔王様を殺した大罪人。
俺たちから見れば勇者は魔王を倒した大英雄。
俺の立場という分かりやすい代物ですら、この有様だからな。
真実なんてものは人間と魔物のどちらから見たかによって変わるはずなんだ。
「魔族は憎いです」
「魔族のことを好きだ等という酔狂な人間はいないだろう」
俺だって魔族は嫌いだよ。
出会ったら問答無用で殺してきたからな。
「全部……魔王のせい……」
本当に、そう思うか?
そんな俺の言葉にアイツは額に汗を浮かべて苦しんでいた。
「……魔王は、命令したんですか?」
「さあな。ただ、俺の感覚では連中は王様の命令を大人しく聞いて、自分勝手に行動しないでいられる程には知能が高くなさそうだなって。そう、感じたけどな……」
そりゃ、あんな頭のゆるい連中を束ねてどうにかこうにか支配体制を敷こうと思ったら、凄まじい数の文官が必要になるさって、変に納得してしまったほどだ。
それくらい連中は自分勝手で自由気ままで野放図で……笑えるくらい幼い思考しか出来なかった。
そんな魔族達のことを、魔王は笑いながらも愛していると口にしていたがな……。
「俺の見立てでは、奴が魔物に人間の国に攻め込めなんて命令していたとは思えない。
ただ、攻めこむなとも命令はしていなかっただろうな。
多分、日頃は好き勝手にやらせていただけなんじゃないかね。
そして、必要になった時に命令をして動かしていただけなんじゃないかと思う。
たとえば、俺の邪魔をするためにどこそこに防衛線を張れ、とかな」
確信はないが、そんな気がする。
「……ただ、奴は、まちがいなく"王"だった」
しかも人間と戦うことを嫌っている。
何よりも魔物達の犠牲を嫌い、魔物達が自分勝手に楽しく暮らせる"今"を守りたいと願っていた。
恐怖による支配ではなく、愛による擁護でもって魔物達をゆるやかに統率している。
そんな王様だった。
「そんな連中の王様を、俺達は、自分達の都合を押し付ける形で殺したんだ。
……果たして、俺達は、連中にとっては"何"だったのかね。
連中にとっては愛すべき王を殺しに来た憎むべき蛮族の集団だったのか。
それとも悪よ滅びよと叫びながら突っ込んできたテロリストだったのか。
はたまた敵対国から送り込まれてきた頭のイカれたアサシンだったのか。
なんにせよ、連中にとっては俺たちはロクな代物でなかった事は確かだろう。
王様は自衛のために俺たちと戦うしかなかったんだしな」
それが魔王討伐のもうひとつの側面だった。