6.理由
目を見開いている若者に、俺は苦笑を浮かべて声をかけていた。
「馬鹿な、と思うか?」
「……はい」
「それなら、思い込み、先入観、偏見、建前、あとは願望もだな。
そういった邪魔になりそうなモノを全部捨てて、良ぉく考えてみろよ?」
俺は魔王がどういった存在か、それを知ったときにようやく理解した。
自分の存在……勇者という存在の有り様、その意味を。
「まだピンと来てないようだから、ヒントをやろう。
この世界には俺と同じように剣も魔法も自由に使いこなせる奴がいる。
戦士の様に高い武力を持ち、攻撃魔法や回復魔法も自在に操れる。
……しかも詠唱なしで、だ。
そんな奴のことを、魔族の連中は"魔王"と呼んでいた」
偶然なのかどうなのか分からないが、俺と全く変わらない力を持っている。
その言葉の意味を、その意味の裏側にある本当の意味を。
この言葉の持つ示唆、真実とでもいうべきもの。
あの時、俺の脳裏に閃いた発想……。想像、妄想って言葉でもいいな。
それをようやく理解できたのか、若者の顔は驚きに歪み、真っ青になっていた。
「魔族側の"勇者"、それが"魔王"だったと!?」
「おそらくな」
そうじゃなければ、色々と辻褄が合わない部分が多かった。
「じゃあ、人間側の"魔王"が、"勇者"だと言ってるんですか!?」
「そうなるな」
恐らくは人間の代表、魔族の代表。
それが、勇者であり魔王の"正体"なんだ。
勇者や魔王といった名も、所詮は人間や魔族が勝手に名付けた"役名"に過ぎない。
それらは本来、もっと別の名前で呼ばれるべきモノだったのだろう。
選抜者。あるいは代表者。もしくは……。
だから、俺たち……勇者と魔王は特別な存在であるのだろうと思う。
互いに剣や武力に優れ、詠唱もなしに魔法も操り、特殊な力を自在に操れる。
笑ってしまうほどに似ているじゃないか。
唯一違っていたのは種族だけだ。
……そう、種族だけが違った。
他が同じなのなら、違う部分にこそ意味があり、そこに真実があるはずだ。
つまり、種族が違うんじゃない。種族が違う必要があったんだ。
そこだけ違うというのなら、そこが異なる理由があったんだよ。
「勇者も魔王も、基本的には同じ存在だったんだろう」
その二人は互いの種族を代表する存在として生まれてくるのだろう。
人間の代表が勇者と呼ばれ、魔族の代表が魔王と呼ばれていたのだ。
ただそれだけのことであり、そんな理由で勇者は魔王と戦ってきた。
それが分かれば何ということもなかった。
だからこそ、勇者と魔王は戦わなければならないという理屈も理解できた。
なるほど、そういう事なのかと納得も出来たのだ。
互いの種同士が種の存続をかけてまで必要以上にぶつかり合わないように。
その安全弁として代表者同士を戦わせていたのだろうから。
本格的な全面戦争を防ぐために用意された安全弁だったのかもな。
どこかの誰かさんが世界中の人間と魔族のために用意した代表者。
両種族の絶滅を回避させるためだけに用意した代表戦の選手として……。
……なにが救世主だ。
なにが恐怖の大魔王だ。
ふざけるな!
こんなのは、ただの生贄だ!
これを理解して、なお勇者であり続けろと言われるのは苦痛でしかなかった。
だから、俺は引退を選ぶことが出来たのだと思う。
「……馬鹿らしいと思わんか?
こんな下らない理由で俺は魔王と戦う宿命だ等と皆から教えられていたんだ。
恐らくは向こう側もな……。
お互いに良く知りもしない相手を怖がり、憎んで、殺そうとしていたんだ。
顔すら知らない相手を憎み、殺すために剣を向けなくてはならないだ等と。
だれが、こんな下らないルールを決めた。
なぜ……憎くもないのに殺し合いをしなくてはならないんだ」
理解と同時に、戦慄もしたし、呆れもしたし、憤ってもいた。
そんな下らない理由で……。
こんな下らない理由で俺達は生まれてきたのか、と。
それと同時に、この戦いそのものに、酷い虚しさを感じていた。
何よりも、こんな下らない理由で俺は魔王を殺すのか?
こんな下らない理由で、俺は魔王に殺されるかもしれないのか?
そんな疑問が沸いてしまっていた。
迷いとも違うと思う。
何処かの誰かのクソ下らない思惑に載せられて踊らされることに。
こんな"道化役"を押し付けられたことに心底腹を立てていたんだ。
なぜ、こんな下らない理由で、魔王と殺し合わなければならない。
そんな虚しさも同時に感じていたのだろうと思う。
何って不毛な戦いなんだ、と。
この広い世界でたった二人しか居ない"似たもの同士"なのに……。
そんな二人が、なぜ殺し合わなくてはならない。
そんな俺たちの在り方に、ただ虚しくなってしまったのだと思う。
「そこで生まれた疑問は1つだけじゃなかった」
似たような大きさの力をもつ奴同士がぶつかり合う。
まあ、ソコまでは良いだろう。
それが宿命、運命だったというのなら、受け入れてやっても良い。
その覚悟くらいは旅立つ時にはすでに出来ていたからだ。
だが、その片方が消えてしまった後はどうなる。
残ってしまった一人は、どうすれば良いんだ?
戦うためにしか使い道がない。
そんな自分でも持て余す程の巨大な力を与えられた俺は。
魔王そっくりの力を持った勇者は。
果たして、残ってしまった勇者は、その時何をすべきなのか。
倒すべき相手がいなくなった時、俺はどうしたら良い?
この手に残された巨大な力を、どのように扱えば良い?
そして、そんな厄介な力を持った存在を、周囲はどのように扱えば良い……?
──いや、俺は、そのとき……どういった扱いを受けるんだ?
俺の予想では、多分俺は"人類の敵"として扱われる。
史上最悪の魔王、魔王を超える魔王、大魔王として。
……たぶん、そのあたりが落とし所だろう。
「人の魔王ですか」
「ああ。……俺の力は、お前にも少しだけ見せたな」
「アレで本気……なハズはありませんね」
「まあ、そうだな。俺の本気は結構スゴイぞ」
どれくらい?
そんな当然の質問に、俺は苦笑しながら答えていた。
「俺の動きを、お前は目で捉えることは出来んよ」
「試してみても?」
「ああ、いいぞ」
カクッ。
突如として膝を後ろから押されてバランスを崩した青年が訝しげに背後を振り返っても、そこには当然のことながら誰もおらず……。
「微かに臭う、この匂い……。煙草?」
「ご名答」
「ということは、今のは貴方が?」
「膝カックンだよ。知ってるだろ?」
「ええ。良く知ってます。……子供の頃に、よくやって遊んでました」
「だよな。みんな一回はやるはずだ」
「でも……どうやって……」
「勿論、背後にまわってやったに決まってる」
コイツには、これまで何度も稽古をつけてくれと頼まれていたんだがな。
こんなおかしな"力"を使う俺の戦い方で、まともに稽古など出来るはずがない。
普通に戦う分には俺は、そんなに強くはないんだよ。
普通のやり方を期待するなら、俺なんかより戦士の方がよっぽど剣士としての腕は確かなんだ。
普通に剣だけを鍛えたいだけなら、尚更俺は師匠には向いていない存在だった。
なにしろ、魔法剣士な俺の剣は、俺以外には誰にも真似できない類の技の塊だったからな……。
「……な? 見えなかっただろ?」
「それなりに剣の腕に自信はあったんですがね」
全く見えなかった。
いや、動いた事すらも……。
そのことを、認識すらしてなかった。
自分の目の前から"飛んで"居なくなった"瞬間"が、確かにあったはずなのに。
それどころか、背後に立ってイタズラして、また飛んで木の上に座り直すまで……。
「俺の今の動きを予測してみるか?」
ぶつぶつ呟きながら悩む若者は、果たして答えにたどり着けるだろうか。
「……多分、僕の瞼の動きを貴方は見ていた」
「ほぅ」
瞬きした瞬間に。
僕が目を閉じた刹那の一瞬を狙って、貴方は動いたんだ。
そんな若者の名推理に俺は満足して両手を叩いて見せていた。
「正解だ」
「師から聞いたことあります。無拍子とかいう技ですね」
「よく勉強しているな」
予備動作を完全になくした状態から瞬間的に動く事で、初動の動きを本来よりも速く相手に錯覚させることが出来るし、相手に予測できないタイミングで仕掛けることで隙を突ける。
本来はだまし討ちとかにしか使えない類の技なんだが……。
「今度は、どうだ?」
「……いいえ。また、見えなかったです」
こうして瞬きに始動を合わせるのは俺のオリジナル技だったりする。
「これを今みたいなタイミングで瞬間移動で使うと、相手の目には残像が残るらしいな」
これが、さっき背後に回った時に俺の動きを知覚出来なかった理由だ。
俺が背後に回った時、コイツの目には俺の残像が見えてしまっていたのだ。
恐らくは、まだこそに俺が座っているという思い込みによって作られた影によって。
だが、これを所見で見抜くとはな……。恐れいった。
「なるほどなぁ、いや、こりゃなかなか見事なものだな。
王も、さぞや将来が楽しみだろう」
木の上に戻りながら、そう褒めてやると僅かに嬉しそう微笑んでみせる。
俺の動きを見慣れていた戦士でさえ、所見じゃコレを見抜くことは出来なかった。
こいつの素質は戦士を超えてるかもしれない。
つまり、剣の腕だけなら俺の遥かに上をいく逸材の可能性が高いってことだ。
……この歳で、これだけ出来れば大したものだ。
そんな俺の評価に、今度は苦り切った顔で頷いて見せていた。
「うん? 嬉しくなかったか?」
「今、僕は……死にましたから」
ま、これが実戦なら、な。
少なくとも、コレくらい出来ないと、コレと同じことが出来る魔王には勝ち目はない。
そのことを嫌ってほどに理解してしまったのかもしれない。
「それが分かるだけ、お前はまだ賢い方だよ」
世の中には人海戦術で魔王や勇者に勝てると思い込んでいる者達が未だに多かった。
こんな真似を出来る相手に、どれだけ人数を用意しても意味はない。
一人残らず喉を裂かれて死ぬだけだ。
そこまでいかなくても、指揮官クラスの人間を軒並み皆殺しにされて、それでもまだ軍の体裁が維持できると本気で思ってるのかね?
それを分かっていたからこそ、魔王討伐は勇者に丸投げされていたんだ。
「これが……魔王の力。
魔王討伐の役目が、勇者でなければならなかった理由そのもの、ですか」
「ま、そういう事になるな。
そんな理由は、問題という意味でもある。
俺が魔王と同質の力を持っていることが残された問題でもあったんだ」
人の背格好をして、人の言葉を喋り、人の顔をして、人のフリをしている。
そんな勇者と名乗る魔王と何ら変わらない存在が、もう一人存在している。
……色々と困ったことに、魔族の魔王よりも強い奴が残ってしまっている。
そんなデタラメな存在が、ここにまだ生きている。
そんな俺の言葉に若者は曖昧な表情を浮かべていた。
「お前も見ての通り、この力は少々人には過ぎた代物だ」
魔王は、この力で魔族の支配者として君臨していた。
だが、勇者は身分的にはただの平民に過ぎない。
ちょっと……というには少しばかり桁が大きすぎるだろうが。
だが、本人にとってみれば、ちょっとだけ特別程度な。
そんな変わった力を持って生まれただけの、ただの男なのだ。
本来は、そんなちっぽけな存在に過ぎなかったんだが……。
そんな存在が世界最強の存在になること自体が変だったのだろう。
だが、この問題の一番大きな本質はきっと別にあったのだろうと思う。
魔王を勇者が倒してしまった。
この事が問題の本質そのものだった。
これまで俺たちは魔王を倒せなかった。
それは魔王が強かったからだ。
倒せていない間は、問題はそれ以上には大きくならなかった。
魔王を倒すのが勇者の目的であり、力を向ける先であったからだ。
そして、周囲も、そんな勇者のことを応援しているだけでよかった。
いうなれば、魔王とは勇者の力を受け止める的だ。
これまでは、向かってくる勇者を弾き返して"始末してくれる"有り難い存在だった訳だ。
……そんな便利な存在だった魔王を、勇者がついに倒してしまった。
それなら、残された勇者を、どうやって始末したらいいのか。
そう、それこそが問題だったのだろう。
魔王ですら勝てなかった存在を。
そんなデタラメな人間をどうやって制御したらいいのか。
そんな恐ろしい存在に、対抗策がなくなってしまっていた。
そんな状態の中で、どのように手綱をつければいいのか。
勇者よりも弱い魔王ですら御しえなかった我々に。
為政者達は、いつかきっと気がついてしまうのだろう。
すぐ側にいる、もっと厄介な存在のもつ危険性に。
魔王よりも危険で厄介な存在が残ってしまっていることに。
その存在が牙をむいた時の恐ろしさを無視できない立場ゆえに。
何よりも、魔王を倒すことに全力を傾けていた。
そんな奴が魔王がいなくなったら暇になってしまう。
他のことに目を向けてしまう。
名声のあとには権力を欲しがってしまうのではないか。
そのことが予想出来るから……。
──いつか、きっと、奴は、野心をむき出しにするはずだ!
みんな、そう考える様になる日がきっとくるのだ。
魔王に対して抱いていた根拠すらない嫌悪感と恐怖を思い出して。
魔王という名の鏡に写った自分の中にある弱気と恐怖に怯えながら。
今度は、勇者という信頼していたはずの鏡に怯えてしまうのだ。
人の御しえない大きすぎる力。
勇者や魔王に対して抱く、無意識の嫉妬と根拠のない不安からくる恐怖。
そんな力が自分達に向けられた時の底なしの恐怖を想像してしまうから。
人のもつ心の弱さ、心の闇に飲まれて。
「いつか、俺は人の世界に居場所がなくなるだろう。
……魔王以上に邪魔者扱いされる事になる日が、きっとくる」
──そして、それは、そう遠い話じゃない。
「そんな……」
「本当に、ないと思うか?」
魔王は、一度もこっちに自分からは攻めて来ていなかったのに。
それでも魔王は嫌悪されていたし、恐怖もされていたのに。
勇者と変わらない力をもった魔王を、あれほど恐れていたのに。
魔物の王様だからって理由で怖がっていた訳ではないはずだ。
魔王のもつ力の大きさに恐怖していたから恐れていたはずだ。
それなら……そうなるのは必然なはずだった。
「それは魔王が魔族を指揮して人間の領地に攻めて来ていたから……」
「そこだよ」
「そこ?」
「ああ、そこなんだ」
そこが、ずっと疑問だったんだ。
「みんな口を揃えて悪いのは魔族で、元凶は魔王だって言ってるよな?」
「ええ。魔族が人間の世界に攻めて来ていたのは魔王の命令のせいです」
「そこだ。みんなそう言ってるが……。なあ、魔王って何かしたのか?」
「え?」
若者の虚を突かれた顔は、予想外な言葉というだけではなかったのかもしれない。
それは、きっと考えすらしなかった発想だったに違いなかったのだ。