5.能力
「おっ、いいところに来たな」
珍しく普通の格好をしている俺の所にやってきたのは、いつもの若者だった。
「何か、珍しい格好をしていますね。もしかして、旅にでも出るんですか?」
「たまには肉を食いたくなる日もあるからな」
肉が食いたいってことは、それを用意するのが俺の仕事ってことだ。
ちなみに妻の仕事は、俺が用意した肉を料理することで、娘の仕事が、それを食べて美味しいって言ってくれて、俺達夫婦に幸せを届けてくれることだったりする。
うむ。我が家の役割分担は完璧だな。
「それじゃあ、ふもとの村まで買いに行くんですね」
「お前は、何を言ってるんだ」
「え?」
「山に、獣を捕りに行くに決まってるだろうが」
「ええ!? 今から!?」
「今からだよ。手伝いが欲しかったんだ。丁度良い。お前も来い」
そんな俺の言葉に面食らっているアイツの襟を掴むと、俺は額に指を当てて短く精神を集中する。
「夜までは帰る」
「はい、いってらっしゃい」
「おとうさん、がんばってぇー」
「ああ、行ってくる」
手を振るのと同時に、そんな二人の姿が視界からフッと消えて。
「ついたぞ」
「……へ?」
そこは先程までいた場所を遥かな彼方に見下ろす山から突き出した岩棚の上だった。
「な、な、な、ば、い、ほ。ぉぅぇ!?」
「おちつけ、若いの」
ドウドウと興奮した馬を宥めるようにして背中を何度かパシパシ叩いてやると、ようやく目を白黒させて口をパクパクさせていた若者が、ゲホゲホと空気の塊を吐き出して、マトモに喋ることが出来るようになっていた。
「な、なん、ですか、今の……?」
「何って、移動魔法だが……」
「今のが!?」
「そういえば、余り使い手は居ないんだったな」
目的地を、それこそ現地に居る位に非常に精緻かつ正確に脳裏に思い浮かべなければならないとか、恐ろしく強い精神集中が必要になるとか、目的の場所までの経路が完全に開けてないと駄目とか、実際には色々と使い方や使い勝手に制約とか制限が多い代物なんだが、これはこれで使い慣れると非常に便利な力で、旅をしていたときには散々世話になったものだ。
もっとも、常人が使うには、発動までにもの凄く準備時間がかかるらしいし、使うとヘトヘトになるから、魔法の熟練者でも週に数回程度しか使えない類の力だと言われているが……。
「初めて味わいました」
「そうか、そりゃ良い体験になったな」
まあ、滅多にお目にかかれる類の力ではないのは確かだった。
俺のパーティーでも、この力を日に何度も自由自在に使えるのは俺だけだったし、魔法使いや僧侶の奴も自分ひとりか、せいぜいもう一人連れて"飛ぶ"のが精一杯だと言ってたからな……。
「これって、どこにでも飛べるんですか?」
「空間的に遮蔽されてなければな」
「空間的に遮蔽?」
「う~ん。どう言えばいいのかね……」
いつも感覚的な部分で処理してる事だけに、言葉にするのはちょっと難しいな……。
「まず、出発点と着地点があるだろ」
「はい」
「その2点の間が直線でも曲線でも良いから、出来るだけシンプルな一本線で空間的に"線"を引けることって条件なんだが……。今ので分かるか?」
「なんとなく、だけ……」
「そりゃそーだろうなぁ」
俺でも今の説明じゃチンプンカンプンだ。
「まあ、簡単に言うと、壁とか岩とか魔力の障壁とか城壁とか鉄格子とかな。
そういった"壁"で囲まれていたりする場所には外からは"線"を引けないだろ?
"線"を引けない場所には直接飛び込んだり出来ないってことだ。
たとえば、壁に囲まれた部屋の中とか城の中とかだな」
便利そうにみえて色々制限が多い力なんだぞって事を、最初にしっかり教えておく事が大事だってことを、前の旅で散々思い知らされたからな。
お陰で、この面倒くさい概念を説明するのも、さほど面倒には感じないで済んでいた。
「壁のせいで繋がってないから駄目って意味ですか」
「ああ。遮蔽されてない野外にある場所とか、城壁で囲まれてない普通の街とか、周囲を壁とかで覆われていない状態で、出発点から目的地まで繋がってないと駄目という意味なんだが……」
ちなみに繋がってるかどうかは感覚で判断できて、繋がってない場合には飛べないし、無理して飛ぼうとしても弾き返されて元の場所に戻されるんだが……。
うん、これじゃ駄目だな。
言葉では言えば言うだけ、かえってややこしくなってしまう。
こればかりは感覚的なモノだから言葉では説明しずらいんだ。
「まあ、本当は他にも色々と条件はあるんだが、もの凄く簡単に言うと、今見えている場所とか、直線や山形の放物線の形の線で繋ぐ事が出来る場所とかな。……そういった場所になら、どうにかこうにか飛べるって感じの力だと思ってくれ」
そんな俺の言葉に、若者は驚いた目をしていたが。
「そんな凄い力を軽々と使えるんですね……」
「引退したとはいえ、一応は勇者様だからな」
初めて貴方のことを凄いって感じました。
そんな若者の言葉に俺は正直苦笑を浮かべていたのだが。
「……ところで」
「ん?」
持参した鉈で邪魔な枝などをバサバサと雑に切り払いながら、ガサガサ派手に音を立てながら森に踏み込んでいく俺の背後で、若者は油断なく剣を抜いて大人しく付いてきていたのだが。
「なぜ、何も武装してないんです?」
「鉈があるが」
「服も、それ単なる"なめし革"ですよね、ソレ」
「そうだが……。何か変か?」
別に変ではないだろう。
山に踏み込む猟師達と大差ない格好のはずだ。
まあ、彼らのように弓や防寒着といった類の装備品は持って来ていないが……。
「他に武器は?」
「ん~……コレ?」
腰の後ろにさした刃渡りの短いダガー(解体用)を指差してみる。
「それで、どうやって獣をとるつもりですか……。
もしかして投げるつもりなんですか?
それに万が一熊とか出てきたら、どうやって戦うつもりなんですか……」
まあ、そう感じて当たり前か。
「んー……まあ、見てろって。
口でくどくど説明するより、たぶん見ただけのほうが早いだろうから」
そんな俺の適当な言葉に素直に従う辺り、それなりに実力は評価されているということだったのかもしれない。
「おっ、いたいた」
「随分と遠いですね……。しかも、急な岩肌の斜面だし」
「手頃な大きさだ」
「まあ、そうかもしれませんけど……。
でも、明らかにコッチに気がついてますよ、アレ」
「ああ。気がついてるだろうな」
野生の獣は匂いにやたらと敏感だからな。
連中に気取られずに近づくのは至難の業だ。
特に足場が悪いとなると尚更だ。
「……まあ、大丈夫だろ」
──せーの。
パシッ。
獲物の首筋に触れた指先から紫電が走り、体を痺れさせ、瞬時に絶命させる。
弛緩する前の硬直した首筋に指を食い込ませるように固定して。
──よいせっ。
心のなかで掛け声をかけて。再度、飛ぶ。
……ほんの、瞬きする間の出来事だった。
「……え?」
ドサッ。
「うっし、そっちの足持て。帰るぞ」
飛んで、触れて、痺れさせて、仕留める。ぐっと掴んで、また飛んだ。
言葉にすれば、ただそれだけのことに過ぎない。
そんな俺が仕留めてきた中型の鹿に目を白黒させていた若者に、俺は苦笑を見せていた。
「手品でも何でもない。
単に、ゼロ距離からの"電撃"で仕留めただけだ。
……今度は見てたんだから、分かったろ?」
転送魔法と電撃魔法の組み合わせだ。
こいつくらいになれば、見ていただけでもある程度は分かっただろう。
「噂には聞いてましたが……。
本当に魔法剣士ってヤツなんですね」
しかも、詠唱もなしに、そんなに軽々と。
そんな言葉に俺は自嘲の笑みを浮かべているのを自覚していた。
殆どの人間……僧侶や魔法使いもそうだったが、魔法を使う時には必ず詠唱を必要とする。だが、俺の場合は詠唱を必要としない。
精神をちょっとだけ集中して、魔力を媒体に魔法を発動させる。ただ、それだけの事だった。
そして、俺の場合にちょっと特殊なのは、魔法の威力を"注ぎ込む魔力の大きさ"で自在にコントロール出来るという点にあった。
通常は、威力を弱めたりするのは不可能ではないらしいのだが制御的な部分で難しい場合が多く、逆に威力を強めたりするのは不可能な場合が多いらしい。
俺のように初歩的な衝撃を与えるだけの"電撃"に過剰な程の魔力を込めて、鹿を絶命させるほどの威力を引き出すなど出来るはずがないのだそうだ。
もっとも、昔からコレが当たり前だったせいで、俺にしてみれば、この程度のことが何故他の人間に出来ないのが不思議で仕方なかったんだがな……。
──このバケモノめ。
俺は他の人間にはこんな芸当が出来ないことを、旅の間に"実感"として思い知らされた。
そして、こんな芸当が出来るのは魔族にすらも殆どおらず、俺と全く同じ事が出来るのは、世界でたった一人だけ。……不倶戴天の敵であるはずの魔王だけだったと知ることにもなった。
あの時には、天敵であるはずの魔王を相手に、なんとも不思議な親近感と縁を感じたものさ。
「剣も魔法も自由自在って訳ですか」
「全部の魔法を自由自在ってわけじゃない」
剣はともかくとして、魔法については制限だらけだと教えておく。
俺が使える攻撃系の魔法は唯一といっていい電撃魔法だけだった。
魔法使いが使えるような広範囲に渡る広域攻撃魔法も、まあ、使おうと思えば使えない訳ではないが、扱える系統はやっぱり電撃のみになってしまう。
一般の魔法にあるような、火や風や水や土といった多岐に渡る元素系の攻撃魔法は扱えないし、色んな系統の魔法が自由自在って訳でもないんだ。
僧侶のような強い回復力をもつ治療魔法や、状態異常からの回復魔法も一応程度には使えるが、他の治療魔法の使い手のように他者を回復させるための魔法は何一つ使えない……。
はっきり言ってしまえば、敵と一対一で戦うための技術以外は何一つ取り柄がないといえるのが俺という存在の持つ力なのだろうと思う。
そんな俺に精々出来るのは、自分の怪我を直したり、状態異常を回復させたり、自分の身を守るための魔法を操ることだけだった。
それに剣の腕だけで比べた場合には戦士には遠く及ばないし、剣を持って普通に立ち合えば十中八九で俺の負けになるだろうと断言できる。
剣の扱いだけでその有様だし、これに俺の苦手な盾の技術も含めて勝負すれば、こっちの勝ち目はゼロになるだろうと断言できるほどだ。
実際のところ、幾つか他のヤツに真似できない類の特殊な魔法や便利な力が、色々な制限はあるにせよ、一応は詠唱なしで使えているというだけの、実に中途半端な存在なのだ。
そういう意味では、俺は自分のことを凄いと思ったことはなかった。
攻撃魔法の力とバリエーションでは魔法使いに大きく劣っているし、回復魔法の威力と応用力では僧侶には遠く及ばないし、他人を回復させたり出来ないという時点で回復魔法の使い手としての価値は殆どないといっても良かった。
かといって剣士としての力では、戦士に大きく劣ってしまっている。
特異な能力の組み合わせによる反則じみた特殊な戦い方が出来るという点以外で見た場合には、総合力はともかくとして、個別の能力では何もかもが2番手という実に情けない状態だったのだ。
そんな俺が自分の武力や魔力に自信を持てるはずがなかったのだろう。
俺の中にはいつも仲間に対するひそかな劣等感があった気がする。
だから、俺は自分が先頭に立って戦うということに人一倍拘りが強かったのかもしれない。
「……お前に出来るのは戦うことだけだ、か」
「え?」
「いや、前に剣を交えた相手から、そんなことを言われたことがあってな……」
戦士は人に技を教えることが出来る。
だが、お前の技はお前にしか使えない。
ゆえに、お前に人を教えることは出来ない。
──だからどうした。
魔法使いは人に魔法を教えることが出来る。
だが、お前の魔法はお前にしか扱えない。
ゆえに、お前の魔法は、人に教える事が出来ない。
──魔法が全く使えないよりは、使えたほうが色々と便利だろう。
僧侶は人を癒し救うことが出来る。
だが、お前の魔法は自分にしか使えない。
ゆえに、お前の魔法は、他人を救えない。
──自分ひとりだけでも救える分、救えないよりかはマシだ!
……分かるか、勇者よ。
お前に出来ることは『敵と戦う』こと。ただ、それだけだ。
そんなお前が、戦う相手を失ってしまえばどうなると思う。
お前が最大の敵を倒すということは、どういうことなのか。
お前の存在意義とは、なんだったのか。
何故、そんな奇異な力を与えられてしまったのか。
勇者とは、何なのか。
それらをよく考えてみることだ……。
──ごちゃごちゃうるせぇ!そんなモン、知ったことかぁ!
あの時には、そうなればそうなったときに考えるさ程度に軽ぅく考えていたんだがなぁ……。
「……言われてみれば、確かにその通りだったよ。
今になって、ようやくあの時言われた言葉が実感できたのかもな」
苔むした倒木に腰掛けて脚を組むと、懐から取り出した紙巻タバコに指先に起こした火花(極小に威力を抑えた電撃魔法によるものだ)を近づけながら……。
胸の奥に苦い煙を吸い込んで、ゆっくりと吐き出していく。
この煙は、ざわついた心を落ち着かせるのには必須となるアイテムだった。
「わざわざ指摘されるまでもなかったんだ。
俺は、あらゆる意味で異質だったからな。
戦士の様に剣を扱え、魔法使いの様に攻撃魔法を操り、僧侶の様に自らの傷を癒す。
しかも詠唱もなしに、殆ど制約らしい制約もなしに、魔力の許す限り、それが出来るときた。
常人には有り得ない頻度と速度で瞬間移動を連発出来たり、とかな……」
旅の間に、敵対した悪党どもから何度バケモノ呼ばわりされただろう。
仲間達からさえ、冗談交じりに人間離れしてると言われた事もあった。
魔族からは、自分達とおなじ魔族と間違えられた事すらもあったんだ。
若いせいもあったんだろう。
旅の道中では、いちいち細かい部分まで気にしてなかったが……。
たぶん、俺という存在は何処にいても浮いてしまう"異質さ"があったんだろうな。
「よくよく考えてみたら、どこでも最後には『あいつは勇者だから』って目で見られてたんだ」
"勇者"の部分を、"特殊"とか"特別"とか"規格外"とか"化け物"にしても意味は同じさ。
不思議なことに、何処でも最後には一目置かれて、特別な便宜を図ってもらえるんだ。
……それって単に怖がられてるだけなんじゃないのか?
その事に気がついたのが引退した後だったというのだから笑えない。
そのときには『なにしろ伝説の勇者様だからな。スペシャルな力が使えても不思議じゃないさ』などと虚勢を張って見せていたが、バケモノ呼ばわりされたり、怖い生き物を見るような目を向けられた件は、実のところずっと俺の中で……ノドに刺さった小さな魚の骨のように、心の何処かでずっと引っかかったままになっていて。
それが、ずっと……気になり続けていたのだろうと思う。
──俺は本当に人間なんだろうか。
その疑問は魔王城にたどり着くまで、ずっと俺の心に小さなトゲとなって刺さっていたんだ。
「お前、なんで俺が隠居生活しているのかって前に聞いたよな」
「え? あ、はい」
そろそろ教えておくべきなのかもしれない。
いつか俺が、この国から逃げ出す羽目になる前に。
まだ時間が残っていて、ゆっくりと話を出来るうちに。
「今の俺が一番恐れているのは、俺の正体に誰かが気づいてしまうことだ」
「……正体、ですか」
「俺は、魔王だ」
「……そんな……」
俺の言葉に、若者はただ絶句していただけだった。




