4.人生哲学
また仕官の誘いですか?
そんな腕の中の妻の言葉に、俺はあくびを噛み殺しながら答えていた。
「いつもと同じだよ」
「もうちょっと勇者らしくしてください、と?」
「そ。大体、いつも同じ」
もうちょっとシャキっとしてくれ、か。
……面倒くさいヤツめ。
そんな俺の言葉に、妻は楽しそうに笑っていた。
「貴方の望みが何なのか、それを理解してくれる殿方は少ないようですね」
「男ばっかりじゃない。女だってそうさ」
こんな風に田舎に引きこもって自堕落的にのんびりと暮らしていると、世間様の目ってヤツは段々と厳しくなってくるものなのだろうか。
最初の頃は『戻ってきたばっかりだから、しばらくはそっとしておいてあげよう』とか言って、皆んな黙って俺たちのことを見過ごしていてくれたんだが、そんな人達も、何時まで経っても次の行動を起こそうとしない俺に呆れて、口々に文句という名の苦言とやらを投げかけて来ていたし、最近では自分勝手な希望や願望を次々に投げかけて来るようになっていた。
その際たるものは、やはり「俺たちの王になってくれ」といったものだったのだろう。
──人の気も知らないで。
王からは将軍となり、これからの国の立て直しに手を貸して欲しいと頼まれているし、あの若いのからは自分達を導く騎士団長になって欲しいとずっと懇願されている。
他の連中からも、筆頭領主となって国の運営に関わって王を助けて貰えないだろうか等といった内容から始まって、国の要職について欲しいだの、運営費は国費で見ますから道場でも開きませんか等といった誘いもあったし、ちょっと変わった所では教師になってみないかという誘いもあったな……。向いてないからと断ったが。
そんな具合に、今でも実に様々な仕事や役職を打診され続けているし、そういった打診以外にも色々と誘いを受けたことは数知れなかった。
ここだけの話、今の王に反感を持つ者は際立った名声と人気をもつ俺を王にしたがってるという内緒話もチラホラ聞こえて来ているのだ。
……無論、意図的に俺に聞こえるように仕向けているんだろうがな。
そして、田舎に引き篭もっている俺にすら、その噂が聞こえるってことは、王にもソレは筒抜けってことだ。
やれやれ。そんなに俺を政争の火種とやらにしたいのかねぇ?
戦士と僧侶の二人が教団側に与する立場で名声を高めていっているものだから、王都側も教団との力関係が、これ以上におかしくならないように、残り二人に必死にモーションをかけているのかも知れないな。
これまで通り、王都の下に教団が置かれるという立場を守るためにも、教団側がとりこんだ僧侶と戦士のペアに対抗できるだけの存在として、魔法使いと俺を自分たち側に取り込もうと画策していたのだろうとは思うし、その必要性も分からないでもない。
ネームバリューとしては、魔法使いの奴は僧侶には大きく劣っているが、俺の名声と人気は戦士の奴の比ではないからな。
トータルで見れば数の上では互角の2対2となる事になるが、名声の大きさでは王都側が余裕で勝てるだろうといった目論見だったのだろう。
まあ、魔法使いの奴にとっては、どういった経緯があったにせよ、昔からの希望だった研究職の道に飛び込んでいけたのだから、あいつにとっては良い話だったのかもしれない。
そんな4人中3人が早々に自分の立ち位置を決めた中、未だ立場を決めていない俺をどちらの陣営が取り込む事になるのか。
そんな最後の一人の争奪戦が凄まじいことになるのは、そういった事情を知っている者達にとっては想定の範囲内だったのだろうと思う。
別に狙ってやっていた訳ではなかったのだが、結果的に、それは条件を競い合わせる事になってしまっており、俺は自身の態度をはっきりさせないことで自分の商品価値を無制限に釣り上げる結果になってしまっていた。
そういった俺の態度が不誠実ではないかとアチラコチラから手紙で何度も非難されているのだが、そう言われても仕方ない程の勧誘合戦だったのだろうと思う。
王都の騎士団長から始まって軍の要職だろ?
こないだなんか、大将軍とかいう役職を作っても良いなんて提案もあったほどだ。
そうなれば当然、教団側もモーションをかけてくるのは必然だったのだろう。
教団に入信しなくても良いから教皇直属の筆頭聖騎士の座についてくれないかとか、冗談としか思えないような誘いも内々にあったのだ。
だが、真実は往々にして小説よりも奇なりってなヤツだったのだろう。
教団からの誘いを冗談としてまともに取り合っていなかった俺に、ついに連中は次期教皇等という末恐ろしい話まで振るようになっていた。
恐らくは王都側が次期国王の座を用意しようとしているという噂話が原因だったのだろうが……。
ここでパワーバランスを一気に教団側に傾かせて、これまで頭を押さえつけていた王国側に対して有利な立ち位置を確保したいと考えているのかもしれない。
だが……な。流石に、ここまでくると、な。
いくらなんでも少々行き過ぎていると思わないか……?
──権力争いの道具にくれてやるエサにしちゃ、ちょっとばかり破格すぎる話だ。
はっきり言ってしまえば、いくらなんでも異常だ。
恐らくは誰かが意図して互いの陣営を焚きつけているのだろうが……。
このままいけば良くも悪くも俺の存在自体が、この国の平穏を脅かす原因になりかねない。
今の状態はある意味ギリギリといった状態にあったのだと思う。
俺はフリー宣言して何もしていないので双方にとって点数となっていないが、僧侶のやつは聖職者として教団に最初から関わっていたせいもあってか、教団にとっては、これからもどんどん名声を高めていってポイントを稼いでいって欲しい所だろうし、そんな僧侶を支えている戦士の奴にもさっさと入信して貰って聖騎士となって欲しいというのが彼らの本音のはずだった。
もっとも、戦士の奴は立ち位置を表明していない俺のことを気にしてくれていたのか、未だに正式には聖騎士の叙勲を受けてはいないようだが……。
それを解決するためにも、俺に早く立場を決めて欲しいと思っているのかも知れない。
そんな教団にばかり人材が集まっている状態から、王都側はようやく魔法使いを取り込むのに成功したということだ。
そんな事情もあって、近々、魔法使いは王都のアカデミーで重要な役職につくことになっているし、実力は折り紙つきなのだから、そこで頭角を現していくことになるのだろうが……。
正直、教団側の二人と比べて、ちょっと名声的に見劣りしているのが現状だった。
2対1という人数の差もそうだし、僧侶個人の人柄や、そんな僧侶を守る戦士の姿への評判もあったのだろうし、何よりも王都の研究所にこもっている研究者と、世界各地を旅している救済者といった根本的な違いから来る名声や評判等の大きさの差などもあったのだろうと思う。
だからこそ、王都側も俺の説得なんかに次期騎士団長筆頭候補なんて立場の奴を送り込んでくるのだろうが……。
──このままいくと、この国に俺の居場所はなくなるかもしれんなぁ。
脳裏に、そんな有り難くない上に的中率がかなり高いだろう最悪の未来絵図が浮かび上がるのも、ある意味は仕方なかった事なのだと思う。
──何にせよ、いい迷惑だ。
放っておいてくれたほうが有り難いというのは紛れもなく本音だった。
俺は、ただこの家で家族と楽しくやっていければソレ十分なのに。
なぜ、その程度のことを認めてくれないのだろう……。
「なんで偉くなったら、もっと上を目指さないといけないんだろうなぁ」
「今で十分という考え方は、珍しいのかもしれませんね」
「人生平和が一番だよ。穏やかで、平和で、幸せなら……」
右手が届く所に妻がいて、左手が届く所には娘がいる。
狭いが充実していて、幸せな我が家だった。
一軒家の中に広がる、穏やかで優しく温かい世界。
今の俺が守りたいモノの全てがここには揃っていた。
「俺は、両手の届く範囲を守ることが出来れば、それで良いんだよ」
多くを望めば指の隙間から零れ落ちてしまう物が増えるのは必然なのだ。
では、何一つ落としたくないのなら、どうすれば良いのか?
答えは簡単だ。賢い奴なら子供の頃から分かってることだ。
最初から握り締めることが出来るだけの量しか手にしなければ良い。
そんな子供でも分かる事が、今の俺にとって、最も大切な人生の哲学だった。