3.説得
余り面倒くさい話は妻や娘に聞かせたくない。
そんな俺のささやかな希望は、最低限のお願いとして最初に伝えてあった。
そのおかげもあってか、これまで一度も破られることなく尊守されてきている。
まあ、俺に何か頼みたい事があるというのなら、この程度の事は守ってくれなくてはな……。
「……で? 用件は?」
「いつも通りですよっと」
ヒュンと軽い音を立てながら、釣り針を軽々と狙ったポイントに投げ込む。
継続は力なりとはよく言ったものだが、最初はあんなに下手くそだったのになぁ。
そんな若い男の横で、俺は寝転がりながら麦わら帽子を顔に乗せていた。
それを日除けがわりにしながら、網目の隙間からのぞく空を見上げていたのだが……。
──ああ、平和だなぁ……。
こうしていると、なぜだか妙に眠くなってくる。
俺は、あくびを噛み殺しながら答えていた。
「仕官しろって話なら、前にも断ったはずだが?」
前にもというか、毎回このやりとりは繰り返されている気がするがな。
「上役にも毎回、きっぱり断られましたって伝えているんですがね」
「そう簡単には諦めてはくれない、か」
「これからも諦めずに交渉し続けるようにって指示されてましてね。
正直なところ、板挟み状態で困ってるって所です」
スイマセンネェ。
その言葉がひどく空虚で軽いものだったのは、きっと気のせいではなかったのだろう。
まあ、宮仕えが面倒臭いモノだってのは、俺も分かっちゃいるがな……。
「良い加減、諦めてくれないかねぇ」
「僕もそう思うんですけどねー……って、おぉっ!?」
ガバッ!
「よっし、ひっと!」
「おっ!よしよし、逃がすなよ!それ、今日の晩飯なんだからな!」
「それなら、これ釣ったら、さっきの話、考えてくれます!?」
「そんなの後回しだ!でも、釣り上げたら、ちょっとだけオカズ分けてやる!」
「そんなの狡い!って、え?」
ブチ。
「あ……」
「あっ……ああああぁぁぁぁ!」
「バカ!何、糸切ってんだ!」
「馬鹿は酷い」
「んじゃ、言い直す」
「お願いしますよ。下手くそ以外で」
「……」
「言い直すんじゃなかったんです?」
「可愛くないヤツだ」
「よく言われます」
逃した魚は大きく見えるとは良く言うがな。
もうちょっとで釣り上げられそうな所で逃げられると、必要以上にテンションが下がってしまうのは何故なんだろうなぁ……。
脱力するとゴロっと寝転がって、今度は不貞寝のポーズで麦わら帽子を顔に乗せる。
そんな俺の横で、あいつは苦笑いを浮かべて切れた糸を新しいものに付け直していた。
「それで、まあ、話を元に戻しますが……」
ポチャッと仕掛けと餌をつけなおした竿で浮きを投げ直して。
「……家も金も手に入れたし、綺麗で可愛い奥さんや娘さんも居る。
そんな貴方には、もう欲しいモノは何もないって訳ですか?」
「ま、そーいうことなんだろうなぁ……」
そんなちょっとした残念系のイベントの後には、心地良い春先の風と、昼下がりの気怠い空気が合わさって、俺たちに猛烈な勢いで襲いかかってくる。
それは奇妙な眠気を誘っていた。
きっと、そんな時間帯になり始めていたのだろう。
「気持ちは分かります。
でも……僕は、こうも思うんです。
貴方は、魔王を討った勇者達の代表として……。
伝説の勇者の末裔として、歴史に名を残す責任があるんじゃないかって」
横目でチラチラ俺のほうを見ながら、そう淡々と言葉を口にする。
変に情熱的に勢い良く説得されるより、こういうノンビリした方のがキツイな……。
「それは、まあ……。よく言われる」
「そう考えている人は、きっと多いと思いますよ」
「まったく。そんなのは、あいつらに任せときゃぁ良いんだよ」
戦士のヤツは旅をしてる時からずっと仲の良かった僧侶の護衛として、今も彼女の側にいるのだろうし、そんな護衛に守られながら、僧侶は大陸中を旅して回っていると聞いている。
戦士のヤツは俺より腕が確かで、単純な剣の技術もさることながら旅の間に鍛え上げられた『誰かを守りぬく能力』に関しては、俺なんかじゃ足元にも及ばないような熟練者だからな。
そんな頼もしいヤツに守られながら、布教活動とやらに日々励んでいるのだろう。
世界中の戦災孤児や魔物との戦いによって親を失った子供たち、捨て子などの面倒を見てくれる孤児院や教会を世界各地に作ってまわっているとか聞いていたが……。
今や教会のバックアップも受けいるらしいし、旅の戦士様と僧侶様よりも、守護騎士様と救済者様って呼ばれるようになった新しいの呼び名の方が有名になってしまった二人のことだ。
人に誇れる立派な仕事をしていると言って良いんじゃないかね。
そういった不器用な生き方しかできない愛すべき武骨者達(と書いてバカと読め)と比べると、魔法使いのヤツは比較的要領よくやっていると言ってやるべきだったのだろう。
王都に戻ってきた頃には、王からの特別報酬として特別な書物の閲覧許可とかいうのを貰って、王立図書館の奥に封印されていたらしい禁書扱いになっていた魔導書の山に囲まれて、日々楽しく魔導の研究に励んでいたらしいのだが……。
最近は、そんなヤツのささやかな望みとはちょっと違う方向に話が進んできているらしい。
なんでも、近いうちに王都の研究機関で魔法関連の重要な役職につくことになりそうなんだとか……。
こないだ、本人から送られてきた手紙には、そう書いてあった。
本人の願望混みの未来予測では、ゆくゆくは、これまで封印されてきた類の魔道を世に復活させるための活動をする方向に進みたいと思っているのだそうだ。
まあ、元々、あいつにとっては俺達と一緒に世界を旅するということは余り興味を掻き立てられる事でもなかったようだし、今の研究系の仕事の方が性分的にも向いている気がするから、これはこれで良かったのだろうと思う。
そんな皆の華々しい活躍とは比べるべくもないだろうが、大きく見劣りしてしまうのが、今の俺の生活っぷりだった。
魔王を倒した4人の勇者の代表格、伝説の勇者の末裔の男として、本来は王都に仕官でもして将軍職にでも就くべきだったのだろうが……。
そんな伝説の勇者の肩書きをあっさりと投げ捨てて、俺は田舎に引きこもって嫁さんと子供の3人でゆっくりと悠々自適な生活を送っていた。
旅の間に手に入れた品物や金品、王様から貰った報酬の品々、それらは仲間内で均等に四分割して分け合ったんだが、その時の金の大半が未だに手元に残っていたりする。
そのお陰で、俺は死ぬまで楽に遊んで暮らしていける事だけは、すでに確定してしまっていた。
だったら、後は静かに暮らしたいと思ってもバチは当たらないと思うんだがな……。
なかなか、そういった考え方は世間様には理解して貰えないらしい。
「このままだと、後世の歴史書に名が出てくるのは、あの3人だけって事になりかねませんよ?」
「良いんじゃないか、それで」
俺は別に名前を歴史に残したいなんて思ったことはない。
こうして、そこそこ平和になった世の中で、静かに暮らせる家があって、家族が傍に居て、のんびり生活出来るだけの蓄えもあって、美人の奥さんと可愛い娘までいる。
この生活の何処に不満があるって言うんだ?
俺にしてみれば、今の生活は必要十分な代物だった。
「でも、貴方は最後に手に入れるべきものを、まだ手にしていない」
「王位とでもいうつもりか?」
「いや、流石に、そこまでは……」
「畏れ多い、か」
「まあ、そうなりますね。王に仕える身としては、流石に頷けませんよ」
「そうだろうなぁ」
表情が色々物語ってはいるが、いくらなんでも、言葉では肯定は出来んか。
「じゃあ、王位でないとすると……なんだ?」
「ホントに分かんないんですか……?」
「あ? ああ」
「栄誉。……いわゆる、名誉ってヤツですよ」
実力と実績があって、財力も名声も手に入れた。
それなら、あとは名誉を欲するのが普通なんじゃないでしょうか。
偉人の人生とは、そういうモノだと相場は決まっているそうですよ。
歴史的偉業の達成者、伝説の勇者の末裔として、歴史に名を刻まなくてどうするんですか。
そんな若者の言葉を聞いていると、不思議と「俺もそうしないといけないのかな?」という気分になってくるのだから、こいつの話術なり扇動術はなかなかの代物だと言えたのかも知れない。
だが、いかんせん、こっちは筋金入りのグウタラ男だった。
「多くは望まないことにしてるんだ」
「名誉はいらない、と?」
「もう手に入れたよ」
魔王を倒した伝説の勇者様だぞ。
これ以上の名誉など、あるはずがないだろう。
「それは単なる名声です。名誉じゃない」
「だが、偉業として人々の記憶には刻まれただろ?」
「それは否定しませんよ。でも……」
ちょっとだけ間をあけて。
「そこに刻まれているのは貴方個人の名前ではありませんよね?」
まあ、そうだな。
「伝説の勇者様とかいう、えらく都合の良い存在、正義のヒーロー像だな。
肝心の名前がイマイチ思い出せない、正義の味方の人って名前の偶像だ」
「そんな虚像なんかに負けて良いと?」
「そんなの気にしないよ」
「貴方の名前で、虚像の存在を上書きしたくないんですか?」
別に誰の名前だろうと同じさ。
最初から名前なんか、どうだって良いって事なんだしな。
デンセツノユウシャサマだろうがセイギノスーパーヒーローサマだろうが何だろうが。
……俺にしてみれば、どうだって良いんだ。
名前が何であれ、やったことには何も変わりはないんだからな。
それに……最近思うんだ。
「もしかすると、それが勇者の定めってヤツなのかもなって」
「定め?」
「運命と言ってもいいかもしれん」
「……運命」
「ああ。物語の英雄ってやつは、大体いつもそうだろう?
どこからともなく現れて、どこからともなく仲間を探し出してきて、いつのまにか人々を苦しめる魔物を倒していってくれて、最後には魔王まで倒してくれて、世界を救ってくれて……。
最後の最後には、何処かの誰かにとって"実に都合よく"表舞台から居なくなってくれる。
まさに正義の味方。これぞ正義のヒーロー。正真正銘、伝説の勇者様ってなモンだろう?」
いやー、俺ってカッコイイなぁー。
そんな馬鹿な言葉に流石に若者は我慢できなかったらしい。
「そんなの間違ってます!」
「まちがっちゃいないさ」
「間違えてますよ!そんなの、絶対におかしいよ!」
「ところがどっこい、なぁんも、おかしくないんだ」
そう答えた俺は、あくびを噛み殺しながらムクッっと起き上がって。
麦わら帽子をかぶりなおすと、アイツが興奮のあまり放置してしまっていた釣竿を手に持って。
……実は、さっきから浮いたり沈んだりを繰り返していたんだ。
怪しい素振りを見せる浮きの動きに合わせて、クイクイッっと竿を煽ってみせる。
そうしながら、あえて目線を合わせないで答えていた。
「……その方が色々と都合が良いんだよ」
「誰にとってですか!?」
「みんな、だよ。ミ・ン・ナ」
「みんなって……」
「王様にせよ、お前の上司にせよ、教会の連中にしても、この国の人達にとっても……」
「そんな……」
「多分、全員にとって、これが一番良い終わり方なんだ」
そんな俺の言葉の真意は、きっとこいつには分からないのだろう。
「それじゃあ、そんな風に何処かの誰かに都合よく利用されただけで終わっても……。
本当に、それで良いって言うんですか?」
「まあ、そーなるわなぁ。……でも、まあ……。うん。俺は、それで良いや」
「本当に!貴方は!それでいいと思ってるんですか!?」
「当人が良いって言ってるんだから、それで良いんじゃないのか……?」
勇者様なんて呼ばれるのにも、四六時中いろんな連中から頼られるのにも。
もういい加減疲れたんだ。
もう一生分くらい頑張ったんだから、あとはのんびりやらせてくれよ。
このまま放っておいてくれると一番ありがたいんだがな……。
「あ~あ、逃がしちまった……。
お前が、横でごちゃごちゃ難しいこと言うからだぞ!」
「……」
そんな俺の八つ当たり気味の言葉に、あいつは押し黙ったままでいた。
理解出来ないし反論もしたいが、救世主のままで居ることに疲れたという俺の気持ちも少しは分かるから言いたいことを言えないって感じか。
「でも、まあ、俺のやったことが死後に評価されるとしたら、どういった風になるのか……。
それについては、ちょっとだけ興味はあるけどな」
「だったら!」
「まあ、聞けって」
再び沸騰しかけた若造の頭を、伸ばした腕でギュと押さえ込みながら。
「別に、俺が死んだ後にどんな風に言われても、それは気にはならない。
アイツは勇敢だったって言ってもらえたら嬉しいかも知れないが、別に根性なしで、自堕落で、どうしようもなくだらしない駄目なヤツだったって言われても、それに腹を立てる気もないんだ」
所詮は死後の話だ。
どうなろうと知ったこっちゃない。
それが俺の本音ってヤツだった。
「俺にとっては、死ぬまで楽しくやれれば、それで良いんだよ」
「でも、貴方には娘さんがいます」
「……そういや、そーだったな」
俺個人に発破をかけても無駄と分かっているせいか、最近は娘をダシに発破をかけてくる。
これだから、こいつを相手にするのは面倒臭いんだ。
「娘さんがダメ勇者の子供とか悪口を叩かれても良いんですか?
そういうことがないように、将来、誰からも後ろ指をさされることなく、誰からも蔑まれないで、皆が羨むような立派な男に嫁げる様にも……。
貴方は、もうちょっとだけ努力してあげておくべきなんじゃないですか?」
む。娘のため、か。……それを言われるとちょっとキツイな。でも……。
「あの子には勇者の娘ではなく、ただの村娘として生きて欲しいと思ってる」
「……そんなの……」
「無理ですよ、か?」
「はい」
何度目だろうな。このやりとりは。
「大丈夫だよ。きっとどっかのへーぼんな農夫の男にでも嫁入りして、ごくごくふつーの、へーぼんな家庭を作って、静かに、穏やかに、幸せに、ひっそりと暮らしていけるさ。……きっとな」
あの子が嫁にいく頃には、俺の評判は地に落ちてるだろうからな。
「でもまあ、こんなダメ勇者の娘でも、一応は勇者の娘だからな。
並よりちょっとマシくらいの程度が良い良縁を釣る餌くらいには、まだ俺もなれるだろうさ」
そうニヤッと笑う俺の顔をみて、駄目だこりゃと諦めたのか、深々とため息をつく。
「ああ、そーだ。そこまで心配するのなら、いっそ、お前が貰ってやったらどうだ」
「……貴方の娘さんをですか?」
「そーだ。王都の次期騎士団長筆頭候補様なんだろ?
お前ほどの男なら、ウチの家的には何ら不満はないぞ」
「でも、僕、もう18なんですけど……?」
「女房は若いほうが良いって言うからな。問題ないだろう」
色んな意味で若いほうが色々楽しめるぞ。
そんな俺の下品な言葉にアイツは赤くなりながら答えていた。
「物事には限度ってものがあります!」
「ほー。もしかしてもうフィアンセでもいたか?」
「いえ、そういう訳では……」
「それじゃあ、好きなヤツでもいるのか?」
「いえ、それもまだ……」
「……お前って、モテそうなのに意外に奥手だったんだな」
「放っておいてください!
でも、まあ、これまで剣の道一本でやってきましたからね……。
そういうモノをあえて意識して遠ざけていたって部分はあります」
今時珍しく私服でも腰に長剣を下げてる程だ。
その剣への"拘り"は伊達じゃないってことか。
国に帰って引退宣言した日から、ロクに帯剣すらしたことない俺とはえらい違いだ。
「じゃあ、女は嫌いか?」
「嫌いなはずがありません。
でも、今はまだ剣だけに打ち込んで生きてみたいと思っています」
「……青いねぇ」
「青い赤いの問題じゃありませんよ。
二兎を追うものは一兎をも得ずともいいます。
その道を本当に極めたいのなら、その他の事柄はすべからく邪念となるはず。
これは必然です」
うわぁ。ガチガチの剣術馬鹿……。
「今時、そんなのは流行らんぞ?」
「流行り廃りの問題じゃありません」
「なんたる堅物」
「貴方が緩すぎるんです!」
「そんなだと婚期を逃すぞ~?」
「真面目にやってれば、いつかは良縁にも恵まれますよ。
えてして世の中というものはそういう仕組みになっていると師からも言われています。
それに、焦っては失敗するぞ、とも」
う~ん。意外に堅実なヤツなのかもしれないな。
「だが、嫌ってはいないのだろう?」
「娘さんのことですか?」
「ああ」
「いい子だと思いますよ。躾もキチンとしていますし……。なによりも可愛いですから」
今でも顔立ちは整ってるし、きっと将来は母親を超える凄い美人になるでしょう。
そんなアイツの評価にウンウンと頷きながら。
「お前も嫌ってないし、あの子も嫌ってない。
それなら、ほら。何も問題ないじゃないか」
「……大ありでしょう。
だいたい、あの子と僕と、何歳離れてると思ってるんですか」
「歳の差なんぞ気にするな」
「気にしますよ」
「お前になら結構なついてるし……。
相性とか、結構良いと思うんだがなぁ」
「あのねぇ……」
「何なら今から予約しとくか?」
「お断りします!」
そんなの勝手に決めたら娘さんが可哀相ですよ。
それに、何よりも貴方をお父さんなんて呼びたくないです。
そんな若者の言葉に、俺は大笑してしまっていた。