2.来訪者
勇者が魔王を倒したら、世界に平和が訪れる。
かつては、みんなが、そう思っていた。
だから、全員が一致団結して戦ってこれた。
いつか魔王が死ねば、きっと世界は平和になる。
今みたいな苦しい生活からは、きっとオサラバできる。
……きっと、みんな、そう思ってたんだろうな。
その願いと想いに背中を押されて、勇者と仲間達は魔王を倒した。
みんな、あの日には手を繋いで喜び合ったものさ。
これで皆が幸せになれる。
世界に平和がやってくるって。
みんな、そう根拠もなく信じていたからな。
『よくやってくれた。勇者達よ!』
響き渡る王の声。
少しだけ遅れて湧き上がる人々の歓声。
喜びの声と無邪気な拍手に包まれた日。
あの日、勇者たちは間違いなく幸せだった。
そして、世界は喜びに包まれていたはずだった。
……あの日から数年が過ぎた。
あの日、魔王は確かに居なくなった。
魔王城は主不在のままに、今もあの場所に存在している。
中身は無人の廃墟となって久しいそうだ。
あの日、勇者は確かに魔王を倒した。
帰還した勇者一行とともに、王は民に宣言したのだ。
これで魔族との戦いは終わり、世界に平和が訪れた、と。
……でも、あれから数年経った今も世界は大して変わっていなかった。
「変わったのは、俺達の生活だけってか」
そんな俺のぼやき声に、妻はいつものように小さく笑って何も答えない。
ただ、笑顔のままに俺に愛用の釣竿を渡してくれただけだ。
「はい、アナタ。頑張ってきてくださいね」
「おぅ」
「おとうさん、がんばって~」
「ぉぅよ」
……そうだったな。
こんなとこで湿気った煎餅をかじりながら、出がらしのお茶すすってる場合じゃなかった。
実は、昨日はそこそこ大物が釣れたんだ。
だから、今日も釣れるかもって思ってくれてるのかもしれない。
そんな二人はニコニコしながら俺のことを送り出そうとしてくれていた。
頼りになるパパとしては、そんな妻と娘の期待には応えないとな!
「昨日は煮たんだっけ」
「ちょっと味付けが濃いすぎましたけどね……」
「アレはアレで良い酒のツマミになったけどな」
まあ、食べられさえすれば味はどうでも良いって感じの俺は、用意してくれた飯の味をとやかくいう気はさらさらないのだが、妻には妻なりの拘りがあったのだろう。
煮魚の味付けに失敗したことを、昨夜からずっと気にしているようだった。
「今夜は塩焼きがいいな」
「釣れたら、ですね」
「……ま、そーいうことだな」
「大丈夫ですよ。ちゃんと"予備"も用意してありますから」
その念のために用意したという予備とやらが、今夜のメインディッシュになる予感がかなりあるのは確かだったが。……まあ、一見貧乏そうに見える我が家だが、こう見えても意外と蓄えはあったりするからな。
実の所、生活そのものは、かなり楽だったりするのだ。
こんな不景気な世の中で、日々の食費のために必死になって働く必要がないというだけでも、俺達の家族はかなり幸せな方なんだろうな、とは思う。
「あら、お客さま?」
そんな妻の声で振り返った先には、丘を登ってくる一人の男の姿が見えていた。
それを見た俺は無意識のうちに舌打ちをすると、やれやれと小さくため息をついてしまっていた。
「また、アイツか」
コンコン。
暫くして、扉が遠慮がちにノックされる。
その音は申し訳程度の音量でありながらも、一応は来客を告げる合図ではあったのだろう。だが、家主がわざわざ立ち上がって開けてやるまでもないという意思表示でもあったのか、来訪者は勝手知ったる何とやら、カチャっと扉を開けて勝手に入ってきていた。
「こんにちわ、皆さん」
「またお前か」
「はい、また僕です。
たびたびお邪魔してしまって、本当に申し訳ありません」
ニコニコ笑って一礼して、何時もと変わらない言語を口にする。
「そう思うのなら、次はもうちょっと間をあけてから来てくれ」
「来るなとは言わないんですね」
「言っても無駄だろう」
「はっはっは。よくご存知で……」
慇懃無礼とはこいつのことを言うのだろう。
面の皮の厚いヤツだとは思っていたが、これは予想以上かもしれないな。
そんな面倒臭い来客者を玄関で迎えていた俺の背後では、妻が娘を抱いて二階の子供部屋に連れて行っていた。
「こんにちわー、おにいちゃん」
「はい、こんにちわ。いつものお菓子は、ココに置いておくからね」
「うん、いつもありがとう!」
遠ざかっていく娘に優しく笑いかけながら小さく手を振っている。
そんな男に、俺はアゴをシャクって外に連れ出していた。




