10.招集
──魔王軍襲来す。
そんな不穏な速報が王都に流れた時、不安は恐怖を伴って一気に広がっていた。
ようやく忘れることが出来かけていた悪夢が。
あるいは忘れようと努力していたかつての恐怖心と不安が……。
いつか再び魔王が現れて、大群を率いて人間の国に攻めてくると思われていた。
その恐怖と不安が、生々しいリアリティをもって再び襲いかかってきたのだ。
「……まあ、こうなるだろうとは思ってた」
机の上に広げられた一枚の書状。
それは俺に対する召喚令状だった。
王の名前で、俺を名指しする形で『大至急、王都に来い』とだけ書いてあった。
読み間違え様すらもない、ごくごく短い内容の要請文だった。
ちなみに、コレを持ってきたのはいつもの若造だ。
「……どうするんです?」
「馬鹿らしい。行くわけ無いだろ」
俺はここで妻と子供と楽しく暮らすのが、今の仕事だ。
「王命を無視するつもりですか……?」
「ああ」
「まずくないですか、それ……」
「しらねーよ、そんなもん。
何か頼みたいなら、そっちから来いやって言っとけ」
「そんな無茶苦茶な……」
糞食らえだよ、王命なんぞ。
「なんで、そこまで……?」
「……前に大喧嘩したことあるんだよ」
馬鹿な話だよ。ほんとに。
「誰と……って、王とですよね?」
「ああ」
経緯としては簡単だ。
俺が隠居生活を初めて数年が経った頃だったか。
あの頃は、まだ今みたいに若いのが日参してくるようなこともなかった。
大して変わり映えのしない日々は、今よりもずっと退屈で穏やかで……。
もっと、緩やかな時間が流れていたような気がする。
まあ、今の生活の方が、好きっちゃ好きなんだがな……。
「そんな退屈な日々の中で、俺に一つの依頼が寄せられた」
依頼書の差出人は王だったが、その裏に誰が居たのかは簡単に予想出来る事だった。
その諸悪の根源である二人……僧侶と魔法使い、それに戦士もか。
かつての仲間達をここまで呼び出して、俺は直に文句を言ったことがあるんだ。
「王は、俺に魔族の支配者になれって命じやがった。
……信じられるか?
王直々に、俺に魔王を継げって命令しやがったんだ」
王が俺の背負うことになった厄介な荷物の一つ、魔族軍の指揮権について知ってるはずもないので、当然、そんなアイディアを吹き込んだのは、俺のかつての仲間達だった事になるんだが。
「……王は貴方に何をさせようとしていたんでしょうか?」
「魔王として魔族にもっと命令するように言ってきたんだ」
詳しい経緯を確かめるために俺は僧侶の奴を問い詰めた。
こんな発想は、アイツにしか出せないって思ったからな。
俺に頼るといえば聞こえはいいが、ようは甘えてるだけだったんだ。
小さな頃から一緒に遊んでいたような幼馴染同士だっただけに、最終的に俺に迷惑をかけることになっても、いつか分かってくれる、許してくれる、そして最後には自分を許して、いつでも力を貸してくれる。
そんな風に、俺に迷惑をかけることを自分に許しがちな部分があるのがアイツだったからだ。
……もっと良い世界にしたいとか言ってたな。
穏やかで、もっと人々が生きやすい「やさしい世界」にしたいって。
そのための提案とか言われて、魔法使いのやつもアイツに何か吹きこまれたらしい。
だからって、勇者が魔族の国の新しい支配者として魔王の後継者となれってのはどうなんだ?
今みたいに自由にさせるのではなく、魔族をもっと厳しく管理して欲しい。
僧侶からは、そう頼まれたんだ。
そうやって、魔族の活動を抑えこんで、人間世界への影響を極力抑えこむ。
そんな案を王は、アイツから提案されたらしい。
……確かに、王としては、魅力的だったろうさ。
少なくとも反対する者は少なかっただろうと思う。
なによりも国民のためになるって免罪符もあったことだしな。
「……返事は?」
「俺が、そんな面倒なことしたがると思うか?」
「ですよね~……」
「だろうと思ったって顔するなよ」
「だって……」
「わぁってるよ。お前が俺のことをどう思ってるかなんて」
だが、僧侶のやつは違った。
仲間の中でも、誰よりも付き合いが長かったはずなのに。
それなのに、俺のことを分かってくれてなかった。
「俺は言ったよ。ふざけるなって。
俺は本物の大魔王になる気はない。
力による恐怖で魔物達を縛り付けて、人間の奴隷にする気はないからなって」
絶句してたな……。あの時には全員が。
特に僧侶の奴は、裏切られたって顔をしていた。
あの時のアイツの絶望していた目が、どうしても忘れられない。
「僧侶のやつはさ。……いい奴なんだよ、本当に。
真面目で、優しくて、美人で、頑張り屋で……。
面倒見もいいし。……博愛主義で、理想家だし。
それだけに時々、視野狭窄を起こして暴走しちまうんだ」
俺の脳裏には、あの時のやり取りが蘇っていた。
『……お断りだ』
『なんで!?』
『面倒だから、かな』
『ふざけないで!』
『ふざけてるのはどっちだ!』
『……』
『……』
にらみ合いの末に、折れたのは俺のほうだった。
あいつはにらみ合いの時には絶対に自分からは視線を外さないんだよ。
『……それは力と恐怖による支配を魔族に対して行えってことか?』
『それは、まあ……』
『何を考えているんだ。お前は、俺を本物の大魔王にしたいのか?』
『ちがう!』
『違わない。違わないよ……なにも。よく考えてみてくれ』
連中も生きているんだ。
生きている以上、人間とぶつかることもある。
互いの権利や利益をかけて、人間と魔族がしのぎを削ることもあるだろう。
だが、それすらも許さないというのは、人間の傲慢に過ぎると思わないのか?
『……お前が人々のために何かしたいと思って行動してるのは分かるよ。
人々の日々の暮らしが魔族によって脅かされているのも理解はしてる。
それをどうにかしたい、もっと楽に安心して生活させてあげたいって。
その気持ちも、想いも、よく分かるよ。
正直、立派だと思うし、それが正しいことなんだろうってことも分かってる』
『だったら!』
『駄目なんだ!それじゃあ、駄目だ。それじゃあ……駄目なんだよ。
それだと、単に人間のエゴで、魔物が苦しむ事になるだけなんだ』
人間を大事にしたい、守りたいと思うのは分かる。
俺だって人間に死んで欲しいわけじゃない。
でも、だからといって魔物を苦しめて良いって訳じゃない。
それは負の連鎖を生むだけだ。
苦しめられた方は、いつか苦しめる方に牙をむく。
反撃という名の自衛の刃を、俺達に向けてくるだけだ。
それは必然の未来なんだよ……。
『その時、俺達は正義のために戦うわけじゃない。
今度は自分たちの理想のために力を振るえって言うのか?
お前は、その時、自分の中の信念を……。信仰心を維持できるのか?
これまでどおり、自分の中の正義を信じて、それに殉じる事が出来るのか?
……それができないなら、俺達は、その時には討ち取られる側に立つだけだ』
正直、悪になる覚悟があるというのなら、まだ話を聞く余地はあったんだと思う。
全てを自覚の上で、それで居てなお人間の理想を魔物に押し付けて、彼らを苦しめるだけの自覚と覚悟があるというのなら……。
人々の笑顔のために魔物を苦しめ抜いて、いつか魔王が魔族の勇者として蘇り、俺たちに立ち向かってくる事も視野に入れているというのなら……。
いつか倒される悪となってでも、人々の生活を楽にしてあげたい。
そこまで考えての提案だったなら、俺はたぶん、僧侶の提案に乗ってやれていた。
──そのために、魔族に討たれる人間の姿をした悪逆非道の大魔王になって欲しい。
その日が訪れるまで、人々に楽をさせるために憎まれ役を引き受けて欲しい。
そんな頼みだったなら、多分、俺は引き受けていたのだと思う。
魔物の敵、悪の人類の代表者として。
最後には反旗を翻した魔王という名の勇者に討たれる役目を俺に求めてきたのなら。
自分たちもそれを手伝うという覚悟なり何なりを見せつけてくれたのなら……。
おそらくは二つ返事で、引き受けていたと思う。
彼らに、その自覚と覚悟があったなら、な。
自らの意思で悪となり、いつか滅ぼされるかもしれない刹那の支配者、新しい人の世界の礎になりたいと願うなら、だが。
なによりも、魔族の最大の敵に自らの意思でなりたいというのなら、さ。
……それなら、俺は協力していたと思うのだ。だが……。
──コイツは、何も、わかってない。
聡明なはずの彼女が、なぜか、この時にはひどく愚鈍になってしまっていた。
あるいは、どこかの誰かさんが、俺達を罠にはめようとしていたのかもしれない。
永遠に人間と魔族が互いを敵視し、牽制し合いながら敵対し続ける。
そんな未来に俺たちを導こうとしていたのかもしれないな。
……だが、そんな暗い未来は俺は死んでもゴメンだった。
そんなお先真っ暗闇な冷たい世界に、妻子を残して行きたくなかったんだ。
『……アナタには幻滅しました』
そう言い残して、表情をなくした彼女は俺の元から去って行った。
『一緒に行ってやってくれ』
『……いいのか?』
『彼女にはお前の助けが必要だ』
『……そうか。すまん』
『いいから。行け!』
こうして、俺達4人は道を違えてしまったんだ。
でも、それも仕方ないのかもしれないと最近では思うようになった。
無自覚のままに、彼女は邪悪な魔王の役目を俺に課そうとしていた。
人間を相手に、今度は独立戦争を起こすのだろう、魔物の敵、大魔王の役目を。
自らの誇りと尊厳を守るために立ち上がるのは、果たして誰の役目だったのか。
それは、おそらくは……。
「あの子は、ただ平穏に生きて欲しいんだよ」
ベッドで幸せそうにヨダレをたらして昼寝をしている我が子の姿に、俺は夢を託したかったのかもしれない。
……いつかきっと分かり合える。
みんなで笑いながら暮らせる世界がくる。
そんな夢を……子供たちの世代に託したかったんだと思う。
俺達の代では、成し得ないかもしれない。
いつかなんて永遠に来ないかもしれない。
でも、それでも……。
俺は俺のやり方で、本当の平和と幸せって奴を探してみたかったんだ。
「……アナタ」
「ああ、分かってる」
最近、年をとったせいか、昔のことばかり思い出される。
「……アイツは?」
「お帰りになられました。……王への返答を携えて」
「そうか」
聞くだけ野暮なのは分かっていても。
それでも、俺は聞いてみたくなるのかもしれない。
「魔族と、いつか分かり合える日が来ると思うか?」
「不可能ではないでしょう」
「本当に、そう思うか?」
「……はい」
「そうか。……そうなると良いな」
肩の上で重ねた手にわずかに力が込められる。
根拠らしい根拠もない、ただの夢、願望にすぎないとしても。
それでも願わずには居られない。
あるいは、願いとは、そういったモノなのかもしれない。
──そう、これは希望なのよ!
いつか聞いた僧侶の明るい声が脳裏に蘇ってくる。
袂は分かってしまったが、彼女も目指す先は同じだと信じたい。
決して人の利益と享楽だけを目的として魔物の排除と支配を目指していないと……。
そう、思いたかった。
「信じたいな」
無邪気といえば無邪気なのかもしれない。だが……。
「貴方が信じなくて、誰が信じるというんですか」
そんな妻の言葉に、俺はようやく顔に笑みを浮かべることが出来ていた。




