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中編

 アキラは左右のバックミラーを頻繁に確認していた。虹色の輝きがどんどん大きくなってくる。もう間違いない。あの路地で襲い掛かってきた化け物とほぼ同じ姿をした巨人――RG――たちだ。

「くそっ、化け物め。いくら身の丈三メートルと言っても、二本足で走る奴がこれほど速いとは……。ん?」

 バックミラーに新たな光が映った。見慣れた赤い輝きと共に、聞き慣れたサイレンの音がヘルメット越しに届く。

「白バイかよ。よせ、そいつらに近付くな」

 アキラは思わず振り返って叫んだが、当然ながら肉声など届くはずもない。

 再び前方に向き直り、ミラーを確認した途端、真っ白に反射する光がアキラの目を射る。

「――――っ」

 響き渡る雷鳴。

 幻惑されそうになるのをぎりぎりで堪え、運転に集中。再び首を巡らし、仲間のバイクの安否を確認した。シロをタンデムに乗せたクロも、単独で走るリュウも無事だ。ひとまず息を吐いたアキラは、思わずといった風情で呟く。

「大したもんだぜ、ありす」

 これだけの騒ぎの中、必要以上にしがみつくでもなくタンデムでおとなしくしている少女。肝が据わっているのか、それとも単に脳天気なのか。

 前を向いたアキラは音が立つほど歯を食いしばった。

 信号交差点――赤だ。

 距離、六〇メートル。ブレーキは論外。

 ならば答えはひとつ。

「ありす、しっかりつかまってろよっ」

 アキラは、聞く者に喉が裂けるかと思わせるほどの大声を張り上げて警告した。

 初めての信号無視。交差点まで三〇メートル。

 四号線と交差する道路は静まりかえっている。

 一〇メートル。

 右側から光――

「止まれえぇっ!」

 クラッチを切って空ぶかしする。

 交差点に進入してきたのは白い車。そのタイヤが甲高い悲鳴を上げる。

 白い車のドライバーによるパニックブレーキ――どうやら、ABSを搭載していないか、ABS機能を意図的に使っていないようだ――が奏功し、四号線を半分も塞ぐことなく停止した。交差点の入口で、フロントフェンダーをアキラたちの進行方向側に向け、斜めになって止まっている。

 アキラたちが交差点を駆け抜ける瞬間――

「やめて!」

 ありすの金切り声がアキラの耳に届く。

 ほぼ同時に強烈な白光、そして雷鳴。

 続けて爆発音が轟いた。

 噴き上がる爆炎、背後から襲いかかる熱風にアキラの心臓は縮み上がった。

 燃えているのは白い車だ。乗員の安否を気遣う余裕はアキラにはない。

 さすがにしがみついてきたありすの華奢な身体を背中に感じ、アキラは気の毒な白い車のことを考えずフルスロットルを維持することだけに意識を集中した。

「巻き込まれるなよ、リュウ、クロ」

 叫ぶアキラの耳には、ありすの嗚咽混じりの呟きは届かない。

「なんてこと……。なんてことするのよ。地球人とあたしたち、絶対に仲良くなれるのに……」

 RGたちは相変わらず追いかけてくる。しかし、これまでの彼我の速度差を考えると、差の縮まり方が緩慢になったようだ。一見ロボットのように見えるRGたちにも、スタミナの限界があるのだろうか。

 土煙を背景に、角と尻尾を備えたRGたちのディティールがいよいよはっきりと視認できるようになった。白バイの姿は見えない。

「四体もいやがる。白バイまでやっちまうとは見境ねえな。もっとも、化け物どもには俺たちの常識なんて関係ないんだろうが」

 アキラは苛立つ声で吐き捨てるように呟く。誰に話しかけるわけでもないその言葉はありすの耳に届き、彼女の表情に暗い翳を落とした。悲しげに目を伏せるありすに気付くことなく、アキラは独り言を続ける。

「ありすの言う通りなのか……。まさかあいつら、俺たちの誰かに用があるってのか。いや、最初に見た奴は俺たちに雷を浴びせやがっ――」

 そこまで呟いてから目を見開き、アキラはもう一度後方を振り返った。

 ――車を炎上させるほどの威力なんだぞ。自分たち四人のうち、誰も怪我ひとつしていないのは何故だ。……本気で撃ったわけじゃなかったのか? まさか、奴らは俺たちを生け捕りにでもするつもりなのか。

 後方を睨むアキラは、何者かが土煙のカーテンを割り、こちらへ向けて矢のように疾走してくる様子を視界に捉えた。フルスロットルを続けるアキラたちのバイクに見る見る近付いてくる。

 今度は何だ、とアキラが声に出すより早く、それまで消灯していた赤い回転灯の輝きと共にサイレンの音が響き渡った。

 白バイ隊だ。三台いる。一列縦隊で、全く同じ軌跡をなぞり大胆なカーブを描く。大型バイクを限界まで傾斜させるライディングテクニックは、アキラの目から見て曲芸と形容できるほど見事なものだった。白バイ隊は何の躊躇(ためら)いもなくRGたちの真横をすり抜け、追い越してくる。

 白バイ隊の動きに翻弄されるかのように、RGたちの隊列に乱れが生じた。そのせいか、RGたちの走行速度も若干落ちたようだ。あれよという間に白バイ隊は、アキラたちのバイク三台とRGたち四体との間に割り込んだ。

『よお、元気かクソガキども。この先に検問があるぜ。切符は切らねえから安心しな。ついでに脇道もおさえたから信号も気にするな。このまま全速で走れ』

 アキラの耳に中年男性の声が聞こえてきた。特別製の拡声器でも使っているのだろうか。風とエンジン音、さらにヘルメットによる三重の遮音をものともしない、やけに明瞭な声だ。

『エイリアンどもは俺たちが食い止める。途中でコケるんじゃねえぞ』

「エイリアンだと。エイリアンと言ったのか。あいつら、宇宙人なのかよ」

 こちらの声は白バイ隊に届かない。そうと知りつつもアキラは怒鳴り返しつつ、スロットルを緩めない程度には運転に集中した。背中にしがみつくありすは白バイ隊員の言葉に小さく息を吸い込むと表情を強張らせていたが、それに気付く余裕は今のアキラにはない。

「キシャアアアッ」

 RGの咆吼が轟いた。

 背後からアキラたちの頭上へと、音もなく降り注ぐ光のシャワー。

「しまっ――」

 ――何らかの攻撃を受けたのか。なんとかして避けないと。

 アキラは焦ったが、時既に遅し。

 後方斜め上から仲間たちの声が聞こえてきた。普段、滅多なことでは慌てないリュウでさえ、悲鳴じみた大声を出している。

 振り向いたアキラは目を疑った。リュウもクロもシロも、五メートルほどの高さに浮き上がり、静止している。これも化け物どもが持つ力の一種なのか。

 アキラは仲間の名前を叫んだが、その声は主を失った二台のバイクが転倒する音にかき消された。

「うわっ」

 アキラの身体も宙に浮き始めた。ありすもだ。お互い、地面と平行に俯せの姿勢で浮き上がり、六メートル……七メートル、リュウたちが浮いている高さを越えてもまだ止まらない。アキラが空中で身を捩らせながら見上げると、彼より身体ひとつ高い位置にありすの身体が浮いている。

 ここは水中。強烈な浮力に逆らえず、どんどん水面へと引っ張られている――そんな錯覚に苛まれる中、アキラの耳に澄んだ音色が届く。

「歌……。ありす?」

 鈴の鳴る声。間違いなく、ありすの声だ。

「赤の扉よ、拓け。我らの剛の心を試せ」

 こちらに伸ばされた、ありすの右手。頭を下げ、空中で逆立ちするような格好で精一杯伸ばしている。

 掴むべく、アキラは左手を伸ばす。

 互いの指先が触れた刹那――

 アキラの胸元が赤く輝いた。

 様々な光が乱れ飛ぶ四号線を、猛火のごとき紅蓮に輝く赤色が呑み込んでいく。

 光の源はアキラが胸に下げているペンダントだ。いつの間にか襟元から服の外へとはみ出したアンティーク調の鍵が光を発している。

 赤い光は四号線の路上に集束し、ひとつの形を成す。

 やがて路上に、赤く光る扉が出現した。半透明に輝く大きな扉。その高さは七メートルほど。

 アキラとありすの手が重なり、指と指を絡めてしっかりと握り合う。アキラが空いている右手でありすの腰を引き寄せると、上空七メートルほどで上昇が止まった。お互いの足が下を向き、空中で直立して抱き合う格好となった。

 ふたりはお互いを見つめた後、赤い扉に視線を移した。彼らの目の高さは、ほぼ扉の上端あたりだ。

 アキラの胸元で、鍵が一際強烈に輝いた。

 次の瞬間、ふたりの身体は扉の中心へと吸い込まれていく。

 異常事態の中、ほんの束の間……。アキラの意識は過去へと飛ぶ。


   *   *   *


 昨晩、街で見掛けた綺麗なロングの黒髪。アキラの好みの髪型はどちらかというとショートなのだが、つい見とれた。もっとも、比較すればショートの髪型に魅力を感じることが多いというだけで、ロングに魅力を感じないわけではない。

「綺麗な髪だね」

 気付いたら声をかけていた。

 少し驚いた顔で振り向いた少女は、アキラの目をまじまじと覗き込んだ。

 見つめ合うこと数秒。

 花が咲いた。彼女の顔はそうとしか表現しようのない、無防備で弾けるような笑顔に変わった。

 ありすと名乗る少女に対し、アキラは眩しげに笑顔を返した。

 彼らはいくつかの遣り取りの後、タンデムツーリングを約束するに到った。

「今日はスカートだからバイクは無理だ。明日はパンツにしてくれ」

 元気よく「うん」と返事する少女の仕草が珍しくもあり眩しくもあって、アキラははにかんだ笑みを浮かべた。

「じゃ、お友達の証に」

 やや古風で、それでいて幼い印象を伴う言い方だったが、ありすにはそれがよく似合う。彼女が差し出すペンダントを、アキラは即座に首につけた。

「普段アクセサリーなんて身につけないんだが、この鍵はなかなか良い感じだね。ありがとう、もらっとくよ」

 ありすはそれには返事をせず、やや躊躇いがちに告げた。

「アキラ、あたしのこと助けてね」

「ん?」

「……いいえ、気が向いたらでいいの」

「俺にできることなら力になるぜ。力でもなんでも喜んで貸しちゃうよ」

 アキラのおどけた言い方に対し、ありすはどこかぎこちない笑みを返した。

「ごめんね。純粋にアキラがあたしを選んでくれたのなら嬉しいんだけど、多分、鍵がアキラを選んじゃったの。この先、何も起きなければそれでいいんだけど」

「よくわかんねえけど、楽しけりゃなんでもオーケー。遊ぼうぜ」

「……うん」

 この言葉を聞いたありすは、アキラに笑顔を向けた。最初の笑顔と違い、やや翳りのある表情。アキラはそれを“乙女の恥じらい”という程度に解釈する経験をしか、まだ積んではいなかった。


   *   *   *


「キシャアアアッ」

 RGどもが吼えた。

 四体中二体が路面を蹴り、ふたつの巨体が宙に浮く。

 視線だけでそれを追うと、井上は号令した。

「VMAA全機変形」

『了解。VMAA二号機、平野。変形』

『三号機、高木。変形』

「二号機、三号機は空中のRGを追え。検問に近づけるな」

 真後ろを追走していた二台の偽白バイ――VMAAというのが正式名称であるらしい――がジャンプし、白い巨人に変身するや背のブースターを点火して飛び去っていく。

 一方、井上は自身の一号機をジャンプさせて変形した後、背後を振り向く形にターンしつつ両脚を路面に着地させた。

「RGにはプラズマ砲以外通用しない。各自、引きつけて一撃必殺だ」

『了解』

 背後から迫ってくるRGへ向け、井上は一号機を走らせた。

 対面する格好となったRGが、井上機目掛けて両腕を突き出してくる。

 あと三メートル。

 RGの腕、その指先に備わる鋭利な爪が、井上機の鼻先へと迫る。

 二メートル。

 井上は、いきなり機体を仰向けに倒し、両脚を先頭にして背を路面につけると勢いよく滑って行く。

 そのままRGの股下をくぐる。

 照準――発砲。

 路面を滑りつつ、井上機の右肩から強烈な白光が迸った。

 真っ白な光の柱が路上に屹立する――RGの股から突き刺さって脳天へと抜ける串と化して。

 一拍の間を置き、串刺しにされたRGを中心に四号線の路面ごと爆散する。

 爆炎の渦は井上機をも巻き込んで荒れ狂った。

『小隊長』

 平野の声は、呼び掛けというより悲鳴に近かった。

 しかし、一秒と経たずに炎の渦を突き破り、井上機がスライディングの姿勢のまま滑り出てきた。

「悲鳴を上げるな、平野。それよりも、そっちの二体を検問に近づけるんじゃねえぞ」

 大体こっちを見てる余裕がどこにある――そう続けようとした言葉のかわりに、井上は息を吐き出した。たちのぼる白い息が朱に染まる。

 爆発の余韻が収まりきらぬ四号線が、強烈な赤い光に呑み込まれていく。

 一体何が起きたのか――コンマ数秒の意識凍結。

 それは、井上にとって致命的な隙だ。

 こちらを見下ろすもう一体のRG。

 我に返った時には、完全に敵の間合い。

 対処不能……、絶体絶命。

「くそ、しまっ――」

「キシャアアアアアア」

 寝ころんだままの井上機を踏みつぶさんと振り上げられたRGの足が、今まさに振り下ろされようとしている。

 虹色に輝く巨大な足の裏が、井上の視界を覆い尽くした。

「っ――――」

 二秒、三秒……。

 何も起きない。

 真っ黒だった井上の視界に、鮮烈な赤色が混じる。

「……手?」

 RGの足の裏……。更にその倍はあろうかという巨大サイズの手がRGの足を掴んでいる。その手が赤く輝いているのだ。

 井上の視界から手が遠ざかる。どうやら、RGの足を持ち上げているようだ。

 RGの傍らに、巨大な炎の柱が出現している。

 いや、炎ではない。赤色に輝く巨人だ。その外観はRGと違い、骸骨のお化けでもなければ角も尻尾もない。宇宙服を着たスリムな人間といった印象の巨人だ。その意味では人型に変形したVMAAに似ていると言える。だが、他の巨人たちと一線を画す違いは――

「でけえ。七メートルはありやがるぜ」

「キシャアアア」

「おいおい、迫力ねえな。まるで悲鳴じゃねえか」

 RGの咆吼に対して感想を述べつつ自らのVMAAを操作した井上だったが、すぐに手を止めた。全く動かない。諦めて機体から這い出すのと、赤い巨人がRGの脚をすくい上げるのが同時だった。

 あっさりと路上に倒れ込んだRGは、地響きを立てて転がった。

「見た目に違わぬ馬鹿力だぜ」

 呆然と呟く井上を見下ろし、赤い巨人が話しかけてきた。

『この虹色の連中をぶっ潰せばいいんだな。助太刀するぜ、お巡りさん』

 VMAAが備える外部スピーカーに匹敵する、明瞭な声。初めて聞く声ではあるが、井上にとって護衛対象にあたる少年の声だというのは容易に想像がついた。思わず声に出して呟く。

「貴様……。緑のバイクに乗ってたガキか」

『ああ』

 井上は片眉を吊り上げた。拡声器を使わずに呟いたというのに、こちらの声が聞こえているというのだろうか。井上は、赤い巨人の頭部を見上げながら名乗った。

「俺は井上だ。井上(イノウエ)俊彦(トシヒコ)

仲摩(ナカマ)(アキラ)

 遅滞なく名乗り返してきた。やはり聞こえているようだ。

 赤い巨人は井上に背を向けた。立ち上がろうともがいているRGに注意を向け直したのだ。無造作に右足を振り上げ、そのまま振り下ろす。

 爆発に等しい破裂音が轟く。井上は咄嗟に両腕で顔面をガードした。

 ごく軽い衝撃音。小石程度の瓦礫がヘルメットを叩く音が、ほんの数回鼓膜に届いた。

 ガードを解き、RGが転がっていた路面を見ると、その身体は真っ二つになり、虹色の輝きも消え失せていた。

『上のお巡りさんたちは苦戦しているようだぜ』

 赤い巨人は上空を見上げる仕草をした。つられるように井上も見上げると、VMAA二機とRG二体がジグザグに飛び回っている。

 時折細長い光の線が交錯し、雷鳴が轟く。

 少し観察するだけでも、VMAAが防戦一方であることは誰の目にも明らかだ。常に背後に張り付かれ、攻撃の手数も明らかにRG側が上回っている。むしろ、VMAA側は攻撃に転じる余裕がないといった態だ。

 予想通りの苦戦ぶりではあるが、井上は思わず舌打ちした。

 すぐ傍で、金属が軋むような重たげな音がする。井上は部下たちの戦況を観察するのを中断し、音のする方を見た。

 赤い巨人が膝を折って両手を路面につけている。数秒ほどじっとしていたかと思うと、路面を蹴って夜空に飛び上がっていく。

「あの巨体で空も飛べるのかよ」

 巨人を目で追おうとした井上は、巨人が手をついた路面に人が倒れていることに気付き、横目で一瞥した。リュウたち三人の少年だ。一番身体の大きい少年が起きあがり、他の二人を介抱している。三人とも無事――少なくとも意識があるようだ。

 再び赤い巨人を目で追うと、すでにかなりの高度まで上昇していた。

「たまげたね、こりゃ。正直、ここまで凄えとは思わなかったぜ。……なるほど、ガキの保護に拘るわけだ、上の連中」

 井上は通信機のスイッチを入れた。

「井上よりVMAA各機へ。作戦終了時刻だ。戦闘空域を離脱せよ。集合地点は偽装検問地点の支援車輌(トレーラー)。繰り返す……」

『しかし、RGが――』

 平野が寄越す返事を遮るように、井上は離脱の理由を告げる。

「援軍だ。赤いデカブツが向かってる」

『極東支部の新型ですか。敵は強力です。我々も連け――』

 高木が返事をするが、そちらにも最後まで言わせず、井上は声を張り上げる。

「命令だ。いいから戻って来い。俺たちのVMAAでは足手まといだっつってんだよ」

『……了解』

 不満げな部下たちの返事を聞きつつも、赤い巨人を見送る井上の口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。


   *   *   *


 飛んでいる。

 夜も更けたというのに、アキラは昼さながら街の様子を一望できた。

 ここは地方都市のベッドタウン、見下ろす景色は長閑なものだが、上空を疾走するような爽快感はアキラのテンションを高めていた。

 実際に風を感じることなく、髪がなびくこともないのは巨人の体内にいるからだろうと思いつつ、今なぜ巨人の体内にいるのか、なぜ昼間と同様に景色を見ることができるのか、そもそもなぜ空を飛べるのか、といった基本的な謎について考えるための脳の領域は麻痺してしまっている。

 操縦桿を握っているような感覚はない。どちらかというと、柔らかなありすの手をずっと握っているかのようだ。だが、彼女の姿は見えない。試しに、アキラは呼び掛けてみた。

「いるのか、ありす」

「うん。一緒にいるよ」

「ありすには、俺の姿が見えるのか」

「いいえ。アキラが見ているのと同じ景色が見えるだけ」

「これはありすの力なのか」

「違うよ。あたしにできるのは扉を出すことだけ。それを開いたり閉じたりして利用できるのは、鍵を持つことが許された人だけなの。だからこれはアキラの力」

 アキラは掌を開き、そこに視線を落とした。眼下の街並みが後方に流れていくのを背景に、赤く巨大な手が見える。どうやら、現在の彼の視覚は赤い巨人の視覚と一致しているらしい。

「俺はありすに力を貸すと言った。だから、決めてくれ。俺は何をすればいい」

「ごめんね。結局、面倒なことに巻き込んで」

「面倒? いや、刺激があっていいと思うぜ」

「……うふふ。じゃ、お願い。あの子たち――虹色の子たちを、止めてあげて」

「わかった。手加減は?」

 アキラは、半分麻痺した頭の片隅で、RGのことを“あの子”と呼ぶありすの素性に朧気ながら辿り着きつつあった。思わず口から“手加減”という単語が飛び出したのもそのせいだ。しかし、今はそのことに意識を集中している場合ではない。アキラの目の前で、二機のVMAAが徐々に窮地に陥りつつあった。

「いらない。全力で、お願い」

 アキラは進行方向に目を向けた。

 RGは予測のつかない軌跡を辿って空を飛び、雷を撃ちまくっている。対するVMAAは、肩に装備した砲塔を敵に向けようと悪戦苦闘しているが、相手の方が動きが速く、照準するに到らない。ほとんど一方的に、RGが撃ちまくる雷をVMAAが避けてばかりという構図となっている。

 井上の仲間たちは戦闘行為を終了し、離脱しようとしている。だが、なかなか敵を振り切ることができない。戦いぶりを観察しながら、アキラはそのような印象を持った。

 破裂音が轟く。

 火元は一機のVMAAの左肩だ。砲塔が砕け飛び、白煙がたなびいている。

 上空から、RGが急降下してきた。

 鋭い角を向け、突進してくる。狙いは明らかだ――肩を損傷したVMAA。

 VMAAは、背のブースターを点火することなく空中を漂っている。パイロットは被弾の影響で一時的に意識が朦朧としているか、下手したら失神してしまっている可能性がある。

 もう一方のVMAAが、肩を損傷したVMAAの上に覆い被さるかのように飛び込んできた。

「身を挺して守るつもりか」

 だが、アキラの視界からは、VMAAたちの後方――おそらく死角となる位置――に、別のRGが静止しているのが見える。そいつの口の付近には、光の粒子が集まりつつあった。

 雷撃を浴びせるつもりだ。万事休す。

「うおおおおおお」

 アキラの気合いに呼応するかのように、赤い巨人の身体から紅蓮の光が進行方向へと一直線に伸びる。

 二体のRGがこちらに注意を向けた。

 赤い巨人は、紅蓮の光の中を滑っていく。

 上空のRGは軌道を変え、角を赤い巨人へ向けて新たに突進を開始。

 VMAAの後方にいたRGは首の向きを変え、口を赤い巨人へ向けて雷撃準備。

 すべての巨人たちが一点に集まってくる。

 早いのは雷撃。

 閃光。

 視界が白一色に塗りつぶされ、激烈な轟音が荒れ狂う。

 しかしアキラは露ほどの痛みも感じず、鼓動も乱れなかった。

 視界が晴れた瞬間、真正面にRGの角。

 しかし、こちらの半分の体長しかないRGは、間近で見ても何の威圧感もない。

 アキラは無造作に赤い巨人の掌を押しつけた。

 何かが潰れる音――アキラがこれまでに聞いた音の中では、タバコの箱が潰れる音(を大音量にしたもの)に近い――が聞こえた。

 次いで、何かが地面へ向かって落ちていくのが視界に入った。

 角が千切れ、身体が胴体の中央からへし折れてしまったRGが、虹色の輝きを消して落ちていく。わずか一撃で大破してしまったのだ。

 最後に残った無傷のRGは、こちらに背を向け上昇し始めていた。

 アキラは追いかけようとはせず、上昇中のRG目掛けて右腕を突き出した。

 追うまでもない。確実に墜とせる。銃器でターゲットを撃ち抜くイメージ。初めて試す攻撃方法ではあるが、アキラには既に決まった事実に等しいほどの確信があった。

 それを裏付けるかのように、赤い巨人の肘から拳にかけ、強烈な光が巻き付くかのように出現した。オレンジ色に輝くそれは、生きた蛇のようにターゲットを威嚇し、獲物に飛び付く機会を窺いつつ主人の命令を今や遅しと待っているかのようだ。

 猛毒を持つ蛇を連想させる禍々しいオレンジの光。それは、直後にもたらされるであろう絶対の破壊を予感させる。

「これで終わりだ」

 今まさに撃とう、とアキラが巨人の腕を突き出したその瞬間――

(今はまだ撃つ時ではない。少年。ありす)

 拡声器などではない。頭に直接響く声。鼓膜に届く肉声ではないが、声には明らかな“表情”があった。老婆に話しかけられている。アキラは確信に近い印象を持った。

(今夜のことは、こやつらの本意ではない。少なくとも、好きでやったことではないのだ)

「撃つな、というのか。確かに、逃げる奴の背中を撃つのは後味が悪いが」

 アキラは巨人の右腕を下ろした。彼が攻撃の意志を引っ込めると、オレンジ色の光も消えた。

 ありすの呟きが聞こえる。

「おばあちゃん。おばあちゃんなの? 生きてたのね……」

(己が目で見極めよ。時期を待って三枚目の扉を使え)

「三枚目の扉だと。ありす、お前には何のことかわかるのか」

「ううん、よくわからない。……教えて、おばあちゃん」

(その時、何らかの選択を強いられるだろう。だが、正解などどこにもない。お前達が選ぶ道こそが正解だ。ただ、今はまだ選択の時ではない。時が満ちていないのだ)

 間違いなく、アキラには日本語として老婆の言葉が伝わっている。だが、会話が噛み合わない。老婆が言いたいことは一体何なのか。

(時期は程なく訪れる。強く願え。そうすれば、三枚目の扉が現れよう)

「おばあちゃん、待って。おばあちゃん」

 ありすにとっては言葉の内容などどうでもいいようだ。少しずつ、頭の中に響く声が遠のいていく。もうすぐ、老婆の声は消えるだろう。彼女はこの場に老婆を留めようと躍起になっている。

(少年。肉体を喪った私には、もうありすを見守ることさえできぬ。時間もない。一方的な伝達ですまぬが、ありすのことをよろしく頼む)

「…………」

「……おばあ……ちゃん」

 死者に話しかけられたとでもいうのか。

 押し黙るアキラと涙声のありすが見守る中、どんどん上空へと昇っていくRG。アキラにとっては真昼のような視界の中、RGはやがて雲の向こうへと消えていった。


   *   *   *


 身体を不規則に揺らす振動が、眠りという名のカーテンを乱暴に引き千切る。一際大きく揺れ、彼は瞼を開いた。

「目が覚めたようね。あと一〇分ほどで基地に到着するわ。……気分はどう、仲摩くん」

 落ち着いた女性の声で名を呼ばれた。事務的で冷たい声によって現実に引き戻される感覚は、あまり快適とは言えない。もっとも、夢さえ見ない泥のような眠りからの覚醒に、快適も不快もないのかもしれないが。

 アキラは女性の声がした方に首を巡らす。誰かがいるということがぼんやりと認識できる程度だ。

 少しずつ意識がはっきりとしてきた。不規則な振動とエンジン音。簡易ベッドに寝ているが、ここは車――トレーラー――の中だ。寝心地はお世辞にも良いとは言えない。室温は暖かいが、空気が悪い。換気されていないようだ。再び目を閉じ、一度頭を左右に振ってみる。

 アキラは、半開きの目をベッド脇の女性に向け、観察する。明るい茶色のショートボブ。背は一七〇センチ前後。小顔で現代風の顔立ちだが、目付きは鋭い。二〇代半ばといったところか。雑誌のモデルと言われれば、アキラは疑わなかっただろう。ただ、今は地味なグレーのスウェットを着ている。そして、左腕を包帯で吊っている。

 アキラの観察を真正面から受け止めながらも堂々としているその(さま)は、特殊な環境に置かれてきたか、厳しい訓練を受けてきたか、あるいはその両方を経験した者であろうことを物語っている。

「その怪我。あんた、白い奴のパイロットだな」

「寝起きいいのね。まだ三時間しか眠っていないのに。若いってうらやましい」

「…………」

「はじめまして、あたしは平野(ヒラノ)美樹(ミキ)。もう少しで後輩と心中するところだったわ。あなたのお陰で命拾いできた。お礼を言っておくわね、ありがとう」

 アキラは女性をまじまじと見た。

「俺の名は――、井上さんから聞いてるよな。ちょっと驚いたぜ。平野さん、必要なこと以外しゃべらないタイプかと思った」

「よく言われるわ。第一印象とギャップがあるって。これでも一応軍人なのよ。目付きが悪いのは我慢して」

 ベッドの上に上半身を起こしたアキラはぎょっとした表情を隠さなかった。彼は健康診断用の検査着のようなものに着替えさせられていたのだ。その下は、パンツ一丁のみ。

「なんだこれは。俺に何しやがった」

「ごく簡単な健康状態のチェックよ。余計なことはしてないわ」

「……。ありすはどこだ。リュウたちは」

 ありすは気絶するように眠っていたはずだ。それを思い出し、アキラは声のトーンと温度を下げた。

「恐い顔しないでよ。あたしたちは軍とは言っても正規軍としての扱いを受けてないの。いわばはぐれ者の外人部隊みたいなものね。こちらとしても上層部の思惑よりも現場が大事。少なくとも、命の恩人の機嫌を損ねるようなことはしたくないわ」

 受け応える平野の方は表情にも口調にも全く変化がない。

「ふん。どこまで本気で言ってるのか怪しいもんだぜ。それで、ありすたちはどうした。まさか、着替え――」

「ごめんね、特別扱いはあなただけ。他の子たちは着てた服のまま、もっと簡単な健康チェックしか受けてもらってないわ。あっちのトレーラーでね」

 アキラは硬い表情を崩さなかったが、平野にも聞こえるように小さく呟いた。

「リュウたちも一緒にいるのなら、まず心配ないか」

 寝る前の記憶が曖昧だ。アキラは平野との会話を中断し、記憶を辿った。


 およそ三時間前。

 最後のRGの姿が見えなくなった後、アキラはVMAAを目で探した。一方の機体が悪戦苦闘しているようだが、健闘むなしくどんどん高度を下げている。どうやら機体に不調を来しているのは、左肩に被弾した方だけではないようだ。一見しただけでは判らないが、二機とも何らかのダメージを負っているのは間違いない。

 アキラは赤い巨人を急降下させた。

「連中を助けるぞ、ありす」

「…………」

 返事はない。構わず、全速で追った。程なく追いつき、折り重なる二機のVMAAを赤い巨人の両腕で抱え込んだ。

 そのまま二機を四号線の検問まで連れて行ったアキラは、巨人から降りようと思った。そう思うだけで赤い巨人の姿は消え失せ、ありすを横抱きにした状態で路面に立っていた。腕の中のありすを見下ろすと、どうやら眠っているようだ。目尻がうっすらと濡れている。

「悪いな。ちょっと手持ちがなかったんで、お前らのバイクからバッテリーを失敬した。何に使ったかは聞かないでくれ」

 背後からかけられた声に振り向くと、そこにはヘルメットを脱いだ井上が立っていた。髭面だが、若々しく精悍な顔立ちだ。アキラは彼の野太い声から中年を連想していたが、案外若いのかも知れない。

 返事をしないアキラの様子を気にした風もなく、井上は言葉をかけ続ける。

「後で軍を通じて同じメーカーのバイクを弁償させるんで勘弁してくれや。ああ、お前の仲間たちは無傷だぜ。怪我っつってもごく軽い打撲程度だ。念のため、俺らの支援車輌(トレーラー)の中でチェックを受けてもらってる」

「軍? まあ、俺もそうじゃないかとは思ってたけどな。警察が人型ロボットに変型する白バイを導入したなんて話は聞いたことないし。自衛隊……でもないんだろ」

「もし警察が俺らと同様の装備を導入しても、市民には隠しておくだろうな。何せ、相手が相手だ」

「…………」

「俺が知ってることでよければ教えるぜ。とりあえず、トレーラーに乗ってくれ」

 検問が設置されていた場所には、二台のトレーラーが停まっていた。片方のトレーラーから降りてきた偽警官たちは、手際よく二機のVMAAをトレーラーのコンテナ内に格納し始めていた。二機ともすでに白バイの形に戻っており、パイロットたちの姿はない。

「お前さんはこっちのトレーラーに乗ってくれ。すぐにここを離れる」

 アキラはありすを抱きかかえつつ、自身を襲う疲労感や倦怠感と戦っていた。赤い巨人の視点を得て空を飛んでいた時の高揚感が消え失せた上、疲れと共にその反動が出たのか、もう何もしたくない気分だったのだ。

「井上さんよ、ひとつ頼みがあるんだが」

「なんだ」

「ちょっとでいい。寝させてくれ」

「おう。トレーラーの中に簡易ベッドを用意しておいた。気が済むまで寝な」

 井上は白い歯を見せて笑った。


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