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前編

 闇を切り裂くヘッドライトが暗い路上に明るい楕円を描く。

 照らされた路面は純白の光を反射させ、凍てつく夜を鮮やかに演出する。路上にうっすらと積雪しているのだ。直後に赤いテールランプが長い尾を曳いて流れていく。ヘッドライトもテールランプもひとつずつ。走り去っていくのは一台のバイクだ。

 バイクのシルエットは中型クラスの大きさだが、聞く者に排気量を誤認させかねないほど重低音の効いたエキゾーストノートを轟かせて走り去っていく。一瞬、街灯の明かりの中を通過する。緑色でフルカウルの中型バイクだ。ライダーは黒い革ジャンを着ている。

 再び闇に溶け込んだバイクは、テールランプの赤い残像を置き土産に彼方へ走り去った。

 爆音の余韻が風に吹き散らされ、夜闇は静寂に沈む。

 ささやかな街灯が照らす光の内側で、今にも止みそうな粉雪がちらちらと白く光っている。舞い散る雪片以外、動く物はない。

 束の間の静寂が訪れる。しかし、長くは続かなかった。

 微かな物音。少しずつ大きくなり、小刻みな振動音が静寂を駆逐する。

 街灯が小刻みに揺れる。明かりは点滅し、やがて消えた。

 突如、路面がせり上がった。

 一拍の間を置き、轟音が炸裂する。物理的な圧力を伴うかのような音の奔流だ。

 砕け散ったアスファルトは空高く舞い上がり、黒い雨と化してめくれた路面を目掛け降り注ぐ。

 黒い雨の下で、闇が動いた。

 闇よりも濃密な気配が街灯の消えた路上に蟠る。

「キシャアアア」

 ガラスを金属で引っ掻くような不快きわまりない奇声を発し、気配の主が闇に蠢く。アスファルトの雨を避けようともせずに。二本足で直立する影は、人か獣か。輪郭も定かでない闇の中、頭部――目と思しき部分だけが紅く光っている。背丈は三メートルを優に超え、数は三つ……四つ、あるいはそれ以上。

 巨人の影たちが一斉に動き出す――速い。重そうな足音が、あっという間に遠方へ遠ざかる。向かう先は、バイクが走り去った方向と一致していた。

 間を置かず、新たな音が闇夜に響く。

 立ちこめるアスファルトの粉塵が収まるのを待たず、遠方からエキゾーストノートが近づいて来たのだ。どんどん大きくなるそれは、先ほどのバイクの音量を明らかに上回っている。

 やがて現れたのはバイク――エキゾーストノートの音量に相応しい大型バイクだ。ヘッドライトの強烈な光芒が、がたがたにめくれ上がったアスファルトを照らす。

 大穴が開いた路面の手前でバイクを停止させたライダーが、呟きを漏らした。

「公道に大穴あけて知らんぷりとはいい度胸だ」

 言い終えた途端、バイクのハンドル付近が赤く輝く。

 パトライトだ。同時に、高いサイレン音が響き渡る。闇に浮かび上がるバイクのフロントカウル上部には白地に黒い“POLICE”の文字。交機の制服を着た白バイ警官の姿も露わになった。

 急発進。盛り上がったアスファルトをジャンプ台にして白バイは宙を舞い、裂けた路面を飛び越える。

 いつの間にか雪は止んでいる。走り去る一瞬、警官の口元は笑みの形にゆがめられていた。


   *   *   *


 N市N区は田舎というほどではないが、都会というにはどこか長閑な雰囲気が漂う。それでもクリスマスが近いせいか、街の中心部はそこかしこでカラフルなイルミネーションが点滅していた。

 緑色のフルカウルのバイクが徐行をし、とある路地へと入っていく。黒い革ジャンのライダーはバイクを停め、ヘルメットを脱ぐ。ぼさぼさ髪で、中性的な――目つきがやや鋭いものの線が細い――顔立ちの少年だ。少年は首にかけたペンダントを革ジャンの首元から手繰り寄せ、ペンダントに提げたものを掌に乗せた。アンティーク調の鍵を模った首飾りだ。しげしげと眺め、元に戻す。

 バイクを降りた少年は前方に視線を固定し、眉をひそめた。

 少年の視線の先には三人の男たちの背中が見える。揃いも揃って見るからにヤンキー系の黒毛ロングコートだ。

 左右の男たちは痩せているが、真ん中の男は長身で肩幅が広い。物理的な体格の比較だけでなく、存在感の大きさから見てもリーダー格は真ん中の男だろう。

 背後から近付いてきたバイクのエンジン音が止まったことを訝るかのように、右の男が振り向いた。その顔立ちから、彼自身も少年と呼ぶべき年格好であることが見て取れる。革ジャンの少年がすでにバイクを降りているのを警戒したのか、彼は顔をくしゃくしゃに歪めて睨み付けた。どうやら、革ジャンの少年に向かって凄んで見せたつもりのようだが、残念ながら愛嬌のある表情となってしまっている。おそらく、悪ぶった表情の作り方に慣れていないのだろう。

 それに対して革ジャンの少年は視線を合わせることなく、雪で濡れたバイクのシートをタオルで丁寧に拭き始めた。

 他の二人の男たちもバイクのエンジン音に気付いているはずなのに、まるで注意を向けようとしない。革ジャンの少年もまた男たちに無関心。右の男もようやく警戒心を解いたのか、バイクを拭き続ける少年に背を向けた。

 真ん中の男が野太い声を発した。

「おいおい姉ちゃん、口は無いのか。こんな夜にひとりぼっちで寂しそうだから、俺たちが遊んでやるって言ってるのによ」

 バイクを拭き終えた少年は立ち上がると、再び黒毛ロングコートたちに視線を固定した。腕組みをし、溜息を吐く。

「黙ってねえで何とか言えよ。リュウの兄貴は楽しい遊びをいっぱい知ってるんだぜえ」

「怖くて声も出ねえのか。俺たちゃ別に命も金もとったりしないぜ」

 左の男が声を出し、右の男も畳みかけるように言葉を吐く。この二人の声はやや高く、迫力がない。右の男は、さらに言葉を重ねた。

「別に上の口なんてなくてもいいんだぜ。下の――」

「お前は黙ってろ」

 即座に、かつ同時に他の二人が遮る。男たちが横を向いたことで隙間ができ、絡まれていた少女の顔が少年の視界に入った。路地裏のわずかな明かりの中にあってさえ、漆黒のストレートロングが艶やかに輝いている。

「あ、アキラ」

 少女が小さな顔に満面の笑顔を湛えて手を振った。ハーフコートから覗くほっそりした足にロングブーツという出で立ちだ。白磁の素肌は神秘的に透き通っている。邪気のない笑顔と相俟って、明かりの乏しい路地裏を淡く照らすかのようだ。

「おい、ありす。バイクだからスカートじゃなくてパンツにしろっつったろ。なんでなま脚なんだよ」

 黒い革ジャンの少年――アキラが返事をした。同時に、三対の鋭い視線がアキラを捉える。そのただならぬ様子を意にも介さず、ありすと呼ばれた少女がのんびりと答える。

「見て。ショートパンツよ。あたし寒いの平気なの」

 ハーフコートをたくし上げるありすを見て、アキラは頭を抱えた。

「あのなあ、ありす。バイクってのは身体が剥き出しなんだから、ちょっとでも身体をガードする服を着てくれって意味なんだ。何も防寒だけが目的じゃ――」

「勝手に話すすめてんじゃねえぞゴラァ」

 高めの声が二人の会話に割り込んだ。右の男だ。直後、鈍い音が響いたかと思うと右の男が後頭部を抱えてうずくまる。

「黙ってろと言ったはずだぞ、シロ」

「痛っ。なにするんすか、兄貴ぃ」

 シロの抗議に、左の男が答えた。

「紹介するぜ、シロ。こちらの方はな――」

「そいつ新顔か、クロ」

 左の男の言葉をアキラが遮った。その様子を見て口をぽかんとあけたシロは、うずくまった姿勢のままクロと呼ばれた男とアキラを交互に見比べた。

「そうっす、リーダー。昨日から俺らとつるんでます」

「聞いての通りだ、シロ。いつまでもうずくまってんじゃねえ」

 リュウに一喝され、シロはバネ仕掛けの人形よろしく立ち上がった。

「ど、どうもリーダー、はじめまして。俺、シロっす。よろしくっす」

 アキラはそれには答えず、再び溜息を吐くとリュウを半目で睨み付けた。

「リュウ。お前いつからチンピラの真似事をするようになった」

「面目ない、アキラ。シロの奴が女を知らないって言うから。そこでナンパをしようと思ったんだが、考えてみたら俺自身、女知らなくて。当然ナンパの仕方なんて――」

 そこまで言ってからリュウは表情を硬直させた。

「す、すまん、アキラ。あんたの知り合いだなんて知らなかったんだ」

 がっしりした身体を小さくして謝るリュウに対し、アキラは無表情に応じた。

「ああ、そうかい」

 さらに小さくなって項垂れたリュウを眺めるアキラの目が、少し細められた。

「しかし、硬派のお前が新入りのためにナンパとはな。余程気に入ったのか、シロって奴のこと」

「まあな」

 リュウの返事を聞いたシロは、後頭部を掻いて照れ笑いしている。

「わざとじゃないのは判ったが、さっきのアレは脅迫だぜ。ありすは俺の女だ。たとえそうじゃなくても二度とするな」

「判ってる」

「いいよ、別に怖くなかったし」

 ありすが大きめに声を出した。その鈴の鳴るような声に、アキラと向き合っていた三人の男たちが一斉に振り向いた。

「うふふ。“俺の女”か」

 アキラはありすの言葉ではっとした表情になると、彼女の前へと歩いていき、頭を下げつつ言った。

「悪い。俺たち口が悪くてな。決してありすのこと、モノ扱いしてるわけじゃねえ」

「いいの、判ってる。……嬉しいよ、アキラ」

 その言葉に、リュウは瞼を半分閉じて口の両端を下げた。への字口のまま、「ごっそさんです」と小声で囁くように言った。

 クロとシロの二人もリュウに続けて「いいなあ、リーダー」と口々に呟いた。瞳をキラキラさせながら。

「あたし、男の人に声かけてもらったの初めて。それも二日連続で。アキラもみんなも、一緒に遊ぼ」

 ありすは男たちに屈託のない笑顔を振りまいた。

「リュウさん、クロさん、シロさんね。猫みたいで可愛い」

「すんませんでした、ありすさん。でも、俺たちだけ“さん”付けなんてよそよそしいっす。呼び捨てでお願いするっす」

「わかった。それなら、あたしのことも呼び捨てでお願いね」

「はっ、はいっ。……ありす」

 にっこりと笑うありすから目を逸らし、頬を染めてもじもじする二人の弟分たちを横目で睨んだリュウは、再びアキラへと振り向いた。左右非対称に片眉を吊り上げているのは、表情の選択を迷った結果だろうか。

「俺たちゃペットかよ」

「俺もありすと知り合ったのは昨日なんだがな、こういう娘だから気に入ったのさ。みんなも、ありすのことよろしくな」

「…………っ」

 場の全員が表情を緩める中、ただひとりクロだけが背筋を伸ばす。耳に手を当て、鋭い視線を路地の出口――表通りへと投げる。

「リーダー、兄貴。何か聞こえませんか」

「ああん?」

 語尾を上げ、鷹揚に聞き返すリュウを、アキラは身振りで黙らせた。

 遠方で響く規則的な音が路地裏に届く。

 走る足音だ。しかし、人間にしては重い。しかも、金属的な余韻を響かせている。

 近付く足音が大きくなり、刻むリズムは緩やかなテンポになった。歩いている。しかし、その金属的な残響はまるで――

「ロボットぉ?」

 シロが叫ぶ。その声は裏返っていた。

 路地裏の出口からこちらを覗き込む一対の目。火を放つかのように赤く輝いている。

「骸骨――いや、鬼か」

 クロが呟く。その姿勢は未知の敵に挑むかのように低く身構えていた。

 赤い目の上――頭部と思しき部分には、天を突くかのような二本の突起がそそり立っている。

「わあ、おっきい」

 ありすが歌うように言う。その両手はあごの前で組み合わせていた。

 表通りの街灯を背負う未知の存在は、逆光のせいでシルエットしかわからない。だが、光る目の位置が異常に高いことは明らかだ。

「冷静に感想述べてる場合か。光る赤目と角があって身の丈三メートル以上もあるような奴が実在するってだけで驚きだぜ。こんな奴とお友達になる趣味はねえ。逃げるぞ。タンデムに乗れ、ありす」

 いち早くバイクにまたがったアキラがありすを促す。

「でもあの子、あたしたちに用があるのかも」

「子? こっちには用はねえ。ほら、行くぞ」

 アキラが押しつけてきたヘルメットを、ありすはおとなしくかぶった。

「うん。まあ、知らない子だし、あたしの言葉も通じないし。あんまり友好的な感じがしないのよね」

「ごちゃごちゃ言ってねえで早く乗れ」

 ありすがアキラのタンデムにまたがるのと同時に、リュウが号令を出す。

「向こう側の抜け道から出るぞ――しんがりは俺だ。アキラは女連れだから無茶できねえ。クロ、シロ。もしあの巨人が追っかけてくるようなら、お前らがフォローしろ。行くぞ」

 四台のバイクが走り出す。

 直後、強烈な閃光が全員の視界を灼く。

 ありすが叫んだ。

「何する気? まさか、地球人を巻き込むというの……、だめよ」

 雷鳴。

 長く轟く爆音は、ありすの声をかき消した。

「うわあっ」

 瞬間的に真昼と化した路地裏で全員がバイクを停止させる中、ひとりだけハンドル操作を誤ったのか、シロのバイクが転倒した。シロはバイクから離れており、身体を縮めて丸くなっている。

 両手で頭をかばっていたシロは、すぐに立ち上がった。どこも怪我をしていない様子だ。

「今のは落雷? ……それよりシロ。お前こけ慣れてるな」

 アキラは感心し、思わず感想を漏らす。

 シロはバイクを起こした。無事にエンジンがかかる。

「みなさん、先に行ってください。俺のバイク無事っすから」

「キシャアアア」

 ガラスを金属で引っ掻くような不快きわまりない奇声が路地裏に木霊した。巨人の雄叫び――ただ大きいだけではない、雷鳴とは異質の不気味さが、聞く者の心臓を鷲掴みする。

「うわ、う、うわああああ」

 シロはバイクを反転させると、クラッチレバーを勢いよく放す。

「シロ、よせ。バイクごと化け物に潰されるのがオチだっ」

 慌てて制止するクロに耳を貸さず、ウイリー――前輪を持ち上げた状態で巨人に突っ込んでいくシロ。パニックに陥っているのか、絶え間なく叫び続けている。

 ありすはタンデムから飛び降り、巨人を正面に見据える。

「おい、ありす」

 アキラの呼び掛けに応じず、胸の前で組んだ両手を正面へと伸ばす。

 鈴の鳴る声。ありすの口から、涼やかに歌うような清楚かつ凛とした声が流れ出る。

「青の扉よ、(いざな)え。我らの真の心を繋げ」

 巨人とシロのバイクとの間に、淡い紺碧に輝く半透明の長方形が出現した。

 長方形の向こう側、青い光を浴びた巨人が大きな口を開いているのが見える。同時に、シルエットでしかなかった巨人の全身が明らかになる。

 異形。身長は三メートル半。鬼の骨格標本が命を得て動いているとしたら丁度こんな感じかと思わせる姿だ。剥き出しの頭蓋骨から直接角が生えているかのような頭部。空洞のような眼窩の奥で、燃えるような赤い光が輝いている。肩、腕、胴体、足。骨のパーツひとつひとつが光沢を帯びており、金属的な質感を感じさせる。胸部から腹部にかけては肋骨や背骨を思わせるパーツが存在するものの大きな隙間があいている。いくつかの骨パーツに絡みつくコード状の物体は、機械的な部品というより剥き出しの血管や筋繊維といった有機物を思わせる、てらてらとした質感を備えていた。

 何よりも異様なのは、臀部から垂れ下がる骨の集合体。星形のように、複数方向に突起を備えた骨が組み合わさり、長い尻尾を形成している。

 SF映画に登場するロボットと言われれば、そう見えなくもない。が、時折唸り声のような音を漏らし、呼吸するかのように肩を上下させてこちらを睥睨するその様子は、妙に有機的で獣そのものだ。

「まさか」

 異形の巨人の口のあたりに光の粒子が集まってくるのを目撃したアキラは、不吉な予感に目を見開いた。

 ――さっきの雷は、こいつが?

 バイクのシートから腰を浮かし、叫ぶ。

「伏せろ、ありす」

 このままではみんなやられる――焦燥に駆られたアキラがありすに飛びつこうと空中に身を躍らせたその瞬間、再び雷鳴が轟いた。

 アキラが目をぎゅっと閉じたのと同時に、再び真昼と化す路地裏を、青い光が呑み込んでいった。


   *   *   *


 師走の市街地中心部。今夜のN市N区は、決して人通りが少なくはない。

 大通りから外れた路地裏とは言え突然の爆発に人だかりができていた。

「くそっ、あの野郎。いきなり手を出しやがったのか」

 白バイで急行する警官は、食いしばった歯の隙間から絞り出すような呟きを漏らした。爆発現場の路地裏からはかすかに煙がたなびいているが、どうやら火災に発展するほどではない。だが、既に誰かが通報したのか、消防車のサイレンが近付きつつある。

 平和に慣れきった国民性に起因するものか、人々はこの程度の騒ぎをすぐにテロと結びつけて考える習慣がないため、あたりには人だかりができている。そのせいでなかなか爆発現場に近づけない。やむを得ず白バイを止めた途端、サラリーマン風の男が駆け寄ってきて空を指差した。

「お巡りさん、あれを。あいつがバイクを破壊――」

「何だと。見たのか」

「い、いえ。実際に見たのは私ではないです」

 夜空を仰ぐ警官の視界の中、虹色に光る巨体が不規則な軌跡を描く。時に静止し、時に急降下する動きは、鳥や飛行機などではない未知の何かであることを物語っている。

「あの様子、何かを探している? じゃ、ガキは()られたわけじゃないのか」

 警官は獰猛な笑みを浮かべ、嬉しそうに呟く。

「あの、お巡りさん……。ひっ」

 不安げに覗き込んでくる男に対し、警官は獰猛な笑みを浮かべたままの顔を向けた。男の語尾は、その表情に気圧された結果だ。

「それで、バイクに乗っていた人はどうなりましたか」

「……聞いた話ですみませんが、あの虹色の奴、誰も乗っていないバイクを壊して飛び上がったそうです。ところであいつ、虹色の奴、いったい何なんでしょうか」

「情報感謝します。ここは危険です。直ちに、爆発現場から離れてください。それと、野次馬はご遠慮願います。なるべく虹色の飛行物体から離れるように」

 警官は最後の質問には取り合わず、口調だけは丁寧に言って敬礼をしてみせる。

「え、えっ」

 おろおろする男を無視し、警官は白バイを発車させた。口元のマイクに向かって怒鳴る。

「平野、高木。位置は掴んでいるな。奴を叩くぞ」

『待ってください、小隊長。まだ上からは攻撃命令出てませんよ』

 通信の相手からあわてた感じの応答があった。若い女の声だ。

「黙れ、平野。命令なんざ待ってられっか。RGの奴は護衛対象を探してる。あのガキ、まだ生きてんだ。もうすぐ本物の警察も集まってくる。ガキの無事をのんびり確認してたら手遅れだ」

『小隊長』

「俺たちゃ軍隊であって軍隊じゃねえ。現場判断が最優先だ」

『聞いてください。敵は五体、うち四体が護衛対象の追跡を始めています』

 警官――いや、通信の内容からすると警官もどきか――の顔から笑みが消えた。

「あのガキ、爆発現場を脱出したっていうのか」

『現在、護衛対象は四号線を北上中です』

「何? 反対側じゃねえか。あの路地、袋小路のはずだろが。壁を飛び越えたとでも言うのかっ」

『私に言っても知りませんよっ。位置情報送ります』

 ほどなく、白バイのメーターパネルの一つに光点が表示される。本物の交機の白バイには無いはずの装備だ。

「ばかな。M区だと。ここから七キロも離れているぞ。いったいいつの間にっ」

 その時、別のパネルが赤く光った。初老の男性の声が語りかけてくる。

『命令だ。所属と名前を』

「了解。EDF極東支部井上小隊、小隊長の井上です」

『よろしい。井上小隊、作戦コード・アルファを実行せよ。対A兵装の使用を許可する。最優先項目、護衛対象の確保』

「了解」

『優先項目、作戦終了時間。二四(にいよん)〇〇(まるまる)時をもって、成否如何に拘わらず帰投せよ』

「了解」

『附随項目、RGの殲滅もしくは駆逐』

「了解」

『通信終了』

 小隊長――井上というのがこの警官もどきの名前であるようだ。その顔に獰猛な笑みが戻った。

「聞いたか。全速で来い。護衛対象を追うぞ」

『了解。七分後に護衛対象に接触予定』

「先に行くぜ」

『小隊長。RG殲滅よりも護衛対象の保護が優先ですよ。くれぐれも――』

「早く来い。もたもたしてたら俺ひとりで終わらすぞ」

 井上はそれ以上返事をせず、ジャンプ台も使わずに白バイをジャンプさせた。飛び上がった白バイは、あろうことか空中に留まっている。

「一号機、変形」

 空中で変形した白バイは、井上の身体を包んでいく。たちまち身長三メートルほどのパワードスーツと化した。

 パワードスーツの背に装着されたランドセル型ブースターが点火され、白い機体が夜空に舞う。

 直後、センサーの警報音が井上の鼓膜を叩く。

「ちっ、後ろか」

「キシャアアア」

「嬉しいね、RG。この俺様を脅威と感じてくれたわけかい」

 RGとは虹色の巨人のことであろうか。それまで不規則に夜空を舞っていたはずのRGが、井上の機体を追ってきたのだ。

「平野、高木。悪いがデートに誘われちまった。お前らは真っ直ぐ護衛対象に向かってくれ」

『了解』

「さあて……」

 井上は舌なめずりをすると、機体をエビぞりの姿勢で上昇させた。夜空に大きく弧を描く機体の中、井上の視界は天地が逆転する。

「捉えた」

 井上の頭上、街を背にしてRGが直線的に迫ってくる。

 井上は回転運動をやめ、機体を降下させる。両者の距離がぐんと縮まる。

 両腕に装備された超小型ミサイルランチャーを選択。

 照準――発射。

「おー、速いねえ」

 射線上に、既にRGの姿はない。物理法則を無視するかのように、ほぼ直角に方向転換したのだ。

 ミサイルはRGを追尾し、軌道を変えて上昇していく。

 彼我の上下が入れ替わる。

 反転し、井上自らもRGを追尾して上昇に切り替える。

 逃げるRG、追うミサイル。ミサイルの方がわずかに速い。

 着弾。炸裂。

 夜空を染める爆炎が風に吹き散らされ、無傷のRGが虹色の身体を光らせる。

「おっほ。頑丈だねえ。……うおっと」

 上昇する井上に覆い被さるかのように急降下するRG。鼻先で縦回転し、井上は衝突を避けた。

 再び上下が入れ替わり、井上は降下するRGの背中を捉える。

 両肩に装備されたプラズマ砲を選択。

 照準――、発射せず。

「まずい。上から撃ったら街を焼いちまう」

 膝に格納された高周波ブレードを選択。

 急降下しようとして、上体を仰け反らせた。

 正面にRGの頭部! 手を伸ばせば届く距離だ。

「――――!」

 舌打ちする間もあらばこそ。

 井上が突き出す高周波ブレードを、RGは自らの角で受け、首を振った。

 振動が停止したブレードは井上の機体の手を離れて弧を描き、闇夜に消える。

 ゼロ距離は不利。ブースター最大出力。

「ぐああ! くそっ」

 背中に衝撃。RGの尻尾で打たれた――気付いた時にはブースターユニットが制御不能となっていた。

 井上は、白煙を上げるブースターユニットを取り外し、捨てた。

 自由落下を始める機体の中から、RGの威容を見上げる。

「けっ、悪かったよ。俺はあんたをなめてた」

「キシャアアアア」

 まずい。こちらを見下ろすRGの口に、光の粒子が集まり始めている。

 プラズマ砲を選択。

 照準――

 雷鳴。

 ――発射。

 真昼の白光に包まれる中、井上のプラズマ砲は正確にRGの口の中へと吸い込まれていった。


 次の瞬間。

 真冬の夜空に、目映い太陽が出現した。


   *   *   *


 バイクで四号線を北上しつつ、アキラはつい数分前の出来事を思い返していた。


 あたりを静寂が支配している。

 アキラは閉じていた目を開いた。暗闇だ。

「ここは路地裏じゃねえ。どういうことだ」

 街灯に照らされた看板を確認する。N市M区。四号線の道路脇だ。

「わけわかんねえ。……みんな、無事か」

 近くで「おお」とか「はい」といった声が聞こえてくる。

 ごそごそと身体を起こす気配が伝わり、近付いてくる。リュウ、クロ、シロ。みんな無事だ。

「あたしも無事。でも、ちょっと重いかも、アキラ」

 立ち上がったアキラは、自分が押し倒した格好となっていたありすに手を差し伸べる。

「ありがと。ん、どうしたの」

 ありすを立ち上がらせた後、アキラは彼女を物問いたげに見つめていた。

「ありす。お前いったい、何者だ」

 ありすはにっこりと微笑んだ。淡い街灯に照らされた微笑みは、どこか寂しそうだった。

「……アキラの女よ」

「真面目に答えてくれないか」

 アキラの言葉にうつむいたありすは、数秒の間を置いて再びアキラを見つめた。笑みを消し、口を開いた。

「あたし、特別なの。普通じゃない力を――」

「いいじゃないすか、リーダー」

「シロ」

 口を挟む仲間の肩を、クロが掴んだ。ところが、クロの肩をリュウが叩き、落ち着いた声で言った。

「言わせてやれ、クロ」

「俺、リーダーのこと、前から知ってたっす。それで、バイク乗りになりました。クロがリーダーの知り合いだってわかって、仲間に入れてもらったんす。ありすも、とっても魅力的っす。だから声をかけようとしたんす。ありすがリーダーの恋人なら俺も鼻が高いっす。あれ、何言ってんだ俺」

 シロは助けを求めるようにリュウとクロを見比べた。

 クロは口を開きかけたが、結局何も言わずにリュウを見た。リュウが静かに言う。

「お前の言う通りだ、シロ。シンプルに考えればいい。俺たちゃ化け物に襲われた。あの雷も、化け物の仕業だ。お前はアキラもありすも好きだ。だから、自分のバイクを潰してでも守りたかった。……だろ?」

「はいっす!」

 シロは嬉しそうに声を張り上げた。そして、思案顔になって言葉を続ける。

「あれ、でも……。なんとなく守ってもらったのは俺たちのような――うわっぷ」

 シロはそれ以上言葉を続けられなかった。ありすが抱きついてきたのだ。

「ありがと、シロ。バイクのこと、ごめんなさい」

「……なんでありすが謝るんすか。それより離れてくださいっす。もったいないっす。リーダーが見てますからっ」

 焦るシロに歩み寄ったアキラは、彼の肩に手を置いた。

「いいよ、シロ。俺からも礼を言うぜ。ありがとな」

「あたし、アキラが好き。みんなも好き。……でも、あたしと一緒にいたら、きっとみんなに迷惑がかかる」

「あー、あのさ」

 リュウが後頭部をかきつつ、ありすに話しかける。

「俺たち、その。やんちゃでさ。今まで、それなりに周りに迷惑かけてきてるんだ。だから、たまにはさ。俺たちの方がその迷惑って奴をさ。引き受けてもいいんじゃないかって。そう思ってるぜ」

「でも、あたし……。みんなには、あたしのことを――」

「おっと。これ以上のんびりしてるヒマ、なさそうだぜ」

 リュウは表情を引き締め、遠方を睨み付けている。

 全員がその視線を追うと、虹色の輝きが路上を疾走している様子が見て取れた。どうやら、こちらに近付きつつある。微かながら、金属的な足音がここまで届いてくる。その足音は、路地裏で聞いたものとよく似ていた。

「げっ。あいつら、一体だけじゃなさそうだ。とりあえず、逃げるぜ」

「おう」

 いずれ追いつかれるかも知れない。だが、余計なことを気にして化け物の到着をのんびりと待つなどという考えは、この場の誰も持ち合わせていない。

 ありすはシロから離れ、アキラのタンデムにまたがった。

「シロ、乗れ。――おいシロ、正気に戻れ」

「あ、ああ」

 どこか夢心地といった表情のシロが、何度目かの呼び掛けでようやくクロのタンデムに座る。それを見届け、リュウが叫んだ。

「よーし。しんがりは俺だ。……行くぞ」


   *   *   *


 四号線上を疾走する二台の白バイ。

 右側の警官がマイクに呼び掛けた。

「小隊長、平野です。RGを捕捉しました。現在追跡中」

 二台の白バイは、井上小隊の隊員たちだ。

『了解。こちらは片付いた。悪いが、機体のトラブルで少し遅れる。RGとの接触は極力避け、護衛対象の安全を最優先しろ。なお、RGにはプラズマ砲以外――』

「小隊長。井上小隊長」

 通信が途絶えた。平野がいくら呼びかけても、井上は答えない。替わりに、若い男の声が通信に割り込んできた。声の主は平野の左側を併走する偽警官だ。

『平野先輩、自分が追跡を続けます。先輩は小隊長を』

「すまない、高木。三分で戻るから」

 二人の偽警官は余計なことを一切言わないが、小隊長機が抱える“トラブル”の詳細をほぼ正確に把握しているようだ。

「井上さんのバカ。ピンチの時くらい、私を頼ってよっ」

 通信機をOFFにした平野は、そう一言つぶやくと、白バイごとジャンプした。

「二号機、変形」

 平野は身長三メートルほどの白い巨人と化し、夜空に飛び上がった。


 一方、落下を続ける井上は、徐々に迫る街の明かりに冷や汗を垂らしつつ、可能な限りの対策を講じていた。

 両手両脚を広げて滑空し、機体八箇所のAフィールドスラスターを操作。しかし、三箇所のスラスターは噴射口が沈黙しており、期待したほど落下速度を殺せない。

 RG撃破の際、ブースター破棄を余儀なくされた井上機は、迅速に戦闘空域を離脱する手段を持たなかった。爆発の影響を至近距離で受けるはめになったため、機体のあちこちに深刻なダメージを負ってしまったのだ。

 スラスター五つと機体内部の緩衝材、もともと動作が不安定なGキャンセラー(重力低減装置)が現在の井上にとっての命綱だ。しかしこれらを総動員したところで、来たるべき地面への激突後、井上の身体は――

「まず間違いなく潰れたトマト、か。まずいな。せめて一般人を道連れにするような真似は避けたいところだぜ……」

 その時、視界の隅を白い巨人が過ぎった。

「? あれは……、平野か」

 一分とかからず、平野機が井上に寄り添う位置にまで近付いてきた。

 井上は、わざと切っておいた通信機のスイッチを入れる。

「ばかたれ。任務を放棄する奴があるかっ」

『お叱りなら後で。小隊長機を上から支えて、四号線に下ろします。今から九〇秒で高木機に追いつくためには、平均時速一六〇キロ必要です』

「……了解だ。頼む」

 二機でひと組となった白い巨人は、路上目指して急降下していった。

「待ってろよ、クソガキ。余所者のRG共にやられるんじゃねえぞ」

 路面まで五メートル。

『投下します。ご準備を』

「やってくれ」

『三、二、一、ゼロ』

 変形。井上機が白バイモードに戻る。

 着地。タイヤのゴムが悲鳴を上げ、噴き上げた粉塵はヘッドライトの光条さえも束の間白濁させる。

 フルスロットル。パトライトを点灯し、サイレンの音を響かせて井上のマシンは路上を滑っていった。


   *   *   *


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