町医者竹庵旅日記
本作品は、「橘小太郎町日記」「猿の佐吉人情噺」「与力尾上介三郎」の続編です。これらの作品を読んでいない方には分かりにくい点があるかも知れませんが、ご了承下さい。なお、都筑道夫、白土三平の作品から一部アイディアを借りておりますが、尊敬する作家へのオマージュという事で、盗作騒ぎはご容赦下さい。
町医者竹庵旅日記
プロローグ
「竹庵先生」
後ろから声をかけられて、振り返った竹庵は、懐かしい顔に一瞬で顔がほころんだ。
「おお、長太じゃないか。大きくなったなあ。」
「大きくなったなあじゃないですよ」半分笑いながら、長太が怒ったように言う。「こちらに来られるのなら、なぜ前もって知らせて下さらないんですか。絶対に大歓迎の準備をしたのに。あ、あと、もう長太じゃなく大山長治というご大層な名前をもらい、五十石のお侍ということになりました。でも、先生からは長太と呼んでいただいた方がうれしいですね」
そんな事を話している間に、長太より若い子供たちが周りに集まってきた。長太より数年若い子供たちから、まだ六歳ぐらいの幼児までいる。最年長の数人には見覚えがある。
「塾頭、この人だあれ?」
「偉い人?」
皆、口々に訊ねる。
「ああ、偉い人だぞ」長太が胸を張って答える。「この石脇塾を創ったのが、この石脇竹庵先生だ。皆、竹庵先生にご挨拶! おはようございます。先生、よくいらっしゃいました」
皆が唱和しつつ、長太に習って竹庵に頭を下げる。中々可愛い。
「それにしても、竹庵。なぜ手紙で知らせて来ない」
「いや、すまん小太郎」竹庵が頭を掻く。「今ちょっと、とある藩に用事があって行く途中なんだが、そう言えば、ここのすぐ近くを通るなと思ったら、あの医院がどうなっているか見たくなって、つい寄ったのだ」
藩主の佐伯宗重の私室である。二人の他に、今は藩主の妻である妙、そのお付きの千代、長太、藩士の桃井、その妻、楓と懐かしい顔ぶれがそろっている。
「私に会いたくなってではなくてか?」
「いや、医院を見ているうちに、皆に会いたくなってどうしようかとも思っている内に、長太に見つかってしまった。実は、例の秘密の仕事なので、あまり知人に会うことは避けた方が良いという事情がある」
「まあ、私を忘れたわけじゃないというのなら、今回は許すが」宗重が言う。「しかし、急ぎの旅ではあるんだろうが、せめて、積もった話をしつつ、皆で夕餉を囲んで、一泊ぐらいはしてくれても良いだろう」
「まあ、急ぎではあるが一日ぐらい遅れてもいいか。しかし、今回の仕事では連れがいる。その者たちに言っておかないと」
「もちろん、連れがいるのならご一緒に」
「いや、連れは三人だが、皆、私の護衛についてきている。立場上、あまり皆に紹介して一緒に騒ぐという事はできないというか、護衛についていること自体、秘密なので、この旅でも、私とはつかず離れずで付いて来ているので」
「絶対に秘密にする」宗重が言う。「一緒に食事をしよう。その代わり、名前や役職など一切訊かないから」
「しかし、小太郎も子持ちになったか」竹庵が赤子を抱いてあやしながら言う。「可愛い子だの。まあ、妙殿似だから当たり前か。しかし、口は小太郎似かな」
「小太郎似の部分がない方が良かったと思っているだろう」宗重が口をとがらす。
「まあな」竹庵がからかう。「しかしお妙殿、お幸せそうで何より」
「ありがとうございます」妙が頭を下げる。「今日は夫のことを小太郎と呼んでくれる人がいて、久しぶりで懐かしゅうございます。うれしいですね」
「妙殿の部屋に行かれたら、橘小太郎に戻って仲睦まじく過ごしておられることと思いますが」
「最近はそのような時間もあまり取れなくて」宗重が言う。「竹庵に言うのも釈迦に説法だと思うが、今の状況で、日本中の藩が尊皇か佐幕かでもめている中、いろいろと難しいことが多くてな。幸い、この周りには旗幟鮮明な藩は少なくて、皆、穏健というか、どっちつかずというか、模様見を決め込んでいる藩が多いので、何とかなっている」
「そうだの」竹庵が頷く。「この藩のことも心配していないわけではないので、これからは少し手紙のやりとりを密にして、江戸の政情を知らせるようにしよう」
「そうしてくれれば助かる」宗重が頭を下げる。「私の決断に、家来、領民すべての人の運命がかかっていると思うと夜もよく眠れない。先例に倣えで政が行えた時代は終わったからな」
「その通りだな」竹庵が言う。「この可愛い赤子が幸せな一生を送れるようにと願わずにはおれない。しかし、余り思い詰めて、よく眠れないというのは困るぞ。よく眠れるような薬を置いていこうか?」
「そんな薬があるのか」宗重が訊く。
「まあな。ただしよく効くやつは身体に良くない。身体には余り影響のない薬は、それほど効かない。どちらが良い」
「いやまあ、止めておこう」宗重が慎重に言う。「藩主が寝るのに薬に頼っているという事では家来も領民も安心できないだろうし」
「そうだの。まあお妙殿が一番の良薬だからな」竹庵がからかう。「お妙殿、小太郎が政務に疲れた時には、この部屋を心を休める憩いの場にして下され。あ、言うだけ野暮か」
「竹庵、余りからかうな」宗重が苦笑いする。「私は長い付き合いだから分かっているが、妙はそのような会話になれておらん。今も顔を赤くしているであろう」
「あ」竹庵が妙の方を向いてあわてて言う。「軽口をたたいて申し訳ない。なにしろ古い付き合いでお互い遠慮がないもので」
「それで、お三方は楽しんでおられますか?」妙が心配そうに訊く。
「はい、もちろん」三人が答える。「私どもの身分では、江戸でもこんなに美味しい食事をいただけることはあまりないので」
「佐吉」三人の一人が言う。「私たちはそう言ってもその通りだが、お前は日頃、割に良い物を食っているだろう」
「そうですぜ」もう一人が言う。「私ども、日頃はひどい食事ばかりです。佐吉様と仕事で食事する時は、美味いものが食べられてうれしいんですが、その後、日頃の食事に戻るとその味気ないこと」
「マメゾー。それは悪かったの」佐吉と呼ばれた男が言う。「私だって、あんな美味いものが食えるのは与力や同心の方とご一緒の時だけで、日頃は貧しい食事だぞ」
「しかし、旨い店をたくさんご存じでしょう」マメゾーが言う。
「知っているという事と、そこで食べられるという事とはまた別だ。誰かに接待してもらえる時だけだ」
「ああ、それは、その通りだ」皆が大笑いする。
「では、以前に宗重殿におごってもらったあの宴会は?」竹庵が訊く。
「あんな宴会なんて、十年に一回あれば良い方ですよ。まあ、あの時は竹庵さんが帰ってきてからお奉行のおごりでもう一回ありましたから、年に二回でしたが、あんな機会はその後ありませんな。あ、そう言えば、あの宴会の代金、このお殿様から返していただけたんですか」
「ああ、きっちり取り立てた」竹庵が言う。
「え、この方たちは、あの時にお世話になった方々なのか?」宗重が訊く。
「ええ、私とこのマメゾーの二人はその時にお相伴にあずかりました」佐吉が答える。「その節はごちそうさまでした」
「いや、その時のお礼を言わねばならぬのはこちらの方です」
「そう言えば、このお二人は、この藩にとっては恩人であったな」竹庵が言う。「そうだとすれば、この二人については紹介しなければなるまい。こちらは猿の佐吉という敏腕の目明かしで、北町奉行の配下の与力、同心を助けて、活躍をしている。聞いている限り、あの事件で佐吉の働きは大きい。それを助けたのがマメゾーで、奉行所の正式の役人ではないのだが、お奉行の内々の要請で協力してもらっている人だと聞いている。まあ、もう一人はご存じ幕府の隠密の伊賀同心という事で、それ以上のことは勘弁してもらおう。ただ、この伊賀同心、たまたま何かの縁で佐吉と非常に親しいという事で、三人の息はぴったりそろっていて、見ていて安心できる。この三人が護衛に入っている限り、何があっても大丈夫だろうな」
「ああ、そのことだが」宗重が言う。「それで十分と思われるかもしれんが、私の方はそれでは済まぬ。この桃井と楓の夫婦を護衛につけるから、一緒に連れて行ってはくれんか」
「ああ、あのお二人ですか。夫婦になられたんですね」竹庵が頷く。「まあ、こちらが断っても、勝手についてこられるでしょうし、どうぞご随意にと言うしかないですな。お三方、それでよろしいですか」
「へえ、どのように協力しあうか、後でお二人とご相談させていただきます」佐吉が三人を代表して答える。
「しかし、長太が立派になって」竹庵が目を細める。「お千代ちゃんとはどうなっている」
「先に言いましたように、今は宗重様に取り立てられて、大山様の跡を継いで、大山長治という名前を頂き、侍になっております。あの時の孤児仲間も皆、同様に宗重様の家来として取り立てていただきました。あの病気を診てもらった妹の初も、今は元気にあの石脇塾に通っておりますが、この度、家中の方との婚儀が整いまして武家の妻になります。これも竹庵さんのおかげで」
「ああ、それは良かったの」竹庵がにっこりする。「だが、肝心の問いの答えはどうした。長太とお千代ちゃんはどうなった。顔を赤くして下を向いている様子から、おおよその見当はつくが」
「はい、まだ式はあげておりませんが、結婚を認めてもらい、めでたく婚約者となりました」妙が笑いながら言う。「お千代ちゃん、夢が叶ったわね」
「江戸行きを断った甲斐がありましたな」竹庵が微笑みながら言う。
「あのう」長太が、顔を赤くしながら言う。「その件なのですが、あの石脇塾を継がれた藩医の先生が、これ以上私から学ぶことはないので、さらに研鑽を積むためには、江戸に行くことも考えてはと言われておりまして、宗重様ともその件で相談している最中なのですが」
「あれ、婚約が決まったら、もう安心して江戸に行けるという事か」竹庵がからかう。
「いえ、もちろん婚儀を済ませて二人で行くという事ですよ」宗重が言う。
「しかし費用は藩持ちなんだろう」竹庵が訊く。「悪家老を追放して、藩の財政に余裕が出来たのか」
「財政はもちろん厳しい」宗重が言う。「このあたり、どこの藩も事情は同じだ。しかし、医者を増やすことは、これから先、政情がどう変わろうと、領民のために大切な施策だということは変わらない」
「そうか」宗重の覚悟を聞いて、竹庵が答える。「では、今回の仕事が終わったら、帰りにここに寄って、二人を連れて行こう。しかし、江戸ではなく、長崎の方が良いだろう。そちらに行けるよう手はずを整える」
「そうか」宗重が言う。「よろしくお願いする。大山、良かったの。望みは叶うぞ」
◎
「あ、どうなさいました?」
竹庵が年配の僧侶を受け止めた。反対側から歩いてきた僧侶が、少し横に避けようとして、横に寄った途端によろめいたのだ。細い道で両側は田んぼだから、下手をすると田植えしたばかりの田んぼに落ちる所だった。
「あ、ありがとうございます」僧侶が言う。「年のせいか足腰が弱くなって、恥ずかしい所をお見せしました。特に最近、足が急に悪くなりまして」
「え、最近急にですか」竹庵が言う。「ちょっと見せていただけますか。まだ年齢的には、年のせいでと言うには早すぎますよ」
「そうでしょうか」僧侶が首をかしげた。「足がむくんできましてね。歩くのも少し不自由になってきたのですが」
「ちょっと見せて下さい」僧侶の着物の裾をまくって足を見た竹庵が言う。「これは江戸病ですな」
「江戸病?」僧侶がいぶかしげに言う。
「ええ、江戸で今の幕府が開かれてから、しばらくして江戸で見られるようになった病で、このまま放っておくと、ちょっと大変なことになります」
「年のせいだと思っておりましたから放っておりましたが、病という事は治療できるという事ですか。それとも治療法はないとか」
「治療すれば治ります。それも高直な薬など必要ありません」
「あの」僧侶が訊く。「あなたはお医者様ですか? 何か旅のお方のようにお見受けするのですが」
「ええ、医者です」竹庵はゆっくり答える。「ちょっと忙しい日々が続きましたもので、しばらく療養所を休ませてもらって、ついでに見聞を広めたいと思い、旅に出たような次第です」
「では、どこか行く先の決まった旅というわけではないのですね」
「ええ、足の向くまま、気の向くままの旅です。ただ半年ぐらいで江戸の療養所に帰らなければなりませんが」
「いかがでしょう」僧侶が提案する。「拙僧はこの先の寺の住職ですが、私の寺にしばらく滞在して、私の治療をしていただくと共に、付近の農民たちの病気も診ていただくという訳にはまいりませんか。じつはこの藩は医者が少なくて、しかも藪医者揃いと来ており、皆困っているような状態で、腕の良いお医者様なら大歓迎ですが。いま、私の病を一目で当てられたのを見ても、腕の良いお医者様だと思いますし」
「医者が少ないというのは困りますね」竹庵が言う。「では病気の時はどうされているんですか」
「どうにもなっていません」住職は腹立たしげに言う。「医者に行った所で、まともな診断も治療もしてもらえない藪医者ばかりで、何があっても葛根湯を飲めといういわゆる葛根湯医者ですな。わたしのこの足も、医者は鍼灸を勧めるだけでした」
「それでは、とりあえず二、三日お世話になりましょうか」
「来ていただけるか」住職は喜んで竹庵の手を握った。
「それで、そのままいることに決められたわけですか?」佐吉が訊く。
「まあな。疑われずにしばらくここに逗留できる口実が出来たし」
お寺の近くの飯屋で、夕食を摂っている。お寺の精進料理は苦手でという名目で、外で三人の護衛と話しをするために寺を出てきたのだ。そこに三人が入ってくる。ごく自然に相席になったような顔をして座った。その後、桃井夫妻も入ってきて、隣の席に座った。幸い、皆が注文した皿が出てきてからは、給仕の女性は近づいてこない。
「江戸病って」マメゾーが言う。「まあ、真面目な顔で大嘘をつかれるんですね」
「おいおい」竹庵が言う。「嘘ではないぞ。本当にある病だ。そしてあのお坊さんの場合は典型的な症状だ。一目見て分かる」
「え、そうなんですか」佐吉がびっくりしたように言う。「三人で、まあ竹庵さんもあんな嘘を真面目な顔をしてよく言うよって笑っていたんですが。江戸病なんて聞いたこともありませんし」
「まあ、贅沢病だからな」竹庵が言う。「金持ちしかかからない。一般の町人には縁のない病気さ」
「へえ、金持ちだけがかかる病気なんですか」マメゾーが言う。「それじゃあ、私たちが知らなくても無理ないですが、なぜ金持ちだけ?」
「この病気が医者仲間で問題になってきたのは、ずいぶん前、江戸が幕府の政の中心になって、それなりに安定してきた頃からだ。その頃のお医者様たちが、どうも原因は食べ物ではないかと考え始めた。貧乏人はならないという事は、金持ちしか食べないものに原因があるか、それとも普通の人は食べるけれども、金持ちは食べないものに原因があるのかどちらかだという所まで、調べは進んだ」
「つまり食べ物の中に何か問題のある成分が含まれているか、逆に金持ちは食べないのに普通の人は食べる何かに身体に必要な成分があるかどちらかと言うことですな」
「その通り」竹庵が言う。「いろいろな食事を調べてみたらしい。すると分かったのが、米なんだ」
「米?」三人が言う。「そんなもの、金持ち、貧乏人を問わず食べておりましょう」
「ところが、金持ちの食う米は貧乏人の食う米と決定的に違う点が一つあったのさ」
「同じじゃないんですか」マメゾーが言う。
「いや、待てよ。そう言えば、金持ちの食う米は、精米が丁寧だ。私たちが食べる米より丁寧に精米されている。その方が美味しいからな」
「その通り」竹庵が言う。「米ぬかに、その成分が入っているらしいという事が分かった。それと金持ちは麦飯や雑穀米は食べない。その中に身体に必要な成分が含まれていて、それが欠けると足にむくみが出たり、さまざまな障害が起るらしいという事が分かってきた。そして、それらの患者に麦飯を食べさせたら、短い時間で症状が消えたのさ」
「それじゃあ、高直な薬が要らないというのは」
「麦飯を食べさせれば良いだけだから」
「なるほど」佐吉が言う。「ぬかを薬だと言って食べさせたら?」
「まあ、味でぬかだと分かれば,食べたがらないだろうな。麦の粉と砂糖を混ぜて食べやすくして、高直だがよく効く薬だと言って、飲ませる手はありそうだが」
「金持ち相手の商売だから、濡れ手に粟の大もうけが出来そうですね」
「まあ、医者がそこまであくどい商売をするのはなということで、皆、患者には麦飯を食べさせている。まあ、蕎麦やマメにもその成分があるらしいから、それでもいい。だが、簡単すぎてあまり信用してもらえなくてな。やってみればすぐ分かるのに、やってもらうまでが大変で。やはり、高直な薬だと言ってもったいをつける事も必要かもしれん。」
◎
「竹庵さん。お疲れ様」あの住職が声をかける。今は麦飯のおかげですこぶる調子が良いようだ。「患者の皆さんが喜んでくれているのを見ると本当にうれしいですな。竹庵さんのおかげです。それにしても、治療費をあまり取られないのは、患者さんは良いでしょうが、竹庵さんは大丈夫ですか」
「まあ、皆、苦しい生活をしておられますから、治療費を払うのは大変でしょうし」
「それは、大店の旦那さんなど、その噂を聞いて、寄付を申し込んで下さる方も多いですが、これ幸いと治療費を払わない患者さんもいますし。それと畑で取れた野菜や果物を持ってきてくれたりするのですが、寺の方で使わせていただいておりますし」
「野菜や果物は身体に良いんですよ。どんどん食べて下さい」
「しかし、竹庵さんを見て、我が身を振り返り、生活を改めないとと思いましてね。実は、親がやっていたとおりの生活をやってきたのですが、それは間違っていたのではないかと思うようになりました」
「といいますと」
「これまで、お百姓さんたちの苦労など考えたこともなかったのですよ。入ってくるお布施を当たり前と思い、今から考えれば、ずいぶん贅沢な暮らしをしておりました。そのお布施を稼ぐために皆がどれだけの苦労をしているかという事が見えてきましてね」
「それは殊勝な心がけですね」
「仏様が拙僧のこれまでの態度を見ておられたら、嘆かれるのではないかと思い、できる限り困っている方々には力になってあげようと檀家の人々をしっかりと見るようになりました。そうすると、生活に困っている方々がいかに多いか見えてきまして」
「それは結構ですな」竹庵は我が意を得たりという感じで頷く。「ご住職、困っている人を助けるというのは菩薩行そのものですよ」
「それで、噂を聞きつけたお殿様が、診察に来て欲しいと言われまして」
「お殿様が?」竹庵が頭をひねる。「何か病をお持ちなのか?」
「よく分かりません」住職が言う。「これまでお殿様が病気だと言うことなど訊いたことがなかったのですが、どうも秘密にされていたようで」
「そうですか。私でよろしければ、いつでも診察にお伺いしますとお答え下さって結構ですよ」
「そうですか。ありがとうございます。そう伝えます」
「お殿様とは面識がおありですか」
「まあ、時にご家来の皆様に仏様のお話をしに参ります。その時に声をかけていただく程度ですが、お顔は存じ上げております」
「どんな方ですか。固苦しいとか、気難しいという事はございますか」
「それが、以前は非常に気さくにご家来に声をかける方だったのが、最近、少しずつ気難しくなってこられたということで、お年のせいかななどと噂されております」
「それが住職の耳に届くまでになっているということは、かなり大変な事だと思いますが」
「そうなんです」住職がため息をつく。「どうも、最近お世継ぎの件で悩んでおられるやに聞いております」
「お世継ぎ?」
「ええ、これまでお世継ぎに名指しされていたのは、長男の方なのですが、愛妾の方にお子様が生まれて、お世継ぎを変えようかと迷っておられるらしいという事です」
「そんな噂が広がっているということですか」
「ええ」住職が困ったことだという感じで言う。「町人の間にまでそんな噂が流れている状況では、幕府の方に聞こえたらどうなるのかというのが、町人たちのもっぱらの心配です。藩のお取りつぶしがあったりすれば、藩にお金を貸している商人たちは貸金が帰ってこなくなって、破産という事になりかねませんので」
「…ということだ」竹庵が藩の状況を説明する。「ご老中の懸念は正しいのかも知れんな」
佐吉が見つけてきた、秘密の話が出来そうな花街のお茶屋で、六人が集まって話をしている。
「町人たちの噂話を集めますと、ご愛妾の息子はまだ三つ。それなら元服も済ませた長男よりも扱いやすいだろうと思っているのでしょうな。ご愛妾がお世継ぎの変更を言い出したのをこれ幸いと、首席家老がお世継ぎ変更を申し出たそうです」佐吉が言う。
「そこまで町人の間で噂になっているという事は、それだけで問題ですな」伊賀同心が言う。
「花街での噂も同じようなものです」マメゾーが言う。「問題は、どちらが主で、どちらが従かと言うことなんですが、花街の方では愛妾の方が積極的で、首席家老はそれに引っ張られているだけだという事になっています」
「幕府に提出された届け書は、愛妾の策略か?」竹庵が聞く。
「どうもそのようですな」伊賀同心が言う。「無理矢理、お殿様に迫って、お世継ぎの変更届に花押を書いてもらったのではないでしょうか」
「本当に殿様の意向なのか、それとも家老や愛妾が無理矢理書かせたものか、そこを確かめないと先に進めないな」竹庵が言う。
「今、一応、花押に乱れがあって、本人が書いたものかどうか確信できないということで保留にした」伊賀同心が言う。「確認の使者を遣わして、お殿様の本当の意思であるかどうか確認させるか、殿様が江戸に出てきて自ら説明するか、どちらを選ぶか訊いて、今返事待ちという事だが、ひょっとして藩主が病気で江戸に向かうのは無理な状況で、使者を受け入れるしかないのに、使者に来られたら何か困ることがあるということではないでしょうか」
「まあ、それを確かめるために、私たちが派遣されたわけだけれど、この話し、きな臭いな」
「どちらにせよ、もう少し探ってみるしかない」伊賀同心が言う。
「しかし、花街で遊んでいるのは、余りに申し訳ないので、誰か代わりませんか」
「花街の噂を探るためだろう。良いでは無いか。役得だぞ」
「マメゾー以外の者は、御茶屋遊びをするわけにはいかない立場だからな」伊賀同心が言う。
「佐吉が花街担当になってみろ」竹庵が言う。「もしその話しが奉行所で出たら、言い開き出来ないからな」
「桃井様は」マメゾーが言う。
「それこそ、楓殿が許すはずが無いではないか」竹庵が断言する。
「そうですよ、マメゾーさん」楓が言う。「そんな事になったら、絶対に許しませんからね」
「まあ、楓。拙者がそんな事をするはずがないのだから余り心配するな」
「ちぇ」マメゾーが言う。「のろける種を作っただけか」
◎
「それで、どうだったんですかい」佐吉が訊く。
「あれは、汞中毒だ」竹庵が答える。「かなり進行している。すでに藩主はまともな判断の能力を持っていない」
「毒を盛られていたって事ですね」
「花押の事で保留とされて、藩主が花押を書けるぐらいにすぐ回復するのならば、と思ったらしい。しかし、あそこまで進行した中毒を回復させるには長い時間、まず半年は必要だと言ったら、すぐに帰された。間に合わないので、その手はあきらめて、別の手を考えるという事だろう」
「しかし汞ですか」伊賀同心が言う。
「そう、朱色の原料だ。金の精錬にも使われる。辰砂とも水銀とも言う」
「それは手に入れることは難しいものですか」マメゾーが訊く。
「いや、薬種問屋で売っているだろう。少量なら薬にもなる。しかし少量ずつでも長く服用していれば、身体にたまってきて、命に関わる所までいく」
「では、薬として使っていたと言われれば、毒を盛ったと断罪することは難しいということですか」伊賀同心が言う。
「多分、服用させたのが愛妾の方ならば、よかれと思ってやったという言訳は出来るだろうな。医者に相談したのかとは言えても、毒だとは知らなかった言われれば、それ以上追求はしにくい」
「しかし、そんな危険なもの」
「秦の始皇帝や歴代の中国の皇帝などが飲んでいた不老長寿の薬というのが、その汞なんだ」竹庵が言う。「薬草などから創られる薬は所詮命の限りある植物から出来ているので、不老長寿の薬にはならない。鉱物は動かないからだめだが、汞は鉱物なのに動く。だから不老長寿の薬と成り得る」
「そういう理屈ですか」マメゾーがため息をつく。
「そう」竹庵が言う。「それで長寿どころか、かえって寿命を縮めた皇帝は多いと思う」
「しかし、藩主を花押が書けるまで回復させるというのは無理だと分かったら、今度はどう出ますかね」マメゾーが訊く。
「かなりの強攻策しかないだろうな」佐吉が言う。
竹庵が居酒屋で食事を終えて、夜道を帰ろうとして、鎮守の森を通って、お寺への道を歩いていると、突然五、六人の侍が木々の間から出てきて、竹庵の前に立った。皆、剣を抜き放っている。
「どなたかな」竹庵が落ち着いた声で訊く。「ご家老の命で来られたのか? それともご愛妾の方かな」
侍たちは、竹庵の落ち着いた声に少し戸惑ったけれど、無腰の医者に何が出来ると多寡をくくったのか、一番前にいた侍が斬りかかってきた。竹庵がそれをかわすまでもなく、上段に構えたその侍の手首に手裏剣が刺さり、侍は刀を落とした。
侍たちが手裏剣の飛んできた方を向くと、忍者装束の男が一人立っている。何人かの侍がそっちに向かうと、男は木に飛び上がり、そこから反対側の木に飛び移った。そちらを向いた侍たちの一人に、後ろから手裏剣が飛んできて、右腕に刺さった。うめきながら倒れるその男を見て、あわてて後ろを振り向くと、もう一人の忍者装束の男が木の上に立っている。あわてて元の木の方を見るとそこには既に男の影はない。
「お前たちは、あの忍びにあたれ」この暗殺隊の隊長らしき男が叫んだ。「この医者は俺がやる。一人はこの医者の後ろに回って逃げられないように見張れ」
そういう隊長に手裏剣が飛んでくる。なんとかそれを刀ではじいた隊長が飛んできた方を見ると、忍者装束の男が木から木へ飛び移って、手裏剣を投げてくる。それがいつの間にか二人になり、三人になった。あちこちから手裏剣が飛んで来る。隊長は木を背にして、木から木へ飛び移る男たちの動きを見極めようとした。その時、頭の上から何か降ってくるような音がした。隊長が上を見上げようとした時には、すでに頭に苦無を突き立てられていた。落ちてきた男は隊長の前にかがむと同時にまた飛び上がって、再び木と木の間を飛び回った。
竹庵の後ろに回ろうとした侍は、竹庵の横を通り抜けようとした時にうっとうめいて倒れ込んだ。横の木の後ろから桃井と楓が出てくる。切ったのは楓のようだ。血の付いた苦無が握られている。
残された侍たちは、もう茫然自失という態で、逃げることも出来ずに座り込んでいる。
「お前たちは誰に頼まれて私を殺しに来た?」竹庵が静かな声で訊く。むしろそれが侍たちの恐怖をさらにあおった。
「家老の命令です」一人が言う。「今日集められて、二組に分れて、一組は、今日来た医者を、もう一組は若様を襲うように命じられました」
「なに?」伊賀同心が言う。「若様を襲うだと? どこでだ?」
「学問所からの帰りを襲うように言われておりました。私たちも医者を殺したら、援軍に行くようにと言われています」
「よし、それではそこへ案内せよ」
「おお,医者の方へ行った組か?」藩主の長男を待ち伏せしていた組の隊長らしき者が声をかけてくる。「あれ、隊長は?」
暗闇の中で、よく見えないのであろう。藩の者でない人物が混じっているのに気がつかないようだ。
「隊長は後から来る」一人の侍が、竹庵に言い含められた通りに答える。「あちらの後始末をしてから行くので、お前たちは先に行って加勢せよとのことだ」
都合の良いことに、ここも、隠れ場所を考えて、森の中を通る道に待ち伏せ場所が設定されている。竹庵と桃井と楓が侍たちの後ろにいて、残る三人は木の上に隠れているようだ。
「来た。ぬかるなよ」こちらの隊長が小さな声で皆に命令する。森の外れから、提灯の明かりが見える。提灯の明かりは一つ。不用心なことに藩主の長男一人のようである。
隊長の合図で、皆、隠れていた木の後ろから道に出た。道の前と後ろをふさいだ形になる。
「何者だ」鋭い声が問う。この藩主の息子は結構肝っ玉が据わっているようだ。
「お命ちょうだいつかまつる」
芝居がかった声で、先頭に立った侍が言う。その侍が刀を抜こうとした途端、森の木の上から飛んできた手裏剣に首を刺されて倒れた。何が起ったかと侍たちが周章てている内にも、あちこちから手裏剣が飛んでくる。数人が倒れた所で、桃井と楓が藩主の息子の前に現れた。
「若様」楓が言う。「どうも藩主のご愛妾とご家老とが謀って、あなたを殺そうと、家来を使わしたようでございましたので、助太刀を務めに参りました。私どもに任せておいていただければ結構ですので、ここでしばらくお待ちください」
「お主たちは、どういう方々かな?」
「それは、この戦いが終わった後でゆっくりと」桃井が言う。「今は、あなたの敵ではないということだけご承知おき下されば結構です」
木から木へ飛び移りながら、手裏剣を飛ばす相手に、暗殺隊の侍は手の下しようもなく、一人、また一人と倒れて行く。忍者装束の男が何人いるのかさえ、よく分からない。あちこち飛び回り、隠れてはまた現れ、一方に気を取られていると、反対側から手裏剣が飛んでくる。命令を下す者が既に殺されているからだろう。統率もなく、逃げ出す者もいれば、そこにしゃがみ込んでしまう者もいて、戦いが終わるまでにかかった時間はほんの少しであった。
「殺してはいないな」竹庵が言う。
「ええ、証言してもらわなければなりませんからね」佐吉が言う。「戦えないようにしただけです。ただ、隊長だけは死んでもらいました。そうしないと戦いが長引きますので」
「若様」竹庵が言う。「どこかで、今の件について説明しなければなりませんが、ゆっくり説明出来るような場所はございますか」
「それなら、我が屋敷に来て頂くのが一番だが。しかし、この家来たちはどうすればいいのでしょうな」
「すでに縛り上げておりますし、歩くのに困るようにはしていないので、そこまで連れて行って、後でゆっくり尋問するとよろしいかと」佐吉が言う。さすが手慣れたもので、逃げる気力すらなくした者四、五名を縛り上げている。
「この度は誠にありがとうござった」若様が頭を下げる。「改めて、どなたがどのような関わりでお助けくださったのかご説明頂きたいが」
「とくに名乗るほどの者ではございません」竹庵が言う。少し白々しい。「先ほど、あの侍たちに殺されかけまして、返り討ちにした所、もう一人狙われている人がいるという事を聞き、助太刀に駆けつけた次第で」
「しかし、あの戦いぶり、何か曰くのある方々だという事は訊かずとも分かりますが、まず何よりも、なぜあなたが我が藩の侍に襲われたのか?」
「今日、藩主の病気を診察するように言われ、お城に出向いたのですが、その結果が思わしくなく、どなたかが拙者の口封じを図ったのかと」
「父がどうかしましたか。この頃、愛妾のいう事しか聞かず、私と会おうともされないので、今どんな状態か良く存じ上げないのですが、なにか病気でも?」
「いえ、もっと悪いですな」竹庵が言う。「毒を盛られています」
「え、毒ですか」
「ええ、今の状況ではそう長くないでしょうな」
「しかし、今亡くなったら、困るのは彼らですよ」
「彼らというのは,藩主の愛妾と家老ですな」
「そうです。実は父の愛妾が、自分の生んだ次男をお世継ぎにしようとして、父に迫っていることは聞いておりました。今、父が亡くなったら、幕府に届けているように、藩主の座は私に来ます。それは彼らは避けたいはず」
「どうします」伊賀同心が竹庵に言う。「この際、事情を話してしまいますか。そうでないと説明も出来ませんし」
「そうだの」竹庵が首をひねる。「確かに説明しづらいの」
「これまでの調べで、この方が立派な方であることは分かっているわけですし、もうこちらの事情を素直に説明して、味方になって頂く方が、この藩の領民のためにもなるかと思いますが」
「そうですか」若殿が言う。「もう、数日後には、幕府のお使者が来られるというのですな」
「左様です」竹庵が言う。「お世継ぎを変更したいという届けが出され、それに不審な点があり、いったん届けを受け付けるのを保留にして調べることとなったのです」
「世継ぎの変更届は既に出ていたのですか。それが保留になったので父の愛妾と家老があせって私を殺そうとしてきたということですね」
「変更届が出ていたことはご存じなかった?」
「ええ、知りませんでした。この世継ぎ争いに関して言えば、浅学非才のこの身、あえて藩主の座に固執する事もないし、父が愛妾の言うことを聞いて,次男に継がせようとするならそれでいいかと思っておりました」
「しかし、ご次男はまだ三つ。跡を継ぐことになったら、愛妾と家老が私利私欲で政を曲げてゆく事は見えていると思いますが」竹庵が言う。
「それはその通りですが」若様が悩んでいる。「しかし、今回のことが幕府に知られれば、お家断絶は明らか。世継ぎも何もないと思いますが?」
「私どもとしては、あなたが藩主を継ぐ覚悟があるのならば、今回の件は握りつぶします」
「そんなことをして良いんですか」
「大丈夫ですよ」楓が横から口を出す。「私どもは、とある藩の家中ですが、我が藩でもあった騒動に関して、この竹庵さんに助けて頂いて、それでこの度、恩返しに竹庵さんの護衛を買って出たという経緯があります。今回の件、竹庵さんが握りつぶすと言えば、安心して頂いて結構です。勿論、ご老中にはきっちり報告されると思いますが、それで改易という心配はしなくていいかと」
「まあ、私を信用してください」竹庵が言う。「この三人がいろいろ調べて、あなたが立派な藩主になるだろうと言ってくれているので」
「私のような力足りない者にそのような過大な評価、痛み入りますが、もしお許し頂けるのならば、良い藩主になれるよう精一杯努力いたします」
「では三日後。多分、まず家老が出てくるでしょうが、お使者に「お前たちでは話にならん、殿様か、ご長男を出せと言うように指示しておきます。藩主は今の状態ではご使者に対応させるのは無理ですから、あなたが出て行くしかないし、それは家老には止められませんよ」
「あとは自信を持って、ご使者の質問に自分の思いで答えられれば結構です」
「しかし、佐吉殿」桃井が訊く。「戦いの時のあの三人の動き、あれは何という術ですか」
「そうそう」竹庵も膝を乗り出す。「すごい技であった」
「あれは、おぼろ分身影三つと言いまして、あの木と木を飛び回る猿飛の術が出来る者が三人必要なのですが、この度ちょうど三人そろったので、一度やってみようと試したものです」伊賀同心が答える。
「この伊賀同心の方から私へ、そして私からマメゾーへと猿飛の術を伝えたのですが、今回、旅の途中でこの術の話しをこの伊賀同心の方から聞いたもので、一度やってみようと」佐吉が言う。「この術の一番大事な所は、全部で何人いるかという事を分からないようにすることです。あたかも一人の人が二人に別れたかのように錯覚させるとか、あちらからこちらに瞬時に移動したかのように思わせるとか、それをいかにやるかということで、息の合う者たち同士でかなり練習をしなければ難しいですね。今回もその意味ではもっと練習の必要があります」
「しかし、練習を一度もやらずに、よくあそこまで出来たものだ」伊賀同心が言う。「二人とも勘が良いので、他の二人を見ながら、自分がどう動けば良いかを瞬時に正しく判断されるので、少しも困らなかった。初めてやりましたが、またやってみたいですな」
「しかし、私を練習台にしないで下さいね」桃井が笑いながら言う。「あれをやられて受けきれる自信はありません」
「あの術、私たちにも教えて頂けませんか」楓が言う。「我が藩の女忍花組でやってみたいですね。おぼろ分身影六つとか」
「花組?」
「藩主の命の元に働く女忍はいくつかの組に分れておりますが、その中で私たちの組は皆、樹木や花の名前が付いています。それで通称花組と」
「えらく恐ろしい花があったものですな」佐吉がつぶやいた。
ご使者がお城に着いてすぐ詮議が始まった。それまでに竹庵らから報告を受けていたご使者は、新しい変更届を藩主の意向に添うものと認められないとして却下し、既に出ていた届けに従って長男が跡を継ぐよう決裁した。愛妾は出家の上、隠居した前藩主の世話をするように命じられ、家老は切腹の上、お家断絶となった。暗殺事件で死んだ侍たちについては、それぞれ調査の上、陰謀に加担していた者は召し放ち、知らずにただ上司の命令に従っただけの者はお構いなしという措置が採られた。
ご老中への報告はお使者からしてもらうことにして、竹庵護衛の三人は、まだしばらく寺での治療を続けるという竹庵に付き合って残ることにした。桃井と楓は自藩に帰り、藩主に報告の上、石脇塾から修行を終えた医師を一人派遣してもらうように頼んでもらうこととなった。
石脇塾からの医師を迎えた次の日、四人は寺を出て帰路についた。住職は四人が見えなくなるまで頭を下げていた。
「さあ、これで江戸に帰れる」竹庵が言う。
「その前に、佐伯宗重様にご報告に上がらねば」佐吉が言う。「医者見習いを一人江戸に連れて行かねばなりませんし」
「そうだな」竹庵が言う。「今度は少しゆっくりしてもご老中からは文句は出まい。また小太郎に宴会でも開かせるか?」
「それをして、江戸病にかかったりしませんかね」伊賀同心が言う。
「それは、そんな宴会を半年も続けておればそうなるかも知れんが」竹庵が笑いながら言う。
「まあ、我々にはそんな心配はしたくても出来ないという事ですな」マメゾーが笑った。
(完)




